ドールメイカー・カンパニー3 (2)

(2)罠

 1台の真っ赤なセラが高速を北上していた。
 冬とはいえウィークディの昼下がり、さすがにスキーやボードを載せた車はあまり目につかない。
 代わりに見かけるのは荷物を満載したトラックや観光バスばかりであり、その可愛らしい中古車はまるで象の足元をヨタヨタと移動するカルガモのように危なげな運転でその群れの間をすり抜けて走っていた。

「もぉ~っ、なんなのよっ!邪魔よ、どきなさいってぇ」

 丸っこい可愛らしいスタイルのその車の中で見上げるような車に悪態を吐いているのは、蘭子だった。
 朝、白神の顔面にファイルを叩き付けた蘭子は、自宅に取って返すとすぐに出発したのである。
 蘭子は、あの時の白神の意図をすぐに悟った。
 自分よりあの抗催眠試薬を取ったのだ。
 あの秦野という男の記憶を封じている暗示を解除する手段として、蘭子の催眠術を見限ったのだっ!

「ばっかじゃないっ!」

 蘭子はその場面が、白神のセリフが、頭から消えなかった。
 そして思い出す度に怒りを新たにしているのだ。

「あんなっ、冗談みたいな薬が何の役に立つっていうのよっ!冗ぉ談じゃないわっ。マインド・サーカスの暗示を解けるのは、この私だけなのにっ!1ヶ月の休暇ですってぇ?これじゃ、みすみす奴らに逃亡の時間を与えてるのと同じじゃない。少しは頭を使いなさいよねっ」

 蘭子は怒りに燃えた視線を前方に注ぎ、アクセルを一杯に踏み込む。
 すると、田代の手でカスタム・チューンされているエンジンは、まるで蹴っ飛ばされたように加速した。
 しかしそのレスポンスに蘭子の運転が追いつかない。
 まるで追突するような勢いで正面のトラックのテールに近づいていく。

「わっ、だっから~っ、危ないっていってるでしょっ!」

 蘭子は慌ててブレーキに踏み変え、渾身の力でそれを踏み込む。
 けれどそんな時にも悪態は止まらない。
 そして特注タイアと強化されたブレーキでなんとか追突を免れているのだ。
 この挙動不審ともいえる蘭子の運転に、前方を走るトラックの方が徐々に気を使い出した。

 セラでトラックを煽るのは前代未聞かもしれない・・・

「もぉ~~っ!それもこれも、ぜんっっっぶお前の所為だかんねっ、馬鹿キツネ!」

 蘭子はやがて全ての怒りを“きつね”くんに収斂させた。

「見てなさいよぉ。この蘭子さまを甘く見るんじゃないわよっ!1ヶ月の休暇、自由に使わせて貰うからねっ。絶っっ対にウチの間抜けどもより先にアンタを見つけ出してやるんだからね!」

 思わずこぶしを突き出す蘭子。
 そしてまたも急加速するセラ・・・

「また来やがった、あのキチガイ車っ」

 バックミラーでその挙動を監視していたトラックの運転手は、遂に耐え切れず遁走を始めた。
 アクセルを床まで踏み込み暴走列車よろしく前を行く車を押しのけるような迫力で、そのトラックは一目散に走り去っていったのだった・・・

「あら?やっと見通しが良くなったわね」

 ひとり状況を理解していない蘭子は、のん気にそう呟いていた。
 そして開けた視界のなかを悠々と走っていったのだった。

 こうして、およそ2時間ほどのドライブの後蘭子が辿り着いたのは、つい先週まで暮らしていたあの地方都市だった。
 今月一杯はアジトにしていたマンションもまだ使えるのだ。
 私的にマインド・サーカスを追うにはうってつけの環境である。
 しかし、先ず蘭子が向ったのはそこではなかった。
 車は真っ直ぐに都市の中心の繁華街を目指していた。

 “きつね”くんを追うにせよ徒手空拳では成果は望めない。
 ここは先ず手足となって働く兵隊をリクルートする必要があった。
 それと軍資金も勿論必要である。
 そしてその2つを調達するのに丁度いい相手を蘭子は知っていたのだ。

