星辰の巫女たち 第3話

第3話

 巫女との出会いから数日……ザールは巫女の癒しの力によって回復した。
 ステラ=マリは毎日彼の病室を訪れ、荒んだ相貌の彼を軽蔑することも怖気づくこともなく接してくれた。
 病室で二人きりになっても、ザールは最初、彼女に何も話すまいと決めていた。自分のような者が発する吐息・話す内容・思想が、女神のような彼女をほんの少しでも汚してはいけないと思ったからだ。
 彼女は自分からは何も言わなかった。ザールが喋りたくないと言えばそれを尊重し、自分から喋ることもなかった。ただ、にこにこと無条件の笑みを浮かべて座っているだけだった。
 しかし、気がつけばザールはステラ=マリに多くのことを話していた。彼女に促されたわけではない。不思議なことに、ステラ=マリと同じ空間を共有していると、自分を恥じる気持ちがなくなり、たどたどしくも何かを話したくなっていたのだった。概して徳の高い人物はそれに接する人に恥の気分を起こさせるものだ。しかし、彼女は違った。彼女は誰も罪悪感や自己嫌悪に苦しませることはなかった。彼女の前では、人は強い畏敬の念を起こさせられると同時に、すべてが赦されるのを感じるのだった。
 春の日差しが種から蕾を芽吹かせるように、ステラ=マリのいる空気そのものが、ザールの中で眠っていた言葉を呼び覚ました。人とこんなに話すのは10年ぶりだった。ステラ=マリはザールの話を、暖かく微笑んで聞いてくれた。夢のような時間だった。

 ザールは、体の調子が9割方快癒すると、こっそりと聖堂を発った。
 ステラ=マリには会わなかった。もし彼女に会えば、きっと旅立つ決意が挫けるだろうとわかっていたからだ。
 彼は、二度と悪事を働かないと心に誓った。改心したからではない。すべては彼女のためだった。もしこれ以降彼が悪事を働けば、その悪事は間接的に、死ぬはずだった自分の命を助けた彼女が起こしたことになるからだ。自分の行いのために彼女の名誉を少しでも汚すわけにはいかなかった。
 彼は彼女に助けられた人間として相応しいことをしようと思ったのだ。

 彼はまたあちこちを放浪する旅を続けた。しかし、心は以前とは違う。
 ステラ=マリ。その名前を思い出すだけで、彼の中に暖かい炎が灯った。もう獣のような顔はしていない。彼の顔には、不器用だったが、暖かな人間としての表情が宿っていた。

 ザールは聖堂から東の小さな村へたどり着く。 そこは、深い森に面し、たびたびモンスターの被害に悩まされていた。
 彼はそこで門番の仕事を買って出た。
 これまで無頼の生活をして生き抜いてきただけあって、武器を用いた戦闘能力は相当だった。そんな彼を村人達は信頼した。彼らはザールのために家を建ててくれた。彼はようやく共同体の一員になろうとしていた。
 家族もできた。身寄りのない少女を彼が引き取ることにした。彼女はザールの妹となった。名前をコレットという。

 彼女はこの村の生まれではない。旅の商人に連れられていた。しかしただの商人ではない。いわゆる奴隷商人という連中だ。
 数ヶ月前、奴隷商人一行がこの村に立ち寄って旅立った後、モンスターの群れに襲われ、荷台の中で潜んでいた彼女だけが助かり、村で保護された。発見したのは見回りをしていたザールだった。

 彼女は最初ひどく痩せ細っていたが、旺盛な食欲を示しすぐに元気になった。コレットは花のように美しい少女だった。ウェーブが掛かったさらさらの栗色の髪は村の少年たちはみんな彼女に夢中になった。だが彼女は誰にも心を開かなかった。とくに、男の子や大人に触れられようなものなら絶叫し、その日一日何も話せなくなるほどだった。幼いながらも彼女が奴隷商人から性的虐待を受けていたことは察せられた。
 ただ、彼女は寡黙なザールに心を開き、兄と呼んで慕ってくれた。
 しかし奴隷商人たちに刻まれたトラウマは消えないいつまで経っても消えなかった。 彼女は一つ屋根の下で暮らしていながら、ザールの手に触れることはなかった。彼女のこの大人への不信だけがザールの唯一の心配だった。
 このまま彼女が男性恐怖症のままなら、お嫁にもいけない。自分と一生過ごすなんてことはあってはならない。
 彼女が誰か男性を好きになるまで、彼女のトラウマを癒してやるのが自分に与えられた使命だと思った。それまで、彼女を守ろうと心に誓った。

