黒衣の魔法使い

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 そこは、リムルスーン共和国の一地方都市の中でも、ならず者が集まるという評判の酒場だった。怪しい煙が充満した室内に、これまた怪しげな客が顔を突き合わせてなにかを囁きあっている。
 そんな中、ならず者と比べても一際異彩を放っている影が、壁際に一つ。上から下まで、漆黒のローブに身を包んだ魔法使いである。食事の為にフードを下ろして晒したその顔は、恐ろしい傷に覆われていた。切り裂かれた傷、焼かれた痕、そして、潰されたとおぼしき右目・・・どれほどの罪を負えば、ここまで酷い拷問を受けるのだろうか。魔法使いにとって幸いな事に、この場では他の人間について詮索しないという不文律があり、奇異の目に晒されない事だった。

「ここにっ、アクアレードさまは・・・いらっしゃいますかっ」

 そう叫びながらドアを開けて入って来たのは、見た目14,5歳位だろうか、明るい色のローブを纏った少女だった。唯一見える部分───顔は、整ってはいるが、微妙に違和感が感じられた。その原因を判らないまま、酒場に居た男達はやじった。

「お嬢ちゃん、ここは子供の来るところじゃないぜ。食われる前に、帰った帰った」
「食われたいんじゃないのかぃ。へへっ」

 いくら『他人に対する不干渉』が不文律とはいえ、それは子供・・・ましてや女の子に対しては適用されない。第一、店の静寂をかき乱したのは、少女の方である。男達の野卑な声に、少女は何を言われているのか判らない、といった表情を浮かべた。

「あ、あの・・・こちらでアクアレードさまのオーラを感じましたので、つい・・・」
「あぁ、アクアレードね、俺のダチだぜ。ヤツんところに連れてってやろうか?」

 声をかけたのは、軽薄そうな表情を張り付けた男。卑屈な笑みの奥に、獲物を見つけたハイエナのような濁った光がある。

「えっ?ここに居るんじゃないんですか?なんか煙ってて、オーラが良く見えないんですけど・・・」
「ここじゃないけど、近くだって。さぁ、行こうぜ」

 男は手馴れた様子で少女の肩に手を回した。出口に向かって少女を誘導すると、その背に声がかけられた。暗く・・・力強い声。

「別に、おれはお前と”ダチ”になった記憶は無いな」
「んだとっ!」

 男が振り返ると、食事を終えた黒衣の男が立ち上がった。背が高く、魔法使いに特有の肉体的な脆弱さは感じられない。そして何より、その左目に宿る光が、男を圧倒した。

「アクアレードさまっ。探したんですよっ!とっても心配したんですからっ」

 男の手を振り解いた少女は、魔法使い・・・アクアレードに駆け寄った。その顔は喜びに満ち溢れて、整った顔を、いっそう美しく見せていた。

「サラサ・・・なぜ、来た?」

 その冷たい言葉に、少女は少しだけ悲しそうな顔をして、それでも気丈に顔を上げて微笑んだ。

「アクアレードさまがお亡くなりになったと聞いたんですけど、私にはアクアレードさまのオーラが感じられましたので・・・」
「それで?」
「なにか、トラブルがあったのなら、お手伝いできるかと思って・・・」

 その目に真摯な光を浮かべ、少女は・・・サラサはそう言った。その時、ようやく回りの男達の間から、不審の声があがった。

「おい・・・そいつ、人間じゃねぇぞ!魔族だ!」
「なっ!ホントかよ」
「目だよ、目!人間の目じゃねえっ!」

 そう、サラサの瞳は瞳孔が縦にのびていて、まるでネコの瞳の様だった。人のものでは有り得ない目を持つ少女・・・それは、人よりも魔に近しい存在・・・魔族の刻印だった。男達の目が欲望に鈍く輝いた。

「捕まえて、売っ払っちまおうぜ」
「あぁ、魔族の女ともなれば、いい値が付くぜ」
「へへっ、飛んで火にいる何とやら、だな」

 入り口をふさぐ様に立った男達は、ゆっくりとサラサに詰め寄った。じわり・・・男達の圧力に押されるように後退る。そのサラサの前に、まるでかばう様に闇よりも暗い影が歩を進めた。

「なんだ、てめぇは」
「・・・保護者だ」

 先程サラサを連れ去ろうとした男が代表するように前に出るが、発散する迫力の桁が違う・・・腰が引けているのが手に取るように判ってしまう。怯える自分を認めたく無いのか、男はさらに前に出る。

「この国じゃ、魔族に市民権は無ぇ。どうしようが俺達の勝手だ。見逃す手は無ぇなぁ。そうだろう、みんなっ!」
「おぉっ!ここは人間の国だからな!!」

 その声に勇気付けられた様に、同意の声があちこちで上がる。アクアレードは特に気にした風でも無く、厨房に顔を向けた。

「親父、店を多少荒らすぞ。修繕費の取り立てはこの男達からするがいい」
「ほぉ、この人数相手に勝つつもりかい?」
「負けてやる必要は無いからな・・・。安心しろ、命だけは助けてやる」
「そいつは・・・ありがとうよっ!」

 男がそう言うと同時に、投げナイフを投擲した。距離は3歩と離れていない以上、必殺の間合いの筈だった。少なくとも、男はそう信じた。自分の右肩に、投げた筈のナイフが刺さるまでは。

「があっ」

 悲鳴を上げつつ倒れる男を見て、他のならず者は言葉も無かった。それどころか、何があったかも理解出来ていない。何も無かったかの様に歩を進めるアクアレードとサラサに、我に返った男達が襲い掛かるが、結果は悲惨なものだった。武器を持って襲い掛かった者は自らの武器で、素手で襲い掛かった者はその部位を、自分自身で傷付けて床に崩れ落ちる事となった。 一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図と化した酒場を、アクアレードはサラサを伴い後にした。

