アウトサイダー 第1話(2)

第1話(2)

 薄暗く照明の消えたビルの中、鬱々としたものを引き摺りながら茅原はIDカードをリーダーに通した。軽い電子音を発して、扉が横にスライドしていく。
 中は、直ぐにまた三畳ほどの小部屋になっている。その前はまた扉だ。

「4327388。茅原だ」
 
 微かな駆動音とともに、赤く色付けされた光が部屋の天井から靴底の隙間まで嘗め回していく。僅かな時間を置いて、二つ目の扉が開いた。
 この後さらに有人によるボディチェックと最新の生体認識を越えて、ようやく最深部にあるエレベーターに乗り込むことができる。
 地下三十階。高速エレベーターで数分を掛け、ようやく帰れる。慣れるまでは、慣れてからでも、こればかりは煩わしい。

「早かったわね。誰か高く売れそうな娘はいた?」 

 視界の外から掛けられた声に、茅原は顔を蹙めた。それを隠そうとも思わない。暫くは見たくない顔である。
 しかし、無視は出来なかった。

「容姿で言うなら、前回の葵に勝る奴はそうそういないでしょう」

 振り返りながら茅原は言った。幾つもの事務机を越えた最奥。革張りの椅子に深く腰掛け、デスクに山積みになった書類に眼を落としている。
 この女がいることは、エレベーターを降りたときのニオイで分かっていた。独特な空気を、常に周囲に従えているような女だ。香水のせいか、側にいると鼻の奥が疼く。

「そうね、あれは高く売れたわ。とても、とてもね」

 佐々木仁子(ささききみこ)が妖艶に微笑む。美しい女である。商品としての眼で見るならば、この女は先日の葵すら越えるだろう。それでも、茅原はこの女を本当の意味で美しいと思ったことが一度もなかった。

「御陰で私も楽しめましたよ。じゃあ、もう休みます」

 百七十を越える長身に、ロングヘアーのストレート。青いYシャツの上に無造作に白衣を羽織っているが、それでも胸や腰の線ははっきりと浮き出て見える。
 眼も口も、鼻筋も絵画から抜き出してきたように出来が良い。それがまた、茅原には不快だった。

「待ちなさい」

 仁子が言う。茅原は俯き、溜息を吐いた。それでも、無視したりは出来ない。直属の上司である。女体を調教し、洗脳して性奴隷として様々に売り払う第六課の課長が、女なのである。課長だけでなく、四局を頂点とした幹部の一人でもあるらしい。
 そんな女が、美しい容姿を持っていても空恐ろしいだけだ。真野山製薬は、整形外科の分野でもシェア一位を誇る。

「次のターゲット、お願いできるかしら?」

 言いながらデスクの上に何かの書類を放り出す。茅原はまた溜息を付きながらその書類を取りに仁子の前まで歩いていった。部屋は広い。机が整然と並んでいなければホールとも呼べそうなフロアである。
 数枚綴りのレポートの上に、クリップで写真が留めてある。まだ若い、学園の制服を着た女だ。若すぎる。高校生を相手にする趣味はない。

「……ノルマは、クリアしていると思いますが」

「知っているわ、勿論。葵は数年分のノルマを達成するにも充分足りるほど最高の釣果だった。籠原(かごはら)にも見習ってもらいたいものね」

「なら……」
 
 そこから声は続かなかった。仁子の眼が妖しく光ったのだ。逆らわない方がいい、と茅原は直感した。こういう感覚は大切にすることにしている。

「得意先からの依頼でね、どうしてもと御所望なのよ。なんでも息子さんが熱を上げている娘らしくてね」

 もはや溜息すらも出てこなかった。嫌悪にも似た感情が胸中を渦巻いている。

「いつから、ウチは斡旋業者に成り下がったんです?」

「そう言わないで。お相手はT大学病院の院長様なのよ」

 国内屈指の大病院である。真野山製薬の顧客というだけでなく、とうぜん六課でも大口のお得意様ということだ。
 同時にこれが、六課が接待課と呼ばれる所以(ゆえん)でもある。

「……やり方は任せていただけるんでしょうね」

 仁子が微笑む。この女の微笑みはいつも寸分違わない。時折、この女はサイボーグなのではないかと思うことがある。完璧な笑みは、人に不快感しか与えない。少なくとも茅原はそう信じている。微笑みの作り方も、評価に影響する大切なポイントである。その点から見ても、葵は優秀だった。

「勿論。ただ、幾つか条件があるわ。ご依頼にはいずれ一緒に登校することも含まれているし」

 舌打ちする。それがどんな結果になるか、おそらくはろくな結末にはなるまい。女にとっても、それから男にとってもそうなるだろう。

「詳しいことはその書類に纏めてあるわ。急げとまでは言わないけれど、なるべく早く仕上げてもらった方が院長の覚えはめでたいわね。あの方は、大層忘れっぽい気性の持ち主だから」

