Bloody heart 五.一話

五.一話

「さて、どうしたものやら」
 大和の主砲で消し飛んだ裏山を見ながら、俺は途方にくれていた。
 いや、まいった。マジで。いろんな意味で。
 だって……大和だぞ? 戦艦大和だぞ?
 小学生くらいのガキの頃、御先祖様(ひいじーさん)が乗って沖縄に特攻しに行ったとかいう話を親父に聞かされて、無邪気に『世界最強の船』とかファンタジー抱いて、ガキには分不相応なハイグレード仕様のプラモを誕生日にねだって買ってもらった挙句、部品(主に小さい砲塔)の数のあまりの多さと細かさに放り投げた末、つい最近作りかけが押し入れから出てきてやっと完成させた、例のお船ですよ!?
 それがビッグサイトのご近所で主砲ぶっ放してりゃ、ビビリの一つ二つは入るってもんである。
「えーと、栄子さん。一応、念のために訊きますが、アレは……昨日の娘さんの仕業で間違いないので?」
「ええ~。あの子ったら~『あの人』が決めた~休戦協定も何もかも破棄して~、本気で~魔界征服するつもりらしいわね~。多分~アレ使って~『こっち側』を~征服しつつ~貴方の力も奪って~その戦力を束ねて~攻め込もうとか~考えてるんだと~思う」
「大和一隻でですか? 流石にそれは」
 確かに世界最強の戦艦ではあるだろう。が、結局は五〇年前の旧式、しかもポンコツである。何ぼなんでも無理じゃなかろうか。
「ん~私たち~『海魔』が~支配する船を~沈めるのは~並大抵じゃ~無理だわよ~。今~あの子が~支配している~『大和』は~あの子自身の~魔力で~維持されている~言わば『船のゾンビ』も~同然の代物なの~。
 あの子自身が~支配を解くか~外から~強烈な『魔』の力を~叩き込んで~無理矢理解除させるか~どちらにせよ~物理手段『だけ』じゃ~倒すのは~至難ね~」
「『至難』って事は不可能じゃない、と?」
「あの規模の船が~どの程度頑丈かは~流石に操った事が無いから~正確には分からないけど~核換算で弾数二桁~事によると~三桁かしらぁ~?」
「それ、地球が先に割れますよ」
「それに~『魔』の力だけ叩き込んでも~あの戦艦の巨体と装甲そのものが~物理的な鎧として機能するから~ある程度以上は~単純な物理破壊力が無いと~ダメねぇ~」
「つまり……人間にはアレ何とかする手段は」
「無いわね~世界もろとも~刺し違えるんじゃない限り~」
 論外な結論が出やがった。
 どうやら、このまま布団ひっかぶって、安息の地マーグメルドでオネムの時間、とはいかないようである。
 つまり……今、現時点で俺が知る限り、直接的にアレを何とかできるのは、この場に居る俺と佐奈と栄子さん……と、もしかしたらセラが使い物になるかならないか……ん?
「……あいつはどうなんだろ。赤井美佐」
「赤井美佐~? 誰~それ?」
「え? えーと、『覇王』の遺産管理人とか名乗ってる女……」
 次の瞬間。
「……あの女か」
 ……なんかまた怖い目になりましたよ、栄子さん。
「どうかしら~。確かに~あの女は~味方にすれば~使えない事は無いけど~」
「酷い言い草ね、メアリー。そんなだから娘の教育に失敗するんじゃない?」
 何時の間に現れたのだろう。気がつくと……その場に赤井美佐が居た。
「あら~こんにちは~ミレディ」
「こんにちは。相変わらずの猫かぶりね」
「まあ~猫かぶりでは~貴方に言われたくは~無いわ~」
「まさか。『最凶』の女海賊が、パートのオバサンやってるなんて、冗談もいいところよ。一体、何個師団の猫を動員したか、是非お聞かせ願いたいわ」
「それも~貴方にだけは~言われたくないわね~。というか~なんで貴方が~あの人の~側室になれたのか~疑問だわ~」
「それはお互い様でしょ。少なくとも、あんたに私の経歴をとやかく言う資格は無いわ」
「あら~私の立場は~全部実力で~もぎ取ったものよ~」
「そうね、私たち側室の立場も全員無視して無理矢理ね」
 突発的に発生する、同属嫌悪と思しき、舌鋒の自由射撃地帯(フリーファイヤゾーン)。
 その言語弾幕に暫しドン引きしつつも、俺は意を決して割り込む。
「……あのー、同窓会はそれくらいにしておかないと」
 ドッガァァァァァン!!
 一度吹き飛んだ裏山の跡地。その『同じ場所に正確に』砲弾が叩き込まれ、今度こそカンペキに更地に化けた。
「……向こうさん、イラついてるみたいだけど」
『……………』
 双方の言葉の弾幕が一発の砲弾の前に沈黙した。

 ちょっと気になって部屋にとって返すと、東京都の地図を広げた。
 大雑把な計算&うろ覚えのデータだが、確か大和の主砲の最大射程が42キロ。だがあくまで最大射程は最大射程。それが狙って当てられる有効射程の範囲となると30キロ前後……だったと思った。
 で、改めてウチのあたりから海ほたるまで定規で線を引いてみると、大雑把な計算で40キロ以上あった。
 すごいなー。
 一応、都内とはいえ裏山あるよーな田舎入った住宅地で、電車で都心部出るのに乗り継ぎ重ねなきゃいけない場所なのに。それが東京湾からドカンとイッパツで届いちゃうんだ。
 東京が狭いのか、大和がスゴイのか、ナタリアが凄いのか、それとも全部なのかは知らないが、なるほど、昔の偉い軍人の人たちが大艦巨砲ドリーム見ちゃったとしても、こりゃ不思議じゃない。
 それはともかく。
「……完っ全に使いこなしてるというか、乗りこなしてるね、コレ」
 そもそも、東京湾のど真ん中という時点で、首都圏全部人質に取られたも同然。少なくとも東京23区は完全に射程内だ。
 しかも、彼女が乗ってる大和の主砲のスペックがそのままだったとして、射程ギリギリの範囲に、殆ど誤差なく着弾を集中させられるという時点で、最早勝負にならない。
 つまり……
「警告の砲撃、ってワケか。いつでもお前の家を吹き飛ばせるぞーっていう」
「舐められたものね、私たちも」
 佐奈が憮然とした表情で立ち上がり……
「ちょい待て、どこに行く気だ?」
 ベランダから淫魔姿で飛び立とうとするのを、引き止める。
「決まってるでしょ。あのポンコツ船、沈めてくる」
「我が家のご近所全部、火の海にしてか?」
「セイくん。ここで舐められたら、多分、あとはズルズル悪くなるだけだと思うんだけど?」
「それをいうなら、俺と栄子さんの見積もりが甘かったんだよ。まさか、戦艦大和のゾンビを東京湾に持ち込むなんて、誰が想像するよ?」
 少なくとも、俺は考えも及ばなかったし、栄子さんだって想像外だったろう。
「まあ、あれだ、うん。舐めてたよ、いろいろと」
 実際の話、ヴァンパイアにとって水は鬼門である。
 いちおう気になったので、どの程度水に拒絶される体になってしまったのか実験はしてみたのだが、プールやご近所の用水路程度はともかく、海は流石に無理だった。
 つまり……ナタリアの船に乗った時点で、俺は監獄の囚人も同然、という話だ。
 仮に中で暴れたとしても、100%おぼれて死んでしまう。
「で、どうする気よ?」
「んー、まあ……正味な話……あいつの目的は『覇王の力の略奪』が目的なわけだ? というか、東京丸ごと火の海にしたところで、あいつの『海賊』って性質上メリットは無いと思うんだよ」
 そう、海賊の仕事は略奪であり、究極的に金儲けだ。
 破壊そのものが目的ではなく、あくまで利益を上げるための暴力という点ではヤクザやマフィアと一緒。もし、純然たる破壊や殺人が目当てならば、こんなまだるっこしい交渉なんてありえない。
「とりあえず……今、打てる手は一つだと思う」