 しかし、悲劇の影は、着実に迫ってきていた。

 ある夕方、東の空が、見たこともないような血のような赤い色に染まっていた。寒い冬の日だった。
 月は新月。こんな日には、モンスターも餌を求めて人家に近づいてくる。
 彼は村の門の前で油断なく付近を見回していた。
 果たして、森の中から何かが現れたしかし彼の予想に反して、現れたのは人間だった。
 やってきたのは8人の男たちだった。彼らはみな顔以外を覆い隠す黒いローブを羽織っていた。夜闇の中に溶けてしまいそうな真っ黒なローブ。額の部分に、『A』の文字が書かれている。
「我々は模倣者(イミテイター)」
 模倣者! ザールは顔を顰める。
「布教の旅の途中でこの村に立ち寄った」
「どうか、一晩の宿をお借りできまいか?」
 ザールは彼ら追い返したかった。最近巷を騒がせている模倣者と呼ばれる集団について良い噂は聞かない。だが、この闇夜の中を森に追い返すわけにはいかなかった。
「いいだろう。入れ」
 ザールは、しぶしぶながら、彼らを招きいれた。
「しかし条件がある。夜が明けたらすぐに村から出て行ってもらう」
「もちろん」
 男たちは感情の篭らない声で答えた。

 村に大勢の客人のための宿はない。模倣者たちは村の共同馬屋で泊まることになった。

 模倣者(イミテイター)とは、アールマティ聖教とは異なる異端宗派の一派だ。本来ならアールマティ(Armaiti)聖教の純白の神官服に書かれている『A』の文字を真似て彼らのローブに書いていることからこう名乗っているらしい。
 異端の存在自体はならそう珍しくない。ただ模倣者の特異な点は、猛烈な勢いで信者を増やしていることだ。
 あちこちで信者を増やし、枯野に野火が燃え広がるような勢いで、大陸中に勢力を拡大しているという。このことは、アールマティ聖教の僧たちだけではなく、市井の人々さえ恐怖させていた。
 暴力やいかがわしげな邪術を用いているという噂も絶えず、彼らが邪神タローマティを崇拝しているのではと疑うものもいる。彼らの表面上の教義は、ローブの『A』の文字が示すとおりアールマティ神を崇拝しているというが、本当のことはわかったものではない。

 ザールは村の門の前で見張りを続けた。だが、ほんとうは村の門よりも彼らを監視していたかった。
 彼らのローブの紋章は『A』。アールマティの神官と同じArmaitiの『A』だ。だがザールは実際に模倣者を見てわかった。あの連中が、ステラ=マリと同じ神を信仰しているとは到底思えない。やつらは、もっと恐ろしい集団だ。
 もし、あの連中が村に危害を加えることがあれば、斬る。
 彼はそれを覚悟した。
 ステラ=マリと会ってからは彼は人を斬ったことはない。だが、この村の人々を、コレットを守るために、やるしかない。
 その日、明け方まで見張りを続けたあと、ザールは家路に着いた。新月の夜にも拘らず、幸いモンスターが襲ってくることはなかった。

 翌日、彼は胸騒ぎを感じてが覚めた。
 嫌な空気がした。住み慣れた村なのに、どこか異郷のような空気。
 窓の外を見ると、風もないのに、夜かと見間違うほど暗かった。
「コレット! いるか?」
 家の中に彼女の姿はなかった。
 なにかが起こっている。
 彼は外に出た。
「!」
 空が、黒い雲に覆われていた。嵐の前の暗雲のようにどす黒い。しかし空気に湿り気はなく、むしろカラカラに乾いていた。
 雲というより、渦だった。風下の方に流れていく気配が全くない。この村の上空を中心に渦巻いているように見える。この雲が村全体をすっぽり覆っているのだ。
 こんな物が自然に出来たとはおよそ思えない。
「模倣者たちの仕業か」
 このどす黒い雲は、模倣者たちの体を包んでいる黒いローブを容易に連想させた。
 こんな異常事態を村人たちはどう思って見ているのだろう? なぜ用心棒の自分に知らせてくれなかったのだろう?
 彼は村の中心の広場に向かった。
 村人はみなそこに集まっていた。だがそれは彼を安心させるどころか、さらに困惑させた。
「おい。どうしたんだ?」
 彼は村人たちに声をかけた。だが揺さぶっても、頬を引っぱたいても何の反応もなかった。目の焦点が合っていない。手足には力が入っておらず、立っているのが不思議なくらいだった。まるで上から見えない糸で操り人形のように糸で吊られているように見えた。
 駄目だ。ザールは舌打ちをした。

 自分だけなぜ無事だったか? それはおそらく、眠っていたからだ。夜警あがりで、眠っていたから、今朝村全体に掛けられた何らかの暗示をやりすごせたんだ。
 そう思い自分の幸運を感謝していると、彼の前の前に信じられないものが現れた。
「コレット!」
 コレットは他の村人たちと同様、ふらふらとおぼつかない足取りで彷徨っていた。
「コレットオオオー!」
 耳元で名前を叫んでも、何の反応も示さない。いつも聡明そうに固く結ばれている唇はだらしなく半開きになり、目は無機質なガラス玉のようだ。
 やむをえない。
「許せ、コレット!」
 彼はコレットの頬を強くひっぱたく。彼女の体が地面に倒れた。ザールは固唾を飲んで彼女を見守った。
 しかし、コレットはザールの方を見ることもなく立ち上がると、何事もなかったようにまた歩き始める。
「くそっ!」
 何かないのか? 彼女の意識を強く引きつける何かは。
 ――そうだ! ザールの頭に閃きが走る。
「コレット! メシの時間だぞ!」
「!」
 コレットの耳朶がぴくりと動いたように見えた。
「ど、どこ?」
 彼女は四方を見渡す。その動作は人間らしく、その目にはたしかな意思の光(食欲)が戻っている。
「コレット! 良かった!」
 ザールは食いしんぼの妹を抱きしめたくなるのをやっとのことでこらえた。

