共振 第5話

第5話

 月曜日の青蘭学園高校、3年D組の教室には甘い雰囲気が漂う。クラス1のイケメン、白川陸都の隣に、こちらも指折りの美少女、吉住芽衣が体を預けるように寄りかかって座っている。芽衣の表情はリラックスそのものといった様子だ。休み時間に、陸都の隣の席を少しの間、譲ってもらって、彼氏に甘えさせてもらっている。今、芽衣の座っている席はユウコという女子のものだが、彼女には休み時間は色々と忙しくしてもらっている。このクラスの生徒たちは誰も、2人の邪魔をしたり、2人のことを悪く思ったりしない。平和なお昼下がり、芽衣にとって至福の時間だ。

 ドンッ。

 その幸せなひとときをブチ壊すような、左側頭部への衝撃。芽衣が頭を押さえながら、顔を上げる。

「アンタら、昼間っからイチャついてんじゃないよっ。ちょっとは人目を気にしたら?」

 アンタら………と言いながら、その女子の言葉のトゲは、明らかに芽衣一人に向けられていた。芽衣は右側の陸都にもたれかかっていたので、左側を歩いていたこの女子の肘が頭に当たるのは、どう考えても不自然だ。

(別のクラスの子…………。たまたま、このクラスの友達と話に来たのかな?)

 芽衣が精神体の波長を合わせていくと、その子の感情が露わに、ボロボロと伝わってくる。この子は川崎ソノカ、3-Aの子で、陸都に密かな恋心を抱いていたから、芽衣とイチャイチャしている陸都が腹立たしい。けれど怒りは芽衣に向けられている。人目も憚らずに彼氏と密着している吉住芽衣が羨ましいし、本当は自分も好きな人とラブラブしたいけれど、出来ないから芽衣が妬ましい。ストレートな、重低音のループと中音の荒ぶるビート。昔からの知り合いだったら、共感できる、素直な気持ちだったかもしれない。けれど、芽衣にだって怒る権利はある。別にソノカさんに表立って悪さをしたわけでもないのに、いきなり不意打ちでヒジ鉄をくらわされたのだから。

 芽衣が左手で頭を押さえて、右手を陸都の腕に絡める。ナイト君は芽衣に与えられた危害に対して怒っている。立ち上がろうとする彼氏の腕をグッと押さえて、芽衣がムッとしたままの表情をソノカさんに向ける。

 精神体の波形がシンクロしたと思えた瞬間、さらに一段階高い、キーンという高音を感じる。芽衣が思いを送る。ソノカさんの顔から攻撃的なトゲが薄れて、ちょっとキョトンとした表情になる。自分の心境の変化に戸惑っているのだろうか。こうしてみると、なかなか可愛いルックスの子だ。ポニーテールにまとめた黒髪、表情豊かな顔とメリハリのあるプロポーション。胸もなかなかのボリューム。芽衣より断然大きい。立ち尽くすソノカさんの後ろに座っていた男子がスクッと立ち上がる。2人の精神体が波長をシンクロさせていると、その波形にもう1人を巻き込むのは、たやすかった。

 しばらく見つめ合う、ソノカさんと、芽衣のクラスメイトのヨシハル君。2人は少し戸惑っていたけれど、すぐにどちらからともなく顔を近づけて、唇同士をくっつけ合う。1度、2度。チュッ、チュと可愛らしい音を立ててキスを始めた2人は、見る間に止まらなくなって、お互いの背中に腕を回して密着しながら、激しいキッスを披露し始めた。

「……え? …………何? ……この子…………」

 陸都が目のやり場に困りながら、ゆっくりと体のこわばりを解いていく。芽衣が絡めた腕からも、腱の力みが抜けていくのがわかった。ナイト君は意外と逞しくて、男らしかった。それを肌で触れ合って感じると、芽衣はポッとなる。

(男の子の腕って、やっぱり私たちと違うんだな………。陸都も、細身だと思ってたけど、力こぶとか血管とか、グアッて…………。…………ちょっとだけ、雪乃がマッチョ好きな気持ちも、わかっちゃったかも………。)

 芽衣は、頬まで陸都の二の腕にくっつけて、甘えさせてもらった。

「………芽衣ちゃん………。痛くなかった?」

「…………ん………。大丈夫……………。それより………………。………ん……………」

 芽衣は、甘えついでに、顔を上げて目を両目をうっすらと閉じる。気配りも出来るイケメン・ナイト君の唇が、芽衣の唇に触れる。初めての教室でのキッス。時間が止まって、クラスルームの喧騒が静まり返ったような気がした。隣で激しい口づけとペッティングを始めてしまっている、即席カップルのおかげで、芽衣もいつもより大胆な行動を、自然にすることが出来た。

(はぁ…………。幸せすぐる………。………幸せ過ぎて怖いくらい…………。この時間が永遠に続けば良いのに。)

 そう思った直後に、校舎にチャイムが鳴り響く。わりとあっさりと、甘いひとときは終わった。

「………ちょっ………、なんで? 私………。嘘っ」

 芽衣の背後から、急に我に返ったソノカちゃんの、パニクる声が聞こえる。さっきまで情熱的な接吻を交わしていたヨシハル君への言葉もうまくまとめられずに、大慌てで自分のクラスへ駆け戻っていくソノカちゃん。その後ろ姿を見送っていた芽衣も、自分の席に戻らなければならないことに気がついて、急ぐ。実は次の授業の準備がまだ済んでいない。誰も注意してくれないクラスというのは、良いことばかりではなかった。

 火曜日の夕方。芽衣は彼氏と手を繋いで、陸都の家に遊びに行く。お母様は習い事に行っていらっしゃるらしい。お姉様もお仕事をされているという白川家は、ガランと広い。陸都とお呼ばれした芽衣の2人きりで、手を握ったまま、階段を登り、陸都の部屋に上がらせてもらった。

「朝………。慌てて飛び出たままだ………」

 ベッドの上に、乱雑に脱ぎ捨てられたTシャツと短パン。芽衣が長い間、、夢想していた王子様のプライベートルームだ。黒を基調にしたシックで生活感の少ない部屋。男の子の部屋にしてはとても清潔に保たれた、綺麗好きの部屋だ。本棚には髪型とバスケの雑誌と、勉強の本とが1対1対1の割合で並べられている。本棚の奥にはギターが立てかけられていた。あまり頻繁に使われている様子はない、エレクトリックギター。小型のアンプに繋がれたまま、インテリアの一部となっているようだった。

 芽衣はクスッと笑う。

「私も、朝は苦手………。もう、寝ぐせ直したり、シャワーしたり、ドタバタだよ。…………顔がムクんじゃってる朝なんて、もうパニック映画みたいに、お部屋と、ママの美容液のある下の階との往復で走り回ってるもん」

「オカンは朝ご飯ゆっくり、しっかり食べろとか言うけど、高校生は忙しいよね? …………彼女に嫌われないように、見た目もシュッとしてなきゃいけないし」

 ベッドに腰を下ろして、脱ぎ捨てられた寝間着をクルクルっとまとめながら、陸都が芽衣を見て微笑む。自分の笑顔の威力を、ちゃんとわかっている男子のスマイルだった。芽衣はまんまと赤面させられる。

「嫌いになんて………ならないよ」

 芽衣が指で無意識のうちに自分の髪を撫でながら、陸都を見て、次の言葉を待つ。けれど陸都は何も喋らないで、芽衣を見ながらニコニコしていた。芽衣の言葉を待っているらしい。

「陸都は…………、私が身だしなみ乱れてたら、私のこと、嫌いになる?」

 芽衣が聞くと、やっと陸都が立ち上がって、近づいてくる。背の高い陸都が、芽衣の髪に長い指を通す。

「うーん…………。どうかな? ………ふむ…………うん………。うん」

 まるで手慣れた美容師さんが常連のお客さんの髪型を考えるように、色んな角度から芽衣の顔を見る。何度も髪を触られる。顔がぐっと近づいて来た。

「やっぱり、どんな格好してても、どんな芽衣ちゃんでも、………大好きかな。………僕の、お姫様」

 キスをされる。彼氏の部屋で、2人っきりで、キスをしている。昨日の、教室の中の甘くて蕩けるような気持ちが戻ってくる。陸都に抱きしめられると、周りの景色がグルグル回るようだった。このまま、伊吹との時のように、成層圏から飛び出してしまうかもしれない。そう考えた芽衣だったが、気がついたらドサッと陸都のベッドの上に背中から倒れ込んでいた。綺麗な造形の顔が、またグッと近づいてくる。目の保養だと思った。そして目の保養の次には、芽衣の全身の保養が始まってくれた。

 首すじを、胸元を、優しくキスしていく陸都の顔。下へ行くかと思うと、また芽衣の顔に近づいて、頬っぺたをキスする。

「この前、ここをキスした時には、赤いハートのペインティングがあったな………」

 頬っぺたを突かれて、芽衣は遊園地でのデートと、ディステニーランドホテルの、暗い部屋の中での激しい初体験を思い出す。もう一段階、芽衣の体温が上がる。

「あの時は………ハシャギすぎて…………。私、……変だったでしょ?」

「………可愛かった………。いつもはもっと、スンってすました感じの子かなって思ってたら、あの日は思ったより女の子っぽくて、キャワキャワ言ってて、………夜は、すごいエッチに乱れてくれたよね。………嬉しかった」

 チャーーという、小さな金属音が聞こえて、芽衣は自分の制服のファスナーが上げられていることに気がつく。いつの間にか、赤いスカーフが解かれていた。お喋りしながら、キスをしながら、同時にスルスルと制服を脱がしてくる。陸都はテクニシャンだ。芽衣に初エッチの時のことを思い出させているのも、実は彼の戦術なのかもしれない。

「エロい芽衣ちゃんも凄く好きだよ。僕のペースもすっかり狂っちゃって、気がついたら僕も、朝までガキみたいに腰振ってたよね。…………思い出すと、僕も恥ずかしいよ」

 ホテルスタッフさんがベッドメイクするように、手早くテキパキと、自然な手つきで芽衣のブラウスを持ち上げていく。裏返っていくブラウスの生地で顔が隠れる。バンザイさせられた腕をブラウスが通っていく時、また見えた陸都の顔はすぐに芽衣の顔に覆いかぶさってキスをする。キャミソールが引き上げられる時も、また陸都の顔が見えなくなる。キャミの生地が芽衣の頭を抜けると、また陸都の笑顔が見える。もう一度キスをする。淡いピンクのブラと、揃いのショーツが彼氏の目に晒される。

