共振 第3話

第3話

「精神干渉って、結局のところ、精神体が振動する波長は合わせながら、振幅はこちらが強めにして、共振状態を主導するっていうことで正しいですか?」

「…………まったく、その通りだと思う」

 メンターは頷く。ゆっくりと微笑んで、芽衣のことを見つめた後、「信じられない」といった表情で首を横に振った。その仕草は、ドラマに出てくるアメリカ人のようだった。

「凄いな。理解が早いというか、………前から思ってたんだけど、芽衣ちゃんって、世界の捉え方が『男性脳』的というか………、何っていうかその、理論派だよね。きちんと言葉に整理して、咀嚼しようとする。里奈ちゃんとか雪乃ちゃんはもうちょっと、感覚派だよ。芽衣ちゃんみたいに質問に来たりしないし………」

 NASC武蔵野の集まりの前、藤代隼人メンターは早めにお店にやってきて、アイスレモンティーを飲む。カウンターの一番奥から2番目の席に座って、考えごとをしたり、大雅マスターと言葉少なく会話したりするのが、メンターの習慣だった。芽衣は時々、そんな時間を捕まえて、隼人さんに質問を投げかける。

「毎回のようにその、新しい体験が起きたりするから、きちんと頭で理解しておかないと、ただ流されていきそうになるんです。でも、精神体を同調させるのって、毎回、結構な作業ですよね。相手の感情とか流れこんで来ちゃうのを防がなきゃいけないし、シンクロしながらリードする、ちょうど良い距離の保ち方を維持するのとか、凄く疲れるんですけど………。隼人さんは参加メンバーを何人も、一度に誘導したりとか、どれだけ精神体を強くしてきたんですか?」

 芽衣の真っすぐな質問を受けて、クスっと笑った隼人さんは、細長いグラスに目を落とす。外側が汗をかき始めているレモンティーのグラスの中では、濃いめの紅茶が氷と解け合って、グラデーションを作りながら混ざり合っていた。

「そっか。芽衣ちゃんはまだ、順同調による共振しか習っていなかったね。………結構進展していたから、つい、もっと先のステップまで、自然に学んでるのかと思っちゃってた」

 隼人メンターがシャツの袖のボタンを外して、肘のあたりまで袖をまくる。その仕草は優雅と言ってよいものだった。

「概念だけ伝えて置くから、あとで伊吹君が来たら、試させてもらってみると良いよ。反同調っていう方法が、一歩先にあるんだ。今って、芽衣ちゃんたちは、相手の精神体の波長を読んで、それに自分の波長を合わせることによって共振状態を作ってるよね。一度、相手の波と完全に真逆の波形の波を作って、ぶつけてみるっていうことを意識してごらん。どうなると思う?」

「…………えっと…………、波がぶつかり合って、…………打ち消し………合います?」

「そう。相手の精神体が一度、ピタッと止まるんだ。それこそ、意識や思考も一瞬止まる。でも、精神体って、常に運動していないと維持できないから、一度止まった振動を、また復活させようとする。その瞬間に、こちらの思考を伝播させてみて。振動しようとする相手の精神体の力を使って、驚くほど簡単に共振状態を作ることが出来るよ」

 グラスと芽衣の顔の間で視線を動かしながら、隼人メンターが話す。顔の角度が変わる途中で、丸眼鏡のレンズが光を反射させて、キラッと光る。

「それが………反同調っていう、技なんですか」

「試してごらん。理論を知覚できたら、すぐ実践。……ははっ………。慣れると、とてもスムーズに、大きな効果を生んでくれる。強力な技法だよ」

 話し込んでいる隼人メンターの前に置かれたグラスを、大雅マスターが無言で手に取って、持ち上げる。カウンターを拭いて、コースターを取り換える。汗をかいていたレモンティーのグラスを綺麗にする。その間、隼人メンターはマスターを見ようともしない。一連の動きがとても手慣れていて、芽衣には、2人の信頼関係の深さ、強さが伝わってくるように思えた。

。。

 伊吹がお店に来ると、彼と芽衣は当たり前のように2階に上がって、ソファーに横座りになって向かい合う。芽衣が今日、メンターに聞いたばかりの話を、伊吹に話す。

「逆の波長をぶつけて、相手の思考を一度消すっていうことか………。高級イヤホンについてる、ノイズキャンセリングっていう機能と似たような原理かな」

 伊吹もなかなかに理屈っぽい。芽衣は最近、雪乃と話をしているよりも、伊吹と話し込んでいる時の方が自分の思考が心地良く回転していると感じることが増えてきた。芽衣より1歳年上で、押しつけがましくはないけれど博識な伊吹と話していると、芽衣は自分も少しずつ賢くなっているような、小気味良い感覚を得ている。それはまるで、少しだけ背伸びをしたら、世界が広がって見えたような、嬉しい気分だった。

「私もそれ、思った。確かに相手の精神体の力を借りて簡単に共振状態を作れるなら、毎回毎回、力比べみたいな波長の調整とか、こっち側の防御とか考えなくてもいいから、すっごい楽ですよね。でも、相手の精神体と逆の波形の振動を作って送って、相手が静止した瞬間にまた新しい精神波を投げ込むって、凄く難しそう………」

「ま………。言葉で言うと、そうだよね」

 一度頷いて、芽衣の話を認めてから、伊吹が考える。この間が、心地良い、と芽衣は感じる。きちんと芽衣の考えを受け止めてくれているという一挙動で、次の伊吹の話も聞きたくなる。

「でも例えば、芽衣ちゃんも卓球とかしたことあるでしょ? あれもラリーとかになると、ほとんど考えてる間とか無いように見えるけど、実際にやってることって、凄く複雑だよね。目で見たピンポン玉の速さや角度、回転を解析して、打ち返すために自分のラケットを動かす指示を出す。でも自分の手が動いてくれるタイミングには、玉はもっと先に動いているわけだから、実際は玉の動きを予想して、0.1秒後の未来の位置とかに向けてラケットを出してる。ラケットの角度とか力を調整しながら、卓球台の大きさ、フェンスの高さ、相手の場所を見て、さらに相手の次の動きを予測して、裏をかくような場所に打ち返す。言葉で説明すると、ほとんど無理ゲーに思えるけど、上手なプレイヤーは、ほとんど無意識の間にそこまでやりながら、次の次の手くらいを考えて試合を支配してるんだよね」

「ほんとだ………。…………反同調………。まずは、練習してみましょっか?」

 芽衣は少し体を前に出して、伊吹と距離を詰めるように向かい合っていた。

。。。

 伊吹とのペア学習に熱が入るのに合わせて、芽衣の生活の中に、少しずつ、気がつかないくらいに、少しずつ、スピリチュアルコミュニケーションが入りこんでくる。満員電車で汗まみれのサラリーマンに密着されそうになった時、駅前で何かの勧誘や軽薄な雰囲気の男性のナンパに会いそうになった時。『こっちに来ないでください』と芽衣は、ささやかに念じる。自分の精神体が、他人の出す波長と共振するなんて、夢にも思っていない一般の人たちは、いとも簡単に、芽衣のパーソナルスペースから離れていってくれる。

 彼らは、自分たちが芽衣に行動や感情、それにちょっとした思考を操作されているということすら、認識していないようだ。いや、理解「しようとしていない」だけなのかもしれない。だから自分の精神体を、こんなに無防備に、放り出していられるのではないか? 自分の意識をきちんと自分の責任で防御するということを覚え、習慣化しようとしている今の芽衣にとっては、周囲の一般の人たちが、まるで下着も身につけずに道をウロウロしているような、恥ずかしいほど無防備で無邪気な人々のように見えてきつつある。

 クラスの女子のなかでもトラブルを起こしがちな子が、機嫌を悪そうにしている。芽衣は『お願いだから突っかかってこないでね』と念じる。苦手な教科の時は、先生に『どうか、当てねぇでくだせぇ』と精神波を送る。彼氏の白川陸都が、休み時間中に芽衣をデートに誘ってくれる。少し不満そうにしている陸都の男友達。やっかむような視線を送る、何人かの女子たち。芽衣は『私たちの邪魔をしないでくれると、助かります』と、祈るように念じる。周囲の視線がフワッと柔らかく、温かいものに変わる。芽衣の初交際を、クラスメイトたちが応援してくれる、そんな空気が伝わってくる。普段は厳しい現国の先生までもが、「どうせなら、お前ら夫婦、隣の席に座るか?」と、芽衣たちカップルを、まるで公認するかのようにしてイジってくる。芽衣の人生が、格段に生きやすくなってくる。そして、精神体を共振させるという行為は、日常化していく。
 少しずつ、そうすることが当たり前であるかのように。
 まるで芽衣に与えられた、生まれつきの権利であるかのように。

。。

 芽衣よりも習得には時間がかかったが、松藤雪乃も少しずつ、スピリチュアルコミュニケーションをモノにしつつある。これまで彼女を困らせてきたのは、異性からのまとわりつくような視線。値定めするような目から、仰ぎ見るような羨望の目まで、容姿に秀でた雪乃は、子どもの頃からいつも男の人の視線を集めてきた。小学校高学年から中学1年までに、胸が大きく成長して、Dカップまで膨らむと、雪乃の顔と胸とを上下に行ったり来たりする、大人の人たちの視線が怖くなったりもした。そんな彼女も、芽衣にも補習してもらいながら覚えた精神干渉の技法で、『こちらを見ないでください』とお願いする。駅のホームやバスの中、朝礼時に、これほどリラックスすることが出来たのは、久しぶりのことだった。

 そして、恋バナ大好きな雪乃は、友人の芽衣に素敵な彼氏が出来たことで、少しずつ自分自身の恋愛についても、積極的に考え始める。芽衣が陸都君と両想いになったように、自分も頼もしい男子がいたら、お付き合いしてみたい………。そこまで考えると、体がポッポと熱くなる。「キャー」っと声を出して、机に突っ伏してしまう。そんな雪乃だから、なかなか自分の恋は進展しないが、それでも芽衣の進展には興味深々だから、喫茶店やファミレスに寄った時には、芽衣の恋バナをジックリ聞かせてもらう。親友である吉住芽衣の精神干渉の力は、隼人メンターや伊吹君も驚くほど、力強くて上達も早い。けれど彼女はディフェンスが余りうまくない。スロー・ラーナーの雪乃ですら、芽衣が油断している時には、『今日はジックリ、全部、陸都君とのこと、……あと、伊吹君とのこと、私にお話ししてね』と精神波を送ると、意外とスルッと受け入れてしまう。ドリンクバーを最大限活用して、芽衣と雪乃はお喋りに興じる。途中から芽衣は真っ赤な顔を両手で覆いながらも、友達の雪乃に、陸都君とのラブラブぶりを赤裸々にお話してくれる。いつもは芽衣が保護者役、雪乃が妹分といった雰囲気だが、この、スピリチュアルコミュニケーションという技術を覚えてからは、時々、芽衣の、意外なほど愛くるしくて、あどけなくて、無防備で、いたいけな表情が見える。雪乃はそんな時、この、普段は隙を見せようとしない美少女を、ギュッと抱きしめたくなる。

