事件 女優に何が起こったか?

――世の闇が、ふと世界にまろびでることがある。
 しかし普通の人はそれを目の当たりにしても、その意味すら気が付かない。
 裏の空気を知るものだけが、「やったな、あいつ」と気付くのみである――

 俳優、田辺健は白血病で何度も死地を彷徨った。
 急性白血病は発見が遅れると確実に死ぬ病で、早期に発見できた田辺は、極めて運が良かったといえる。
 しかしそんな強運の持ち主である田辺も、白血病発症で、かなり弱気になっていた。
 それまで熱心でなかった、雀尊会の私のところへ訪れるようになったのも、そうした背景があったからこそだろう。
 雀尊会は法華経の流れを汲み、「南無妙法蓮華経」を唱和する。新興宗教の1つであるが、名より実を取り、芸能界やスポーツ界に浸透していた。知名度より利益を取ったと言えなくもない。

 もともと雀尊会とつながりが深かったのは、田辺の妻、恵理子であった。
 タレントの友人Yの紹介で仏法に興味を持った彼女は、夫田辺の白血病発症によって雀尊会にのめりこんだ。
 トドメとして、高額な入院費と新築したばかりの自宅の建築費の資金援助をすると、私の言いなりになった。もちろん本当なら、こっちから金を出すことなんてない。新興宗教というのは金が入ってはくるが、出て行くところではないのだ。
 金を出したのは、あとあとの倍返しのためである。先行投資というやつだった。ついで恵理子の身体を自由にするためでもあった。
 そう。恵理子は私の説法を聞くという理由で何度も訪れ、そして私のテクニックですっかり悦楽の虜になっていた。
 しかし単なる先行投資の金の意味は、ある日を境に一変する。
 あの女と会ったのだ。
 私がその女と会った日から、歯車は別の場所にカチャリとはまり込んだのである。

 その女と会ったのは4月。田辺の白血病再発が確定となり、入院が決まった日であった。
「先生、また明日から入院しなければなりません。でも、このまま帰ってこられない気がしてしょうがないんです」
 歯を食いしばって耐えている姿は、気弱になったとしても、なお常人より覇気があった。
 何も私を頼らなくても、おそらく自力で道を見つけ出すだろう。
 しかしそれでは、こちらも商売にならない。
「仏の道を知るには、少し時間が短いでしょう。あなたには人より多い試練がありますが、それは得られる代価が大きいからです。この試練を乗り越えれば、きっと新しい自分がみつかるはずです」
「得られる代価……ですか?」
「そうです。仕事でもプライベートでも。新たな自分が開けます」
「新たな自分……」
 田辺はその言葉を噛み締めていた。
 私が入院費を出したと聞いて、田辺は妻以上に私を信用するようになっている。
「不安をなくすのでなく、受け止めるのです。そして同時に集中力を鍛える。例の簡単な方法です。今日もやってあげましょう」
「はい。お願いします」
「それでは、あのご本尊の2番目の蝋燭を火を見て。呼吸を炎に合わせます。はい10、9、8……」
 意志の強い彼に催眠術をかけるのは至難の業だったが、「集中力を身につける」という理由で何とか1分で催眠状態に落ちるところまで来ていた。
 これで不安が多少でも解消されるのだから、新興宗教も捨てたものではないではないか?

 10分ほどの催眠で不安を抑えてやる。目覚めた田辺の表情は晴れやかだった。
「先生、ありがとうございます。これから病気と闘ってきます」
「そう。前向きにね」
「はい」
 立ち上がった田辺はそのまま帰るのかと思われたが、躊躇した後また座りなおした。
「どうしました?」
「あの、実は、妻と離婚を考えています」
「それは……驚きました。仲が良さそうに見えたのに」
「はい。もっと好きな女性に会ったのです」
 田辺の表情には迷いがなかった。今さっき迷いを消したのだから当たり前である。
「うーん。それはしかし……」
 せっかく入院費を肩代わりしても、離婚されたら意味がない。出した金額の何倍も貢いでもらわねばならないのだ。
「その女性があなたの新たな悩みの種にならないか、心配ですね」
「新たな悩みですか」
「そうです。これからあなたは病と闘わねばならない。奥さんと二人三脚でなければ難しいですよ」
「それはわかっていますが……、私には彼女しかいないと確信したのです」
「うーん。それでは、ここに1度連れてきなさい。私があなたと彼女との相性を見てあげましょう」
「本当ですか。それならすぐできます。実はここまで一緒に来てまして、待合室で待っているのです」
 私はびっくりした。誰かと一緒に来ているのは知っていたが、それは妻の恵理子だと思っていたのだ。しかも一緒に来たということは、すでに相当の仲と言うことになる。
「いい機会です。会いましょう」
 実は予定が詰まっていたが、私は承諾した。

