被験者No.14の逃亡 (3)

(3)

 布団の上で、俺の愛しい娘が、裸になって俺を見上げている。

「……寝ようか、みなみ。父娘が一緒に寝るときは、男と女になって愛し合う。それが“常識”だよな?」
「うん…常識だよ、そんなこと…」
「俺はお前を愛してる。父親だけど、愛してるから、思いっきり娘のお前を抱く。いいんだよな? それが“常識”なんだよな、みなみ?」
「そうだよ…常識だよ…だから、早く来て…お父さん…」

 みなみは、俺に向かって両手を広げた。世界で一番愛しいオンナが、俺を誘っている。
 俺は彼女の胸に飛び込む。服も、倫理も、常識も捨てて飛び込む。

「んっ! んんっ! むぐっ、じゅぶ!」
「あむ、んんっ、はぁ、んんっ、ちゅ、んぐ、んんっ!」

 歯がぶつかる勢いで唇をかみ合わせ、激しく吸って、舌を差し込んだ。
 みなみも、俺の口の中に舌を入れてきた。互いの舌を舐め合い、吸って、唾液をねちょねちょと混ぜ合わせて、みなみの口の中に送り込む。ゴクリとみなみの喉が動き、まだ足りないとでもいうように、俺の舌を忙しなく舐め回してくる。
 こんなに激しい接吻なんて、今までしたことない。こんなに性急な自分にも、そしてそれを受け入れて、もっと激しく応える娘にも俺は驚いている。
 でも、目をギュッとつむって、犬っころみたいに夢中になって舌をペロペロさせる娘を、可愛いと思わない父親なんていない。俺の顔中を舐めそうないきおいのみなみを、俺も舌を大きく動かして口を舐めてやる。
 甘い声と熱い息づかいでみなみは喜ぶ。可愛くて仕方ない。愛おしくて、もう、接吻だけで俺はイってしまいそうだった。むしろ逝ってしまいそうだ。
 だから、もっと先へ進む。みなみの、仰向けになっても型くずれしない張りのあるおっぱいを、俺は握りしめる。

「くぅぅん!」

 みなみは、鼻にかかった声を出して仰け反る。俺は、首と肩と、ペロペロ舐めながら下っていき、胸の谷間に舌を這わせる。みなみのは、ロケットおっぱいってやつだ。ピンピンに尖った先っちょが、男に咥えさせるためにキュッと持ち上がっている。
 ありがとよ、みなみ。遠慮なく吸わせてもらうからな。
 俺は娘の乳首に音を立てて吸い付く。みなみは長い声を上げて体を震わせた。チュウチュウと吸って、ベロベロと舐め回す。俺の下品な愛撫に、みなみはきれいな顔を淫らに蕩けさせて喜んだ。
 ダメだろ、みなみ。お前はもっと上品にしないと。こんなゲスな親父相手に、そんな色っぽい顔しちゃダメだ。
 だが、そんなみなみの反応が嬉しくて、俺はもっと大きな音を立てて肌を吸い、下へ下へ潜っていく。みなみは体をくねくねさせて、半ば暴れるみたいに激しく俺の愛撫に反応し、大きな声を上げていく。
 ソコはもう、洪水みたいに濡れていた。さかりきったオンナの匂いは目が眩みそうなほどで、ヒクヒクと震えて今にも蕩けそうになっていた。
 俺は口いっぱいに頬張って、ジュルジュルと吸い立てる。

「あぁッ!? あぁッ、あぁッ、お父さん! お父さん!」

 吸っても吸っても溢れてくる洪水は、俺の喉にはまるで甘露のように美味で、いつまでも吸っていられると思った。
 みなみは、ビクン、ビクーンって、尻を激しく上下させた。暴れられないように、太ももを両手で抱えて、俺はみなみのソコに吸い付いた。舌を突っ込んで、中を掻き回して、みなみの美味しい汁を吸い出してやった。

「お父さん! お父さん!」

 みなみは俺の薄くなってきた髪をギュウって掴んで、俺の顔を押しつけるように腰を押し出してくる。
 必死になって俺に甘えるみなみが愛しくて、俺は舌の疲れなどモノともしないでクンニリングスを続ける。跳ねる尻を押さえ込み、みなみがもがくように俺の髪を握る痛みに堪え、娘を喜ばせるために、必死になって愛撫する。
 みなみの悲鳴は切れ切れになり、手に力がこもってきた。体の反応はますます激しく。尻がロデオみたいに大きく上下して、ついていくのが大変だった。
 そして、俺の歯が彼女のクリトリスを引っ掻いちまったとき、みなみは一際大きな声を上げ、俺の顔を突き飛ばし、体を大きくくねらせて仰け反った。

「あああぁあぁあーッ!」

 そして、ドサっと布団の上に落ちると、呼吸を荒くして、真っ赤になった顔を枕に埋めて隠した。
 またイっちまったのかい。
 あぁ、幸せだ。娘をイかせることが、こんなに嬉しいなんて思わなかった。
 こんな喜びを教えてくれてありがとよ、みなみ。
 でも、俺のはまだいきり立ったままだ。こんなに持続するのも久しぶりなくらい、興奮している。
 みなみの足を広げる。力のない体はくたっと親父の前で開かれ、濡れたアソコが満開になる。

「いいのかい、みなみ?」

 みなみの返事はない。枕を抱くように顔を埋め、息を荒げるだけだ。

「父ちゃんが入っても、いいんだね?」

 返事のないみなみの足の間に腰を進める。熱い。みなみのソコはやけどしそうなくらい熱い。
 俺の先端を触れさせる。娘のアソコとご対面だ。信じられない。夢を見てるみてぇだ。
 みなみのマンコと、俺のチンポがチューしてる。こんな父娘の対面ありかよ。奇跡じゃねぇかよ。

「いくぞ、みなみ。父ちゃんのがお前の中に入るからな」

 ズルっと、先っちょが埋まった。みなみが「うぅッ」と呻いて、体を伸ばした。さらに、進む。女の身体を味わう感激と、それが娘の身体だっていう衝撃で、俺はイキそうになっちまって、しばしその場で堪える。

「まだだ…まだ入るからな。そのまま待ってろよ」

 コクリとみなみは頷いた。それだけで俺はまた感激で射精しそうになって堪えるのが大変だった。
 埋める。もっと、もっと、みなみの中へ。
 ズズっと、狭い膣内が俺のに合わせて広がっていく。ほんの少し引き戻すと、ヌルリとしたヒダが未練がましく絡んできて、もっと奥へと誘ってくる。なのに、押し込むと恥ずかしがるようにキュウと締めつけ、甘えるように中の肉を密着させてくるんだ。
 すごくいいぞ。これに比べたら、木嶋なんてただのマンコだった。
 みなみは、とても優しい身体してる。男を悦ばせるためにできている。
 イイ女だ。最高だ。この良くできた身体を、親父のために使わせてくれるなんて、なんて優しい子なんだ、うちの娘は。

「みなみ…ッ!」
「あああああぁッ!」

 大きく抜いて、大きく差し戻す。たっぷりとみなみの感触を楽しみながら、その太ももを持ち上げて、深く深く繋がっていく。
 感動だ。俺は娘の身体を抱いている。喜ばせている。
 みなみは身体を投げだし、シーツを強く握りしめ、大きな声を出している。
 娘がセックスで喜ぶ姿を、この目で、このチンポで味わうことができる父親が、この世に何人いる?
 何人いようが関係ねぇが、少なくともその中で一番可愛い娘は、うちのみなみだ。世界で一番の孝行娘を、俺は抱いている。
 
「お父さん! お父さぁん!」

 可愛いみなみが、俺に喉の奥まで見せてよがっている。
 もっと欲しいか。お父さんをもっと欲しいか。
 俺もお前を、もっと欲しいぞ。
 みなみの身体から、ヌポンと俺のを一度引き抜き、尻を持ち上げて四つんばいにした。ぐんにゃりした体は簡単にひっくり返ったが、みなみは小さな声で「恥ずかしい」と言った。
 恥ずかしさなんて、すぐに忘れさせてやる。俺はぱっくりと開いた尻を掴んで、奥まで一気に突っ込んでやった。

「あぁぁぁあああンッ!」

 パシン、パシンと尻に腰を叩きつける。俺の一番好きな格好だ。女を支配してる感じがいい。
 娘を支配してる気分が最高だ。

「あんっ、あんっ、あんっ、あんっ!」

 尻をブルブルさせて俺のピストンを受け入れるみなみ。乱暴なくらいに叩きつける。拳を強く握って、されるがままに悲鳴を上げる。
 みなみ。俺のみなみ。お前は俺のモノだ。俺のオンナだ。
 現実感がなくなりそうになって、頭を振り払う。こうしていても、自分の娘を抱いているってことが、本当なのか自信がなくなる瞬間がある。
 あまりにも“非常識”な現実が、頭を蕩けさせる快感と一緒になって俺を夢見てる心地にさせるんだ。
 
「あんっ、あんっ、お父さんっ、あんっ!」

 でも、今、俺の目の前で尻を出してよがってるのは、間違いなく俺の娘のみなみだ。可愛くて、素直で、よい子だった俺のみなみだ。
 赤ん坊だった頃のみなみも、小学校に上がったばかりのみなみも、お母ちゃんに引き取られていく寂しそうなみなみの顔も、全部思い出せる。
 今はすっかり、大人のオンナになっちまったみなみ。今日のことも、俺は一生忘れないだろう。

「お父さん、抱っこがいい! この格好、やだ! 恥ずかしいよぉ!」

 あぁ、すまんな。だけどそれがいいんだ。恥ずかしがるお前が可愛いんだ。
 お前の尻と、エロい顔をいっぺんに見下ろせるこの格好が、お父さんには最高なんだよ。

「お願いっ、あん、抱っこがいいっ、あんっ、あんっ、抱っこして、あんっ、パパっ、あんっ、パパァ!」

 ───おい、「パパ」は反則だろ!
 顔が真っ赤になるのがわかった。久しぶりにみなみに「パパ」と呼ばれて、胸がギューって熱くなった。
 俺はみなみの中から引き抜いて、みなみをコロンとひっくり返す。みなみは、待ってたとばかりに俺にしがみついてきた。
 まるっきり子どもみたいに。でも、熱くなった股間を俺に押しつけながら。
 みなみの中に入る。深く、とても深くスムーズに入っていった。

「あぁッ、パパぁ!」

 みなみが俺の耳元で甘い悲鳴を上げる。腕を俺の背中に回して、足も腰に絡めてくる。密着した体は燃えるように熱い。
 俺の沸騰した頭は、みなみ熱い体と声に蕩けちまって、もう何も考えることができない。ただがむしゃらに、腰を突き動かしていた。

「パパぁ! 気持ちいい、パパぁ! もっと、もっとぉ!」

 甘えろ、みなみ。もっと俺に甘えろ。
 お前の欲しいモノは全部くれてやる。俺はこれでもう死んでもいい。俺の命を全部くれてやる。
 イけ。もっとイけ。俺はお前を抱けただけで満足だ。俺の満足も全部お前にやる。お前を天国にイかせてやる。
 俺を感じろ。父親の体を感じろ。

「パパぁ! んんっ、パパぁっ、んんっ!」

 ビリっていう、電流みたいな衝撃が走った。
 みなみのヤツが、俺の肛門に指を突っ込んできやがった。
 何してんだ。誰に教わったんだ、こんなこと。
 そのままみなみの細い指は、くねくねと俺の中を刺激する。思わず俺が悲鳴を上げそうになって、歯を食いしばる。

「パパ、大好き。大ちゅき、んっ、ちゅっ、もっと、あぁっ、もっとぉ!」

 甘いささやきと、子どものように可愛いキスと、大人のオンナのテクニック。
 気を抜くと翻弄されるのは俺の方だ。奥歯をギリギリ噛みしめ、肛門の刺激に耐えながら、腰を突き動かす。