「芽衣ちゃんって、陸都君にまだ最後まで許してないのは、………怖いから?」

「ん………、怖いのは、あるよ…………。すっごく痛いらしいでしょ? それに、もしも上手くいかなかったら………とか色々考えだすと、つい、ストップかけちゃう」

「ストップって、この前の、陸都君の部屋に行って、ラブラブしてたら、パンツに手を入れられた時のこと?」

「………私、そんなことまで、雪乃に話してたっけ? ………あ、そうか、こないだのサイゼリア………か。恥ずかしい~。…………そう。陸都がしばらくショーツの中、モゾモゾしてて、私が濡れちゃってるのに気がついたんだと思う、もう片方の、私を抱きしめてた手に、グッと力が入って、押し倒すみたいな感じになって………。私はアタマんなかで、来ましたぞ。これはイヨイヨですぞって………」

 芽衣ちゃんは、もしかしたら、雪乃よりも恥ずかしがり屋なのかもしれない。自分の乙女な部分すら恥ずかしくて、時々、わざとオジサン言葉というか、お侍さんみたいな言葉を使って、誤魔化す。そんなシャイな芽衣が、隠しごとが出来なくなって、雪乃に赤裸々な話をポロポロ教えてくれる。思い出すだけで真っ赤な真顔になって、頭の上に陽炎が立ちそうなくらい茹で上がりながらの赤裸々トーク。その様子が、雪乃にとっては、とっても健気で可愛らしい。精神共振の補習を手伝っていてくれる時の、芽衣ちゃん先生顔とのギャップがまた、耐えられないほど、萌える。

「でも、ストップかけちゃった」

「そう………。陸都ごめーん。あれじゃ、生殺しだよね………。でも、やっぱりあいつ、モテるし、私が全部許しちゃったあげく、陸都にガッカリされたらどうしようって思ったら、つい、ストップ! って………」

 マックのテーブルにガバっと突っ伏して、芽衣が足をドタドタさせる。雪乃は芽衣の頭を撫でてあげた。

「でもチューとか、体を触り合ったりとか、したんでしょ? ………芽衣ちゃん。陸都君とのラブラブって、伊吹君との時より、良かった?」

「………………馬鹿…………」

 顔をテーブルに伏せたまま、芽衣が呟く。雪乃は親友とのお喋りの間、油断しきっている芽衣の後頭部に手を当てるようにして、もう少しお話を続けてもらうようにお願いする。悩める乙女は、しばらく迷ったあとで、ボソボソとまた、話し始める。

「陸都は………やっぱり、上手。それってちょっとヤダけど………。それに、私は絶対に陸都が好きだから、陸都の時の方が嬉しいよ」

 ゆっくり顔を上げた芽衣が、口元をモニョモニョとさせる。

「伊吹は………スピリチュアル・パートナーだから、私のして欲しいこととか、気持ちいいこととか、どんどん伝わっちゃうし。………だって、陸都君には、そこもうちょっとだけ強く噛んでもイイよ、とか、死んでも言えないでしょ? ………伊吹の場合は隠してもしょうがないって思うから、なんか振り切れちゃって………、凄い、乱れちゃうよね………。結局………その。…………サルです。………かたじけない。…………面目ない」

「芽衣ちゃん、ヨダレ出てます」

「嘘言わないでよ!」

 呆けたような目で壁をウットリ眺めていた芽衣が、雪乃の一言で、急に焦る。雪乃の冗談にひっかかってたまるかと思ったが、一応。念のために手でアゴを触って、ヨダレが出ていないことを確かめる。
 出ていた。

 雪乃も芽衣の精神体と何度も共振している。だから、芽衣の、白川陸都を想う、一途な気持ちは良く分かっている。ピュアで真っすぐな、純度100%の恋心だ。そして、薄目を開けるようにして見ると、芽衣のスカートのお尻のところから、薄っすらキラキラしている尻尾状の精神体が、遠くの方まで伸びているのも見える。芽衣自身も気づいていないようだが、この「尻尾」は、彼女の心が沈んでいる時は、どこかダランとしているし、心が浮き立つような時はブンブンと振られている。そして時折、遠くにいる伊吹君の尻尾と絡み合うように、クネクネしている時がある。そんな時、クールビューティー、吉住芽衣の顔は少し赤らんでいる。さらには鼻息が、いつもよりも若干荒い。

 この、透明感溢れる、キリッと清楚な美少女が、素知らぬ顔で、秘かに息を荒くしている。そんな時、芽衣の後ろから伸びる尻尾が、クネクネと、どこか淫靡にヨジれているのだ。伊吹君発信だろうか、それとも、芽衣ちゃんが無意識に求めたのだろうか、通学中やお喋りの合間に、芽衣ちゃんは尻尾をパートナー君と絡ませ合って、発情している時がある。「何でもないですよ」という顔をして、誤魔化そうとしても、雪乃にだけはわかる。たぶん雪乃だけが知っている、吉住芽衣の、内緒の顔だ。

 そんな様子を、友人として、一緒にNASCを学習する同門の生徒として、間近で見ている雪乃。雪乃は時々、(隼人メンターって、イジワルだよな~)と思う。同時に、芽衣をギューッと抱きしめてあげたくもなる。どうするか迷って、結局、恋バナを聞かせてもらっている。

。。

「反同調」という技法の次に習ったのは、「集団共振」だった。これも精神体の振動する原理や特性を頭に入れると、比較的スムーズに使いこなせるようになった。1人の人間の精神に干渉するのに対して、5人の人間を制御するのは、5倍大変そうに感じてしまう。まずはその先入観を払拭する。

 共振現象は2人よりも3人、3人よりも4人の間で起きている方が、より強いものになる。芽衣1人が知らない人を1人を同調させようとするよりも実は、先に5人分の同調を作ってから、新たに2人をその共振波長に同調させることの方が容易なのだと体感した。その次の日から、何人もの人たちの精神に一挙に干渉するということがとても楽になった。だから、人前で陸都とラブラブになっていても、これまでのように人目を気にして固まるということが減っていった。芽衣は以前よりもずっと、学校生活を楽しむことが出来るようになっていた。

 NASC武蔵野のメンバーたちとも、顔を会わせていくうちに、個々に親しくなる。これまで、女子高生の友人がほとんどだった芽衣にとって、知らない大人の世界、学校の外の世界のことを知ることが出来るのはとても面白かった。スピリチュアルコミュニケーションを学んで、実践している人たちは、大抵、日常生活でも一般の人たちよりも少しだけ(あるいはずいぶんと)、この力を使って、自分の人生を豊かにしていた。

 社会人の村山啓吾さんは、温厚そうな顔に似合わず、会社では相当偉いポストについているそうだ。「参事」という役職がどれだけ偉いのかは、学生の芽衣には今一つ理解出来ていない。けれど啓吾さんの場合で言えば、会社の誰もが啓吾さんのご機嫌をとるような様子らしい。好みの女の子を自分の秘書や部下にして、色んなお世話をしてもらうのが、日常業務。ライトなセクハラくらいなら、他部署の女の人や、受付嬢のお姉さんたちも笑って許してくれるそうだ。そして大きな商談の時にだけ出向いて、スピリチュアルコミュニケーション。ついでに取引先で可愛いOLさんを見つけると、夜の接待の予約をさせてもらう。それだけで会社も大きく成長しているというのだから、さぞ色んなことが、大目に見られていることだろう。

 以前だったら、こういう、オジサンの欲望を垂れ流すような話が響いてくると、芽衣はとっさに意識を閉じて、自分の精神体の平穏を保とうとしていた。それが最近は、他のメンバーがワルさをしている話を聞くと、少しだけワクワクする。さらに言うと、どことなく癒されるような気分にすらなる。芽衣自身が、陸都やクラスメイト、先生たちの考えや行動を捻じ曲げているということに対して、時折浮かび上がってくる罪悪感というか居心地の悪さ。それをメンバーたちの悪戯話が、解消してくれるような気がするのだった。もしかするとそれは、後ろめたい気持ちを誤魔化すための、背徳的な共犯関係なのかもしれない。それでも、会うたびに手を繋いで、輪を作って精神体を共鳴させあっていると、彼らを糾弾するような気持にはなれなくなっていた。

 大学院生の平野学さんに対しても、芽衣の態度は少しだけ変容した。この人の精神体はネトッとした響きを出してくるし、今でもあまり好きではない。それでも、この人の「アンカリング」という技術は、隼人メンターも一目置くほどの凄いものだった。精神体の共振という現象は、一過性のもので、通常は繰り返し相手に刷り込むような作業がなければ、数日で効果を失ってしまう。しかしこの「アンカリング」という技法は、相手の精神体の、「スピリチュアル・コア」と呼ばれる芯に近い部分まで意識を伝播させて、相手が気がつかないうちに、何かの概念や考え、習慣を刷り込んでしまう。芽衣も雪乃も、何度かNASC武蔵野のレッスンに通っただけで、いつの間にか、帰り際、学さんと握手やハグをするということを、当たり前のように受け入れていた。今では結構な時間をかけて、学さんは芽衣や雪乃に「サヨナラのハグからのチュー。そしてタッチ」を、当たり前のようにしてくる。そのことが、張り倒したくなるほど嫌だと思っていも、いざその場になると、その嫌悪感を密封するような、「これが当たり前」という気持ちにラッピングされてしまう。気がつくと受け入れている芽衣がいる。いつの間に刷り込まれたのか、見当もつかない。この技術は、出来ることなら芽衣も習得したいと思うようになった。

 もっとも、技術は凄い。でも、だからと言って、学さんへの嫌悪感は消えない。それを失ったら、人間としてかなり終わりだと、芽衣は勝手に思った。だから、芽衣はやはり、学さんではなく、隼人メンターから教わることにする。

「前に僕、精神共振と催眠誘導法、両方理解出来ると、幅が広がるって、教えたことがあったよね?」

 隼人メンターは、カウンターのいつもの席に座って、穏やかに語る。

「精神干渉は物理的に精神体を揺さぶって相手に干渉するから、より強力で、相手の拒絶を乗り越えることが出来る。けれど、催眠誘導法のように相手に言語で理解させて、深層意識にイメージを刷り込むというプロセスを経ていないせいで、一過性の作用が多いんだ。………だから、具体的なイメージを作り出して共有するっていうことは、効果を長続きさせるためにはとても重要なんだ。スピリチュアルコミュニケーションで、催眠誘導法で言うところの継続暗示や、後催眠暗示のような効果を生みだすのが、アンカリング。これには、イメージを相手の変性意識に落としこんであげることが、とても重要だよ。カギはイメージ」

 丸椅子を少し回転させて、隼人メンターが芽衣と正対するように向き合う。

「芽衣ちゃんって、もう、精神波を意図的に減衰させることって出来たっけ? 波長や振幅を細かくして、相手のガードをすり抜けること」

「………減衰は、距離の二乗に反比例する………ですか?」

 クスっとメンターが笑う。サラサラの髪をかきあげながら、話を続けた。

「相変わらず、ロジックから咀嚼する、理論派だね。………そうだよ。波長の短い精神波の方が、防御をかいくぐる可能性が高い。減衰させた精神波を送ることも出来るし、敢えて始めから波長の短い精神波を秘かに送ることも出来る。相手の精神体が気づかないくらいの振幅で、スピリチュアル・コアに迫る。………これだけだと効果も弱いので、強力で明確なイメージを、スピリチュアル・コアに送り込むっていうことも大事、っていうのはさっき言ったね。ま、そのへんは実践の中で覚えたらいいかな? ………ほら、君のパートナーのお越しだよ」

