BLACK DESIRE #17-8

8.

 塔の内側はだだっ広い吹き抜けの空間だった。学園の時刻を知らせる大鐘とその作動機構が埋め込まれたフロアを抜けると、後はひたすら最上階まで塔の内壁に沿った階段が上へ上へと延びている。窓は無く外の様子は見えないが、途中途中の壁に燭台が設置してあり、誰が整備してるのか小さな光の精霊球がさめざめと光を発していたため、足下を見るのに不自由はなかった。
 その中を、幎は肩を壁面に擦り付け、寄りかかりながら一段一段上っていく。足下には時折心配そうに顔を上げる黒猫が寄り添っていた。

「大丈夫だ、ここは標高が高いから陽光も最後の最後まで届く。あと15分くらいは余裕が有るはずだ」
「……」
「しっかりしろよ! ここまで来たんだろ、あと少しだ!」
「……はい」

 やがて、2人の視界に精霊球の灯りとは違うきらびやかな灯りが見えてきた。この円筒形の空洞の頂上部に輝くその光は……。

「よし! 天井だ! シャンデリアだろ、あれ!」
「……!」
「あそこで終点だ。ついに到着したぞ!」

 メッシュの言うとおり、それは塔の天井部から鎖で釣り下げられた豪奢なシャンデリアであった。複雑な造形のガラス細工の内に光の精霊が封じてあるのか、きらきらと宝石のような輝きを放っている。
 足を引きずりながら幎は上っていく。その1歩前をたったったと軽い足取りで歩いていくメッシュ。ふと、その足がピタリと止まった。

「……妙だな」

 くるりと周囲を見渡し、そして後ろの闇に目をやる。

「この階段、螺旋を描きながら上っているはず。なのに……」

 メッシュは階段から塔の中央の縦穴へ首を出して底を見下ろした。

「……下に上ってきたはずの階段が見えないのはどういう訳だ? 何か、おかしいぞ?」

 その時だった。ごごごご、と塔の内部に石が擦れる重い音が反響する。それは幎たちのすぐ下の方から聞こえてくるようだった。

「なにっ!?」

 黒猫が驚愕の声を出す。その視線の先では、下から順に階段が降下していき、闇の中へと消滅していく。

「走れ! 上だ!」

 メッシュが鋭く叫ぶ。だが、幎は数歩上ったところでガクンと脚から力が抜けて壁に手を付いた。既に彼女の仮初めの肉体は限界をとうに越えていた。「立て!」と駆け下りた黒猫は少女の耳元で叱咤した。その爪先で石段が落ち込み始める。

「……くっ!」

 幎が右手から鎖を飛ばす。それは上方の壁に引っ込むことなく残っていた燭台に引っかかり、足場を無くした少女の体重をかろうじて支えた。「おおっと!」と黒猫が幎の着込んでいる戦闘服の左肩に爪を立ててしがみつく。
 ぶらん、と2人が塔の闇の中に釣り下げられた。周囲には既にのっぺりとした壁しか見えず、足場はどこにも無い。下の方の燭台もいつの間にか灯が消されたのか、幎の足下には地獄の底へと繋がってそうな暗闇が口を開けていた。

(……ふふふ……)
「誰だ!?」
(ずいぶんと必死なこと)

 ぼう、と2人の視線の先、塔の空洞の中心に黒紫色の炎が灯った。それは燃える物のない中空でメラメラと勢いを増し、人の身体を飲み込めそうなくらい大きくなったところでバッと飛び散った。ゆらゆらと揺らめきながら落ちていく幾すじもの残滓の中央に、いつの間にか人影が浮かぶ。

「ようこそ、滅びし魔法学園へ」

 そこには、およそ局部のみ辛うじて隠していると言わんばかりに露骨な衣装を身につけた、髪の長い女がいた。こめかみの辺りからは下向きに捻れた角が生え、背中側にはゆったりと羽ばたくコウモリの羽。赤く切れ長の目と、口を開く度にチロチロと見える牙と先の尖った舌。