「可愛いよ。芽衣ちゃん。…………大好き」

 至近距離で囁かれると、胸がキュンっと絞めつけられて、やがてどこまでも穏やかに楽にしてもらえる気がする。大好きな彼に、こう言ってもらえている想い出だけで、芽衣は例え来週から出家して尼さんとして生活していかなければならない境遇になったとしても、一生涯、女として幸せに生きられると思ってしまった。

 気がつくと、陸都もシャツをはだけてズボンを半分降ろしている。芽衣は秘かに感心した。顔を芽衣に接近させて、キスしたり囁いたりしながら、一方の手で芽衣の服を器用に脱がせて、もう一方の手では自分の服を脱いでいく。驚くほど手慣れたリードだ。伊吹だったら、一つ一つの工程を丁寧に、観察しているような手つきと目つきで行っていく。あれはあれで、大切にされているという感じがして、嫌いではないのだが………。と、ふと芽衣は彼氏との素敵な時間の中で、別の男子のことを考えている自分に気がついて、慌てて伊吹のイメージを頭の中から追い払う。今は、陸都のことだけを考えていれば良い時間だ。

「芽衣ちゃん………。ここ、芽衣ちゃんが出してくれる?」

「………え? …………うん…………」

 下半身を指さす陸都に促されて、芽衣が緊張しながら手を陸都のトランクスに伸ばす。腰の部分のゴムが赤くてブランド名が入っている、グレーのトランクス。芽衣がこわごわ下ろしていくと、固くなった陸都のモノが飛び出す。

「触ってくれるかな?」

「………熱い………。し、血管がドクドクいってる」

 あえて、サイズや固さのことは口にはしなかった。けれど、やはり伊吹のモノよりもおっきいな………、と芽衣は心の中で思っていた。耳を甘噛みされる芽衣。今、自分と触れあっているのが、今年になってずっと恋焦がれてきた、白川陸都なんだと思うと、改めて体が熱くなる。おヘソとアソコの間あたりの奥がキュッと絞めつけられる感覚になる。密着した距離で、陸都と芽衣の吐息が混ざり合う。芽衣はくぐもった声を漏らして、伊吹の愛撫に反応する。ブラのホックが外されて、オッパイを見られる。腕で隠したくなった「遠慮の塊」。芽衣は頑張って隠さないように我慢する。伊吹も言っていた、前より少し大きくなっているはずだ。胸を揉まれる。乳首を吸われる。芽衣は仰け反って悶えた。陸都の体にギュッとしがみついた。気がつくと、ショーツも丸まって足首にすがりついていた。陸都の舌が、唇が、鼻先が、胸からお腹、そしておヘソを通って芽衣の大切なところへと降りていく。陸都は上手だった。

「芽衣ちゃんのここ。ピンクで綺麗だね」

「…………どうも………。恐縮です………」

 アソコを褒められた時、何と返して良いのか、わからない。芽衣は、とっさにロマンチックでもセクシーでもない返答をしてしまった自分を悔いた。「恐縮です」は無いだろう………。けれど、考えても正解はわからない。

「ひゃっ…………」

 考えごとをしている間に、陸都の舌が芽衣の大事な部分の口、閉じている割れ目の隙間をペロッと舐めた。芽衣は反射的に足を閉じそうになる。陸都の頭を、両足で挟み込むような体勢になる。閉じようとして、改めて意識させられる。芽衣は男の人の前で、太腿を開かされているのだった。考えだすと恥ずかしくなる。芽衣は顔を背けるように肩に頬をつけ、横を向いた。

 指と、唇と、舌先。器用に動いて、芽衣を高めていく。

「気持ちいい?」

「ここ、好き?」

「芽衣ちゃんは、ここをこうされると、好きなんだ?」

 愛撫の中で、確かめるように陸都が聞いてくる。芽衣は顔を赤くしながら、首をコクリと縦に振って頷く。時々、そこまで気持ち良いというわけではなかったが、これが2人で高め合っていくスキンシップというか、ステップなんだと理解した。

(そこ、もう少し強くしてもらっても大丈夫………とか………、言っちゃ駄目だよね………。ガッツいてるとか、思われたらヤだし………。)

 芽衣は陸都の前で、精一杯、可愛い女の子でいたかった。もっとお姫様然としていても自由に振舞っていても、彼女が習得している精神体の共振技術を使うだけで、陸都の心を虜にすることは出来るはずだった。それでも、そこは自分の欲求を満たすためだけにこの技術や、周りの人を使うようなメンバーとは、違うんだと、自分で思っていたかった。

 陸都のモノがグッと芽衣の割れ目を押し開けて、ナカに入ってくる。下腹部が圧迫される感触。ググっと押し入ってくる。いつの間にか、陸都のおチンチンはゴムを付けていた。受け入れる、インサートの瞬間に粘膜の摩擦が快感を生み出して、芽衣の手足に鳥肌が立つ。静電気の痺れのような、気持ち良さ。芽衣はアゴをあげて、両目を閉じて、愉悦に浸った。陸都がゆっくりと腰を動かす。ストロークが長く感じられるのは、やはり陸都の方が、伊吹よりもおチンチンが大きいからなのだろうか。奥まで押し込まれると、芽衣の喉から鼻へと、くぐもった快感の喘ぎが抜ける。芽衣は気持ち良くて放心していた。多分、顔も緩んでいる。締まりのない顔で、快感に浸っているのだと思う。それも気にしすぎないようにした。彼女のスピリチュアル・パートナーだって、自信を持って良いと言ってくれていたのだ。

 浮遊感を感じる。ベッド上、30センチくらいのところで漂っているような気持ちだ。陸都のおチンチンが芽衣のナカにグッと入ると、2人の体がもう1メートルくらい浮き上がって、先だけが入っているというくらいまで抜かれると、1メートル、急降下するような感覚。心地良い浮遊感。これは伊吹との行為の時のような急上昇して大気圏を突き抜けてしまうような大げさなものではない。それでも、充分にロマンチックで素敵な時間だった。

 陸都は優しくて上手で、巧みにリードしてくれる。女性の気持ちとカラダを良くわかっている。

 伊吹はもっと不器用だった。陸都より年上だけど、女性の経験もそれほど多くないと思う。ただ、芽衣の気持ちとカラダのことを凄く良くわかっている。

 2人の男の人の間には、そういう違いがあった。そして芽衣は、陸都に伊吹ほど芽衣のことを理解出来ていない部分があれば、芽衣の方から寄り添って、距離を詰めて、深く繋がり合いたいと思っていた。心の底で、伊吹に申し訳ないという思いも抱く。………何かが、芽衣の尻尾を優しく握り返してきたような感触があった。

「………そろそろ………イクよ………。芽衣ちゃんも? ………一緒にいける?」

 色々と考えごとが出来るくらいの長い時間のピストン運動のあとで、陸都が少し余裕の無くなったような声を出す。その声を、芽衣は可愛いと感じた。芽衣が2、3度頷くと、陸都の腰の振りが激しくなる。芽衣もたかぶってくる。そして陸都がイッた。芽衣も、イってこそいなかったが、繋がったまま、激しく陸都に抱きついた。

「良かった? …………芽衣ちゃん」

「………うん…………。すっごく………」

 ベッドの中で裸のままでシーツに包まって、芽衣と陸都は抱き合って囁きあった。陸都の腕を枕にして芽衣がしがみつくようにして少しだけ眠る。眠っている時間がもったいないようにも感じたけれど、とても贅沢な時間だった。

「………芽衣ちゃん」

「…………………………ん……………」

「………口でするとか………出来る?」

「…………なんですと?」

 芽衣が思わず、ガバっと体を起こす。

「あ………、いや、抵抗あるなら、いいよ」

 笑って済ませようとする陸都の前で、しばらく逡巡していた芽衣が、息を飲んで自分を奮い立たせた。

「あの…………、うまくいくかどうか、わからないけど、………やってみる」

 芽衣の言葉を聞いて、陸都も体を起こす。裸のままベッドから降りた2人は、向かい合って立った。陸都の前で膝立ちになった芽衣は、改めて間近に見る陸都のソレのサイズ感に圧倒されて、生唾を飲み込んだ。

「芽衣ちゃん、無理しないでいいよ。本当に。…………君は、僕のお姫様なんだから、嫌なことだったら、全然しなくても」

「いえ………。やります………。やらせてください。私がやらなきゃ………他に誰が…………」

 戦場の兵士のような悲壮な顔つきで、芽衣はおずおずと頭を近づける。陸都のカラダの一部なんだから、汚いなんて思わなかった。けれど、初めてお付き合いする男性の、おチンチンを口に入れるということに、抵抗が無いかと聞かれれば、思いっきり抵抗はあった。震える唇を開けて、両目を閉じて口にふくむ。何分か、舌を動かしたり、頭を動かしたりと苦闘した。

「………フフフッ。芽衣ちゃん。くすぐったい……………。ありがとう。もう大丈夫だよ」

 陸都がポンポンと芽衣の頭に手を当てて、イイコイイコと撫でる。芽衣が口を開けると、大きなモノを抜き取った。

「一生懸命、してくれる芽衣ちゃんの様子が、とっても可愛くて、良かったよ。ありがとう」

 大丈夫と言われるほど、大丈夫でなかったことはわかっていたが、芽衣の口一杯に押し込まれていた男性器が退席してくれると、正直に言って、芽衣はホッとした。

「…………ゴメンね………。良くわかんなくて、うまくいかなかった………」

 芽衣が謝ると、陸都は頭を撫でていた手を閉じて、芽衣の髪をクシャっとする。

「うんん。いきなり超絶技巧とか披露されても、それはそれでヒクし…………。全然大丈夫。………可愛いな、芽衣ちゃんは」

 長い指先で、芽衣のオデコがツンツンと突かれる。

「今度は僕が口でしよっか? お姫様のエッチな場所を…………………」

 優しく慰めるように話していた陸都が、話の途中で止まる。芽衣が片手を上げて、制止していた。

『陸都。眠って。』

 芽衣が精神体を震わせて、陸都の精神体を鑑賞する波動を投げかける。軽く念じただけで、陸都は卒倒するようにしてベッドに倒れ込んだ。すでに意識を無くすほど、深く安定した眠りの中に包みこまれている。芽衣は、また陸都と向かい合うように寝そべって、顔を10センチくらいまで近づける。美形の彼氏をまじまじと見つめた。

