ハート・ハック・クラッシャー 6話

六話 日常の崩壊は突然に

「… … げ。」

 携帯電話のディスプレイを見て開口一番。俺は口をあんぐり開けて固まる。

「…ん?どーしたんですか?先輩。」

 その様子に気付いた様子で、後ろに並んでいた春香が携帯の画面を俺の背中から見る。

「…『藤田奈月』…?」

 ディスプレイにはメールを意味する手紙の絵とその名前がくっついていた。

「…あー、えと…奈月(なづき)ちゃん?あの奈月ちゃんだよね?」

 春香のその後ろに並んでいた悠希が思い出したように言葉を繰り返して、俺に尋ねる。俺はそれにコク、と頷くだけ。

 昼飯時。
 俺達は大学の食堂に来ていた。
 ウチの大学の食堂は、カウンターにこうやって列になって並んで、順番が来次第注文をしてその場で受け取るという形を取っている。
 …しかし、安い美味い近いがウリの大学の食堂の昼飯時は、こうやってほとんどの学生が食堂に集結する。
 酷い時は廊下にまで列が出来る混雑っぷり。自分の順番を待ちながらボーッとしていた時に…青天の霹靂。メールの着信音が平穏な日常を切り裂いた…。

「藤田… ってコトは、先輩の家族の人?」

「えっとね、和幸君の妹さん。…だよね?和幸君。」

 …コク、コク。

「… …。 …で、なんで先輩はこんなに固まってるんですか?」

「…さあ…。私はよく知らないんだけど… 妹さんがいる、っていう話くらいで…。」

 … … …。

「はーい、お待たせ!注文は?」

 俺の順番がきたようで、割烹着のおばちゃんが威勢のいい声で俺に尋ねる。

「畜生ッ!!この煮込み雑炊を一つッ!!」

「ごめんねー、それ来月からなの。」

「ちくしょおおおおおおおおおお!!!!!!!!」

 俺は泣いていた。いつの間にか泣いていた。

「…へー、じゃあその妹…えと、奈月ちゃんって、すっごく頭いいんですね。」

「…ああ。」

 俺はラーメン、悠希と春香は山菜そばをすすりながら席に着いていた。

「俺が大学に行くのに上京した時期に、アイツもどっか遠くに行ったみたいでさ。名門の学校だか…なんだか知らないけど。とにかくアイツ自身勉強とか研究が凄い好きで、地元にはもういないんだ。」

「兄とは偉い違いだねー。」

「…うるせ。」

 悠希が少しからかうように言う。
 …実は、それが一番妹を嫌がる理由なんだけどな…。

「…で、なんで先輩はそんなに露骨に奈月ちゃんのコト嫌がるんですか?」

「…え。」

 …な、なんだ…心の中を読まれたのか…?

「…そりゃ、そこまで嫌そうな顔してれば気付きますって。」

 … … …そんな顔してたのか、俺。

「…俺と妹。そりゃあもう、天と地の差以上に出来が違ってた。俺と奈月は同じ塾に小さい頃から行ってたんだけどさ。…俺が小学校の勉強してる時、アイツは既に中学の数学の問題をスラスラ解いてた。…周りの大人は、十年に一人の天才とかチヤホヤしてさ。俺はその陰でずっといじけてばっかりだった。…なんでアイツだけ。 …なんてな。」

 …いつの間にか、空気が大分しんみりしていた。俺が真面目に…というか、落ち込んで話し始めたからだろう。2人とも箸を置いて、黙って聞いている。

「両親からも、先生からも、友達からも…奈月はいつも注目の的だった。テレビの取材も何回も来てた。 …その度、周りから俺はいつも言われ続けてたんだ。『妹はあんなに出来がいいのに、なんでお前は…』…って。…自分は普通の人間だと思ってた。ただ、比較される対象があまりにも大きすぎたから…自分がどんどん小さく、醜く見えていったんだ。」

「…酷い、ね…。」

 …悠希も春香も、辛そうな顔をしていた。…共感してくれている。 …それが嬉しかった。…でもそんな顔は見ていたくない。

「…だから俺は、映画が好きだった。 …現実の世界なんて全て忘れて、架空の世界に心を引っ張ってくれるあの感覚が、大好きになった。…しかも、その感覚を、今は悠希と春香と共有出来てる。 …映画がなけりゃ、俺はもっと駄目人間になってたな、ハハ。」

「…先輩…。」

「奈月には悪気はなかったしな。周りの大人が奈月をチヤホヤする度、アイツはいつも心配して俺の部屋に来てくれた。…これでも兄だから強がってたけど…ま、それが実際もっと辛かった。妹にこんなに心配かけて、俺はなんて駄目な兄貴なんだろーなー、って…。」