「いいッ、パパっ、パパぁ!」
「みなみ! いいぞ、みなみ! 最高だ!」

 父と娘でデタラメに腰を動かしあって、快楽を貪り合う。
 互いの顔をベロベロ舐めて、胸を擦り合い、腰をぶつけあい、体中をまさぐって、俺の尻に刺さったみなみの指に翻弄される。
 気持ちいい。本当に気持ちいい。涙が出てきた。みなみだって泣いていた。こんなに気持ちのいいセックスは初めてだ。
 本当に初めてなんだ。

「あぁッ、あぁッ、いいッ! パパ、いいッ! 私、私───パパぁ!」

 ビックンとみなみの体が震え、きつく俺のを締めつけてくる。
 限界だった俺の体も、すさまじい快感に我慢しきれずに弛緩し、ありったけの精液を娘の中で解放した。
 尻に入ったまま指が痙攣して、俺の中に入ってた最後の一滴までもが絞り出される。
 みなみは、今日一番の大きな声を出した。俺の体が持ち上がるくらい仰け反って、何度も痙攣した。息が止まるんじゃないかってくらい、必死の声を出していた。

 そして、そのまま気を失った。

 俺も、全精力を注ぎ込むような激しいセックスを終えて、ぐったりとみなみの横に倒れこんだ。
 最高だった。最高のセックスだった。今すぐ死ねたらもっと最高だと思う。
 みなみは…バツグンの女だった。俺の人生で一番の女だ。この女を抱くために俺は生まれたと思えるくらい。

「みなみ……ありがとよ」

 汗で顔に貼り付いた髪を離してやる。みなみのきれいな顔は紅潮し、まだ早い呼吸で寝息を立てている。

「ありがとな……」

 俺もそのまま眠くなってきた。
 なんだか知らねぇけど、また涙が出てきやがった。

「それじゃ、下の方も診察してあげようね」
「はい、先生…あ…」

 山手線内での“お医者さんごっこ”で、つぐみちゃんを裸にしていく。
 スカートをめくる。つぐみちゃんが穿いているのは、昼間に僕に落書きされた水色蛍光ペンの手書きパンツだけ。つまりノーパン。
 水性だから、ほとんど薄れて消えかけてて、ぎゅうぎゅう詰めでもないけど、それなりに人の乗ってる電車内で、つぐみちゃんは処女のアソコを丸見えにしている格好だ。
 なのに、僕と“お医者さんごっこ”しているだけのつぐみちゃんは、僕にアソコを見せることに恥ずかしさを感じてはいても、それがとんでもない行為だということを疑問に思ったりもしない。
 他の乗客のみなさんだって、僕たちはこんなにいやらしいことしてるのに、車内で遊んでるだけの子どもにしか思われていないんだ。
 僕は、隣りでケータイを触っているつぐみちゃんの友だちに話しかける。

「ねえ、ちょっと足どけて」
「んー」

 少しずらしてもらって空いたスペースに、つぐみちゃんの片足を乗せる。片っぽだけ開いたアソコはさっきよりも深く見える。

「それじゃ、中まで診せてもらいますからね。スカートは君がそのまま持ち上げてて」
「は、はい…」

 僕にキスされ、胸をイジられたつぐみちゃんは、すでに頬を赤くして、本当に熱があるみたいに見える。
 でも、もっと熱くなるよ。
 昨日は姉ちゃんと濃厚な1日を過ごし、今日も茜ちゃんや他の女子たちと“ハーレムごっこ”や“エロテロリストごっこ”とかの様々なプレイで遊び、僕の男子力も向上している。
 つぐみちゃんにもいろんな遊びに付き合わせて、かなり体のツボもわかっている。
 僕は、えっち遊びのマイスターだ。夏休みの野外学習で講師先生をやってやってもいいくらいだ。
 すでに濡れてるソコに、ふーっと息を吹きかける。つぐみちゃんは「あん」って可愛い声を出す。

「これは大変だ。すっかり感じやすい体になってますね」

 僕が真面目な顔で言うと、つぐみちゃんは「わたし、病気ですか?」と泣きそうな声で言う。

「大丈夫。僕に任せてくれれば、すぐに良くなります」
「お、お願いします、悠太せんせえ…」

 演技なのか、それとも本当に感じすぎて困っているのか、真に迫ったすがるような視線に、僕の恋心と医者としての責任感が燃え上がる。
 くちゅり。指で開くと、つぐみちゃんはピクンと反応した。そして、つぐみちゃんが垂らしたえっちな液体を広げるように、ゆっくりと彼女の周りをなぞってやると、「あ、あ…」と声を震わせて、窓にコツンと頭をぶつけた。
 今朝からえっちなことばかりしてるから、つぐみちゃんも感じ方がいやらしく成長している。僕と同じように女子力を上げている彼女にドキドキする。
 たっぷりと濡らした指で、皮に包まれた小さな突起を撫でてやる。
「はぅ…っ」と、唇を噛んで、ギュッとスカートを掴むつぐみちゃん。ゆるゆると指先の軽いタッチで円を描いてやると、ピク、ピクと腰を跳ねさせながら、徐々に声を大きくしていく。

「やぁぁあんッ!」

 そして、僕がチュっとそこに吸い付くと、つぐみちゃんは大声を上げて仰け反った。僕は構わず、つぐみちゃんの大きな反応を目で楽しみながら、彼女の敏感なそこの味を舌で楽しむ。

「あんっ! あん! あん!」

 つぐみちゃんは手をバタバタと暴れさせる。隣の友だちは「もー」と怒って、場所をさらに空ける。サラリーマンのおじさんも迷惑そうな顔をするが、これはただの遊びだし、注意するほど関わりたくもないようで、体を反対側に寄せて居眠りに集中する。
 僕は遠慮せずに愛撫を続行する。指を濡らして、中に少し入れてみた。つぐみちゃんのソコは第二関節まで進んだあたり、すぐにきつく締めつけてくる。「んんっ」て苦しそうな声を出すつぐみちゃんに、僕は「あとで注射するから、もっと拡げておかないと」と注意する。

「はい、せんせえ…んっ! ん、んっ!」

 でも、つぐみちゃんの中はますますきつくなるばかりだ。これだときっとすごく痛いだろう。僕の“注射”が入ったときには。
 僕は、指をいったん抜いて舌を差し込んだ。じゅわって、つぐみちゃんの味と匂いが口の中に広がる。好きな子の味は僕もすぐに好きになる。舌をいっぱい伸ばして、入り口を拡げるようにかき回し、どんどんあふれてくるつぐみちゃんのお汁をすすった。
 つぐみちゃんは、僕の顔を太ももで挟んで、僕の頭を撫で回し、すごく大きな声を出して夢中になって感じてくれた。
 つぐみちゃん可愛い。本当に可愛い。
 僕も夢中になって彼女の中を舐め回す。顔中べとべとになって、彼女のお汁もねばっこくなってきた。
 僕は“注射”の準備をする。つぐみちゃんはボーッとした顔で天井を見上げている。彼女の足の間に膝立ちになって、照準を合わせる。
 つぐみちゃんのソコは、湯気を立てそうなくらいに温かく、ほぐれている。

「つぐみちゃん…注射しますよ。最初は痛いかもしれないから、覚悟して」
「ふぁ…ふぁい、せんせえ…お任せします…」
「いくよ。いくからね、つぐみちゃん」
「ふぁい…」

 くったりした彼女の太ももを持ち上げて、お尻を座席の先まで滑らせ、角度を合わせる。されるがままになってる彼女に、もう一度声をかけて、僕は自分のを彼女の中に埋めていく。
 ギュウっていう締めつけを、強引に割って先端を埋める。ずるって先っちょが埋まると、つぐみちゃんの体はビクンてなった。でも、まだぼんやりしているうちに、僕はゆっくりと腰を進めていく。ぶちって、つぐみちゃんの中を剥ぐ感触した。

「あう…!」

 つぐみちゃんが顔をしかめて体をよじる。ここから先が彼女の一番大事な場所。僕は彼女の太ももを抱き寄せ、逃げられないように固定する。
 ごめんね、つぐみちゃん。女の子の初めてを、電車の中で奪われるって普通ないよね。
 でも、僕はもう我慢できない。君以外の女の子いっぱい抱いたけど、やっぱり僕が一番欲しいのはつぐみちゃんで、君が大好きなんだ。
 だからいいよね? 僕が君の初めて、もらってもいいよね?
 ぶち、ぶち。
 つぐみちゃんの中に入っていく。痛そうな顔をしてつぐみちゃんが声を堪える。
 そして、僕のが一番奥まで達したとき、つぐみちゃんは歯を思いっきり噛んで、声にならない悲鳴を呻いた。
 届いた。
 僕のがつぐみちゃんの一番奥まで。

「はぁ…ッ!」

 つぐみちゃんはお腹の奥から息を漏らして、ギィって歯を食いしばる。僕たちの繋がってる場所から、赤い血が滲み出てきて、女の子の匂いとは別の生々しい匂いが車内に広がる。
 
「我慢してね、つぐみちゃん…! 痛いのは最初だけだよ…ッ」
「はい…! はい、せんせえ…はッ、あっ、あっ」

 つぐみちゃんの中はギュウギュウに狭くて、動くだけでも大変だ。千切れちゃいそう。
 これがつぐみちゃんのバージン。
 一生に一度、たった1人の男しか味わえない、彼女のバージンだ。
 僕が奪っちゃった。山手線の中で、つぐみちゃんの初めてを。
 動く。彼女の中を、力強く、強引に動く。つぐみちゃんは苦痛に顔をしかめ、ポロポロと涙をこぼす。ごめんね。すぐに気持ち良くしてあげる。
 僕はつぐみちゃんの手を握る。

「大丈夫。僕はお医者さんだよ。痛みもすぐによくなるから。お医者さんの言うとおりにしたら、患者さんの病気はすぐに良くなる」
「…はい…っ、んっ…んっ、んっ…」
「どんどん気持ち良くなるよ。これはとても気持ちのいい麻酔注射だ。痛いのはなくなって、気持ちいいだけになるよ。この注射で擦られると、そこがすごく暖かくて気持ち良くなる。ホラ、もっと足を開いて」
「はいっ、んっ、んっ、んっ」

 医者の言うとおりに足を開いた彼女を、ぎゅって抱きしめる。華奢な体だ。僕のオチンチンを、この小さな体で受け止めてくれている。
 愛おしくて、もっと強く抱きしめてしまう。

「どう、まだ痛い? 気持ち良くなってきたでしょ?」
「んっ、は、はいっ! なんだか、せんせえにお注射されてるとこ、じんじんしてたの、だんだん、気持ち良く、んっ、なって、んっ、きたかもぉ」
「お薬が、んっ、効いてきましたね。このヌルヌルした塗り薬を、んっ、んっ、いっぱいすり込んだから、もっともっと気持ち良くなってきますよ」
「あんっ、はいっ、はい、せんせえっ、あんっ、どんどん、気持ち良くなってきましたっ、あんっ、せんせえの、言うとおり、わたし、あんっ、気持ちいいですっ、んっ、あんっ、あんっ、あんっ!」

 つぐみちゃんは、“ごっこ遊び”のお医者さんにすぎない僕の言葉によって、処女を破られた痛みを忘れ、初めてセックスなのに気持ちよさを感じ始めていた。
 医師として、じつに興味深い事例だ。プラセボ効果による具体的治療例の一つとして、今度の学会に発表する価値あるかもしれない。