「さ、入って」
 しばらくして入ってきた女性を見て、私はさらに驚いた。
「はじめまして。若村です」
「素浪人陣九朗」という田辺主演のテレビ時代劇で競演している、美人女優の若村奈緒美だったのだ。ドラマでは主人公陣九朗とつかず離れず、恋人とも友人ともつかない微妙な役を好演していた。
 他にもサスペンスものや映画にも多数出ている有名女優である。
「はじめまして。小津です。雀尊会にようこそ」
 整った顔はテレビで見るより数段上だった。
 なによりそのしっとりとした和風美人ぶりが、素晴らしい。胸はそこそこだが、それも古風な和風美女の雰囲気に貢献している。
 挨拶もしっかりしていて、清楚な雰囲気ながら芯のある女性であることをうかがわせた。
「田辺さんを支えていらっしゃるようですね」
「はい」
 まっすぐこちらを見て答える。不倫を非難されることを覚悟している表情だった。当然だ。仏門の末席を拝命する者として、不倫を奨励するわけにいかない。
「しかし俗世から見れば、重い病を背負う田辺さんと、それを支える妻の恵理子さんに同情が集まります。あなたは非常に大きな業を背負うことになる」
「はい」
 即答だった。今時珍しく一途なタイプなのだろう。
――病が酷いというのに、こんなイイ女とよろしくやってるのか。
 妻の恵理子もイイ女である。私は初めて田辺に嫉妬を覚えた。同時にこの女を手に入れたいと思った。

 そう。心底思ったのだ。

「なんにせよ。田辺さんにも恵理子さんにも、あなたにも時間が必要です。特にあなたには耐える力が必要だ」
「はい」
「いや、あなたはわかっていない。芸能界の荒波を渡ってきたかもしれないけど、まだ恵まれた道だった。なにより人の業の深さを知るにはまだ若い」
 ポンポン言われてとまどった表情の若村の正面から、私は目に力を込めて断言した。
「孤独を知っていることは、力にはなりませんよ」
「……」
 今まで浮いた話を聞かない女優だ。しかも妻がある田辺とここまで噂にもならずに来ている。
 だから耐える力に自信があるはずだった。しかしその自信は孤独と対決してきた自信だと、私は見抜いていた。孤独に耐え、孤独と共存し、孤独に慣れる。たぶん自らの聡明さに吊りあいの取れる男がいなかったのだろう。
 やっと巡り合った男は、既に結婚していた。不幸な女である。
「あなたは本当の業というものを知らなければならない。宗教を勉強しろと言っているのではありません。あなた自身が、もっとはっきりと自分を知る必要があるのです」
「自分を?」
「そうです。我慢することと耐えることは違う。あなたはその意味すらわかっていない」
「……」
 初めて若村が動揺した。
 宗教家に正面から説法されて、自分を保てる人間は少ない。
「とにかく、これからあなたも、ここにいらっしゃい。お金は必要ありません。田辺さんと関わった以上、これは私の業でもあるのでしょう」
 私は若村に言ってから、同席していた田辺に目を移した。
「恵理子さんとの件、私に案があります。今は私に任せてしっかり病気を治してください」
 田辺は若村がやりこまれてるのを見て不愉快そうだったが、私の言葉を聴いて表情を一変させた。
「ありがとうございます。先生」
――さて、これから忙しくなる。
 私は心からの笑みを浮かべながら、冷たく思考した。

 ある噂が駆け巡るようになったのは、それから半年ほどしてからだった。
「田辺の妻の金遣いが荒く、何億もの借金がある」
 借金の債権者はもちろん私である。田辺の病の心労を癒すためと称して、私は恵理子に金を使わせたのだ。誰でも金を好きに使えと言われて嫌がるわけはない。
 恵理子はたやすく「凄まじい浪費癖の妻」へと転落した。しかも身体の関係は続いている。恵理子は身も心も私に依存するようになっていた。