 車は迷わず繁華街を通り過ぎると、ビジネス街へさしかかる少し手前にある小道へと入っていく。
 そこはサラ金の看板が軒を連ねる裏通りだった。
 そして同時に3ヶ月ほど前に蘭子が何度か足を運んだ場所でもあった。
 蘭子は見慣れた黒塗りのベンツを見つけると、躊躇わずその後ろにセラをピッタリと駐めたのだった。

「まったく、相変わらず薄汚れた事務所ですこと」

 真っ赤なガルウィングを押し上げ道に降り立った蘭子はその5階建てのビルを見上げてそう呟いた。
 そんな蘭子をベンツに寄り掛かってタバコを吸っていた男が横目で観察していた。
 180センチ以上有りそうな大柄な体格にスキンヘッド、そして顎髭とサングラス、たとえスーツを着ていてもサラリーマンだと思う人は居ない、完全無欠のヤクザだった。
 蘭子はその視線を感じ取ると恐れ気もなくその男と視線を合わせた。

「あら?お久しぶりですこと・・・棚橋さんでしたかしら?」

 蘭子はキラキラと輝く瞳を男に向けて微笑んだ。
 反対に男の方があっけにとられた表情で、一瞬口篭った。

「あ・・・あんたぁ、前にオヤジのところに来てた・・・」
「あら?『社長』ってお呼びしないといけないのではなくて?」

 蘭子は余裕の口調だった。

「あ?そ、そうだ。社長だ。俺は最初からそう言ってる」

 棚橋と呼ばれた男は肩を怒らせながら蘭子に向き直った。
 しかし蘭子はニッと微笑むと、そんな男の言葉を聞き流して続けた。

「で、社長さんにお会いしに来たのですけれど。いらっしゃるかしら」

 小首を傾げて蘭子は棚橋を見上げた。
 その仕草が、まるでじゃれ付いて来る猫のように可愛らしい。
 棚橋は無意識に鼻息を荒くしていた。

「オ・・いや、『社長』にアポイントはあるのか?」

 棚橋はサングラス越しにねっとりとした視線を蘭子に注ぎながら訊いた。

「いいえ、残念ながらアポイントは取れてませんの。出直して来たほうが宜しいかしら?」

 蘭子は車を振り返りながらそう言うと、再び棚橋をチラッと見た。

「いや、待て。確認してみる」

 去ろうとすると追いかけるのがヤクザの性(さが)だ。
 駆け引きとも言えないような単純きわまる餌に棚橋はあっさりと引っかかる。

「あ・・・今いいっすか?ちょっと女が『社長』に会いに来てるんですけど。ええと・・・前に、2,3ヶ月前に何度か・・・」

 携帯で話し出した棚橋に蘭子が割り込んだ。

「蘭子です。そうお伝えください」

 蘭子のその言葉に棚橋は煩そうにくるっと背を向けた。

「蘭子という女です。えぇ、今ここに居ます。えっ?えぇ・・・あぁ、そうっすか。判りました」

 棚橋はそう言って携帯を切ると、蘭子に向き直った。

「お会いになるそうだ。着いて来て貰えますか」

 棚橋の口調が無意識に丁寧になってた。
 口元には愛想笑いも浮かべている。
 無表情でいる時より3割ほど不気味さが増していることに本人は気付いていない。
 これでは普通の訪問者はかえって逃げ出したくなってしまうだろう。
 しかし蘭子は内心そんな感想を抱きながらも、表情はにこやかなまま男のあとについて行った。

 小さなエレベータで4階に着くと、僅かなスペースをおいて正面に柏田金融と書かれた無愛想な扉があった。
 因みにすぐ右手は人がすれ違うのも難しそうな狭い階段となっているが、3階へ下る側はわざとモノが乱雑に積み上げられていて実質は役に立たなくなっていた。
 外敵は入ってこれず、捕虜は逃がさない・・・
 そんな思想がありありと感じられて、エレベータを降りた人間は知らず圧倒されてしまうのだ。
 しかし、無論蘭子にとってはそんな些細なコケオドシなど意識の外だった。
 チラッと振り返り表情を観察した棚橋にニッコリと微笑むと先に立って扉の取っ手に手を掛けたのだった。