 カランコロンカランと、ドアの鈴を鳴らして、ソバカスの予備校生がやってきた。振り返った芽衣と、丸椅子に座っている隼人メンター、そしてカウンターで開店準備をしてる、大雅マスターの視線が、一斉に向けられる。川辺伊吹は、少し困ったような表情で、頬を掻いた。

。。

「んっと、………さっきちょっと、隼人さんから言われたから、僕から芽衣ちゃんに、アンカリングの技法を実演してみるね」

 伊吹は少し迷いながら、2階の部屋の中央にあるローテーブルに、ビニール製のテーブルクロスをかけて、細長いワイングラスを立てた。ボルドーグラスという形状らしい。そしてトレイから赤ワインのボトルを置いて、細長いグラスに1センチほど、ワインを注ぐ。

「あの、私。未成年ですけど………」

「うん。僕もそうです。…………これ、デモンストレーション用ってだけだよ。飲まないでいいから。………ま、大雅さんはドタバタするなら、皆が来ない、早い時間の方が良い………とか言ってたから、なんか荒れたりはするかもしれないけど………」

 向かい合って、伊吹と芽衣が顔をしかめ合う。隼人さんがクスクス笑いながら大雅さんと話をしていると、大抵生徒たちには、困った事態が発生する。意外とスパルタな先生たちなのだった。

「嫌な予感しかしない………」

 芽衣が両手で頬を包んで、唇を尖らせた。伊吹は躊躇いながらも、ワイングラスの上に、コースターを乗せる。

「えっと………。まずは微細な精神波を送るよ。………ちょっとずつ波長を上げる。何か気がついたら、教えて」

 伊吹が芽衣に向かって両手をかざして、目を閉じてから20秒後くらいのところで、芽衣の頭にシュワシュワと、静電気のような痺れが少しずつ拡大してくるのを感じた。

「………あ、今………。何か送られてきてるの、わかった」

「…………今? やっと? …………芽衣ちゃん。やっぱりちょっと、ガードの方は緩いな」

「ガードが緩い………。ですと………聞き捨てならぬ………」

 芽衣はレディーに対して失礼な物言いを咎めようとしたものの、途中で諦めて、溜息を鼻から漏らした。友人で、精神共振の劣等生のはずの雪乃にすら、ディフェンスの弱さは指摘されたことがある。もしかしたら、知らないうちに雪乃にまでも、操られてしまったことなども、あるのかもしれない。

 そこまで考えたところで、芽衣の思考がブツ………ブツ………と途切れ始める。集中しにくいというか、地に足がつかないような、フワフワした気持ちになってきたからだ。けして悪い気分ではない。体の節々がほぐれていき、全身が重くなるのと同時に、気怠いリラックス状態が来る。

「い………ま………。………きてる…………」

「そうだよね。………けっこう、スピリチュアル・コアってとこまで、共振出来てると思う。………ここで、芽衣ちゃん。よく見てね。このテーブルの上の、グラス。………これが、芽衣ちゃんの心の中の………その………、性欲です」

「…………はい? ………」

 芽衣が少しだけ眉をひそめる。グラスの15パーセントほどの容積を占めた、赤黒いお酒。細長いグラスは、コースターの蓋で閉じられている。

「よーく見て、芽衣ちゃん。これが君の性欲。心の中を現わしているんだ。そして………この蓋を取っちゃう」

 さっき教わったばかりの口調を、受け売りでたどたどしく話す伊吹。その手がコースターをグラスから取り除いた瞬間、芽衣の頭の中に、涼しくて新鮮な風が吹いた気がした。本当に、心の蓋が外されたような気分になってしまう。

「グラスは芽衣ちゃんの心。ワインは芽衣ちゃんのエッチな気持ち」

 もう一度、念を押すように呟いた伊吹は、震える手でワインボトルを持ち上げる。芽衣は嫌な予感が的中しそうな気がして、立ち上がった。

「ちょ………やめてよ、そん………………」

 ボトルが傾けられると、ワインが一気にグラスに注ぎこまれる。勢いあまって、テーブルクロスに赤い飛沫が飛んだ。芽衣は止めようとして立ち上がったまま、息を飲む。テーブルの上の出来事から目が離せなくなっていた。

 細長いグラスからは一気に赤ワインが溢れる。部屋には葡萄とお酒の匂いが充満する。ドボドボと、伊吹はグラスにワインを流し込み続ける。噴水のように、吹きあがるワインがテーブルクロスに、そして床にまで、音をたてて溢れた。

 芽衣は頭にカアッと火がついたように、怒りがこみあげてきて、ソファーに座っている伊吹に掴みかかる。押し倒して、ビンタしようかと思った。けれど迷った芽衣は、顔を重ねるように伊吹の唇に吸いついた。ワインが零れて、伊吹の服にもかかる。その服を破るようにして、芽衣が力のこもった手で引っ張って、乱暴に、脱がせにかかる。芽衣の頭の中には、さっきの光景が焼き印のように刻まれている。細くて華奢なワイングラスを一杯に満たして、それ以上に溢れ出る、あの大人を酔わせる飲み物。芽衣が怒りだと最初に感じた、彼女を突き動かしている衝動は、実は強い欲求だったようだ。伊吹の口の中の唾液を吸い上げて、自分の唾液を注ぎ込んだところで、そのことに気がついた。むしり取るように、自分の服を剥がして、放り投げる。芽衣は今、伊吹という異性を本能のままに貪ることしか考えられない、野獣になっていた。

 気圧されたようにソファーに仰向けになって、破られそうな自分の服のボタンを外し、ベルトを外して、何とか生地がビリビリになるのを防いでいた伊吹は、まだTシャツも脱ぎ切っていないところで、トランクスを引き下ろされてしまう。いつもはシャイで奥手なはずの芽衣の目が、座っている。そして黒目がいつもより大きくなって、ギラギラと鈍い光を放っているように見えた。勢いよくトランクスを伊吹の足首まで下ろした芽衣が、馬乗りになるようにして伊吹の体に跨る。ここまで来て、伊吹の頭の中で警報が鳴った。

「芽衣ちゃん…………。ちょっ………。いったん落ち着こう。……………初めては………。陸都君と………するんでしょ?」

 肘に白いブラジャーを、足首に白いショーツをぶら下げて馬乗りになっていた、ほぼ裸の芽衣が、ハッと一瞬、我に返る。けれど、その思いつめたような表情は、すぐに芯から蕩けるように、熱に浮かされていく。芽衣は伊吹の乳首に舌を伸ばして、ペロペロと舐めた。

「どうしよう………もう、………どうでもいいかも…………。今…………、欲しいの…………。今じゃなきゃ、駄目………」

 顔を真っ赤にした美少女が、切なそうに、すがりつくようにして、伊吹の乳首をチューチューと吸う。そして頬っぺたを胸元に押しつけた。同時にみぞおち当たりには、彼女の慎ましいオッパイが、プニュっと押しつけられる。太腿には、彼女の股間のサラッとしたヘアーの感触が、くすぐるようして上がってくる。

 伊吹は迷った末に、ソファーの上で芽衣の体を持ち上げてひっくり返すように体勢を変えると、彼女の股間に顔を埋めた。黒く生命力に溢れたアンダーヘアーを鼻先で掻き分けるようにして、彼女の敏感な肉の豆を探る。そして見つけ出したクリトリスの周りの皮を、唇でめくるようにして吸いついた。ビンっと、クリトリスが固く膨れるのが舌の感触でわかる。芽衣も呼応するように腰を伊吹に押しつけて、太腿に力を入れてきた。伊吹の舌が限界まで小刻みに動いて、芽衣のクリトリスを舐め回すと、芽衣は声にならない喘ぎ声を出して、背筋を反らした。

 そのまま、されるがままに果ててしまうかと思われた芽衣が、伊吹に舌で刺激されながらも、対抗するかのように、彼の股間に手を伸ばしす。伊吹の若干のコンプレックスであるペニスを、躊躇いなく握りしめる。伊吹の舌の動きと連動するように、芽衣が両手を動かして、伊吹のモノを刺激する。体を擦り合い、貪り合い、お互いの快感のために奉仕し合う、2体のマシーンのようにして、芽衣と伊吹は転がりながら愛撫に没頭した。2人の行為は、勢い余ってソファーから転がり落ちてしまった後も、何ごともなかったかのように続けられた。

 芽衣と伊吹の頭が、真っ白にスパークしたのは、同時だった。断続的に訪れる、激しいオルガスムと射精の絶頂間。気がつくと、お互いの顔から胸元まで、相手の噴き出した熱い液体でベタベタになっている。芽衣が切なそうにまだ伊吹の、だいぶ小さくなったおチンチンを撫で擦っている。伊吹が、なだめるように声を出す。まだ呼吸が整っていなかった。

「あの………、芽衣ちゃん。………ちょっと落ち着こう。…………初めては陸都君にって、言ってたでしょ? ………僕も、応援するって、決めたんだよ………」

 芽衣の顔に、少し理性が戻ったように見える。顔を俯くように傾けて、ムクレたような表情。その間も、彼女の右手は、せっせと伊吹のモノを擦っていた。

「まだ………、もっと………。欲しいの…………。全然、我慢できない………」

 左手が彼女のおヘソの下あたりを押さえた。

「ここの奥が、キュンキュンって、締めつけるようにして、………欲しがってるの。頭もズキズキ、疼いてて………。まともに何にも、考えられない。…………ね、伊吹君は私のこと好きじゃないの? ………シタクないの?」

 伊吹の視線と重なった芽衣の目は、潤んでいて、寂しそうで、物欲しそうで、熱に酔っているようでもいて、伊吹の意識も麻痺させそうなくらい、イヤらしい熱に浮かされていた。

 伊吹は迷ったあとで、自分のおチンチンを撫でている芽衣の右手を、手首のところで掴む。そっと芽衣自身の股間の方へ移した。

「芽衣ちゃん。………自分でシテみる? …………僕の目の前で、自分で気持ち良くなるところ、見せちゃう? ………恥ずかしいよ…………。エッチだよ…………」

 伊吹に囁かれると、芽衣の背筋がゾクッと伸びる。伊吹にも聞こえるくらいの音で、生唾を飲んだ。エッチなことがしたくて、たまらない。その欲求は、まだ治まっていなかった。伊吹の向こう側の壁を見通しているような呆けた目のままで、美少女はコクリと頷く。伊吹に煽られるままに、芽衣は指を自分の濡れた割れ目に沿わせるようにして動かし始める。クチュ………クチュ………と音がする他は、2階の部屋は静寂に包まれた。伊吹の見ている、芽衣の端正な顔が、時間をかけて蕩けていく。潤んだ目を彷徨わせながら、口が1センチくらい無意識のうちに開いている。両膝とスネで体重を支えるようにして、内股気味に腰を浮かせた吉住芽衣が、いつの間にか両手を使って、自分の体を慰めている。片手で小ぶりのオッパイを持ち上げるように揉んでいたかと思うと、人差し指と親指で輪っかを作るようにして乳首を摘まみ上げると、クリクリとコネながら、気持ち引っ張り上げるように抓る。腰が勝手に、前に押し出されるように、ビクッと動く。