「……明日には一応の計画書を提出します。確保チームにはαを使っても?」

「えぇ、構わないわ。水槽も最優先での使用を許可します」

 茅原は僅かに目を見張った。大盤振る舞いでやれ、ということだった。もしかすると、印付きの扱いになっているのかもしれない。だとするならば、最終的に動く金は軽く億を超える。葵に続き、ずいぶんと繁盛しているものだ。

「承りました。月末には一時報告を送れるよう手配します」

「宜しくね。あなたに掛けられている期待は大きいわ」

 つまり、失敗は許されないということだ。茅原は頭を下げ、ホールを横切って自室へと戻った。

 施設は、バイオハザードや脱走者を防ぐために基本一本道に作られている。
 エレベーターに乗り込むための三つの扉すらそれぞれ隔壁が備えてあり、有事の際は三百秒で施設は完全に閉鎖される。
 各セクションも各々独立しており、課長クラスのIDがなければ使えない連絡通路が一本ある以外はエレベーターの乗り口からして別々の箇所に用意されているほど徹底されている。壁面は殆ど全てステンレスコーティングされており、各所各所に小さな排水溝が備え付けられている。例え人が死のうと、繋ぎ目さえない通路には皮膚片の欠片すら残らない。
 茅原は自室に戻るとキャスター付きの椅子に腰掛け、書類をキーボードの上に放り投げると大きく息をついた。陰鬱さは、日に日に重さを増しているようだった。
 こんな筈ではなかった、などと言うつもりはない。医大を出たあと医療の現場に絶望し、それでも医術を捨てることは出来ずにコネを使って真野山製薬に潜り込んだのはもう十年以上も前になる。ふとしたきっかけで影の第四局の存在を知り、それなりに納得して四局六課の配属となった。今思えば故意に四局の情報を知らされこの穴蔵に追い込まれたのだと分かる。それでも、今さら厭になったと抜け出すには色々と暗部を知りすぎていた。
 そう、全ては今さらなのだ。

 煙草はやらない。備え付けの冷凍庫に瓶ごと放り込んであるラム酒を取り出し、一口呷った。強烈なアルコールが口を、喉を食道を焼いて胃へと落ちていく。瓶にはまだタップリと残っている。
 机の時計を見る。午後十時過ぎ。今頃、葵は新たなご主人様の怒張した逸物を美味そうに舐め回しているのか。それとも、異常な趣味趣向に付き合わされて良いように嬲られ続けているのか。どちらにしろ、葵は喜んで命令に従うだろう。そういうオーダーだったし、それに逆らおうとも思わなかった。そして、少なくとも表面上は、葵はそういう自分に納得した。内面の奥底までは分からない。そういう女だったし、そうでなくとも慢心するのは馬鹿げている。
 洗脳などと大層なことを言っても、ようは薬漬けと刷り込みの併用に過ぎないのだ。効率も実用性も低く、軍事転用に失敗した技術を一体何処のクソッタレが一般人に利用することを思いついたのか。
 
 書類を取り上げると、モニターの電源を入れた。本体は壁に埋め込まれ四六時中稼働されている。公然と監視されているのだ。プライベートなどと言うものは、施設内にいる限り糞便の中にまであり得ない。
 ブレザー姿の今風の高校生の写真をクリップボードに貼り付け、とりあえずパラパラと書類を捲っていく。
 名は浅倉直美、歳は十八。黒く、長い髪。長身でスマートだが細すぎることはなく、気が強そうな眼をしている。部活は弓道。
 N学園の高等部三年で両親は共に夭折しており、親戚が保護者と言うことになっている。が、実際は僅かな金銭の融通だけで関係は冷え切っている。最近はそれさえも滞り、奨学金とパートタイムでの稼ぎで寮暮らしをしている。
 その後には、細かな経歴や癖、交友関係、男女経験など事細かに記されている。ざっと眼を通し、内容を頭に入れるともう一度バカルディを呷った。強烈な物が舌を、感覚を麻痺させていく。書類を放り出し、それから朝まで掛かって計画書の草稿を纏めた。条件としては都合が良すぎるほどだ。ただ、洗脳後に再び登校させることを考えるならばあまり派手に失踪させるわけにはいかない。留学か、親戚の都合なら良いだろう。とりあえず三月もあればいい。
 推敲し、出来上がった計画書を佐々木仁子のパソコンに送り、霞む眼を押さえながら茅原はベッドへ倒れ込んだ。まだ半分以上は残っていたラム酒の瓶は空になっている。

(ようやく眠れそうだ)

 呟きは声に出さず、茅原はゆっくりと眼を瞑った。

< 続く >

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