「わざわざ有難うございました」

 そして何の気負いもなく、扉を開いて中に消えていったのだった。

「ちっ。可愛げのネェ」

 棚橋はそう呟くと、またエレベータに取って返し、命じられた車番に戻ったのである。

「やぁ。お久しぶりですね、蘭子さん。3ヶ月ってとこですか、最後に来てから」

 事務所の一番奥にある会議室に通された蘭子は、出された茶には手も付けずにソファに腰掛けていた。
 すると間もなくひとりの男が蘭子の前に現れたのだった。
 40年配で背が高いその男は、一見するとサラリーマンでも通用しそうな外見だったが、その射るような視線はカタギとは一線を隔していた。
 そしてその抑揚を抑えた声からは、当人の心理状況を推し量ることが出来ず、聞く者を不安な気持ちにさせる効果があった。
 しかし蘭子にとっては、その程度のポーカーフェイスの裏を読むなど雑作もないことである。
 けれどその本心を見抜いた途端、嫌な気持ちになった。

 飛んで火に入る夏の虫・・・

 その男の目は蘭子にそう語りかけていたのだ。

 (拙いわねぇ・・・。カムフラージュに使っただけだったから、ちょっとフォローが足りなかったかしら?すっかり怒らせちゃったみたいね)

 蘭子達はマインド・サーカスの捜索を開始するに当たり、隠れ蓑を必要としていた。
 アンダーな組織だけに探りをいれた事はいずれ察知される。
 その時自分たちの身代わりと成ってくれる組織として、この柏田会に白羽の矢を当てたのだった。
 当時、徐々にアンダーの世界で女衒オンリーワンの称号を獲得しつつあったマインド・サーカスに異様な執念で探りを入れていたのが彼らだったのだ。
 元々彼らの大きな収入源である最高級コールガールの調達と販売が、マインド・サーカスの影響で少しずつ傾いてきていたのだ。
 今の日本の景気ではヤクザの世界でも『独り勝ち』を目指さねば生き残りは難しい。
 伝手のある政治家から、インターネットの裏掲示板、果てはヤクの売人にまで彼らは情報を求めた。
 そのなりふり構わぬ様子はアンダーの住人達にとっては静かな水面に大岩を放り込んだような派手な波紋に感じられていた。
 蘭子達には願ってもない存在だった。
 そして白神がお膳立てしたプランに乗っかり、蘭子達は柏田会に取り入ったのだった・・・マインド・サーカスを狩るハウンド・ドッグとして。
 こうして柏田会に雇われたというポジションを得た蘭子達は、この都市の何処かにある筈のマインド・サーカスを探し出す捜査を開始できたのだった。
 しかし、話の展開上500万もの契約の手付金を貰った蘭子達だったが、その後は約束の定期報告も最初の数回だけであとはすっぽかしたままにしていた。
 ヤクザが怒るのも無理なかった。

 もっとも“ヤクザの怒りを買う”といった普通の市民にとっては震え上がるような出来事も、蘭子にとっては大した問題では無かった。
 というか、田舎ヤクザに頭を使うことなど、最初から眼中に無かったと言ってよかった。

「あらぁ、荒木常務さんでしたわね。大変ご無沙汰して居りましたぁ」

 蘭子は臆面も無くにこやかに立ち上がると、柏田会の代貸、荒木竜蔵に頭を下げたのだった。
 まるで久しぶりに現れた保険の外交員のような気軽さだった。
 このヤクザの機嫌など歯牙にも掛けない明るい挨拶は、相手の意表を衝いている筈だった。
 蘭子は笑顔を振りまきながらも、抜け目無く荒木の表情を観察した。
 けれど、荒木のレーザビームのような視線には一瞬の揺らぎも無かった。
 まるで蘭子の出現も、明るい挨拶も予期していたかのように落ちついている。

 (なにかしら?ちょっと・・・やぁねぇ)

 蘭子はホンの少しキナ臭い感じがした。
 しかし・・・

 (ま、何を企んでても関係ないか。もうとっくに首輪を付けてあるんだから)