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「そんな事があったのですか・・・」

 アクアレードが泊まっている宿で、サラサは泣きそうな顔で呟いた。アクアレードがソーサリー王国を追われる事になった顛末を聞いての事である。ひざの上で握り締めた手が、サラサの悔しさを表現していた。
 今は、サラサはローブを脱いで、ベッドに腰掛けている。そうしていると、人外の美しさが際立った。猫のような瞳孔、長くとがった耳、腰まで届く金色の髪。
 サラサは、夢魔と人間のハーフで、アクアレードが北の蛮族の侵攻を阻んだ時に、偶然助けた少女だった。蛮族の呪術者に封じられたサラサの力を解放し、二人で力を合わせて蛮族と戦ったが、アクアレードが王国に戻る際に、アクアレードはサラサの想いに気付く事無く、別々の道を進んだのだった。それは、今から2年以上も昔の話である。

「おかしいとは思ったんです。一時期急にアクアレードさまのオーラが弱まったり、蛮族の侵攻を食い止めて王城に戻った英雄が死亡したという噂が流れたり・・・」
「ふん。さすがに叛逆者としての汚名までは着せられなかったようで、な・・・。」
「でも!そんなの酷過ぎますっ!アクアレードさまは約束を果たしたのにっ!」
「それが、権力というものなんだろうさ」

 自嘲するかのように呟くアクアレードに、サラサはこの話題を続けることが出来なかった。かわりに、これからアクアレードの為に行動を共にする事を、心の中で誓った。

「これから、どうするのですか?」
「まずは、力を手に入れる」
「ちから・・・ですか?」
「あぁ、国をも滅ぼす事の出来る・・・圧倒的な力だ」
「ならば、私もお手伝い致します。私の瞳の力・・・ご存知ですよね」

 サラサの瞳は、”夢魔の瞳”である。多対一の戦いには向かないが、使い方次第で強力な力を発揮することが出来る。それは、生きている存在であるならば、人も獣も関係無く行使できる力だった。

「いや、私怨だからな・・・。サラサを危険にさらす気は無い」
「いやです。私は一度、アクアレードさまに命を救って頂きました。私怨と言えど、アクアレードさまの願いであるならば、ご恩返し致します。・・・なんて言っても、ダメですからね」

 少し弾んだ声でサラサは言った。けれど、その目には確かな意思を浮かべている。アクアレードに、その意思を翻す事は出来そうになかった。

「・・・済まない・・・」
「ふふっ、いいんですよ。だって、アクアレードさまのお役に立つのが、私の願いでもあるんですから」
「そうか・・・」
「あ、それで、力の当てがあるんですか?」
「あぁ、情報屋ををあたって、古代遺跡を調べてもらっているところだ」
「古代遺跡・・・ですか?」

 古代遺跡はその名の通り、今より遥か昔、強大な魔法を自在に操っていた存在の痕跡を示す遺跡の事である。その存在は、今はどこにも居ないが一説では、界を渡り、別の世界へ旅立ったとも、仲間同士での戦闘の末に自滅したとも言われている。
 そして、古代遺跡の中には、今の魔法技術ではとうてい造る事の出来ない強大な力を持つ魔道具があり、その存在が確かに居た事を証明していた。

「この周辺にまだ荒らされていない古代遺跡があるという情報を拾ったので、な。実際、ソーサリー王国に居た時には、その情報がは伝わってこなかったから、まったくのガセか、最近まで未発見だったかのどちらかだろう。それで、この国の情報屋に調査を依頼して、返答待ちだ」
「そうですか。未発見の遺跡で、強力な魔道具があるといいですね!」
「あぁ。・・・そして、ヤツらを・・・」

 そう答えたアクアレードの瞳に暗い輝きがあるのを見て取ったサラサは、アクアレードの受けた心の傷を思い、悲しげに目を伏せた。

- 2 -

 アクアレードとサラサが一緒に行動する事になってから数日後、アクアレードの元に、情報が届けられた。それは、古代遺跡が発見された場所と、これまでに数チームの冒険者が向かったという噂。

「だから、噂さ、う・わ・さ」

 アクアレードの前に立つ情報屋───グレイは、情報のおまけとばかりに、そう言った。軽薄な表情に時々好色な色を浮かべ、サラサに視線を向けながら。

「最初に情報を持って来た男・・・猟師なんだが、こいつは生きてる。だが、そいつから派生した情報でそこに向かった冒険者達が帰って来たという情報が流れてこねぇ。・・・どういう事か、判るかい?」
「・・・全滅した・・・という事か」
「ああ、多分、な。猟師が生き残ってる以上、近付く分には大丈夫なんだろうよ。だが、遺跡に立ち入ると・・・」
「ふ・・・ん・・・。・・・その冒険者の編成は判るか?」
「あ?いや、時間と追加料金を貰えれば、情報を拾って来るぜ」

 アクアレードの質問は、グレイの予想の範囲外だったようだ。だが、次の商売に繋げるように話を続けるところは、さすがだった。

「別にいい。すぐにでも出発するからな」
「へぇ、そうかい?で、そのお嬢さんも一緒に?」
「その予定だ」

 その返答を聞いたグレイは、一瞬目を光らせたが、すぐに手元に広げた地図を、山の稜線をなぞる様に指差した。

「なら、このルートが一番安全だろうな。ヘタにこっちの森やこっちの谷間を抜けると、山蛭の群生地や、底無し沼を踏破しなきゃいけなくなる。お嬢さんの足じゃ、ちと酷というもんだろうな」
「なぜ、このルートが安全と知っている?」

 室内の温度が下がるような声でアクアレードが尋ねると、グレイは逆に服の胸元を広げるようにした。暑いかの様に、または息苦しいかの様に。

「別に、大した話じゃねぇが、猟師が通った道なんだよ。それに、夜寝るのに最適な洞窟があったりするしな」
「そうか・・・」
「あぁ、ついでにサービスで、冒険に必要な装備を安く整えられる店も教えるぜ?」

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 そして、二人が出発して一日目の夜の事。猟師が使ったと教えられた洞窟で、寝る準備を進めていたアクアレードは、外に出ようとするサラサに声を掛けた。