「可愛いな、………君も」

 幸せそうにスヤスヤと寝ている陸都のオデコを、人差し指でツンツンとつっついて、芽衣は呟いた。

 体を沈み込ませて、芽衣は陸都の股間に顔を埋める。無抵抗になった陸都のおチンチンを、もう一度両手で支えた。口にふくむ前に、深呼吸をして、覚悟を決める。

(………寝てる相手の体を、好き勝手させてもらうなんて…………私、全然誰かさんのこと、変態とか言えないなぁ……………。でも、何事も修練みたいだから………。励むぞ、芽衣よ。)

 自分に言い聞かせるようにして下っ腹に力を入れると、芽衣はまた、思い切って陸都のおチンチンを口にふくむ。30分くらい苦闘すると、やっと彼氏が2回目の射精を迎えてくれた。

 アゴと舌が限界までくたくたになっていた芽衣は、眠りから覚めた陸都の引き留めを、表情だけでやんわりとお断りして、その日は無言で帰宅することになった。

。。。

 水曜日。学校が終わると、吉住芽衣は喫茶ダイニング『グラス&ウール』に行く。他の参加メンバーが集まってくるよりも、少し早い時間にお店に到着する。「準備中」と書かれた木札がドアノブに引っ掛かっていても、気にせずにお店に入らせてもらう。こうしたルーティーンにもすっかり慣れた。先に川辺伊吹がお店についていることはわかっていた。尻尾から、伊吹のリラックスした気分が伝わってくるからだ。

「いらっしゃい、芽衣ちゃん。………上?」

 マスターが優しく迎えてくれる。眉毛を上げて、芽衣に2階を使うか聞いてくる。芽衣は少し顔を赤くしながらコクリと頷いた。このやりとりには、まだ慣れない。2階でだいたいどんなことをしているのか、たぶんバレバレなのが恥ずかしい。それでも、芽衣にとってはスピリチュアル・パートナーとやらなければならないことが山積みだった。

「伊吹…………」

 階段に足をかけながら、一言だけ芽衣が呟く。カウンターに座っている伊吹には聞こえて、出来ればカウンターの向こう側に立つマスターには聞こえないくらいのイメージの声の大きさで………。最近の芽衣は、音の大きさや響き方、伝わり方にも耳が敏感になりつつあるような気がする。耳だけではなく、全身で空気の震えを感じるという意識だ。

「………うん」

 伊吹も芽衣の言いたいことを全部理解しているかのように頷いて、階段を登って来てくれる。2人で2階を使わせてもらう。ドアを閉じると、尻尾が結びつけられたパートナーだけの時間になる。

「……で………、陸都君に、フェラもお願いされたっていうことね………。陸都君、高校生なのに、経験豊富な感じだよね」

「あんまり………、言わないで」

 ソファーに向かい合うようにして座った2人が話す。芽衣は鼻がむず痒くなったような仕草で、とっさに口元に手をやる。伊吹が、芽衣の唇を見つめているような気がしたからだ。

「それで、僕にどうして欲しいの? …………練習?」

 耳まで赤くした芽衣が、頷いたまま頭を上げない。拝み倒すような姿勢になっている。

「こんなの、他の人には絶対にお願いできないから…………。たのんます………」

 伊吹が鼻から溜息を漏らすと、腰を浮かしてズボンのベルトをカチャカチャ言わせ始める。

『恋の力って凄いな…………。こんな可愛くて恥ずかしがり屋の芽衣ちゃんに、自分からフェラの練習させて欲しいとか、言わせちゃうんだから‥』

(言ってはいないってば………。伊吹が悪いんだよ。私の寝てるところに入ってきて、性感帯とかエッチなスポットとか勝手に探したりしてたから………。もう、貴方に隠し事してたって、しょうがないって………。)

『口ではいってないよね。口でイカせる練習するんだもんね………。』

(………調子乗んな………。)

『…………すみません。』

 ズボンとトランクスを下ろした伊吹に、芽衣が膝立ちになって近づく。恥ずかしさを紛らわせるかのように、2人は心の中でいつもより饒舌になっていた。ローテーブルに置かれていたウェットティッシュを抜き取ると、芽衣が伊吹のおチンチンを丁寧に拭く。あんまり念入りに拭いていると伊吹が秘かに軽くショックを受けていることは伝わってくるが、そこはキッチリと清掃させてもらう。ローテーブルには、最近、以前よりも多めにウェットティッシュやティッシュが置かれている。マスターの気配りが、地味に芽衣の羞恥心と苛立ちを掻き立てた。

 芽衣はパートナーのおチンチンを複雑な思いで見据えると、思い切って両目を閉じて、口を開け、こわごわ唇をくぐらせた。躊躇いながら、ゆっくりと舌を動かす。

『芽衣ちゃん、目を閉じてると、練習にならないんじゃない?』

「………むぅ………」

 情けない表情を作りながら目を開けた芽衣が、不服を申し立てるような目で伊吹を見上げる。いつもの伊吹よりも、少しだけ意地悪な感じがする。陸都との進展のために伊吹の体を使わせてもらっていることに、ちょっとだけ嫉妬を覚えているのだろうか?

 以前の伊吹だったら、芽衣が陸都への片思いを成就させるために共振の練習をすることも、男女のカラダのことを勉強することも、もっと柔らかい姿勢で協力してくれた。それが、2人でエッチをしたまま宇宙に飛び出した時から、ほんの少しだけ、心境に変化が訪れているような様子だ。これは独占欲だろうか、あるいは嫉妬なのだろうか? 芽衣はそんな伊吹の心の動きのことを考えていたつもりだが、いつの間にか伊吹のおチンチンへの、口での奉仕に真剣になっていた。頬をすぼめて吸い上げたり、舌を絡めたり。懸命におチンチンへの柔らかい刺激を与え続ける。これが、伊吹のおチンチン。このサイズの方が、芽衣の口の大きさには合ってるかもしれない。このおチンチンが、芽衣の恥ずかしいところに入りこんで、出たり入ったりしているうちに、芽衣は気持ち良くって宇宙まで飛び出してしまった。あの時の島は、今も草がそよいでいるだろうか?

 デュッ

 芽衣の口の中で、破裂するように熱い粘液が噴き出されて、芽衣は目を白黒させる。喉の奥までドロッとしたものが入った。

「ぶわっ…………、ちょっと、……………急に…………、イかないでよ………」

 口から伊吹のおチンチンと精液と自分の唾液の混ざったものを零した芽衣が、涙目でえづきを堪えながら、怒る。

「ゴメン…………。芽衣ちゃん、僕のおチンチンを口に入れながら、僕とのエッチのこと思い出してたでしょ。………陸都君のことじゃなくて、僕のこと考えながら、フェラしてくれてるっていうのが、伝わってきたら、急に我慢できなくなっちゃった」

 頭をポリポリ書きながら、ばつの悪そうな表情で伊吹が謝る。ティッシュに、口の中に残っているものを出して、芽衣は自分の口回りからアゴまで、丁寧に拭き取りつつ、スピリチュアル・パートナーを睨んだ。

「…………練習になんない………。早すぎて」

 芽衣は、自分が伊吹とのエッチのことを思い出して、無意識のうちに伊吹のおチンチンへの愛撫に集中していたことを指摘された。そのことが恥ずかしくて、思わず反射的に反撃してしまった。伊吹がザックリ傷ついたことは伝わってきたが、喉から漂う、苦くて青臭い空気と一緒に、無理矢理飲み込んでみせた。

「芽衣ちゃん…………。今度は、芽衣ちゃんが僕のカラダに入ってみる? …………男の気持ち良いポイントとか、男視点で理解出来たら、練習の補完にはなると思うけど………」

 伊吹の提案は、建設的なものに思われた。今日の芽衣と伊吹は、どことなくギクシャクしているような気がするけれど、それでも伊吹はやはり、優しくて協力的なパートナーだった。

「………えっと………精神体を移し替えて、別の体に入るのって、………怖くない?」

「僕は何回もやってることだから、大丈夫。安心して………」

(…………私のカラダにでしょ? ……別の意味で安心できない…………。…………まぁ………伊吹の体に入ってみるなら、いいけど。)

 芽衣は無意識のうちに首をひねって、お尻の上にある、自分の尻尾を見下ろす。尻尾で繋がっているパートナーの体に入るのなら、いざ、出る時にトラブルなどあっても、引っ張り出してもらえそうな気がした。

「僕がウトウト、ムラムラしてる間に、自然に芽衣ちゃんのカラダに入っちゃったくらいなんだから、芽衣ちゃんにとっても全然難しいことじゃないはずだよ。芽衣ちゃんは精神体で宇宙まで行っちゃったくらいなんだから、僕の体になんて、ほんと楽勝だよ。………ほら………」

 伊吹が両腕を開いて、さぁどうぞというポーズを取る。芽衣は少し照れながら、自分の精神体を、こわごわ自分の体から抜き取って、空中に浮遊した。

『…………そ………それじゃ………。お邪魔します………。』

 芽衣が初めて、他人の体に精神体として入っていく。足先から伊吹の体に突っ込むとシュワシュワと精神体の振動がわずかに音階を変える。パパに抱っこしてもらう小さな女の子のような姿勢で、胸の中に入っていく。トュプっと、温水プールに頭まで突っ込んだような感触を得た。聞こえる音が変わった。心音、血流の音、そしてかすかではあるが、全身の細胞が呼吸するような振動も感じる。気がつくと、視界に映っている方角が正反対に切り替わっていた。芽衣は今、自分の体を見ている。伊吹の体に飛び込んだ芽衣の精神体が、芽衣と向かい合っている伊吹の目とチューニングがあったということが理解できるまで、少し時間がかかった。

 右を見る、左を見る。………少しだけ乗り物酔いになったような、微妙な感覚。芽衣はしばらくその違和感と戦う。

「芽衣ちゃん、急に首を動かして、アチコチ見ない方が良いよ。………人間の目って、それぞれ視力が違うし、左右の目のバランスとか、視界に入りこむ鼻の高さとか、身長差とか、馴染むまでちょっとの間、まっすぐ前を向いておかないと、酔うんだ」

