GAMEs 第三話

第三話

 二時間目が終わった二〇分休憩。次はミス・アンジェレッタのキッツーい英語の授業があったと思うんだが、皆リラックスしてるのは何でだろう。
 一部自他共に認める系のガリ勉サマがノートとにらめっこしてるのは何時もの話だが、予習一つやってないだけで薄汚れた野良犬か何かのような憐れみとも蔑みともつかぬ目線を投げられる授業を思えば、皆もうちょっと焦ってたりするモンじゃないのかね。
「そいつぁ、おめーが宿題もやって来てねぇからだろ」
「るせぇ宮下。お前もどうせやってねー癖によ」
「ま、俺は当てられそうな所押さえてあるからね~♪」
 ──日本語は正しく使おうな、宮下。お前の場合『当てられそうな所〝だけ〟』だろ。
「学食のB定食・食券二枚で手を打ってやってもいいぜ」
「お前のヤマ張りはお前の分しか当たらない、超ピンポイントだろ。て言うか一枚七〇〇円の食事なんてブルジョワは個人的に認めん!」

 そんな会話の最中に、クラスメイトが割り込んできた。
「おい宮下。俺さっき、三組の草柳に声かけられちった♪」
「何っ! 貴様、あのプルデカたゆんたゆんの眼鏡っ娘と、一人だけでお話ししてたっつーのかっっ!?」
 ──ぷ、プルデカ……。あーあ、宮下。お前背中に目が有ったら、今ごろ恐怖に震えてんぞ。クラス内の女子が、殺気と軽蔑と嘲笑をない交ぜにした氷点下三〇度の視線を、その背中にグッサグッサ突き刺している。
「へへん♪ ……ああ、んでな。久我山に用があるから、次の休みに屋上に来いってさ」
「てめぇっっ!」と宮下が今度は俺の制服のタイを力一杯引っ張ってくる。
「こらっ、やめっ! 首、首絞まるっ、ギブっっ!!」
 ようやく窒息地獄から解放されると、
「久我山、一体どんな裏工作をしたっ! それとも何か弱味でも握って……。そんな、まさか久我山が犯罪者のような事を!」
「……そもそも草柳、知らねーんだが。誰だそれ」
 ガーンガーンと恐怖漫画のキャラの様に固まってる二人。……そんなに変か?
 ──と視線を周囲に巡らすと、金井が友達連れのトイレ(恐らく)から帰ってきたらしい。話しながら教室に入ってくる。
 ……流石金井。コンマ数秒でこの教室の冷えきった空気に気づくとは只者じゃない。
 出入り口周辺の女子生徒に聞き込み開始。俺の脳内でレッドアラートが鳴り響く。
 ……五……四……三……。
「お前、……ほんっとーに可哀想な人生歩んでんだなぁ」と意味不明な同情を寄せる宮下。
 ……二、一、ゼロ!
 肩に載せられたその手を振り払い、椅子から滑り落ちて、地震の災害訓練のように机の下に隠れる。

 ガッコ────ンッ!
 金井が力任せに投げた金属製ペンケースが、剛球と見紛う速度で宮下の後頭部に命中した。
「ぐはっ! ……く……ふ………」
 椅子の上にバッタリと崩れ落ちる宮下。
 ……お願いだから、授業開始までには復活しててくれよ。
 俺はお前を座布団にして授業受ける趣味は無いんだ。

 昼休み以外では、この学園の屋上には人気は無い。まぁ移動時間を考えれば、休むにゃ無駄が多すぎるわな。
 ガコン、と鉄扉が音を立てて開いた。
 そこは校舎の中で唯一の開放空間──と言いたい所だけど、事故防止のために二メートル数十センチの高いフェンスが四囲を取り囲んでいる。

 秋の深まった空は高く、見上げれば細い雲が強風に押し流されている。
 風は冬の予兆を孕み、肌寒さすら感じさせる。
 人っ子一人居ない空間。
 する事も無いので、給水塔まで歩み寄って、背をもたせかけながら来訪者を待ってみた。
 ──だりぃ。
 このままいると風で冷えちまう。ズルズルと背中を滑らせて座り込み、体を丸めて暖を確保する。
 まだ気配は無い。