「もしもし?」
『もしもし? 話は決まった?』
「ああ。おまえの船に乗ろう。ただし、俺の住んでる町……いや、国に手を出さない。それでいいか?」
『ん、オッケー♪ じゃ、とりあえず東京湾まで来てね。急がないと、ご近所に更地が増えるわよ』
 がちゃり。
「……とりあえずの時間稼ぎと引き離しは出来そうですね」
「ごめんなさいね~大家さん。うちの馬鹿娘が」
「ま、これが終ったらルルイエより深く反省してもらいましょうか」
 ため息をついて、天を仰ぐ。
 まったくもって、どうにもならない状況だが、それでもまあ……栄子さんが『日本から引き離して、時間を稼げればなんとか』と言ってくれた。ならまあ……なんとかなるだろう。
 同じスーパーの従業員として働いている仲で分かったのだが、おっとりした物腰と口調とは裏腹に彼女は有限実行タイプだ。『なんとかなる』と彼女が言うのなら、それは本当になんとかなるのである。
「ああ、そうだ。セラ、頼みがある」
 ふと、気になった事を口にした。
「はい、なんでしょう」
「人間のハンター関係や、諸機関に連絡をつけられるか?」
「はい、ですが、あの規模のダークストーカー相手となると人間では」
「そうじゃなくて後始末の事さ。彼らの協力を仰げるかどうかを知りたい。連中だって、まさか人外魔境の喧嘩を表沙汰にはしたくないだろうしな」
「なるほど。分かりました」
 うなずくセラ。
 と、その時、佐奈が真剣な目で、俺を見ていた。
「セイくん。あのさ……この町を見捨てて、どっか行くってどうかな? あんな奴、相手にしないでさ。私はセイくんさえ居れば……」
「佐奈。駄目だよ」
 頭を撫で、抱きしめた。
「ここは、俺の家で、俺の町で……ああ、まあ、ダークストーカー風に言うなら『俺の領土』ってワケだ。まあ、なんだ……そういうわけで約束する。必ず生きて帰るから」
「……私は、大人しくなんて待ってないよ?」
「……そうか」
 キスを一つ。それで、覚悟を決める。
 詰まる所……オレでは彼女を幸せに出来ないらしい。なら、分かれたほうが賢明だ。
「なら、好きにしろ」
「うん、好きにする」
 その思いだけを胸に。俺は家に背を向けて歩き出し……と、
「大家さん~、ちょっと待って~」
 バタバタと、栄子さんが何かの箱を持って、俺に手渡した。

「遅い!」
 東京湾にある、数ある埠頭の一つに、俺がたどり着いた時には、たっぷり2時間近くかかっていた。
「悪い。ヘンピな場所に住んでるもんでな。電車で来るのに手間取った」
「……ま、いいわ。『船』まで案内するわ」
 一艘の小型ボートに乗せられ、波間を行く。程なく、戦艦そのものを包む濃霧の中へとやってきた。
 周囲には船の気配はあるのだが、その姿が見えない。みんな霧の彼方、亡羊と霞んでいる。
「愚かね。許可もなく、私の船に接舷しようだなんて」
 まるで、東京湾がサルガッソーか何かと化したようだ。妙な事故とか起きてなければいいのだが。
「ああ、そうだ。船に乗る前に、ちょっと着替えていいか?」
「どうぞ」
 栄子さんが持ってきた箱を開ける。
 中に入っていたのは……裏地が真っ赤な黒いマント。兄貴が着ていたという、覇王の装束だった。
 それはいい。多分、あの兄貴が着たのならば、衣装さえ合わせれば重厚かつノーブルな貫禄が出た事だろう。
 だが、俺みたいな若造には重々しすぎるっつーか……Gパントレーナー姿に、裏地が赤の黒マントは無いだろう!?
 そう言って断ったのだが……
『せめて、コレ着けないとダメ』
 と、栄子さんに言い切られてしまった。
 曰く……なんでも、日光やその他、持ち主を害する要素への防御結界的な服なのだとか。
 で、その場で『着た姿を見たい』と赤井美佐と栄子ママに着替えさせられそうになり……流石に、その格好で電車に乗るのだけはカンベンってな事で、こっちで着ると約束してしまったのだ。
 無論この衣装は、この事件が終わりさえしたらタンスの奥深くに封印するつもりである。
「……っ! あんた……それがどういうマントか、分かっているの?」
「知らん。俺からすりゃ兄貴の遺品としか言いようが無い」
 にやり、と精一杯、嫌味ったらしく笑ってやりながら、
「っていうか、自らが王になって国を興そうなんてフカす割には、たかが『服ごとき』に拘るのか? みみっちぃ奴だな。
 ……ああ、まあ、親父が『あの人』じゃあ、そりゃあコンプレックスも抱くか。女の子の理想像は父親ってのは定番だしな」
「貴様っ!!」
 首筋に当てられるカトラス。
 だが、俺はそれを摘んで、ぐいっと押しのける。
「俺がクタバったらくれてやってもいいが。まあ……その前に、まず『話し合う』事が必要なんじゃないのか? お互いに」
「今すぐあんたを殺してやりたい気分だが、確かにそれは後だな」
 海上保安庁……いや、うっかりすると、海上自衛隊が動いても、不思議じゃないこの状況である。
 これ以上大事になる前に、どっか適当な洋上でケリをつけねばなるまい……既にワリと手遅れな気もするが、これ以上手遅れになっては困るし、後のことは後で考える以外、今の時点では方法が無い。
 やがて……霧のヴェールを抜けて現れた雄姿に、俺は改めて絶句してしまう。
 デカい。
 いや、本当に。とてつもなくデカかった。
 鋼の巨体は、実用性の是非を問う前に、それだけで説得力を持ってしまう。
 その姿に見とれていた俺は、船の上まで続く階段が降ろされた事に、気がつけなかった。
「ようこそ、私の大和へ。歓迎するわよ、二代目」
 何時の間にかステップの上に登ったナタリアの差し出した手を掴むと、俺は階段に足を乗せた。

