赤い靴『洗脳』

『洗脳』

【2002年12月26日PM11時45分】

「頼む助けてくれ!助けてくれ!」

 銃を突きつけられ泣き叫んでいる男が居る。

パンッ!パンッ!

 二発の銃声が鳴り響き彼は物言わぬただの肉の固まりになった。

「お母さん!お母さん!」

 今度は母親を探し求め泣き叫んでいる子供がいる。
 次の瞬間その子は頭に一発の銃弾を撃ち込まれ崩れ落ちた。

 幸せな家庭、恋人達の姿が私の周りを取り囲んだ10台ものスクリーンから一斉に映しだされる。
 しかしその姿はすぐに変わり果てた姿になる。
 そして今愛くるしい子供の姿が私の目に飛び込んできている。
 手におもちゃらしき物を持ちながら無邪気に走り回っている姿だ。

――もうじきあの子も

 その場面を想像しただけで恐怖感と嘔吐間が襲ってきた。
 耐えきれず目を固く閉じたが子供の泣き叫ぶ声やナイフで突き刺しているような鈍い音が耳に飛びこんでくる。

「誰が目を閉じろと言った! 目を開けてよく見やがれ! お前もすぐこうなるんだ! こんな無様な姿になるんだ!」

 エッジの怒号が部屋中に響き渡っている。
 おそるおそる目を開けると全身をナイフのような物で切り裂かれた子供の屍が飛び込んできた。
 ズームアップされた目には涙が浮かんでいる。

「なりたいんだろう!お前もこんな姿になりたいんだよな!」

 身体の震えが止まらない。
 こんな物を見せる事によって彼等は私に死に対する恐怖心を植え付けるつもりだ。
 そんな事はじゅうぶん分かっているのだが私の身体は自分でも止められないほど恐れおののいている。

「みんなお前がこんな姿になる事を望んでいるんだ。すぐにこうなるんだ」

 エッジは更に調子に乗り私を責め続けている。
 この場から逃げ出したくとも椅子に手足をしっかり固定され身体の自由を奪われた身ではどうする事も出来ない。

「ほら!こいつももうすぐ死ぬぞ! 今度はどんな死に方だろうな」

 エッジは私の後頭部を押さえながら大声を上げて笑いだした。

「やめて!もうやめて!」

 まともに声が出ない。
 どうやら私は泣いているようだ。

「はは!首をちょん切られているぞ。 こんな姿お前にも似合うんじゃないか!」

 そう言いながらエッジはテレビ画面の一つを手の平で強く叩いた。
 激しい嘔吐感に襲われるが何も吐き出す物が胃の中に入っていない。
 胃から這い上がってくる液体に喉を激しく焼かれるだけだ。

ごほっ!ごほっ!

 息が出来ない。凄く苦しい。
 その間にも耳にはエッジの怒鳴り声と死にゆく者達の叫び声が絶え間なく入ってくる。

「どうだ!死にたいか! こんな姿になりたいのか!」

 私の後頭部を前後に激しく揺らしながらエッジが叫ぶ。
 死にたくない!こんな姿になるのは絶対嫌だ。
 怖くて怖くて仕方がない。

「こいつでお前の顔をずたずたに切り刻んでやろうか!」

 エッジはそう言うと私の目の前に鋭角に尖ったガラスの破片を突き出した。
 何時間か前に私が握っていた物だ。

「やめて!お願い!やめて!お願い!」

 何度も同じ言葉を繰り返す。
 そんな私を見下しながらエッジの言葉は容赦なく続けられる。
 早くこんな地獄は終わって欲しい。
 遂に下半身にも生暖かい感覚が走った。