 もうそろそろ四時間目になっちまうぞ──そう思った時の事だった。
 ガコンと再び鉄扉が動く。
 そこに現れたのは、黒……と言うには薄茶の混じった髪を後頭部で左右に纏めた、シルバー横長楕円フレームの眼鏡の女子生徒。
 胸の赤いリボンが風に煽られて、パタパタとはためいている。
 当の女子は、まるで喧嘩の勝者が敗者をねめつけるように、両手を腰に当てて上から目線で見下ろしてくる。……ああ、なんか嫌な立ち位置。座ってて失敗したっぽいな。
 ダルいけどしゃあない、立つとするか……。
 ──やっぱ止め。
 このポジションは金貰っても譲らん。

 風にパタパタ煽られている制服のリボン。その風は当然、チェックのスカートにも吹き付けていて、でもこの女、腰に手を当ててキメポーズなんてやっちゃてて。
 バタバタ──バタバタ。
 くすんだブラウンと赤のチェックの合間から一瞬、かいま見えるピンク色。……薄いから〝桜色〟とでも言うんだろうか。
 風万歳! 屋上万歳! 俺このまま四時間目無視して座っててもいい。

「自分が、久我山修一──やな?」
 おお、すっかり屋上に来た用件を忘れる所だった。
「出たな妖怪ツインテール」
「初っぱなからボケかますな、アホがっっ!!」

 近寄るなり右足の爪先で顎を蹴り上げられた。
 危うく舌を噛む所だった。危ない、危ない。
 その瞬間にも俺の視線はちゃっかり脚の上方にロックオンされていたが、そんな話題は口にしない。命知らずは宮下独りで十分だ。
「こんなトコで自分の寒いギャグ聞いとる程、暇ちゃうわ」
「……いや、なんか西洋の妖怪とかで居そうじゃん。ツインテール」
「それ言うんやったら怪獣とちゃうんか」
「残念だけど俺には、紅白のボールを投げつけて『ゲットだぜ』って叫ぶ特技は無い」
「いい加減、そっから離れんかい!」
 どうやら会話のキャッチボールはお気に召さないらしい。
「いや、キャッチボールなっとらへんやろ。自分の暴投にウチが付き合わされただけや」
「失敬な。俺がまるで会話の通じない変人のような事を」
「立派に通じてへんやろ」
 ──ふむ。どうも彼女とは、会話を続ける毎に好感度がダダ下がりになってしまうようだ。フラグ管理に失敗した恋愛ゲームの後始末をしてるようだな。
 こっちに爆弾、あっちに地雷、交差点の角を曲がったら不発弾が食パン喰わえてて『遅刻遅刻~』とか言いながら、手に持った鋭利な刃物でバッサリ。

「……はぁ、何やちょーし狂うから、単刀直入に行かせて貰うで」
「そもそも用件すら聞かされてなかったからな、草薙」
「草柳や」
「面倒だから草薙にしねえ?」
「く・さ・や・な・ぎ!」
 ああ、どうも視線に殺意が籠ってきたなぁ。
「……もうすぐ休み時間も終わりやよってな。今日のトコは、コレだけ渡しとくわ」
 ブレザーの胸ポケットに手を突っ込んで、幾束かの紙片を差し出してくる。

 おお! 宮下、お前凄いぞ。初めて心から尊敬したい気分になった。
 草柳の、たったそれだけのアクションで、壁に掛かった特大肉まんのようなボリュームのある物体が、胸元でボヨンボヨンと揺れ動く。
 凄い凄い。何かもうコレ、別の生き物なんじゃね? 世界は男と女と、おっぱいで出来ているんだよきっと。
 ──と。脳の中で亜紀姉が、ジト目で睨んでくる。
 いや亜紀姉違くて! これはしょうが無いんだって! だって目の前でボヨンだよボヨン。動くんだよ?
 そりゃ亜紀姉と一緒にいりゃ、胸なんて飾りですよあんなの偉い人には分からんのですよ寧ろ胸なんて無い方が綺麗じゃねとか思うけど!
 もうアレだ、猫と一緒。猫だって目の前で猫じゃらしをフリフリされたら、視線が釘付けになっちゃうじゃん!