「ふっ……………んんんっ………………ふぅっ…………」

 呼吸の途中で、くぐもったような声が混じる。芽衣は、伊吹の目の前で、一人エッチを披露しながら、感じていた。途中まで、「エッチだなぁ」とか「いつもそんな風にシテるんだ………」と、言葉で芽衣を煽っていた伊吹だったが、いつの間にか、喋ることを忘れている。この美形のスピリチュアル・パートナーがさらけだす、秘密の痴態に見入ってしまっていた。

 しばらく胸を弄り回していた芽衣の左手が、また股間に伸びて、右手と共同作業を始める。右手でクリトリスの皮をめくったままにして、左手の人差し指が、ポンポンポンと、優しく触診するようにクリトリスを押す。開いたままの口の端が少し上がる。芽衣が寝ぼけたような笑みを薄っすらと浮かべる。くすぐったくて、痺れるようで、気持ちいい。2分も根気よく同じ動作を続けていた後で、今度は左手の指先が肌色の割れ目を開いていく。小豆色の、割れ目の内側が見える。右手の人差し指が、ちょっとだけ入った………ところで、内腿に腱が現れ、ビクッと体を震わせる。

「伊吹も…………。シテよ。…………自分で、ヘンなことするところ、………私に見せて」

 伊吹が、芽衣と同じく、ほとんど全裸に近い状態になっている自分の体を見下ろす。小回りのよく効きそうな、自分のペニスは、また元気になりつつあった。足首に絡まっていたズボンとトランクスを完全に脱ぎ捨てる。それほど鍛えられていない、細身の体を、全て芽衣の前に晒した。女の子の前でオナニーをする。当然、伊吹にとっては初めての体験だった。

 一度、エクスタシーに達していたことで、2人のオナニー見せあいっこは、思ったよりも長期戦になった。芽衣がローテーブルの上に膝立ちになって、両手で下半身の前と後ろから、自分のアソコを弄って、クチュクチュと音を立てる。その60センチほどしか離れていない場所で、向かい合った伊吹が、自分のモノをしごく。2人とも背中に汗をかいていた。そして汗が腰まで垂れていくと、自分の精神体の尻尾の存在を感じさせられる。藤代隼人メンターに、勝手に作られて、結び付けられてしまった、2人の尻尾。オナニーを見せあいながら、微妙に尻尾もくねらせて絡み合わせると、お尻の少し上あたりに、ゾワゾワゾワっと快感が伝わってくる。これはオナニーでありながら、ネチッこいペッティングでもあった。

「ふぅっ……………ふっ……………………………んんんっ……………んんんんっ!」

 芽衣の悶える声が、一段高くなる。アゴが上がったり、下がったりするたびに、肩にかかるかかからないかくらいの長さの綺麗な黒髪が振り乱される。こめかみや頬に貼りつく髪の毛。全身にヌラっとした、汗をかいていた。顔についたドロドロは、伊吹の精液だ。芽衣が綺麗な顔を汚してしまった芽衣が、発情しきった喘ぎ声を出す。

「ん、イクッ……………。もうっ…………、イクッ…………………」

 芽衣のアゴが完全に上がって、欲情した顔が天井を向く。腰が卑猥にグラインドすると、背筋が反るようにブルブルっと痙攣する。熱い愛液が、タタタッとテーブルの表面を打って、跳ねあがった。芽衣の、イヤらしくも美しい裸のうねりを見て、伊吹は自分の精液をまた飛ばしてしまう。伊吹の腰の裏がギューっと締め付けられるように痛む。尻尾の結び目も、3重ほど絡み合った部分も、痛いほど締め上げられている。芽衣の尻尾はエクスタシーの瞬間、ビンと伸びた一本の固い棒のように固く張っていたのだった。

 ローテーブルの上、体を起こそうとして、芽衣がそのままバランスを失って前に倒れ込む。伊吹の胸元に体を預ける。そのまま放心して、芽衣は気を失った。

 芽衣の体を支えながら、伊吹はバスルームへ芽衣を連れて行って、2人でシャワーを浴びようとする。それでも、暴虐的なエクスタシーの余韻のせいで、伊吹も腰が抜けたようになっている。とても芽衣を抱きかかえて、ユニットバスまで連れていける気がしなかった。

(………しょうがないな………。芽衣ちゃん。ちょっと失礼します………。)

 迷った末、伊吹は自分の尻尾を起こすようにして、念を込める。精神波を送るにも、普通の共振の方法よりも、芽衣との場合は、こちらのバイパスを使った方が、楽に繋がることが出来る。本能的に、そのことはわかっていた。伊吹が瞑想するかのように両目を閉じて、しばらく意識を集中させると、彼の胸元に寄りかかっていた、芽衣の、華奢な裸がムクっと起き上がった。芽衣の両目は開いているが、その黒目には全く生気がない。

(よっこいしょ)「よっこいしょ」

 伊吹の心の声が、同時に芽衣の口から出る。抑揚のない、棒読みの台詞のような声だった。その言葉に合わせて、芽衣が膝立ちから、右足、左足と、足の裏をテーブルから床に下ろして立ち上がる。少年のようにスレンダーな体に、柔らかそうな胸とお尻。綺麗な裸を隠そうともせずに、芽衣はユラユラと立ち尽くした。

「………よ…………。ほっ……………。右……………。左……………」

 芽衣の棒読みの言葉に合わせて、彼女の体が左に45度、次に右向きに45度と、ロボットが回転するように、たどたどしく前に進む。右足と右手が同時に前に出たりして、バランスも危うい歩き方。それでも、バスルームのドアの前に着く頃には、その動きもだいぶ、スムーズになってきた。

 失神した芽衣を運ぶために、一時的に彼女の体を遠隔操作させてもらう。伊吹にとっても初めての体験だった。尻尾で繋がっているおかげで、思ったよりその操作は簡単に出来た。伊吹はビー玉のような目をしている、無機質な表情の芽衣に、ユニットバスの中でバンザイのポーズをさせる。スレンダーで白い全身にシャワーを浴びせた。髪の毛も洗ってあげようか迷った。横髪をかきわけると伊吹の精液が、8本くらいの髪の毛を束ねるように「ダマ」を作っていた。それを見て、結局、髪の毛も洗ってあげることにした。シャンプーとボディソープを黒い髪と白い肌に塗りたくって、手のひらで優しく撫で回す。何の抵抗もせず、無機質に前を向いたまま、バンザイのポーズを取り続けている芽衣の体に触れていると、伊吹はまた少し、ムラムラとしてきてしまう。芽衣がいつも恥ずかしがる、可愛らしいオッパイ。それを遠慮なくムニュムニュと揉む。乳首をツンツンと触れていると、やがてムックリと片側の乳首だけが起きてくる。けれど肝心の芽衣自身は、起きる気配もない。伊吹はまた、バンザイの姿勢で止まっている芽衣に一礼すると、(またちょっとだけ、失礼します)と挨拶した。

 スルッと芽衣の中に入りこむ感覚。芽衣のナカは、ポカポカと温かい。伊吹の精神体は今、無意識でいる吉住芽衣の肉体に入っていた。目の高さが10センチずれると、多少の違和感は感じる。ゆっくりと、その違和感が解消されていくのを待った。

「………伊吹、大好き」

 まだ少したどたどしいが、さっきよりは感情のこもった声で、芽衣が喋った。その台詞を言わせているのが伊吹自身なので、微妙に寂しい気持ちもするが、透き通った声で、目の前で言ってもらえると、やはり嬉しい。もうちょっとだけ、芽衣の口を借りたくなる。口の中の広さも舌の長さ、歯並びまでも微妙に違うので、喋っていて舌を噛まないように気をつける。

「芽衣のヴァージンを守ってくれて、ありがとう。…………芽衣は伊吹が一番好きだよ。芽衣をお嫁さんにして」

「えぇ…………。そんな、急に言われても………。僕ほら、今は勉強に集中したいし…………」

 伊吹が照れくさそうに、悩んで見せる。まだ少し、虚しい気持ちもあるが、精一杯、演技に徹して、目の前にいる裸の天使のお人形と、一時だけのお遊びを楽しませてもらう。

「えー。そんなの。いやいや。芽衣とのエッチにも、集中してほしい。芽衣は、伊吹君が、だーい好きなんだもの」

 唇を尖らせた、美形のお人形が、裸のまま前屈みになって、お尻をプリプリと振って駄々をこねる。そして、両手を大きく広げて、オッパイをプルっと揺らしながら、思いっきり伊吹に抱きついてきた。その華奢で柔らかい体を、伊吹が頼もしく受け止めた………つもりだったが、泡まみれのその体は思いのほか滑りが良かった。ツルっと弾かれるように伊吹の腕をすり抜けて、バスルームの壁面に、顔から激突した。ゴンッと音を立てて、吉住芽衣はバスタブに倒れ込んだ。

「うそっ……………ゴメンッ! …………芽衣ちゃん、大丈夫?」

 自分の肉体に戻った、自分自身を意識した伊吹が、うろたえた声を出す。

「……………………オデコ痛い……………。もう…………何なの? …………どうなってるの?」

 裸の女子高生は、意識を取り戻すと、痛みとパニックでシクシク泣き始めた。伊吹の仕事は増えた。

。。

「ね? …………芽衣ちゃん。これがアンカリングらしいよ。………ほら、沸騰していたと思ったヤカンのフタを開けて、氷の温度計を入れたら、一瞬、温度がどんどん上がったけれど、氷の魔法でスルスル降りてきたでしょ? 赤い水銀が示す温度は、60℃、50℃、40℃、36度………もう平温。芽衣ちゃんの心の中で沸騰しそうだった、怒りがもう冷めきって、穏やかになる。…………ほら、怒ってないよね? ………怒ってないって言ってよ。…………ね?」

 いつもの伊吹の口調よりも1.5倍は早口になっていた。体にバスタオルを巻いて、拳を握りしめて立っていた芽衣の、鼻息は確かに穏やかになる。芽衣はもっと伊吹に対して怒って良いと自分で思うのだが、どんどん気持ちはフラットになっていく。イメージの中のヤカンは、さっきまで蒸気を噴き上げてピーピー言っていたのに、今は平熱まで熱を失って静まり返っていた。ヤカンに突っ込まれた、「氷の温度計」のせいだ。精神波の波長を細かくして、振動をスピリチュアル・コアまで届ける。それと同時に、明確で強力なイメージを伝える。芽衣は自分が体感させられることで、このアンカリングという技法の肝を、座学一日分くらいは、学びつつあると感じていた。

「ふー………。なんか………。怒るのも、馬鹿らしくなってきちゃった」

 芽衣が肩から力を抜いて、ソファーにドサッと座り込む。目の前で床に正座している、伊吹も溜息をつく。こんな姿勢で、習ったばかりのアンカリングを駆使して芽衣の怒りを抑えこんだのだから、伊吹も必死なのだろう。それでも、芽衣が自分のオデコと鼻の頭を触ると、ジンジンと鈍痛が返る。さっきバスルームの鏡で確認したら、わずかに赤く腫れていた。

「………じゃ、………これペア学習だから、今度は私からアンカリング試してみるね」

 芽衣はバスタオル一枚、体に巻いた状態で、両手を伊吹に向けてかざすと、目を閉じる。鈍い黄金色を放つ、ゴツい南京錠をイメージしてみた。南京錠には黒々とした字で「禁」と刻み込まれている。その錠が、伊吹のアンダーヘアーに巻き付くイメージ。

