BLACK DESIRE #16-3

7.

 その日の放課後、達巳郁太が下校の為に人気の無くなった通路を歩いていると、突然頭からばさっと何か袋のような物が被せられた。

「!??!?!?」

 そして次の瞬間、どこか顎の辺りからぷしゅっと空気の抜ける音がして、唐突に瞼が重くなる。

(な、なんで学校の中で誘拐されにゃならんのだ……!?)

 遠のく意識の中、よっこらせと何者かに担ぎ上げられながら、なんかどこかでこんな事が……と思い出しかけたところで郁太の思考は闇に閉ざされた。

 その40秒後、哉潟姉妹の特別ルームに大きな荷物を肩に滑り込む黒尽めの姿があった。長いポニーテールに黒い衣装、カチューシャ、エプロン、黒いストッキングのメイド姿。「子守から戦闘機の操縦まで何でもこなす」とのたまう哉潟姉妹汎用人型専従メイドである。

「こちらでよろしいですか?」

 人間一人を担いで走ってきたのにも関わらず、息を乱した様子もなく無感情にそのメイドは尋ねる。そこにいた三繰の頷きを確認し、彼女は「荷物」を椅子に下ろした。素早く手足を拘束していたバンドを外し、頭にかけられた袋を外す。その下からは眠りこけた少年の顔が出てきた。メイドは手を当てて少年の呼吸に異常が無いことを確認し、側に立つ少女に頷いて見せる。

「ありがとう。もういいわ」
「はい。何かありましたらお呼び下さい」

 メイドは音も気配もなく一瞬で姿を消した。それを確認する事もなく「さて……」と三繰は側の机からSFチックな外観のヘッド・マウント・ディスプレイを手に取る。

「少し我慢してね、達巳君」

 郁太の体はいつの間にか椅子から崩れ落ちないよう、手足がその肘掛けや脚に縛って固定されていた。ぐったりと俯いた頭にその装置を被せ、2つのイヤホンを耳に刺す。それだけの事をしても少年は全く意識を取り戻す気配は無かった。

「いいよ。達巳君の方はオッケー」
「こちらも準備は出来ています」

 三繰が振り返ると、そこには郁太と同じHMDを額に乗せた七魅が立っていた。七魅はもう一つ椅子を寄せて少年の椅子と背中合わせになるように位置を調整する。

「……良し」

 七魅は2つの椅子の位置を見比べ、そしてふと表情を緩めると椅子に膝を付いて身を乗り出し、少年の襟を直してやった。袋を被らされた時に裏返ったのだろう。
 それを複雑な表情で見つめながら、三繰が躊躇いがちに聞く。

「本当に……やるんだよね?」
「ええ」
「危ないよ?」
「わかっています」
「そんなに……」
「姉さん……」

 七魅は体を起こして振り向いた。そして、「ごめんなさい」と姉に頭を下げる。

「これは私のわがままです。姉さんとの約束を破ってごめんなさい」
「いいよ……そんなの。ナナちゃんの決めた事だもん。私は何も言えないから」
「……ありがとう、姉さん……」

 七魅はもう一度頭を下げた。そんな妹を三繰は優しく励ます様に抱きしめる。

 郁太の記憶を取り戻すために出来る事。哉潟姉妹の力を使ってこれから行おうとしている事。それは、達巳郁太と哉潟七魅の意識共有である。題材とするのは、郁太自身が本の能力を使って撮影、記録した写真やビデオ映像。それを七魅が見て記憶を再構成し、哉潟家の超能力を使って郁太に体感させるのだ。

 通常の感覚共有や暗示と異なり、郁太に刷り込むのは生きた感覚、視覚、聴覚の意識情報である。それ故に意識がある状態での施術は思考の混濁を招き危険であった。だから、今回は最初から郁太を眠らせてある。ヘッドマウントディスプレイは閉じた瞼越しにフラッシュを使った導入に使用する。

 この作業で最も危険なのは、言うまでもなく七魅であった。休眠状態とはいえ、他人の思考とダイレクトに繋がるのだ。思考や性格を熟知した姉妹同士の記憶共有に比べ、性格も性別も異なる者同士の接触は、少年にも、そして七魅自身にも多大な負荷が予想された。だからこそ、これは双子の間では禁じ手とされて、封じられた御技となったのだ。

「……姉さん。あんまり、時間が無いから……」
「うん」

 三繰は妹を抱いた手を離した。そして両手で少女の手を握る。

「お姉ちゃんも一緒にいるからね。絶対、ちゃんと帰ってきてね? いい?」
「大丈夫……」

 七魅はその手にもう片方の手を重ねた。

 どちらからともなく同時に手を離し、姉妹は身体を離す。七魅は椅子に座り、もう一度郁太の様子を見た後に前を向いてバイザーの様な装置を下ろす。三繰は2人のくっついた背もたれが丁度中央に見える横の位置に移動した。

「じゃ……やるよ」
「初めて下さい」

 三繰の言葉に七魅はこくりと頷く。三繰は2人の「網」を見出すべく意識の集中を始めた。ゆっくりと2人に左右の手をそれぞれ差し出し、その手首に結ばれた鈴を静かに振る。りん……と、部屋の中に2重の音色が響き渡った。
 ゆらり、ゆらりと2人の頭上に思考の糸で編まれた幕が翻る。三繰はゆっくり、ゆっくりとその両方にかざした手を中央に寄せ、そして、きゅ、と指同士を絡めた。それに合わせ2つの「網」が、互いの結び目を解いて1つへと編み直されていく……。

「……二ツ扇、手織舞」

 厳かに、唄うように三繰は哉潟家奥義の舞名を呟いた。

 初夏の青空の下、少女達のはしゃぎ声が周囲から響いている。風に乗って新緑の匂いと年頃の娘達の甘い匂い、そしてプールのカルキ臭。見渡せば少女達は日差しの照りつけるコンクリートのプールサイドで、恥ずかしげも無く制服を脱いで着替えを行っていた。
 その中の1人が早くも制服を畳み終え、軽い足取りで近付いてくる。

「達巳クン♪ 水着、下さいな♪」

 そう言って少年の元を訪れたのは三繰であった。可愛らしくも大胆な下着姿になっている。生地は薄く、今にも少女の肌や大事な部分が透けて見えそうだ。

『OK。じゃ、撮るね』

 少年はカメラを構え、三繰の全身撮影を開始した。これから渡す水着は、少年の暗示によって彼女達の脱衣姿の写真と交換という事になっているのだ。
 ブラジャーのカップ部分に施されたレースの刺繍が縫い目が見えるほどアップで撮影し、程良いサイズの2つの膨らみの谷間部分も上からファインダーに納める。同じく股間部の精緻な模様や半分透けているお尻の張り具合もつぶさに記録した。

「こんなところも撮るの?」

 三繰にポーズを取らせ、うなじや脇の下や太腿の内側など、普段はなかなか見られない場所も撮影する。脚の位置を変える度に下着と肌の間に出来る隙間の影が、少年のシャッターを何度も切らせた。

 下着姿だけで十数枚の撮影を終え、次なる段階へと進むべく少年は指示を出した。

『じゃ、脱いでるところを撮るから』
「うん……はい、どうぞ♪」

 その指示に従い、楽しそうに三繰はブラジャーをたくしあげる。少女の張りのある乳房がぷるんと2つこぼれでる。それをすかさず少年は接近してカメラに収めた。反動でまだ震えている先端部まで連写して記録に残す。