「これは、模倣者たちの仕業なの?」
 ザールから事情を聞いたコレットはあたりの様子を改めて眺めて青ざめた。正気でない村人たち、それに真っ黒な空。
「だろうな」
「お兄ちゃんがあたしを正気に戻してくれなかったら、あたしもみんなみたいになってたのね。ありがとうお兄ちゃん」
「いや……」
 と、彼女は左頬が少し腫れているのに気づいた。ザールの平手打ちの痕だ。
「お兄ちゃん……あたしに、触った……?」
「すまん。非常事態だった」
「うん……わかってる」
 コレットは納得したようだが、傷ついた様子は隠すべくもなかったようだ。
「お兄ちゃん……ごめん」
 彼女はその場にしゃがみこみ、げろげろと胃の中身を吐き出した。と、スカートをめくり上げ、その布地でザールの掌が触れたであろう左頬をごしごしこすり始めた。
「お兄ちゃん……! ほかにはどこも触っていないよね!?」
「ああ」
「お兄ちゃん、お兄ちゃん……ごめん」
「謝るな。お前をそんなにしたやつが悪い」

 さて、のんびりしている時間はない。これから、どうすべきか?
 彼の戦士としての頭脳は回転を始めた。この場で模倣者たちを斬って捨てるべきか? それとも、自分までも奴らの手に落ちないうちに、コレットを連れて村を脱出して救援を呼ぶべきか?

 彼が悩んでいると、広場から聞き慣れない大きな声が響いた。
「これより生贄の儀式を始める」
 ザールとコレットが人垣に紛れ込む。見ると、広場の中央に黒いローブの模倣者たちが集まっていた。
「あいつら……!」
 模倣者たちは、いつの間に作ったのか不気味な形の祭壇を広場の中央に設けていた。漆黒の布に被われた祭壇には、『A』の文字が刻まれている。その上に教祖と思しき者が立っている。
 教祖は祭壇の上で錫杖を掲げた。
「生け贄に選ばれた娘たちよ、前に出ろ」
 すると、群衆の前の方に控えていた女たちがふらふらとした足取りで進み出た。コレットとそう年が変わらない、村の若い娘たちだった。
「あ! メリー……。 アンナ……。 ジョアンヌ……。 ルピーまで……!」
「しっ!」
 コレットが慌てて口をつぐむ。
「我らの神の復活のための贄となれ!」
「「「「はい。よろこんで」」」」
 女たちは感情のない声でそう答えた。先頭にいたものが進み出て、なんの躊躇いもなく裸になり、祭壇の前に歩み寄る。
「すばらしい血だ。乙女の汚れなき血が、我らが神を復活させるだろう」
 模倣者のリーダーの持っていた剣が、彼女のむき出しの秘所に突き刺さる、女の体ががくりと揺れる。
「あっ……くふふう! ひ、きゃあああああ!」
 女が体を反らせて絶叫する。と、彼女の体から血の気が引き、秘所に突き刺さった剣から血が吸い上げられていった。
 血の吸い上げが果てると、女は動かなくなった。模倣者は無造作に彼女から剣を引き抜く。
「……っ!」
 ザールの顔からも血の気が引いていった。
 ザールはコレットの顔を伺う。コレットは呆然とした顔で女を見ていた。その目には理性が消えている。さぞ恐ろしいのだろう。
 触れることができたならば、彼女を抱きしめ、大丈夫だ、と言ってやりたかった。
 コレットもちょうどいま殺された娘と似たような年頃だ。下手をすればコレットもあの列に加わっていたかと思うとゾッとする。
 安心している場合ではない。こんな暴挙を認めるわけにはいかない。
 忍び寄って、連中のリーダーを殺す。
 そう決意した。
「コレット……」
「……」
「コレット……!」
「え、なに?」
 コレットはさっきから呆然とした顔のまま膝をすり合わせていた。何をしているのだろう?
「コレット。俺は今から戦いに行く。何があってもここでじっとしているんだぞ」
「! お兄ちゃん……!」
 ザールは未練を振り切るように、コレットの顔を見ずに動き出した。
「ステラ=マリ殿……俺に勇気を……!」
 彼は外套の内側に剣を隠し、群集に紛れてゆっくりと祭壇に近づいていく。 祭壇の中央に立ち、剣を持って乙女たちを手にかけている男。
 あの男が教祖に違いない。
 祭壇の手前まで近づいた。だがこれ以上近寄ると、周りを固める模倣者たちに警戒される危険がある。
 だが、片目の鬼にとっては、ここからで十分だ。
 彼は、目にも留まらぬ速さで踏み込む。
 それは一瞬の出来事であった。祭壇の周りの教祖の護衛たちが彼の姿を認めたときには、彼の剣は、教祖の胸を斜めに切り裂いた。
 教祖のローブがはだけ、中の老人の肉体が崩れ落ちる。大事に握っていた剣をぽろりと落とすと、背面にばたんと倒れた。
 コレットが「ひい!」とのどを鳴らす音がした。
 教祖はもうピクリとも動かない。死んだことは明らかだった。
「……さて、どうでる?」