 大和の中では、何人かの兵員が動いて……というか、蠢いていた。多くは、旧海軍の服を着たガイコツだったが、何人(?)かはバンダナを締めてカトラスを持った異形の魔物の姿も垣間見える。
「殆どは現地採用の『元』乗組員なんだけどね。何人かは魔界から直接連れてきてるわ」
 以外な事に、海賊と名乗るからにはもっと荒々しく奔放な連中かと思いきや、全員がキビキビと動いて統率が取れている。
「なんか、海賊と言うからには、もっと荒っぽい連中だと思ってた」
「まあ、陸の人間は、海賊に偏見抱いてるからしょうがないけど……そもそも、一個の船に乗って海を行くって事がどれほどの難事か分かってないから、しょうがないか。
 船の中ってのはね、それだけで一個の世界なのよ。だからこそ、掟は厳然と存在しているし、下手な軍隊なんかより余程厳しいんだから」
「なるほど」
 見た目からダークストーカーの年齢は測れないが、それでも然程年齢を積んだとは思えぬ容姿のナタリアが、海賊の長として君臨するというのは、先代から継いだという事はあるにせよ、それ相応の敬意が払われているという事か。
 一応……曲がりなりにも家を継いだオレとしては見習うべき点は多そうである。
「それにしても、この船はいい船だわ。冷暖房完備、広い居住スペース、大型の食料備蓄倉庫、そして何より……」
 にっこりと微笑みながら、小さな部屋に入っていった。
 そして……
「この船が最高たる要素のひとつ! こんな美味しいアイスクリームが食べ放題だって事よ♪」
 二枚のウサギ柄のファンシーなお皿に山盛りにされた、バニラとチョコレートのアイスクリームを、至福の表情で眺めるナタリア。
「個人的見解としては、主砲ひとつ使えなくなったとしても、この部屋は死守すべきね。この船における最重要区画だわ。
 あとあと、ラムネも飲みほうだいなのよねー。甘いもの好きな女の子の気持ちを分かってるって言うか。この船引っ張り上げてぶん取った甲斐があったってものよ♪」
 なんというか……キラキラした目でアイスクリームをパクつくナタリアを前に、俺はどうツッコんでいいか分からず
「……世界一、火力が充実したアイスクリーム屋さんだな」
 と、つぶやいた。。
「君の分もちゃんとあるわよ?」
「……頂戴しよう」
 実際、ラムネとアイスは美味かった。

「で……こっちの条件は飲んでくれたんだろうな?」
「勿論。海賊は法を守る事はしないけど、約束を違える事は無いわ。外を見てごらんなさい」
 ナタリア個人の部屋でもある船長室の窓から外を見ると、既に一八〇度、水平線が広がっていた。
「……まあ、なら良かった。あとは俺がここから逃げて帰るだけだな」
「あら、帰れるつもりで居たの?」
「当然だろ?」
 出来る、出来ないは問題ではない。とりあえず、やる。その決意だけはあった。
 問題は……その方法がどうあっても見出せない事だ。
「……んー、まあ、このまま素直に帰る分には、正直かまわないかな。そしたら私は私で勝手にやるし」
「以外だな。何を考えている?」
 拍子抜けな回答に、オレは疑問をぶつけた。
「だって、ブッチャケた話、あんな島国落とすのに、わざわざ砲弾打ち込んで暴れまわる必要も無いしね。まあ、軽い威嚇よ威嚇♪」
 そう言うと、世界地図を持ってきたナタリアは机に広げると指を刺していく。
「まずは、ここを陥落(おと)して拠点にして、そこから南へ。東南アジアっていうのかな、このへんの国を、大体こんな順番で片っ端から落としていって、特にこのマラッカ海峡だっけ? この海峡を押さえれば、あのチンケな島国はあっという間に孤立するわ。
 そうすれば勝手に向こうからゴメンナサイして海軍差し出してくれるわよ♪」
 ナタリアが指差したのは、東南アジアの南シナ海。
 現在でもホンモノの海賊が、RPGとAKで暴れまわってる一帯だった。
「……………………………………………OK、つまり、オレはここで意地でもあんたを止めなきゃならんわけだ?」
 確かに、日本から南に繋がるシーレーン全部押さえられたら、そりゃ早晩に干上がってしまうだろう。
「まあ、あんたがあのチンケな島のチンケな町に固執すんなら、そうなるでしょうね」
「……チンケ、ねぇ」
 先ほどから住んでる町を小ばかにされて、むっ、とする俺に対して、ナタリアは自信満々に言い切る。
「いい、見なさい」
 そう言って、広げた地図は、世界地図よりなお大きかった。
「これがね、魔界の世界図。ただし、未完成の、ね」
「……未完成?」
「そうよ。まだ誰も、この世界の果てを確認した者は居ないわ。
 この地球のように、球に閉じているのか、それとも大昔の学者が主張したように、虚無の果てに落ちているのか、それはまだ誰にも分からない。
 誰も行ったことの無い、誰も達した事の無い場所。
 私は、そこに行きたい。
 行って、世界がどうなっているのか、どんな答えが待っているのか、私はそれが知りたい」
 ナタリアが笑う。
 その笑顔は、なんとも稚気と、そしてそれを上回る獰猛さに溢れた笑顔だった。
「そのためにも、まずこの地図の世界を征服する必要がある。
 パパの力を手に入れて、今、分かってる世界を平らげて、そこを足がかりに果てを目指す。
 それが、『笑う鮫』海賊団の三十八代目、ナタリア・M・アルバトロスの夢よ!」
 そこで、俺を指差して、ナタリアは問いかけてくる。
「さあ、答えなさい二代目! 貴方に、私以上の理想があるの!?
 あんな小さな町ひとつに拘泥するだけの何があるというの?」
 即答は……出来なかった。
 いや、それどころか正直……俺もナタリアの夢に期待したくなったのだ。
 きっと、多分……大航海時代の船乗り連中は、コロンブスにしろマゼランにしろ、こんなノリの連中ばっかだったんじゃなかろうか?
 でっかい獲物が目当ての大悪党。金持ち貴族を浪漫というペテンにかけて、金かき集めて博打に出て、その賭けの勝者が歴史に名を刻んだのだろう。
「……すごいな、お前」
 言葉に詰まり、それしか言えない。
「あったりまえよ♪ ……ああ、そうそう」
 ふふん、と鼻を鳴らすと、思わせぶりに問いかけてくる。
「一人、水夫を欲しがってる船があるんだ。話を聞いてみる気、無いかな?」
 露骨な懐柔の誘いに、俺は不覚にも『それもありかな』とは思ってしまった。が……
「……惜しいな」
「ん?」
 脳裏をよぎるのは、あの淫夜の記憶。学校の保健室で佐奈が見せたあの顔だった。
「あと少し早かったら、お前の夢に乗るのも、悪くはなかったんだがなぁ」
 頭を掻きながら、苦い笑顔を浮かべた。
「前も話しただろう? 惚れた女が俺には居る。だから、お前の船には乗れないし、勝手者だから待たせるわけにもいかん。
 ……あー、いや、お前みたいな大それた野望なんかとは比にはならんが……まあ、それも俺にとっては見果てぬ夢、って奴でな」
「世界征服と女ひとりを等価で語る気? 抱きたいだけなら女なんて港に行けばゴロゴロと……」
「ナタリア・M・アルバトロス。
 お前さんはお前さん一人しか存在しないだろう? 俺にとって、飯塚佐奈も一人しか存在していない。世界も一個しかない。まあ……つまりは、そういう事だ。悪いな」
 我ながら、不器用な笑顔だとは思うが……まあ、それでも何とか返せたとは思う。
「そう、か……それなら、しょうがない、略奪するしか無い、か」
「そう、仕方ない。ってわけで……」
 そう、戦う覚悟を決めた……次の瞬間だった。
「!?」
 予想もしない無防備な素顔が、間近に迫っていた。
「あたしを誰だと思ってる……『笑う鮫』の三十八代目、ナタリア・M・アルバトロス様だぞ」
 しなだれるように服を脱ぎ始めるナタリアに、俺は絶句する。
「お、おい!」
「言っただろう? お前を略奪する、って……その、飯塚佐奈ってやつから、さ」
「ちょ、ちょっと待て! お前、何を勘違いしている!」
「間違いなんか何もないさ。私は、私の夢のために、お前を手に入れる……そう、それだけだ」
 そのまま、近寄ってくるナタリアを……俺は、肩をつかんで強引に押し戻した。
「どうした、何が気に入らない? 私じゃ不足か?」
 無防備な裸のまま、それでも不敵な笑顔を崩さない姿に……俺は、
「……気にいらねぇ」
「あ?」
「ナタリア。お前は俺がほしいんじゃなくて、俺に宿ったお前の親父さんの力が欲しいだけだろ?」
「当然だろ。雑魚に用はない。そして私は、夢のためなら何だってやってやるさ」
「処女を見知らぬ男に捧げても、か?」
 処女血の臭い、そして……隠せぬ震えが、俺の言葉を証明していた。
「だから、どうしたってんだ? 私が膜の一枚二枚、今更惜しむような生き方して来たとでも思ってるのか?」
「だとしたら……悪いが、なお更、抱く気はおきねぇよ。お前が受け入れるべき相手は俺じゃない。別の誰か、だ」
 肩のマントを外し、体にかけてやる。
「っ……馬鹿にしてんのかテメェ! 私に恥ぃかかせる気かコラァ!!」
 その行為が、カンに障ったのだろう。かけられたマントを叩きつけるナタリア。
「今、ここでお前を抱いたら、俺の恥だよ。俺はそいつに負い目背負って生きなきゃならん」
「……テメェ……」
 その視線だけで人が殺せそうなほどの憎悪。
「生きて、帰れると思うんじゃねぇぞ」
 と、その時だった。