「あぁっ、あんっ、やっ、あんっ、あんっ、せんせえ!」

 つぐみちゃんは僕の首に腕を回して、可愛い声を高くしていく。僕は夢中になって腰を揺する。“お医者さんごっこ”という名のセックスだ。アソコから血を滲ませ、つぐみちゃんはアンアンと可愛い声を車内に響かせる。
 山手線は次の駅に止まった。

「つぐみー、降りないの?」

 隣りに座っていた友だちは、カバンを持って立ち上がる。つぐみちゃんは、彼女の方をトロンとした顔で見上げ、そして僕の顔を正面から見つめて、キュッと膝の上で僕の指と絡めてくる。
 濡れた瞳が、真っ赤な頬が、僕にとても可愛い微笑みを向けてくれる。

「わたし…んっ、もうちょっと悠太くんと遊んでくから…先帰って」

 僕はつぐみちゃんの手を握り返して、頷く。つぐみちゃんの目が優しく細められて、僕の腰の動きの再開に合わせ、甘い声をますます高くしていく。

「わかった。んじゃまた明日ねー、つぐみ」
「あんっ、あんっ、うんっ、バイ、バイっ、あん、あぁん、あんっ!」

 気持ちよさそうな声を上げて、友だちに小っちゃくバイバイと手を振って、僕の首に手を回してしがみついてくる。
 僕たちはもうお互いのことしか見えてない。他の乗客も関係ない。
 つぐみちゃんの小さな体を持ち上げて、そのまま座席に座り直す。僕の腰の上で、大きな足を開いて乗っかっているつぐみちゃん。みんなにその可愛いお尻が丸見えなんだけど、僕たちのこと気にする人なんて誰もいない。心おきなく2人っきりの“ごっこ遊び”に熱中する。つぐみちゃんを下から突き上げる。
 つぐみちゃんは、可愛い顔を思いっきり気持ちよさそうに蕩けさせ、僕の上で自分から腰を揺すり始めていた。

「ねえ、つぐみちゃん、別の遊びしようよ」
「えっ、んっ、ダメ? お医者さんごっこ、あんっ、もう、おしまいなのぉ?」

 切なそうな顔をして、僕にしがみついてくる。彼女の体からは汗と女の人の匂いがして、どんどん溢れる女の子のお汁は、彼女の出血を洗い流して僕たちの腰をぐちょぐちょに濡らしている。
 彼女はもう夢中。僕とのセックスにトロトロだった。

「今度は、“恋人ごっこ”しよ。僕たちはラブラブのカップルだ。みんなの見ている前でキスしたりえっちなことしたりする、ラブラブの2人なんだよ」
「んっ、わたし、悠太くんの彼女? わたしたち、キスしたり、えっちなことして、イチャイチャしちゃうの?」
「そうだよ。それを、みんなの見ている前でしちゃうバカップルごっこだ。出来る?」
「できるー!」
「んんっ!?」

 つぐみちゃんから唇を押し当ててきた。舌でぺろりと僕の口を舐めたと思ったら、チロチロと動かして、僕の唇を甘噛みしたり、とても器用なキスを始めた。

「んっ、んっ、悠太、んっ、好き、んっ、大好きっ」

 そして腰をぐいぐい動かして、キュウキュウと締めつけてくる。大胆なつぐみちゃんの変化に、僕が戸惑ってしまう。

「好きっ、んっ、悠太、あんっ、悠太もわたしのこと、んっ、好きっ?」
「も、もちろん、だよ…つぐみ! 大好きだ!」
「あん、嬉しい! もっと言って、悠太! 好き! 好き!」
「つぐみ! 好きだよ、つぐみ! すごい気持ちいい!」
「あぁっ、わたしも! 悠太と、えっち、すごい気持ちいい! 気持ちいいよぉ!」
「キスしよ、つぐみ。僕にキスして!」
「んっ、ちゅっ、れろ、えろ、んっ、悠太、んっ、ちゅ、んっ、大好き、ちゅぶ、つぐみのベロ、もっと、んっ、吸ってぇ」
「ちゅぶ、んっ、ちゅぶ、んっ、つぐみ、んっ、はぁ、つぐみぃ」
「んっ、ちゅばっ、いいっ、んっ、悠太、悠太ぁ…」
「みんな見てるよ。僕たちが繋がってるとこ、みんな見てる。つぐみがお尻振ってるとこ、みんなに見られてるよ。いいの?」
「いいよ、そんなのっ。わざと、見せつけてんだもんっ。わたしと、悠太の、らぶらぶせっくす、みんなに見せつけてやんのぉ!」

 ぐいぐいと大胆に腰を揺すって、大きな声を出してつぐみちゃんがよがる。
 もちろん、ここまでしてもただの“ごっこ遊び”の僕たちに誰も注目なんてしない。つぐみちゃんの大きな声も、つぐみちゃんのアソコのぐちゅぐちゅっていやらしい音も、つぐみちゃんの垂らしてるいやらしい汁の匂いも車内に充満してるのに、誰も僕たちのこと気に留めもしない。
 女子高生軍団がメールを見せあってゲラゲラ笑ってる。隣のサラリーマンのおっさんは、うるさいつぐみちゃんに我慢しながら一生懸命寝ようと頑張ってる。少し離れた大学生男子の2人組は、女子高生軍団をチラチラ睨みながら、何やら真剣な恋バナで熱くなっている。その向こうではアニメの紙袋持ったお兄さんがPSSPで何かを鑑賞してニマニマしてる。車掌さんは女子高生軍団をチラ見しただけで、僕たちの前を通り過ぎていく。
 僕たちは遠慮なく、二人っきりのらぶらぶせっくすに没頭する。

「あむっ、んっ、じゅるっ、悠太っ、好き、悠太ぁっ」

 僕に唾液が垂れるほど濃厚なキスをしながら、つぐみちゃんは初めてと思えないほど器用に腰を動かすことをマスターし、僕のを締めつけながら絞るように擦っていく。
 僕も夢中になって腰を動かした。つぐみちゃんのおっぱいを揉んで、乳首を舐めて、彼女を気持ち良くすることに必死になった。

「あんっ、あんっ、悠太、わたし、変っ! なんか、すごいの、きそう!」
「イクっていうんだっ。それ、イクっていうんだよ! もっと、その感じに集中して! 気持ち良くなること考えて!」
「やだっ、悠太、すごい! こんなの、すごくて、こわい…ッ!」
「大丈夫、僕がいるから! つぐみ、イクんだ! 僕と一緒にイこう!」
「あ、あ、イク! イク! 悠太、一緒に! つぐみと一緒にイって! イク、イクぅ!」
「うぅ…!」
「あ、あ、あ、あ、イクッ、イクっ…あぁぁあああイクぅぅぅうううっ!」

 ギギギって軋むくらい、つぐみちゃんのが締めつけてきた。僕はその中に絞り出せて、何度も何度も射精した。
 今日は、いろんな女の子にいっぱい出してきたけど、最高。つぐみちゃんの中が、やっぱり最高に気持ち良かった。

「悠太ぁ…」

 失神しそうな顔で、ふらりと僕の上に覆い被さってくるつぐみちゃんを受け止め、僕はその背中を撫で、髪にキスしてあげた。
 つぐみちゃんは、時折ピクリと痙攣するだけで、ぐったりと汗をかいた体を僕に預けて荒い呼吸をしていた。
 最高だった。でも、僕のは彼女の中でどんどん元気になっていく。
 大好きな彼女を抱いているんだ。たった一度で収まるはずがない。

「つぐみちゃん、起きて。次の“遊び”しよ?」
「あぁ…うん、するよ…何でもする…」
「ここに立って、お尻ツンてして」
「ん…こう…?」

 通路の真ん中にフラフラと立って、つぐみちゃんが前屈みにお尻を突き出す。
 アソコもお尻もまだ濡れてて、僕の精液がどろりと垂れて、ちょっと血も固まってきてるけど、小さくて可愛いお尻。
 僕はつぐみちゃんのカバンと僕の荷物を網棚に乗せて、お尻を後ろから抱えて、次の“遊び”のルールを説明する。

「次は“電車ごっこ”だよ。僕が車掌で、つぐみちゃんは電車。2人で繋がって出発するから、仲良く山手線を一周しようね」
「うん…悠太くんと繋がって、シュッシュってすればいいのね…うん、やる…やろうよ、悠太くん…」
「…いくよ、つぐみちゃん」
「うん、んんんんッ!」

 僕のをつぐみちゃんの中に入れる。つぐみちゃんが首をガクンと仰け反らせて、鼻にかかった声を出す。

「しゅっぱつ、しんこー!」
「あぁーん!」

 クイクイって腰を動かすと、つぐみちゃんは「あん、あん」って言いながら、お尻を締めてチョコチョコと歩き出す。
 僕たちのラブトレインが、ゆるやかに発車した。

 ピアノ線を引くと、肩に刺さったアイスピックがずるりと抜けていく。
 ゆっくり引くのが効果的だ。絶望的な状況が身に染みてわかるから。

「顔はまだ勘弁してあげる。せっかくの私好みの顔、最後まで残しておきたいから」

 体にいくつか穴を開けられ、呼吸を乱したターゲットが、ぬるっと先端の抜けた瞬間、苦痛じみた呻き声を上げる。
 とてもいい声だ。やかましいだけの悲鳴なんて嫌い。好みの男だけに、しびれるものがある。

「あなたは、その2人に何をさせるつもりなの? あなたの狙いは何? そろそろしゃべった方が身のためよ。そんな穴ポコだらけじゃ、ロシアに帰ったらすぐ風邪引くわ」

 ターゲットは体を震わせる。とてもわかりやすい子だ。
 もっと可愛がってあげたくなる。でもダメ。私の楽しむ時間は限られている。

「あなたは何を企んでいるの。吐きなさい。まさか、本当にバカンスに来たわけではないんでしょう?」

 アイスピックを、ターゲットの顔面の横を目がけて投げる。彼の耳元に不快な音と風圧を残して、後ろの壁に深く突き刺さる。ビクンと硬直する彼の小心っぷりが、逆にセクシーを感じる。
 まるで死にかけた子犬だ。

「言って。本当は私もこれ以上、あなたに乱暴したくないのよ」

 アイスピックの次はナイフだ。その次は銃。殺すなとは言われているが、壊すなとも言われていない。手足の1、2本は私がもらってもかまわないだろう。

「……俺は」
「ん?」

 ターゲットは、マスク越しにモゴモゴと口を動かし始めた。
 まるで年寄りのように疲れ切った声だ。

「俺は、物心ついたときから、いつもどこかに閉じこめられている。母親の研究施設。父親の家の地下室。それから研究所に戻って、そこからも攫われて、お前たちの施設に連れていかれた。そして今は、お前に捕まってる」

 レポートにも書いてある。
 彼の生い立ちには一度も“フリー”はなく、完璧なまでに観察され記録されている。

「俺だって自分の“才能”が怖い。理解できない。どうしてこんなものがあるのか、どうして俺には他人を操れるのか。俺にだけ他人の“才能”まで視えるのも、そして、見たくもないのに未来まで視えるのもどういうわけなのか、まったくわからないんだ」

 彼の言うとおり、研究所で飼われるモルモットとしての人生しか持たない男なのに、その肝心の“才能”の詳細は、資料にも書かれていない。
 それは曖昧な憶測を避ける学者の本能なのか、あるいは、彼の能力から導き出される結論から逃げているだけなのか。
 恐れているのかもしれない。自分たちがイタズラにいじくり回し、壊してしまったこの男が、神の子だったのかもしれないという可能性を。

「でも、そんなことはどうでもいいんだ。頭のいいお前たちにもわからないって言うなら、これは、そういうものなんだろう。俺は今まで多くの人間を殺した。壊した。俺がしたのはそれだけだった。生まれたのが早すぎたのか遅すぎたのかは知らないが、少なくとも今の世の中に俺は必要ない。だから、一生研究所の中に閉じこめられて、そのまま死ぬことに不服はなかった」
「じゃ、なぜ逃げたの。そのまま死んでおけば良かったじゃない」