 彼は場が狂騒に包まれるだろうと予想した。だがその予想に反し、場は静まり返ったままだった。暗示にかかっている村人たちはともかく、教祖のまわりの模倣者たちさえ驚いた様子こそ見せたものの、取り乱す様子はなかった。彼らはザールを眺めているだけで、まったく動こうともせずザールを捕らえようともしない。
 ――なんだ? んーー?
 彼は教祖の死体に目を向ける。体を真っ二つにせんばかりの傷を負わせたのに、血がほとんど出ていない。
 と、今しがた見た忘れられない光景が彼の中で蘇る。乙女を殺して血を吸った剣。
 まさか、 この男も、すでに吸われているのか?
 何者かに、血を。
 彼がそう思い当たったのが合図だったかのように、倒れた教祖の体から黒い霧が噴き出す。
「!?」
 沸騰する鍋の蓋を開けたように、猛烈な勢いで飛び出す黒い霧。あれよあれよという間に彼の周りを得体の知れない、黒い霧が覆っていた。村を覆う雲よりもさらに黒く、濃く粘り気のある霧。
「や、やめろっ!」
 ザールは動いた、祭壇から飛び降りて逃げたーーつもりだった。しかし彼の体は神経毒を受けたように動かない。彼は見た。あろうころか、この黒い霧が彼の体の中に侵入してくるではないか。
 霧は、つかみ所がないにも関わらず、芋虫が這い上がってくるような異様な物体感もあった。
 それはたちまち彼の体を覆いつくした。
「お、お兄ちゃん!」
 コレットが愚かにも群集の中から飛び出してくる。
「く、くるなコレット!」
 かろうじて口は動いた。近づいてこようとするコレットを厳しい声で制する。
 その間にも、黒い霧は彼の体を侵し、筋肉の一筋、血液の一滴にまで浸透していた。
 圧倒的な禍々しさだった。ステラ=マリの気配と真逆の邪悪な気配。並みのモンスターなんかじゃない!
 まさか、闇の神タローマティ!
(我のことを知っているのか、新しい宿主よ)
 と、彼の頭の中で声がした。ひどく不快で、体の芯を凍らせるような声だった。
(だが正確には違う。我はかつてタローマティだったものだ)
 それは彼がおよそ聴いたこともない異様な声だった。低いのか高いのかもわからない、男のような女のような声。ただ、恐ろしいまでの威圧感があった。
(ふむ。お前の体から聖なる気を感じる)
「……?」
(だから我の暗示が効かなかったのだな。そうか。ごく最近神官にーーそれもよほど強い力を持ったものにーー病気の治療を受けたのか。ゆえに肉体に聖なる気の残滓が留まっていたのだな)
 この悪魔は、人の心が読めるのか!?
(その通り)
 悪魔が心の中で答えた。
「出ていけ! かりにも神ならこんなチンケな人間の体に隠れるんじゃない!」
(そう言うな。お前には、我の新しい宿主になってもらう)
「宿主、だと?」
(知ってのとおりタローマティは神話の時代の戦いで滅ぼされた。彼の意識の断片だけがこの世に復活したが、まだタローマティとして実体化するためには力が足りなくてな。こうして人間の肉体を借りる必要があるのだ)
「ふ、ふざけるな!」と彼は言ったつもりだった。
 しかし、彼の口は言葉を紡がなかった。
「無駄だよ。もうこの体は我のものだ」
 ザールの口が喋った。
(な……)
 ザールの心は、彼の体から切り離され、暗い檻の中に閉じ込められてしまった。肉体が見ている情報を受け取るだけで、目線さえ動かすことはかなわなかった。
「なかなか鍛えられた肉体をしている。今までの老いぼれの肉体とは大違いだ」
 彼は腕を回し、その具合を確かめる。
「おい。これを片付けておけ」
 ザールが命じると、祭壇の下で控えていた模倣者たちはさっきまで教祖と崇めていた男の死体を無造作に下ろした。
(殺せ! 俺を殺せ!)
「そう言うな。宿代としてお前にも十分見返りはくれてやるさ。凡百な人間どもは一生かかっても得られぬ喜悦を味あわせてやろう」
(な……?)
「生贄を食らうのだ」
 ザールの心に、再び剣で血を抜かれる娘の姿が過る。
「違う。あんな老いぼれの肉体ではあのように血を吸うしかなかった。だがお前の若く強い肉体ならもっと手があるだろう。さあどれがいい? お前の好いていた娘はどれだ?」
 彼は広場の前で並んでいた女たちの前を歩く。
「なに? この中にいないのか?」
 ザールはザールの心を読む。
「そうか、あいつか」
 ザールは、人垣の中のコレットのほうを見た。