 口調は伊吹だったが、喋っているのは、芽衣の体だった。

「………え? ………伊吹は私のカラダに入ったの?」

 喋ると聞こえる声が低くて、驚く。男の人の声だ。舌の長さや口の形も微妙な差異があるようで、芽衣の話し方は少し舌っ足らずの、ギコチない口調になった。

「慌てて喋って、舌を噛まないようにしてね。………あとで痛いの、僕だから」

 芽衣の体に入っている伊吹の口調はスムーズだ。憑依の技法にもずいぶんと慣れているようだった。

 少しずつ、見える視界の違い、左右の視力のバランスにも慣れてくる。眼鏡の縁が視界に入りこむのが気にはなるが、乗り物酔いのような感覚は、次第に落ち着いてきた。始めにわずかに感じた、体が発する自然な体臭への違和感も、少し経つと感じなくなった。鼻も慣れたということだろう。芽衣は伊吹の体に入ったまま、ソロソロと立ち上がる。腕の長さ、指の長さの微妙な違いを理解するように、両腕を伸ばして、グー、パー、グーと手を動かした。………そういえば、伊吹も芽衣の体に入ってきた時、同じような動作をしていたのを思い出す。部屋の中を歩いてみる。確かに、腰の使い方が少しだけ男と女とで違っている気がした。真っすぐに歩こうとすると、脚の間にあるモノのせいで、窮屈な動きになる。それを意識した時に、伊吹の体はうっすらと赤面した。

 目の前の芽衣の体が、当たり前のような顔をして、そそくさとセーラー服を脱いでいく。

「え? …………脱ぐの?」

 芽衣は、伊吹の心臓がドクドクと鼓動を速めているのを感じた。目の前の華奢な女の子が、さも当たり前のように、間近で肌を晒していく。思ったより白い肌、柔らかそうで良い匂いがしそうな体。芽衣は目を泳がせた。荒くなる呼吸を懸命に整えようとする。

「慣れない他人様の体を拝借して練習するんでしょ。怪我とかしないように、まずは裸になるのが基本みたいだよ。慣れないうちは、ブレスとかゴツめの腕時計とか、異性の自分にとっては不慣れな装着品で、借りた体を傷つけちゃうことが意外と多いんだ」

 芽衣の体は、真顔でそう答えた。伊吹の体も、そう言われておずおずと、ズボンのベルトに手をかける。股間がいきり立っていて、ズボンがとても脱ぎづらかった。芽衣はまた顔を赤くする。

(もう………なんで私が恥ずかしがらなきゃなんないの…………。)

 芽衣の体を見て、痛いくらい勃起する伊吹の体について、芽衣の精神体が自分のこととして恥ずかしがっているというのが、よくわからない状況ではある。しかしとにかくも、このおチンチンの素直すぎる反応は、気恥ずかしい。芽衣は、男の子なりの不自由さについて、ほんの少しだけ理解が進んだように感じた。

 裸になって向かい合うと、見慣れたはずの芽衣自身のカラダが、これまでと少し違って見える。華奢でスレンダーなのに柔らかそうな体つき。白い肌はきめが細かくてスベスベしていそうで、触りたくなる。そしてまだ未成熟な胸元や、股間の黒いヘアーに目をやると、男の体が心臓をバクバクとさせる。初めて男性の体と目を通して見る自分の体は、けして貧弱でもつまらない裸でもなかった。それは、今の時期の少女だけが持っている、大人へ変わっていこうとする女性の魅力を爽やかに、そして時に頼りなさげに発散している、思春期の裸だった。

(自分の裸見て………、おチンチンがこんな風に…………。もう…………、私、頭がヘンになりそう…………。いま、一体、どんな状態なの?)

 混乱しながらポーっとした表情で自分の裸に見とれている芽衣(を入れた伊吹の体)。そんな彼女を見て、恥ずかしそうに伊吹が手を伸ばしてくる。

「僕………、興奮してると、そんな間の抜けた表情になってるんだ………。なんか、恥ずかしいから、早く済ませようか」

 芽衣の声で、「僕」と口にした伊吹は、しなやかに伸びた指を、伊吹の体のおチンチンに沿わせる、下から持ち上げるようにして、裏筋のあたりをシュッ、シュッと撫でる。

「ぅわっ。………こんなに………すぐ?」

 芽衣は股間に広がる甘い痺れのような感覚に戸惑って、声を漏らす。女の子の体は、もっと時間がかかる。例え一人で触る時にしても、じっくりと、ムードの助走のようなものが必要だ。それが、伊吹の体についているおチンチンは、芽衣の手でシュッと触られると、ヒュッと気持ち良くなる。この簡易スイッチのような、あっさりとした反応に、芽衣は驚いてしまった。

「おチンチン口に入れるのは、勘弁してね。………自分の体でも、男として、抵抗あるから。………でも手でされてても、気持ちの良い感じはわかるでしょ? ………これを芽衣ちゃんの口でも、再現したらいいと思うんだ」

「うっ…………うあぁっ…………。…………すぐ…………出そう…………なんだけど…………」

 芽衣が立ったまま、脚をピンっと伸ばして仰け反ると、伊吹は手の動きを緩める。いきり立った後で、少し緊張が緩んだおチンチンは、カリの裏辺りを擦られるだけで、またすぐにイキそうになる。女の子の性感帯が時間をかけてジワーっと反応してくるのに対して、おチンチンはスピードスターターだ。そしてガチガチに固くなると、そのせいで触感が少し鈍くなるように思える。そうなると刺激を強くしてあげるか、強弱をつける。あるいはおチンチンの別の部分を優しく刺激してあげると、この敏感さと痺れを上手くコントロール出来そうだった。

 変化は必要。でも、この快感のストレートな高まり方は、女性のカラダより素直だと感じられる。女子の性感帯が低血圧な猫のような気まぐれさを見せることがあるのに比べて、男子の性感は、どこか子犬のような素直さ、健気さを感じさせていた。

 手の動きが早くなる。痛くならないかと心配した芽衣だったが、快感は綺麗な正比例の直線を見せて上がってくる。頭の芯から痺れてくるような、気持ち良さ。シゴイている美少女の裸を見る。肘から手を激しているせいで、小ぶりの可愛らしいオッパイがプルプルと揺れている。

(…………触りたい…………。)

 ボーっと考えていた芽衣は、それが自分のオッパイであることを思い出して、また恥ずかしくなる。そのことに気をやった瞬間に、高まってくる快感に流されそうになる。いちど意識の体勢を崩すと、体はなし崩し的に、我慢を失った。お尻の筋肉がキュッと収縮する。男の子の強い筋肉を意識させられた。

 ビュッ、………ビュッ…………デュッ………。

 1回目よりは少ない量だが、白い粘液を飛ばした。前回よりは放出する回数も少ないかもしれない。芽衣は初めて体験する、男子の射精の快感に目を白黒させながら、呆けたように、おチンチンのひくつきを見守っていた。

 芽衣はおチンチンまわりを伊吹に拭いてもらっている間も、ボーっとしていた。おチンチンの先から出してしまったものはネットリしているが、男の子のエッチについての構造や原理が、とてもシンプルなものに感じられた。若い女の人の裸に、思わず目がいってしまう。目に入ると、歯車が噛みあうようにガチっとおチンチンが反応する。そしておチンチンを刺激してもらうと、イキそうになる。これだけアッサリと明快な原理で動いていると、いっそ爽やかにすら感じられた。

 芽衣はこれまで嫌だった、クラスの男子がすぐにエッチな話をしたがったり、女の子の胸やお尻のことをチラチラと見てくるのか、少しだけ理解出来たような気がした。彼らはここまであけすけにわかりやすい原理の性への衝動と24時間つきあっているのだ。女子たちがが性に対して感じる、自分のアイデンティティを揺るがしてくるようなネットリとした深みや、それに対するわだかまりも気まずさも、もしかしたらほとんど感じていないのではないだろうか。

「そろそろ、芽衣ちゃんの体に戻る?」

「…………え? ……………あ、…………うん…………。そだね…………」

 射精の快感が引いても、まだ頭の奥は少し痺れている。その痺れが引くと、芽衣は思い倦怠感と戦っていた。おチンチンが精子を出すというのは、行為としては女子がイクよりもずっと簡単だけれど、体力はそれなりに使うようだ。芽衣は放っておくと意識がまどろんでしまうような、ダルさを全身に感じていた。

 精神体を浮き上がらせて、体を元通りに入れ替えっ子する。自分の体はやはり居心地がいい。視野の違いや音、匂い、体の長さ短さにもすぐに慣れていく。しばらく他人の自転車に乗っていたあとで、自分の自転車に戻って来たような気分だ。

「芽衣ちゃん、憑依の後は、水泳の水抜きみたいにして、精神体に混じってきたノイズを、フンって外に追い出してあげるようにした方が良いよ。ガードしてるつもりでも、どうしても相手の精神体の残響みたいなものは体に残っていて、ちょっとだけ染み込んで来てるはずだから」

 芽衣は制服を着て、身だしなみを整えながら、伊吹に言われるままに、見様見真似で「ノイズ抜き」をやってみる。確かに、心なしか、不純物を追い出して、自分の精神体がスッキリした感触になる。

 フロアや服を綺麗にして、身だしなみをお互いにチェックしてから慎重に1階に降りて行った芽衣と伊吹だったが、2人を迎えるNASCのメンバーたちは、様子が違っていた。

「今日から、NASCのレッスンは皆、下着になって行おうって話してたんだ。より素肌に近い状態の方が、精神体の微細な動きも見やすいしね。前回、皆恥ずかしいことも共有しあったし、いまさら抵抗感もないでしょ?」

 当たり前のように告げる隼人メンター。そのあまりにも当然とばかりの口調に、いつも抗議する気持ちをかわされてしまう。芽衣は肩を上下させて溜息をつくと、せっかく着こんだ制服に手をかける。

 どうせ、前回の「ビジョン」の中で、芽衣の裸は全て見られてしまっている。(伊吹に憑依されて)1人エッチしているところも、陸都との激しくて熱い初体験の様子も、全部みんなに見られている。今さら下着姿を見せることくらい…………。と思ったが、ブラウスを脱ぐときは皆に背を向けて脱ぐ。やはり芽衣はシャイな、思春期の女子だった。

 思春期の女子だが、男子たちの性欲の原理は、少しだけだが体感した。これまでは得体のしれない、怖いものと感じていた男の子のエロ目線も、自分で体験してみた後では、そこまで不気味がる必要はないかもしれないと、思い始めていた。男子のエッチな反応はシンプルだ。女の世界の方が、もっとドロドロ、ジトーっとしているところがあるかもしれない。