 次からは逃げられないように、もっと壊しておくべきだ。
 学者どもが中途半端に彼の能力を恐れるから、こんな不幸な事件が起こるんだ。モルモットならモルモットとして容赦なく扱え。それが“被験者”と呼ばれたこの男の不幸だ。
 ターゲットは、私の感想に同調するように頷き、そして、首を横に振った。

「でも俺には…俺たちには、一つだけ忘れてはいけないことがある。それをこの目で確認するまでは、死ぬわけにはいかない」
「……この日本にあるわけ?」
「おそらくは」
「じゃ、それが何なのかを、私に説明して」

 ターゲットは、一呼吸置いて、静かに再開した。

「……“ブザー”を持っているか?」
「ええ。あるわよ」
「それがないと俺は眠れない。麻酔で肉体は眠っても、意識は眠れずに覚めている。つらいんだ。あとで聞かせてくれ」
「あなたが全てしゃべってからね」
「話すべきことは全部しゃべった。やるべきこともやり終えた。あとは、為し遂げられた過去が現在(いま)をここまで運んでくる。俺は待っていただけだ。今夜、ここで全てが揃うのを」

 私は銃を構えてターゲットに向ける。

「私は説明しろと命令しているのよ」
「……悠太と仁平に依頼をした。俺は恩には恩で返した。その代わり、奇跡には奇跡で返せと」
「どういうこと?」
「彼らにしか起こせない奇跡がある。それが俺に次の“才能”を運んでくる。俺が欲しいのはそれだ。それがないと俺は何もできない」
「いつまでもそんな回りくどい事を言って誤魔化す気なら、膝を砕くわよ。自分の足で歩いてここから出たいと思うのなら、余計なことは言わないで説明しなさい。彼らにやらせようとしていることは何? ここからの脱出?」
「ただの子どもと一般人にそんなこと頼んでも無理だ。お前たちは、どうせ何人も工作員を配置している。だろ?」
「ええ、そうよ。絶対に無理。あなたはここから逃げられない」

 このホテルの場所はターゲットも知らないはず。そして東洋人の工作員も含め、ここを何人で囲んでいるかも。
 ただ、未来が視えるというのが本当なら、油断してはならない。彼らの“才能”が説明どおりなら、人知れず接近することも可能かもしれない。
 彼の話を聞きながら、私はすでにメールで指示を出している。警戒レベルを上げた。子どもでも自分の親でも近づけるな。仲間との会話も禁じる。今から私以外に話しかけてくるものは全て敵と思え。

「…でも、もう終わってる。彼らはきちんと仕事をしてくれたようだ」

 ターゲットは、ゆっくりとした息を吐き、マスクに吸収させた。
 彼の“呼吸”も“眼”も私は遮断している。距離も十分に取っている。油断はない。
 なのに、悪い予感がした。目の前の男から、脅威を感じた。

「コードネーム“ナターシャ”───本名はリディア=アクロワ。25才。モスクワ大卒。情報庁所属。階級は大尉だが、12才の頃から軍に才能を買われて育成された生粋のエリート軍人。家族は両親と妹がいたが、テロリストに殺害されている。お前が死を悲しんだのはそれが最後だ。躊躇のない仕事ぶりと殺人すら厭わない冷血さは仲間内でも恐れられ、『鉄の女』あるいは『氷の女』と呼ばれている。そうだな、リディア?」
「───ッ」

 引き金を引きそうになって、なんとか押しとどめた。
 慌てることではない。知られて困る情報はなかったし、軍の施設に収容されていた彼が、何らかのルートで私のことを知ったとしても、疑問は残るが不思議なことではない。
 ただ、ひどく気分は悪いが。

「……私をその名で呼んでいいのは、ベッドを共にした男だけよ。二度と口にしないでくれる」
「ベッドを共にすればいいのか?」
「その格好で私を襲う気?」
「いいや。お前がこっちへ来るんだ、リディア」

 足が勝手に前に出た。信じられないことに、私の意志とは無関係に足が動いていた。無意識の一歩。そして、そのまま次の足。
 私は止めようとしているのに、足は動きを止めない。腰から下は私の命令を拒絶している。
 取られた───。
 理由はわからないが、体が意志を離れていた。私は銃口を自分のこめかみに向ける。だが、引き金を引くより一瞬早く、彼の方が先に私の体に“命令”した。

「銃を下ろせ。引き金から指を離せ。声を出すな」

 右手がだらりと垂れる。人差し指が離れる。
 なんだこの感覚は。
 体の中に別の人間が入ってるみたいだ。そいつが私よりも私の体で上位に立っている。
 ここに……体の中に、何かいる。

“モンスター”

 私は残された左手で携帯電話を操作する。部屋の外に2人の兵隊がいる。早く来い、ノロマども。私を撃て。
 携帯電話には刃物を仕込んである。それを取り出す。しかし、こんな小さな刃物では、足の神経は切断できないだろう。それよりも、この男の喉を目がけて投げるか。
 でも、すぐに私の左手もマヒをした。

「無理だ。お前は、わずかばかりだが俺の“息”を吸ってしまっている。そろそろ体に回っている頃だ」

 ウソだ。
 私は彼と接触していない。彼の“眼”も見ず“呼吸”も交えなかった。私は油断なんてしていない。
 なのに私の足は死線を踏む。
 5メートル。彼の“才能”の射程範囲。戦場でも味わったことのある、あの絶望と緊張感が私が包み込む。
 私は一度もここに入らなかった。わずかたりとも近づいていない。何も誤っていない。
 なのに、どうして私は捕まったんだ?

「俺はお前を“知って”いた。今日、ここでお前に会えることも、お前がとても慎重で頭が良いことも。そしてお前がシャンパン好きであることも、俺を運ぶのにタクシーよりも跡を残さない電車を選ぶことも、俺は“知って”いた」

 ターゲットは顔を上げた。
 ありえない。目隠しがわずかに切れている。彼を縛り上げるときに私自身も確認している。あんなキズはなかった。なのに、かすかに光る眼光は、確実に私を捉えている。一体誰が。誰がこんなことを―――。

「俺が欲しかったのはお前だ、リディア」

 体の自由の次は、意志を支配された。
 私はターゲット───郁郎様の女になった。
 体は歓喜に震えている。染まっていく喜びに芯から震えている。
 そして心は、彼の誘いに焦げんばかりに感動していた。郁郎様が望んでいるのは私。なんて甘美で強引で逞しい言葉。
 命すら捧げてしまいたい。

「マスクを外せ。眼も」

 私などが彼の顔に触れるなんて畏れ多い気もするが、言われたとおりに目隠しもマスクも外した。
 近くで見る彼の眼はとても美しく、唇は宝石のように眩しかった。これが郁郎様のお顔。一生夢に見続けるだろう、私の永遠のオトコ。彼に見つめられるだけで、涙が出てきそう。

「口づけをしろ。お前の“才能”───《透明の殺意(Silent assassin)》を俺に捧げろ」

 心臓が跳びはねた。口づけなんて、急に、そんなこと。
 でも、恥ずかしさで動きそうもなかった私の腕は、彼の命令に従い、彼の頬に触れる。あぁ、私は郁郎様の操り人形。もう二度と逆らうことはできないんだ。なんて幸福。私を言葉一つで好きにしてください。
 私の唇が、私の意志など無関係に郁郎様の唇に触れた。
 好き。
 その瞬間、たった一つの感情で胸が埋まり、冷血な諜報部員の私は完全に消えた。
 彼の唇は、極上の口づけで私を虜にする。

「ハァ…ッ」

 まるで少女に戻ったかのよう。初恋のときめきに私は胸を躍らせる。
 私の愛しい人。なんて謎の多い人。
 でも、一つだけ理解できました。
 私の命も体も“才能”も、全て、あなたに出会うためにありました。あなたに私を捧げられることを、とても幸福に思います。

「“ブザー”をくれ。眠りたい」
「はい」

 イヤホンを郁郎様の耳に繋ぎ、再生する。郁郎様はうっとりと目を閉じて音に聞き入る。
 低音から高音、一定の周期で波を打つブザーの音は、私には不快にしか聞こえなかった。しかし、郁郎様はその美しいお顔を恍惚に染める。それだけで私は下半身に熱いものを感じる。

「次に目を覚ますのが“No.7”か“No.11”だったら、お前を殺すかもしれない。最初に俺に何番目か尋ねろ。俺はその質問にウソはつけない。もしも“7”か“11”なら、もう一度“ブザー”だ。眠らせていい」
「あなたになら殺されても本望です」

 むしろ、殺されたい。
 郁郎様の手でめった刺しにされる自分を想像すると、それだけでイってしまいそうだ。

「ダメだ。お前にはまだやってもらうことがある。絶対に死ぬな。他にも俺には面倒な“人格”が多いからな。気をつけて接しろ」
「わかりました。注意します」
「ここから逃げられるか、リディア?」
「はい、お任せください」
「それじゃ……俺は眠る」

 郁郎様は、静かに目を閉じた。
 安心しきった子どものような寝顔。よほど疲れてらっしゃたのだろう。
 見ているだけで胸が詰まる。この天使の寝顔を永遠に私の網膜に残しておきたい。
 だが、今はやることがある。とても大事なことだ。
 郁郎様をここから逃がす。兵隊はドアの前に2名、ロビーに4名、ホテルの周囲に6名、大使館に2名。でも今の私にとってはたいした数ではない。
 私は必ず郁郎様をお守りする。

「───大尉、どうしました?」
「大尉? どこです?」

 気の利かないバカどもが入ってきた。どこまでも役立たずのグズだ。
 お前たちはもう必要ないというのに。

「貴様、大尉はどこだ!?」
「マスクと目隠しはどうした!? 誰が外した!」

 私の郁郎様の髪を掴んで、兵隊どもは喚き立てる。せっかく心地よく眠っている郁郎様の体が、汚らわしい男たちの手で揺すられる。
 でもご安心ください、郁郎様。私があなたのそばにいます。常にあなたのそばでお守りします。
 たとえ私が、この世界から消えていたとしても。

「起きろ、貴様! 大尉はどこだ!? どこへ消えた!」

 グズどもが私を捜して慌てふためく。でも、私は変わらず同じ場所にいる。
 これが私の“才能”───《透明の殺意(Silent assassin)》だ。
 私は意識して他人の認識から消えることができる。今の私は誰も知覚できない。私が何をしたとしても、周りの人間の感覚に触れることはない。
 右の男には銃口を、左の男の喉笛にはナイフを突きつけているというに。
 私はこの“才能”を郁郎様のためだけに使う。彼の全ての敵を殺し、全ての災いから彼を守る。
 今、私は理解した。そのために私は生まれてきたのだ。
 こんなの……初めて。
 銃を握った手が、喜びで震えるなんて。

「汚い手で郁郎様に触れるな、ブタども」

 私の手が、郁郎様の敵を“処分”する。
 今日から私は郁郎様の犬。
 名前は───透明の殺意。

 つぐみちゃんの小さなお尻をパンパンしながら、電車の中を繋がって歩く。
 なかなか難しいけど、つぐみちゃんも僕の動きに合わせて上手に腰を振ってくれるから、僕たちの電車は順調に出発できた。

「あんっ、あんっ、あんっ!」

 可愛いつぐみちゃんのよがり顔を先頭列車にして、やや混雑してきた山手線内を2人でレールにして歩く。

「ガタンゴトン、ガタンゴトン」
「あん、あん、あんっ、あぁんっ」

 僕は車掌さん。つぐみちゃんの体を操縦しながら、人混みをさけて女子高生軍団に近づく。

「“電車ごっこ”でーす。定期券を拝見しまーす」
「うわ、電車ごっこ懐かしくない?」
「やっべ、可愛いことして遊んでんなー」
「てか、うちらスイカだし。これでいいわけ?」