「どこに行くつもりだ?」
「え...えっと...」

 サラサは言葉を詰まらせ、少し赤くなってあらぬ方を向いた。秘密を持っている後ろめたさというよりも、恥ずかしさから、らしかった。

「あの、お花を摘みに・・・です。すぐに戻りますから・・・」
「あ・・・あぁ、済まない」
「いえ、気にしないで下さいね、アクアレードさま。それと・・・」

 いたずらを思いついたような表情を浮かべて微笑むサラサに、気まずい思いを感じたアクアレードは顔を向けた。

「・・・覗いちゃイヤですよ」

 そう笑いながら言うと、サラサはすでに暗くなっている外に出て行った。暫くアクアレードは居心地悪そうにしていたが、引き続き寝る準備を始めた。とは言っても、それほどする事がある訳でもなく、すぐに手持ち無沙汰になってしまったが。

「遅いな・・・」

 アクアレードがそう呟いたのは、サラサが出て行ってから半刻も経った頃だろうか。洞窟の周辺にはかなり広範囲に結界を敷いているので、獣や魔獣では近付けない・・・もし、近付いて来たとしても、感触が伝わってくる。有り得るとすれば、サラサがそれ以上に遠くへ行ったか、探索対象外の存在が来たか・・・。
 アクアレードは立ち上がると、洞窟の外に出た。有効視界の中には、サラサの姿は無かった。逸る心を押さえて、脳裏に魔術式を展開・安定させる。これは、魔法使いが1000人いれば、そのうち一人出来るか出来ないか、といった高レベルの技術で、呪文の詠唱を無くし、事象の発現までの時間を短縮するのが目的である。ソーサリー王国の魔法師団にも、これが出来るのは3名もいなかった。
 異界の魔力が魔術式を通して現出する・・・洞窟に残っているアクアレード以外の気配・・・サラサのオーラの残り香から、探索範囲内での存在チェックを開始し、発見できない場合は範囲を広げ、再度チェックする。アクアレードの脳裏に、サラサの移動の軌跡が映し出された。現在地はここからかなり離れていて、どう考えても徒歩での移動とは考えられなかった。

「さらわれたか・・・」

 そう苦い思いで呟くと、アクアレードは複数の魔術式を同時に展開させた。加速呪と暗視、それに継続して探索の魔術式である。アクアレードは風を巻いて走り出した。

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 ゴウゥンッ!!
 その山道の途中で、突然爆発が起こった。夜目にも激しい爆発に、馬を駆る8人の男達は、驚いて馬の脚を止めた。いかにもならず者といった風体の男達で、機動性を重視している為か、馬にはあまり荷物を積んでいない。例外は先頭の1騎で、後ろに麻袋に詰めた荷物を積んでいる。

「まさか、もう来たのか?」
「あぁ、その”まさか”さ・・・グレイ!」

 その男・・・グレイは声のした方に向き直った。そこに立っているのは、闇よりも暗いローブを風になびかせた、怒りに燃える魔法使い。とっさに男達は弩を構えるが、強大な魔獣相手に素手で立ち向かうような恐怖と無力感を感じていた。グレイは軽薄そうな顔に焦りを浮かべて、とっさに腰から短剣を抜き取り、後ろに積んだ麻袋に突き付けた。

「おっとぉ、それ以上近付かないでもらおうか。お嬢さんを殺されたくはないだろ?」
「何が目的だ?」
「お嬢さんの体さ。もちろん、生きてればなお良しってカンジだけどな」

 アクアレードは無意識に顔をしかめた。裏返して言えば、殺してもいいと言う事だ。

「死んでもいいとは、信じられんな」
「へぇ?魔法使い様はこのお嬢さんの価値をご存知無いと見える。それとも、知らない振りでもしているのかな?」
「知らん」

 静かにそう答えるアクアレードに、グレイは勝ち誇ったように笑いかけた。

「お嬢さん・・・夢魔の眷族は、抱き心地がいいのは確かだが、それ以外の用途があるのさ。例えば、体の欠損部分の補完とか・・・な」
「なんだと・・・」
「右手の無いヤツに、お嬢さんの右手をあげられる、という事さ。四肢だけじゃなくて、内臓だって移植できる・・・しかも、勝手に腱や神経や皮膚が繋がるから、大した手術も必要じゃあない・・・。健康な体を欲しがる金持ちが、どれほどいるか・・・知ってるかい?」
「・・・」

 距離が離れていたので、その時アクアレードが呟いた言葉は、風に流されて、グレイに届く事は無かった。グレイは歯止めが利かなくなったように、言葉を重ねた。

「だから、今死んでも問題無いのさ!体さえあれば、な!ましてやこいつは魔族・・・死のうが生きようが、オレ達人間には関係無いだろう!?」
「・・・」

 恐怖から逃れるように話し続けるグレイは、だからこそアクアレードの変化に気が付かなかった。アクアレードは、漆黒のフードの下で、唇を歪めていた。侮蔑するように・・・嘲笑するように・・・憐れむように・・・。
 アクアレードはゆっくりと男達に近付いて行った。まるで無人の野を行くが如き無造作さに、男達はとっさに弩を放ってしまった。その威力の為、放物線を描く事も無く、一直線にアクアレードに向かう7本の矢・・・だが、1本も掠める事すら出来無かった。
 まるで恐れるかのように、全ての矢がアクアレードの手前て失速し、そのまま地に落ちる。驚愕した男達が次の矢を弩につがえることも忘れ、ただ呆然としていた中で、グレイだけが大声を張り上げた。

「てっ、てめぇ!こいつがどうなってもいいってのかよ!」
「・・・やれ・・・」
「なん・・・だと・・・?」
「やれと言った。・・・出来るものなら・・・な」
「後悔、すんじゃねぇぞっ!」

 グレイはナイフを振り上げて、身を捻りながら後ろの麻袋に・・・サラサにナイフを刺そうとした。
 ガツっ!・・・まるで、石にナイフを突き立てたかのような衝撃と音。グレイは痺れる手首を押さえながら、アクアレードに向き直った。

「てめぇっ!何をしやがったっ!」
「サラサの周りの空間に、絶対防御圏を構築した」
「絶対防御圏だと・・・呪文の詠唱も無しにかよっ!」
「当然」

 そう言いながら左手をグレイの方へ突き出すと、アクアレードは魔力で漆黒の剣を構築し、男達に放った。それは避ける事の出来ない・・・視認する事も出来ない程の速さで、男達に致命傷を与えた。心臓や頭を貫かれ、馬上から転落する死体を傍目に、アクアレードはサラサを麻袋から引っ張り出した。