「素早いよ、達巳クン」
『両手で下から持ちあげてみて』
「おっぱい、もっと撮りたいの?」
『うん』
「こう?」

 少年の要望通り、三繰は胸を下から持ち上げて見せた。先端部がぴんと上向きに尖って突き出す。その部分にあるはずの母乳の出る穴まで見えそうなくらいズームマクロで少年はカメラ撮影を行った。その機械の視線に少女の色づいた先端がつんと持ち上がる。頬がほんのりと赤みを増していた。

「あのー、さ」
『何?』
「そんなに近寄ると、下着が写らないんじゃない?」
『いいんだよ、脱いだっていう証拠なんだから』
「そう……なの?」

 首を捻る三繰に、少年は続けて下の撮影の実施を告げた。脱いだパンティが写真に入るよう、太腿の中程まで下げるように指示する。

「後ろ向いて?」
『うん。脱ぐ時はお尻からね』
「お尻撮りたいんだ? じゃあ……」

 少女は背中を向け、お尻を構えられたカメラに突き出した状態で上半身を捻って少年の方に視線を寄越した。そして下着のサイドに指をかけ、ゆっくりと下に降ろしていく。小さなパンティに食い込みながらじわじわと露わになっていく少女のお尻。それをパシャパシャと激写する音が続いた。

『……あ、ホクロ発見』
「え? どこに?」
『ここだよ』
「きゃっ!」

 ちょんと指でお尻の肉をつつかれ、三繰は可愛らしい声を出した。ぴょんと背中を伸ばして手をやってそこをガードする。ぷるんと乳房が跳ね、お尻がちょうど下着の上からはみ出てその上に乗っている状態になっていた。

「もうっ!」
『あ、その格好いいね』

 少年は三繰が体を起こしたのを幸いと前に回ってなだらかなお腹の様子も撮影した。パンツが下にずれ、際どいところで割れ目の部分は見えないがそこを覆う茂みは丸見えになっている。その様子と同時に、下着の上の隙間からぎりぎりの角度で三繰の股間の膨らみの部分もしっかりと撮影した。

「あ……もう、撮り過ぎじゃない?」
『いいよ。沢山メモリーは借りてるから』
「その、直に撮らなくていいの?」
『物事には順番が有るんだよ。慌てなくてもちゃんと撮るからさ』

 カシャッとデジタル一眼レフの疑似シャッター音が鳴る度に、三繰はぴくぴくと身体を震わせる。自分の恥ずかしい姿を撮られる快感に酔い始めている事が見て取れた。

『よし……じゃあ、パンツも全部下ろして』
「う、うん……あ」

 三繰が下着を下ろすと、その中央部と股間部の間に透明な糸が引いた。抜け目なく少年はそれも撮影する。三繰の顔は真っ赤になっていた。

『いいねぇ。じゃあ撮っちゃうよ』
「うん、お願い……。見える……よね?」
『見えてるね』

 下着が太腿の中程まで下ろした状態で、少年は少女の股間部の詳細な撮影を開始した。全景を1枚、正面からのデルタゾーンのアップを2枚、煽りでお尻の方に続いている割れ目の様子を2枚、さらに近付いて毛根まで見えそうな近距離で別々の角度から3枚。
 前側が終わると、今度はまた少女を少し前かがみにさせてお尻側の撮影。今度は下着が無いため、お尻の穴から僅かな空白地帯を経て始まっている股間の割れ目の姿が完全に露わになっている。舐めるようにその一連の部分にカメラのレンズを押し当て、執拗に連写、連写。

「あん……」

 きゅ、とお尻の穴が窄まり、その後に割れ目の間からとろっと一筋の雫がこぼれ出た。その軌跡も丹念に記録する。

「ねえ、達巳クン。ちょっと、しつこくない?」
『だって、飽きないんだもん』
「もう……」

 そのまま気の済むまで少女の胸やお尻の撮影を続ける。三繰の股間部が溢れた雫でびしょびしょになり、膝の力が抜けてかくかくと揺れ始めたところでようやく少年は少女を解放した。気の抜けたようにヘたり込む少女に「へえ、何か可愛いね」と気にした様子もなく彼女の分の特製水着を押しつけたのだった。

 集まった少女達の撮影をしながら水着を配布していると、髪の長い長身の少女が落ち着いた足取りで少年の前に現れる。

「郁太さん、私も撮影、お願いできますか?」

 そう言って涼やかな微笑みで首を傾げたのは、星漣学園の元・セイレンシスター優御川紫鶴である。もっとも涼しげなのはその表情だけでなく、黒いレースの下着しか身に付けていない少女の肢体も同様であったのだか。

『もちろん、喜んで』
「お願いしますね」

 先ほどまでと同じ様に、少年は指示を出して次々と紫鶴の身体の細部まで撮影していく。殊更丁寧に余分も含めて下着姿の撮影を終え、少年は続けて紫鶴にその最後の1枚まで脱ぐように言う。その口調は少し上擦っていて、少女の持つ雰囲気に圧倒されている様子であった。

『少し、乳首を摘んで痛くない程度に引っ張ってみて下さい』
「こう……で、よろしいでしょうか?」
『あ、はい。ありがとうございます』

 少年は慌てたように少女の豊かで優しい柔らかさを秘めた乳房をファインダーに収める。その自在な変貌ぶりを全てメモリーに記録するべく、続けざまにシャッターを切った。少女の国宝級の白い肌と桃色に色付いた先端部の対比が静かに感動を呼び起こす。我を忘れ、少年はもう少しで呼吸すら忘れるところであった。

『じゃ、じゃあ次はお尻の方を。手を当てて、左右に引っ張ってみて下さい』
「はい。わかりました」

 紫鶴は素直に少年のカメラに見えやすいように上体を倒してお尻を突き出すと、手を当ててお尻の肉を左右に開いた。その中央の窄まりが一気にカメラのファインダー中央に姿を現す。たまらずに少年はシャッターを切った。

「こんな感じでいいんですか?」
『ええ! 出来ればもう少し真ん中を開いてみて下さい……!』
「こうですか……?」

 少女の白く長い指が中央の皺の部分にかかり、ぐっとそこを引っ張った。綺麗にそろっていた皺が引き延ばされ、ピンク色に塗れた内側の粘膜の部分が陽光の元に開かれる。距離にして数センチの超マクロ撮影でその部分を激写する少年。連続で自分の不浄の穴の周囲を撮影される気配に、紫鶴は顔を赤くしてもぞもぞと身体を動かした。その動きによって拡がった尻穴の形が歪む。当然、その様子も撮影する。

「あの……郁太さん……」
『は、はいっ!?』
「お尻、そんなに撮影が必要なんですか?」
『あ、えっと……勿論です!』
「そうですか……もっと撮るんですか?」
『ええ、出来るだけ奥まで必要です』
「わかりました……」

 紫鶴は両手の指をおずおずと穴の部分に近づけると、そっとその部分に押し当て、ゆっくりと指先を沈め始めた。

『あ……紫鶴さん?』
「その、恥ずかしいですけど……必要なら……」

 そして、息を吐きながら身体の力を抜き、指の間接を曲げて2本の指でその部分を押し開く。少年の目の前で、少女の排泄の穴はぽっかりと暗い空洞となって口を開いた。

「これで……中、見えますか?」
『……あ、はい……』

 圧倒的光景であった。美しさという言葉の代名詞に指定しても良い少女のもっとも汚れた物が排泄される穴である。それが、その少女自身の指によって歪みながら引き延ばされて大きく拡張され、少年に絶対的秘密の部位の内壁が陽の光に美しく濡れて輝く様を見せ付けていた。