「お兄ちゃん……?」
「よう、コレット」
 ザールは喋った。今までのザールの声色そのままに喋った。
「お兄ちゃん……なの?」
 コレットは兄の異常に気づかないほど馬鹿ではない。しかし、彼女は戦場で戦ったことなどない、ただの少女なのだ。生きるか死ぬかの状況で自分の判断を信じ、大胆な行動に身を任せることができなかった。
 ザールは大股でコレットに近づく。コレットは立ち尽くすだけだ。
(コレット!)
 ザールの心の叫びは妹に届かない。
(コレット! 逃げろ! これは、俺じゃない!)
 ザールの目とコレットの目が合う。
「――!」
 そのとたん、コレットの目が見開いた。
 彼女の思考の光がザールの目に吸い取られるように消える。彼女は魂を抜かれたように何も映さない曇った目をザールに向けていた。
(なんてことだ! また暗示にかかってしまったのか?)
「少し違うな。我が直接施す暗示はあんなものの比ではない」
 ザールはなされるがままのコレットの体を抱き寄せた。
(やめろ! その子に触るな! そいつには辛い記憶があるんだ!)
「知っている。だからこそ、その記憶を払拭してやろうというのではないか」
 ザールの口が残忍にゆがむ。彼は部下の模倣者たちにその場を任せ、ザールの家に向かった。

「コレット、気持ちいいか?」
「……うん」
 コレットは朦朧とした表情のまま答えた。
 今彼女は、ザールとコレット2人の家のベッドに座らされている。ザールは彼女の正面に腰掛け、静かに語りかけている。
「コレット。いいか? コレットは俺に体を触られると今感じている気持ち良さが何倍にもなる」
「あ……?」
「怖くなどない。それどころか、コレットは俺に体を触ってもらうのが大好きだ。俺に体を触ってもらうと、不安や恐怖は消えて、とても幸せになる」
「うん……」
「今言ったことは、敏感なところほどより当てはまる。今まで触られるのが怖かったところほど、触られると気持ちよくなる」
「さあ。手を叩くとコレットはいつもの状態に戻る。だが、俺が言ったことは決して忘れないぞ」
 パン!
 その音が、コレットを目覚めさせた。彼女の肩を抱いているザールの腕に気づき、体を硬直させる。
「コレット。怖がらなくていい」
「……あ」
 すると、緊張していたコレットの顔が徐々に変わってきた。戸惑うような表情になり、完全にザールの腕に体を預けた。やがてコレットは自分から腕に手を回し、もじもじと腰をすりあわせている。
(コレット……? どうしちまったんだ? 体を触られてるんだぞ? どうして逃げない?)
 ザールはコレットの様子に満足すると、コレットの華奢な顎をうなじから唇までなで上げる。
「ひゃっ!」
 コレットは上ずった声を漏らす。
「な、なに……これ?」
 ザールはさらにワンピースの生地の中に手を忍び込ませると、膨らみ足りない胸に手を伸ばす。先にちょこんと着いている乳首をくにくにともてあそぶ。
「はう……はっ……はっ……はふ……かふぅ……!」
 コレットはガクガクと顎をふるわせる。しかし、それは嫌がっているのではない。その証拠に、腕は必死にザールの体にしがみついている。
「気持ちいいか? コレット」
「き、き、きもちいいいい! おにいちゃん……気持ちいいですっっっっっっ!」
(なんだって?)
 ザールの心は、信じられない言葉に愕然とする。
 と、コレットは下を向き、既に紅潮している頬を赤くして言った。
「おにいちゃん……あたし、おしっこもらしちゃったみたい……」
 ザールはワンピースをめくった。コレットの下着が濡れている。
「きゃ。み、見ないでよぉ……」
 ザールは笑うと、その内股を何度もなでながら、下着を下ろす。
(や、やめろ!)
 ザールの心に反して、ザールの目はあらわになったコレットの秘所をつぶさに観察する。まだ産毛しか生えていないそこは、縦すじからにじみだした蜜でしっとりと濡れていた。
「恥ずかしい……見ないで……」
 ザールはその声に従うことなく、そっとそこに手を伸ばし、筋を何度もなぞる。
「ひやぁ……あん……あ……ぁ……やん……恥ずかしいよお兄ちゃん……」
 そう言いながらも、愛液の量はたちまち増えていく。
 ザールはかすかに開いた下の口の中に、指を軽く押し込んだ。
「~~っ!」
 声にならない叫びが彼女の口から唾液とともに発せられる。彼女の体が、まるで針で貫かれたかのように伸びる。
 少女が絶頂を迎えた瞬間だった。
 声にならないのはザールの心も同じだった。
 幼い自分の妹が、女に目覚めた瞬間を、彼は呆然と見ていた。