 女子高生の人たちを巻き込んで、僕は“電車ごっこ”する。彼女たちのカードを「ちょきん」と切ったフリして返す。

「毎度ご利用ありがとうございまーす」
「つーか、電車の子かわいい」
「君の彼女?」
「…へへっ」
「照れてるよ、かわいー」
「見てこれ。この子ら、めっちゃ連結してるから」
「わ、ホントだ。チンポとマンコが阪急8000系並にがっつり連結してるんですけど」
「ちょっとやめてよ、私鉄の話は。あたしJR派だっつってんじゃん。連結なら今はJR北海道のDMV3両連結が激アツだって。ねえ?」
「知らない。あたし国鉄派だし」
「ありえねー」

 なんかよくわかんない話で盛り上がってる女子高生たちをあとにして、僕たちは次のお客さんの元へ進む。

「“電車ごっこ”でーす。切符拝見しまーす」
「はいはーい」
「“電車ごっこ”でーす。切符の用意をお願いしまーす」
「はい、どうぞ」
「お仕事ごくろうさん」

 僕たちの“電車ごっこ”は他のお客さんにも好意的に受け入れられていく。ちょきん、ちょきん、と僕はお客さんの切符を切っていくフリをしていく。
 つぐみちゃんも、僕とのセックスに興奮しながらも、他の乗客に迷惑がかからないよう、「あん、あん」って可愛い声を出して、乗客のみなさんに電車が近づいてることを警告してる。
 僕たちのラブトレインは、順調に進行中だ。
 他の車掌さんとすれ違うときも、僕とつぐみちゃんは敬礼してた。ちゃんと車掌さんも敬礼を返してくれた。
 僕はその車掌さんに“電車ごっこ”してるからと言って、帽子を貸してもらう。まるで本物の車掌さんになったみたい。僕らは楽しく電車ごっこで盛り上がっていく。
 僕たちは前の方の車輌まで来た。そして、ドアの近くに立っている外人のお姉さんたちに近づいていく。

「“電車ごっこ”でーす。切符拝見しまーす」
「アラ、可愛い車掌サンね」

 少しだけ訛ってるけど、聞き取りやすい日本語で、その美人のお姉さんは笑ってくれた。
 ちょっと怖いかなって思ってたけど、意外と笑った顔はきれいというか、可愛い。そして、彼女の周りにいる大きな男の人たちも、白い歯と一緒に僕に切符を見せてくれる。
 彼らは、大きなトランクケースを持っていた。旅行者のようにたくさんのカバンやトランクを持っていたけど、一際大きなトランクが一つだけあった。人が入れそうなくらい。

「んー、念のため、お荷物も拝見します。そのトランクを開けてください」
「マア、仕事熱心ね。イイわよ。開けてあげて」

 大きな男の人が、トランクのカギを開けてくれる。中からは、体を拘束されて、目隠しとマスクをされた人が入っていた。
 あのお兄さんだ。言っていたとおりだ。
 今日、ここで僕とトランクの中で再会するって言ってた。お兄さんはそこことを知っているって言ってた。
 だったら、僕のやることも一つだけ。

「あれあれ、無賃乗車は困りますねー」
「アラ、ごめんナサイ。見逃してくれないカシラ?」
「う~ん、それじゃ、切符の代わりにこのへんを『ちょっきん』させてもらいますね?」
「いいわよ。その代わり、他の人にはナイショね」

 僕は本物のハサミを取り出して、お兄さんの目隠しを摘む。
 小さくて、目立たない穴でいいって言ってた。それで十分だから、簡単に見つからない穴が欲しいって。
 何が起こってるかは聞かない約束。でも僕のやることを絶対にやって欲しいというお願い。
 僕はお兄さんには感謝している。ピロシキだって好きなだけ買ってあげたいくらい。残りたった1日の“プレゼント”だけど、最高に楽しい3日間を過ごすことが出来ている。
 だから、やってあげる。これでお兄さんが助かるなら。

「ちょっきん」

 ほんの小さな切れ目を入れた。それでいいって、眠っているお兄さんの声が言ったような気がした。

「はい、結構ですよー」
「アリガト、小さな車掌サン」

 僕はいったん抜いてたつぐみちゃんの中に、再連結する。

「しゅっぱつ、しんこー!」
「あぁぁーんッ!」

 再び折り返して後方車両に向かう僕らに、微笑む外人さんたちの声がする。

『どこの国でも、子どもはバカで無邪気なもんね』
『ええ、まったく』

 言葉はわからないけど、僕たちの姿が見えなくなったら、あの人たちの頭の中から、すっかり僕らの遊びのことは消えている。

 それが僕の“才能”───《禁じられない遊び(playing alone)》だ。

 

 

 おおっと、寝てる場合じゃなかったんだ。

 俺はカバンの中から、兄ちゃんから預かったモノを取り出す。そして、すやすやと寝息を立ててるみなみを揺り起こす。
 
「おい、みなみ起きろ。みなみ」
「うぅー…なに、お父さん…夜勤明けで、本当に眠いんだけど」
「いいから、俺も忘れる前に聞いとけ。これだ。お前にこれをやるから、帰るときに忘れず持って帰れ」
「なに…シャンパン?」
「おぉ。これをな、お前の担当してるスイートルームだっけか? とにかく一番いい部屋にこれを置け。父親にもらったいい酒は、勤め先のホテルの最高のお客様にプレゼントする。これ“常識”だろ?」
「あ、うん。ありがとー…持っていくから、もうちょっと寝かせてー」
「おう。ゆっくり寝ていけ。父ちゃん、メシの用意しといてやるから」
「んー……ありがと……」

 むにゃむにゃと呟いて、布団を体に巻いて寝る。小さい頃とおんなじだ。全然寝相は変わってない。無防備な寝顔も、まるっきり小さい頃のみなみと同じだ。

「へへっ……」

 この寝顔を見れただけでも、幸せだ。俺が抱きたかったのは、みなみの女の身体じゃなくて、娘のみなみだったんだな。
 今更だけど、俺は本当に幸せな父親だぜ。
 兄ちゃんに頼まれたシャンパンを、みなみのバッグの横に袋に入れておいておく。
 これでよし。約束は果たしたぜ、兄ちゃん。

 ───居酒屋で、いきなりこんな高そうな酒を取り出されたときは、なんだと思った。
 だって、一文無しだって自分で言ったばかりだからな。

「これを、娘さんの担当するスイートルームに置いてもらうように“常識”でお願いしてください。坂田さんの“才能”に対するお返しは、それで十分です」

 俺のおごってやった焼き鳥を、美味いとも不味いとも言わないでムシャムシャ食いながら、兄ちゃんは言った。

「なんだよ、これ? 酒か? お前、変なの客に飲ませて食中毒でも出したら、うちのみなみに迷惑かかるだろ」
「大丈夫です。その酒を飲む客を俺は“知っている”。そして、たぶん俺もその部屋に“いる”。でも、動くに動けない状態だと思うから、娘さんにお願いしたいんです」
「さては、てめえ、最初からうちのみなみが目当てだったんだな?」
「そうです。でも、カギになるのはお父さんだ。俺がみなみさんに直接“お願い”するでもいいと思うけど、もしも俺がみなみさんと接触するところを見られたらあのホテルは使われなくなる。でもお父さん経由ならそっちにたどり着く可能性も少なくなる。それに、俺の見た未来もそっちだった。つまり、成功は間違いない」
「なんだか全然わかんねぇな」
「俺もそうです。自分の見ている未来の意味が時々わかんないし、しかも忘れっぽいから昔のことも未来のこともゴチャ混ぜになってしまう。もう何日も寝てないからなおさらだ」
「本当に全然わかんねぇな」
「でもね、これだけは言えるんだけど、未来ってのはいつも遠回りで巡ってくるんだ。どんなに面倒くさくても、無駄かもしれないと思っても、遠回りでやるんですよ。そうすれば誰でも幸せに辿り着く。たぶん」

 なんだか、急に悟ったようなことを言い出して、兄ちゃんは俺のおごりでアイスティーを追加する。
 俺がおごると約束したことは、都合良く覚えてんだな。

「…本当に変なもん混ざってないんだろうな?」
「いや、混ざってますよ。俺の“息”が」
「息?」
「ブクブクって、俺の吐く息をたっぷり詰めておきました。ビンの内側にもたっぷりと。今もこの中に充満してるはずです」
「は? おかしなもん混ぜるなあ、お前。これ高い酒だろ? もったいねぇことすんなよ」

 兄ちゃんは、大まじめな顔して頷いた。

「ええ、本当にもったいなかった。何しろこれ一本買うために、有り金を使い果たしちゃいましたからね。でもまあ、仕方ない。これが俺の幸せへの近道でしたから」
「お前、さっき遠回りしろって言ったばかりじゃねぇかよ」

 本当に、“非常識”な若者だった。
 また会うことがあったら、もっと本腰入れて、世間の常識ってやつを叩きこんでやっか。

 次はもうちょい、美味いメシ屋でな。

 ……私は、人生で初めての敗北を味わった。
 勝った負けたはどの勝負でもあること。ただ、心からの敗北は生まれて初めてだ。
 魂まで屈服してしまう「敗北」というものを知るのも、そして、勝者に心服し臣従を誓うという敗北の甘い喜びを知ったのも初めて。
 全て、三森郁郎様が初めてだ。
 
 ベッドの上の郁郎様の体を、丁寧に治療する。
 細く引き締まった彼の美しい肉体を、私は愚かにも傷をつけ、跡を残してしまった。
 傷口を拭いて、ガーゼを被せて、じわりと沸いてくる涙を拭う。私は本当にバカな女だ。仕事が全て終わって、役立たずになったあかつきには、彼の手で殺していただこう。
 それ以外に、どうお詫びしていいか思いつかない。昔の日本人なら、ハラキリをするところだろうか。ハラキリ、したい。郁郎様の前で。

「ん…」

 郁郎様のまぶたが動く。イヤホンを外して10分だ。そろそろ目覚める頃なのだろう。
 私は手を止めて、ベッドの上で姿勢を正す。日本式の正座。これでいいだろうか。無礼はないだろうか。緊張する。

 郁郎様が、目を開いて私を見た。深い色の、とても美しい瞳。頬が熱くなる。蕩けてしまいそうな背筋を、シャンと伸ばす。
 最初に必ず“番号”を確認しろと命じられている。忘れずに実行する。

「あなたは───何番ですか?」
「……“5”だ」

 “No.5”───さっきまで私の前にいた“No.14”様の兄。現在、主に表に出てくる“人格”の中でも最年長の落ち着いた性格で、彼らのまとめ役でもある。
 私の緊張がさらに増した。

「君は?」
「わ、私はリディア=アクロワと申します。情報庁の職員で、軍人です。でも今は“No.14”様に命じられて、あなたに仕えています」

 あなたに仕えています。
 自然に出た言葉だったが、じつに甘く胸に響いた。
 13才の頃から軍人として養成され、国に忠誠を誓わされてきた私が、初めて心から他人に忠誠を誓う。
 勲章をもらったときよりも、誇りと名誉に胸が震えた。生まれ変わった気持ちだ。
 私はあなたに仕えています。郁郎様。