 既に腹の決まっている蘭子は、些細な疑念を頭の隅に追い遣って相手の出方を待った。

「ご無沙汰・・・・。そうですね、だいぶ長い間ご連絡をいただけなかったんですが、どうされてました?今日いらして頂けたってことは、何か進展があったってことですね?」

 相変わらず荒木は落ち着いた口調だった。
 そこには以前会った時の、焦ったような様子は見られなかった。

「えぇ、ございましたわ」

 蘭子は相手の反応を確かめるように、言葉をポンと返した。

「暫く潜入して居りましたのでご連絡できなかったことをお詫びいたしますわ。でも、その甲斐は十分にありましたの」

 蘭子の言葉に初めて荒木の眉がピクンと上がった。

「ほう・・・。では、あのマインド・サーカスの尻尾を掴んだと・・・そういうことでしょうか?」

 僅かに身を乗り出した荒木に蘭子はニンマリとした笑みを向け肯いた。

「それは素晴らしい・・・いや、全く素晴らしい」

 荒木は感服したような表情を作り、両掌を上に向けた。
 しかし蘭子の目にはあからさまに馬鹿にした心の動きが手に取るように判った。

 (全っ然、信用していないってワケね?)

 無論尻尾を掴んだというのは蘭子のハッタリなのだが、一方で自分の言葉を素直に受け取らない相手に蘭子は腹を立てていた。

 (たかが田舎ヤクザ風情が生意気ね。この私の言葉を疑うなんて10万年早いわっ)

 思わず眉間がキツクなる。
 油断してると実に表情豊かに内心を表してしまう蘭子だった。
 それに気付き荒木の口元が苦笑したように緩む。
 しかしそれを咳払いで誤魔化して、荒木は続けた。

「そういう事でしたら少しお待ち願えますか?ウチの幹部連中にも一緒に聞かせてやりたいんで」

 無論蘭子に異存はなかった。
 一緒に聞いてもらった方が手間が省けて好都合なのだ。
 そして待つほども無く、4人の男たちが新たに部屋に現れたのだった。
 スキンヘッドの2名が石田に神宮寺、そしてパンチパーマの2名が横溝に清水という。
 荒木以外は見たまんまヤクザそのものだった。
 この程度の組織では幹部といっても頭のキレより強面なのだろう。
 しかし何れも以前の打合せで面識のあった者たちばかりだった。

 (OK~っ。ぜ~んぜん問題なしね、このメンツ)

 既に催眠暗示を刷り込んである面々である。
 蘭子にとっては、少しやんちゃな幼稚園児を相手にするようなものだった。

 (ふふふ・・・。さぁて、お姉さんが良いお話をしてあげますからねぇ。ちゃ~んと聞くんですよ)

 蘭子は早速話を始めようとしたが、その時ふと気付いた。

「あら?今日は社長さんはいらっしゃいませんの?」

 いつも先頭をきって現れていた柏田社長なのだが、今日はその巨体を見掛けていなかった。

「オヤジはいねぇ。構わず話を初めてくれねぇか、お穣ちゃん」

 パンチの横溝が横柄に口を開いた。

 (一人だけ別メニューね。ま、いいわ。その程度はサービスしてあげるわ)

 蘭子は小さく肯くと、口を開いたのだった。

「この3ヶ月の成果を報告します。結論から申しますと、マインド・サーカスとの接触に成功いたしましたわ。そして彼らのメンバーのうち2名の肉声を記録してございます・・・この中に」

 そう言って1枚のMDを蘭子はテーブルに置いたのだった。
 全員の視線がそのMDに釘付けに成る・・・・・・・筈だった。
 しかし、一瞬視線を注いだものの、それは明らかにお義理のそっけないモノだった。

「で、何が記録されてるんだい?」

 これはスキンヘッドの石田だった。
 一応質問口調だったが、耳の穴を掻きながらソッポを向いている。
 少しも興味が無いことは明白だった。
 この態度にまたも蘭子の眉が険しくなる。