「はぁ……はぁ……おにいちゃん……コレット、おかしくなっちゃう……」
「大丈夫だ。コレット。心配ない」
 絶頂の余韻に浸る彼女の額をなでながら、優しく諭すように語りかけた。ザールのその目が怪しく光る。コレットは再びその目を見つめ、ぼんやりと目を曇らせる。
「奴隷だった頃はこの気持ち良さを味わえなかっただろう」
「うんっ 全然気持ち良くなかったっ、怖かった」
「かわいそうに。だが、もう大丈夫だ。俺が気持ち良くしてやる。奴隷だったころに辛く思ったことほど、今はその分気持ち良くなれるはずだ」
(やめろ! なにをしている!)
 ザールの心は悲痛な叫びをあげ続ける。だがその叫びがコレットに届くことはなく、何かを期待するような目でザールを見ている。
「コレット……さあ嫌な記憶と決別する時だ。今一度だけ、その辛い体験を思い出せ」
 コレットの顔が苦痛に歪む。心を読めるザールにはわかる。いま彼女の中で奴隷商人の元手の過酷な時代が想起されているのだ。
「あ……うう……」
 コレットの顔を涙が浮かぶ。暗示によって、忘却されたはずの忌まわしい記憶さえも鮮明に蘇っているからだ。
「コレット。もう少しだ。もう少し我慢しろ」
「うう……っ……う……」
「もう少し、ハッキリと思い出せ」
「うぐう……っく……う……」
「さあ、いまその苦痛が全部気持ち良さに変わるぞ」
 言うや否や、コレットの唇を奪った。
「!!!」
 コレットの目が大きく見開かれ、体が弓なりに反り返ったかと思うと、彼女の全身は電流が走ったかのように痙攣を続けた。彼女はその痙攣に抗いながら、なんとか両手でザールの背中を探り当て、抱き寄せる。ザールの腹部にコレットの秘部が当たる。そこは今しがたおもらしでもしたようにグショグショに濡れていた。
「おにいちゃんんん! おにいちゃああっん! ひぐうっっううっ!」
 そう叫びながら、自分の秘部をザールの体に擦り付けるように激しく動き始める。目から涙が、鼻から鼻水が、口からよだれが滴った。しかし彼女はそれを止めることも出来なかった。 はだけたワンピースの中の幼い乳首が勃起し、身もだえするたびにシャツと擦れ、彼女に快感を与えた。
「あ、ああ、ああああああ……」
 いやいやをするように首を激しく揺さぶり、ウェーブした栗色の髪が揺れる。ワンピースをめくられてあらわになった白い足がもがく。
 コレットの頭部は兄の唇を求めて空中をさまよう。しかし、ザールの頭はもっと下にあった。
「コレット、かわいいよ」
 ザールはすでに濡れた舌をのばし、濡れそぼった秘所の上にある充血したクリトリスをはじく。
「んはぁ!!!」
 コレットは初めて味わう快感に、全身を麻痺させた。
「お、おにいちゃあん……あたし……ほんとに、おかしくなっちゃうよう……」
「どうしてほしい? コレット」
「あ………」
「やめてほしいのか?」
「や、やめないで、やめないで! ああ、うんんん、き、きもちいいい!」
(やめろ! やめてくれ!)
 その顔は、ザールが知っている妹の顔ではなかった。劣情に犯されたその顔は、犯されることを望む牝の顔だった。
 ザールの手はコレットのワンピースとシャツを脱がし始めた。
 一緒に暮らしていて彼女の裸を見る機会はないわけでもなかったが、間近でみるコレットの裸は美しかった。
「ずるい。わたしばっかり裸にして」
 顔を赤くしながらその言葉は、「裸になりたくない」という意味ではない。
「お兄ちゃんのおちんちん……見ていい?」
 ザールが許可すると、コレットはズボンを下ろし、下着をとる。ザールのそれは痛々しいほどに勃起しており、先端が先行液ですでに濡れていた。
「うわぁ……おっきい……」
 彼女を貫くためにそそり立っているそれを、陶然とした眼差しで眺めている。彼女はそれを大事なものでも扱うかのようにそっと触れ、竿を撫で上げ、袋を揉む。
「うふっ、ずっと一緒に暮らしていたのに、見せてもらうのは初めてだわ」
 彼女はその先端に「はじめまして」と言って、と可愛い唇を這わせた。
(くぅっ!)
 それだけで思わず射精してしまいそうになるのを、ザールの心はやっとのことでこらえた。
「こうやってすると、気持ちがいいんだよね」
 コレットは、竿の部分をかわいらしい手でしごきながら、亀頭をなめ、先端に何度も吸うような口づけをする。股間に顔を埋める彼女の波打つ美髪が太ももをくすぐる。
(コレット やめるんだ。お前は、操られている!)
 と、コレットのザールの下半身への愛撫が途切れた。ザールが彼女をシーツの上に押し倒し、馬乗りになったのだ。
 これから何が起こるかを理解しコレットは期待に目を潤ませ、ザールを迎え入れようとする。
 ザールの心は、目に映るコレットの肉体を見せ付けられた。膨らみ始めたばかりの乳房は、ピンと張り、ふくらみの頂点にある薄紅色の乳首は愛撫を乞うように立っている。脂肪の少ないまだ少女のような体には甘い汗がにじみ、女の匂いを立ち上らせている。その体は自分の肉体に異物が貫入されると知っていながら、微塵も緊張することなく、何度も体を重ねた恋人を待ちわびるように落ち着いている。細い足の付け根にある秘貝は、愛液にぐっしょりと濡れている。
「行くぞ」
(やめろ! やめるんだ!)
「うん……」
 コレットは目を瞑り、ザールが彼女の陰唇を押し広げ剛直をうずめていくのに任せる。
「あふ……ふふぁ」
 幼いながらも、かつて幾人もの男の慰みものになってきたその淫壷はゆっくりとザールの一物を受け入れていく。
「ああっ! 来る! 来る! お兄ちゃんが来る!」
 膣壁がうねり、肉棒を媚肉に絡み付ける。コレットはその快感を高めるようにザールの腕の中で身もだえする。
 ザールは力を込め、腰を上下し、さらに奥に肉棒を埋めていく。
(やめろ! やめてくれ!)
 ザールの心は必死で抵抗した。
 ザールの肉体が体を上下させるたび、視界に部屋の風景が飛びこんくる。二人で食事をしたテーブル、額に飾られた絵、ザールが作ってやった木琴。少しぎこちなかったが穏やかな絆を育んだこの家で、ザールのこの肉体が、コレットを犯すなんて! ザールの心は張り裂けそうだった。
(お願いだ! やめてくれ!)
「うむ。我もそろそろ引き際だと思っていた」
(やめ……え?)
「ザール。ここからはお前がやれ」
 と、ザールの体はザールの心に従った。不意に体の自由が戻り、ザールの心は困惑のあまり一瞬思考が止まる。
(最後は主導権をお前にやろう。お前の妹だ。せいぜい楽しむといい)
 冗談じゃない! この二度とないチャンスに、彼はコレットの上から離れようとした。しかし、その動きは止められる、コレットが彼の腕を掴んだのだ。
「お兄ちゃん……どうしたの……?」
 ザールは動けなくなった。
 コレットのか弱い腕力に引き止められたからではない。そのあどけない瞳が、ザールの心を引き込んで離さなかったのだ。
「最後まで、して……」
 子供のあどけなさと陰鬱な情欲があやういバランスで同居した類まれな目だった。
 ザールの心はその目に魅入られた。彼の顔が悲哀とも絶望ともつかぬふうにに歪む。。
「コレット……ほんとうに……そう思うのか……?」
「うん……」
「痛いぞ……」
「平気だよ……」
 兄と会話をする間にも、じれったそうに結合部をもじもじと動かしている。
 何も言わずに、ザールは腰に力をこめ始めた。
「あふうぅぅぅ!」
 コレットの声が遠くに聞こえる。彼の目の前に真っ黒な紗が降りる。
 ザールは何も考えずに腰を妹に打ち付け続けた。
 肉欲ゆえではない。
 自らの悲嘆と憤怒のためだ。その迸りを、何かにぶつけなければどうにかなりそうだったのだ。
 かつて名前も知らない女に何度もしたように、陰裂を押し広げ、肉棒を奥深くまでうずめていく。よく濡れた秘所は何の抵抗もなく彼の肉棒を受け入れていく。
 きつく抱きしめれば折れてしまうのではないか、と思わせる華奢な体を抱きしめ、ザールは体を上下に振った。
「お兄ちゃん……おおにいちゃああん! これっと……ひぃ……ひぃようう……!」
 呂律が周りらなくなりながらも、懸命に腰を動かし、兄の動きに答えようとする。
 ザールのほうも限界だった。
「いくぞ……」
「あん! きて! きて!」
 コレットの中に、大量の精液が注ぎ込まれる。
「ひはうぁあああん!」
 コレットは子犬のような声を上げ、身をそらし、これまでで最も大きい絶頂に達した。