『おぉおお……!』

 思わず感嘆の声を上げる少年。自ら肛門の中を異性の視線に晒している少女は、その声に恥ずかしそうな、嬉しそうな、微妙なはにかんだ表情で目を伏せた。その何とも嗜虐性をそそる顔付きに少年はゴクリと喉を鳴らし、素早くカメラに収める。

「少し、すーすーしますね……」
『えっ!? あ、ぼ、僕じゃないですよ!?』
「あ……そんな……嗅がないで下さい……」

 紫鶴の顔が耳まで赤くなる。少年の顔が自分のそこに余りにも近過ぎることに気が付いたのだ。実際のところ、少年は今は少女の表情に気を取られていたのでそこからのにおいを気にする余裕は無かった。それに、もしもそれに気が付いていたとしても紫鶴の様な少女から発せられるにおいを不快に思うはずもなかった。
 だが、紫鶴の方はそう思えなかった様で、慌てて指を離し、腰を引いて手で押さえてしまう。

「も、もういいですよね?」
『え……あ、はい……』

 少年は言葉とは正反対の表情と口調で紫鶴の言葉に答えた。それを見て少女は少しばつが悪そうな顔をしたが、流石に自分から再度撮影を申し出ることはしない。少年は内心がっくりしながら紫鶴に彼女の分の黒い水着を手渡した。

『じゃ、これ紫鶴さんのです』
「ありがとうございます、郁太さん」

 何となく間が持たなくなったせいか、紫鶴は水着を手にするとそそくさと元来た方へ戻っていった。水着の袋を胸元に当てて去っていく少女の白いお尻を見送り、少年は深々と溜め息をついたのだった。

 楽しいプール遊びの時間は過ぎ、昼食も終えてそろそろ解散の時間がやって来た。企画発案者の少年は屋外プールのプールサイドで談笑する少女たちの様子をビデオカメラで撮影していく。参加者の女の子達はすでに少年に借りた水着を返却していたから、全員生まれたままの格好である。

 昼食を並べていたシートにぺたんとお尻を付けた女の子座りの少女達がいる。ベンチに座って話し込んでいる少女達もいる。プールサイドの簡易シャワーで水浴びしている娘達もいる。まだ水の張られていない屋外プールの縁に体育座りしている女の子もいた。
 さりげなく様子を見て話しかけながら少年は少女達の胸やお尻、股間の様子を撮影する。明るい声で会話しながら惜しげもなく肌を晒し、写真やビデオに記録されていく少女達。彼女達はみな、羞恥心を無くした訳ではない。

「あ、今おっぱい撮ってました?」
『わかる? ついでだからもう少し脚を開いてくれるといいんだけど』
「わかりました。これくらいですか?」
『いいねぇ。ついでに指を使ってあそこも一緒にいい?』
「もう、仕方ないですね」

 そう笑って、顔を赤らめながら割れ目をぱくっと開き、カメラのレンズにその部分を晒す少女。股間に向けてシャッターが切られる度に微笑みが深くなる。この行為を「楽しい」と感じているのだ。

 彼女達は少年によって、「恥ずかしい」が「楽しい」という感情を引き起こすように暗示がかけられている。今日はみんなでプールに遊びに来たんだから、楽しむためには逆説的に恥ずかしいことをすれば良いってことになっていた。そのため、少女達は少年の露骨な撮影にもにこにこと笑いながら応対している。

「お尻も撮ります?」
『撮らしてくれる?』
「いいですよ。はい」

 そう言って赤い顔で笑いながら尻を左右に引っ張る少女。

『ビデオだし、せっかくだから何か言って』
「え、急に振られても……えっと」
『今、どこを撮影されてるの?』
「お尻の……穴のところ?」
『ちゃんと言ってよ』
「あう……肛門ですよ、こーもん!」
『もう一度』
「肛門ですっ! 私、今肛門をビデオで撮影されちゃってますっ!」
『よくできました』
「もう……恥ずかしいなぁ……楽しいけど」

 さて、そんなこんなで少年がぐるりと一周してくると、三繰が彼を待ちかまえていた。少年の荷物を入れたバッグの側の椅子に座り、撮影済みのメモリーカードの中身をタブレットデバイスで確認している。もちろん、その格好は素っ裸である。

『やあ、楽しんでる?』
「達巳君って、エッチだよね」

 出し抜けに少女はそう言った。

『悪い?』
「別に……でも、偏ってない?」
『そうかな?』
「うん」

 カードの中の写真をカタログ表示させ、その中の一枚をつんと指さす。画面一杯に先程撮った紫鶴のお尻が映し出された。

「達巳君って、お尻の穴とか、おしっことか好きだよね。フェチなの?」
『嫌いな男はいないんじゃない? 特に可愛い女の子ならね』
「でも、偏ってる」
『許せ。そこら辺はまだまだ探求の余地が有るんだ』

 少年は芝居がかった仕草で肩を竦める。

『それに、胸は見せちゃったら後は揉んだりして遊ぶだけだけど、お尻やあそこはまだ自分で開いて見せるっていう楽しみが有るでしょ?』
「やっぱり、エッチだ。変態だね」
『男がエッチじゃなきゃ人類はここまで発展しなかったよ』

 少年の物言いに三繰は「ぷ」と吹き出した。

「何それ……車が出来たのも、飛行機が空を飛んだのも、コンピューターも達巳君みたいな人がいたからだって言うの?」
『真に、その通り。欲望が文明を作ったという意味ではね』
「私達、何の話をしてたんだっけ?」
『だから、お尻とおトイレについての話でしょ?』

 遂にけらけらと三繰は笑いだした。口元を押さえ、更に目元まで押さえておかしさが顔中から吹き出すのを堪える。

「あーおかしい! そんなにお尻フェチの達巳君には、今度プレゼントをあげるわ」
『だから、フェチじゃないって。……で、何くれるの?』
「いいモノよ♪」

 少女は口の前で人差し指を立ててウィンクする。これ以上は受け取ってからのお楽しみ、という事なのだろう。

 しばらく、少年と少女はそうやって馬鹿話をしながら時間を過ごした。と言っても、会話が続くという訳でもなく、少女の話題に少年がおどけた返事をして笑わせるという事の単純な繰り返しだ。そうやって訪れた何度目かの笑いと笑いの谷間の静寂の後、三繰はぽつりと呟くように少年に尋ねた。

「達巳君は女の子と……したいと思わないの?」

 少女はちょっと顔を赤くし、目線をずらしながら聞く。露出趣味が有りながらその手の話には恥じらいが有るなんて矛盾じゃないの? と思いながら少年はその問いに首を捻った。

『どうなんだろ。したいかしたくないか……というか、正確に言うと【してみたい】だけなのかもしれない』
「興味は有るって事?」
『そういう三繰は、男に抱かれたいと思うことは有る?』
「無いけど……」
『つまり、そういう事なんだろうと思うよ』