 ゴォン!!!
 船体を震わせる轟音が、響く。
「っ! 何事だ!」
 つっかけるように脱いだ服を着たナタリアだが、その姿は以外にもバシッと決まっていた。
 俺自身も何が起こったのか分からないため、思わず、その後ろを追いかけてしまう。
「七時の方角、高速の飛行体が発砲……この威力と魔力から、明らかにこっち側の世界のものではありません!」
「全機銃座、対空砲火用意! 第一、第二、第三主砲塔、三式弾装填、信管、VT!」
「アイ、マム!」
 慌しく走り回る海賊たちを艦橋で指揮しながら、ナタリアが叫ぶ。
「目標、さらに加速! 対空機銃、捕捉出来ません!」
「弾幕を張れ! 近づけるな! ……くっ……何なんだいったい!」
 と、そこで、俺をにらむ。
「あんたの救出部隊か?」
「知らん。まあ、ここはお手並み拝見だ」
 何しろ、海の上では、ヴァンパイアの俺は、まな板の上の鯉同然である。
「ちっ……上等! 全主砲九時方向へ! 左舷の弾幕を薄くして誘い出せ! 三式弾の一斉射撃で仕留める!」
『アイ、マム!』
「標的、まもなく視認距離に……なんだ、あれは!?」
 白々と軌跡を残す高速で飛行する物体、それは……
「さ、佐奈ぁ?」
 蒼穹を染め抜く黒い翼を背に、何故か手には、無骨な二つの銃身が縦に連なったレバーアクション式ライフルと思しきものを、両手で抱え込んだ飯塚佐奈だった。
「あ、あの馬鹿、何しに!」
 と、思い出す。

『……私は、大人しくなんて待ってないよ?』

 そうか……そりゃそうだ。アイツは、そんなタマじゃなかったな、確かに。
「敵、第二射、来ます!」
 佐奈の抱えたライフルの上の銃身から、一抱えもある太さの、強烈な閃光がほとばしる。
 轟音、振動。
「っ! 被害状況知らせ!」
「第三砲塔被弾! 砲撃に支障ありません!」
 だが……ナタリアの大和は、こたえた様子も無かった。
「はっ……一騎駆けの度胸は認めてやるが、あたしの大和に喧嘩売るのは百年早い! 第一、第二、第三、全砲門開け!」
「お、おい、ちょっと待て! ナタリア!」
 回避機動を取りながら、それでもビームライフル(?)の閃光を放ち続ける佐奈。だが、その飛行ルートは……
「やめろ、おい、ナタリア、やめてくれ! 佐奈、逃げろー!!」
「てぇーっ!!!」
 刹那、巨大な花火の如き業火が、あたり一帯の空間ごと、高速で飛びまわる佐奈の影を飲み込んだ。
 三式弾……広範囲に広がる榴霰弾。それが3×3=9発。しかも46センチ砲のソレだ。逃げ場など……あろうハズも無かった。
「はっ、他愛ない!」
「……貴っ様あぁぁぁぁぁ!」
 ナタリアの胸倉をつかむ。
「あたしを殺すか? それも構わんが……ヴァンパイアが船も何もなしに、外洋を渡れるとおもうか?」
「っ……!」
 と……
「敵、低空飛行で撤退していきます。追いますか?」
「無理無理、高速飛行型の相手だろ? それに、三式弾の弾幕に巻き込まれて高度取れる体力があろうはずもない。どっかでおっ死ぬさ」
「……すぐに救助を出せ……」
「ん? ……ああー、あいつがアンタが言ってた女か!
 そりゃご愁傷様。でも、まあ、単騎とはいえ喧嘩しかけてきたのはあっちで……」
 ゴッ!!
 気がつくと……俺は、ナタリアをぶん殴っていた。
「あ……」
 自分で『間の抜けた声を出してるなー』と客観視するくらい、妙に冷静なのが自分自身で意外だったりするが。
 ……参ったな……女に手を上げちゃったよ。俺……
「テメェ……この場所で、私に手を上げるって事が、どういう意味を持つか分かってるのか?」
「あー、んー、まあ……大体の所は」
 この場所は、先ほどのようなナタリア個人の私室ではない。
 船長にして、一軍の指揮官としてのナタリア・M・アルバトロスを、その彼女の部下が大勢いる前でぶん殴っちまったのだ。そりゃ収まりがつこうハズも無い。
 緊張に張り詰める空気。今にも海賊たちに総がかりでフクロにされそうな状況。
 だが……
「うん、マジで本当に悪いとは思ってる。でも、俺はあの女には真剣なんだ」
 それでも、これだけは言っておかねばならなかった。
「ほう。つまり、お前はあくまで私の前に……ナタリア・M・アルバトロスの夢に、立ちはだかろうってのか?」
「別に好きこのんでお前さんの夢の邪魔するつもりは無いが……お前が俺に喧嘩売ってきたんだろうが!!」
 俺の一喝にも動じることなく、彼女は不敵に笑い……
「上等だ。表出ろ!!」