「もらしやがった!汚ねえな。お前はいつも椅子に座って小便するのかよ。この変態女が!」

 いくら罵倒されようとも恥辱感はない。
 恐怖心の方が遙かに勝っているからだ。
 ただひたすら『やめて!』と繰り返す事しか出来ない。

「こんな変態女はみんなに嫌われて当然だ! 親もお前を生んで後悔していたぞ!」

 私の目を覗き込みエッジが叫んでいる。
 いったいいつになったらこの地獄から抜け出せるのだろうか。

【2002年12月27日AM2時5分】

「次来る時にまだ生きていやがったらただじゃおかねえぞ!」

 それはエッジが出て行く時最後に残した言葉だった。
 そして入れ替わるようにしてすぐにセロが部屋に入ってきたのだ。
 彼の顔を見てひとまず地獄から脱した事を認識する。
 なぜか涙が止まらない。

「私死にたくない!お願い!あんな姿になりたくないの!」

 テレビ画面には依然として屍の山が映しだされている。

「大丈夫ですよ!あなたを守ってあげますよ。私はいつでもあなたの味方です」

 セロが私の頭をなでながら微笑みかけている。
 不思議な事に昨日までセロに対して抱いていた嫌悪感が薄れてきている。

「助けて!お願い!助けて!」

 もはや屈辱感を抱く余裕などない。
 今私には叫ぶ事しか出来ない。
 先程と同じように再び同じ言葉を何度もひたすら繰り返す。

「あなたをこんな姿には絶対させませんよ!私が守ってみせます」

 セロがそう言った途端テレビの電源が一斉に落ちた。
 しかしまだ震えと涙は止まらない。
 こんなにつらい時間を過ごしたのは生まれて初めてだ。

「こんなになって可哀想に!」

 セロはそうつぶやきながら私の吐いているズボンをずり下げ下半身を剥き出しにしている。

「本当に可哀想に!」

 セロは私の下半身に頬をくっつけながら幾度も『可哀想に』という言葉を繰り返している。

「私が綺麗にしてあげるからね」

 セロは私にわざと見せつけるように口から長い舌をゆっくりと突き出した。
 下半身にはもはや生暖かい感覚はなく冷たさだけが残っている。

ぺちゃぺちゃぺちゃ

 そして私の濡れた下半身をその長い舌で大きな音をたてながら舐め回し始めた。
 思わず『あっ!』という声がもれた。
 それに反応しセロの舌の動きも止まった。

「大丈夫!すぐに綺麗になりますよ。 あなたは私の大事な宝物だ」

 セロはそう言うとにこりと微笑み再び膝から股の間に向かい舌を這わし始めた。
 あたかも私の反応を確かめるかのようにゆっくりと時間を掛けながら。

「嫌!」

 椅子にしっかりと固定されているので動きがままならないが出来るだけ身体を動かしセロを拒否する。
 そんな私をセロは上目づかいで注意深く観察している。
 彼の姿は子供の頃に祖母の家で見た事がある大きなトカゲを思い出させる。
 その事がより一層恐怖を感じさせた。

「やめて!やめて!やめて!やめて!」

 私が騒ぎ出したのとほぼ同時にセロの舌が再び止まった。
 人差し指を立て左右にゆっくり振っている。

「やめて!」

 セロはまだ叫んでいる私を口元を歪ましながら観察している。
 まるで獲物を捕らえた事を確信したような表情だ。
 そして私の耳元に近づいた。

「心配しなくても良いですよ。あなたが望まない限りこれ以上の事はしませんよ」

 これ以上の事をしたいなんて思う筈がない。
 しかしセロはそんな私を見つめ喉を鳴らしながら笑っている。
 この自信に満ちあふれた表情はいったいどこからくるのだろうか。

「何回でも言いますが私はあなたの味方ですよ」

 セロは再びその言葉を強調している。
 そんな手にのるものかと自分に言い聞かす。
 こんな地獄の中に味方など居る筈がない。
 だがセロと居る時はこんな地獄の中でも救われていると思う自分がいるのもたしかなのだ。
 それほどまでに今私はエッジの怒声と目の前のテレビから流される残酷な画像に恐怖を感じている。