 少年は酷く場違いな真面目な顔つきで頷き、顎に手をやった。視線を周囲の少女達の間で泳がせる。

『可愛い女の子は好きだし、興味もある。裸も見たいし、恥ずかしい姿ならもっと嬉しい。お尻とかが好きなのもそこが本来隠すべき恥ずかしいところや姿だからだろうね。でも、じゃあそれが直ぐにその娘を抱いてみたいという感情になるかというと、それも違うみたい。三繰の露出趣味と一緒で、性癖ではあるけどそれは僕個人で完結してしまっているんだよね』
「それって……単なるオナニーじゃないの?」
『君だって似たようなものでしょ?』

 「それもそうだ」と納得する少女。少年がそういった事を求めない質であるという事に安堵と、ちょっとだけがっかり感を感じた。意図せず、その思いが言葉に滲み出る。

「達巳君って、淡泊なんだね」
『そりゃそうでしょ』

 少年は他の少女達の方にビデオカメラを向けながら少女に応えた。

『こうしてみんなと居られる僕は、あくまで仮初めなんだから』
「え……何で……?」

 三繰が首を傾げたところで、『そうだ!』と少年はやにわに立ち上がった。まるで少女の言葉を振り切るかのようであった。

『みんなー、記念撮影しない?』

 その場にいる少女達にそう言って声を掛けて回る。せっかくのみんなでの休日だ。その思い出に集合写真を撮ろうというのだ。当然、全員が賛成する。

 全員が集まったところで3列に分け、前列は座って真ん中が中腰、後列は立って並んでもらう。

『紫鶴さんは中央でお願いします!』
「わかりました」

 紫鶴は背が高いため、必然的に後列になった。少年は指示を出して黒髪の少女が中央になるようにする。やはり、この少女が中央に来るとそれが自然であるかのようにしっくりと来た。

『じゃ、撮りますよー』

 連続で2枚撮り、更にその後も指示を出して少女達の「喜び」そうな恥ずかしいポーズも取らせる。そしてその後、少年はその上を行く姿を撮るために大胆な提案をした。

『最後にみんなで連れション写真を撮ろう!』

 少年曰く、連れションは友達同士の重要なコミュニケーションだという。仲良くなったら連れションで友情を深め、それを確認するのだ。だから、みんなで記念に連れション写真を撮ろうと言う。

 最初は目を丸くした少女達も、少年の理論に納得したようだった。少年の指示通り、放尿姿を披露するべくプールサイドに並んでいく。その中でただ一人三繰だけが「好きだね、ほんと」と笑っていたが、少年はビデオカメラの設置で忙しいふりをして取り合わなかった。
 準備が出来たところで最初の少女に指示を出す。

『じゃあ君が一番端っこね。縁に座って、脚を一杯に開いてくれる?』
「これくらいですか?」
『もっと端っこに座って。そうしないとおしっこが垂れちゃうよ?』
「はい……このへん?」
『うん。そうしたら、ちょっと指を使ってそこを開いてみようか』
「こ、こう……?」

 指示された少女は片手の人差し指と中指を割れ目の部分に潜り込ませ、指をチョキの形にしてその中を割り開いた。内に隠れていたピンク色の襞が大きく拡げられる。少年は『よし、記念にここも撮っておこう』とビデオカメラを足の間に差し込んでズームする。

『う~ん、ちょっとおしっこの穴の位置が良くないかな?』
「えっ?」
『あ、角度が良くないってだけだから。うん、空いてる手でクリトリスを少し上に引っ張ってみようか』
「ん……こう、ですか?」

 少女は少年の破廉恥な要求にも素直に従う。まだ皮を被っているその敏感な部位を、人差し指の腹を当ててきゅっとお腹側へと持ち上げたのだ。

「んぅ……」
『えっと、そうだ。残った中指も使っておしっこの穴のまわりを拡げてみようか』
「んくっ……これで、よく見えますか……?」
『ばっちりだ』

 片手の指の作る三角形で左右に開き、もう反対の小さな三角で尿道のまわりを上下に拡げる。これにより、少年の持つビデオカメラには少女の小さな排泄口が少し裏返り気味に拡がっている様が映し出された。『うむっ』と力強く頷く少年。

『よし、みんなもこの娘に倣って並んで座っていこうか』

 少年は並んでいた少女を一斉に座らせ、ポーズの指導をする格好を見せながら全員の秘部を詳細に撮影していった。次々と少女達の尿道口の姿が少年の持つビデオのメモリーに蓄積されていく。

「こんな感じですか、郁太さん?」
『あ、ちょっと待って下さいね』
「はい」

 真ん中付近で紫鶴を座らせると、その長い脚を自ら左右に開いて間に陣取る。念のため撮影前に少年はメモリーカードを新しい物と交換した。試し撮りで今の紫鶴の格好(裸で大股開きに座って微笑んでいる姿)を撮り、いよいよその股間部を撮影する。

「両手で上下左右に拡げればいいんですね?」
『あ、待って下さい。最初は両手で出来るだけ左右に開いて下さい。角度とか見ますから』
「? わかりました」

 紫鶴は郁太の言葉に少し首を傾げたが、言われた通り左右の指を使って秘肉を一杯に拡げて見せた。少年はごくりと唾を飲み込み、露わになった少女の部位を順に最大ズームの一眼レフとビデオで写真と映像の両方に記録していく。

 美しく桃色の肉襞が濡れたように陽光を反射している。そのトップにある核は真珠のように小さくも魅力的に輝いていて、怪しい魅力で少年の視線を繋ぎ止めようとする。そこから無理矢理目を引き剥がして陰部の形を追っていけば、小さく可愛らしく空いた尿道、引き延ばされて控えめに口を開きかけた膣口、そしてそこから下にずいっと視線を動かせばお尻の穴が見て取れる。それらの姿を少年は夢中で記憶と記録の両方に刻み込んだ。

『綺麗ですね、紫鶴さんのここ』
「あ、ありがとうございます……」

 思わず口をついて出た感想に紫鶴は顔を赤くしながら礼を言った。まさしく、するりと魂からの想いが理性の隙間から抜け出てきたといった感じの言葉で、少年も素直過ぎるな自分の言葉に、はにかみながら頭を掻いた。

「あの……まだ調べますか?」
『あ、そうですね……じゃあ、さっきの通りにしてみて下さい』
「はい」

 紫鶴は手を持ち変え、自分の尿道をきゅっと拡げて見せた。白い指先の間から見える穴の詳細に少年は我知らず身震いした。

「これでどうですか?」
『よ、良く見えます……』
「? 良いって事でしょうか?」
『は、はい。あ。待ってもうちょっと』
「いえ、良いですよ。ゆっくり撮って下さい、郁太さん」

 にっこりと母性的な微笑みを浮かべる紫鶴。少年は遠慮せず全力で少女のその部分を撮影するのだった。

 ようやく紫鶴のチェックを終え、少女の整列の指導に戻る。だいぶ時間が経っていたようで、数人後の三繰に少年は苦笑された。

「ずいぶん熱心だったね」
『だって、紫鶴さんだよ? 紫鶴さんのおしっこの穴だよ? 世界中の誰だって男なら僕と同じ行動を取るね。断言する』
「フェチだねぇ」
『フェチじゃない。道理だ。ロジックだ。原理原則だ』