「……夢魔か」

 幎の肩にぶら下がったまま、首を捻ってメッシュが鼻を鳴らす。

「どうやら、ここが敵の本拠地だってのは間違いないらしい。この夢魔が魔女の最後の砦ってわけだな」
「ラミア=マリスよ、覚えておきなさい」

 そう言って、ラミアと名乗った夢魔は唇の端をつり上げて薄く笑う。こうやって笑みを浮かべると、その頬にえくぼができた。

「もっとも、今の記憶を保ったままここから帰れるとは限らないけど」
「へえ。夢魔程度がずいぶん自信家だな」
「口を慎みなさいな、使い魔風情が」

 「使い魔? 俺が?」と目を丸くするメッシュを無視し、ラミアは黙ったままの幎に顔を向ける。

「威勢良く乗り込んできたけど、考えが足らないようね? 夢の世界は私の領域。例えば塔の階段を消すことも……あるいはこんな事もできるのよ?」

 がくん、と2人の身体が一瞬落ちた。上を見上げると、鎖を絡めた燭台の一部が赤い毒々しい色合いの蛇に変わり、しゅるしゅると呼気をたてながら鎖を伝って降りてくる。
 幎の左手から新しい鎖が放たれた。それは空中で折り返して真横に飛び、鎖の途中で蛇に絡んで締め上げる。

「ふふ、さっきから見てるとあなた、それだけなのね。珍しいことは珍しいけど、魔法の本の力に頼らなきゃ自分の領域も持てない下級悪魔にしては頑張ったわ」
「……」
「でも、言ったでしょう? この世界では、私にできないことは無いの」

 ラミアが笑いながらパチンと指を鳴らした。すると、からめ取られていた蛇は急にその実体を失い、影だけの存在となって鎖を伝って降りてくる。
 それはそのまま幎の右腕に巻き付き、そして首や身体にまで伸びてきた。

「このまま締め上げてその顔に表情の1つも浮かぶのを見ても良いけど……」
「……」
「こんなのはどうかしら?」

 パチン。再度の合図で、影の蛇はどろりと溶けた。
 いや、蛇だけでない。一緒に幎の身体を覆う近衛軍の特殊戦闘衣装まで溶け始めたのだ。

「……!」
「夢の世界の物は、全部私の思い通りになるのよ。言ったでしょう?」

 蛇の巻き付いたところから始まった融解はやがて幎の全身に及ぶ。「おいおいおいおい!」と黒猫が溶けた肩から爪を滑らせ、つるっと滑り落ちていく。ぎりぎりで幎の左手にその首根っこを掴まれた。ぷひゅうとメッシュの鼻から息が漏れる。
 溶けた衣服が落ちると、幎は右手の鎖で宙にぶら下がり、左手に猫、その他は左眼の黒い眼帯だけという裸身を覆い隠す事のできない無防備な状態になってしまっていた。じっと無言で正面に浮かぶ夢魔を見つめ続ける。

「あらあら、大変」
「……」
「そんなになってまで彼を助けたいのかしら?」

 ラミアがつつうと触れるか触れないかのところで幎の二の腕を撫でた。少女の右半身は「咎人の剣」を振るった代償として黒く浸食を受けている。磁器のように白く透明性を持っていた彼女の肌は、今や影よりも暗い色に沈み込んでいた。「ふ~ん……」とラミアはじろじろと幎の身体を無遠慮に上から下まで眺める。

「……貴方、まだ彼に抱かれたことがないのでしょう?」
「……」
「どうしてかしら? 今は酷いものだけど、お家にいる間は綺麗にしてたんでしょう? どうして彼は貴方を求めなかったのかしら?」

 ふふんと勝ち誇ったように腕を組むラミア。ゆさりと胸がその上で揺れる。シャーッと黒猫が威嚇した。

「何? だいたい、貴方たちおかしいんじゃない? 滅私奉公っていうのかしら。悪魔が自分の存在をなげうってまで契約者を救い出すなんて、やってることが逆じゃないかしら?」

 そう言って、ラミアはやれやれと首を振った。

「愛とか怒りとか、欲求は私たちの糧だけど……そのために身を投げ打つなんて、まるで『人間』のようだわ」
「……人間?」
「そうよ? あなたの事よ、お人形さん」

 幎は夢魔の言葉に、いつものように小首を傾げた。

――わたしの力が欲しいの?

――そう。なら、わたしも欲しいものがある。

――名前。わたしをあらわす、言葉がほしい。

――「最初の者」。それがわたしの名前?