「私の裸とか、エッチなとことか、散々見たんでしょ…………。伊吹、1ヶ月間、一人エッチ禁止です」

 伊吹の、さっきまでの安心した表情が、今度は深く沈み込む。予備校生は、今日一日で、好きな子の恥ずかしい姿を散々、目と手に焼きつけたままで、それを持ち帰ってオカズにすることを禁じられてしまったのだ。心の中から怒りのエネルギーだけを消失してしまった芽衣は、まるでサディスティックな軍事医務官のように冷徹な目で、そのことを告げた。

。。。

「どうだった? ………やっぱり、イメージって大事でしょ?」

 2階からソロソロと降りてきた芽衣に、隼人メンターが聞く。その芽衣の後ろには、暗い顔をした伊吹が、背後霊のように階段を降りて来る。

「……イメージ…………。とっても大事ですね。少なくとも、隼人さんの優しい指導者っていうイメージは、完全に壊れました」

 芽衣は丁寧な言葉遣いの中にも、精一杯トゲをこめて返事をした。隼人さんが仕組んで、伊吹にさっきのようなアンカリングの試し方をさせた。そのせいで芽衣は一人エッチする情けない姿まで、伊吹に晒す羽目になった。そのことに力いっぱいの抗議をこめて、メンターを一瞥する。藤代隼人さんはクスッと笑った。目が一瞬、鋭く光ったように見える。その眼力を丸眼鏡で誤魔化すように、メンターは眼鏡のツルに手をかけた。

「時には、ショック療法みたいなものも、必要でね………。人間の本質をよく理解しないままに、スピリチュアルコミュニケーションの技法だけ上達すると、不幸なことになる。………芽衣ちゃんも、いずれ分かるよ」

 一瞬、怖い笑顔を見せたように思えた、隼人メンター。いつものような優しい笑顔に戻ると、芽衣の髪をクシュっと触って、後ろの伊吹も迎える。その指が芽衣の髪に触れた時、芽衣は反射的にメンターの精神体の振動を読み取ろうとする。しかし、完璧なほどのガードに阻まれて、芽衣は何の思いも聞き取ることは出来なかった。メンターの精神体は、氷山の壁のように、共振を厳然と拒絶していた。その振動はまるで、芽衣の精神体に、背筋をヒヤッとさせる、不協和音のようなものを残すものだった。

 1階の喫茶ダイニングでは、NASC武蔵野のメンバーたちが一通りのレッスンを終えたあとのようで、ワイワイと騒いでいる。軽やかなクラシックに乗って、なんと芽衣の友人、松藤雪乃がバレリーナのように舞っていた。芽衣が、雪乃の踊っているところを見るのは初めてだ。それでも、お人形さんのように可愛らしい雪乃が、堂々とダンスを披露している様は、とても美しいと感じた。きっと何かの暗示が刷り込まれているのだろう。雪乃の表情はウットリとくつろいでいて、夢でも見ているかのように屈託なく笑っている。

 里奈さんが、大雅マスターの横に立っていたが、芽衣を見て近寄ってくる。2人でソファーに座ると、お姉さまの手が芽衣の頭をヨシヨシする。芽衣は、撫でられた頭をそのまま里奈さんの肩に預けるようにして、しばらくこの美女にくっついていた。誰かに甘えたい、慰められたい気分だったのだ。

。。。

「芽衣ちゃん。今度、ダブルデートしよっか?」

 雪乃が下校中に、友人の芽衣に提案すると、芽衣は少し戸惑った表情を浮かべる。今日は陸都がバスケをしているので、芽衣は雪乃と一緒に帰宅する途中だ。

「ダブルデートって………、結局、雪乃は、この前の、亮也さんとお付き合いすることにしたの?」

「うん………。今のところはね。どう? 亮ヤン。芽衣ちゃんの目から見て」

 雪乃に聞かれて、芽衣は日焼けしたマッチョな大学生の、眩しいほど白い歯を思い出す。正直に言うと、芽衣のタイプではない。というか、雪乃がこれほど、マッチョな男性を好きだということを、知らなかった。

(まぁ、………友人同士で、好みの男のタイプがピッタリ一緒になるより、違っている方が、平和で良いのでしょうが…………。)

「ん………。いいと思うよ。………優しくて、頼もしい感じで………。………いつもノースリーブで………」

 雪乃に言い寄ってくる男は山ほどいる。スピリチュアル・コミュニケーションを習得しつつある松藤雪乃は、そんな中で、表面上は良い顔をしながら、裏では雪乃のビジュアルの良さと豊かなバストだけを求めて近づいて来ようとする男たちを、精神波でシャットアウトした。結果、裏表の全くない、ピュア・マッチョが残ったようだった。

「………で、ダブルデート………するなら。どこに行く? 陸都と亮也さんって、話、合うかな? ………スポーツの話とかするのかな? ………どこか、運動とか、ボーリングとか出来るところに行こうか?」

 芽衣が、悩ましそうに話す。そもそも彼女にダブルデートの経験がないので、吉住芽衣の辞書を捲っても、良さそうな場所のアイディアが出てこない。

「芽衣ちゃん。ここは、トップから攻めるべきでしょう。東京デスティニー・ランド。………あ、芽衣ちゃんが、落ち着いたところの方が良かったら、デスティニー・シーの方でも良いけど」

「なぬ…………。デスティニー・ランド…………。いきなり、本丸ですぞ…………。姫」

 思案するように俯く芽衣。色々と想像しているようだった。やがてあごを上げると、精一杯、仕方ないなという表情を作る。

「まぁ………確かに私は、シーとかの方が、大人っぽい感じで好きだけど、………雪乃はもっとファンタジックな、夢の国でデートしたいんでしょ? …………別に、いいよ。ダブルデート………。デスティニー・ランドでも………」

 しぶしぶ了解するように、雪乃の横を歩く、芽衣。雪乃にとっては、気づいていない芽衣の姿が、可愛らしくてしょうがない。芽衣は「やれやれしょうがない」という表情で頷いているのだが、彼女の精神体の尻尾は、ビュンビュンと、千切れないか心配になるほどの勢いで、上下に振られているのだ。「夢と運命の国」、デスティニー・ランドで大好きな彼とラブラブ・デート。世の女子高生の憧れの場所が、芽衣と雪乃を待ってくれている。2人には、夏休みの間にバイトして貯めた、お小遣いがあった。

。。

 お姫様の前でかしずく、精悍でジェントルな騎士。そんな2人のキャラクターのシルエットをイメージして、陸都のハートにアンカリングさせて頂く。芽衣が試させてもらった新しい技法は、あっさりと、モテメン彼氏のスピリチュアル・コアまで刻みこまれていった。その場で颯爽と片膝を地面につけた、長身のハンサムボーイは、芽衣を真っすぐな目で見上げながら、手を取る。芽衣が止める間もなく、彼女の手の甲を自分の顔に近づけていって、チュッとキスをくれた。

「芽衣ちゃん。一生大切にするよ。何があっても、僕が守ってあげるから」

 人目もはばからずに、真剣な目で芽衣への愛を語ってくれる陸都の言葉に、芽衣は全身鳥肌が立つほどゾクゾクして、胸がキュンっと締めつけられる。駅前の公園の景色が、キラキラと輝きながら、メリーゴーランドのように回転を始める。まるでもう、この場所が早くも遊園地に変わったようだった。

「芽衣ちゃんお待たせ―」

「ごめんねー。2人とも。雪ニョンのおめかしが遅いから………。ハッハッハッ」

 待ち合わせの場に現れたのは、芽衣の精一杯のガーリーファッションがかすむくらいフリフリのワンピースをお姫様のように着こなす、髪を立て巻にした雪乃。そして陸都のナイトの宣誓が打ち消されるくらい筋骨隆々として、雄々しさ全開のマッチョ大学生だった。亮也さんは胸の部分に大きく、「ゴールドジム」とプリントされた、タンクトップを着ている。この人はおそらく、様々な場所の筋肉細胞へかける負荷については細やかに気を遣うが、服装にTPOや季節感はないようだ。

「雪乃………。ヒールが高い靴で遊園地は、危険だよ。………思ったより歩くから、足痛くなるよ」

 芽衣が、ドレスアップして可愛さパワーを増している友人に、諭すように囁く。芽衣は3日前からネットでデスティニー・ランドの攻略法と注意事項を読み漁り、デートのシオリが作れるくらいの知識と計画を頭の中に叩きこんできていた。

「大丈夫だよ………。亮ヤンいるし………」

 雪乃が悪戯っぽく微笑む。芽衣と陸都の真剣交際カップルは、電車の同じ車両の中でハシャぐ、馬鹿ップルが、二の腕のチカラこぶにぶら下がったり、オンブしたり抱っこしたりして、キャーキャーはしゃぐのを、間近で見せられる羽目になった。

「浦安だーっ」
「フーゥゥゥウウッ」

 雪乃がピョンピョン跳ねると、亮也さんがポーズを決めながら煽る。芽衣は若干引いていたが、その2人が目立っているおかげで、隣で腕を組んでくる陸都に体を密着させても誰にも違和感を感じられない。そのことには秘かに感謝していた。今日は一日、雪乃や亮也さんのハイテンションな満喫っぷりを見守りながらも、陸都とじっくり、ロマンチックな夢の国デートを楽しませてもらうつもりだった。

 しかし、入園直後から、雪乃は芽衣の想像を超えて飛ばす。ランドの前に建つファンシーな外観のリゾートホテルでチェックイン手続きだけ済ませた4人は、ゲートをくぐると「夢と運命の国」に迎えられる。そこでさっそく、芽衣の親友は突飛な提案をする。

「亮ヤン、シンシア城が見えるところまで、お姫様抱っこしてー。陸都君も、芽衣ちゃんを抱っこしてあげてよ」

 雪乃が言うと、亮也さんは丸太のような太い腕で、雪乃の体をヒョイと抱き上げる。あと村娘をもう3人ほどかつげそうな、余裕っぷりだ。

「ちょっと、雪乃ってば、なにいってん…………わぁっ」

 芽衣の体が急に宙に浮いて、驚いた彼女の声が裏返る。陸都も、颯爽と芽衣を抱き上げて、お姫様抱っこの体勢になる。

「参りましょう。姫様」

 亮也さんと見比べるとほっそりして見えた陸都の二の腕も、ギュッと締まっていて、逞しい。抱っこされると、その凝縮されるような安心感。間近に見る、芽衣のナイトの顔は、やはり整っていて、綺麗だ。芽衣はストップをかけるつもりが、思わずポーっとなってしまった。

「………お願いします…………」

 うっかり返事をしてしまった芽衣を抱いたまま、陸都が亮也の後を追う。2組の馬鹿ップルは、ギフトショップが立ち並ぶ、レトロでノスタルジックな雰囲気のアーケードを、お姫様抱っこのままの姿で通り抜けていく。すると真正面に見えてくる、白亜のシンシア城。アーケードの終着点に青い空と白いお城のシルエットを背に写真を撮ることが出来る、絶好のスナップポイント。そこまで、異次元の幸せに包まれて、呆けたようになっている芽衣が、運ばれてきた。