 少年は三繰に何故かムキになって応えた。半ば呆れつつも、少女は自分の股間を指で開いてみせる。

「それより、私も撮ってくれないの?」
『撮るよ。当たり前だろ』
「じゃ、撮って」

 怪しい微笑みを浮かべながら自ら一杯に割れ目を開く少女。少年は手早くビデオを構え、その膝の間に潜り込んでいった。

 十分程もかかり、ようやく準備が整った。綺麗に並んで座った少女達の前に少年がビデオとカメラを設置し、ファインダーを覗いている。『うん』と頷き、顔を上げた。

『ハイじゃ撮るよー……3! 2! 1!』

 少年の号令と同時に、少女達の剥き出しになった股間部から小水の放物線が伸びる。それはプールの床面に落ちてじょろじょろと水が弾ける音を奏で、奇妙な和音を作り上げた。

『ハイ、チーズっ!』

 少年が何度もシャッターを押し、何枚もの写真にその様子を納めていく。更に、少女の雨が降り注ぐ中、臆せず少女達に近付いて数人単位や単体での撮影も敢行した。

「あの、そこに居たら……!」
『大丈夫! シャワー浴びるし! それより笑って笑って! ハイチーズ!』
「はい!」

 近付かれたことでより羞恥心が増し、それに伴い少女達の喜びも増大していく。赤い顔で笑顔を浮かべる少女達に向けて続けざまにシャッターを切った。素早く全員を撮ったところで少年は勢い良く走って列の中央に戻る。

『撮りますね、紫鶴さん!』
「は、はい。お願いします」

 少年の最大の目当ては、やはり紫鶴であった。放尿を続けるその様子を何枚も写真に撮っていく。
 上から下から、横から正面から、何枚も何枚もカメラの中に少女の一番恥ずかしい排泄姿を納めていく。最後にはカメラが濡れるぎりぎりまで近寄り、紫鶴の尿道から色付いた尿水が一本の筋となって出ている様をマクロで最大ズームにして撮影した。

『すごい、紫鶴さんがおしっこ出してるところを撮っちゃったよ!』
「あ……ありがとうございます、郁太さん」

 紫鶴は羞恥と喜びがない交ぜになり、困り眉になりながらとろっと目を潤ませて少年に向かって笑って見せた。

 やがて、全員の膀胱か空になりあたりに響いていた水音も静寂の中に消える。少年は、それでもぽたぽたと残滓をこぼす紫鶴の股部に取り付いていた。まだ見所が有ると言わんばかりに、映画のスタッフロール後も動かない観客の様にじっとその場所を見つめ、カメラを構えている。

「あの……郁太さん?」
『……え? あ、はい』
「終わり……ました」
『あ……』

 少年はその言葉でようやくショーの終わりを理解したようだった。ふーっと長い息をつき、カメラを持った手を降ろす。そして、静かに呟いた。

『いい……仕事でした』
「? ありがとうございます」

 理解不足の顔であったが、とにかく最後の記念撮影は終了したのだと悟り、紫鶴は膝を閉じた。そして、目の前の少年にそっと顔を寄せ、小さな声で耳打ちする。

「あの……そんなに私のおしっこ、見て良かったんですか?」

 少年はばっと紫鶴の方を向き、ぶんぶんと何度も首を縦に振った。それに少女は恥ずかしそうに俯く。

「じゃあ……また、撮って下さい……」
『……おしっこするところを? いいんですか?』
「ええ。郁太さんに撮ってもらって楽しかったですし」
『……他の場所もいい?』
「胸でも、お尻でも……お尻の穴の中でも、郁太さんが満足するまで撮ってくださいね」

 そう言って、紫鶴は優しく微笑んだのだった。

8.

 七魅は覗き込んでいた球体から顔を上げ、息をついた。目を閉じ、しばし気持ちを落ち着ける。

 目を開ければ、周囲にはたった今まで見ていた以外にもたくさんの球体が宙に浮いていた。光の無い、地面も上下の区別も無いどこまで続くかも知れない暗黒の空間に、無数の色取り取り、大きさもまちまちの球体……。それぞれの球体を覗き込めば、そこには何かの光景や人物の姿が浮かび上がり、フィルムに撮影された映像の様に繰り返し特定のシーンを再生している様を見る事が出来る。

 ここは、少年──達巳郁太の記憶領域であった。七魅は今、自分の手によって郁太の記憶に新しい「プール大作戦」の日の記憶を造り上げたのだ。

 もちろん、その細部は実際に郁太が見た事柄とは異なっていることだろう。七魅はそれほど記憶力に自信がある訳でもないし、記憶を造っていく過程でその球体は郁太自身の願望を吸収して歪んだ記憶を形成していったからだ。

 だが、今大切なのはどこまでも事実に則した正しい記憶を造ることではない。重要なのは、出来上がった記憶がきっかけとなって、自分が他者を意のままに操る能力の使い手であると少年が思い出すことなのだ。

 実際、偽の記憶を造る上で七魅はいくつか事実と異なる改変を行っていた。まず、七魅の負担を出来るだけ減らすため、郁太がそれほど思い入れの無かった参加者の言動や容姿の詳細については極力排すようにした。だから、組み上がった記憶については実際に喋った会話、少年の妄想による会話、七魅の記憶による会話がバラバラに繋がり合い、喋った人物と言葉の繋がりも食い違っていると考えられる。だが、少年の方も名前と顔が一致していない少女達についての記憶だから、それほど大きな問題にはなり得ない。
 逆に、郁太自身の思い入れが強い人物には記憶の整合を取る事に注意を払う必要があった。幸い、優御川紫鶴については十分な量の記録写真や映像が有ったため、そこから七魅の記憶も追加してほぼ十分なディテール情報を付与できた。三繰に関してはもっと楽で、ほぼ七魅の想像通りに作成して問題は無い。
 源川春に関して七魅はしばらく迷ったが、結局はその全ての行動を「無かったこと」にするしかなかった。郁太とハルが幼なじみ関係である以上、そこに七魅の全く気付かないキーワードや仕草が有ると予想され、そのために郁太の記憶を混乱させる可能性があったからだ。また、七魅自身についても同様だ。七魅は自分を客観的に見て記憶を造り上げる自信が無かったので、ハルと同じく自身の記憶も削除した。

 この様に試行錯誤の末に完成した偽造記憶であったが、その試みは成功しつつあるようであった。七魅が造り上げた球体に引かれ、ぽつぽつと残滓のように漂っていた小さな粒が再集合を行い、固まって球状の形を取り始めたのだ。その中の一つを七魅が手に取って片目で覗いてみると、そこには黒い本を手にし、口元に笑いを浮かべたた少年の姿があった。

「……うん」

 少年はあの本の事を思い出しかけている。七魅はその記憶の珠を戻しながら一人頷いた。

 ふと七魅は周囲を見回し、側にいつの間にか大きな珠がずしりと留まっていることに気が付いた。人が入れそうなくらいの大きさの上に、表面は光沢の無い黒色。周囲に浮かび漂っている光る球体に比べ余りにも異質な姿に七魅は興味を引かれる。地面の無い空間を歩いて近付き、その表面に手を付いた。

「……?」

 金属的な感触。そして、冷たい。
 だが、不思議と何か鼓動の様な周期的な振動を手の平に感じる。

(これは……何の記憶……?)