「……どうして泣いてるんだ?」
「も、申し訳ありません」

 みっともない。郁郎様の前でこんな顔を見せてしまうなんて。あふれる涙を、私は手で何度も拭う。

「状況を説明してくれ。記憶が混乱している」
「はい」

 ベッドに横たわった彼の痛々しい体の前で、私は呼吸を整え、高ぶった気持ちを抑える。油断すると、また涙が出そうだ。早く慣れないといけない。

「私たちは、あなたを拘束して都内のホテルで尋問しました。あなたの体に傷をつけたのは私です。責任は、あとで必ず取ります」
「そんなことはいいよ。それで? それからは?」
「私は、その席であなたに忠誠を誓いました。今は、あなたが寝ている間に包囲を殲滅し、別のホテルに移ったところです」
「あぁ…そうか…そうだった。“14”は上手くやってくれたな。君が、僕たちの探していたリディアか」

 僕たちの探していたリディア。
 もう許して欲しい。そんなことを言われたら、また泣いてしまうかもしれない。
 はしたなく足をバタバタさせたい欲求を堪えるのに、正座という姿勢はじつに便利だった。
 大和撫子の秘密が私にも理解できた。日本文化ハラショー。

「それで、追っ手は?」
「は、はい。ホテルを包囲していたチームは、もう残っておりません。私自身も消えたことになっています。勝手ながら、私の携帯より本部にメッセージを送っておきました」

 部屋の前の2人を始末した後、ホテルのロビーにいたメンバーに、郁郎様が逃げたことにして死体の処理を押しつけ、郁郎様の入ったトランクと一緒に荷物を運び出させた。
 私はその間に外で待ち伏せして、全員を“処分”した。
 できるだけ多くのメンバーを、私の手によるものだとわかるように始末した。この事件が、ここ数年で最大の惨事として本部に伝わるように。
 それから私自身も操られていることにして、郁郎様からのメッセージを上司の電話に伝言した。

『被験者No.14より本国へ。祖父への挨拶は済んだので、これから私は世界を見るための旅に出る。2年後に戻るので追跡は不用。邪魔をすればリディア=アクロワと同じ運命を辿ることになる。諸君が賢明で慈悲深い人間であることを祈る』

 そうして、携帯電話と一緒に血の付いた上着を大使館より借りた車に残して、港に放置してきた。
 とっさに考えた作戦だし穴も多いが、郁郎様に残された時間をできるだけ平穏に過ごしていただくために、私にできることはこれが精一杯だった。

「なるほど。苦労をかけたね」

 郁郎様は、私の説明を黙ってお聞きになって、かすかに頷かれる。
 物静かで理知的な声。その響きはとても優しくて暖かい気持ちになる。一日中でも聞き惚れていたい美声だ。
 さきほどまでの、失礼ながら少しヤンチャで少年らしさのあった郁郎様とは印象がまるで違う。私よりも年上みたいだ。
 これが“人格”の転移か。目の当たりにすると不思議な現象だ。
 もちろん、どちらの郁郎様もたまらなく素敵だけど。

「それじゃ、僕は後で誰か適当な人間に、僕の代わりに国外へ出て行ってもらえばいいかな?」
「あ、いえ、わざわざそのような証拠を残してやると、かえって怪しまれるかと。消息はここで完全に絶った方が、より警告に重みを与えることになると思います」

 郁郎様が、じっと私の顔を見る。
 ドキンと心臓が跳ね上がる。口答えをするつもりなど全然なかったが、やはり生意気と思われただろうか。どうしよう。今すぐ謝るか、ハラをキルか。
 
「ん。リディアに任せる。僕を守ってくれ」

 郁郎様は、ほがらかな笑顔を浮かべて、そんなことをおっしゃった。
 一瞬、意識が飛んだ。天に舞い上がった。
 私は軍隊式の敬礼をとっていた。

「ぜ、全力で任務遂行にあたります!」

 私の“才能”と、郁郎様の未来を見通す“才能”があれば、絶対に無敵です。
 そう言いたいところだが、私ごときの微力な才能を郁郎様と並べて語るなんて、あまりにも厚かましい気がするので我慢する。
 でも、これは2人の逃避行だ。
 とても甘い気持ちになってしまう。ふにゃりと溶けそうな体を、ギュウギュウ縮こませて、なんとか姿勢を整える。
 郁郎様は、私の体を見て、ふと目線を逸らした。自分の格好をあらためて、開きすぎていた胸もとに気づいて、慌てて襟元を正した。
 誘惑してると思われたかもしれない。そんなつもりじゃないのに。
 そんなつもりは───まったく、ない。本当に、そんな、失礼なことなんて、考えてない。想像もしてない。絶対しちゃダメ。

「…そ、それで、今後のことなんだけど」
「あ、は、はい!」
「僕たちには日本に来たのは、逃げるためだけじゃない。目的がある。そのために君が必要だったんだ。僕たちはひ弱な素人だから、君のように強くて頭の良い人の助けが必要だ」

 そんなに持ち上げていただかなくても、私は郁郎様のためなら、いつでも喜んで捨て駒になれる。優しい言葉に気持ちを緩めないよう、私は口元を引き締めて頷く。

「君には僕たちの目的を教えておく。誰にも知られないように注意してくれ。余計な危険を増やしたくはない」
「はい」

 大切な任務だ。私は神経を研ぎ澄まし、郁郎様の言葉を体と魂に染みこませるため、集中する。
 
「僕たちには、会いたい女(ヒト)がいる。その人を見つけ出して、もし障害があるならそれから守って、僕たちを連れていって欲しい」

 ……それは私にとって、とても衝撃的な命令だった。
 会いたい女。
 郁郎様にそういう女性がいても、ただの駒にすぎない私には関係のないこと。
 頭ではわかっているのに、どうしてもコントロールできない感情がぐるぐる渦巻いて、平静ではいられなかった。
 この感情が何であるのか、自分でも痛いほどわかるのが悔しい。女であることが、これほど疎ましかったことはない。
 私は悲しいくらい、ただの女だった。

「……どうして泣いてるの?」
「も、申し訳、ひぐっ、ありません!」

 ダメだ。止まらない。
 私はやっぱり役立たずだ。捨て駒の分際で、持ってはいけない感情なんかに振り回されるなんて。郁郎様は、こんな私でも信頼して話してくださっているというのに。
 任務は、やり遂げよう。それだけは死んでもやろう。私の生きる理由はそれだけだ。
 そして全部が終わったら、責任を取ってハラをキル!

「…もう大丈夫です。申し訳ありません。ご命令は、必ず成し遂げてみせます」
「そう? 大丈夫?」
「はい。何も問題は…ひっく…ありません」

 問題なんてあるはずがない。
 私の勝手な懸想なんかで、郁郎様の邪魔をしてはいけない。

「それじゃ、さっそく明日から捜してくれないか。僕の妹なんだけど」
「え?」
「僕の妹で……名前は思い出せないけど、僕と同じく日本人とのハーフだ。おそらく、今も祖父と一緒にいるんじゃないかと思う」
 
 半分くらい聞こえてなかった。
 大変申し訳ないことだが、「妹」という単語が大きすぎて、郁郎様の言葉のほとんどを聞きこぼしてしまった。

「い、妹様のことでしたら、住所もお名前もスリーサイズもわかっています! 明日…だと、また監視が再開されてる可能性もありますので、数日ほど確認の時間をいただければ、ご案内できるかと!」
「わ、すごいな。よろしく頼むよ」
「はい!」

 なんだ、妹だったか!
 いや、なんだなんて言っては失礼だ。それに、どうして私がこんなに安堵してるんだ。さっき覚悟したばかりなのに。
 集中しろ。大事な任務の話だぞ。
 でも───。

「……どうしてニマニマしてるの?」
「も、申し訳ありません!」

 しっかりしろ、リディア=アクロワ。『鉄の女』はどこにいった。任務に徹しろ。顔に出すな。
 でも、そうか。郁郎様は、妹様にお会いしたかったのか。妹様もきっと喜ばれるに違いない。写真では見ているが、とても可愛らしい高校生だ。私にはない女の子らしさに溢れている。どんな方だろうか。写真どおりのイメージだと理想的だ。不遜かもしれないが、死んだ私の妹に似ている気がしている。ひょっとしたら私も少しはお話する機会もあるかもしれない。仲良くできるだろうか。紅茶はどんな銘柄がお好きなんだろうか。私のように卑屈で役立たずな郁郎様の犬など、口を聞く価値もないと言われたらどうしよう。
 などと、お前が舞い上がってどうするリディア=アクロワ! 

「……よかった。“No.1”はきっと安心する」
「はい?」
「彼はずっと彼女のことだけを気にしていた。自分が不幸にしてしまったかもしれないって。だから、どうしても彼女に会いたかった」
「“No.1”様は……今も、いらっしゃるのですか?」
「うん。僕も十年くらいは“接触”していないし、もう表に出てくることはないだろうけど、いるよ。僕たちにとっては今も彼は偉大な“No.1”だ。彼の望みを叶えるために、僕らは行動している」
「全ては、妹様にお会いするためだったんですか?」
「そうだよ。それだけが僕たちの望みだ。そのために……君も利用した。君の人生を台無しにしてしまったことは、心からお詫びする」
「おやめくださいっ。私はこれまでのつまらない過去など捨てて、自分自身のために郁郎様にお仕えしています。そのために生まれてきたのだと、ようやく目覚めたばかりなのです。そのようなお言葉など、聞かせていただきたくありませんっ」
「うん…ごめん。もう言わないよ」
「い、いえ! こちらこそ、出過ぎた口を……」

 また感情をあらわにして、ベラベラと余計なことを。
 もう、私は本当にダメな女になってしまった。郁郎様のために、どこまで働けるだろうか。せめてご迷惑になるようなことはしたくないのに。

「……ありがとう。君は、とてもきれいな人だね」
「ッ!?」

 いきなり、おかしなことを郁郎様がおっしゃったせいで、私は大いに慌ててしまった。
 なぜか、胸など隠してしまって、まるでいやらしいことを考えてるみたいだ。

「ご、ごめん。変なこと言ったかな」
「いえ、あの、私が悪いんです!」

 私は、バスローブしか身につけていなかった。血の匂いなどさせては失礼だと思い、シャワーを浴びて、着替えも洗濯してまだ乾いていないのだ。
 よく考えれば、ふしだら女だと思われても仕方ない。ベッドの上に、こんな格好で上がるなんて。
 沈黙が、妙に重くて困ってしまう。

「あ、あぁ…それで、その、妹とは、“No.1”の代わりに“No.2”が面会するから。彼は足が悪いから、車いすの用意も頼むよ」
「は、はい、明日中には、必ず」
「うん、よろしく…イタっ」

 体を起こそうとした郁郎様が、肩の痛みに顔をしかめた。慌てて私は郁郎様の体を横たえる。

「お気をつけください。肩を打撲されてますので」
「うん…いたた」

 私のせいだ。尋問などと言って、抵抗できない郁郎様をいたぶったりして。
 なんてお詫びすればいいのか。代われるものなら、私の体をめった刺しにしていただきたい。

「手当ての続きをします。楽になさってください」
「うん……」

 痛々しい彼の体に手当てを施していく。痛みも全部私が引き受けることができればいいのに。私は本当に愚かな女だ。

「泣かないでいいよ、リディア。僕たちは覚悟していた」
「…ですが」
「泣くな」
「はい」

 なんて優しい命令だろう。でも、そのせいで、私の涙はますます止まらなくなる。

「…リディア、その」
「はい?」

 郁郎様は、顔を赤くして視線を逸らした。
 彼が見ていたのは、私のはだけた胸元だった。

「す、すみません!」

 日本の女性用のバスローブは、私には小さかった。フロントを呼びたくないから、男性用のを私は羽織っていた。
 そしてそれは、私には大きすぎるのだ。
 決してこの汚れた体をお見せしたくてこんな格好してるわけではなく、そこだけは誤解を招きたくないのだが、言えばドツボにはまりそうで、恥ずかしくて、何も言えなくなる。
 顔だけがカッカと熱い。