「今日は皆で、記憶への干渉を勉強しましょう。これまでのアンカリングの技法ももう少し深く入り込みます。波形を細かくして共振させることを意識させましょうね」

 紺のトランクス一枚の姿になっている隼人メンターは、意外と上半身にしっかりと筋肉がついていた。丸眼鏡と童顔のせいでそう思っていなかったが、実はしっかりと鍛えているのかもしれない。大雅マスターはスラっと細い体。あとのオジサン、オニイサンたちの体は、想像通りだった。芽衣は視線を女子に向ける。里奈さんの体はいつ見ても惚れ惚れするようなプロポーション。腰回りに憧れのクビレを持っている。身につけている下着も、黒と水色のレーシーでオトナなものだった。そして芽衣の右隣りに立つ雪乃の胸元を、つい、チラチラと見てしまう。ピンクのブラに包まれたメロンのような大きさと丸みのバストは、女子の芽衣でもどうしても目が引き寄せられる、立派なものだった。

『…………雪乃は、下着とか大丈夫なの? …………オジサンたち、皆、貴方のオッパイ見てるよ。』

『………ん………。恥ずかしいけど…………。この格好の方が、後から診察受けるのも楽だし…………。いいかな? ………芽衣ちゃんがいるもん………。』

 お嬢様の雪乃が、意外と堂々としているのに驚いた芽衣だったが、考えてみると、これだけのボリュームと綺麗な形のバストだから、これまでも制服の上から、男性たちの目に晒されてきたのだろう。慣れもあるのかもしれない………。そして、「診察」のくだりは、あまり追求するのは止めておこうと思った。

「芽衣ちゃん? 雪乃ちゃん? ………ちゃんと聞いていますか? ……………記憶干渉への防御法をきちんと聞いておかないと…………。どうなるか、試してみます?」

 隼人メンターの声に気がついて、芽衣と雪乃が慌てて精神体の交信を遮断する。

「あっ………。いえっ。ゴメンなさいっ」

 気をつけの姿勢になった芽衣と雪乃。改めてメンバーたちの視線を集めている自分たちが、下着しかつけていないことを意識すると、顔が赤くなる。

(…………私の胸の小ささが目立っちゃう………。雪乃の隣に立ってるの、失敗だったかなぁ…………。)

 芽衣が、また思わず余計なことを考えてしまう。いざ異性の目を気にすると、思春期の女子には悩み事が尽きない。雪乃も自分の体を見て、モジモジしている。以前言っていた、芽衣より太ももが太いということを気にしているのかもしれない。

 そんな2人の周りで、空気が急にシンと澄んでいくような気がする。かすかに震える高音。残響音のような振動を頭の奥にわずかに感じた。

(隼人さんに、何かされた?)

 芽衣が、訝し気な表情で、周りをキョロキョロと伺う。メンバーの皆は、興味深そうに芽衣たちを見ているだけで、特に何か言って来る訳でもない。芽衣はメンバー1人1人の顔色を見て、最後に、自分の体を見下ろす。下着姿になったはずの芽衣の体には、ショーツと、………そして胸のあたりに得体のしれない、白い布が巻き付いていた。

 芽衣はマジマジと自分の胸元を見る。…………これは何? …………。芽衣が恐る恐る、触れてみる。柔らかい繊維質のその物体は、芽衣の上半身を絞めつけるようにして括りつけられていた。隣の雪乃を見ると、彼女も、胸のあたりに布地のものを付けられている。キョトンとした顔で見下ろしていた雪乃が視線を彷徨わせると、芽衣と目が合う。

(………何? これ………。芽衣ちゃんが付けたの?)

 雪乃の目が、親友の芽衣に問いかけてくる。

(いや………私じゃない………………けど、私も、似たもの…………ついちゃってる。…………これホント、なんだろ?)

 似てはいるが、雪乃の胸にまとわりついているものは、色がピンクで、サイズがグッと大きい。縁にフリルがついていた。肩に、背中に布地が伸びている。

 絞めつけが不快になって、芽衣がちょっと乱暴に胸元の白い布を掴んで剥ぎ取る。オッパイがプルっと飛び出て、ずいぶんと楽な気分になった。オッパイの下から脇にかけて、布で絞められた跡が、赤く残ってしまっている。芽衣は不思議な気分でその赤い跡を指の腹で擦った。

「芽衣ちゃんたち、どうしたの?」

 隼人メンターが笑いを噛み殺しながら、聞いてくる。芽衣はやっと取れた白い布と紐で出来たモノを指で摘まみ上げるようにして、ユラユラさせた。

「いえ……あの…………。これ、何ですか? ……………私たちの体に、勝手についてたんですけど………。誰かの、悪戯ですか?」

 芽衣が聞いても、皆、クスクス笑うだけで、ちゃんと答えてくれない。隣の雪乃はまだ大きめの布を剥ぎ取るのに手間取っていたので、芽衣が手伝ってあげる。背中にプラスチックの留め具があることに気がついた芽衣が、想像力を駆使して、爪を使ってその留め具を外してあげると、肩の紐が緩んで、一気にその布地が捲れ下がる。ブルルンッと迫力のあるバストが零れ出た。小さな拍手が沸き上がった。

「ねぇ、芽衣ちゃん…………。この変な布………。ここに白いのがついてて、数字があるよ。…………トップ98………アンダー80………サイズD」

「…………ほんとだ………。私のは違う数字だよ。………………74………アンダー63………サイズA。あとドライクリーニング駄目ってマーク。これ、服なの?」

 意外と生真面目な啓吾さんがメモを取っている。ブリーフ1枚の姿で、メモを取るその様子は、なんだか、間が抜けていた。

「芽衣ちゃんのは…………、この留め具みたいなのが、2つあるんだね」

「そうだ………。こっち側で留めてたからかな。すっごくオッパイが寄せられて上げられてて、ちょっと苦しかった」

「あと中のフカフカが結構ぶ厚い………」

「………ホントだ。…………なんでだろうね?」

 始めて見る、服なのか装飾具なのかもよくわからない繊維質のモノを、芽衣と雪乃が真剣な顔で見つめたり、交換し合ったりして話し合う。2人だけの世界が出来上がりそうなところに、オジサンが割りこんで来た。

「それ、面白そうだね。………オジサンが持って帰って、調べてあげよっか?」

「………へ? …………あ、…………はぁ…………」

 芽衣が素直に啓吾さんに白い布を手渡す。………そもそも芽衣のモノなのかどうかもわからない、得体のしれない物体なので、手放してしまっても、なんとも感じない。啓吾さんは、「まずは匂いから確かめないと………」とかブツブツ呟いていたかと思うと、急にその布をクシャっと顔に押しつけて、仰け反るくらい大きく深呼吸をした。

 横を見ると、学さんが雪乃に貼りついていたピンクの布で、同じような深呼吸をしている。

「………ちょっとミルクの匂いみたいなのがするな………」

「…………じゃ、次は味を…………」

 即席の研究者たちが色々と弄ろうとしたところで、隼人さんが人差し指をシュッと上に突き上げる。

「はい。記憶干渉、解くよ」

 指をクルッと回して空中に輪を描いた。その途端、芽衣の顔は青くなる。

「………それ、ブラッ! ……………返してくださいっ」

 慌てて啓吾の両手から、大事なブラジャーをふんだくる。芽衣の大切なブラジャー。この前、買ったばかりの、外では美乳効果、家の中では育乳効果があるという、アジャスター付きの高価なものだ。………どうしてブラジャーの存在を忘れたりしたのだろう。芽衣は恥ずかしさと情けなさで、ベソをかきそうになりながら、大急ぎでオッパイをカップに入れて、ストラップに腕を通して、背中のホックを留める。…………印刷されたサイズまで、皆の前で読み上げていた自分を、張り倒したい思いだった。

 皆に背中を向けてバタバタとブラを着けている芽衣と雪乃。メンバーたちは笑いながら感想を交換している。

「いや、さすが隼人さんの記憶干渉は強力ですよ。………僕はブラジャー着けていることを忘れるとか、つけるのを度忘れするとかっていう干渉がやっとだけど、メンターの技だと、なんかブラジャーっていう概念自体がスポッと芽衣ちゃんたちの頭から抜け落ちて消えちゃってる感じでしたよね」

「そう………ブラジャー周りの記憶ごと消えちゃった感じで。きっと彼女たち、ブラの目的、必要性といった概念も消えちゃったせいで、さっきは、オッパイを隠したいとか守りたいとかっていうニーズ自体、忘れてた感じでしたよね。………ここが凄いよなぁ………」

 学さんや啓吾さんが、通っぽく隼人メンターの技術を賞賛する。上機嫌なやり取りが、いちいち芽衣の羞恥心を刺激した。まんまと皆の教材にされてしまって恥をかいた自分が情けない。けれどメンターの話の間に、他事を考えていたのは自分だし、NASCの技法がプレゼンされる間、うまく抵抗するのも参加メンバーの腕次第………。オッパイを見られて恥ずかしくて悔しいのに、芽衣にクレームを入れる余地は無かった。

「今度、僕も、飲み屋のお姉ちゃんたちの服とか下着とか、全部忘れさせてみようかな。15分だけ………」

 呑気に語る啓吾さんをジトッと睨む芽衣。それでも、隼人さんの話が再び始まったら、集中して聞き入る。精神体への干渉、共振を日常生活で駆使するためには、周囲への記憶干渉という技法は、きちんと学んで置きたいと思った。そして何より自分自身でその絶対的な効果を体感して、この魔法のような技術を習得したいと思ったのだった。

。。。

 木曜日の夕方、芽衣は雪乃のショッピングに付き合って、駅前のモールに行く。ショップの季節はいつも1ヶ月ほど先行している。まだ外は残暑がしつこい日々なのに、ディスプレイされているのは秋物ばかり。中には冬物のセールを始めているお店まである。芽衣も眺めていると気になるお洋服はあるのだが、高校生の財布の中身は衝動買いなど許してくれない。それでも雪乃に引っ張られて色んなお店を眺めながら、様々な服を着た自分と、ベストマッチする陸都とのデートシチュエーションなどを妄想しているだけで、楽しい。

「芽衣ちゃん、こっちのワンピ、モコモコして可愛い」

「それちょっと、着る時期、選ばない? 厚手のワンピでノースリーブって、いつ着るの?」

「季節感、難しいかな?」

「………ま、亮也さんの隣に立ったら、あんまり季節感とか要らないのかもしれないけどね」

 雪乃が少し目を上に上げて、真剣にイメージしている表情になる。芽衣の頭にも、ムキムキの亮也さんがタンクトップで立っている横に、色んな服を着た雪乃が浮かんでいる。どれもミスマッチというか、逆に正解というか、………あまり季節感は必要ないような気がする。