 他の記憶と違いその球体は映像を伴った光を発さず、逆に周囲からの明かりを吸収するかの様に黒く沈んでいる。七魅がそれを発見できたのも、他の珠の光が後ろに隠れて見えなくなった事、そしてその異常な存在感のせいであった。じいっと少女はその表面に目を凝らす。
 その時、不意にその表面の一部に光が灯った。

「!」

 びっくりした七魅は手を引っ込める。丁度七魅が手を置いたその下に一行、まるで電光掲示板の様に文が浮かび上がっていた。少女の視線がそのラインに吸い寄せられる。

『昨ヂつ、な由ミちまがガ亡<なラれまし夕』

(……? 昨日、なゆみ……さま、かな……那由美様が……亡くなられました……!?)

 七魅がその文の意味を認識した瞬間、その文の下にぼうっと仄かに映像が重なる。暗闇の中、倒れ伏した人影。周囲に投げ出された長い黒髪。降りしきる雨の中、半ば泥水に埋まったようになりぴくりとも動かぬ少女の姿……。

「……どうして、達巳君がこの光景を……!?」

 七魅は思わず呟いた。それは、以前彼女が姉と二人で「那由美殺し」作戦で造り上げた光景であった。

(この光景を、達巳君が見ていた……? 違う、その時はまだお弁当をあげる前だった。だから、達巳君の記憶に残る筈がない……)

 つまり、郁太の記憶にこの光景が有るという言うことは……「少年は、自身の消失以前にこの光景を見たことがある」のだ。そして、その機会は……。

(……! まさか、これが……!?)

 七魅は唐突に気が付いた。もう一度手を出し、今度は両手でその球体に手を付く。相も変わらず金属的な堅い手触り、だが、今度はそこに何か熱の様な物を感じた。

「これが、達巳君の……『黒い欲望(ブラック・デザイア)』……!」

 高原那由美を生き返らせる。その黒い欲望を生み出す原動力となる記憶が、ここに在るのだ。七魅はそう確信した。命を懸け、自らの心臓と引き替えに得た黒い本が叶える、少年の究極の願望をもたらした光景が、ここに。

 その時、不意に体が軽くなった。すうっと上方に浮き上がりかけ、慌てて七魅は引っかかりの無い黒い球体にしがみつこうとする。その脳裏に聞き慣れた姉の声が響いた。

(ナナちゃん……! ダメだよ、今、ナナちゃんは達巳君の自我の内側に入っちゃってる!)
「姉さん! もう少しだけ……! もう少しで……!」
(それに、もう時間が無い! 達巳君の体が消え始めた! このままじゃナナちゃんまで夢の中に意識が持っていかれちゃう!)
「……でも!」

 七魅は懸命に自分を呼び戻そうとする三繰の力に抗しようとした。黒い珠に必死になって呼びかける。

「お願い、教えて! どうして達巳君はそんなに那由美さんにこだわるの!? どうして!? 彼とあの人はいったいどんな関係なの!?」

 球体は答えない。沈黙したままである。そのまま、七魅の体が引き上げられ、表面に触れていた手が離れかけた。

「あっ!」

 片手だけ球体に手を伸ばす。

「お願い! 答えて……!」

 その瞬間だった。

 突然、球体の表面の一部が盛り上がり、そこから白い手が伸びたのだ。その手は七魅の伸ばした手首を掴むと、一気に引く。

「っ!!?」

 次の瞬間、七魅は黒い水面に飛び込むように、その勢いのまま球体の中に引きずり込まれていた。

 突入の瞬間、少女は思わず目を瞑っていた。気が付けば、手首を引いていた感触は消え、七魅は何か堅い床の上で這い蹲っている。そっと目を開けてみる。
 周囲は相変わらずの上下の無い暗闇の空間。だが、そこには七魅のうずくまった黒い床面が存在していた。あの黒い球体の中とは信じられないくらい広々とした地平。そして、七魅の頭の方の遙か先に、何か恒星のような光を放つ物があった。

『……とうとう、こんなところまで』

 不意に声をかけられた。少女の様な、少年の様な不思議な声。中性的で、分類不能な色合いの声音。正面からの光が人影で遮られた。驚いて七魅は顔を上げ、そして人影の隙間から漏れる光に目を細める。

「誰……!?」
『早く帰った方がいい。この中に捕らわれちゃうよ?』

 少年|少女は七魅の問いかけを無視して言った。眩しい光を堪えながら懸命に七魅はその人物の姿を捉えようとする。顔は逆光の為に全く見えない。だが、その奇妙なシルエットは辛うじて見て取れた。

 足下にはスニーカーの様な動きやすそうな靴。すらりと伸びた脚は剥き出しで、太腿まで見えるショートパンツを履いている。奇妙なのは上半身で、シャツの上に学ランのような黒い上着を袖を通すことなく肩に羽織っていた。両手はショートパンツのポケットに突っ込まれている。
 髪はシルエットでしかわからないが、かなり長い。2本のツインテールのような房が頭の横から伸びて、それが脹ら脛の辺りまで続いていた。そして、その頭には学生帽のようなシルエットの帽子を斜めに被っている。少年の様な格好の少女、或いは少女の様な体付きの少年にも見えた。

「あなたは……誰……!?」
『……』

 その少女|少年は応えない。四つん這いのままの七魅に最後の一瞥をくれると、くるりと背中を向けた。細い肩に乗った黒い学ラン。やはり、線の細い少年にも、傾いた格好の少女にも見える。そのまま、光の来る方に歩み去って行く。

 その人物の左右にはもう一つずつ、別の存在が居た。七魅から見て右に居たのは、黒いコートを着て頭にもフードを被った人物。こちらは体付きから男性の様に思えた。ただし、フードの中は真っ黒で「顔が無い」。見えないのではなく、影を透かしても目鼻立ちが存在していなかった。そのフードの男は沈黙したままその少女|少年に着いて行く。

 もう一つの存在は、人間ではなかった。左手にあった黒い固まりのようなもの、それは体を丸めて座った黒い獣だったのだ。のそりと大きな体を起こし、そして七魅をその黒い目で一瞬見つめる。だが、即座にくるりと踵を返し、少年|少女の方へとこちらも歩き出した。

「待って……! 待って下さい!」

 七魅は膝をついたまま必死に呼びかける。体の自由が利かない。意識共有の為の接続が切れかけているのだ。

「達巳君は……達巳君はどこにいるんですか!? なぜ、ここに居ないんですかっ!?」

 少女らしくない、何時になく大きく必死な声であった。喉を枯らし、肺を振り絞って前方の3つの存在に呼びかける。その思いが通じたのか、中央を行く少女|少年が足を止めた。

『……タツミ……?』
「はい! 達巳君です、ここに居るんですよね!?」

 少女の懸命な言葉。だが、その思いは一瞬で切り落とされた。

『知らない』

 そう言って、少年|少女は振り返ることもしなかった。七魅の身体にぞうっと寒気が走る。9月の頭に、ハルに少年の事を否定された時の思いが脳裏に蘇った。意図せず、その時と同じ様に叫ぶ。

「ふざけないで下さい! 達巳君です! この記憶の持ち主の達巳郁太君です!」

 少女|少年はゆっくりと振り返った。その手に、どこから取り出したのか白く丸いものを持ち、両手で弄んでいる。

『イクタ……』

 その白いものは、卵の様に見えた。鶏の玉子よりは大きく少年|少女の片手に丁度すっぽりと乗せられるサイズである。それを、少女|少年は軽く放り、指先でくるくるとおもちゃのように回しだす。

『イクタなら、もう会ったじゃないか』
「……え?」
『君の言ってる……その人こそ、本当にイクタなの?』
「なに……を……?」

 すうっと、視界が薄まっていく。身体から輪郭が消え、意識が拡散し始める。背後から強く引き戻される感触が有った。

(戻るんだ……)

 七魅は、遂に少年との接続が切れたのだと認識した。そして、ぐんぐんと縮まっていく世界の中で、光の中に見える3つのシルエットを懸命に探す。辛うじて、卵を回していた少年|少女がそれを懐に戻す素振りが見て取れた。もう、こちらを見もしない。

(……どう……して……?)