 俺は携帯を取り出す。
 未だ未開封のメールの絵がそこにあった。

「周りの大人が怖かっただけなんだ。…奈月はいい妹だよ。 …っても、そんな関係だったんで、お互いがお互いを気遣って…かな。実家を離れてからはさっぱり連絡取ってなかったけど…。」

 メールを開封する。
 …案外短い文章が、画面に広がった。

「…なんて書いてあるんです?」

 妹と疎遠なわけじゃない、と安心してくれたのか春香は少し微笑みながら俺に尋ねる。

「…えーと、『近々会いにいきますので、待っていてください。バーイ奈月☆』だってさ…。ハハハ…

 なにいいいいいーーーッ!!??」

「きゃああああッ!?」

 思わず大声を上げてしまい、悠希が机に伏せる。

 あ、あ、あ、あ、会いにくる…だと…!!??

「あ、あ、会いに、って… ど、ど、どうして…どうやって…!?」

「せ、先輩落ち着いて…!」

 …食堂中の学生の視線が俺に集まる。
 だが俺はそれに気付かないほどに驚いていた。

「お、落ち着いてられるか…!!な、何年ぶりに逢うと思ってるんだよ…!しかも…近々!!??近々っていつだよ!!」

 …圧倒的な緊張。
 まるで殺し屋にいつ殺されるか分からない悪党の感覚だ。

 久々に。しかもずっと俺のコンプレックスだった妹が…俺に会いにくる。
 ある日、突然に。どこからともなく。

 …これが落ち着いていられるか…!!!
 一気に心臓の鼓動が高まる。

「…いつだ…いつだ…いつ来るんだ…!!」

 狼に狙われた羊の感覚。
 もはや妹に殺されるようなイメージさえ、俺の中には湧いてきていた。

 …奈月が…来る…!

 俺に…会いに…!!

「あっはははは!ま、いい機会じゃないですか!妹さんと仲直りするいい機会!」

 昼飯を食い終わって、大学の講義も終わり。
 悠希は何か用事があるらしく早々と自宅へ戻っていき、俺と春香はサークル室で雑談をしていた。
 …雑談、というか落ち込んでいる俺に一方的に春香が攻めているといった感じだけど…。

「仲直り… ってか、俺達別に喧嘩とかしたわけじゃあ…。ただ、疎遠になってた、ってだけで…。」

「でも、その疎遠っていうのが先輩の中じゃ妹さんと逢うのに一番のネックになってるわけでしょ?」

「…う。」

 痛いところを突いてきやがる。本当に心を見透かされているようだ。
 …俺が思っている以上に、俺は心を読まれやすいようだ。何も使わなくても。

「実際逢えば、色々考えも変わってきますって。まずは逢ってみないコトには… っても、逢いにくるのは妹さんのほうか。」

「ううう…。」

 それが嫌なんだよなあ…。
 アイツの近況なんて本当に何も知らないから、いつどうやって逢いにくるのかがさっぱり分からない。
 …両親は、俺の事を奈月に話したのだろうか。
 ならアパートも即座にバレてるだろうし、本当に近日中に、家の玄関に奈月が立っているかもわからない。

 …かれこれ5、6年、奈月の顔も見てないんだ。
 その人物が自分の妹かも分からない…だろう。何より俺が、アイツの顔を忘れたかったのだから。

 …
 『お兄ちゃん』
 …

 微かに奈月が俺を呼ぶ声が頭の中で再生される。
 声の主は…暗闇の中にいるようだ。周りが何も見えない中で、妹が俺を呼んでいる。…顔も知らない、妹が。

 …怖い、というんだろうか、これは。
 もう妹は… 俺の妹ではないのかもしれない。

「…先輩?」

 春香の声で、ふと俺は現実に戻る。

「…え…。ご、ごめん…。考え事してた…。」

「…重症だコリャ。」

 春香が呆れて溜息をつく。

「ま、ともかく何とかなりますってー。心配しなくても、時計の針は進んでいきます。いつかは妹さんが目の前に来るんですから!」

 …は、励ましてるつもりなのか、それは…。脅しにしか聞こえないぞ…。

 … … …。
 まあ、確かに妹は来る。それは事実だ。
 しかし俺には… … …コイツがあるんだからな。

「…?先輩、なんですか、それ。」

「…いいもの。」

 俺はハート・ハック・クラッシャーのキーボードを慣れた手つきで打つ。
 …折角2人きりなんだもの。少しは楽しまなくちゃな。

 …送信、っと。

「… … …。」

 春香の様子が変わる。命令文が無事に春香に届いた証拠だ。

「… それで、先輩はどうするつもりですか?」

 …そう言いながら、春香は自分の上着に手をかける。
 白のパーカーに手をかけ、それを脱ぎ捨てると青色のブラジャーが露になる。
 春香は椅子から立ち上がり、今度はジーンズのチャックをずらす。ゆっくりと下までジッパーを下げるとストン、とジーンズが足首まで脱げ、上のブラと同じ色のパンティーが見えた。