 行為が終わった後。コレットはザールの胸の中で彼の乳首をチロチロと舐めながら体を休めていた。髪は汗で濡れストレートになって顔に張り付いている。その股間には、中に入りきらなかった白い液体のあとがこびりついている。
「コレット……後悔していないか……?」
 コレットは満面の笑みを浮かべると、少し前まで暴力的に自分の中をかき回した肉棒に、チュッと口付けをすると、それに頬ずりをした。
「幸せだよ……とっても」
「……そうか」
「お兄ちゃんは幸せじゃなかったの?」
 コレットはあどけない顔を悲しみに歪める。
 ザールが答えられずにいると、コレットは笑って、悪戯っぽく語りかける。
「足りないなら もう一回しよ?」
 コレットは顔を鼻先が触れるほど寄せてきた。
 その目は暗示にかかっていたときの朦朧とした目ではない。いつもの彼女の、純真で子供らしい目だ。
 そんな目をしたまま、彼女は白い裸体をザールの上にかぶせてきた。
「コレット……」
 暗示の言葉は、もう一時の暗示ではなく、彼女のすべてになったのだ。
「お兄ちゃんも気持ち良くなって……」
 膨らみかけの乳房を押し付けると、ザールの体を強く抱きしめ、上下にグラインドを始める。
「んっ……」
 こりこり固くなった乳首がールの胸板にあたる。
 彼女自身も興奮しているのか、徐々に息が荒く、甘い喘ぎ声が漏れるようになった。
「んんっ……は……あんっ……あ……ああっんん……。おにいちゃあん! お願いが、あるのぉ」
「な、なんだ? ……く」
「お兄ちゃん…… あたしを奴隷にして」
「?」
 意外過ぎるその言葉にザールは思考が止まる。しかしコレットは動きをやめない。
「あんなに嫌な思い出があるのに……?」
「昔とは全然違うよぉ……。お兄ちゃんが大好きだから、お兄ちゃんだけの奴隷になるの……」
 コレットは自分の言葉に酔いしれるように、甘い吐息を漏らした。
「ね……いいでしょ?」
「……好きにしろ」
 ザールはもう、何も言う気力が残っていなかった。
「うれしい……!」
 コレットのストロークが激しくなる。彼女の秘部から漏れる愛液がザールの腹部を濡らす。
「おにいちゃああん! はあああん」
 何度も何度も彼女は兄の名を呼んだ。
 ザールの分身が限界に近いのを察すると、彼女はそれに顔をつけ、まだビンタのあとの残る左頬を亀頭に頬ずりした。
「おにいちゃん……奴隷のコレットの中にいっぱい出して……」
 コレットはきらきらした瞳を期待に潤ませながら、ザールの肉棒を飲み込んでいった。