「芽衣ちゃん。ここでスタッフさんに写真を撮ってもらおっ。4人一緒にと、あと2人ずつ。私と芽衣ちゃんとの写真も、一枚欲しいなっ」

「あっ………そうだよね。ここは確か、時間帯によっては逆光に気をつけて………あとは潮風が強い時とかあるから、髪がバサバサにならないように………。それから、スタッフさんじゃなくて、キャストさんって呼ぶのが正解らしいよ」

 レンガを敷き詰めた地面の上に自分の足で立って、我に返った芽衣が、慌てて自分の脳内にある、今日のデスティニー・ランド、満喫ダブルデートのシオリのページをめくっていく。

(んー。せっかくのダブルデートなのに、芽衣ちゃん。ちょっと几帳面すぎ。気を回しすぎ…………。もうちょっと、リラックスして、自分を解放したら、いいのに………。…………そうだ。)

 雪乃は横であれこれと手筈のことを独り言で呟いている芽衣を見ながら、悪戯っぽいスマイルを浮かべる。雪乃も夢の国でダブルデートというシチュエーションに浮かれている。そして、近くにいるゴリマッチョの存在が、彼女の気持ちをいつもより少し、大きくしているようだ。そう。筋肉は、人をポジティブに、積極的にする。

「芽衣ちゃん。………隣で見ると、陸都君って、超、格好い~よね。………横顔とか綺麗で、惚れ惚れしちゃう」

「…………ん………まぁ…………。整っては、いるよね………」

 いつもは冷静な芽衣も、雪乃に促されて、隣の彼氏を見つめると、またポーっと夢見心地になってしまう。先月までは彼女は、このイケメンと学校で目が合うだけで、嬉しくて、日々その回数をカウントして一喜一憂していたのだ。その陸都に、皆に見られているなか、お姫様抱っこで運ばれて来てしまった…………。今は並んで、一緒に記念写真を撮る。その幸せを噛みしめて、芽衣は自分の体を抱きしめるように、腕をクロスさせて肩に触れる。

 精神体の注意が100%、自分の彼氏に向いている芽衣。その友人に、雪乃がコソっと干渉して、気づかれないように共振現象を作り出す。もともと雪乃の精神体は小幅な波長しか作り出せないようだが、それは悪いことばかりではない。その分、近くで時間をかけたり、良く知っている相手へのチューニングを行うと、相手に気づかれないまま共鳴しやすいというメリットもある。

『芽衣ちゃんは今日、本当の自分を解放して、心底、デスティニー・ランドでのデートを楽しみます。何にも心配しないでいいです。思いっきり弾けちゃいましょう。………あ、あと、芽衣ちゃんは、私に精神干渉されたことを、決して疑ったりはしませんよ。』

 雪乃が念じると、横で自分の体を抱くようにポーっとしていた友人の体が、ブルブルっと震えた。

「はい、では撮りまーす。最高の笑顔で、はい、マイキーッ」

 ホスピタリティ溢れる、陽気な男性キャストさんが声を上げる。その隣に立つ女性キャストさんが、雪乃のスマホで写真を撮ってくれる。シャッターが鳴るその瞬間。隣の芽衣が背伸びをして彼氏の肩と首に手をかけるのを、雪乃は気配で察知した。写真が撮られる一瞬のうちに、芽衣は陸都の頬っぺたにキスをした。陸都は驚いた顔で記念ショットにおさまった。

 ビジュアルに秀でた高校生カップルの熱い写真撮影に、スタッフが少しだけたじろぐ。サングラスをかけた白人のグループが、「イェー」と拍手して、盛り立ててくれる。雪乃が、亮也が、笑う。陸都と芽衣はお互いの顔を見合わせながら、少し赤くなって笑った。

「芽衣ちゃん。………光栄です」

「陸都…………。大好きっ」

 大仰に跪いた陸都と両手を固く握りしめ合いながら、顔を近づけてもう一度、情熱的に、口と口とでキッス。外国からの観光客さんたちは口笛や拍手で祝福してくれる。シンシア城の前で、芽衣と陸都は、恋するお姫様と騎士のカップルのようにして、激アツな写真を残した。雪乃のスマホに。

 入園直後のキス撮影で吹っ切れたのか、その日の芽衣は、ハシャギまくった。雪乃と抱き合って飛び跳ねて写真に収まったり、陸都とハート型のストローで1つのカップからジュースを飲んだり、モコモコのモニーマウス・サマードレスを買ってお店で着替えて出てきたり、プンさんの家のセットの中でハチミツの壺を抱えてベッドでゴロゴロしておどけたりした。何人ものキャストさんと通りすがりにハイタッチをした。蒸気船から丘のお客さんたちに向かって全力で両手を振った。手を振り返してくれた家族連れには、両手で投げキッスまでした。

 そして、雪乃からコソっと、「パパの株主優待券が、ファーストパス替わりに使えるんですけど………」と言われた時。芽衣はしばらく悩む顔をしたけれど、つい無言で親指を立ててしまった。本当はこの株主パスは、1ライドで1回きりの使用のはずのものだった。けれど雪乃と芽衣が精神体を振動させて、念じると、ファーストパス入口のキャストさんは、『わかってますよ』とばかりの笑顔で、パスを回収しないまま、4人を通してくれる。パスの利用が通常出来ないはずのライドでも、どこかには別口があって、キャストさんがスルッと案内してくれる。芽衣たち4人は、どんな人気のライドもアトラクションも、ほとんど並ばずに、何度でも楽しむことが出来た。

「うーーーー、奇跡すぎる。幸せすぐる。………1日でこんなに沢山乗ったの初めてっ」

 雪乃が満面の笑顔で、悶えるように体を捩らせる。芽衣も、楽しすぎて呆然としてしまう。充実しすぎて、目の焦点が合わなくなってくるような、フワフワした気分。それでも………、少しだけ、心の一部が締め付けられるような感触を覚える。

「でもこれ………、他に待ってる人たちもいるのに………。あんまり濫用しすぎない方が、良いよね」

 芽衣が少しだけ冷静さを取り戻すように、雪乃をたしなめる。それは自分に話しかけているような口調でもあった。

「ブー……………。ま、でも、ちゃんと1日パスポートも買ったし、お土産もお小遣いから出してるし、ちょっと行列をスキップさせてもらうくらい………、スピリチュアル・コミュニケーションの生徒にだけは、許してもらっても、良くない? だって、芸能人とかVIPの人たちとかも使ってるから、こういうシステムがあるんでしょ?」

 雪乃がちょっとだけムクれたように反論する。芽衣はもう少し真顔になる。

「でも、他にも、今日ここの乗り物を楽しみにして来た人たちに、私たち4人分だけだとしても、ちょっとずつ、長めに待ってもらっちゃってるのが積み重なっていって、その人たちの乗れるアトラクションが減っちゃったら、それって私たちのせいってことに………」

「でも、芽衣ちゃん。………今、こっちに向かって来る、あのハンサムボーイと、もういっぺん、プンさんのハニードリップに、待ち時間ゼロで乗れるとしたら?」

 雪乃が指さす方角から、砂糖と七色のトッピングのかかったチュロスを両手に持った陸都が、キラキラした笑顔でこちらに駆け寄ってくる。その後ろを歩いているゴリゴリのマッチョガイは、間違えてチョリソーを買って来たようだったが、同じように満面の笑顔だ。

「………………………………ううううううううっ……………。乗るっ! 今日、世界が終わるとしても、乗るっ! 世間の皆様には後で謝ることにして、陸都ともう1回、プンさんの夢の中に行くっ!」

 今日の芽衣は、どうしても欲望に歯止めが効かない。体を震わせるほど迷ったのは10秒程度。割とすぐに、恋する乙女の本音を吐露してしまった。

「正直でよろしい」

 雪乃は、陸都君のところへ一直線に、何のてらいもなく駆け寄っていく芽衣の後ろ姿を、愛でるように見送る。いつもの芽衣は、雪乃のお姉さん役のような顔をしながらも、もっとウジウジしてみたり、心の中でややこしい葛藤でグルグル悩んだり、急にお侍さんのような言葉遣いで照れ隠しをしたり………、こんなに可愛い外見なのに、中身はなかなかに面倒くさい女子だ。それが、今日一日、スーパーポジティブ少女になったら、こんなに屈託なく、どこまでも弾けてくれる。雪乃はいつもの芽衣も大好きだが、今日の芽衣も、ずっととハグしていたいくらい好きだ。きっと今日の芽衣ちゃんは、普段とのギャップのせいで、これまで見たことないくらいに全身で輝いているのだろう。

 ビッグサンダークリフ・ライドに乗る時は、亮也の胸板が厚すぎて、安全バーがきちんと降りなかったために、キャストさんが調整に来た。そのキャストさんに、『気にしないでいいです』と、芽衣が精神波を送る。結局、亮也は腕力で席にとどまり続けることが出来て安全だったのだが、この芽衣の行為には、雪乃の方が驚いたほどだった。ビッグスプラッシュクライマックスも最前列で楽しんだせいで、芽衣の着ていた、モニーちゃんサマードレスが濡れてしまう。芽衣は躊躇うことなく、もう一着。ギフトショップで着替えを買った。今度は水玉でフリフリの、モニーちゃんワンピース。1サイズ小さいものを買ったためか、膝上10センチくらいの、ミニスカートになっていた。陸都が跪いて褒め称えると、両手で頬を押さえた芽衣は嬉しそうにその場で一回転、トワールを披露する。フワッとスカートが巻き上がって、ハッキリと白いパンツが見えていた。陸都は「畏れ多い」と言いながら、自分の目を隠す。芽衣と陸都は、さらにその上に、マイキーとモニーがチューしているデザインの、ハート柄のTシャツを2人分買って、上から着た。完全なペアルックだった。2人の熱々ぶりを雪乃が茶化すと、また大仰に跪いて恐縮する、陸都君の生真面目なナイトぶり。芽衣は、茶化されて照れながら怒ると思ったが、アッサリと雪乃にハイタッチを求めてきた。そんな微笑ましいカップルを見ながら、雪乃も嬉しくてしかたがない。ふと、そんな雪乃の肩を、トントンと叩く、ゴツイ手。振り返ると、亮也が雪乃に、迷彩柄のリュックサックから取り出した、レディースサイズのタンクトップを差し出していた。「ゴールドジム」と書いてある。雪乃は優しい笑顔を崩さないまま、首を横に振った。

 マイキーの顔の形をしたパンケーキを、女子たち2人で食べていたテラスの前で、急にパフォーマンスが始まる。ゴミを拾っていたはずのキャストさんが、いつの間にか見事なパントマイムのパフォーマーに早変わりしている。目の前の、何もない空間に、まるでぶ厚い壁があるかのように演技をして、壁を触ったり、押してみたり。通ろうとしてぶつかったり。食事や休憩を楽しんでいたお客さんたちも、パフォーマーの前に集まってきて、半円を作る。エスカレーターを降りるように体をすくめて横に滑っていくキャストさんに、子どもたちが拍手を送る。

「すごーい。面白そーっ」

 何の屈託もない笑顔で、雪乃と同じテーブルにいた芽衣が立ち上がると、ズンズンと前に出ていく。雪乃や陸都が止める間もなく、芽衣は楽しそうにパントマイムの人の前に、進み出てしまった。