「サラサ、大丈夫か?」
「・・・う・・・」

 見ると、右の上腕部に、矢の刺さった痕があった。今のサラサの様子からすると、麻酔薬の付着した矢を射かけたのだろうか?アクアレードはならず者の乗っていた馬を放つと、野営の準備をしていた洞窟まで、サラサを連れ帰った。

- 3 -

「・・・やはり、駄目か・・・。ただの人間なら、なんとかなるんだが・・・」

 アクアレードは、自ら傷付けた右腕を、サラサの傷口から離した。今はまだ薬が効いているのか、サラサは意識が戻っていない。アクアレードは仕方なく、包帯をサラサの右腕に巻いた。

「使えん力だ・・・」

 アクアレードは自嘲の笑みを浮かべると、そう呟いた。
 魔力は、一部の例外を除いて、直接他の存在に働きかけることは出来ない。通常使う攻撃魔法は、魔力を一度物理的な事象に置き換えてから、相手を攻撃する事で成立させている。他の存在に直接働きかけるためには、触媒が必要だった。例えば、油に対する石鹸水のようなもの。アクアレードは、自らの血液を使ったが、夢魔ハーフと言うべき存在の在り様が人と違い過ぎる為か、回復呪の効果は見られなかった。

「現界において、最強にして・・・最弱の力・・・。復讐を遂げるには、まだまだ足りんな・・・」

 アクアレードは呟くと、自分の右腕にも包帯を巻いた。左手だけでなんとか巻き付けようと悪戦苦闘していたアクアレードは、横から差し出された手に、動きを止めた。

「気が付いたか」
「はい・・・ご迷惑をお掛けしました」

 目線を合わせない様にして、サラサはアクアレードの右腕に包帯を巻いていった。洞窟の中に、静かな空気が流れる。

「・・・ちゃ・・・だめ・・・です」
「・・・なんだ?」

 ぎりぎり聞こえない、そんな小さな声を出したサラサに、アクアレードは聞き返した。俯いたサラサの肩が、小さく震えている。

「・・・私なんかの為に、アクアレードさまのお体が傷つくなんて、だめです・・・」
「いいんだ、サラサ」
「でもっ・・・私、足手まといになってます!それじゃ、だめなんですっ!」

 アクアレードは手を伸ばすと、サラサの頭を撫でた。落ち着かせるように、何度も。

「いいんだ、サラサ」

 アクアレードは繰り返すと、サラサの目の端に溜まった涙を指で優しく拭き取った。サラサの顔が赤く染まるが、それに気付かないように。静かな空間を壊さないよう、かすれた声でアクアレードは問い掛けた。

「サラサは・・・おれの事が怖く無いのか・・・?」
「アクアレードさま?」
「おれは、昔とは変わってしまった・・・。顔も、体も、心も・・・。ソーサリー王国では、この顔を見た国民に恐れられ、王国から追いやられた。サラサは・・・恐ろしくは無いのか?」

 サラサは何も言わず、アクアレードの頭を胸に抱き締めた。アクアレードも抵抗のそぶりを見せずに、素直に顔を寄せる。

「アクアレードさま・・・私を・・・お使い下さい・・・。シャルロット姫を手に入れるまで・・・手に入れてもずっと・・・」
「サラサ・・・」

 サラサは先程までと逆に、アクアレードの髪を撫でた。癒すように、安心させる母親のように。サラサはその顔に、笑みを浮かべていた。悲しみをたたえて。サラサはゆっくりとアクアレードを解放すると、目線を合わせた。

「アクアレードさま・・・あの・・・今回だけですから・・・ご容赦下さいね・・・」
「サラサ?」

 サラサの瞳が輝くと、アクアレードの体に変化が発生した。体が熱くなり、頭に霞がかかったように、考えがまとまらなくなって来る。今自分がどこにいるのか、何をしているのか、どんな話しをしていたか・・・全てが曖昧になる。

「サラサ、何を・・・」
「夢魔の力を使いました。今だけ・・・私を使って、心の傷を癒して下さい。・・・私では、シャルロット姫の代わりは務まらないとは思いますけど・・・」
「駄目だ・・・サラサ・・・」

 アクアレードは全ての意思力で抵抗しようとしたが、それは人の力では抗い得るものでは無かった。夢魔の力は、人の魔法とは根本的に異なる力だったから。アクアレードの心に、抗い難い欲望が渦巻いた。

「いいんですよ、我慢しなくても・・・」

 そう言いながら、サラサは身に纏った服を脱ぎ始めた。ほっそりとした、けれど黄金率とも言うべき美しい裸身を、アクアレードの前に惜しげも無く晒す。暗い洞窟の中を、光が差したようにすら感じられた。
 胸は小振りだが、つん・・・と上を向き、体には余分な贅肉はついていない。かすかに浮き出したあばら骨が陰影を作り、男なら襲いかからずにはいられない程のエロティックさを醸し出していた。

「私相手に・・・我慢しないで下さい・・・お願いです・・・」

 興奮の余り身動きもかなわないアクアレードに、サラサは跪いて、ゆっくりと顔を近付けた。両手でアクアレードの頬を優しく挟み、目を閉じて・・・。

「・・・ん・・・」

 唇が触れ合うと、サラサは身体を震わせた。それは、サラサにとって、初めての感触。身体を・・・心を蕩かす甘美な幸福。いつしかアクアレードの首にまわされた手が、愛撫するように髪を、背中を撫でまわす。甘いキスは、途切れる事無く繰り返された。

「は・・・ふ・・・。・・・アクアレードさまも・・・脱いで下さい・・・。もっと・・・アクアレードさまを・・・ちょくせつ感じたいんです・・・」
「・・・あぁ」

 アクアレードは吐息とも返事ともつかない声を出すと、身に纏ったローブを・・・服を脱ぎ始めた。素肌を晒す時、アクアレードの手は躊躇したが、サラサが静かに手を伸ばして手伝った。
 アクアレードの身体は、無惨としか言えないほど傷付いていた。傷は塞がっているのだろうが、消えることの無い傷跡は、誰もが目を背けずにはいられない程、全身を覆っていた。
 ちゅっ。
 サラサはためらう事無く、傷跡の一つにキスをした。そして、小さく舌を出すと、刃物で切り裂かれたような跡を、丁寧になぞる。そして次の傷跡へ辿り、さらに別の傷跡へ。サラサが上気した表情で続けるそれは、アクアレードに快楽を送り込みながら、実は心を癒そうとしているのかもしれなかった。傷付いた体を恥ずかしがる事は無いのだと・・・。サラサは、そのまま優しくアクアレードに覆い被さった。