「安らぎが欲しい」

 私から突然出た言葉にセロは少し驚いた表情を見せる。

「少しでいいから眠りたい」

 疲れと空腹と睡眠への欲求でほとんど何も考える事が出来ない。
 考える事が凄くおっくうで流れに身を任せたくなっている。

「それは認めるわけにはいけません」

「なぜ?」

 セロは瞳を少し上に上げ何事かを考え始めた。
 そして慎重に言葉を進める。

「その答えはあなた自身にあるのです」

 どういう事か分からない。
 私は『どういう事?』と聞く代わりに首を少し右に傾けセロの答えを待った。

「今あなたは、まだまだ蛹(さなぎ)になったばかりの状態です。早く私の期待に添えるような立派な女性になってください」

 セロの言う立派な女性というのは立派な奴隷をさすのだろう。
 『負けてはいけない!』と弱り切った自分に再び言い聞かす。

「ともかくこのままではあなたの身体がもたない」

 セロはそう言うと手にしたバッグの中から一本の注射器をとりだした。

「やめて!いったい何をするの?」

 騒ぐ私を無視するかのようにセロは平然とした表情をしながら注射器を軽く指で叩き空気を抜いている。

「心配しないでください。ただの栄養剤ですよ」

 セロは笑顔を見せながらそう言っているが何を私の身体に注入しようとしているのか分かったものではない。
 私は手足を椅子に縛られたまま必死に抵抗する。

「お願い!やめて!近づかないで!」

 セロは人差し指を唇の前で立てて黙るように命令している。

「静かにするのです!私があなたに変な物を打ち込むわけがないでしょ」

 更にセロは言葉を続ける。

「それともこの映像に出てきた人のようにあなたは死にたいのですか?」

 その言葉により私の身体の動きは瞬時に止まった。
 先程のおぞましい映像が頭の中で蘇り身体が震えてきた。
 たしかにこのままでは私は死んでしまう。
 残念ながら今の私に選択の余地はないのだ。

「そう!そのように大人しくしていれば良いんですよ」

 注射器の中に入っている液体が有毒な物なら私は命を落とすかもしれない。
 そこまでいかなくとも私の精神を破壊する物かもしれない。
 でもどうする事も出来ないのだ。

「消毒が必要ですね」

 セロは私にわざと見せつけるように長い舌を精一杯伸ばし私の右腕にくっつけた。
 そしてゆっくりと滑らし始めた。
 いつもの私なら嫌悪感とショックのあまり気を失っているかもしれない。
 でも今は全身を襲う虚脱感と生存への執念が勝っている。
 運を天に任せ固く目をつぶった。

「刺した瞬間に少しだけ痛みを感じますからね」

 セロが言ったとおり針が皮膚を貫通する時少し痛みを感じた。
 思わず顔をしかめる。

「震えてますね」

 その言葉とともに注射器が腕から抜かれた。
 それにともない私は固く閉じていた瞼を開いた。

「大丈夫ですよ。これは本当にただの栄養剤です。 あなたが裏切らなければいつまでも私は味方ですよ」

 そう言うとセロは今私に打った注射器を自分の腕に刺し少しだけ残されていた液体を注入した。

「安心してください。私は味方ですよ」

 セロが微笑んでいる。
 そしてなぜか私の心は安らぎだしている。

――ひょっとしてセロは地獄に落ちた私の前に垂らされた蜘蛛の糸なんだろうか。

「ではそろそろ私は退室します」

 セロが私に背を向け部屋を出ていこうとする。
 この後はきっとエッジがまたやって来てあの残酷な映像を背に罵倒し始めるのだろう。
 私の全身を再び恐怖が包みこむ。

「嫌!行かないで。 エッジが怖い!凄く怖いの!」

 私の願いも虚しくセロはドアを閉めた。
 錯覚だろうが糸が切れる音が耳に入ってくるようだ。
 そして直ぐにエッジが入ってきた。
 終わりのない地獄はまだまだ続くのだ。