「こういうのを……本当の『ショウダウン』って言うんだろうな」
 大和の船首部分。大きな反りのついた甲板の上で、俺とナタリアは対峙していた。いや、正確には、ナタリアと『その配下全員』と言うべきか?
「最後に聞くぞ。そのクソ舐めた口から出た言葉を取り消す気は?」
 禍々しい、血の色に染まった二本のカトラスを抜き放つと、突きつけて問いかけるナタリア。
「味噌汁で顔洗って出直せ。タコ女」
 拳を緩く握って構える。
「だと思ったよ……殺せ」
 とりあえず、襲い掛かってきた奴、鉄拳の届く範囲を軸に全て叩き落す。
 徒手空拳、しかも傾斜した船上という不安定な足場、だが……
(ヒュゥ……こりゃ遠藤の奴に感謝だな)
 内股気味な足運びで、海賊たちのカトラスや銃弾の一撃を、魔力を込めた両腕のみで裁いていく俺を、海賊たちの群れは攻めあぐねていた。
 それを支えているのは、俗に、空手で言う所の三戦(サンチン)という構えと足運び。空手屋の友人である遠藤に、電車の中での喧嘩につかえる、と教わったのだが……実際のところ、効果は絶大だった。
 転ばず、倒れず、不安定な場所で安定して上半身の技を振るえるというのは、こーいう場所では相当なアドバンテージだ。そこから、すり足の技法で上体を残しつつ一気に捻ってかわす、最小限の足裁きを加えて、海賊の群れを裁いていく。
 横打 、外打 、斜打 、揚打。
 振るう拳は全て必殺。圧縮された覇王の魔力が篭った拳でもって、ぶん殴られたりバラ手でハタかれたりしたら、そりゃ並の魔物はたまったものではない。
「ちっ……退け! あたしがやる!」
 手下の惨状に業を煮やしたか、ナタリアがカトラスを抜いてかかってきた。
「貴様……その船での足運び、誰に習った?」
「場所によっちゃ普通におしえてる……よっ!!」
 両腕を前に出して、カトラス二刀流の猛攻を裁く。リーチは武器のぶんナタリアが上だが、単純な破壊力はこちらが上。なら……
「せいっ……」
 交差した手の甲で、一刀を挟み……
「馬鹿が、貰ったぁっ!! 」
 案の定、もう一刀で胴を凪ぐように振るってくるナタリア。だが……
「っやああああああああっ!!」
 ガキィィィィィィ、と。強烈な音を残して、両手の甲で捕らえた一刀を『挟み折って』砕くと、そのまま、なぎ払いに来たもう一刀を右手ではたいて防ぐ!
「っ!!?」
 絶句するナタリア。だが、既に遅い。
「どっ……」
 防御の動作は、そのまま攻撃の準備。残った左拳は、あくまで猫手で緩く握られながらも……
「せぇぇぇぇえい!!」
 スライドレールを滑るように、慣れ親しみ、練磨を繰り返した軌道を一直線に疾(はし)り……ナタリアの胸に達した瞬間に完全に拳が固められて激突!!
 ズッドォン!!!
 我ながら、46センチ砲の発砲音にも勝るとも劣らない、強烈な打撃音と共に、ナタリアの胸に縦拳が刻まれる。
「……良し!!」
 文字通り、会心の一撃だ。立てる道理もあろうハズが無かった。が、
「……っ、き、効いたぞ、チクショウ!」
 吹き飛びながらも、ナタリアは立っていた。
 もっとも……
「どうした、かかってこい!」
「……」
 威勢とは裏腹に、立っているだけで精一杯なのは、誰の目にも明らかだった。
 だから……
「疲れた」
 俺は、その場で背を向けて、艦首部分に腰を下ろした。
「面倒だ。ここまで来いよ」
「て、ん、め、ぇ……」
 よたつきながらも、俺に向かってくるナタリアの闘志と殺意を、背中で受け流す。
「ブッ殺スぞ、こらぁ……」
「いい闘志だ、嫌いじゃないぞ。そういう奴は」
 倒れこみながら突き出してくるカトラスを、見るまでも無く上体だけで避けながら、俺はナタリアの首筋に手刀を落として、意識を刈り取った。

「……さて、どうしたものか」
 日が落ちて、夜になった。
 結局、艦首部分を占領したはいいが、実際問題、どうしていいものか途方に暮れていた。
 海の上で逃げ場が無いし、かといってナタリア殺したら船は沈没してしまうし……何より後味が悪い。それに、逃げ出せたとしても、この馬鹿娘は、さっき話した海上封鎖を本気でやるだろう。
「結局、栄子さん待ち、か。しかし、佐奈の奴……」
 『待つ気は無い』といった言葉の意味が、ああいう意味だったとは……無事だといいのだが。
 ちなみに、あぐらをかいた俺のひざの上には、シッシッと追い払ったほかの海賊達がチラチラと心配そうにこっちを見ているのも知らず、幸せそうな寝顔を浮かべているナタリアがいたりする。
「しまいにゃ取って喰っちまうぞ、まったく……しかし、冷えてきたな……」
 南の海とはいえ、夜は確かに冷える。
「おお、そうだ。おい、そこの人」
 ビクッとなった、物陰で見てる海賊の一人を呼び出す。
「取って食いやしないよ。ちょっと船長室に俺が持ってきたマントが転がってるハズだ。持ってきてくれると嬉しいんだが」
「へ、あ、へ、へい!」
 暫くして、例の兄貴の遺産……覇王のマントが持ってこられる。
「あ、あの……」
「すまないな。手間をかける。なに、お前の親分を取って食ったりはしないさ」
「……へ、へい」
 そのまま、下がっていくが……やっぱり物陰からチラチラ様子を伺われてしまう。
 ま、いいか。
 布団代わりに、寝ているナタリアにマントをかけてやる。と……
「……パパ」
 一瞬の既視感。
 年相応の寝顔でマントに包まったナタリアの寝言に、不覚にも心臓が止まりそうになる。
 ……そうか。これは、多分『あの人』の記憶なのだろう。だとしたら、ナタリアは『あの人』に愛されてたんじゃなかろうか?
 その衝動のまま、俺はナタリアの頭を撫でた。
「……俺も眠くなってきたな」
 で、緊張感も無く、そのままウトウトとしだして……