 一瞬、戸惑うような素振りを見せるパフォーマー。芽衣がもう少し近づいたら……、と、別のキャストさんが間に入ろうとする。その絶妙な距離で、芽衣の体がピタッと止まる。両手が前に出て、壁を触るような演技。芽衣にも壁が見えているという仕草。飛び入りした可愛い女の子の即興演技を見て、周りのお客さんたちが笑う。頷いたパフォーマーはアドリブで、芽衣との間にある、架空の壁の真ん中にドアを作ると、ノブを回して、開いてあげる仕草。芽衣は嬉しそうに、空間に作られた想像のドアをくぐって、パフォーマーさんの隣に立って、お辞儀をする。突然のアドリブでの、キャストとお客さんとのコラボ。それを見ているお客さんたちが拍手で応援した。そこからはパントマイムのパフォーマーさんと芽衣との、即興パフォーマンス。綱引きをしたり、交互に空気入れを押し下げて、大きな風船を作ったり、何枚も重ねられたハンバーガーを大きなお口で頬張って、お腹を膨らませて尻もちついたり。表情豊かな美少女が、さも楽しそうにパントマイムをアドリブで共演する姿に、お客さんたちも大いに沸いた。パフォーマーさんも見事な対応力で、素人の飛び込み共演者をリードして、華を持たせたり、ウケを取ったりする。途中から盛り上がりすぎた芽衣は、ロボットダンスをギコチなくやってみせたあげくに、小学生の頃以来の、側転まで披露して見せた。ミニスカートが捲れて、またハッキリと白いパンツが顔を出した。

「あの方は、どこかの劇団の方ですか?」

 雪乃の近くで、パフォーマーと別のキャストさんが質問する。芽衣はそんな質問を呼ぶくらい、綺麗な顔立ちで、しかも表情豊かに演技している。パントマイムやロボットダンスは実は稚拙だが、あまりにも堂々と披露しているので、その拙さが気にならない、立派なパフォーマンスに見えている。

「いえ……あの………。ただの恥ずかしがり屋の学生です」

 雪乃は秘かに、ちょっと芽衣の心のタガを外しすぎてしまったのかもしれないと、反省した。調整は難しい。雪乃はNASCの分野では芽衣よりも劣等生の、スローラーナーだった。

。。

「………ね、雪乃………。なんか私、今日………。ちょっとハシャギすぎじゃない?」

 日も暮れて、デスティニーランド名物の花火とプロジェクションマッピングの融合されたショーがもうすぐ始まるというところ。雪乃の隣に立っている親友の芽衣ちゃんが、不意に呟くように聞いてくる。

「………え………、別に………普通じゃない? ………………………べフッ」

 雪乃は、堪えきれずに噴き出してしまった。こみ上げてくる笑いを隠すように、口を腕で塞ぐ。それでも肩が揺れていた。

「ゴメンッ………。芽衣ちゃん、急に、素みたいに聞くから…………。………いや、あの。せっかくのデートなんだもん。ハシャイだもの勝ちでしょ?」

 雪乃は鼻水をすするように息を吸うと、親友の顔をきちんと見返す。吉住芽衣は、フリフリのモニーちゃんエプロンドレスをミニスカートのように着て、その上から陸都君とのペアルックTシャツを羽織り、頭にはマイキーの耳を付けていた。頬っぺたにはハートのペインティング。右腕を陸都君と組みながら、プンさんの風船が飛んで行かないように、左手で風船の紐を大事そうに掴んでいる。首に掛けられたポップコーンケースも、手首に巻かれた蛍光色の腕輪も、今日一日の、満喫ぶりを全身でアピールしていた。その全身全霊で浮かれた姿になっている芽衣が、急に我に返ったかのように、不安げな表情で雪乃に聞いてくるところが、また健気でキュートだった。

「芽衣ちゃん、すっごく楽しそうで、素敵だよ。今日の全力で満喫してる芽衣ちゃんを見てるだけで、私まで幸せな気持ちになるもん」

『………でもやっぱり、なんかこういうの、ホントの私と違う感じがする。なんでだろ? ………我慢が全然効かないんだよね………。』

 芽衣の言葉は精神波として雪乃の頭の中に響いてきた。間近にいる陸都や亮也に気を遣っているのだろう。いつもの、気を遣ってばかりの芽衣が戻ってきている。雪乃はまた、朝と同じような精神干渉を芽衣が受け入れてくれるかどうか、迷った。そして迷った末に、先日のNASC武蔵野の集まりの帰り際に、隼人メンターが雪乃に囁いてきた言葉を思い出した。もしかしたら、今がまさに、メンターの教えてくれた言葉を試す、絶好の機会なのかもしれない。

『芽衣ちゃん…………。もしも………その、今夜、陸都君とのことにも、勇気がしぼんできてたら…………、「グラスから溢れるワイン」のこと、思い出してみて…………。』

 ハッ…………。

 隣にいる芽衣が、息を大きく吸い込んだ音がする。雪乃が目を向けると、大事なプンさんの風船が、芽衣の手から離れて、空にフワフワと、漂うように上がっていく。バルーンはしばらく浮かんで、やがて糸に引っ張られるように、芽衣から2メートルほど離れたところに降りた。糸の先端に厚紙で取っ手兼オモリのようなものが縛られているせいだった。雪乃は少しだけプンさんの風船を目で追ったあと、友達の表情を確かめる。目を見開くように遠くを見つめて、口を小さく開けている芽衣は、何かを思い出したかのような表情になっていた。そしてその顔がみるみる赤くなると、目が潤んで、瞬きが増える。腹式呼吸が、深く多く、早くなる。雪乃が、芽衣に様子を尋ねるようにして指で彼女の肘当たりをツンツンと押してみるのだが、芽衣は雪乃に何の反応も返してくれない。反対側に立つ、陸都を見上げていた。ゴクッという太めの音が、芽衣の喉で鳴る。雪乃の大切なお友達は、背の高い彼氏の手をグイッと引っ張った。

「芽衣ちゃん………? ………花火、あと2分で始まるとおも………」

「陸都。………すぐシタい。ホテル行こっ………」

 近くで花火を待っている、子ども連れのお客さんが、ギョッとした表情を可愛らしい高校生カップルに向ける。芽衣は視線が集まっても、一切たじろがない。それくらい、切羽詰まった様子で、陸都の腕をグイグイ引いていた。

「芽衣ちゃん? どうかしたの? 体調悪い?」

「いいから、早く行こっ………。陸都に今すぐ、抱いて欲しいって言ってるの!」

 芽衣の声が大きくなると、雪乃も心配になってしまう。困った顔をしていた陸都君は、覚悟を決めるように目を閉じると、颯爽と芽衣を抱き上げる。

「仰せのままに………。姫様」

 花火を見るための絶景スポットに集まってくる人の波に逆行するように、芽衣をお姫様抱っこした陸都君が、軽やかに走っていく。呆然と見守る雪乃の肩をポンと叩いた亮也が、太い二の腕を折り曲げるように拳を作って親指を立てる。その親指が指す方向。上空に、白い火花がパッと散って、爆音が上がった。

。。

 デスティニーリゾートホテルの正門をくぐって、フロントに辿り着いた高校生カップルは、若干引き気味のフロントスタッフさんに対して、お姫様抱っこの状態で頬っぺたをくっつけ合ったまま、チェックイン済みであることを告げる。カードキーをひったくるように奪って、エレベーターへと急ぐ。熱烈なキッスの途中でベルが鳴ると、マイキーの声で階数が伝えられるのだが、普通のカップルとは違ってそんな演出に耳も貸さない。抱っこされたまま廊下を爆進する芽衣は、Tシャツを脱ぎ捨てる時に頭につけたマイキーの耳も一緒に放り投げてしまった。もどかしそうに背中のチャックを下ろして、モニーちゃんの可愛らしいエプロンドレスも脱ぎ捨てようとする芽衣。陸都が、見つけ出した部屋を開錠してドアを押し開けてくれた時、まだ辛うじて服を身にまとっているかどうか、という程の姿になっていた。ファンシーな部屋の中、ドアの前にスタッフさんが運び込んでくれていたお泊りセットの入った荷物も蹴り飛ばして、2人はベッドに派手なダイブを決める。

 カードキーも入れてない、暗い部屋のなかで、2人はベッドの上を転がりながら、お互いの服を剥ぎとりあう。窓の外で花火が打ち上げられるたびに、部屋の中がオレンジに、ピンクに、グリーンに照らされる。コンプレックスだったはずの芽衣の小ぶりなオッパイが、陸都の顔に押しつけられてプニュっと形を変える。初めての経験にしては意外に手慣れた仕草で芽衣の手が陸都のモノを撫で擦る。一日中遊びまわって汗をかいた体を、シャワーで綺麗にすることも思いつきもしないほどの切迫感で、2人はお互いの体中を情熱の限りにキスで埋め尽くす。シンシア城に映し出されているはずのプロジェクションマッピングに一切関心も見せずに、2人はお互いの体を貪った。陸都にとっては、白くて華奢でスベスベする芽衣の体が、窓から照らす花火で次々と違う色に染まるところが、最高に綺麗でエッチに見える。その可憐なキャンバスに、夢中で自分の舌を這わせる。いつもはシャイで奥手な芽衣が、いつの間にか膝を開いて、陸都の腰を引き寄せるように足を絡めてくる。荒い呼吸のたびに上下するなだらかなオッパイの中心で、自分を精一杯主張するかのように乳首がツンと立っている。芽衣の両手が、陸都のモノを愛撫しつつ、自分の大切な場所へと導こうとする。その両手を掴むと、陸都が指を絡ませて手を握り合いながら芽衣の頭の両脇に押しつけるようにして体重をかける。いきり立った陸都のモノが、芽衣の大切な場所をグッと押し開いて、奥まで入りこもうとする。芽衣が大きく口を開けて、声を振り絞って叫んだ瞬間、特大な花火が上がって、彼女の悲鳴をかき消す。

 陸都の腰が3回、4回と、押し寄せるたびに動きが早くなっていく。芽衣は顔を左右に振って、痛みと色んな思いを吐き出すように、大きな声を上げた。最初はとにかく、体が千切られるのではないかと思うくらいの痛みだった。その痛さが、しばらく結合を繰り返しているうちに熱さに変わっていく。やがて花火がフィナーレの連発になって、上空に糸を引くようにして余韻を見せ、最後に沢山の花火が同時に夜空を、お昼のように照らした頃には、芽衣のナカの熱さは、痺れへと変わっていた。

「芽衣ちゃんっ………。イクよっ」

 良いとも駄目とも言う間も与えずに、陸都は芽衣のナカに熱い液を放って果てた。芽衣がシャワーとかゴムとか、シーツに血が零れてしまった感触とか、ドアがきちんと閉まっていないこととか、色々なことに気がついたのは、陸都が射精のあとで深いため息をついて顔を寄せてきた時だった。やらなければならないことが沢山あるはずだったが、とりあえず2人はもう一度、長いキスをした。

「芽衣ちゃんの初めて…………。どうだった?」

 ティッシュを持ってきた陸都が、優しく丁寧に、芽衣の恥ずかしいところの血を拭ってくれる。芽衣はというと、シーツをバスルームのシンクで水に浸すということを考えていたが、まずは自分のことを精一杯気遣ってくれる、彼氏に答える。

「………………ん…………。わかんない……………。………たぶん……………。良かった…………」

 芽衣の細い脚と脚の間は、まだジンジン。カッカ。シクシクと鳴っているようだ。痺れ、熱、痛みという3種類の感覚を、まるで信号機のように交互に巡っている感じだ。

 良かったといっても、気持ちの良さにまでは至らなかった。それでも、芽衣は自分が安心しているということに気がついている。

(良かった…………。間に合って…………。)