「きゃんっ」

 サラサが身体の向きを変えた時、横たわったアクアレードの顔の近くに、よつん這いのサラサの秘所が近付いた。サラサはそのつもりは無かったのだろうが、アクアレードはお返しとばかりに舌で愛撫した。先程の可愛い悲鳴は、この時サラサが上げたものだ。
 瞬間的に跳ね上がるお尻を押さえて、アクアレードは愛撫を加えた。舌を秘所に差込み、クリトリスを甘噛みし、舌で押し潰して。たちまちサラサは快楽の波に飲み込まれた。それまで愛撫の為によつん這いになっていたのが、腕から力が抜けて、アクアレードの体の上に倒れこむ。

「あんっ、あっあっ、あぁんっ!」

 アクアレードの腹部で圧迫され、形を変えた乳房が、擦れた乳首が、サラサに新しく快感を伝えた。サラサの頭は快楽に沸騰し、理性的な判断が出来なくなっていた。

「サラサ・・・こっちを向いて・・・」

 サラサの熱く濡れた秘所から唇を離したアクアレードは、自分ももう我慢の限界を迎えたように、サラサに声を掛けた。

「え?・・・あ・・・ふぁい・・・」

 身体中から力の抜けた状態で、サラサは少しずつ身体の向きを変え、半身を起こしたアクアレードと向き合うように座った。アクアレードの硬く屹立したものをおずおずと触り、その熱さに瞬間的にびくっとする。

「あ・・・あの・・・、行きますね・・・」

 おずおずとした様子で自らの秘裂にあてがい、ゆっくりと腰を落して行く。アクアレードのものがサラサの体内に埋まって行く様子は、身震いするほどエロティックだった。何十枚もの舌にしごかれるような感覚に、アクアレードは快楽のうめきを上げた。

「あ・・・ひあっ、あっ、あつっ・・・あついぃ・・・っ!」

 初めておとこを受け入れたサラサの秘裂は、夢魔の血のおかげか、最初から苦痛は感じなかった。逆に、初めて感じる圧倒的な快感に、全ての感覚が翻弄される。

「あっ!・・・いやっ・・・だ・・・だめっ・・・とけ・・・とけちゃ!・・あっ!」

 アクアレードは、サラサの長くとがった耳の先端を軽く甘噛みした。

「きゃっ!!」

 その瞬間、サラサの中で何かが激しく爆発したように感じられた。巨大で、圧倒的な感覚に、一瞬サラサの意識が遠くなる。全身がぴりぴりと敏感になり、自分の中にある、固くて熱いアクアレードのものを、感触や形まで鮮明に意識した。

「はふ・・・あぁ・・・ん」

 だんだん身体が落ち着いてくると、サラサは優しく微笑んだアクアレードが、自分を見守っていてくれた事に気が付いた。自分が激しく乱れた事を恥ずかしく感じながら、それでも押さえきれない歓びが、サラサの心を満たした。

「ずるい・・・です・・・」
「ん?」

 頭をコツンとアクアレードの胸に当てて、サラサは少し拗ねたような口調で話しかけた。

「ずるいです・・・私だけ、こんなにされて・・・。アクアレードさまも、もっと気持ち良くなっていただかないと、不公平ですっ!」
「不公平?」
「そ・・・そうです!それに、夢魔の力を使ったのに、なんでそんなに冷静なんですか?」

 サラサは、口調とは裏腹に、幸せそうに目を細めていた。いまにも喉からごろごろと音がしそうな程、幸せに蕩けた笑顔を浮かべて。

「おれも、十分に昂ぶってるが?」
「嘘です。なんだか、私だけこんなにされちゃってます」
「こんなにされてって、こういうことか?」

 アクアレードはそう言うと、サラサの耳に、触れるか触れないかという微妙なタッチで、優しくなぞった。

「ひぁっ!」

 びくびくと跳ね上がるサラサの身体を、アクアレードは腰を抱き締めて固定しながら、さらに耳に集中して刺激した。息を吹きかけ、舌でなぞって、その都度反応するサラサの身体を堪能した。

「あぁん・・・あ・・・ふあ・・・」

 連続する激しい快感に、サラサは意識が朦朧として、切れ切れに喘ぐ事しか出来なくなっていた。。紅潮した肌は汗にまみれ、虚ろな目に悦びをたたえた表情は、壮絶な色気を発散している。

「・・・わ・・・わたし・・・もぉ、だ・・・だめ・・・です・・・」
「おれもそろそろ我慢の限界だ・・・もう少し、がんばってくれ」
「え?・・・あ、あっ・・・は・・・はげしっ・・・きゃんっ・・・っ!」

 アクアレードはサラサのひざの下に手を通し、サラサの身体ごと動かして、抽送を開始した。それまでサラサが昇り詰める度に、アクアレードは強弱をつけて締め付けられていたので、もう、もちそうになかった。

「あっ、あくっ・・・アクアレードさまっ・・・だめ・・・だめぇっ!」
「サラサっ・・・くっ・・・イクぞっ!」
「あ、あああっ!ああああああっっ!」

 アクアレードの熱い精液を身体の一番深い所で受け止めたサラサは、最後の一滴までも貪欲に欲しがるかの様に、何度も何度もアクアレードを締め付けた。

 ・
 ・
 ・

 アクアレードは、心地良いけだるさの中で、サラサの身体の重さを感じていた。首筋にかかる吐息、胸の上で形を変えるふくらみ、脇腹をくすぐる長く艶やかな髪・・・。アクアレードは髪を指先で数本絡ませると、何の気無しに弄んだ。柔らかい感触に、ふと、笑みがもれた。
 二人を、暖かく静かな空気が包んでいる。先程までの激情など、まったく存在しなかったかのように。