「…どうする、って?」

「妹さんが来るんでしょ?出迎えの一つくらいしなくっちゃ。」

 春香はブラの後ろに手をかける。少し手間取ってホックを外し、ブラそのものも外す。…淡いピンクの乳首まで見えているのに、春香はそれを隠そうともしない。
 少し小さいながらも形のいい乳房。 しかし本人はいたって真面目な顔で、俺と話し続けている。

「出迎え、ってもなあ…。いつ来るかわからないし…。」

「そこですよ。折角妹さんからメールきたんだし、じゃあ今度は先輩から、『じゃあ何時に此処に来て』とか言わないと…。」

 再び椅子から春香は立ち上がると… パンティーに手をかける。腰を少しうねらせるように動かし、下着を足首に向けてずらしはじめる。
 陰毛が見え…やがて秘所が見えた。 しかし、やはり本人はそれを気にしてもいない。隠そうとしないどころか、元々あまり女らしい仕草がないため、足は開き気味でさえある。
 そのため、もはや身体の全てが丸見えの状態だ。やがて春香は全ての衣類を脱ぎ捨て、全裸になった。

 【衣類を全て脱ぎ捨てる。それは恥ずかしがる事ではない】

 これだけの文章なのに、春香の中の『常識』はすっかりと変わってしまったんだ。
 全裸になった春香を、つい俺はマジマジと見つめてしまう。

「…先輩? …な、何見てるんですか…。」

 …いかんいかん、視線がキツくなってしまったようだ。…無理もないだろ…。全裸の女が目の前にいればさ。

「…変な先輩。」

 …客観的に見れば、変なのは明らかに君の方なんだけどね。

 …さて、と。単に服を脱がせただけじゃつまらないな。…裸なのに何も疑問に思っていない人間の姿を見るだけ、ってのもまあ面白いんだけど。

「…春香。…寒くない?」

「…ん…? …だって、アタシ何も着てないですもん。そりゃ寒いですよ…。」

「…へえー…。」

「… …?変なの…。」

 …くくくくく。まあ、面白いな…。

 さて、と。次の命令文を打ち込んでみるか。…少し、春香に任せてみよう。

 【少しだけ、裸でいる事が恥ずかしい】

「… … あ…。」

 命令を送信した瞬間、春香の頬が赤くなる。
 微かにうめき声をあげながら、乳首を腕で隠し、内股になって秘所も見えないようにする。

「…どうしたの?」

「… …や、別に…。」

 …ふふ。あくまで『少しだけ』だからな。極端に抵抗したりはしないけど、裸でいることは相変わらず『当然』であるという認識の方が強いってわけだ。

「隠すことないんじゃないの?別に裸でいることは恥ずかしい事じゃないんだしさ。」

「… そ、そうなん…ですけど…。 …うう…。」

 自分でも疑問に思っているのだろう。
 裸でいるのは恥ずかしい事じゃないと頭では分かっているのに、それを感情として恥ずかしがってしまう。
 理性と感情がバラバラなわけだ。…まあ、その常識はとっくに壊したものではあるけどね…くく。

「あ、あんまり…見ないでください…。」

「なんで?いいじゃん、減るものじゃないし。」

 そう言って俺はにやにやしながら春香の裸体を拝む。…大っぴらにされるのもいいけど、少し恥じらいも必要なのかもね。

 さてと、次はどうするかな…。
 …よし。

 【普通の状態に戻る】

 …この命令文で、春香は何も命令のかかっていない状態に戻ることはもう実践済みだ。
 …しかし、身体の状態はそのままなんだよな。…つまり…。

「…? …あれ…?」

 …おっとっと。危ない。

 【大声は出せない】

 急いで命令文を送信する。騒ぎになるとまずいからな。

「…! ! ! わ、わ、わ… …!!」

 慌てて椅子の後ろに隠れる。…そりゃそうか、当然の反応。

「…春香…。お前、なんで裸なんだ…?」

「え…!! な、なんで… なんで…!!??」

 …俺は、記憶は消していない。
 だから、春香ははっきりと覚えているのだ。自分がなんの躊躇いもなく、俺の前で衣類を脱ぎ捨てた事に。

「なんで、アタシ… あああ…っ!!いやああ…!!」

「恥ずかしがる事ないんじゃないの…?…自分で脱いだんだしさ…。」

「やだ、やだ… やだあああっ…!!」

 …隠れてちゃ、何がなんだかだな。
 …よし。

 【自分の裸体を、見せたくなる】

「… あ…。」

 変化は劇的だ。
 椅子の後ろに隠れてしゃがみこみ、胸も秘所も手で必死に隠していたのに…。
 今は違う。
 手はダランとブラ下げ、椅子の後ろにしゃがんでいるだけ。…乳首は丸見えだ。それなのに隠そうとしていない。