「…お願いがある」
「は、はい。な、なんなりと!」

 言いにくそうに、郁郎様は下を向いた。そして、小鳥のように消え入りそうな声で呟かれた。

「……そのバスローブを脱いで、君の素肌を見せてくれないか」

 心臓が止まりそうになった。
 まさかの至上命令だった。死ぬほどの恥ずかしさと、そして、ちょっとだけ、すごく嬉しいのと、ごちゃごちゃしてきて、頭が破裂しそうになった。
 私の体なんて、いろいろと汚れてて、とても郁郎様の美しい瞳に映していいわけがない。私にそんな価値などない。でも。

「……は、はい…」

 でも、命令ですから。
 郁郎様の命令だから、私は彼に背中を向けて、バスローブを脱ぎ去る。そして、大事なところは手で隠して、彼の方へ向き直る。

「…………」
「…………」

 頭が爆発しそうだ。背骨が溶けてしまいそうだ。
 こんな緊張、戦場でも味わったことがない。このままではすぐに限界がくる。心臓が破裂する。
 なのに郁郎様は、喉を可愛らしく鳴らして、小さなお声でおっしゃった。

「…手をどけて」

 ───め、め、命令ですから!
 私は、意を決して全てを晒した。顔だけは正面を見れないので、目をつぶって背けさせていただいた。
 手は、背中に回している。隠すもののない、私の全てを郁郎様にお見せしている。
 そうだ。これは武器を持ってないことの証明だ。当然、郁郎様はそういう危険を警戒されてのことで、ご自身の安全のために私のボディチェックをしているだけだ。
 私ごときの体など、郁郎様が興味を持たれるはずはない。そりゃあ、私だって情報庁一の美女と言われたりすることもあるし、ちょっとぐらいは自負しちゃったりすることもあるけど、この程度の体に郁郎様の目を汚す価値などないことは重々に承知しているし、郁郎様を楽しませる自信なんてない。そんなのありえない。
 だから、どうしても体が熱くなるのは、私が何でもすぐにいやらしいことに結びつける、いやらしい女だからだ。
 乳首のあたりが、ピンと突っ張る感じがする。股間のあたりも、ジュンジュンしてる。
 このエロエロ女め。最低だ。こんな女で申し訳ございません、郁郎様。

「…そのまま、体を拭いてくれないか」
「……はい……」

 どうしよう。手が震えている。
 こんなのは初めてだ。14才で処女を失ったときですら、私は相手の男に命令して抱かせてやったのだ。男の前で裸になるくらい、どうと思ったことはないのに。
 原因は分かっている。郁郎様は、私が「女」であることを、イヤと言うほど思い知らせてくれた。
 心まで裸にされた気分だ。私はまるで少女だ。そのへんにいる、普通の恋する少女みたいだ。
 きっと、郁郎様にとっては数ある女の裸の一つにすぎないだろう。でも私にとっては、郁郎様の視線は特別すぎる。見られている思うだけで、百の男に抱かれるよりも肌は敏感に反応してしまう。
 どうしよう。逃げたい。だから、逃げられないように、郁郎様に縛っていただきたい。首に縄を。
 目をつぶって拭いているうちに、手が硬いものに触れた。郁郎様がくぐもった声を上げたから、目を開けてみると、それはボクサーパンツ越しに隆起した、郁郎様の───。

「も、申し訳ございません!」
「いや、これは、僕が…!」

 慌ててベッドの端まで飛び退った。
 バカ。私のバカ。信じられない失態だ。ハラをキラなきゃ。本当に今すぐキラなきゃ。
 でも、郁郎様のそこが苦しそうにしているのを、放っておくわけにもいかない。私は郁郎様に仕える身。彼の望むものなら何でも用意しないと。

「そ、その、女を用意して参ります」
「ど…どうして?」
「…お、お辛そうですので、外で、その、娼婦を…」

 私だってウブではない。日本にもそういう場所があることは知識としては知っているし、それくらいの手はずはつけられる。郁郎様が抱く女を選ぶなんて、心が焼きつきそうだけど、任務ならこなせる。
 普通に、こなしてみせる。
 でも郁郎様は、顔を赤くして首を横に振った。

「…必要ない。そのために、君を手に入れた」
「は、はい?」
「君にお願いしたい……いいかな?」

 ……卒倒しそうになった。
 なんて控えめで、優しく、甘い口説き文句なのか。
 君にお願いしたい。
 世界で一番素敵な言葉で誘っていただいた。
 今までいろんな男に耳元で囁かれてきた愛の文句が、胃の中のモノと一緒に吐き出したくなるくらい、陳腐でくだらないものに思えた。
 目の前がチカチカした。ゾクゾクと体に痺れが走り、私は言葉だけで達してしまった。
 君にお願いしたい。
 心臓も差し出したいくらい切実で、神の誓約も霞むほど重く、永遠の約束のように歓喜に満ちた言葉。
 あとでカードに書いてバッグに忍ばせておこう。肌身離さず持ち歩こう。いつも一緒にいよう。
 私はもう一度達してしまった。これ以上言われたら、きっと腰を抜かして倒れてしまう。

「ぜ…ぜ、全力で、任務遂行にあたります……ッ!」

 今夜で、もう命は捨てよう。郁郎様のために死のう。
 私は涙を拭いて、郁郎様の体ににじりよる。緊張で気を失いそう。
 彼の体の匂いを意識する。手当てのときは落ち込んだり必死だったりで気づかなかったが、郁郎様はすごく良い匂いがする。
 世の女性はきっとこの香りに逆らえない。炎に誘われる蛾だ。もう体中が焼けて死んでしまいそう。
 もっと早くに出会いたかった。郁郎様に、一から女として調教していただきたかった。汚れた姿をお見せする前に、処女のまま彼にご奉仕できたらどれほど素敵だっただろう。
 こんな手で郁郎様に触れるのは畏れ多い。でも、せっかく郁郎様が誘ってくださったから。
 震える指で手を伸ばす。トランクス越しでもご立派だとわかる郁郎様の男根。
 どのようにご奉仕するのがお好みだろうか。聞くのは失礼なような気がするけど、じつをいうと男に奉仕するのはあまり経験がないので、自信がない。
 手でさすって、お口で慰める? あるいは、胸に挟んでしごいて差し上げる?
 郁郎様にそんなことをする自分を想像しただけで、恥ずかしさと喜びで股間がジュンと濡れてしまう。というか、すでに何度も軽く達している。
 でもダメ。自分が喜んでいる場合じゃない。郁郎様のご期待に応えるためには、もっと必死にならないと。自分を抑えろ。私は「私」ではなく、ただの「女の肉体」だ。男を悦ばせる娼婦に徹しろ。
 これは任務。むしろ、叱られて指示されるくらいでちょうどいい。郁郎様はきっと慣れてらっしゃる。そうだ。やはり郁郎様の好みに調教してくださるよう、お願いしてみよう。
 でもそれだと、今後のご奉仕も私に任せてくれと、厚かましくもねだっているようで───

「…その…」
「は、はい!」

 私の手が郁郎様の体に触れる寸前、郁郎様から声をかけられた。慌てて手を引っ込めて、私は正座した。
 何か失礼があっただろうか。私はまた何か間違ったか。どきどきする。
 郁郎様は、言いにくそうに赤い顔を横に向け、小さな声でボソリとおっしゃった。

「……童貞だから、お手柔らかにお願いします」

 ───郁郎様の前で、本当にみっともない姿を、私はお見せしてしまった。
 鼻血を出して失神したのだ。

 楽しかったお祭りも、いつかは終わる。
 教室の中はいつものようにバタバタとして、みんな楽しそうに遊んでいる。
 僕のしていた遊びを覚えている人は誰もない。普通の、平凡な、毎日の、よくある光景だ。
 そこにちょっとしたつまらなさを感じてしまうのは、別の世界を垣間見た人間の贅沢な感傷だろう。
 僕は、平凡な僕に戻ってしまっていた。

「おっはよ、悠太くん!」

 つぐみちゃんが、カバンを置くなり僕の肩をグーで軽くパンチする。僕も挨拶を返しながら、つぐみちゃんの脇腹あたりを軽くパンチするフリをする。

「やーだー」

 あれから、ほんの少しだけ僕らのスキンシップは親しくなった。
 僕らの遊びのことは覚えていないはずなのに、触れあった体は覚えているのか、距離感は前よりすごく近くなってる。
 僕とエッチした、他の女の子たちもそうみたい。
 誰もがほんの少し、僕に親しげに近づいてくるようになった。いつの間にか「悠太はモテるようになった」とか、「悠太のエロゲが始まった」とか、男子の間で噂されるようにもなった。
 でも、僕が推しているは、ずっとつぐみちゃんだけだ。

「つぐみちゃん」
「ん?」
「僕と付き合ってよ」
「だからぁ、そういうのわたしたち早いってば。友だちでいいじゃーん」

 で、毎日こんな告白してるけど、いつも返事は同じだ。
 進展は見られない。彼女の気持ちもわからない。僕のこと好きなのかな、嫌いなのかな。
 女の子の気持ちがわかる魔法、お兄さんは知らないだろうか。

「きりーつ、れーい」

 HRが始まった。すると、隣の席から、ノートの切れ端が回ってきた。
 この字を僕はよく知ってる。隣りの子ネコのイラストも。

『今度の日曜ヒマなら遊ぼ? 東口集合ね』

 …ゆっくり、つぐみちゃんの方を見る。
 つぐみちゃんは、両手でほっぺを隠して、先生の方を見ていた。
 大急ぎでノートを引きちぎって、蛍光水色ペンのキャップを開く。

 僕の返事は、とっくに決まってる。

「それじゃ、ごちそうさま」
「おー」

 みなみは、一眠りしてメシ食ったら、さっさと帰り支度を始めた。
 俺もなんだか、照れくさくて顔をまともに見れない。マンションの前まで来ても、チラチラ横目で見送るだけだ。

「お父さん、美味しいもの食べるのもいいけど、お酒は控えなきゃダメよ。ちょっとお腹出てきたんじゃない?」
「わぁってるよ、んなことは」
「本当よ?」
「あぁ、酒は2年に一度は休むようにしてる」
「週に一度は休みなさい」
「へいへい」

 なんだよ、口うるさくなりやがって。変なとこ母ちゃんに似てきたな。

「…それじゃね」
「ん」

 すっかり大人になったみなみ。
 そいつが俺のとこから出て行こうとしている。
 また、あのときみたいに。

「おい」
「ん?」

 思わず呼び止めていた。
 そして、言うはずのなかった言葉まで、なぜか勝手に出ていた。

「今度、その、敏明とかいう男と会わせろ」

 みなみは、ポカンと口を開けて、アホみたいな顔をした。

「…会ってくれるの?」
「ん」
「ほんとに?」
「ん」

 みなみは、カバンを開けてスケジュール帳を取り出すと、慌ててページをめくり始めた。

「えっ、えっと、じゃあ、いつにしよっか? 私、今週なら金曜とか、日曜とかなら大丈夫なんだけど。あ、場所はね、もう考えてあるの。東口にうちの系列のホテルあってね、そこの中華ならお父さんも気に入ると思うし、敏明さんの会社もそこに食材卸してて───」
「あぁ、あぁ、そんなのいつでもいいからよ。さっさと帰ってゆっくり寝てけ」
「ぜ、絶対よ? 約束したからね? ちゃんと私の婚約者と会ってもらうからね?」
「おう」
「…変なこと言わないでね。ケンカもダメよ?」
「それは約束できねぇな」
「もー!」

 みなみは頬を膨らませたあと、嬉しそうに笑った。
 あぁ、こんな風に笑った顔も、昔のまんまだな。みなみは髪をかき上げ、含むような顔で俺を見る。
 なんだよ? これ以上は、俺も妥協しねぇぞ。