――わかった。今からわたしは

――「トバリ」。それがわたしをあらわす名前……。

「……そうかもしれない」

 幎は目を閉じて、ぽつりと呟く。

「私は、人間になりたい」

 そして、静かに微笑んだ。

 「は?」とラミアはその言葉に虚を突かれたようだった。一瞬、ぽかんと口を開けて惚ける。それは傍らの黒猫も同じだった。
 幎は呆然としたままの両者に構うことなく、無造作にほいっと黒猫を夢魔の方へ放り投げた。すかさず上方を見つめ、空いた左手から鎖を飛ばす。

「ぶぎゃ!?」
「むぎゅっ!?」

 じたばたと脚を動かして宙を飛んだメッシュはラミアの顔面にしがみついた。そしてわきゃわきゃと空中でもつれてふらつく2人の上に、幎が伸ばした鎖で天井から断ち切られたシャンデリアが降ってくる。

「ぎゃわ~~~っ!?」

 がっしゃーん、とラミアたちの上に落ちたシャンデリアは、そのまま2人を巻き込みきらきらとした破片を飛び散らせながら塔の下の闇へと落下していく。

「てめ、後でおぼえとけよーっ!」

 よー、よーとエコーをかけながら小さくなっていくメッシュの声。それを完全に無視して幎は塔の天井を見つめていた。

 シャンデリアが落ちたことで影の明暗が薄まり、かえって見えるようになったものがあった。シャンデリアの光が作る影の在った場所に、一段だけ踊り場のようなものが残っていたのだ。もう一度鎖を伸ばし、そこに絡み付ける。

 勢いを付けて鎖を巻き取り、その段の上にひたりと裸足の爪先で着地する。そこには、殺風景な塔の内装にそぐわぬ豪勢な作りの扉が壁にはめ込まれていた。

 この先に、郁太がいる。幎は確信した。

 ちゃらららら……と鎖が少女の足下の周囲を円を描いて重なっていく。ぐっと上に引く左手の動きに併せ、それは螺旋を描きながら幎の周囲を巻き上った。

 しゅるん、とそれが袖口に収まったとき、そこにはもう、いつものエプロンドレスを身につけたメイド姿の幎がいた。
 眼帯に塞がれていない右眼でじっとその扉を見つめ、そして息をひとつ吐く。

 ノブに手をかけ、ゆっくりと最後の扉を開いた。

 扉の先には、異界の光景が広がっていた。
 天空高くには藍色の夜空が広がり、その天頂付近には恐ろしく完璧な円形の月が輝いている。高度を下げるにつれ周囲の空は紫から茜色へと色を変え、地平の山々で途切れる頃には全周が紅の夕焼け空となって大地との境をなしていた。
 扉から踏みだした先は円形の広場のような塔の屋上で、その上方には左右に扇状の長い机が幾重にも階段状に並んで浮かんでいる。扉はその枠内が空間の切れ目になっているのか、壁もない広場の端にぽつりと一枚、立っていた。

「……!」

 幎は無言で小走りに駆け出した。
 広場の中央部にはこちらを向いた粗末な椅子と、それに座らされて縛られている少年。そして、その椅子の後方の空中に、対照的に豪勢な肘掛け椅子に脚を組んで座った黒マントの少女がいる。幎はその少女からの見下ろし視線を気にすることなく少年の椅子に走り寄ると、その手を縛るロープを急いで解き始めた。

「幎、来てくれたんだね」
「……はい、郁太さま」

 しゃがみ込んで郁太の脚の紐を緩めながらこくりと頷く。幎の赤い右眼と郁太の黒い右眼がしばし見つめ合った。
 パチパチパチパチ……、と2人の上から拍手の音が降ってくる。拘束を解かれた郁太は幎と共に立ち上がり、片目でそちらを睨みつけた。そこには、相変わらず空中の椅子に腰掛けたままのエアリアがなおざりに手を叩いている。

「……おめでとう、ボーヤ。君の悪魔は大した者だよ。正直、辿り着ければいいとは言ったが、万に一つもその可能性は無いと思っていた」
「ふん、そんな風に余裕をかましていても、内心僕らにビビってるんじゃないか? だから降りて来れないんだろ」
「いや、別に?」

 エアリアは拍手を止めると、肘掛けに肘をついて顎を乗せた。

「もともと、ボーヤから『あのページ』を手に入れた時点で私の目的は達せられていた。どうしても間に合わないようだったら、ラミアに言って迎えに行かせようかと思っていたくらいだ」
「ご厚意は有り難いけど、間に合ってます」
「残念だ。お詫びに別のモノをプレゼントしよう」

 そう言って、魔女はマントの内から両手に2つの物を取り出した。郁太の隣で幎がはっと身を固くする。

「幎……?」
「その悪魔には何が起こるかわかったようだな」

 突然、幎の両手から鎖が飛び出した。それは真っ直ぐに空中を飛行し、エアリアの手の中の物に殺到する。
 しかし、それは直前でバチッと耳障りな音と共に一方は空へ、もう1つは地面に方向を変え、石畳に突き刺さった。