 そんな事を独りで考え込んでいたら、目の前の草柳に、まるで虫けらを見るような酷寒の視線を浴びせかけられた。うーん。折角立派なモノを持ってるのに、そこに視線が向かうのはお嫌いらしい。
「……早よ取り。用件はそれだけや。
 ──寧ろ自分の方から用件が出来てくる、思うけどな」
 とりあえず紙片を受けとる。何か画像をプリントアウトしたっぽいインクの滲みが目に入る。……あ、裏か。
 めくると────。

 亜紀姉。
 俺。
 顔ピッタリくっつけちゃって。
 ──多分この背景、あのマンションだろうなぁ……。そういえば〝囲う〟なんて芸当やるの、ズッと忘れてた。
 あー……。流石に覗かれる所までは、考えてなかったなぁ。
 ダラダラと背筋に脂汗が流れるのを感じる。
 流石にこの会話の文脈で、露骨に泡喰った真似も出来ないしなぁ。
「……綺麗に撮れてんじゃん。プリントサービス?」
「ご希望や言うんやったら、生徒会の掲示板に貼り出しても構へんで。ココの生徒会長、風紀にはドエライ厳しいみたいやしなぁ」
「これ、俺の分しか無いの?」
「……ええ根性しとるやん。
 まだ亜紀ちゃん先生には話しとらへんで。リアクションが分かり易過ぎるよってにな。面白味もクソもあらへんし」
「──んー……。
 で、何がご希望かを教授戴けると、とっても有り難いんだけど」
「そんぐらい、その足りへんおツムで考えてみぃや。
 期限は……、そやな。三日──三日間だけ、ウチの手元で押さえといたろ」
「三日を過ぎれば?」
「生徒会と職員会が、大紛叫にはなるやろな。……それはそれで成り行き面白(おもろ)そうやから、ウチは大歓迎やけど」
「……弱ったな。俺、ご想像の通りおツム足りねーから、よく分かんねーや」
「亜紀ちゃん先生と相談するなり、好きにすればええわ。
 ……そいじゃ、もう授業始まるよってに」

 ……さぁ、困った。
 授業のベルが鳴り響く。
 だと言うのに、俺は今からどうすりゃいいのか分からないときたモンだ。

「おい、そこの〝おっぱいマイスター〟」
「何だ久我山、その微妙に有り難いんだか有り難く無いんだか分からん呼び掛けは」
 ──普通有り難く無い話だと思うんだが、違うのか。
「ちょっと聞きたい事がある。いいから教えれ宮下」
「B定、ようやっと奢る気になったか」
「ああ、ご要望とあればな。三食くらいなら我慢してやってもいい。
 ……何だったらA定五食でも構わんぞ。大盤振る舞いだから、好きにしろ」
「お? 中々悩ませてくれるじゃねーの。ちょっと考えさせろ」
 なんでこんな密談の場にまで聞き耳を立てていたのか、金井がやって来る。
「──はぁ。A定食は四〇〇円でしょ。何悩んでんのよ宮下、あんた上手いこと騙されてるわよ」
 ──ちっ。これだから頭の回る奴ぁ。たかが百円の違いだろ。
「いやいやちょっと待てよ。〝奢りで五食〟だぜ? 微妙で感じやすいナイーブな青少年としては、そこが小さいようで大きい違いってコトよ」
「…………まぁ、宮下がそれで良いってんなら、止めないけどね」

「つかぬ事ではあるが、三組の草柳について知りたい。情報何か無いか」
「え? ええ~? 久我山、彼女が……っ? ──え~……?」
「金井。口挟みに来るのはともかく、有りもしない噂作るのは勘弁してくれ」
「いやいや、分からんよ~? 何せ、あのバインバインだから♪」
「ば、ばいん、ばいん……」
 いや金井、そこで赤面までしてリピートする意味が分からん。
「……でも彼女、その手のスケベな連中は片っ端から蹴倒してるって感じだけど」
「そうそう。何でも写真部の連中、入部したての草柳をモデルに猛プッシュしたのはいいけど、粉微塵に粉砕された挙げ句、今じゃ草柳の下僕も同然とかいう話だしな」
「所詮、胸ばっか見てるようなバカだからよ。いい気味じゃない」
「いやいやいや。オッパイは世界中の男のドリームですよ? 母胎回帰願望は万国共通の夢だってばよ」
「ってそんなに男って……その、胸が……」
 ちょっと待て何か俺置いてきぼりで話が妙な事になってないか?
 昼休みで生徒の数が減ってるからって、委員長としてもこの流れはマズイだろ。
「あ────っ、だから話戻せよ! 草柳の情報知りたいってだけの話だろうに」
「あ! ……ん、んっ。そ、そうだよね。つい、宮下のペースに乗せられて……」
「おいおい俺独りのせいにしちゃうワケ?」
「そ! その、さ。久我山はそもそも、何で知りたいのよ。……それが分からなきゃ、話にならないでしょ」
 ──と、言われてみると。
 何で必要なのか、説明に微妙に困る。
「……だ、だから。さっきの呼び出しで用事、頼まれたんだよ。ただ……。その用事ってのが曖昧で、何したらいいのか分かんなくって、さ」
「その用事ってヤツが、気になっちゃうんだけどな~」
「──だから僅か三分だの五分だので、どこをどうすりゃ、そういう色っぽい妄想ができんだ?」