【2002年12月27日AM5時35分】

 エッジの責めは、ますます激しくなってきている。
 あの男が出て行った後も怒鳴り声と死にゆく者達の叫び声が耳から離れない。
 何度も頭を振ってみたが結果は同じだ。
 眠気と疲れで身体は既に限界を越している。
 ただ無性に怖いのだ。
 安らぎが欲しいだけだ。

「泣かないでください。あなたが泣くと私も悲しくなってきます」

 セロは部屋に入ってきてすぐにそう言った。

「もう限界なの!・・・・私、私・・・・・・・」

 次の言葉が出てこない。
 その事が一層悲しさを増す事になり大きな声を出して泣きだした。
 傍らではなぜかセロも一緒に泣いている。
 もう涙は止まらない。
 私達はひたすら泣き続けた。

「私はあなたの味方ですよ」

 どれくらいの時間セロと一緒に泣いていただろう。
 セロは泣きながらもいつもの言葉を私に投げかけている。

「助けて!お願い!助けて!」

 セロが椅子に固定された私の右手をしっかり握る。

「あなたの為なら何でもします。私を信じてください」

「信じる?」

 セロが私に向け力強く頷いている。

「そうです!あなたが信じられるのは私だけです」

 セロは私の耳元で強く言い放つと再び立ち上がった。

「嫌!行かないで!行かないで!私を置いていかないで!」

 これ以上エッジも死体も見たくはない。
 それくらいならもっとセロと居たいのだ。

「大丈夫!私はあなたを裏切りません。またここに来ますよ。信じてください」

 私の叫びを振り切ってセロはまた部屋を出ていった。

【2002年12月27日PM9時00分】

 ようやく部屋からエッジが出ていった。
 彼は今回も私にありとあらゆる罵声を浴びせ続けた。
 つらく苦しい時間だった。
 でも彼の言っている事の一部はたしかに本当の事だから仕方の無いところもある。
 両親も以前親友と呼んでいた人達もみんな私の事が嫌いなのだろう。
 映像に映っていた人達と同じように私も死ねば良いと思っているのだ。
 そんな事は分かっている。

「戻ってきましたよ」

 こんな状況の中でもセロの笑顔を見ると心が温まってくるのを感じる。

「また泣いていたのですか? あなたには笑顔が一番似合いますよ。 さぁ!笑って」

 セロの笑顔につられて私の顔にも笑顔が戻る。
 なんて心地良いのだろうか。
 ずっとこのまま笑っていたい。

「素晴らしい笑顔だ!あなたには本当に笑顔がよく似合う」

「そんな事ないです。 私は生きていてもしょうがない人間なんです。 みんなだってそう願っているんです」

 途端にセロの顔から笑みが無くなった。

「何を馬鹿な事を言っているんだ。 少なくとも私はそんな事は願っていないよ」

「本当?」

「えぇ!本当ですよ。 誰が何と言おうと私はあなたの味方ですよ」

 私は一人じゃない。少なくともセロは私の味方なのだ。
 この事実は私にとってどんなに助けになっている事だろうか。
 セロがいなければ私はエッジの責めに耐える事が出来ていなかっただろう。