「また来ました。若村です、先生」
 笑顔を見せて若村が入ってくる。もう既に若村はここに通うのが嬉しくて堪らなくなっているのだろう。テレビや舞台では見せない、はにかんだ笑みである。
「いらっしゃい。それではさっそく今日も始めましょう。いつものように2番目の蝋燭の火を見つめて」
「はい。先生」
 若宮は正座をする私の前で、同じく正座をして蝋燭の日を見つめた。
「それでは、私の数える言葉に集中して。いきますよ。10、9、8……」
 若村はなんの警戒もなく催眠誘導される。
「ほら。とても気分が良くなってきた。不安や心配が消えて、心が楽になる……」
「ああ、本当に……」
 うっとりとした表情で、答える若村。
 10分ほどで、この日の「唱和」を終えた。
「しかし、不倫の重さに若村さんは耐えられそうにないですね。もっと前向きの恋をしなければ」
「それはわかっているんですけど」
「もっとあなたにふさわしい人が現われると私は思いますよ。それまで、いつでも私はあなたの心を支えましょう。もっとも僧門一筋でご覧の通りの容姿だから、人の恋路の話には疎いけれど」
「そんなことないですわ、先生。私には先生はとても魅力的に見えます」
「それは嬉しいですね。そう言ってくれるのはあなただけですよ。若村さん」
 私が手を取ると、若村は少女のように顔を赤くした。
「僧門の方でも結婚してる人はした気がしますけど……」
「ええ。そういう方も結構います。カソリックと違いますからね」
「先生は、なぜ結婚しなかったんですか?」
 好奇心以上の感情が、その眼にはある。1週間に1度の「唱和」の成果だった。
「ずっと修行のみでしたから。この雀尊会を立ち上げなければなりませんでしたし。人の助けをする方が私には大事だったのです。今もね、あなたの幸せを願っていますよ」
「先生、私なんか……」
「いいえ。あなたは素晴らしい人だ。私にはわかります。他の誰にもわからなくても私にはわかる」
「先生……」
 若村が私の手にすがりつくようにしなだれかかって来た。
「若村さん……」
 私は力を込めて抱きしめる。
 若村が来るときは、いつも人払いをしてあった。邪魔される心配はない。
「あふぅん……」
 長い長いキスをすると、若村は熱っぽく潤んだ眼で喘ぐ。
「気持ちいいでしょう。どんどん気持ちよくなりますよ」
「ああ、先生……」
 若村の服を脱がす。小ぶりだが張りのある乳。ほっそりと贅肉のない美しい裸が、目の前にさらけ出された。
「恥ずかしい……」
「大丈夫です。全て私に任せて」
 ゆっくりと乳房を揉み上げる。吸い付くような素肌を堪能し、官能を掘り起こしていく。
 女盛りの身体だ。私のテクニックで燃え上がらせることは簡単だし、暗示も効いている。
「ああぁ、先生、あ、そこ、ダメ……」
 手を降ろしていくと、言葉だけの抵抗をした。しかしもう彼女に抗う気持ちはない。
「あっ、ああっ、そんなところっ」
「素晴らしいですよ。『奈緒美』さん」
 私は名前を呼んだが、彼女はそれに気付かない。
 くちゅ、ぬちゅん、くちゅくちゅ……。
 潤い始めた証拠のいやらしい音が部屋に満ちる。
「そんなぁ、ダメえぇ……」
「私に全て委ねるんです。壁を作ってはダメですよ。さあ、私が受け止めてあげます」
 指を濡れきった蜜壷に、差し入れる。ねっとりと媚肉が絡みついてきた。
「あああっ、あっ、あっ、ああああああっ」
「さぁもっと全てを感じて! 私に委ねて!」
「んはあぁっ、そんなっ、お、奥にっ」
 媚肉の上の方に感触の違う場所があった。私は慎重にそのざらっとした壁をなで上げる。
「ひあっ! あっ、あっ! そこっ、そこはぁっ!」
「いいんです! もっと感じてっ!」
「ダメっ! もうっ! くぅっ、んっはっ、あっはあぁん!!」
 差し入れた指は既に3本になっている。その指を不規則に動かしつつ、親指でもっとも敏感な秘豆を皮の上からこすり上げた。
「くはあぁっっっ!!!」
 ビーンと身体を突っ張らせる若村。のけぞった身体がビクンビクンと跳ねる。見事な絶頂だった。
「良かったですよ、奈緒美。その調子でもっと自分をさらけ出すのです」
「あああ、せぇんせぃ……」
 涎を垂らしながら、焦点の合っていない眼で悶える若村。
「さあ、いきますよ」
 私はそんな若村に声をかけて、ゆっくりと肉棒を挿し込んだ。
 ずぶぅぅん。
「あはぁん、入ってくるぅん……」
 若村の成熟した女性の身体は、たやすく私の肉棒を飲み込み、さらに奥に引っ張り込むように脈動してくる。
 ぐちゅ、ぬちゅ、ずちゅ、ぐちゅ。
 抽送を開始すると、若村は足を私の腰に絡めてきた。
「あっはぁ、んっはぁ、くっはあぁ……」
「どうですか? 開放されましたか?」
「ああっ、開放され、くは、ましたっ。も、もっと、開放ぅ、しぃ、てぇくだっ、あっあっ、ああああっ」
 下がってきた子宮を突き上げるように貫く。
 ぬっちゅ、ずっちゅ、ぐちゅちゅ。ずっちゅ。
「ああっ、んはあぁっ、うはあぁっ」
 半分白目をむいたままヨガりまくる若村。暗示も効いているから、今までのセックスの何倍もの快感を感じているはずだ。
「んくあぁっ、もう、もう、せんせいいぃ、あ、あらしぃ、もおぉぅぅっっ!!」
「んっく、私もそろそろイキますよ!」
 競り上がって来るものを感じて、私も叫んだ。
「あっ、来る、くる、くるぅっっ!!」
「さあ、いきますよっ、開放しなさいっ、これまでで最高の開放ですっ!」
 私は自分自身を解放した。
 どくぅっっ!! どぷぅっっ!! どぴゅぅっっ!!
「んああああああああああああああああああっっっっっっっ!!!!!!!」
 伸び上がった身体が、電気ショックを受けたかのように跳ね飛ぶ。
 私は若村の膣に、たっぷりと精液を流し込んだ。
 素晴らしい達成感だった。私はようやくここまで、来たのである。
 それからしばらく若村の身体を堪能してから、さりげない動作で身体を離す。
「先生……」
 トロンとした眼で見上げてくる若村。私はその眼を正面から受け止めて、厳かに言った。
「私も修行が足りません。今、田辺さんが病と闘っています。その影で『私たち』が仲良くなるのは、彼の未来に関わるでしょう」
 私は彼女の眼を正面からみつめて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
 女性と話をする時は視線を眼からはずさないことだ。真摯さを伝えるには、それが必須である。そして手を握りながら話すと、女性は無意識に親密さをつのらせる。
「今はまだ、私もあなたも、田辺さんが病と闘うために、田辺さんが強い心を持ち続けるために、ここにいます。まず彼のために祈りましょう」
「ああ、先生、ごめんなさい。私、忘れてました」
 若村は眼に涙を浮かべて落胆する。
 もともとは「自らをみつける」ためだったのだから、「忘れてた」のでなく、「知らなかった」と言うのが正しいかもしれない。しかし今の彼女にはそのことはどうでもいいことだ。
「いいですか。私たちの仲を、田辺さんに悟られてはいけません。闘う田辺さんのために、絶対に秘密なのです。いいですね?」
「はい、先生。わかってます」
 彼女はしっかりと頷いた。共有する秘密を持つと、親近感はより強くなる。そして彼女が田辺に秘密を持った、この瞬間に道はすり替わったのだった。
「これからもいつものようにいらっしゃい。でもそれは田辺さんのためです。私たち2人のためでは決してないことを、忘れてはいけませんよ」
 これから先も、田辺の求めに応じて、何度か身体を重ねることがあるかもしれないが、彼女は決してイクことはできない。開放されるのは、私との行為だけである。
 彼女の田辺に抱いていた女としての愛情は、次第に献身的な母性愛に変わっていくだろう。