 日の光と同時に、首筋にカトラスの冷たい感触を感じて、俺は目が覚めた。
 ……あー、やっぱこうなるよなぁ。
「……おはよう、わがまま娘。よく寝れたか?」
「ええ、とっても寝心地が良かったわ」
 氷のように凍てついた声が、ふんじばられた俺の後ろから聞こえてくる。
「そら良かった。なに、なかなかかわいい寝顔だったぞ」
「つまらない辞世の句ね。もっと気の利いたことを喋りなさいよ」
 さて、そう言われても、すぐに出てこない。
 暫し、黙考の末、
「……悪い、佐奈。帰れそうにない」
「そう、そういうのが聞きたかったの。じゃあね」
 もしかしたら先で待ってるのかな、とか思いつつ覚悟を決める。と……
「て、てっ……敵襲ーっ!! 敵、航空機の襲撃です!」
 完全に泡を食った部下からの報告に、振り下ろされる刃が止まった。
「っ!? こんな時に、規模は!?」
「そ、それが……わ、分かりません! 沢山としか言い様が! 12時の方角です!」
「あ!?」
 目を向けると、何か雲霞のような雲が起こっていた。
 ……雲? 違う、あれは……
 と、
『おはよう~ナータ♪ 元気だった~?』
 一機のプロペラ機……というより『幽霊飛行機』から、聞こえる声は……
「ま、ママ!?」
『ナータ♪ 貴方のせいで~ママはぁ~頭を下げたくも無い人に~頭を下げて~本っ当に~大恥じをかきました~♪』
 確か、ナタリアや栄子さんのような『海魔』の支配する船は、沈没した船に限定されていたハズ。
 だとするならば……まさか!
『そういうわけで~今から~お仕置きね~』
 そのまま、踵を返して飛び去っていくプロペラ機。
「おい、ナタリア。とりあえず逃げたほうが……ああ手遅れか、どっちにしろ」
 これから始まる、豪快極まりない『お仕置き』の内容を察した俺は、戦慄し、恐怖した。……っていうか、栄子さん。俺が乗ってるって分かっててやる気ですか?
「なんだ、おい。何だって言うんだ?」
「いや、栄子さんってやっぱり怒らせると怖いなぁ、って……」
 もう肉眼で確認できる。
 目の前には、航空機の群れ。それも全部『空母から発艦したと思しき』航空機の群れだった。
「多分……ミッドウェーで沈んだ南雲機動部隊とか、未完のまま沈んだ信濃とか、あのへん、全部まとめて引っ張りあげてきたな」
 でなけりゃ説明のつかない『物量』だった。
「っ……!! 上等! 対空防御用意、全主砲、三式弾! 信管! VT! 確固照準で片っ端から撃ち落せーっ!!」
「あっ、アイ、マム!!!」