 変なことを考えているというのは、自分でもわかっている。それでも芽衣は、大事な大事なヴァージンを、最愛の恋人に捧げることが出来たことを、「間に合った」と感じていた。

「陸都………。また………キスして………」

 綺麗な顔立ちの美青年は、甘い笑顔を見せた。

「おおせのままに。………姫様」

 優しくて温かくて、素敵なキス。芽衣は目を閉じて、頭の中をカラッポにしようとする。それでも、脳裏にはハッキリとしたイメージが映し出されている。ローテーブルに起立する、細いワイングラス。中にはまだ、8割がた、赤黒いワインが残っている。その表面はユラユラと揺れていた。また脊椎がジクジクと疼いてくる。

「…………陸都………。まだ………シタイよ………」

「いい………けど………。先にシーツを………」

「シーツのことは後でいいの。もっと汚すと思うもん」

 何か言おうとした陸都の口を、またキスで塞ぐ。芽衣と陸都は抱き合ってベッドをゴロゴロ転がった。窓の外のイルミネーションが、一つ一つ、ゆっくりと消えていく。デスティニーランドの閉園時間のようだった。お礼とお見送りのアナウンスが響き終わる頃にやっと、陸都のアソコと繋がっている芽衣の大事な場所は、痺れと混じったような快感を見つけ出してくれた。油田が掘り上げられたかのように、その快感はジワジワと彼女の下半身を温めて広がっていく。やがて、陸都が腰を振るたびに、芽衣のナカから、トロトロと気持ちの良さが染み出て、溢れ出るようになっていく。

 陸都がモノを奥まで入れるようにして腰を押し出すと、芽衣の下半身が圧迫されて、「フッ」と低い声が出てしまう。あまりセクシーな声ではないと思ったが、下腹部が突っ張るような感じがすると、この快感が痛みに戻ってしまうのが怖くて、反射的に力が入ってしまう。自分の出している声が動物的に聞こえていないか、心配がムクムクと芽衣の心の中で膨らむ。すると、『大丈夫だよ。そんなこと、気にしなくていいから』という囁きが、聞こえたような気がする。ふと、尾てい骨あたりに意識をやると、誰かが芽衣の尻尾を宥めるように撫でてくれているような感触がかすかにあった。芽衣は両目を閉じて、陸都との行為に集中する。力んでいる姿が格好悪くても、出している声が変でも、全部陸都に見てもらおうと思った。

 その力みも無くなったのが、芽衣が陸都と3回目にシテいる時だった。暗い部屋の壁に掛けられた時計を見ると、マイキーの短い方の腕が、2時半を指している。芽衣と陸都が一緒にイクことに成功したのは、5度目のチャレンジの時。もう窓の外は東の方から薄い水色に変化しつつあった。

。。

 雪乃と亮也が朝食バイキングの会場で、席を取って待っていると、友達カップルは約束の時間を20分過ぎたところで、まるで老夫婦が寄り添うようにして、お互いの体を支え合いながらやっと現れた。雪乃は「芽衣ちゃんたち遅―い」と声を上げるつもりだったが、思わず、「大丈夫?」と聞いてしまう。膝を擦り合わせるように、極端な内股で、ふざけているのかと思うほど小さな歩幅で歩いてくる芽衣。やつれてはいるようだが、そのお肌はローションを塗ってもらったあとの赤ちゃんのようにテカテカしていて、目は爛々と輝いている。隣をよろめくように歩いている陸都は、腰を一度でも曲げると二度と起き上がれないとでも言わんばかりに、脳天からつま先まで鉄の棒のように真っすぐにして、プルプルと震えている。目の下には、デーゲーム中の野球選手かと見間違うような、黒々としたクマがあった。雪乃と亮也の一晩もとても明るく、親密でロマンチックなものだったが、芽衣と陸都の場合は、それが土砂降りの塹壕での消耗戦のような、激しい一夜だったことが、すれ違う誰にでも伝わってしまっていた。

「2人とも…………寝れた?」

 雪乃が聞くと、芽衣はチラリとも雪乃を見ようとせず、真っすぐ前を見つめながら、呟く。

「うん…………普通。…………全然大丈夫…………。…………あの………、ここって、浦安だよね…………。ハハッ」

 顔は全く笑っていなかった。隣の陸都も、何かブツブツと呟いている。声が小さすぎて、一切聞き取れない。

「おやおや、2人とも。睡眠は筋肉の超回復に絶対必要な要素だよ。寝るのもトレーニングだと思って、ちゃんと休まないと駄目だぞ」

 朝から丸太のような腕を組んで、白い歯を見せる雪乃の彼氏。今日のタンクトップにはアルファベットで「Tarzan」と書いてあった。

。。

 雪乃は大事なお友達カップルの憔悴ぶりを見て、昨日のことを反省していた。羽目を外していたのは芽衣ではなくて、雪乃の方だったのかもしれない。「グラスから溢れ出るワイン」というキーワードを言うと、芽衣がどうなるかと言うことまでは、隼人メンターから聞いていたわけではない。それでも状況から考えて、大体起きるであろうことは想像出来た。そして、日中の芽衣の弾けぶり。あそこまで芽衣がハシャいでしまうとは思っていなかったので、もう少しブレーキを調整してあげていたら良かったかもしれない。

 罪悪感をビンビン感じていた雪乃は、チェックアウト時に芽衣と陸都がフロントでTシャツとマイキー耳の落とし物を受け取っている時も、何も言わないでおいてあげた。持ってきたお金を全部ギフトショップとフェイスメイクコーナーで使い果たしてしまっていた芽衣のために、帰りの運賃分を彼女のSUICAにチャージしてあげた。まだ人がまばらなホームで電車を待っている間、ベンチに座っている2人はまるで12ラウンドを戦い抜いたボクサーのように膝の上で手を組んで俯いていた。そんな2人の姿勢がピッタリ一致していることも、雪乃は指摘しないでおいてあげた。

 日曜朝の電車は空いていて、4人並んで座ることが出来た。少しずつ体力が回復してきた陸都と芽衣は、昨日のことを思い出して、反芻している。両手で顔を覆たまま、時々「あ゛~、う゛~」と、声にならない声を出しては悶絶している。幸せな記憶と、葬り去りたい黒歴史との選別に苦心しているのだろう。雪乃は芽衣をおもんばかって、そっとしておいてあげるつもりだった。

 なのに、沈黙を破ったのは、そんな雪乃の彼氏だった。

「……………芽衣ちゃんって……………。パントマイム…………上手いよね」

「べフッッ!!!!」
「ブッ」

 堪えきれなくて、雪乃と陸都が噴き出してしまう。俯いたり、顔を背けたりしながら、笑いを押し殺す。ずっと顔を手で覆っていた芽衣が、思いつめたような顔を見せた。目が座っていた。

「…………あぁどうも。ありがとうございやす。人間、調子に乗ると、あそこまで出来ちゃうんですね。自分で思い返しても、ビックリっす。毎年ニュースに出てくる、ハシャギすぎ新成人みたいな奴っすよ。いやー人間って凄いな―。………………………ま、死んだ方がマシなんですけどね。……………あははははは。あははははははは」

 芽衣の顔が一切笑っていない。雪乃は懸命に笑いを堪えつつ、彼氏の脇腹にローブローを入れる。陸都は何も言えなくて、無言で肩を震わせている。閑散とした車両に、芽衣の機械音のような単調な作り笑いが響いていた。

<4話につづく>

7件のコメント

  1. 読ませていただきましたでよ~。

    あんなに興奮した芽衣ちゃんに押し倒されても一線を守り抜く伊吹君が意外と紳士でびっくりしたのでぅ。
    手を出したら後で仕返しされるのは目に見えてるけど、それでも守り抜くことは早々できないとおもいますでよ。

    それにしても芽衣ちゃん攻撃の方は強いけど、防御が緩いって致命的でぅね。
    悪い人に操られてその人の尖兵になること待ったなしでぅ。隼人メンターとか学さんとか怪しいでぅねw

    そしてデスティニーランドのダブルデート。芽衣ちゃんと陸都くんの初々しさがいいでぅね(まあ、芽衣ちゃんが暴走してますがw)。
    いくら親友とはいえ雪乃ちゃんにすらあっさり操られてる芽衣ちゃんはもっと防御をなんとかしたほうがいいでぅね。

    であ、次回も楽しみにしていますでよ~。
    里奈さんまだー?

    1. みゃふさん、
      今作のなかで里奈はみゃふさんの期待する
      動きにならないかもしれません。
      なんとか交渉しているのですが、
      色々と条件が。。。 いえ、筋との整合性が。。
      言い訳ばかりで申し訳ないです。
      でも頑張って書きます。

  2. 読みましたー!

    攻撃は天才的に強いけれど防御はからきしな芽衣ちゃん。
    多分、雪乃ちゃんや伊吹くんのみならず、NASCメンバーの悪事を受け入れてしまったりしてるのも、他の人たちの波長に染まってしまってますよね。
    いつの間にか共犯者に仕立て上げられて罪悪感で縛られたりする展開、好きです。

    そして芽衣ちゃんと陸都くんのデート、ディズ……げふん、デスティニーランドの雰囲気や、はしゃぎまくる芽衣ちゃんの反応が素敵でした。
    芽衣ちゃんの先行きは非常に心配ですが、何はともあれ、陸都くんとの初めてを経験できて、よかったです。

    今後も楽しみにしています。

    1. ティーカさん、毎度です。
      いつのまにか作られてる共犯関係。
      僕も大好きです。
      そして防御弱い子の危なっかしい好奇心も。
      でも夏ですし、色々あります。きっと。

  3. MC作品が好きでいろんな作品を探し回りました。 あなたの作品を見た瞬間、私の好みにとても合って驚きました。 その後、あなたの作品は最初から最後まで全部見た。 作品ごとに個性のあるキャラクターは全部読んでも記憶に残り、作品ごとに様々な状況、シチュエーションが小説をより没入感のあるものにしてくれたようだ。 どうして今になってあなたの小説を見つけたのかとても惜しかったし現在はgoogle翻訳を通じて見ているが日本語を勉強してもう一度読んで見たいほどすべての小説が良かった。

    1. Elumさん
      ありがとうございます。
      とても嬉しくて、モチベーションを高めてくれる
      感想を頂きました。
      日本語のMC作品が少なかった時期には
      私も英語でEMCSAの作品を読みました。
      なので外国語の小説を読む苦労と、
      新大陸を発見したような嬉しさは想像出来ます。

      それでも、日本語のコンテンツは英語で書かれた
      小説以上に、外部からの理解が難しい面が
      あると思います。
      MC作品は日常や常識から浮遊するような
      エロティシズムを描くことが多いために
      前提となる社会慣習や約束事を描写することも多く、
      わかりにくい面もあったと思います。
      表現や話の展開などで理解しづらいところがあれば
      遠慮なく質問してください。
      また、過去の作品で特に気に入ってもらったものなどあれば、
      教えてもらえれば、それに近い楽しみを持つ、
      私の仲間たちの作品も紹介します。
      貴方の行動力とジャンルへの愛に敬意を持ちました。
      ありがとうございました。

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