「まぁ──、そっだな。草柳についての情報つったら、こんなトコか。
 草柳友愛・推定Gカップ、スリーサイズは……」
「そこはいい」「何で宮下は、真っ先にそういう話になんのよっ……!」
 ──まぁどういう偶然か知らないけど。この間亜紀姉の書類整理を手伝った際に、ちょっくら目に入ってたんだよな。どっかで見たような名前だと思ったよ。
 それはともかく、スリーサイズを空で覚えてる宮下。お前何者だよ。これが〝マイスター〟の証って奴なのか……。
「大事な情報じゃねーかよっ! ……ったく委員長はよ。
 えー…っと、後は二年三組、写真部所属で、生徒会会計ってトコロかね。元々弥高の生まれらしいけど、小さい頃に関西に引っ越した『第一次引っ越し組』だな。家は今も関西で、現在ここの学生寮住まい。親父さんはアチラで中国市場に手を出して大成功したらしい」
「中国?」
「干し鮑(あわび)相場に、にんにく相場とかいったのかな」
 まるでニュースの解説者みたいな割り込み方をしてくる金井。
「なんだそりゃ?」
「知らないの久我山? 中国は十億の人口を抱えてる国なの。そこが景気良くなったらどうなる?」
「物価が……。上がる、とか」
「………三〇点。百点満点で」あからさまな溜め息は止めてくんないかなぁ……。
「一番上がるのは不動産。これは生活に不可欠な上に非課税だしね」
「税、かかんないの? ちょっと変じゃね、だってキョーサン主義だろ」
「だから、なの。あそこの不動産の権利は全部国からの長期借地権。それでバブっちゃうワケ。
 ……他にも生活必需品の一部に投機が発生しちゃうのよ。鮑とかいった食材の買い占めによる値上げが、今言った話」
「………わっかんねぇ……」「安心しろ、俺もだ」
「……あんたたち、現代世界史とか経済とか知っとかないと大学で大変よ」
 ああ、相場だの何のというのは分かんないけど、今金井の中で俺と宮下の評価が絶賛急降下中なのはよーっく分かる。これがバブル崩壊って奴か。いやそもそも崩壊する程評価されてたかも怪しいけど。
「大丈夫っ! 頼まれてもそんなのやんねーってば」
 宮下、そこは胸張るトコじゃない。
「草柳さんのトコだと、この間の、元(ゲン)の為替レート切り替えでも稼いだみたいね」
「……そう! その川瀬」
「──宮下。多分それは字が違うと思うんだが……」
 ……まあいい。どうも話題が逸れた気がするし、ちょっと話を戻そう。
「で、生徒会会計なんだっけ? 当の草柳本人は。もしかして父娘揃ってお金大好きっ子だったりするわけ?」
 と水を差し向けてみると、なぜか饒舌だった金井が深い溜め息。
「………そ、かもね。
 着任早々、派手にやってくれたもんね。部活の総予算、二〇パーセント削減なんて」
 帰宅部だから気にも留めてなかったな。
「そんなにキツいの?」
「俺んトコは、そんなに。余所の部とのコート共用が増えて練習時間減ったくらいだな」
「……宮下はともかく、バスケ部にとってはキツい気がしなくも無いが」
「ウチの水泳部もね。……女子は強い選手が何人か居るからいいんだけど、部員も少なくて実績出せてない男子が、可哀想な事になってる。
 実績無くてメンバー少ない部活に、プールを長時間独占させるのは無駄だって言って、今男子、女子部の時間に二レーンだけ間借りした格好で練習してるのよ」
「待て金井、そいつぁ聞き逃せないな。今からでも俺も男子水泳部に──」
 抉り込むような左フック。
 ……しかしまぁ、どうして俺の周りは亜紀姉といい金井といい、さっきの草柳にしても、こう何て言うか、武闘派でバイオレンスでピカレスクが似合うんだ?
「真面目な話してんのに茶々入れんじゃないのっ!」
「……ぐはっ…。あ、肋(あばら)、折れ、る……っ」
 さらば宮下。安らかに眠れ。お前の事は、多分二週間位は忘れない。