 白血病に完治は存在しない。
 しかし田辺は持ち前の強運と精神力で、月1回の病院通いをするだけで、舞台や映画に出られるまでに回復した。
 既に若村と私の関係が始まって2年。田辺の妻、恵理子の私からの借入金は4億を超えるまでになっていた。
「よくここまで回復しました。あなたは試練を乗り越えたのです」
「はい。ありがとうございます、先生」
 神妙に頷く田辺。しかし今日は決断の日である。もちろん私が設定したのだが。
「恵理子さんは私から借入金がかなりの金額に上っています。浪費癖も世間に漏れるようになっていますから、離婚もたやすいでしょう。しかし絶対に恵理子さんを悪く言ってはいけません。あなたのことをずっと案じていたのも、確かなのですから」
「はい。わかっています」
「離婚すれば、ようやく若村さんと結婚できるようになりますね」
「はい……」
 田辺の顔は曇った。
「どうしたのです?」
「それが最近、奈緒美の雰囲気がおかしいのです」
 悲痛な表情の田辺。
「おかしいとは?」
「すごく自分を心配してくれるのですが、どこか心が遠くなった気がするのです」
「やはり、そうですか」
 私の言葉に田辺は驚いた。
「何かご存知なのですか?」
「実は悩みを打ち明けられていました。病気と闘っていたのは、あなただけではないのです。彼女も闘っていたのです。そして彼女はそれに疲れてしまったようです」
「奈緒美が……」
 田辺は絶句した。
「誰でもあなたのように、何年も何年も不治の病と向き合えるわけではないのです。彼女には、あなたが落胆するから、言うなと口止めしていました。あなたの心を折る行為をさせたくなかったのです」
「……」
 田辺はじっと中空をにらみつけていた。
「強いあなたには、それだけの厳しい試練が訪れます。そして新たな舞台で新しい自分を掴み取っていくでしょう。既に新たな舞台が用意されているのではないですか? たとえばアメリカから」
「えっ! どうしてそれを」
「私にはわかります。何年あなたと共に歩んできたと思っているのです」
 田辺が移った新しい事務所の人間に、私の息のかかった者がいるだけの話だが、田辺は真摯な顔で私の言葉に耳を傾けた。
「その話に全てを掛けて立ち向かいなさい。若村さんとのことを振り切り、大いなる試練を打ち負かしたとき、あなたにはさらに新しい道が開けるでしょう。そう、マカデミー賞の受賞も夢ではない」
 マカデミー賞などと出されて田辺は面食らったようだった。
「そんな、途方もない話です」
「いいえ。私にはわかります。今のあなたにはそれだけの光が宿っている。試練に全てを掛けて立ち向かいなさい。そうすればあなたは決して後悔しないでしょう」
 私は田辺に決断を迫った。
「選ぶのです。新たな道か。1人の女性を追う道か」
 聞かなくても答えはわかっていた。そのための仕掛けも今まで何度もしてきたのだから。