 その呟きを最後に、七魅の意識は途切れた。

「……!……ん!……!……ちゃん!」

 遠くから、七魅に呼びかける声が聞こえる。その必死な声色に、少女は少しの鬱陶しさと、多くの申し訳無さ、それらを包む暖かさを抱き、急速に思考を浮上させていく。

「ナナちゃん! しっかりして、ナナちゃん! 返事して!」
「……ね……さん……?」
「ナナちゃん!?」

 姉の声に眼を開く。そこには、七魅の肩に手をかけて険しい表情で少女の顔を覗き込んでいる三繰の姿があった。

「どうしたの? 姉さん……?」
「……ぅぁああ……っ!」

 三繰は相好を崩し、大粒の涙をこぼしながら七魅にしがみついた。言葉にならない泣き声と、その合間に「良かった、良かったよぅ」と何度も繰り返す。七魅は戸惑いながら姉の身体に手を回し、背中を撫でた。

「落ち着いて、姉さん……大丈夫、私は大丈夫だから……」
「だいじょうぶなんかじゃなかったよぅ……! もう、もうナナちゃんが、眼を覚まさないんじゃないかって……心配したんだからっ……! ほんとに、心配したんだから!」

 三繰はそう泣きながら言い、床に横たえられたままの七魅に再度しがみついた。後はもう、言葉にならない。
 七魅は周囲を見回した。そこは2人が作った学園監視ルームで、七魅の側には2つの背中合わせの椅子が置かれていた。その足下に場違いなSF風味の機器が転がっている。そして、その横に膝を付いて哉潟家のメイドが1人控えていた。だんだんと記憶が戻ってくる。

「そう……私、達巳君と意識共有して……」

 そしてそのまま郁太の意識に取り込まれそうになっていたのだろう。きっと、ぎりぎりのところで三繰が引き上げてくれたのだ。

「姉さん……達巳君は?」

 七魅は出来るだけ穏やかな口調で尋ねたが、三繰は泣き声で言葉にならず、首を振っただけだった。メイドの方に目をやると、そちらも首を振った。

「私が呼ばれた時には、もう達巳様は居られませんでした」
「そう……」

 恐らく、また魔力の制限時間が来て夢の世界に囚われたのだろう。だが、今回はいつもと違う。七魅は郁太の中で確かに少年が黒い本の事を思い出しかけていた事を感じていた。

(いえ……きっと、達巳君は思い出している)

 七魅には確信が有った。後は、郁太があの悪魔達を呼びさえすれば、夢の世界への道が開けるのだ。
 しかし、1つだけ気懸かりな事が有った。

(あの記憶はいったい……?)

 少年の記憶の中にあの黒い記憶が有ったという事は、その願望も郁太は思い出したのだろう。だが、その中で出会った人物がわからない。少年の他の記憶にもあの2人と1匹は映っていなかった。

 あれは何だったのだろう。夢や願望の中で本人が登場する時、本来の姿とは全く違う姿で現れる事は良くあると知っていた。だから、あの姿は郁太の願望の中の姿であると考えることもできる。だが……。

(その本人が、自分自身の事を『知らない』なんて言うでしょうか……?)

 七魅は頭を振った。気になるが、今はその事に捕らわれれている場合では無い。郁太が記憶を取り戻したことはすぐにエアリアの知るところとなるだろう。ならば、再び夢魔が力を取り戻す夜の時間までしか余裕は無いのだ。七魅は覆い被さっている姉の肩をゆっくりと抱いて押し上げた。

「姉さん……」
「……やっぱり、やるの?」

 三繰はまだぐずつきながらそう言った。七魅はそれに黙って頷く。

「そう……しょうがないよね、ナナちゃんは自分で決めたら、そうしちゃうんだもん」
「……ごめんなさい、姉さん」
「ううん」

 三繰は首を振り、目元を擦って身体を起こした。七魅も続いて立ち上がる。そして窓際に歩いて行き、さっとカーテンを開けた。眩しさに目を細める。

「……メッシュ、いるんでしょう?」

 からら……と窓を開け、呟くように言う。すると、「ああ」とすぐ側の樹の枝から声が返ってきた。

「待ってたぜ。結果はどうだった?」

 枝の上には、影と同化するように黒い猫が寝そべっていた。まるでピューマだと少女は一人思う。

「……準備が整いました」

 内心を隠し、無感情に七魅は言う。そして、何処へとも無く宣言した。

「今夜、達巳君を取り返します」

9.

 空の色が沈んでいく。青から藍へ。そして紫から茜色へ。西の果てから始まった世界の様相の変化は、徐々に昼から夜へとそこに存在する者達の有様を変貌させる。
 学園内に下校時刻を知らせる鐘が鳴り響く。それは生徒達への帰還の合図、そして夜に生きる者達の到来を告げる警鐘でもあった。

 建物の屋上でその鐘の響きが消えるのを待ち、少年は手に抱えた黒い本を持ち上げた。ゆっくりと、表紙を開き、ページをめくっていく。最初はほぼ全てが空白であったその本は、今や最後の1ページを残し何者かにより欲望の言霊が書き込まれていた。その形跡を辿るように少年は1枚1枚、紙をめくる。

 最後の1枚でその動きが停止した。躊躇うように、ページの端を持ったままそれをじいっと見つめ、そして何度も息を付く。ややあって、殊更ゆっくりとその1枚を開いた。

『死した者を生き返らせる』

 最後のページに、その方法が載っていた。

 この本の、このページを開き夕陽が消える瞬間に生き返らせたい者の名を呼ぶ。それだけで、冥府に落ちた者の魂と肉体を蘇らせる事が出来るのだ。
 およそまともな人間なら信じる信じない以前に悪戯と決めつける様な内容である。だが、その本の持ち主である少年にはそれを疑うことは出来なかった。それは、少年がこの本の魔力を実際に何度も目にしていたから。そして、この本が少年の心に眠る恐ろしく根の深い願望を、ずばりと言い当てていたから。

 少年は西の空に目を向けた。太陽の光は光の筋となり、今にも地平の向こうへと消えていこうとしている。携帯を取り出して時間を確認した。……あと、30秒。

 天空にその光球が浮かんでいる時はそれがゆっくりと西に動いているなど、到底知覚できない。だが、今まさに消え逝こうとする昼の末期の姿は、恐ろしいほどのスピードで地上から失われていく。

 そして、その光の線が左右から扉を閉めるように短くなり、消えた。すうっと少年は息を吸う。

「……その者は、高原那由美」

 ゆっくりと、言い切った。

 しばらく、そのまま夜に向けて変貌していく世界の姿を黙って見つめ続ける。3分も経っただろうか、夕陽の最期の吐息が今届いたと言わんばかりに涼しい風がすっと少年の前髪を揺らめかす。背後できぃっと扉の軋む音がした。