 ──さて。手がかりになるかどうかイマイチ分からんが、情報は入った。
 時は放課後。目の前には写真部の部室。
 当たって……砕けてみる、しかないか。
「たのもーっ!」
「帰れ道場破り!」
 ケンもほろろ。
「えーっと……。草柳、トイレは突き当たりを右だ」
「教えられんでも知っとるわ! しかも悪いモン食うたんでも無い!」
「生理痛なら保健室──」
 ドアに挟まれた。

 顔に赤いゲタの跡のような印をつけたまま中を見渡すと、部室は然程広いものではなかった。文化部ってこういうモンなのかね。
 壁のあちこちにパネルが掲示されて、床は足の踏み場も無いくらいに小さな段ボールが積み上がっている。突き当たりに黒いカーテン垂らした一角があるのは、フィルム用の簡易暗室って奴なんだろうか。
 何か奥の方で部員らしき奴が、オドオドしながらこっち見てるなぁ。
「いずれ来るやろとは思てたけど、えらい早いやん自分。何の用や?」
 身長は俺よか少し低い筈なのに、先の屋上同様に完全見下ろし目線。
「──んーっ……。いやさ、結局何をご希望なのか伺い損ねちゃったから」
「そんなこっちゃと思たわ……」うわ頭抱えてるよこの女。と、奥の部員に向かって、
「部長! お客さんやから。ちょお学食の自販機でお茶でも買うて来てくれまへん?」
「──あ、ああ。分かったよ。お茶……二人前だね」
 この影薄いのが部長……。しかも草柳のあからさまに使いっぱな命令、素直に聞いてるよ。どうなってんだこの部。

「──さて、と。もう誰もおらへんで。好きに喋って構へんわ」
「……豪快な人払いだなぁ……」
「用無いんやったら帰ってんか」
 とことん草柳とはテンポもリズムも合わないらしい。
「おっ。そこに積んであるの、写真集?」と懲りずにキャッチボールを試みる。
「……その通り。去年の学園祭で作った奴の売れ残りや。一部八〇〇円」
「一年前の売れ残りで金取るのかよ!」
「当たり前や。自分に奢らなあかん借りなんぞ無いわ」
「…………それは部活の告知活動として、どうかなぁ……」
「そこまで言うんやったら、タダでやるわ。その、代わり──」
 ズシッと、腰に来る重さの段ボールを渡される。
「……この在庫ぜーんぶ、自分がバラ撒いてき。言うとくけど、ゴミ箱に纏めてほかしてあったら、全額請求したるからな。二〇〇部十六万」
 それは売れ残りの押し売りじゃないのか。
「まぁそれはともかく……」
「段ボールは中身ごと一切返品不可やで?」
 無かった事にはしてくれないらしい。

「──だから。どうすればあの写真、ずっと抑えておけるんだよ?」
「考えや、言うてるやろ。
 ……まぁ、そやな。ウチを面白がらせてくれたら、考えたってもええで」
「面白……がらせる」
「そやなかったら、今頃亜紀ちゃん先生にも見せとるし、生徒会長にもご注進しとるわ。
 ──ウチが見たいのは、そんな騒ぎよりも面白(おもろ)い何か、や」
「……騒ぎは、何時でも起こせるから?」
「意外に頭回ってるやん。その通りや。
 自分にはこの話、決定権も判断権もあらへん。握っとるのはウチだけや。
 ──そやから。精一杯、ウチのために踊ってや」と、牙のように尖った八重歯を剥いて不敵に笑う。
「よさこいダンスは苦手でなぁ……。佐渡おけさでマケてくれると嬉しいんだけど」
「……そういう戯言(たわごと)言うてられんのも、三日後までや。
 精々今のうち、楽しむこっちゃね」