「ショッピングやめて、お茶でもする? ………結構歩いたよね」

 芽衣が優しさで話題を変えてみる。

(…………芽衣ちゃんもウィンドーショッピング、楽しんでるくせに………。)

 雪乃は、面倒くさそうな表情をしている芽衣の顔と、彼女のお尻の上から浮かび上がっている、精神体の尻尾を見比べてみる。尻尾は芽衣の表情とは裏腹に、元気にブンブンと振られている。

 雪乃は妄想デートを頭の中で満喫して赤面している友人を引き連れて、さらにいくつかお店を回った。雪乃の家はお金持ちだが、彼女のお小遣いは常識的なレベル。選び抜いた一品を、賢く買わないといけないのは、芽衣と同じだった。そしてお気に入りのブラウスを見つけたお店が、つい30分前にタイムセールを終了していたことに気がつく。雪乃は昨日のレッスンを試してみることにした。

 芽衣よりもゆっくりと技法を身につける雪乃は、2分ほどお店の角から店員のお姉さんに念を送る。優雅に接客していた20歳くらいのオシャレなお姉さんは、ある時点で喋らなくなって、顔が向いている方向を、そのままボーっと見つめるようになる。営業スマイルが少し緩んだ、無表情と笑顔の中間くらいの表情で、見とれるように遠くを見つめて、立ち尽くしていた。

「………あの………、すみません、………このブラウス…………」

 雪乃がおずおずと近づいて、呼びかけると、店員のお姉さんは急に我に返って、驚いたように雪乃のいる方を振り返る。

「はいっ…………失礼しました。……………あっ……………お取り置きのお客様ですね。………ごめんなさい。ちょっと、ボーっとしちゃってました」

 年下のお客さんに対して、少しだけ率直に話して笑顔で取り繕う店員のお姉さん。雪乃も笑顔を崩さない。

「タイムセール中、忙しかったんですよね。………それで、このブラウス………」

「えぇ。もちろんセール価格で結構です。先ほどは応対に手が回らずに、失礼いたしました。ちゃんとタイムセールの時間中に、お買い上げと決めて頂いていましたので、3割引きで結構ですよ」

「………きゃっ。予算内っ」

 雪乃が両手をパチンと叩いて飛び上がる。ひらりと振り返って、芽衣にガッツポーズを送るが、芽衣はちょっと複雑な表情しか返せなかった。

(うーん…………。これも、さっきまではタイムセールで3割引きだったんだから、商品を盗ったり、無理な値引きをさせたりっていうのとは、違うけど…………。ズルはズルだよね………。………いいのかな………。)

 お勘定を済ませると、スキップするような足取りでお店を出て、店員さんから商品を受け取って芽衣にVサインを見せる雪乃。芽衣は買い物が上手くいって、テンション最高潮の雪乃を、冷静にたしなめた。

「雪乃………。やっぱりこれってまた、マスター警告案件じゃない? 別に騙し取った訳じゃないけど、時間限定の値段づけとか、お店も色々と計算してるはずのところを、ズルするって、………結局は誰かの迷惑に繋がると思うし………」

 雪乃は頬っぺたを膨らませた。お嬢様は大抵のトラブルは、こうやって可愛くムクれて見せることで、くぐり抜けて来たのかもしれない。

「でも、隼人メンターも、技法の上達のためには、すぐに実践って言ってたよ。私はそれでなくても、芽衣ちゃんより習得が遅いし………。………それに」

 雪乃はお店のロゴの入った紙袋を持っていない方の手で、芽衣の手を握った。

「昨日、この技法を教えてもらった時、………私たち、胸まで見られちゃったんだよ? 会のメンバーではあるけど…………、彼氏でもない人たちに。そのぶん、ちょっとは良いことないと、私たち、一方的に損だと思わない?」

 そのことを指摘されると、芽衣の頬はすぐに真っ赤になる。ブラジャーの存在を完全に忘れてしまった芽衣は、パンツ1枚の姿で、オッパイを隠そうともせず、無邪気にブラを啓吾さんに手渡していた。嬉しそうに芽衣のブラの匂いを嗅いでいる啓吾さんを、胸丸出しのままキョトンと見守っていた芽衣。自分の姿を思い出すだけで、肩がプルプルと震えてくる。

 しばらく考えた後で、芽衣は覚悟を決めた表情で雪乃を見る。

「…………だったら、…………もっと正攻法で、鬱憤晴らすべきなんだよ………。きっと」

。。。

 金曜の放課後、芽衣と雪乃は市の図書館に行く。レンガ造りの古い建物は、市の文化財になっているらしい。平日の夕方でも、利用者は思ったより多かった。

(確か………この階の自習室に……………、あ…………いた………。)

 芽衣は何十人もの若い人やお年寄りが机に本を積んで、伏せるように読書や自習をしている中でも、簡単に川辺伊吹を見つけ出すことが出来た。別に伊吹が目立つ格好や外見をしているわけではない。どちらというと、どこにでもいる、地味な外見。それでも、芽衣にとっては、沢山の受験生の中からでも、伊吹のことは簡単に見つけ出すことが出来る。たぶん、スピリチュアル・パートナーだからだろう。

 近づいても、伊吹は芽衣たちに気がつかない。真剣な顔で本を読みながらノートを取っていた。いつもの芽衣を穏やかに相手する、優しい雰囲気の伊吹とは少し違う。集中している伊吹の横顔は、少しだけ男らしかった。

「ね………、伊吹………。邪魔してゴメンね」

「………うわっ………。びっくりした…………。なんで芽衣ちゃんここに? …………僕、呼んだっけ?」

 伊吹が大きな声を出すと、周りの人たちが本から目を離して、伊吹と芽衣たちを見る。少し離れたところから、咳払いの音も聞こえた。芽衣も伊吹も肩をすくめる。雪乃も身を縮めていた。

(…………呼んでないし………。呼ばれたからって、ホイホイ来ないよ、別に。今日は私たちが貴方に用があるの。)

『……………えぇ? …………それで僕も協力して、啓吾さんたちの記憶を消すの?』

『そう。………だってあの人たち、私たちのオッパイも見たし、私なんてブラの匂いまで嗅がれたんだよ? …………そもそも、あの人たちの日常では、もっと色んな女の人たちの裸とか見てるくせに、いまさらなんで私たちの裸まで見て喜んでるの? 男の人って、いい加減、飽きないの?』

 伊吹と、隣の席に座った芽衣とが、精神体の振動で更新する。

『それは………前にオジサンに聞いたら、やっぱり別腹なんだってさ………。啓吾さんに言わせると、一般の人たちの裸って、週刊誌のグラビアにAV女優が水着姿見せてるみたいなもんで、あんまりありがたみがないんだってさ………。それが、おんなじ立場のNASCの使い手のセクシーショットとかは、特別感あって、…………清純派女優とかアイドルのギリギリショットみたいな、ありがたみなんだって。』

『…………NASCメンバーの男性心理を、別のオヤジ目線の例で説明されても、余計わかんないんだけど………。』

『私たち、アイドル? 女優? ………きゃっ………恥ずかしい。………そんなぁ………。』

 雪乃もモジモジした心の声を共有してくる。外から見ると無言の3人だが、図書館の自習室の中で、3人の心の声は、遠慮なく飛び交っている。

『でも、あの人たちは僕らより精神体操作の経験者だから、抵抗されたら、記憶への干渉なんて、難しいと思うんだけど。』

『だ、か、ら、………伊吹に協力を頼んでるの。………私は波長の上限下限の幅とか、波長の強さとかには自信があるけれど、貴方みたいな精度の高い精神波生成が出来ないでしょ? 私たちが協力すれば、きっと、啓吾さんや学さんのガードも無効化出来ると思うんだ。』

 しばらく考えていた伊吹が、鼻から溜息を漏らす。

『…………で、消すっていつの記憶? 一昨日のことだけ? ………だってこの間なんて、精神体の共有ビジョンで、芽衣ちゃんが裸でオナニーしてるところとか、皆で見てたでしょ? ………そういうの言い出したら、きりがないよね……………。あ、いや………………。今の無し、忘れて………。』

 伊吹が、口を滑らせたことに気がついて、慌てて撤回しようとするが、芽衣の頭は瞬時に沸騰していた。恥ずかしさも入り混じって、怒りが頂点に達したのだ。

「あれは、アンタが勝手に私の中に入ってきて、やったんでしょっ! 私が毎晩オナニーしてたのは、貴方のせいじゃない。きちんと責任とってよねっ!」

『……あの………芽衣ちゃん。声に出ています……。』

 雪乃に言われてハッと気づく。喉の感触と、広い自習室に響いた自分の叫びの反響で、心の会話のつもりが、無意識に口から飛び出ていたことを理解した。数十人のノートを取る手が、ページをめくる手が止まっていた。

 真面目そうな司書のお姉さんが、物凄く逡巡しながら、注意をしに来る。その人の顔が真っ赤になっていて、こちらが申し訳なくなるほどだった。

「あの…………図書館では………お静かに……………お願いします」

 自分が叫んだことが、周りの人たちにどう受け取られているかを考えると、芽衣の恥ずかしさは限界を超える。こめかみのあたりからプシューと煙が出た気がして、芽衣は机に突っ伏した。オデコが木材にゴンッと当たった。

「………すみません。すぐ死にますから…………。どうぞお構いなく………」

 やっとのことで司書さんに返事をした吉住芽衣。親友の雪乃にも、かけてあげられる言葉は見つからなかった。

「芽衣ちゃん………。近くの人たちとか………、記憶干渉してみる?」

 遠慮がちに、伊吹が恐る恐る聞いてくる。………芽衣は突っ伏したまま、少し考えたあとで首を横に振った。

「いきなりこんな人数、無理だよ。………隣の部屋まで聞こえたでしょ? 何十人もの記憶を弄らせてもらうくらいなら、いっそ私が…………」

「今の芽衣ちゃんと伊吹君なら、出来るかもよ? …………協力は必要だと思うけど…………」

 不意に、聞き慣れない女の子の声を聞いて、芽衣は顔を上げる。伊吹と雪乃が振り返った先には、ベレー帽をかぶった、中学生くらいの可愛らしい女の子がいた。

「精神体の波長から、本当に喋ってるのが誰か、わかるかな?」

 淡々と、さも出来て当たり前とばかりに話す口調。そしてこちらに響いてくる、女の子に憑いた精神体の奏でる響きは、声紋のように芽衣にある特定の個人を思い出させた。

「………隼人さん………ですか?」

 自分よりも背の低い女の子に対して、先生に質問するような口調で芽衣が尋ねる。ベレー帽の女の子はクスっと笑った。

「さすが芽衣ちゃん。勘が良い。たまたまこの近くを通りがかったら、『死ぬる~』とか、『いっそ殺せー』とか、聞き慣れた心の叫びが聞こえて来たんで、見に来たよ。チューニングがあったのが、この子の体だったから、ちょっと借りたんだ」