「アクアレードさま・・・落ち着かれましたか?」
「・・・ああ」
「済みません。アクアレードさまの動揺に、便乗しちゃいました」

 少しずつ息を整えながら、悪戯っぽく微笑んで、サラサは呟いた。ころん、と体をアクアレードに添い寝するようにずらせて、ちゃっかり腕を取り、枕にする。まだ傷口が痛むのだろう・・・右腕をかばうようにしている。

「便乗?」
「はい・・・私は夢魔の血が入っていますので、時々・・・その・・・切なくて、苦しくなるんです。・・・ですから、気にしないで下さいね。悪いのは私ですし」
「・・・」

 幸せそうに胸に頬擦りするサラサに、アクアレードはそれ以上追求するのを止めた。それに、酷使した体が休息を求めている。そのまま・・・ゆっくりと、安らかな眠りに落ちていった。それは、ソーサリー王国を追われてから、初めての事だった。

- 4 -

 翌日、二人は遺跡の近くまで辿り着いていた。日も高く、雲一つ無い空の下、爽やかな風が吹いていた。瑞々しい木が適度に育ち、まるで散策に来ているような、心をリラックスさせる雰囲気に満ちている。

 昨日あった事は、二人の間で話題に上がらなかった。ただ、静穏な空気が二人を包み、何も言わなくても通じ合う、そんな心地良さの中、ここまでやってきた。

「気持ち良い場所ですね、アクアレードさま」
「・・・」

 そう言われたアクアレードは、ふと顔を上げると、立ち止まって周りを見回した。暖かい陽射し、涼しげな風・・・アクアレードの顔が、緊張に張り詰めた。

「アクアレードさま?」
「・・・そういう事か・・・」

 そう呟くと、周りに気を配りつつ、ゆっくりと歩き出した。サラサは怪訝な顔で、アクアレードと同じ様に、周りを見渡した。少しずつ、サラサの顔に、恐怖の色が浮かんできた。本来であるなら当たり前のもの達・・・植物以外の生き物の姿が無い事に気が付いて・・・。

「鳥も、獣も、昆虫すら見当たりませんね。・・・まさか、有毒ガスでしょうか?」
「いや・・・それなら植物にも影響が出るはずだ。あそこに生えている宿根草は、環境の変化に敏感で、有毒ガスが漂っていれば、すぐに枯れてしまうだろうし、な」
「それなら・・・なぜ・・・」
「可能性があるとすれば、魔物だろう・・・。強大な魔物が住まう地には、動物は近寄らないという文献を見た事がある」

 サラサは身震いをすると、自分の身体を抱き締めた。急に周囲が暗くなった気がして、少しだけ、アクアレードに近付いた。

「だが、その可能性は想定済みだ」

 アクアレードは遺跡を見詰め、呟いた。サラサを勇気付けるように。

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 遺跡は、地下への入り口が一つあり、それを守るように数本の石柱が立っていた。その正面には闘技場のように石畳が敷き詰められた広場があった。何かの戦闘の後の様に、荒れ果てている。
 そして、アクアレード達を見ながら待ち受ける影が一つ。漆黒の大剣を地に刺して、柄頭に両手を乗せて、まるで一つの彫像のように悠然と、静かな威圧感を発散しながら。それは、人間では無かった。それは、フレッシュゴーレム───血肉から作られたゴーレム───だった。全身に、黒光りする鎧を纏っている。

「冒険者達よ、我は古より主の命によりこの地を守る守護者である。命が惜しくば、立ち去るがよい」

 それは、アクアレードよりも頭一つ分の高みから、確固たる個性と知性を感じさせる荘厳な口調でアクアレードに語りかけた。フレッシュゴーレムには、通常知性は存在しない。ましてや、喋ることなども・・・。それを成し遂げた古代の住民の能力の凄まじさが伺えた。

「おれ達は、力を求めてここまで来た。手ぶらで帰る訳にはいかんな」

 アクアレードは、無意識のうちに下がりそうになる自分を心の中で叱咤し、意思の力で前に踏み出した。知らず知らずのうちに、緊張のあまり、額に汗が吹き出る。

「我は、我を創造せし主の命により、この地に踏み入る者を、死を持って排除せねばならん。例え、女子供であろうとも、だ。それに、我は主より、強力な武具と魔界のしもべを継承している・・・この戦力差は、どうする事も出来まい」
「舐めるなよ、化け物が・・・一国を相手に戦おうというのに、たった1匹の化け物相手に、引く訳にはいかんのさ!」
「ならば・・・来るがいい、ガルムよ」

 守護者の声が響くと、守護者の足元の影が立体を帯び、巨大なイヌの姿になる。吐く息は赤く燃えあがり、その血走った目に無限の憎悪をたたえ、アクアレード達を睨みつけている。

「魔界の番犬だと・・・ばかな・・・!」
「どうする?今なら見逃してもよいが?だが、もし広場に足を踏み入れれば、それが戦闘の合図となる。どちらでも、好きな方を選ぶがいい」

 背後から、唾を飲み込むごくっという音が聞こえた。そちらを見ずとも、サラサが怯えているのが判る。アクアレードはサラサに顔を向ける事なく、話しかけた。

「サラサ、ここはおれ一人でやる。お前は離れているんだ」
「・・・いやです」
「サラサっ」
「いやです。今一人で逃げたら、私は一生アクアレードさまの足手まといのままです。そんなの、死んだ方がマシですっ!」

 そして、サラサは背中にすがりついて、頭を押し当てる。

「それに、アクアレードさまのいない世界で、生きていたくはありませんから・・・私を・・・ご一緒させて下さい・・・どこまでも・・・」

 背中を直接震わせる声が、切ない振動を伝えてくる。触れている部分が、熱い。アクアレードに、それを振り払う事は出来そうに無かった。

「無理は・・・するなよ」
「は・・・はいっ!」

 アクアレードは脳裏に加速呪を展開させた。敵が素直に待っていてくれるのなら、一気に近付いて、至近距離からの魔法で少なくとも一体は戦闘不能にする・・・それがアクアレードの立てた戦術だった。
 小さく歩を進め、広場の直前へと。ガルムも守護者からの命令無しに動けないのか、召喚されてから攻撃する様子を見せない。アクアレードは続いて攻撃呪を展開し、その瞬間に備える。
 広場へはあと3歩・・・2歩・・・1歩・・・アクアレードの足のつま先が広場に差し掛かった瞬間、全てが動き出した。