「セロ・・・・・・・・」

「なんですか?」

「私・・・・・・・眠りたい」

 セロはまたもや首を左右に振り私の願いを認めない。

「どうして?」

 私の問いにもセロは首を振り続ける。

「私がまだ生まれ変われていないから? みんなに嫌われているから?」

 どうすれば生まれ変われるのだろう。
 どうすれば眠りにつく事が出来るのだろう。
 ますます分からなくなる。

「また来るよ」

 セロは困ったような表情を浮かべながら突然そう言い放ち私に背を向ける。
 セロがまた出て行く。そうすればまたあのエッジがやって来る。
 私は必死に呼び止める。

「来たばっかりじゃない!駄目!行かないで。 あなたを困らせない!眠りたいなんて言わない!絶対セロの期待に応えるから出ていかないで」

 私の叫びも虚しくセロが振り返る事はなかった。

【2002年12月27日PM0時40分】

 どうしてこんなに悲しいんだろう。
 どうしてこんなに苦しいんだろう。
 私が『卑劣でどうしようもないクズ』だからこんな目に合うのだという事は分かっている。
 全部自分の蒔いた種だという事も理解しているつもりだ。
 でも私は死が恐ろしい。
 無惨な姿になりたくない。
 セロに早く来て欲しい。
 私をこの地獄から救い出してくれるのは彼しかいないのだ。

ガチャッ!

 ドアの開く音が鳴る。
 きっとセロだ! 私の顔に再び笑みが戻る。
 しかし入ってきたのはセロではなかった。
 今出て行ったエッジでも無かった。
 全身を紫の服で身を固めた子供なのだ。

「君は?」

 私と目を合わそうとしないその子は私の前を通り過ぎ左側まで来ると抑揚の無い声で突然『あー』と叫びだした。

ガチャッ!

 『あー』といううめき声が合図だったのかまたもや全身紫ずくめの子供が入ってくると先程の子供の隣に立ち同じように『あー』と叫んだ。
 その繰り返しで私の左右に3人づつ子供が立っている。

「これは何なの? いったい君達は?」

 何がなんだか分からない。
 しかし言いようのない恐怖感が襲ってくる。

「あーーー」

 最後に入ってきた子供が叫ぶ。
 それに反応しドアが開かれ片目を潰された男が近づいてきた。

「バグ!」

 私の叫びを気にするようでもなくバグは相変わらずの無表情のまま目の前に立つ。

「いやー!いや!いや!いや!来ないで!出て行って!」

 バグは片目でじっとこちらを見ている。
 それに加えて子供達の視線が突き刺さる。
 もう目を開けてはいられない。
 耐えきれず固く目を閉じた私に子供達の声が容赦なく入ってくる。