 それから、ザールの肉棒は二度目の爆発をした。

 コレットは今力つきて眠っている。
 顔には彼の出した白い精液が幾筋も付着している。しかしザールはそれを拭き取ってやる心の余裕もなかった。
 コレットの幸せそのものの寝顔は、二度の射精後の虚脱感とあいまって、彼をひどく絶望させた。
 何なんだ?
 この幸せそうな顔はいったい何なんだ?
 ザールは努力して、不器用だったが心を込めてコレットに接したつもりだった。彼女のトラウマを癒そうと尽くしたつもりだった。それでも彼女のトラウマを完全に消すことはできなかった。
 だがどうだろう、このコレットの幸せそうな顔は? ザールは今までコレットと同じ屋根の下で眠ってきて、こんな幸せそうな顔を見たことがない。ザールができなかったことを、邪神が下法きわまる手段によってやすやすと成し遂げてしまった。
 俺ができなかったことを、こんな邪悪な術が易々とやってしまうなんて……!
 人間のまごころは、こんな邪な術の力に劣るのか?
(その通り)
 頭の中で闇のどす黒い声が蘇る。
「違う……違う……! こんなもの……まやかしだ……!」
 言葉ではそう言っても、彼はその言葉が空虚なものであると知ってしまっていた。
「違う……」
 彼の1年を否定されるようだった。何もかも奪い去ってしまうような危険な北風が彼の心に吹いた。
(人間の心など、大いなる闇の力の前では無に等しいのだ。これから覚えておくんだな)

「さて、そろそろ行こうか」
 ザールは立ち上がった。喋ったのはザールの心ではない。彼の中に取り付いた闇だ。
「悪くはなかったが、処女でなかったのが損をしているぞ。処女だったならその血を吸う快楽をくれてやったのに」
 ザールの心は何も言い返せなかった。言い返す気力がなかった。
「こんな村を出て、我の力を取り戻すために大陸中の生贄の血を吸うぞ」
 ザールの心は何も言えなかった。
「はて。あまり嬉しそうではないな。たいていの人間の男はこれで狂喜するというのに。お前は妹にしか興味がないのか?」
 ザールは肉体の記憶をスキャンする。
「違うな……。お前は若いころ何人もの女を見境なく襲っている。――そういえば、不思議だ。過去のお前は相当の悪党なのに、いま、なぜこんな村で碌々としていたのか?」
 ザールはその転機の理由を探るべく、彼の肉体の記憶を総ざらいする。
 ザールの心は、ふといやな気分がした。
「ーーん?」
 肉体の記憶をスキャンするザールがふと何かを見咎めた。
「何だ? これは?」
 惨憺な人生を送ってきたザールの記憶の中に、たったひとつ、宝石のように光り輝くひと時があった。ザールのような汚れた精神の持ち主が心にしまっておけるとは思えない、まばゆい光を放つ記憶だった。これは何だ?
「――星辰の巫女か!」
 ザールは目を見開く。
 ザールの心は愕然とする。
「お前は、星辰の巫女の一人と会ったのか。なるほど、この女がお前にとって決定的な事件だったわけだ」
 ザールの心は強い屈辱に目眩を覚えた。自分にとって最も大切な体験である巫女と過ごした時間を、こんな悪魔に覗かれことが許せなかった。
「いや、感謝するぞザールとやら。星辰の巫女のことは知っていたが、これほどまでの女とは思わなかった……。面白い! 我のしもべにしてやることに決めた」
(な、なんだと!)
 ザールの心の中に黒い稲妻が走る。
 ザールは眠るコレットを指差して笑った。
「あの巫女も、こうしてみたいと思わぬか?」
(侮辱するな!)
「そう言うな。楽しもうではないか。神に仕える巫女の血はこんな小娘のとは比べ物にならんほどの美味だぞ」
(黙れ!)
 ザールの肉体は、舌なめずりをした。
「欲望に正直になれ。あの巫女がお前の前にひれ伏し、お前の一物をねだるのを見たくないか?」
(やめろ! やめろ! そんなもの見たくあるものか!)
「くくく……まあ楽しみにしていろ」
 ザールの心は絶望で黒く塗りつぶされた。
 自分が、自分さえいなければこの悪魔がステラ=マリのことを知ることはなかった。自分の……自分のせいで……。
 ザールの心は、絶望にうちひしがれていた。
(ステラ=マリ殿……どうか、こんなやつの手に落ちないでくれ……。どうか、こいつを……俺を殺してくれ……!)
 ザールの心の声は、誰にも聞き取られることはなかった。

< つづく >

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