 …このくらいの命令文なら、まだ理性との格闘があるのだろう。
 自分に露出願望があっても、それは恥ずかしい事のわけで… 気持ちは見せたくても、理性で踏み切っているわけだ。

「…春香… 胸、見えてるよ?」

「え… … あ、う…。」

 何も言えない。
 それはイケナイ事のはずなのに、自分の中に芽生えている感情はまったく違う。
 見せたい。自分の乳首も、秘所も。ありのままを、誰かに…。
 俺が言うと、春香は再び胸を隠そうとする。躊躇いがちに隠した胸は、大部分が見えていて隠している意味なんてほとんどない。

 もう少し強めてみるか…。

 【自分の裸体を見せるのは快楽である。見せれば見せるほど、快感である】

 命令文を送信…と。

「あ、ああああっ…! せ、せんぱぁい…!」

 …表情は…笑顔だった。
 裸を見せるという行為そのものが、自慰に近い行為に変わっているのであろう。
 立ち上がって、何もかもを俺に見せ付けると、厭らしく腰をくねらせて歩き、俺に近づく。

「みて… 見てぇ… アタシのおっぱいも…おま○こもぉ… 何もかも…もっと見てぇ…!」

「…見てるよ。綺麗だ。」

「あ、はぁぁっ…! う、うれしい、ですぅ…!」

 …唾液を口から垂らしながら、指を秘所にもっていき… これまた、俺に見せるように腰まで動かし… オナニーを始めてしまった。

「き、気持ちいいよぉぉ… もっと見て、ぇ… アタシの身体もっと見てぇ…!」

 露出願望が元々あったのだろうか。…そんなわけないと思うが、随分と大胆に行動するもんなんだね…。…こりゃ面白いや。

「だ、駄目ぇ… もっと… もっと色々な人に見てもらいたいのぉ…。」

 …

 何?

 春香はそう言うと、ドアまでフラフラと歩いていき、ドアノブに手をかける。

「…ち、ちょっと待てええええ!!!」

 まずい、それはまずい!
 俺は春香の元まで駆け寄り、部屋から出て行こうとする春香を全力で止める!

「やだあああっ…!!もっと、色々な人にアタシのま○こ見てもらうのおおっ… 大学中歩き回るぅぅ…!」

「や、やめろおおお!!」

 騒ぎになったら一大事だ…!
 俺は春香を右手で抱きとめて、暴れる春香を必死に止める。
 春香だって必死だ。もっと性的快楽を味わいたくて、本気で抵抗してくる。
 ぐ… き、キーボードが思ったように操れない…!この…!

 【眠る】

 それだけ送信すると、線が切れるように春香はそこに座り込み、やがて横になる。

「ふにゃああああ…。」

 猫のような声を出して欠伸をすると、やがてスヤスヤ眠ってしまう。
 …つ、疲れた…。まさかそこまでやろうとすると思わなかった…!命令が対象者の認識に任せる、っだけでも問題になるもんだな…!

 【普通の状態に戻る。今日サークル室に入ってからの記憶は全て忘れる】

 それだけ送信し、俺は春香に衣類を着せてやる。
 女物の服を着せてやるっていうのもなかなか難しいものだけど…これだけは仕方ない。前もやったけど、慣れるわけないしな…。
 …ま、こんな経験、ハート・ハック・クラッシャーを手に入れる前はあるわけなかったんだ。貴重な経験なんだろうな…。

「はああ…。」

 アパートの駐輪場にスクーターを止めてヘルメットを脱ぐと、白い溜息が夜の寒空に消えていった。
 疲れた…。まさかあんな騒ぎになると思わなかったけど…。

 …ま、今日も面白い体験が出来た。

 明日はどんな事をしてみようかな…。
 疲れていても、そんな希望に満ちた考えばかり浮かんでくる。悠希で遊ぶか、春香で遊ぶか、他人で遊ぶか…。
 そんな事を考えながら、部屋のドアを開け…

 …あれ?

 …鍵が… 開いてる…?

 俺はそのままドアを開ける…と…。

「…あ。やっほー♪おかえり、おにーちゃん!」

 …。

 藤田奈月は…。

 コタツでみかんを食べながら… 俺の帰りを待っていた…。

< つづく >

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