「あー・・・・・・・・ひろし!ひろし!ひろし!」

 一斉に子供達が『ひろし』の名を抑揚のない声で連呼しだした。

「ひろし!ひろし!」

 バグもその声に合わせる。

「やめて!やめて!」

 もちろん彼等が止める気配はない。
 気が狂いそうだ。
 再び嘔吐感が襲ってくる。

「助けて!セロ!助けて!」

 私は必死に叫ぶ。

「セロはもう来ない。あなたは終わったんですよ」

 バグが静かな口調で囁いだ。

「そんなの嘘よ!セロは来てくれるわ!きっと私を助けてくれる!」

 首を激しく左右に振りながら叫ぶ。
 声はすでに涙声だ。 しかし自分が泣いているのかどうかさえ分からない。
 その間も子供達の『ひろし』と連呼する声は止まらない。

「やめて!その名前は止めて!」

「どうしてですか?貴女の一番愛している人の名前ではなかったのですか?」

 子供達とバグが連呼するその名前がたまらなく怖くなってきている。
 目を閉じた暗闇の中その恐怖は更に強くなってきた。
 その名前を聞くだけで気分が悪くなる。

「もう私を許して。 お願いだから・・・・・お願いだから・・・・・」

 早くセロに来て欲しい。助けて欲しい。
 それだけが今私の頭の中にある。

「あなたは瞼を閉じながら人にお願いするのですか?」

 バグの言葉は更に続く。

「私が目を潰されたからと言って馬鹿にしているのですか?」

 私は『そんな事ない』と言いながら更に強く首を左右に振る。

「あなたも同じように目を潰してあげましょうか?」

 バグの言葉は冷淡だ。
 彼等は私の身体に傷をつけるなんて事は絶対しないと思っているが不安がよぎってくる。

「10数える間だけ待ってあげます。その間目を開けなければ目を一つ失うと思ってください」

 子供達の手が私の頭を押さえ付ける。
 流石にこれだけの人数だと全く首が動かない。

「10・・・・9・・・・8・・・・7」

 『絶対そんな事するわけがない』と無理矢理自分に思いこませ固く目を閉じる。
 しかし手足の震えは止まらない。

「6・・・・5・・・・4」

 『開けてはいけない!絶対にこれは脅しだ!』と言い聞かすが不安は増すばかりだ。

「3・・・2」

「止めて!」

 とうとう我慢出来ず叫び声と共に瞼を開く。
 その瞬間バグが親指と人差し指でつまんでいる縫い針の尖端が目に飛び込んできた。
 私は下半身に再び温もりを感じる事になった。

【2002年12月27日PM3時25分】

 バグが言っていたようにセロは私を見捨てたのだろうか。
 もう私には地獄しか残っていないのだろうか。
 そんな私の不安は次の瞬間杞憂にすぎない事が証明された。

「大人しくしていましたか?」

 部屋に入るなりセロはいつもと変わらぬ優しい微笑みで語りかけてくれる。
 もうエッジやバグは会いたくない。人が死んでいくのも見たくない。
 ずっとずっとセロに居て欲しい。離れたくはない。

「お願い!もう行かないで。私を置いて何処にも行かないで!」

 セロが私の髪を優しくゆっくり撫でてくれる。
 手の温もりが私の全身に行き渡るようでとっても心が落ち着いてゆく。

「大丈夫!安心して。もう二度とエッジと会わすような事はしないよ。 君を傷つけるような事は私が許さない」

 セロが頷いている。
 私はこの言葉をどんなに待っていただろうか。

「本当?」

「私があなたに嘘を言った事がありますか?」

 そう!セロは嘘など一度も言った事はない。
 心温まる優しい笑顔で私を包み込み私の事をいつも気にかけてくれている。
 それなのに我が儘な私はセロを困らせてばかりいた。
 なんて私は自分勝手だったのだろう。

「セロ!私あなたになんて謝ったらいいのか・・・・・・」

 自然に私の目から涙が溢れ出る。

「謝る事なんてないですよ。私はずっとずっとあなたの味方です」

 そう!セロは私のたった一人の味方なんだ。
 こんな私を見捨てず救ってくれるのはこの人だけなんだ。

 セロはズボンのポケットから一つの鍵を取り出すと跪き私と椅子とを縛り付けている鉄製の錠をひとつひとつ丁寧に外した。

「このやり方は発狂してしまう人も居るんで私は反対だったんだがよく耐え抜きましたね。 あなたは強い人だ」

 私は強くなんかはない。セロが助けてくれなければ何も出来ないんだ。

「ここはあなたがいつまでも居る場所じゃない。 さぁ!私と一緒に行きましょう」

 私はセロに飛びつく。
 長時間椅子に固定されていたせいか全身が痛く手足に力が入らない。
 しかしこの手はどんな事があっても絶対離さない。
 セロから離れたくない。

「私幸せです」

 不意に出た私の言葉に反応してセロがにっこり微笑む。

「いつまでもこうしていたい」

 私の身体にまわしたセロの腕に力が入る。

「私も同じ気持ちですよ」

 そう言いながらセロは私を半ば抱きかかえながら忌々しいこの部屋を出て長い廊下を歩きだした。
 この廊下が永遠に続けばどんなに幸せだろうか。

「さぁ!着きましたよ」

 そしてどれくらい歩いただろうか突然ある部屋の前でセロの足が止まった。
 そこは今までより遙かに大きな扉が設置されており異様な迫力を醸し出している。
 どうやらここに私一人で入れという事のようだ。