 衛星テレビできらびやかなハリウッド女優が、助演男優賞の決定を伝える手紙をひるがえしている。同時通訳の音声が彼女の言葉を翻訳した。
「それでは、助演男優賞は、……」
 ハリウッド映画「ファイナルサムライ」は大ヒットを飛ばし、田辺が演じた侍は極めて高い評価を受けた。そして主役を食う演技の当然の評価として、マカデミー助演男優賞にノミネートしたのである。
「受賞は……ティモシー・ロビンス」
 その言葉と同時に、長身の白人俳優がはにかんだ笑みを浮かべて立ち上がった。
「さすがに白人社会の壁は厚かったか」
 それでも素晴らしい快挙である。カラテやカンフーでなく純粋に演技のみで、並みいるハリウッド俳優の一角を占めたのだ。これから、彼にはハリウッドで新たな道が開けるだろう。
「それだけの器はあったからな」
 こういうことになっても、私は彼のことを誰よりも評価しているのである。
「あはぁん、もうしてぇ」
 股間で肉棒を奉仕していた奈緒美が蕩けた顔を上げた。
「前の男の晴れ舞台なのに、節操のない奴だ」
「んふぅ、あの人のことは言わないでぇ」
 身体をくねらせて奈緒美はねだる。
「わかった。わかった。自分で入れたら、してやろう」
「ああ、嬉しい……」
 完全に悦楽に酔った笑みを浮かべながら、奈緒美がにじり寄ってくる。
 彼女と私は去年結婚した。世間で一時騒がれたが、真相を知る者などいるはずない。
 離婚訴訟となっている恵理子がいるが、4億を超える借金がある状態で騒げば、自分の首を絞めるだけである。なにしろ絶対に払えない金額なのだから。
「ああん、なかなか入らないぃ」
 腰に力が入らないから、なかなか挿し込めない。
 映画やテレビの清楚な表情が、この私の前でだけ快楽に溺れきったさまを見せるのは、たまらない快感だった。
 ずりゅうん。
「あはあぁ、はいったぁ……」
 うっとりと肉棒を堪能している奈緒美。
「奈緒美、幸せか?」
「はい。とぉっても、幸せですぅ」
 私は満足して腰を動かし始めた。
「あっ、あっ、いいっ、いいっ、あなたぁっ、いいのぉっ!!」
 私の上で、奈緒美はどこまでも乱れていった――。

――世の闇が、ふと世界にまろびでることがある。
 しかし普通の人はそれを目の当たりにしても、その意味すら気が付かない。
 裏の空気を知るものだけが、「やったな、あいつ」と気付くのみである――

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