「ここには彼らの組織の内紛の様子が記録されていますわ。そして彼らが使っているキーワードも幾つかはね」
「へぇ、そりゃあ大したもンじゃねぇか。アンタ、奴らの組織に潜入を果たしたってワケだ。一体どういった手を使って潜り込んだんだぁ?」

 石田はチラッと横目で蘭子を見て訊いた。
 しかしその口調も表情も、完全に蘭子を馬鹿にしたものである。
 そして、そんなあからさまな態度を周りの男たちも諌めようともしていなかった。

「石田ぁ、お前頭悪ぃな。こんなベッピンなお嬢さんなんだぜ?股開きゃ、ナンボでも男なんざ引っ掛るぜ」

 “げへへへへっ”と品の無い笑い声が上がる。
 パンチの清水だった。
 そしてそれに釣られたように周りの男たちも無遠慮に笑い声を上げた。
 無論、そんな嘲笑を受け流せる蘭子ではない。

「目星をつけて罠を張るっ!・・・・・・・それだけですわっ」

 5人を睨みつけるようにしながら、蘭子はピシャリと言い切った。

「そしてターゲットに気取られぬように潜入し、必要とあらば拐取し、取引現場を張り、決定的な証拠を得る。あなた方の天敵さんと同じようなことなのですわ。そして、そんな地味な努力だけが謎の組織を浮かび上がらせることが出来るのです」

 言葉は丁寧だが、蘭子の視線は既に喧嘩ごしだった。
 しかしその相手は、そんな蘭子の話すらまともに聞いていなかった。
 それどころか、懐から写真を取り出したもう一人のスキンヘッド神宮寺が、それを隣に座っている石田に見せながら何事かを耳元で囁いていた。
 途端に石田の目がまん丸になり次の瞬間、肩を震わせて笑い出したのだった。
 するとその様子に両脇のパンチ二人もその写真を覗き込み、そしてその笑いの発作は瞬く間に伝染していったのだった。
 まるで、集中力の欠如した生徒達の授業風景のようである。
 プライド高い蘭子は、完全に切れる寸前だった。
 こめかみがピクピクしていた。

 「ま、こうしてこらえ性の無いあなた方には決っっして真似の出来ないことですわっ!」

 蘭子は叩きつけるようにそう言って立ち上がった。
 その突然の大声にやっと写真から目を上げた男たちだったが、しかし蘭子を見上げた途端またも全員が『ぷっ』と噴出してしまったのだった。
 なんと荒木までもが俯きながらも口を斜めにしている。

「ちょっ、あ、貴方達っ!失礼じゃありませんかっ」

 蘭子は真っ赤になって怒鳴った。
 こんな田舎ヤクザ相手に嘲笑われる理由など無かった。

「こっ、こりゃぁ失礼。いやいや・・・確かに俺たちには絶ってえ真似できねぇぜ」

 笑いの発作を必死に鎮めながら、清水は苦しそうに言った。

「たっ、確かに・・・。ぷっくくっくっ。こっ、こんなこと・・・出来ねぇよなぁ」

 そういって最初に写真を懐から出した神宮寺が、もう一枚を取り出し裏返しのまま蘭子に差し出したのだった。
 蘭子はそんな神宮寺を凄い目で睨みながら、その写真を受け取った。
 そして何の躊躇いも無くそれを表に向けたのだった。
 しかし・・・

 (ん?)

 最初、蘭子はそれが何か判らなかった。
 だだっ広い駐車場のような場所を背景に、一人の人物が写っている。
 しかしどう見てもその人物はマトモでは無かった。
 目は完全に白目を剥き、半開きの口元からは涎が顎を伝ってる。
 そして完全に逆立った髪が、マンガのように頭を大きく見せていた。

 嫌悪感で瞬間的に視線を外そうとした蘭子だったが、しかし何かが気になりそれが出来なかった。
 するとまるでポツンと気泡が弾けるように、その時蘭子の頭に1つのフレーズが浮かんだ。

 (あ・・・私もこの服持ってる)

 そしてまるでそれがきっかけのように、蘭子の頭の中で次々と、まるで津波のように言葉が氾濫し始めたのだった。

 (あっ、靴も同じ、あああっ、このピアスっ、うぁぁぁあああああ、水溜りっ、こんなっ、こんなっ、こんなっ、こんなっ、こんなっ、こんなぁぁぁぁああああああああああああああああああっ!)