「セロ!私怖い」

 セロは胸に顔を埋めた私を優しく引き離す。

「怖がらないで!ここはあなたにとって避ける事の出来ない所なんだよ」

「避ける事が出来ない?」

 セロの表情はいつもに増して真剣だ。

「そう!これまでにあなたの身体に染みついてしまった垢を完全に取り除かないと生まれ変わる事は出来ないんだよ」

「生まれ変わる?」

「本当の自分を見つけたあなたを見たい。 進むべき道を完全に理解した人になって欲しいんだ」

 セロが私に期待している。がっかりさせてはいけない。
 私の事をいつも大事に思ってくれているセロの期待に応えなければいけないんだ。
 私は『分かった』と言う代わりにゆっくり力強く頷いた。

「あなたは出来る! 私は信じてますよ」

 そしてセロによりその扉は開かれた。

【2002年12月27日PM11時40分】

「今までの私は間違っていた!駄目な人間だった!私は生まれ変われるんだ!きっと生まれ変われる!絶対に生まれ変わるぞ!」

 二十畳以上はあろうかというこの大きな部屋に来てから何度この台詞を叫んだだろうか。
 正直喉が痛いし身体も疲労しきっている。
 全く睡眠もとってないので頭がぼやけている。
 しかし私は叫び続ける。
 セロの為・・・・・そして何より自分自身の為に。

「つらいけれど頑張るのですよ! あともう少しです。もっともっと大きな声で叫びなさい」

 目の前には一人の女性が立っていて私を励ましてくれる。
 彼女の名はシルラ。
 年齢は四十代後半といった所だがその彫りの深い顔から昔はかなりの美形だったと想像出来る。
 私の他にもここには女性ばかり10人が居てお互いペアーを組みそのうちの一人が残った一人に本当の自分を見つける為の指導をしてくれている。
 その中で私を指導してくれているのがシルラというわけだ。
 最初この部屋に入ってきた時彼女は私に両親や友達、そして私を長年苦しめてきた昔の恋人ひろしへの思いをここに居る全員の前で白状させた。
 ほぼ全員から容赦のない罵声が浴びさせられ間違いを指摘された。
 言い返すと『本当に生まれ変わる気はあるのか』などと更に強い責め言葉がぶつけられた。
 シルラは『騙されてはいけません!本当のあなたを見つけるのです』と私に言い聞かせた。
 あのあと何回も私は叫び続けている。
 ここに居る全員が何かしら叫んでいる。
 中には指導してくれる女性にしがみつきながら泣き叫んでいる者もいる。
 みんな必死に戦っているのだ。本当の自分を見つける為に。

「もっと感情を込めて叫ぶのです。垢を全部落とすのです」

 シルラの声が大きくなる。
 私も最後の力を振り絞って心から叫ぶ。

「両親は私を愛していない!ひろしは私を利用した!友達と呼んでいた者達は全員偽善者だ!」

「そのとおりです。彼等はあなたを見下している最低の人間です。悔しくないですか?」

「悔しい!悔しい!悔しい!悔しい!」

 憎悪の感情が高まる。
 悔しい!悔しい!いくら憎んでも足りないくらいだ。

「はい!今日はここまでです」

 シルラが両手を叩き『パン!』と鳴らす事で突然今日のここでの指導は終了した。
 全身の力が全て抜け虚脱感だけが残る。
 しかし確実に私の中で何かが変化している事が感じ取られる。

「そうだ!セロ!セロ!」

 突然不安になり私は急いで部屋を出た。 
 そこには私の不安を吹き飛ばすようにセロがいつもと変わらぬ笑顔で私を待っててくれていた。
 迷う事なく彼の胸の中に飛び込んだ。

――凄く温かくて気持ち良い

 幸福感に包まれた中私に久しぶりの眠りが訪れる。
 セロの温もりに抱かれて私は本当の幸せを知ったのだ。
 もう偽りの世界には戻らない。
 絶対にセロの期待に応えてみせる。
 私はきっと生まれ変われるんだ。

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