 隼人さんの喋り口を聞いているうちに、雪乃も伊吹も理解した。そう言えばこの図書館は、NASC武蔵野のメンバーがレッスンに集まる、『グラス&ウール』にも近い。………また、芽衣の人生の黒歴史が増える瞬間を、隼人さんに知られてしまった。芽衣が恨めしそうに、ベレー帽の美少女の体と伊吹の顔とを交互に見ている間に、隼人さんは不穏な笑みを浮かべた。

「芽衣ちゃん、そこに立って、両手を横に水平に伸ばしてみて。………そうそう。それで伊吹君は、芽衣ちゃんの背中に手を当てて。………肩甲骨の間、背骨を手のひらで包み込むような感じかな? …………それで、伊吹君が念じる。図書館の皆さん、10分前からの記憶を無くしましょう。ってね。芽衣ちゃんは、伊吹君の精神体の振動を素直に受け入れて、出来るだけ遠くまで拡散させるイメージ。伊吹君の精神波を読み取ることは意識しなくていい。ただ、波動を倍増、4倍増させるんだ」

『……………こんな…………感じですか………ね。………………皆さん…………。僕の精神干渉を受け入れなさい…………。10分前から、今までの記憶を失う。…………綺麗に無くなります。』

 芽衣は直立して、ただただ背中から来る精神波の振動に共振して、それを増幅することをイメージした。自分で思っていたよりも、伊吹と芽衣の、一体となった精神波は大きな振幅を作っていく。芽衣たちのことをチラチラ見ていた男子学生や、本に集中していたオバサン、ノートを取っていた学生さんたちが、急に目から光を失ったように、ボーっとした表情で前を見る。心が、精神体が、柔らかくなっていくように感じられた。

 伊吹が念じるのをやめると、芽衣も自然に、横に伸びていた両腕が下がっていく。周囲を見回すと、静かな、本当に静かな混乱が自習室を支配していた。読んでいた小説の筋を急に追えなくなって、怪訝な顔で数ページ戻っている人、自分で取っていたノートを、不思議そうな表情で読み返して、ポカンとしている人。近くまで来ていた司書のお姉さんは、困ったように周りを見回して、なんで自分がここにいるのか、思い出そうとしているようだった。

「なかなか凄いでしょ。君たちのペア。伊吹君の精度と、芽衣ちゃんの精神波を作り出す力の幅がベストマッチだから、2人で協力すると、こんなことも出来るんだよ」

「…………あの………。貴方、どなた? …………今、精神波って言っていたけど…………。この子もメンバーなの?」

 キョトンとした表情で、雪乃がベレー帽の女の子の手を取る。つぶらな瞳をパチクリさせながら、芽衣と伊吹を見る。その様子は、ふざけているような雰囲気では全くなかった。

「雪乃ちゃんの………記憶も、消しちゃった?」

 伊吹が、芽衣と顔を見合わせながら呟く。芽衣も少し怖さを感じていた。

「雪乃ちゃんのガードでは、芽衣ちゃんが増幅した精神波を遮れなかったみたいだね。雪乃ちゃんの増幅器としての優秀さは、天性のものかもしれない」

 女の子の声に似合わないような、先生口調。隼人さんの表情は余裕を見せながらも満足そうだった。

「干渉力の強さの割に、芽衣ちゃんのガードがなかなか上達しないから、もしかしてと思っていたんだけど、君は霊媒体質というか、増幅器として素質があるんだと思う。………せっかくだから、伊吹君、もっと試してみなさい。…………ここにいる皆さんの記憶の蓋を強化するようなこと………。わかるね?」

「…………あ……………………はい………。…………芽衣ちゃん………、ちょっとゴメンね」

 少し迷ったあとで、伊吹がおずおずと手を伸ばす。また芽衣の背中に、伊吹の手が触れる。ほとんど同時に、芽衣の両手が、指先までピンと伸びた形で水平に上がった。自分が自動開閉式のアンテナにでもなってしまったような気分だった。芽衣は伊吹がどんな精神波を送ろうとしているのかもわからないうちから、その波動を増幅するための準備をしている。そんな自分が、まるで自分でなくなったかのような、恐怖を感じた。

 シュイ―――ン…………と、芽衣から出た精神波が、図書館を覆っていく。芽衣は自分の増幅した精神波の伸びが、予想以上に長い射程をカバーするものだったので、驚いてしまう。感覚的には、まだまだ遠くまで伸ばせるという気がした。

 芽衣は両手をピンと真横に伸ばして、増幅器の役目を果たしている間、伊吹がどんな精神波を送って、周囲の人たちの精神体を共振させているのか、わからない。しかし周りの人たちに影響を及ぼしているということは、目で見て理解出来た。

 ボンヤリした目の人たちが、急に周りの目も憚らずに、自分のシャツのボタンを外す。ズボンのベルトに手をかける。服の上から、自分の体を触り始める。最初は遠慮がちに、そして少しずつ大胆に、みんなが自分の体を両手でまさぐっていく。

「雪乃ちゃんはちょっと寝てようか。………そのブラウス、新しいものかな? シワがつくと困るでしょ」

 中学生の女の子の、労わるような口調が聞こえる。膝から崩れ落ちるようにして床に寝そべる雪乃。昨日買ったばかりのブラウスの、胸元がはだけて花柄のブラが見えてしまっていた。視界の隅でそこまでは確認したのだが、今の芽衣は顔を向けて親友の状況をしっかり確認することも出来ない。直立不動の増幅器になってしまっているからだ。

『伊吹………。皆に変なことさせるの、やめてよ。………可哀想でしょ?』

『いや、あの………。隼人さんの意志には…………逆らえないよ………。ゴメン…………。』

 年齢も性別も違う、図書館の利用者の人たちが、公共の場所で人目も気にせずに1人エッチに没頭している。男の人たちはほとんどが、ズボンとパンツをすねまで下ろして、おチンチンを手でしごいていた。女の人たちはショーツの中に手を入れてクチュクチュ音をさせたり、胸を弄ってくぐもった声を漏らしていた。一緒に勉強にきた仲良し男女の学生グループは、見せつけ合うようにお互いの裸を晒して、向かい合ってオナニーをしている。何かの調査に来たような大学生のお姉さんは、下半身だけ裸になって、机の上で両足を広げて両手で性器を弄っては仰け反っている。芽衣は目のやり場に困っているのだが、顔を背けることも出来ない。視界に入っている真面目そうな司書のお姉さんは、タイトスカートを脱ぎ捨てて、大事な本の背表紙を太腿で挟み込むようにして、大切な場所を擦っていた。

 大きなオッパイ、形の良いオッパイ、柔らかそうに垂れ気味のオッパイ、ツンと上向いたオッパイ。芽衣は、無意識のうちに自分のものよりも小さそうなオッパイを探している自身に気がついて、恥ずかしくなる。それでも、次々と女性の衣服の下から現れる丸みに目が入ってしまう。

 上の階の資料室でも、下の階の一般図書スペースでも、そこにいる人たち全員でオナニーに励んでいる。精神体の共振具合と、図書館全体の温度が上がっていることから、それがわかる。次第に人々の喘ぎ声が大きくなっていた。

「記憶というのは網を張って保存されるものだからね。消したつもりの記憶が、何か関連する記憶から辿られて、不意に思い出してしまうということもある。念を入れるには、こうやって、その周辺のことを思い出したくもない、と、心底思ってもらうのが、一番効果的だよ。…………あとは、芽衣ちゃん伊吹君カップルの、増幅効果も試してもらいたいしね………」

 隼人さんがクスっと笑う。芽衣はこのメンターの目的は後者の方が大事だったのではないかと、いぶかしんだ。

『………せめて………、早く終わらせてあげよっか。…………皆さん、イってください。』

 伊吹が念じる。自習室の人たちが、仰け反って体をビクンビクンと波打たせた。青臭い匂い、甘酸っぱい匂い。図書館に似つかわしくない、イヤらしい空気が充満した。真面目そうな司書のお姉さんは、床に寝そべって、いつまでもヒクヒクと腰を痙攣させていた。学生さんの男女グループは、お互いの裸に、恥ずかしい液をかけあってしまっていた。立っていた人たちは膝から崩れ落ちる。全員、エクスタシーの強烈さに耐え切れずに、失神してしまったようだった。気を失って床に寝そべる半裸の、そして全裸の人たちは皆、うっすらと、幸せそうな笑みを顔に浮かべていた。

「雪乃ちゃん………。起きられる?」

 中学生女子の声で、隼人さんが呼びかけると、はだけたワンピースで寝ていた芽衣の親友は、ムクっと起き上がる。周りを見回して、顔を赤くしながら、ファスナーの下がったワンピースを直す。そして、不意にハッとした表情になると、太腿を慌てて閉じた。

「やだっ……………。…………私………。ちょっと、おトイレ……………」

 恥ずかしそうに洗面所へ急ぐ雪乃は、不自然なくらい内股で短い歩幅で駆けていく。芽衣の隣に立つ隼人さんが、ピューと小さく口笛を鳴らした。

「雪乃ちゃん、深く眠らせてたのに、伊吹君の精神干渉が届いて、イッちゃったみたいだね。…………2人のコンビネーション。僕が思ってたよりも、強力だよ」

 雪乃は先にトイレに行けて良かった。その後、1時間近くは、図書館の利用者が次々と、困った顔、恥ずかしそうな顔でトイレの前に行列を作って、グチョグチョになった下着を洗ったり、体を拭いたり、身だしなみを整えたりした。伊吹は全員に、『これはとても恥ずかしい思い出だからすぐに忘れよう。周りの人たちのことも変に思ったりせずに、静かに家に帰ろう』と念じた。その精神波を芽衣がまた、増幅させられた。尻尾で繋がっているスピリチュアル・パートナーだからか、それとも隼人さんに何か仕掛けられたせいなのか、芽衣は伊吹が芽衣を増幅器として使おうとしていると感じると、拒むことが出来なかった。プログラムされた機械のように、気がつくと両手を水平に伸ばして、精神波の振動を増幅させる準備をしてしまっていた。