「ひぃぃぃいいいいいいいやぁぁぁあああああああああああああ!!!!」

 蘭子は癲癇の発作を起こしたように体中を痙攣させながら、目を見開いた。
 それは例の閃光音響爆弾で完全に失神させられた蘭子自身の姿だったのだ。
 あまりの衝撃に蘭子の全ての思考は停止した。
 そして次の瞬間、まるで悪鬼が乗り移ったような敏捷さで清水に飛び掛り、持っていた写真を掻っ攫ったのだった。

「うそよっ!嘘よ、嘘よっ、嘘よっ!こんな、こんな、こんな、こんなことぉおおっ」

 蘭子は、そして半狂乱になりながら、その写真をビリビリに破いたのだった。
 そしてそれでも飽き足らず、その破片を置いてあった灰皿に入れ、ライターを火をつけようとした。
 けれど震える手でなかなか火がつかない。
 焦る蘭子に、しかしその時バサッと何かが投げつけられた。
 ハッとしてテーブルの上に視線を投げる。
 すると、そこには新たな数十枚の写真がばら撒かれていたのだった。

「あ゛~っ」

 まるで動物のような悲鳴を上げた蘭子に、なんとまたも写真の束が投げつけられた。
 右から、左から、まるで紙ふぶきか、ライスシャワーのように蘭子めがけて、写真が降り注いだのだった。

「へへへへっ。ど~~っ致しましたぁ、お嬢様ぁ?そんなに慌てて集めなくても、言ってくれれば欲しいだけやるぜぇ」

 その嘲笑の言葉に、写真の山に埋もれ茫然自失状態だった蘭子がゆっくりと顔を上げたのだった。

「き・・・きさまらぁ・・・よくも・・・よくもこの私を・・・愚弄したね!たかが、田舎ヤクザ風情がっっ!」

 既に蘭子の中では全ての抑制が外れていた。
 ここ1ヶ月の軍資金を提供させようと遠路遥々やってきた目的など消し飛んでいた。
 “きつね”くんに小手先であしらわれた屈辱、そして白神から受けた屈辱、それが行き場を失い暴走しかけていた。

 しかし蘭子のその言葉を聞いた荒木はニヤついていた笑みを引っ込め、代わりにヤクザの陰惨な視線を蘇らせた。

「『たかが田舎ヤクザ』ですか?なるほど、だから俺たちを裏切っても良いと思ったんですか。田舎ヤクザ風情、怒らせたところで大したこと無いと?」

 荒木の口元に、先程までとは明らかに違う笑みが浮かぶ。

「お黙りなさいっ!お前たちのような屑に少しでもまともな対応を要求したのが間違いだったわ。たった今からお前たちはロボットにしてあげるわっ。1から10まで全部私の命令どおりに動く絶対服従ロボットにねっ」

 その言葉に男たちから苦笑が漏れる。

「やれやれ・・・。苦労知らずのお嬢様が、ついにキレちまったか?」

 しかし蘭子はそんな言葉を完全に無視すると、怒りに燃える瞳で5人を見据えそのまま右手を大きく上に突き出したのだった。

「神の右手が命じますっ!全員っ、石となりなさいっ!!」

 裂ぱくの気合が、男たちの心を一瞬で掴み取った・・・・

 蘭子は、一分の不安も抱くことなく、暗示の成功を確信していた。

「ったくっ、じょ~~~談だないわっ!ホンット、冗談じゃないわっ、全くもうっ!!あったま悪いにも程があるわっ!屑は黙って金だけ出してりゃ良いのよっ。素直にしてりゃ少しは優しくしてあげたのにっ!バッカじゃない、こいつらっ」