 それはもう、一方的な虐待に近かった。いや、真実、そうには違いない。
 艦爆と魚雷の情け容赦ないフルボッコに、耳を覆いたくなる悲痛な報告ばかりが艦橋に上がってくる。
「第十二、十五機銃座沈黙!」 
「火災発生、第一、第二区画まで延焼中。隔壁を閉鎖してください! お元気で!」
「第三砲塔大破! もう使い物になりません!」
 まさに恐怖の『お仕置き』である。
 だが、もっと恐ろしい事は、こんだけの猛爆を食らいまくってなお……
「怯むな! 進め! 敵は空母だ! 砲撃の間合いまで近づけば、勝機はある!」
 大和は沈まなかった。
 そして、ナタリアも顔に、あの獰猛な笑みを貼り付けたままだった。
 余談だが、大和……というか、大和級戦艦は、全長や排水量等の、いわゆるスペック上の数字のみならず、もう一つの世界記録を持っている。
 通常型の爆弾10発、魚雷20発以上。正確な数字は不明だが、これは、同型艦の武蔵が沈没するまでの被弾数であり、この記録は21世紀の今日に至るまで破られていない。普通の船なら10回は沈んでもおかしくはない猛爆に晒されてなお、武蔵は浮き続け、それどころか微速ながら前進までしてのけてたというのだから、その耐久力たるや尋常ではない(ちなみに、大和が沈められた時は、一点集中の攻撃を食らってもっと早く沈んだそうだが)。
 ましてや今の大和は、ナタリアという『海魔』の指揮する船。その耐久力は文字通りの意味で『化け物』だ。
 既に爆撃開始から一時間は経とうとしているが、随伴艦隊も無しに単艦で航空機の群れと、一方的とはいえ辛うじて戦闘と呼べるものを続けているのは……大和が凄いのか、ナタリアとその部下が凄いのか、それとも……お仕置きって事で、ママさんが手加減しているからか。
 それはともかく、
「冷却装置に異常発生! 主砲の発射速度、低下します!」
「なにぃっ!?」
 初めてナタリアが動揺した。
「くそっ!! 新作のイチゴ味のアイスクリームがパーだっ!!」
「かっ、艦長!?」
 豪胆な笑顔はそのままに、ナタリアは叫ぶ。
「アイスクリームの敵をとる! 食い物の恨みは恐ろしい事を思い知らせろ!」
「あっ、アイ、マム!」
 やがて……
「敵、機動空母群捕捉! 距離、四万五千!」
「まだだっ! もっと前に……!?」
 と……
 絶え間なく耳を弄していた爆撃音が、急に止んだ。
「……撤退? この状況下で?」
「いえ、正面、十二時に一機だけ……というか、あれは……昨日の!?」
 そこに浮かんでいたのは……
「佐奈!?」
 昨日の傷跡も生々しい包帯姿だったが……それでも、その翼は健在だった。
 拡声器を手に、叫ぶ佐奈。
『アーアー、テステス。聞こえますかー。もし、セイ君を大人しく返してくれるのなら、このまま退いてあげます。っていうか……』
 すぅっ、と息を呑む音。そして……
『私の彼を返せ、この泥棒猫っ!! でないと、メーデー打つ電波より早く、そのポンコツ船沈めるわよ!』
 なんとも昭和入った常套句が、南の海に響き渡る。と……
「上っ等だ、あのクサレアマ、今度こそ海の底で魚のえさにしてやる!」
 そして、放送用マイクに口を近づけると……
『残念ねー。彼、私がもらっちゃったのー♪ あんたみたいなアバズレに興味ないってさー♪』
 ブーッ!!
 い、いったい何の張り合いをしてますか、この女はっ!!
「お、おい、待て、おい!」
『昨日もー、優しく添い寝してもらってー、マントかけてもらってー、頭まで撫でてもらったのー♪』
 顔面蒼白になってナタリアを止める俺だが……
『……ふーん、どうせソレダケでしょ?』
『!?』
『セイ君が本気で好きな相手を『優しく抱いた』? ありえないわ。彼とのセックスが、どれだけ情熱的で、暴力的で、容赦が無いか。知りもしない奴の戯言ね』
『っ……!』
 ……すいません。ごめんなさい。優しくなくて。
『言いたいことはそれだけ?
 お生憎様。彼はね、あんたみたいなガキマンコなんかが手に負える男なんかじゃないのよ! 分かった? 分かったらさっさと返しなさい!』
 そのまま、中指をおっ立てた上に、親指で首を掻き切ってグイッと下に向ける佐奈。
 ……なんというか、そのジェスチャーの意味分かってやっているのかどうかはともかく、俺がドン引きして艦橋の隅っこでプルプル震えてるのは、どうか分かっておくれなさい。
『……上等だこのクサレチチ女……』
 全てを凍てつかせる声音と共に、ぶつっ、とナタリアはマイクを切り……
「砲撃準備が完了し次第、一斉射撃。あのデカ乳メガネ女を、一分子残らず分解する!」
「で、ですが……もう第一砲塔と第二砲塔以外、使い物に」
「……あ”?」
「あ、アイィィィ、マムッ!!」
 ざっ、と怯えながら敬礼してサッサと逃げ出す手下A。
 と……
「……いいのか?」
「え?」
 不意に、ナタリアに襟首捕まれて持ち上げられ、ゆっさんゆっさんと揺さぶられながら。
「そんなに巨乳が好きなのか、このタマナシ男が!? あんな脂肪の塊が無ければ動物にもなれねぇのか、この去勢犬ううううう!!」
「ぐえええええええ、く、く、苦しい、いや、確かにおっぱいは大きいほうががががががが」
 なみだ目入ったナタリアの魂の叫びが、艦橋に響き渡る。
「さあ誓え、貧乳は希少価値だステータスだとっ! 出来ないなら修正してやる、歯を食いしばれこの遅漏っ!!」
 何やら痛ましいキーワードに触れたという目で、同情的な視線がナタリアの配下たちから集まってくる。
 ……ソウカ、苦労シテルンダネ、キミタチ。
 と……
「ま、マム……砲撃準備、終わりました」
「よし! 見ていろ、遅漏男! 今度という今度は容赦しない。あのデカチチ丸ごと46センチ砲弾で木っ端微塵にしてくれるぁっ!」
 なみだ目でポイッ、と放り出される俺を哀れんでくれる、海賊の皆さん。
 ……彼らとは話が合いそうだ、となんとなく思ってしまった。
「そんな豆鉄砲で何する気か知らないが、この船の主砲に勝てるとおもうなよ……撃てぇぇぇぇぇ!」
 高らかに、ナタリアが砲撃を宣言した瞬間……佐奈が発砲。
 タイムラグは刹那。だが、その致命的なまでのタイミングで放たれた閃光の軌跡は、一直線に『主砲の砲身に』吸い込まれ……
 ズッガァァァァァァァァン!!!!
「!!!???」
 刹那、第一砲塔が根元から爆炎を吹き上げて垂直に吹き飛び、船そのものが猛烈に揺さぶられる。
「っ……あ、あの女っ!」
 発砲前に、その砲弾を狙撃で射抜く。しばしば漫画や小説である描写だし、少なくとも数センチの針の隙間を縫うような話ではないが……それでも、46センチ砲を目の前につきつけられて、ソレ相手に出来るかと問われれば、俺にその度胸は無い。
 まったく、すごい女だ。
 だからこそ、そんな女に幸運が、そしてナタリアに不運が訪れる。
 ドォォォォォン!!
「っ……そんなっ!?」
 吹き飛んだ砲塔部分だけでも致命的だったろうに、垂直に跳ね上がった第一主砲塔が、第二主砲塔部分に突き刺さるように落下。最早、使い物にならない。
『深海(ルルイエ)に帰れ、ポンコツ……』
 ぶんっ、と……レバーを軸にぐるりと回転させて硝煙を振り払う佐奈。
 傷だらけの手負いとはいえ、戦艦大和をライフル一丁で沈めた女……やばい、別な意味で惚れそう。
「艦長、全主砲、副砲、沈黙。もはや戦闘続行は……」
 痛ましい報告に、ナタリアは無言でガンッ、と机を叩き……
「分かっている。ご苦労だった。総員退去用意。その時間くらいはあるハズだ」
 さっきの爆発で鼻をぶつけたのか、鼻血まみれになりながら、それでもナタリアは船長の仕事をこなした。
「……アイ、マム。お元気で」
 既に、外には信濃以下、栄子さんが操る空母群が近づいてくる。
 そんな中、ナタリアと二人きりになった艦橋で
「なあ……伊藤清吾。ひとつ、聞きたい」
 鼻血まみれで、遠い目のまま、ナタリアは問いかけてきた。
「彼女は『最高』か?」
「見りゃ分かるだろ? エラいのに惚れちまったんだよ。俺は……」