 利用者の人たちと一緒に帰ろうとしていた司書さんと清掃員さんは呼び止めて、後片付けをお願いする。いつもよりも仕事を増やしてしまったことは申し訳ないが、大切な本が汚れたまま、散らばったままになっていては図書館として一番困ったことになる。少し長めの残業になると思うけれど、共振の技法を使ってお願いした。妙にスッキリとした表情になっている司書のお姉さんは、テキパキと後片付けを始めてくれる。その様子は、まるで憑き物が落ちたような、爽やかな仕事ぶりになていた。

 。。。

「隼人さん、あれ、一体何のつもりだったんですか? ………みんなの記憶を弄らせてもらうだけで充分だったと思うんですけどっ」

 土曜日の「グラス&ウール」に入るなり、カウンターに駆け寄った芽衣は、いつもよりも強い口調で隼人メンターを問い詰める。隼人さんは、今日もいつもの席に腰かけて、穏やかな表情で芽衣たちを迎え入れる。大雅マスターは眉を上げて、少し芽衣をたしなめるような表情を送ってくる。けれど吉住芽衣は止まらなかった。

「私、確かに隼人さんに色々と不思議な力のことを教えてもらって、良い目も見ちゃいましたけど、それでも、多勢の人たちに迷惑をかけたり、弄んだりして楽しみたいっていう思いはないです。教えてください。隼人さんは、どういう目的で、このNASCっていう技法を極めようとしてるんですか?」

 隼人さんは、余裕の表情を崩さずに、手のひらを上に向けて、右手を芽衣に差し出した。

「僕、最初から説明してるつもりなんだけどな。ニューエイジ・スピリチュアル・コミュニケーションは、精神体の運動を活発化させて、現代人のコミュニケーション能力を進化させる。その先に、人類をさらに高次元の存在に引き上げることが目的なんだ。その大目的に向けて、昨日芽衣ちゃんに開眼してもらった、精神波増幅の技法は、非常に重要なピースなんだよ」

 隼人さんの丸眼鏡の奥にある目の、眼力が少し強くなった気がする。芽衣は、気圧されないように自分を奮い立たせて、背筋を伸ばして立つ。師匠と対峙している姿勢だ。その芽衣に、隼人さんは柔らかい物腰で、エスコートするように手を差し出す。芽衣は、しばらく迷った末に、その手をとって握った。

「ちょっとアグレッシブに動くから、自分の精神体が拡散しちゃわないように、集中しててね」

 隼人さんはそう言うと、自分の精神体を肉体から浮き上がらせる。手を繋いだまま、芽衣の精神体も浮き上がる。

 バシュッ。

 空気の爆発音のようなものを聞こえると、一瞬、視界がオレンジに染まる。やっと視力が戻ってくると、芽衣は空にいた。下を見下ろすと、駅前のロータリーにいる。

『見て………、人類。精神体の振動もそれぞれ勝手気ままに、ゴチャゴチャしてて、ノイズだらけでしょ?』

「人類を見る」という行為を意識したことが無かったので、芽衣は一瞬戸惑った。駅に向かう人、駅前のショッピングモールに入る人、駅から出る人。土曜の駅前はいつも通りの混雑をしていた。精神体の波動はもちろん、何千という人たちが別個の振動をさせているので、聞き取ろうとするとカオスな不協和音になる。彼らはみんな、自分が精神体を震わせて、思考や思想、体調などの情報を垂れ流しながら歩いていることすら、気がついていないのだから、当然だ。

『オーケストラが、楽譜も持たず、指揮者も持たず、自分の楽器の正しい使い方もわからずに、無意識のうちに雑音を垂れ流している。これが今の人類の状態。これを少しずつ、NASCの技法で調和に導いていってあげるのが、僕らの目的だよ。』

 繋いでいた手を離した隼人さんが、芽衣のお尻のあたりに手を回す。尻尾を掴まれた。

『君のパートナーも呼んでみよう。』

 尻尾が短くなっていく感覚。気がつくと、伊吹の精神体がすぐそばに現れていた。

『………あれ? ………ここ…………。空……………ですか?』

『伊吹君。君のパートナーに、増幅器になってもらって。彼女はとても優秀なアンプリファイアーだよ。その素質を存分に活かしてあげないと。』

 少し迷ったあとで、伊吹が震える手を芽衣の背中に伸ばす。芽衣はそれと同時に、自分の両手が水平に伸びていくのを見守るしかなかった。

『ここら一帯だけじゃなくて、出来るだけ広く、伊吹君の精神干渉の領域を拡大してみて。…………皆を導いてみようか。手を上げても危険ではない状況の人たちは皆、その場で立ち止まって、右手を挙げて下さい。』

 絶対的なメンターに誘導されるまま、伊吹は精神波を芽衣に送る。芽衣を通して、その波動は遥かに大きな振幅となって、街中に放たれていく。下の駅前ロータリーで、歩いていた人たちが全員、一斉に立ち止まって、右手を挙げるところを見た。みんなそれぞれ自分が向いている方向を見据えながら、無表情の目で挙手している。年齢も立場も服装も違う人たちが、全員一緒の行動を取ると、異様に見える。芽衣はとにかく、怖かった。

『君たちは、おんなじ街に暮らしたり使ったりしている仲間だ。もっと愛情を持って仲良くしよう。近くの人たちと、ハグをして、キスをして、愛に満ち溢れた街にしよう。』

 急にモノクロの風景が彩り豊かなカラーフィルムに変化したように、挙手して立ち尽くしていた人たちが、表情を緩め、近くの人たちと抱き合ったり、キスを交わし合う。挙手したまま抱き合う男女。男同士で濃厚な接吻をする人たち、すれ違った女性同士で頬擦りしながら密着する人たち。かわるがわる相手を変えながら、駅前の群衆が情熱的なスキンシップを与えあっていた。目を見晴るかすと、喫茶店のテラスでも、路地裏でも、公園でも同じような光景になっている。それを見ていた芽衣は、精神体でも鳥肌が立つのだと、小さな発見をしていた。

 見知らぬ人の背中に腕を回して、オデコをくっつけ合いながら何か親密なことを囁き合っている男女。チークダンスをするかのように体を密着させている女の子にさらに後ろから抱きついている男の子。上司と部下らしいオジサン同士も激しいペッティングに励んでいる。少し頭をひねってみても、それは芽衣にとって、「人類愛」という言葉に相応しい光景とは思えなかった。

『やっと少し、雑音が止んだよね………。少なくとも全体で調和さえ取れていれば、酷い音楽であろうとも、それは音楽だ。』

 隼人さんが、ハミングするように心の呟きを送ってくる。芽衣は両手を横に伸ばして硬直したまま、悲鳴のような返事をした。

『これが………。隼人さんの考える、高次元なんですか?』

 クスっと彼の精神体が笑う。

『もちろん違うよ。こんなものはお遊び。本当の高次元っていうのは、人類の精神体をみんなくっつけて、統合した時に、上がれるステージだよ。みんながエゴもコンプレックスも捨てて、一体になれば、それが究極のコミュニケーションだ。………そう思わない?』

『みんな、一体に…………って、個別の人格とか、無くなっちゃうっていうことですか?』

 伊吹の心の呟きが芽衣の不安をさらに掻き立てる。

『今日は察しがいいね。伊吹君。全員が自分と同じ存在になれば、他人と争うことなんて考えなくなる。その時初めて、人類は別のステージに進むためにエネルギーを使い始められるんだ。』

 耳障りはとてもソフトで軽やかでも、とんでもなく不穏な響きがする言葉というものがあるらしい。芽衣は初めてそれを精神体の耳で聴きとっていた。

<第6話につづく>

4件のコメント

  1. 読ませていただきましたでよ~。

    ソノカちゃんがいい感じだったのでぅ。
    操られた上でそれを認識できずにそんな事をした自分に戸惑うっていうのはやはり素晴らしいでぅね。
    それがリアルタイムになってくるとみゃふが理想とする肉体操作になるわけでぅ(どうでもいい)
    体が勝手に動いてそれに戸惑い恐怖しながらも抵抗できないというのは素晴らしいでぅ。

    まあ、それはそれとして。
    隼人メンターが色々と怖すぎる。まさか最終目的が人類補完計画だったなんてw
    一つの精神体として一体化するのは高次元に行けたと言えるのか?
    確かに一つになれば他人との争いはなくなるけれど、争いがなくなった結果は緩やかな死にむかいそうな気もしますでよ。
    芽衣ちゃんは隼人メンターにどうでるのか。割と悪いことに使い始めてる雪乃ちゃんはこのままいけない子になってしまうのか。

    次回も楽しみにしていますでよ~。

  2. 読みましたー!

    さて、隼人さんの目的が明らかに……というか完全にラスボスムーブですねこれ。
    人類を一つに……人類全体を一つの体系として捉えて生産性の向上を図るならば究極的な効率化ではありますが。
    でも人類が一丸になって、その先に何があるんだろう……他星への侵略と支配?
    (実際、全ての個体が共通の意識と思考と持っている種族が実現すれば、他の種族との競争において相当な優位に立てそうです)

    記憶干渉でブラの存在を忘れさせるのは素敵です!
    脱げと命じるんじゃなくて、自らの意思で脱ぐように誘導するあたりが、こう、いいですね!
    しかし、下着姿でレッスンを受けるまでになるのは、もう相当流されてしまってますね……!

    次で最終回でしょうか。次回も楽しみにしています。

    1. ティーカさん

      毎度ありがとうございます。
      クラスが一つにまとまったら、
      先生、次の課程を教えまーす。みたいなものでしょうか。
      ちなみにブラジルの国旗は地球の絵柄に、「秩序と進歩」と書かれているそうです。隼人メンターの世界観と似てますね。
      芽衣、宇宙にも行くし、ティーカさんに頂いたコメント通り、時間軸も超えます。
      ステイホームの時節に、気持ち良く飛んでもらいたいものです。
      そんなこんなで、この話もあと一話です。
      お付き合い頂きまして、誠にありがとうございます。

  3. みゃふさん

    いつも感想ありがとうございます。
    ソノカに引っかかって頂いたのは嬉しかったです。
    MC好きは好みが多様ですから、脇役のワンシーンも時には良いフックになりますね(笑)。
    隼人や芽衣、雪乃にどんな結末があるか、あと1話お付き合い頂けますと幸いです。

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