 蘭子は目の前のヤクザ達を完全に無視して、ばら撒かれた写真を掻き集めながら悪態を吐いた。

「それもこれもっ、何もかもっ、ぜぇ~~んぶっ、あの馬鹿きつねの所為だぁ!見てなさいよぉ、この私を怒らせてっ、ただでは済まさないんだからっ!」

 完全に頭に血が上っていた蘭子は、しかしそこでふと手を止めたのだった。
 そして、写真の山を手に訝しげな表情となった。

 (お・・・おかしい。どうしてコイツ等がこの写真を持っている?これは私たちとヤツ等しか知らない筈なのに・・・)

 その時だった。

「ようやく気付いたのかい?」

 有り得る筈のない声を蘭子は聞いたのだった。
 一瞬背筋を痙攣させた蘭子は、次の瞬間弾かれたように振り向いた。
 すると目の前に、口を斜めにした荒木が立っていたのだった。

「なっ・・・なん・・・で?そんなこと・・・・・ありえない・・・」

 蘭子の口から出るとは信じられない震えた声が漏れた。

「“ありえない”か。ふふっ、やっぱアンタ、所詮は2流だな。そんなんじゃ一生“きつね”さんには勝てねぇよ」

 荒木のその一言で、蘭子はやっと事情を理解したのだった。

「お前たちっ・・・あ、あいつ等と」

 蘭子の瞳がギラッと光った。

「アンタのお陰だぜ。奴等、ウチと提携を申し込んで来やがったよ。これからは車の両輪ってワケだ」

「お前っ、そんな事信じたのっ!」

 蘭子は迂闊さに臍をかむ思いだった。

「あぁ、信じたね。そして提携の駄賃に俺等にひっそりと仕掛けてあったアンタの罠をネコソギ取っ払ってくれたんだぜ?」

 蘭子の行動は素早かった。
 荒木が言い終わる前に、ドア目掛けてダッシュしていたのだった。
 しかし・・・

 蘭子の踏み出した足は、3歩目を数えることは出来なかった。
 丸太のような太い腕がハンマーのような拳を蘭子の鳩尾に打ち込んだのだ。
 ヤクザの行動には一片の手加減も無かった。
 一瞬両足が宙を浮き、そして天使が舞い降りるようにゆっくりと蘭子はその場に崩れ落ちたのだった。

「イッチョ上がり・・・だな?」

 スキンヘッドの神宮寺が打ち込んだ拳を確かめながらそう言った。

「どうします?」

 石田が荒木に訊く。

「どうって、奴らに連絡して引き渡して全て終了・・・っだろ?」

 横から清水が口を挟んだ。
 しかし、荒木はその問いに黙って首を横に振った。

「いいや・・・・・。そうじゃねぇ」

 そして蘭子の傍らにしゃがみ込むと、気絶している蘭子の頤(おとがい)に手を当て、顔を上に向けた。

「上玉じゃねぇか。ふふふ、これだけの牝をそのまんま奴等に引き渡しちゃ、舐められるぜ。ここは、提携先の実力を示してやらねぇとな」

 その意外な提案に、4人の男たちは忽ち頬を緩めた。

「へへへ・・・なぁるほど。確かにこれだけ上等の肉を料理しねぇって手はねぇな」
「このくそ生意気な女を、完全な奴隷に仕立てて奴等に引き渡してやりゃ、でっけぇ貸しになるぜ」「ふふふっ、ここは女衒としての年季の入り方を奴等に見せ付けてやろうぜ」

 みな一様に憑かれたような視線を失神した蘭子に注いでいた。
 しかしその時、ふと気付いたような表情で神宮寺が荒木に訊いた。

「でもよぉ、兄貴。こいつの催眠術はどうすんでさぁ」

 その問いに一瞬男たちは静まる。

「前に掛けられたときにゃ、俺ら誰一人それに気付けなかったんだぜ。調教している筈が、いつの間にか独り言を言わされてたんじゃ話になんねぇぜ」

 しかし荒木は軽く肩を竦めて言った。

「なぁ~に、別にそんな事大した問題じゃねぇぜ。要はコイツが催眠を掛けられないようにすりゃ良いだけじゃねぇか」

 荒木はそれだけ言うと、指を伸ばし蘭子を唇をゆっくりとなぞっていったのだった。

< つづく >

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