 信濃の甲板に降り立った俺を待っていたのは、佐奈のダイビングアタックだった。
「セイ君っ!!」
 そのまま胸の中で泣きじゃくる佐奈を怒るワケにも行かず、途方にくれてしまう。本当は、あんな無茶やらかした佐奈を叱るべきなのだろうが……
「怖かった……怖かったの……」
 包帯まみれで震える彼女を、どうしても怒る事は出来なかった。が……
「なあ、佐奈。ところで、あのライフルは何処で」
「……あれ、話してなかったっけ? 私の遺産の元の持ち主の話」
「元の、持ち主?」
 その目線の先に居たのは……
「赤井……美佐? え、ええええええ?」
「あの人に貰ったの。アレの使い方も全部」
 ふと、栄子さんとのやり取りを思い出した。『まあ~猫かぶりでは~貴方に言われたくは~無いわ~』と……
「……赤井美佐……あんた、本当に何者なんだ?」
「あら、女は少しくらい秘密があったほうが魅力的なのよ?」
 ニコニコと微笑む赤井美佐。
 ……やめておこう。多分、この人も栄子さんの同類だ。
「さて、それはともかく……」
 まっ平らな甲板に並んで正座させられた海賊団とナタリアを前に、俺は思案していた。
「好きにしろよ。血を吸って、下僕にするのでも何でもいいさ」
 ……さて、どうしたものか。
 暫し、考えた末に。
「立て」
 とナタリアを立ち上がらせ……思いっきり頭を引っぱたいた。
「痛っ、たぁ……」
「はい、ごめんなさい!」
 ぐいっ、と頭を抑えて栄子さんに向かって頭を下げさせる。
「ほれ、みんなにゴメンナサイだ!」
「てっ、テメェ! ナメてんのか!?」
「ごめんなさい、だ!」
 再度、ぐいっ、と頭を下げさせる。
 沈黙、やがて……
「っ……! …………………な……さい……」
 最初は小さく。そして、堰を切ったように落ちる涙と共に、
「ごめんなさい、ママ! ごめんなさい清吾くん! ごめんなさい佐奈さん! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
 泣きながら謝り続けるナタリア。そして……
「ごめん、みんな……負けちゃった。もう、世界の果て、見れない! 本当に、ごめん!!」
 土下座して、部下たちに頭を下げるナタリア。そのまま、嗚咽と涙が止まらないのか、顔を上げることは無かった。
「……で、どうします? 大家さん?」
「ん、まあ、反省してるみたいだし、もういいか」
 と……
『ご主人様、情報の隠蔽について、幾つかのハンター機関の協力を得られそうです』
 セラからの報告に、俺は一心地ついた。
「ふぅ……よかった、これで何とか元通りの目処が立ったか」
 一個人や小集団程度ならともかく、ここまで大きな事件の隠ぺい工作となると……やはり、素人の手に負えるモノではないしな。
 とはいえ、
「……どうするんだろ、この大和、多少不鮮明でも、バッチリ映ってたよな?」
 炎上して轟爆沈していく大和をながめながら、俺はどうしても疑念を捨て切れなかった。

『では、次のニュースです。
 一昨日、昼過ぎ頃、ドーンという爆発音と共に、東京都●●市の山林で火災が発生しました。
 火は20分ほどで消し止められましたが、焼け跡から軽油を精製するプラントの痕が見つかった事から、警察では何者かが不正軽油の精製プラントの操作を誤り、事故を発生させた疑いが強いと見て、捜査を進めています』
『次に、新作映画の話題です。
 この夏公開の『話題の』映画『乙女たちの大和』の情報が、先ごろ封切られました。
 監督「えー、公開に先駆けて行われたゲリラプロモーションでは、多数の港湾関係者様にご迷惑をおかけしました」
 監督「……はい、私どもスタッフ以下全員、港湾関係者様一同に、多大なお叱りを受けまして」
 監督「ええ、もう返す言葉も無く。ただ、早くもファンの方から封切はまだか、製作を打ち切らないで、との応援のメールや手紙が届きまして」
 監督「私どもスタッフ一同、これを励みに公開までこぎつけていきたく思う所存であります』
(大写しになる『大和』……ただし、細かい部分の仕様とか見てると、明らかに『武蔵』だったりする)』

 パタン、とテレビつきケータイの画面を閉じる。
「随分、大胆な情報操作をしたもんだよなぁ……」
 ハンター機関の採った情報操作の内容は、とても単純にして豪快だった。無論、ナタリアや栄子さん自身の協力があった事は、言うまでも無い話。
「まあ、9/11だってあんなお粗末な自作自演で、戦争出来ちゃうワケだし……それに比べりゃ問題ないか」
 人間の集団心理ってモンは、意外と単純に出来ているらしく、あの騒ぎは映画の撮影と爆発事故という事で、スッキリ収まってしまった。まったく……恐ろしい限りだ。まあ、あっさりと人外の喧嘩に納得されるほうがオッカナイっちゃオッカナイわけだし。
「これで全て、世は事もなし、か」
 ため息をつく。
「うーっす、伊藤」
「おいーす♪ 遠藤。あ、ありがとな、三戦、役に立ったわ」
「なんだ、電車の中で喧嘩でもしたのか?」
「……まあ、そんなもんだ」
 俺の席の後ろに座った遠藤との軽いやり取り。やがて、やってきた佐奈も加わって。
 ああ、平和だ。平和な日常って、素晴らしい。
 そう思っていた時だった。
 教員姿の赤井美佐が、引きつった顔で教室に入ってきた。
「えー、転校生を紹介します」
 ふと、そんな平和な日常を破壊する21人目(あれから増えた)の『謎の転校生(含、教員、教育実習生)』の登場の予感に、俺と佐奈はため息をついた。
 また、面倒な記憶操作が必要なのか。そう思っていたが……
「入ってきなさい」
 浅黒い褐色の肌に金髪というエキゾチックな風貌で、頼もしいほどに『セーラー服』が似合う少女。
 だがその顔は間違いなく……
「海野 那由他(なゆた)です。本当は、ナタリアって言う名前なんですけど、国籍を変更したのでこっち風に那由他(なゆた)って名前になりました。
 ナータって呼んでくれると嬉しいです」
 ガッターン!!
「あ、あ、あ……」
「お、おま……」
 思いっきり後ろにスッ転ろがる俺と佐奈。
「おい、伊藤、大丈夫か!?」
「飯塚さん、しっかりして」
 精神的に色々な意味で轟沈した俺ら二人を助けてくれるクラスメイトたち。
 いえ、46センチ砲級の破壊力デスヨ、これ。
「はい、私も含めて色々言いたいことはある人もいるようですが、今日から彼女もこのクラスの一員です。仲良くしてあげてくださいね。特にそこのコケた二人」
 いろいろ言いたい事もあるんだろうが、まず黙れ、とばかりに目を向けてくる赤井美佐。
「なあ、伊藤。あのカワイイ子、知り合いなのか?」
「……いや、まあ、その……知り合いっちゃ知り合いなんだけど」
 興味津々な目で俺を見てくる遠藤への返事に詰まっていると……
「よろしくね、伊藤君♪」
 なんぞと、空いてる俺の斜め後ろ(つまり遠藤の隣)の席に座ると、声をかけてくるナタリア。
「テメェ、一体何考えてる?」
「あら、決まってるじゃないの♪」
 ニッコリと……しかし、あの獰猛な、鮫のような笑顔はそのままに、
「『果て』を目指すための、水夫集めに来たのよ♪」
 と、高らかに宣言しやがった。
「かならず、あんたを私の船に乗せるから、そのつもりで♪」
「こ、懲りてネェのか、お前はっ!」
「反省したわよ? もっと上手くやらないと、世界の果てどころか世界征服も覚束ないって」
「違う! それ反省の方向が致命的に違うっ!!」
 そんなやり取りをする俺たちを、遠藤やクラスメイトが不思議な目で見ていたり、佐奈の奴が今にもライフル持ち出して狙撃したそうな目で見ていたりする朝の一コマ。
「……は、ははははは、ははは」
 もうどうにでもしてくれ。
 机に突っ伏しながら、空ろに笑う俺を無視して、一時限目の始業のチャイムが高らかに鳴り出した。

< 続く >

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