「…ありがと、パパ」
「なっ!?」

 我ながら情けないほど赤くなった顔を見て、みなみはアハハと笑って手を振った。

「それじゃ、またゴハン食べにくるね~!」

 な、なんだよ、なんだよ、親をドッキリさせんじゃねぇよ。
 ったく、心臓に悪いぜ。俺の娘のくせに、イイ女なんかになりやがって。
 ダメだな、もう。俺みたいな親父が、いつまでもみなみの心配してちゃ心臓がもたない。
 これからは、その敏明とかいうエロ画像掲示板みたいな男に、俺の代わりにみなみにヤキモキしてもらおうか。

「やれやれ」

 ため息ついて、管理人室に戻ろうと思ったら、ちょうど真帆ちゃんが高校から帰ってきたところだった。

「おかえり、真帆ちゃん」
「管理人さん、ただいまー」
「ダメダメ。管理人に挨拶するときは、スカートまくってが“常識”だろ」
「あ、すみません。ただいまー」

 ベラっと気持ち良く真帆ちゃんはノーパンのスカートをめくってくれる。
 かすかな縮れ毛が、よく焼けた肌の中でも目立っていた。

「そうだ、パンツ返してくださいよ。風邪引きそうだったよ、私ー」

 スカートめくったまま、真帆ちゃんはねだるように腰を揺する。

「ダメだな。あれはもう他の子にあげちゃった。管理人に没収されたパンツは管理人もの。これ“常識”だろ?」
「え~? ついてねー」

 真帆ちゃんは、がっかりと項垂れる。

「てーか、君の生活態度には目に余るものがあるぞ。管理人には“常識”的に指導する権利がある。あとで管理人室に来なさい」
「ますますついてねー」
「管理人室で指導を受けるときは、すっぴんで、体操着を着てくるのが“常識”だ。ちゃんと親にお泊まりの許可をもらって、管理人室に来なさい」
「はーい」

 真帆ちゃんは、ほっぺをぷりぷりさせて玄関に入っていく。

「真帆ちゃん、も一度おかえりー」
「はい、ただいまですー」

 後ろ向きのまま、スカートをぷりんとめくって見せてくれた。
 おぉ、可愛いケツじゃねぇか。
 それじゃ俺も部屋に戻って、説教の準備でもしますかね。

 まあ、こんなのも、それなりに悪かない人生だよな。

 ……おっそいなぁ、ご主人様。
 それにみんなも、なんで来ないんだろう。ひょっとして、わたしの知らない間に地球滅んで人類わたしだけ? そんなことないよね?
 駅前東口はいつもの人手で賑わっている。いや、いつもより多いかも。今日は日曜日で天気もいい。絶好の待ちぼうけ日和だ。
 もう少し待ってみようかな。ご主人様の帰りをいつまでも待つのは忠犬の仕事だし。
 ていうかうちのご主人様、時間にだらしなくて遅刻が定時の人だし。
 しょうがないご主人様だよね、もう。ふふっ。

 カバンから文庫本を出そうとしたとき、コロコロと車輪の音が響いて、なんとなく顔を上げた。
 すごくキレイな女の人だ。
 しかも外人さんだ。チョー足長いし、スタイルいい。スーツがモデルさんみたいに似合ってるし。
 これが本物の美人さんなんだなー。女のわたしでも見とれちゃう。大人の余裕みなぎる感じだ。わたしみたいに卑屈で役立たずなご主人様の犬とは大違いだなー。
 そして、その人が車いすの男の人を押している。
 チョーイケメンだ。
 この人も外人さんかな。ちょっとだけ日本人ぽいかも。ハーフさんかも。
 ハーフさん、かっこいいな。これが本気のハーフかぁ。わたしとは全然違うなぁ。かっこいいなぁ。
 あ、でも、もちろんご主人様の方がかっこいいよ。めちゃくちゃかっこいいよ、わたしのご主人様。
 見た目では完璧に負けてるかもしれないけど、内面がすごくかっこいいもん。
 すっごくドSで陰険なの。そのくせ小心者でスケベだし、ポップでクレイジーだし、本当にかっこいい。理想の男性だよ。うんうん。
 と、ご主人様のことを想っていたら、いつの間にか車いすの人はわたしの隣りに並んでいた。女の人は……いなくなっている。あれ? ついさっきまでいたのに。

「良い天気ですね」

 車いすの人が、ふいに話しかけてきた。天気の話をしているわりに、下を向いて、少し照れているように見える。

「あ、はい。わたしもおおむね同じ感想です」

 わたしは普通にそう答えた。

「絶好の待ちぼうけ日和ですね」
「わ、それもさっき考えてました。すごい。気が合いますね」

 これは驚きだ。
 わたしがパチパチ手を叩くと、男の人は照れたように頬を緩めた。
 とても優しい声をした人だ。なのに、ちょっとした仕草や表情に、貫禄というか、男の人の強さを感じる。お祖父ちゃんにちょっと似てる気がした。
 じつは大物の人かもしれない。

「本当に、素晴らしい日になりました。今日は、もう10年以上も待ちぼうけしてた人に、ようやく会えたんです」
「え、すごいですねえ。さっきのお姉さんですか?」
「いえ、彼女は違うんですが」

 男の人は、後ろを見上げた。そこには誰もいないけど、優しい微笑みを向けていた。

「でも彼女に出会えたおかげで、私たちの夢を叶えることができた。とても感謝しています」

 よくわからないけど、なんだか、すごくロマンチックなことを言っているかもしれない。
 わたしにも思い当たることはあるので、ウンウンと頷いた。
 
「出会いって、すごいですよねー。それまでの人生の全部が、コロッと変わっちゃうこともあるっていうか」
「ええ、私もそう思います。人生は、出会いが全てだ。ずっと狭い場所にいたから、本当に今はそのことを実感しています」

 その言葉には、何か、寂しい雰囲気があった。ずっと狭い場所とか、気になることを言っているけど、聞かない方がいいのかもしれない。
 わたしはいつも、知らずに過激なことを言っちゃってるらしく、ご主人様にもよく叱られる。言葉には注意しないと。
 でも気になる。わたしのポリシーとしては、どうしてもそこは言っておきたい。

「監禁プレイって、最初はちょっぴり怖いけど、1人でいろいろ想像できて気持ちいいものですよね?」
「え、いや、それは全然知りませんけど」

 違うのかな。
 なんかわたし、また勘違いしちゃったかも。

「ところで、あなたの待ちぼうけの相手は、まだ現れないんですか?」
「あ、はい。でもいつものことですから。えへへ」

 ご主人様はいつも遅いのだ。困った人だ。
 でも、他の人たちまで遅いのは珍しいけど。

「もしかして、待ち合わせは東口じゃなくて西口だったんじゃないですか? メールを確認してみた方がいいかも」
「え~。まさか、そんなはずは……」

 とか言いつつ、不安になったのでケータイを辿ってみる。ご主人様から来たメールは全件保護してる。そして3日前のメールを見つけて開いてみた。

『今度の日曜、駅前西口集合な。いいか、西口だぞ。お前はしょっちゅう間違えるから、念のためメールを送っておく。これで間違えたら、ありえないような仕打ちがお前が待っているからな。いいな西口だぞ、西口。絶対間違えるんじゃないぞ西口。NI・SHI・GU・CHIだぜ!』

 わたしは、ケータイをぱたーんと閉じて、貧血予防の鉄分サプリを口の中にガバガバ放り込んだ。

「どうしました? 顔が真っ青ですよ?」
「え、え~と。待ち合わせの人もまだ来ないみたいだし、ちょっと西口あたりまでキノコダッシュでもしようかなって思いまして」
「あぁ、うん。それは健康的だね。気をつけて」

 わたしは、ほがらかに笑う車いすの人に、「では」と頭を下げる。
 ありえない仕打ちってなんだろう。期待半分、怖い半分だ。どっちにしろ早く行かなきゃ。ご主人様が来る前に。

「ねえ」

 わたしが顔を上げると、車いすの人が正面からわたしを見ていた。とても真っ直ぐできれいな瞳。わたしは一瞬で吸い込まれる。

「───君は今、幸せ?」

 心の中に何か飛び込んでくる。
 それはわたしだ。わたし自身がわたしの中に飛び込み、わたしの心を上から見ている。
 とても小さかった頃の光景だ。ロシアのお祖父ちゃんの家だ。すっかり忘れていた。とても懐かしい。そこで何かイヤなこともあった気がする。
 でも、忘れた。
 そして日本に来た。ここではイヤことだらけだった。自分が嫌いだった。満たされない気持ちでいっぱいだった。
 小学校、中学校。
 わたしにも友だちができた。彼氏もできた。でも何かこの光景には足りない。わたしにはそれが何かわからない。何が不安なのかもわからない。
 でも、今はそこを突き抜けて、とても広い空に出た。わたしの知らない光景だ。広い丘、広い空、そして一面のお花畑。わたしはそこを飛んでいる。
 怖いものはなくなった。不安も何もなくなった。とてもきれいなお花に満ちた世界の上を、わたしは羽ばたいている。
 それが今のわたしなんだ。

「……とっても幸せ」

 一瞬の旅を終えたわたしの口からは、自然にそんな言葉が出ていた。
 でも、素直な感想だ。
 わたしは鈍くさい子だから、ご主人様には毎日怒られるし、ご主人様を巡るライバルは可愛い子ばっかりだし、焦るし、失敗するし、がんばってるばっかりで、上手くいかないことの方が多い。
 でも、こんなわたしにもみんな優しくしてくれる。
 ご主人様だって、なんだかんだでわたしの心配して、イジメるふりして優しいの知ってるし、わたしが失敗しても、なぜか周りのライバルの人たちがフォローしてくれるし、みんな楽しいし、わたしはみんなが大好きだ。
 だって、みんな同じ人のことを好きになって、愛していただいてる仲間だもん。

「わたしは毎日、幸せですよ」

 今度は、自分の言葉で言った。
 車いすの人は、とても嬉しそうに目を細めた。

「そう。良かった」

 なんだか不思議だ。
 親戚のおじさんとか、お兄ちゃんに褒められた気分。変なの。わたしにお兄ちゃんなんていないのに。

「あ…」

 でも、こうしているヒマもない。もう行かなきゃ。時間はとっくに過ぎている。

「あぁ、行っておいで。君のご主人様によろしく」
「はい! それじゃ、失礼します!」

 わたしは車いすに人にもう一度ご挨拶して、西口に向かって走り出した。
 え、でも待てよ? わたし、ご主人様の話なんてしたっけ?

 振り向くと、いつの間にかさっきの女の人が、彼の横にいた。
 車いすの人はヘッドフォンを耳に当てて、眠っているように見える。
 女の人は、わたしの方を見て、深く頭を下げた。わたしもつられて、頭を下げた。
 そして、彼女は車いすを押して、どこかへ行ってしまう。
 わたしはその光景から、目を離せないでいた。
 なんだか、胸が締めつけられた。
 呼び止めたいような、でも、そんなことをしてはいけないような。
 わたしの目の前を忙しなく行き交う人混みに、2人の背中は消えていく。
 わたしは何故か、そこから動けずにいた。
 ケータイが鳴っている。
 彼らの消えた後ろ姿を見送りながら、わたしは受話のボタンを押す。

『リナーーーーーッ!!』
「ご、ごめんなさ~いッ! 忘れてました!」

 こんなことしてる場合じゃなかった。
 ご主人様に謝りながら、わたしはわたしを待っててくれてる、みんなのもとへと急ぐ。
 電話口のご主人様も、あきれたって言って笑ってる。

 今日も、良い日だといいな。

< 終わり >

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