 ガチャリと部室のドアが開く。
「あの、草柳くん。残念ながら緑茶が売り切れになったんで、片方紅茶のストレートにしたんだけど……」
「ああ、好きな方飲んでんか。お客さんはもうお帰りや」
「え?」
 当惑する写真部長を尻目に、あっという間に追い出される。
 ──ありゃ、完全に尻に敷かれてんな。部長さん。

 色々とストレスが貯まった一日の締めは、やっぱり放課後の憩いの世界・保健室だね。
「保健室は、仮眠室でも休憩所でも荷物置き場でも無いのですよ……」
 あれ? なんか亜紀姉、何時に無く大人しいな。密かに悪い物食ったブームでも起こってるのかね。さっきの草柳といい。
「修ちゃんの言ってることは、良く分かんないのですよ。
 ……そこのベッドに三年生ちゃんが貧血で寝てるから、起こしちゃダメダメなのです」
 ああ、そういう事。
「……しかも衛生・清潔が身上の保健室に埃まみれの箱持ち込むのは、超困ったちゃんな話なのです」
「あ、これ? 何だったらあげるよ一部。写真部の活動記録」
「修ちゃん、写真部に入ったのですか?」
「いや、帰宅部」
「……お姉ちゃん、日に日に修ちゃんが分かんなくなって来ちゃうのです……」

「で、どう? 亜紀姉。最近の調子は?」
「すっかり悪びれずに寛いじゃってるのです……。
 ……まぁ、健康診断の書類ラッシュも終わっちゃったから、ちょっとお仕事は楽になってるのです。
 ────ハッ、まさかっ!」
 と、両手で自分の身体を抱き締めて小さくなる亜紀姉。
「修ちゃん、また良からぬ事を……」と、頬を赤らめて拗ねたような表情。
「あー……」そう来たか。
 まぁここ暫くいちゃいちゃモードばっかりだったから否定はしないけど。
「違くてさ。……亜紀姉、仕事楽しい?」
「? ……頑張ってる学生ちゃんの応援をしてるのは、好きですよ?」
「そっかぁ……」
 そりゃ、そうだよなぁ。亜紀姉の性格だし。
「何かあったのですか? 野球部のボールが頭に当たったとか?」
「んな事あったら担架で運ばれてるよ!」
「脳震盪の場合は迂闊に動かしちゃダメなのですよ?」
「いやそれ、前提から間違ってるから豆知識にしかなってねーからっ!」

 ……やっぱ、言えねーよなぁ。亜紀姉には。
 保健室とはいえ、性格的に教師が天職みたいなモンだし。でも責任感強いから、騒ぎ起こったらスパッと辞めちゃいそうだし。
 そもそも、ここ暫くの一件って、原因辿ったら全部最終的には俺に行き着くんだもんなぁ。
 ──ともかく。情報はそれなりに集まった。写真部の様子も確認した。
 これであの女の言う通り、踊るしかないのか。
「じゃ、俺ちょっとコレ、そこらに配って来なきゃいけないから。邪魔したね」
「? ……まぁ、頑張ってみるのですよ」

 シャアッと、保健室のベッドの、アコーディオンカーテンが開かれる。
「ありゃ、起こしちゃいましたか。大丈夫ですか?」
 現れたのは三つ編みロングの少女。透けるような肌は青白く、とても健康的とは言い難い。
「──いえ、もう大丈夫ですので……」
「そ、そうですか。じゃあ、こちらの連絡帳にクラスと名前を記入したら、帰っていいのですよ」
「はい」
 サラサラとボールペンを滑らせる。その字はペン書きなのにやけに達筆で判読に戸惑うが、『三年二組 石井円香』と読める。
「石井ちゃん、お家の人とご相談して、もう少し鉄分やビタミンを摂取して欲しいのですよ。食が細いのなら、最近はお薬とかサプリメントもあったりするのです」
「……分かりました。では」

 保健室に、一時の静寂が訪れる。
「ふむ。それにしてもさっきの修ちゃん、様子がどうもおかしかったのですよ」
 手元に残された写真集をパラパラと捲ってみる。
「あっ! これ可愛いのです! 猫ちゃんですよ猫ちゃんっ。野良猫なのに表情がとってもらぶりーなんですよ! きゃーっ、毛繕いしてるっ♪ にゃうにゃうっ!」

< 続く >

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