 エアリアは口元の笑みを深くして、その両手に持っていたものを掲げた。右手には郁太から奪ったブラック・デザイアのページ。左手には同じく抉り出した……。

「僕の眼!?」
「その通り」

 円筒形の透明容器の中に、幎と契約して交換した魔力の義眼が収まっていた。

「ブラック・デザイアとの契約が破棄される条件は3つ。1つは契約の最終段階の成就。2つ目は魔力の枯渇等で能力行使が不可能になることによる不履行。そして最後の1つが……」

 ぼうっ! エアリアの手の中で郁太と幎の契約の証である左眼が燃えだした。それは紫色の魔力の炎を吹き上げ、周囲の茜色の空間を色が混ざり合った赤紫に染め上げる。

「……契約の強制解除。本の悪魔と契約者の前で、その証の分解する炎で契約のページを焼くことで契約は無効化されるのさ」
「……!!」

 幎の喉から声にならない悲鳴が上がった。エアリアが本のページをその紫の炎で炙り始めたとたん、同じ様に少女の足下から炎が起こったのだ。めらめらと身を捩りながら炭化していく紙と同様、幎も身を捩りながら炎の中に沈み込んでいく……!

「幎!」
「郁太さま……!」

 ばしっと、幎の眼帯と郁太の空洞の左眼の間に紫の稲妻が飛び、郁太の頭に衝撃が走った。鋭い痛みに思わず顔を押さえる。

「……!?」
「後生大事に眼帯の下に隠していたのか、健気な事だ」
「あっ!? 眼が!」
「ふふ。それが私からのプレゼントだよ、ボーヤ」

 笑いながら魔女は告げる。

「感謝するんだな。契約の不履行ではそのまま失ってしまうはずの代償を、そうやって取り返してやったのだから」

 はらはらと紐の切れた眼帯が郁太の足下に落ちてくる。それは床の石畳に着く前にぼうっとひとりでに火が灯り、一瞬で燃え尽きてしまった。

 炎の中で片眼の幎が形を失っていく。懸命に郁太の方へと伸ばした手も炭のように崩れて炎の中に溶けていく。

「幎、もういい!」
(郁太さま……)

 ゆっくりと、その唇が動いた。もう声では聞こえず、ただその形が言葉を表すだけだ。じっと、赤い瞳が郁太を見つめ続けている。

(……遅くなって、申し訳有りません……)

 そう、呟くと。

 身体を包む炎ごと、幎は消えた。

 その頃、最上階の扉から数百メートル下、ウィルヘルム魔法塔の空洞の底に、不可思議な円陣が出現していた。
 剣のようなもの。槍のようなもの。杖のようなもの。おおよそ武器とは思えない長物。それらの種類も大きさも作られたであろう年代も一見ばらばらな武具は、ただひとつ本来の色を失って全てが金色に輝いているということだけが共通している。そして数十の武具はまるで武器の墓場のように乱雑に石畳に突き刺さり、塔の底に円形の陣を造り上げていた。

「ぐっ……うぅう……!」

 その中心に夢魔のラミアは倒れ伏していた。髪を振り乱し、必死に喘ぎながらうつ伏せの状態から身体を起こそうとする。だが、その度に周囲を取り囲むものたちからの黄金の光に押さえつけられ、空しく床面に爪を立てた。

≪……止めとけ止めとけ。夢の世界がお前さんの領域と言うならそん中は俺の領域だ。下手に動けば1次元失ったみたいにぺちゃんこになっちまうぞ≫

 そこに声を掛ける軽い口調。だがそれは先ほどの悪魔猫のものより遙かに低く、そして重厚な響きを持ってその場を満たした。ラミアが苦しそうに首を曲げてその声のする方向に視線をやる。

 そこには、金と黒の大きな獣がいた。
 金のたてがみと翼を持つ黒いライオン、その造形を簡単に表現するならそうなる。だが、その体長は優に3mを越え、現実世界の同じ名前の動物のサイズとは比較することもできない。その獣が寝そべる上方には、高さ5m、横2m程の複雑な円と三角の組み合わされた紋章の金のプレートが宙に浮き、ゆっくりと回転を続けていた。