 がうっ!・・・ガルムが吼え、アクアレードに向かって駆け出し、アクアレードは発動した加速呪の緩やかに流れる時の中で攻撃呪を放とうとし、そして、守護者は・・・。

「はぁっ!」

 瞬間的にアクアレードの直前に出現して、漆黒の大剣を振り降ろした。加速呪のおかげで反応できたアクアレードは、必死に剣の軌跡から身を逸らす。展開した攻撃呪を放つ余裕も無い。

「なっ!」
「ふ・・・ガルムだけが我が戦力では無い。この、加速呪の付与された大剣こそが我が本来の武器でな。後は、あの世で後悔するがいい!」

 加速呪の発動した者同士の戦いは、加速呪を発動していない状態での戦いと同義である。この場合、剣を持つ守護者に対して素手のアクアレードは、圧倒的な不利に立たされていた。きわどいタイミングで剣を避けるが、距離を開く事も、反撃に転ずる事も出来ずに、焦燥感が高まった。

「きゃあぁぁぁっ!」

 その時、ガルムが目標としたのは、アクアレードを案じて広場に踏み入れたサラサだった。跳躍して襲い来るガルムに、サラサは悲鳴を上げつつも横に飛んで避ける。着地してサラサを睨むガルムに、サラサは”夢魔の瞳”を発動させた。

「よく避けるが、手詰まりだろう?冒険者よ」

 動きを止めて、守護者とアクアレードは見詰め合う。今、この瞬間に攻撃呪を仕掛けても、守護者は余裕で避けてしまうだろう。物理的に現実に事象を確定させなくてはならない魔法の、それは欠点だった。今のアクアレードに、守護者の加速呪を超える速度の攻撃方法は無いが・・・。

「まだおれは生きているぞ」
「だが、これからも生き延びられるかは、判るまい?」
「生き延びるんじゃ無い・・・勝つのさっ!」

 アクアレードは気合を振り絞るように叫ぶと、瞬間的に守護者の周囲に無数の火球が満ちた。守護者が通り抜けられるだけの隙間が無く、固体の殲滅を目的とした、絶対的な布陣だった。
 火球で構成されたドームの中から、守護者の感心した声が聞こえてきた。人外の存在だからか、この状況にも焦った様子は無い。逆に、アクアレードの表情には余裕が無かった。守護者の移動速度を考慮した距離で火球を展開したので、瞬間的に膨大な魔力が消費されてしまった為である。

「ほぉ、素晴らしい。比較的簡易な魔法ではあるが、同時にこれだけの火球を現出させるとは、な」
「一つでも触れれば、全てが誘爆されるように設定してある。・・・鉄をも溶かす火球の爆発、じっくり堪能するがいいっ!」

 アクアレードの声が契機となり、全ての火球がただ一点・・・守護者に向かって収束し始めた。

 サラサの”夢魔の瞳”は、ガルムを支配する事は出来なかった。もともとガルムは魔界から召喚された魔獣なので、召喚者以外が支配する場合、召喚者の強制力以上の力が必要となる。”夢魔の瞳”では、力不足だった。

「くっ!」

 ガルムから目を離さないようにしているサラサの顔に、決意が浮かんだ。

 地を揺るがす程の轟音と、天まで上る火柱。凶悪なエネルギーが一点に集中し、そこでは、全ての存在が消滅を余儀なくされる・・・はずだった。

「なん・・・だと・・・?」

 爆煙がゆっくりと拡散する中、その中央に一つの影が浮かび上がった。片膝をついた姿勢から、悠然と立ち上がる。アクアレードの頬を、冷たい汗が伝った。

 サラサの視界に、アクアレードの窮状が入っている。サラサには、迷っている時間は無かった。その顔に、怯えと・・・多少の微笑みを浮かべて、両手を広げてガルムに歩み寄る。その挙動に一瞬警戒したガルムも、サラサに攻撃手段が無い事を見て取ると、サラサの胴を巨大な顎で噛み砕いた。広場に鮮血が飛び散る。

「その場から動かずに全ての攻撃を受けるより、わざと誘爆を誘って瞬間的な負荷を軽減する・・・賭けは我の勝ちのようだな」

 立ち上がった守護者の身体には、ダメージの跡が見られなかった。アクアレードは、次の手も打てないまま、愕然と見詰めていた。

「それでも、かなりのエネルギー量のはずだ・・・」
「我は主より、強力な武具を継承した・・・そう言った。この鎧にも、耐火呪が付与されているのだ」
「くっ・・・」
「諦めるがいい・・・そなたの連れも、もはや助かるまい・・・」

 その言葉に振り返ると、丁度サラサがガルムに攻撃を受けた瞬間が・・・見えた。時が止まったような世界の中で、アクアレードはサラサを呼ぶ、血を吐くような自分の声を聞いた。

 ───アクアレードさまが呼んでる・・・───
無限に引き伸ばされた時の中で、まどろんでいるようにゆっくりした思考で、サラサはアクアレードの呼び声を知覚した。今は、先程の狂おしいまでの苦痛は感じられない。ただ、骨を砕き、血管を破り、肉を裂いて、ガルムの牙が自分の身体を破壊するのを感じているだけだった。
 ───アクアレードさま───
私にとって、天よりも地よりも大切な人。切ないほどの一途さで、力と・・・愛する女性を追い求める人。
 ───アクアレードさまっ───
切り裂かれてから今まで、拡散していた意識が統合されるのを感じる。自分の目的・・・守るべき人・・・そして、その為の手段を思い出す。
 ───アクアレードさまっ!───

 サラサは、血にまみれた壮絶な美貌で、全ての力を目に込めるように見開いた。すぐ目の前にあるガルムの目と、サラサの瞳の視線が絡み合う。

「無駄よ・・・あなたは私の血肉をその身に取り込んだ・・・。それらを媒介に、あなたを支配します!」

 サラサの瞳が激しく輝くと、ガルムはその顎からサラサを解放した。既に立っている事も出来ないサラサは、石畳の上に倒れ臥した。しかし、その顔には勝利を確信したかのように、誇らしげな笑みが浮かんでいた。