 少年は顔を上げ、肩越しに後ろを振り向く。そして、そこに人影を見て取り、上体を捻って体をそちらに向けた。
 屋上階段の建物の前に、少女が一人、立っていた。長い黒髪、黒い星漣の冬服。黒いストッキングと黒い革靴。全身黒のその少女は、夕闇の作った陰から現れたと思うほど儚く、薄い存在感で立ち尽くしていた。少年は、脚を動かして完全にその少女に向き直る。その目がいっぱいに見開かれていた。

「……な……ゆ、み……?」

 少女の頭が、僅かに動く。頷いたのか、首を振ったのか、それとも、風がその髪を揺らしただけなのか。だが、少年にはそれが幻では無い、実体を持った存在であるならばどれでも良かった。意識せず足が前に出る。一歩……また一歩。少女は俯いたまま、じっと黙ってその足取りに耳を澄ませているように見える。

 遂に、少年はその少女まで後3歩の位置まで歩み寄った。

「那由美……?」
「……」

 陽が大分陰って顔の表情が読みとれない。しかし、今度こそ少女はこくり、と小さく頷いた。それを合図に少年の足が一気に進む。

「……ごめん……!」
「……!」

 少年は腕を回し、少女の体を抱きしめていた。長い髪ごと背中をかき抱き、お互いの耳が触れ合う程顔を寄せて少女の肩に顎を乗せる。だがそれは少女の身体の柔らかさを楽しむ男性の素振りでは無く、ただただ自分から離したくないという稚拙で懸命なしがみつきだった。

「ごめん……ごめんな……僕が、僕のせいで……」
「……」
「痛かったか……? 寂しかっただろう……? 何で、お前があんな目に……」
「……」
「ごめん……ごめん……ごめん……」

 少女の肩にぼたぼたと音を立てて水滴が落ちていく。それは少年の両の眼から止めどなく溢れて来ていた。少女の冬服が皺になるのも構わずぎゅっとそれを握りしめる。腕に力が入り、ともすれば少年はその少女を抱き潰してこの世から無くしてしまおうとしているかの様だった。
 だが、少女は一回窮屈そうに身体を動かしたきり、黙ってその謝罪を聞き続けた。そうっと躊躇いがちに手を上げ、そして少年の肩をそっと抱いた。

 しばらくの時が流れた。少年の涙が止まりかけ、そしてぐしゅぐしゅと鼻を鳴らす余裕が出来たところで少女はその肩を軽く押した。

「……痛いです、達巳君……」
「……え……?」

 少女の声に驚いたような声を上げ、少年の腕に込められた力が緩む。2人の間に出来た隙間に少女はするりと腕を入れ、少年の胸に手を置いた。

「思い出せたんですね……」
「……なな、み……?」
「はい」

 長い前髪の間から覗く瞳は、少年も良く知る双子の妹のものであった。手の力が更に緩み、七魅は少年の胸を軽く押してその抱擁からするりと抜け出す。そして、その手を頭にやって長い髪のかつらを脱ぎ捨てた。その下からいつもの切りそろえられた日本人形のような少女の髪型が現れる。

「七魅……? どうして……?」
「達巳君に思い出してもらうために、必要でした」

 七魅は静かにそう告げ、そして少年の足下をじっと見つめた。その足は、影と同化するように徐々に黒く、透き通り始めている。

「そうか……、僕はあの魔女に……!」
「時間が有りません、手短に言います」

 少年は慌てて自分の目をこすり、「うん」と頷いた。それに七魅も頷き返す。

「あなたのメイドが、もう一匹の悪魔と一緒に魔女の世界まで達巳君を助けに行きます」
「幎が……?」
「ええ。ただし、そうするには達巳君が強くあのメイドのことを呼ばなければなりません。そうしないと、悪魔は他の悪魔の領域で存在できないんです」
「わかった。幎のことを呼び続ければいいんだね」
「はい」

 郁太の姿は既に腰のあたりまで影と変わらぬ状態になっていた。急がなくてはならない。七魅は手に持っていた荷物を郁太の胸に押しつける。

「これを持っていて下さい」
「これは?」
「役に立つかと思って、取ってきました」
「……そうか。覚えててくれたんだね」

 郁太は七魅から渡されたものを懐にしまう。制服の上から、それをしっかりと押さえた。

「ありがとう。七魅には、たくさん謝らないと」
「帰ってきてからして下さい。それと……」

 七魅はじっと郁太の顔を見つめる。そして少しだけ目線が下を向いたが、意を決してもう一度正面から少年の漆黒の瞳と視線を合わせた。

「……謝るくらいなら、感謝してくれた方がこっちも気分がいいです」
「わかった。約束する」

 少年が笑う。七魅も、そこで初めて笑顔を見せた。首まで黒く染まりながら、少年が慌てて言葉を付け足す。

「七魅……もうちょっとだけ、待ってて?」
「……待ってます、もう少しだけ」

 七魅の言葉と同時に、ふいっと少年の姿が掻き消える。夕陽の光と共に、夜の闇にその輪郭が紛れてしまった。もう、その声も、その漆黒の瞳もその闇から感じ取ることは出来ない。
 だが、一つだけ少年が残したものが有った。七魅は郁太の立っていた場所をじっと見つめる。

 影だ。少年の影だけが、その存在を記す最後の1つとしてコンクリートの上に墨をこぼしたように残っていた。

「『門』が開いたな」

 少女の後方から突然声がかけられる。いつもの事なのでもう七魅も驚かない。

「これでいいんですか?」
「良くやった。小僧の精神が確かにこちらに残った者を呼んでいる。それが影となって残ったのさ」

 七魅の足下をするりと通り抜け、黒猫がその影の縁をかりかりとひっかいた。この郁太の輪郭をした影こそ、彼の捕らわれた夢の世界、夢魔の領域への入り口なのだ。

 その黒猫に付き従うようにすっと七魅の後方から黒尽くめのメイド姿が進み出た。今までそこに居たはずなのに、気配も音も匂いも無く、それこそ影の様に七魅はその存在に気が付いていなかった。

「行くの……?」
「郁太さまが呼んでいます」

 ぽつりと呟くように答える。黒い眼帯の反対側の一つ眼で、じっと地面に残る黒い影を見つめている。黒猫はぶるっと身体を震わせ、尻尾を奇妙に動かした。

「嬢ちゃんの役目はここまでだな。ここからは予定通り俺と幎で行く。ま、無事でも祈っててくれ」

 七魅はそれに素直にこくりと頷いた。そしてまだ視線を動かさない黒い少女を見つめる。

「お願いします、達巳君を……」
「はい」

 幎は七魅に一瞬視線を送り、頷いた。

「必ず、郁太さまをお助けして参ります」
「……さあて、いよいよナイトメア・ワールドへとご招待だ!」

 ふわりと黒猫とメイド少女が地を蹴って浮かび上がる。そして、地面の黒い染みに跳び乗り──そのままするりと抵抗無くその下へと潜り込んだ。まさしく、そこに穴があったかのように何の抵抗も減速も無く、一瞬でその姿が飲み込まれたのだ。それを、身じろぎもせず見つめる視線。

「……待っています……」

 もう一度、残された少女は呟いた。
 夕闇がその姿を覆い尽くし、少女もまた影と同等にゆっくりと闇の中に沈んでいくのだった。

< 続く >

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