「あなた……何者……なの……!?」
≪ただの使い魔さ≫
「うそ……!」

 目を閉じたまま黒い獣は唇を震わせてニヤリと笑う。

≪俺の名前を知りたいのか? だが、残念ながら名乗るべき名前が一杯在り過ぎてな≫
「ふざけ……っ!」
≪嘘じゃないさ。お前を取り囲む武器……それは元々はどれも名の在る伝説級の存在だった≫

 ちらりと獣が視線をやる。その目は、たてがみよりも明るい輝くような黄金色であった。

≪エクスカリバー、カラドボルグ、バルムンク、アロンダイト、テュルフィング、デュランダル、ダーインスレイヴ、ネイリング、アンサラー、グングニル、ロンギヌス、ゲイボルグ、ブリューナク、ミョルニル、ヴァジュランダ、カドゥケウス……ああ、日本じゃクサナギって剣もあったな≫
「だから……何なのよ……」

 再び、今度はその目も細くして顔全体で獣は笑った。

≪みんな喰っちまったよ。俺は『伝説を喰って』魔法のない世界に不釣り合いな宝具を回収する『伝説回収屋』なのさ≫

 ラミアは絶句した。伝説を喰う……? そんな悪魔がいるなんて聞いた事も無い。目の前の小さな悪魔の驚きを余所に、獣は楽しそうに言葉を続ける。

≪もちろんただ喰ってドロンじゃ悪いからな、ちゃんと模造品(レプリカ)は残してきたぜ? それだって結構な一品さ。伝説の喰いカス程度でも有り難がってる人間もいるしな≫
「どう……して……そんな……!?」

 ラミアは血を吐く思いで言葉をぶつける。伝説級の武具を複数、いや、ここにあるだけでも数十の宝具を取り込んで平気な怪物、それはもう悪魔というレベルではない。それは1つの世界法則の体現者、『魔神』に等しい存在だ。
 獣はそれに答えず、涼しい顔で夢魔を見つめる。それだけで、じりじりとした圧迫感にラミアの顔が歪む。いや、実際にその髪の先端からぶすぶすと煙が上がり始めていた。

≪そういやお前、ただの夢魔にしちゃ随分とあの世界に詳しいようだったな≫

 ふ、と獣の視線の圧迫が緩んだ。ぜいぜいと荒い息を付くラミア。

≪その割に若いようだし、もしかして魔王計画の候補か、実験台として消費された元人間か?≫
「なん……の、こと……?」

 ラミアは辛うじて弱々しく返事をした。目が落ち窪み、頬がやつれている。ただ睨まれただけで、夢魔はその力をほとんど失っていた。
 獣はラミアの回答に大して期待していなかったのか、≪ふん、まあいい≫とあっさり追求を止めた。そして、ちらりと横目を向ける。

≪……別にあの小僧だろうが、お前の主人だろうが黒の本を発動させる事ができるなら俺は構わん≫
「……あ……く……」
≪……だが、折角用意した『本の使い手』を、最初の継承者か何だか知らんが断りもなくかっさらったのには少々腹が立ったぞ≫

 再び、獣はラミアを両目で見た。ぎりぎりと石畳に頭部が押しつけられ、頭蓋がミシミシとイヤな音を立て始める。端正だった夢魔の顔から止めどなく液体や泡がこぼれ落ちた。びくびくと身体全体が断末魔の様な痙攣を起こす。

「ぐ……ぼっ……!」
≪そのまま可能性の海に存在を細切れにされてばら撒かれたくなかったら……≫

 その獣は、凶暴な牙を剥き出しにして笑いを浮かべた。

≪……この俺には逆らわぬ事だ≫

「『申し訳有りません』か……」

 幎の最後の言葉は、エアリアにも見えていたようだった。少しだけ身体を乗り出し、囁くように僕に語りかける。

「いじらしいじゃないか? せっかく時間をやったんだ、気の利いた別れの言葉くらいかけてやったんだろうな?」

 背後から、すたっと石畳に降りる音。どうやら、幎がいなくなったことでようやく高見の見物席から離れる気になったようだ。
 僕はそれに振り向きもせず、先ほどまで幎の立っていた場所を見つめ続ける。言いたいことは、言わなければならないことは色々有ったけど……。

「大丈夫だよ、幎……」

 僕が、彼女にかけてやる言葉なんて決まっている。左眼を押さえていた手を下ろし、静かに、もう姿の見えない彼女にも伝わるように念じながら炎の残滓に語りかけた。

「……君は……間に合ったよ」

 僕は、ゆっくりと振り向いてエアリアと対峙した。

 ……さあ、反撃といこうか。

< 続く >

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