「お行きなさい。そして・・・アクアレードさまの為に、守護者を・・・」

 ガルムは、全ての枷から解き放たれたように、風に乗って走り出した。

「なっ!主の強制力を超えた支配力だと!ばかな、ありえんっ!!」
「サラサ・・・」

 激しく動揺する守護者と、呆然自失するアクアレード。そこにガルムが飛び込み、すれ違いざまに守護者の右足を食い千切った。守護者は漆黒の剣を地に突き立て、とっさに転倒を免れる。

「ガルムよ、主に・・・我に背くのならば、死ぬがよいっ!」
「がうっ!!」

 飛びかかるガルムと、守護者の影が交錯する。心臓を一突きされたガルムは、死ぬ直前に守護者の右腕を食い千切る。壮絶な相討ちだった。左手に剣を持ち替えて、何とか立ち上がる守護者・・・だが、もはや攻撃力の欠片も残っていないのは明白だった。

「連れに感謝するがいい・・・冒険者よ・・・。一人であったなら、このような結末は迎えられなかっただろうから・・・な・・・」
「・・・」
「我も、やっと主の意思を離れ、眠る事が出来る・・・。永かったぞ・・・」
「とどめを、刺してやろう・・・」
「頼む・・・」

 アクアレードが手をかざすと、守護者の身体は崩れ、後には塵一つ残らなかった。がらん、と音を立て、漆黒の魔剣が倒れた。

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 ・

「・・・ラサ・・・サラサっ・・・目をっ・・・目を開けるんだっ!」
「う・・・あ・・・アクアレードさま・・・よかった・・・ごぶじで・・・」
「サラサの、サラサのおかげだ・・・」

 サラサは、無惨な姿を晒していた。もはや、助かるとは思えない。それどころか、今息をしている事自体が、奇跡なのかも知れなかった。アクアレードが残った魔力の全てを使って回復呪を試しているが、効果は見られなかった。

「アクアレードさま・・・もう・・・結構ですから・・・」
「駄目だ!死ぬなんて許さんっ!」

 サラサは、吼えるようにそう言うアクアレードを見詰めていたが、嬉しそうに微笑んで、アクアレードの右手を握り締めた。

「やっと・・・お役に立てましたね、私・・・。嬉しいです・・・」
「おれは、サラサの事を役立たずなんて、思ったことは無いぞ」
「はい・・・私が判っていただけです。アクアレードさまは、お優しいから・・・」

 サラサは、握り締めたアクアレードの手を頬に近付けて、幸せそうに頬擦りした。今は、その表情に苦痛の欠片も見当たらない。まるで、燃え尽きる寸前の蝋燭のように。

「アクアレードさまは、昨日聞きましたよね、怖くないかって。ふふ、ぜんぜん怖くありませんよ。アクアレードさまのオーラは、今も変わらずお美しいです。暖かくて、優しい光・・・」
「・・・」
「ね、アクアレードさま・・・一つだけ・・・わがままを言わせて下さい・・・」
「一つなんて言わずに、いくらでも言ってくれ・・・なんでもする・・・」
「うふふ・・・ありがとうございます・・・」

 サラサは微笑むと、”夢魔の瞳”を発動させた。

「サラサ・・・なにを!?」
「ごめんなさい・・・でも、普通にお願いしても、きっとアクアレードさまは聞いて下さらないから・・・」

 少し寂しそうに呟いて、それから吐血した。サラサの命が尽きようとしている・・・それは、誰の目にも明らかだった。サラサは、自らの胸元を血に染めて、それでも美しかった。

「私の右目を・・・アクアレードさまの目としてお使い下さい。グレイさんの話しの通りなら、アクアレードさまの目を、癒せるはずです」
「そんなこと、出来る訳ないだろう!」
「ほぉら、やっぱり」

 幸せそうに、抑揚をつけて言い、サラサは笑った。残り僅かな時間をすべて費やして、アクアレードの言葉を自分の心に刻みこむように・・・愛しげに・・・。

「それに、私の為・・・でもあるんです」
「・・・サラサの?」
「はい・・・だって、そうして頂ければ、シャルロット姫よりも、もっと近くにいられるじゃないですか・・・いつもいっしょにいて、おなじものを見て・・・」
「サラサ・・・」

 アクアレードの手に祈るようにキスをして、サラサは続けた。サラサの目から、涙が一滴流れた。

「私、シャルロット姫に・・・お会いしてみたかったんです。・・・こんなに・・・アクアレードさまを魅了して・・・やまない・・・姫に・・・」
「サラサぁっ!」
「あくあれーどさま・・・どうか・・・おしあわせに・・・・・・」
「サラサっ・・・サラサぁあああっ!!」

 遺跡に、全てを失った男の、心を引き裂かれるような悲鳴が響き渡った。後にはただ、涼しげな風が、全てを洗い流すように優しく吹いていた。

- Epilogue -

 目の前に、ソーサリー王国の街並みが見えてきた。アクアレードは飛竜の上に立ち、無感情な瞳で城を見下ろす。自分の足の遥か下、地表を竜達が地響きを立てながら走っている。このペースなら、姫の誕生日には間に合うだろう。
 アクアレードは、そっと右目を撫でた。そこには、彼を愛してくれたものの右目が納まっている。

 あれから、サラサの願い通り、サラサの右目を自分の眼窩に納めた。驚いたことに、見えるようになったばかりか、”夢魔”の力も使えるようになっていた。
 ”夢魔”の力は、魔力とは別種の力だが、魔力とは相性がいいようだ。ガルムよりも強大な魔物───竜───をいともたやすく支配下に置くことが出来たことが、それを証明している。サラサにも、魔法を教えていればよかったかも知れない。

 アクアレードは漆黒のローブを風にはためかせ、王城を睨みつけた。アクアレードの全てを奪い取った場所。シャルロット姫との思い出が詰まった場所。そして・・・今から滅ぼす国・・・。

「さぁ・・・行こうか・・・!」

 一度は失った、全てのものを取り戻す為に・・・。アクアレードの為に、自らの全てを投げ出してくれた者の、願いを叶える為に・・・。

< 終わり >

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