悪魔の流儀 第7話

第7話

 タカトオ・コーポレーション本社ビル 火曜日 PM2:30 

「どうすりゃいいんだよ」
 自分のデスクに肘をついて、俺は頭をかきむしる。もちろん、さっきから俺が考えているのは、これから綾をどうするか、ということだ。
「くそっ!」
 俺は、バンッ、とデスクを叩く。

「局長?」
 顔を上げると、心配そうな表情の薫と目が合った。
「あ、驚かせちまったか。悪い、薫」
「いいえ。それよりも、あの、綾ちゃんのことですね?」 
 薫が、ためらいがちに口を開く。
「ああ。なあ、薫、おまえは、あの時のことを完全に忘れてしまえたらいいと思うか?」
「そうですね。そもそも、私の場合、あの時のことは、はっきりと覚えていませんけど、誰か、他の人のモノになっているあの感じ、自分が、局長以外の人の言うとおりに動いてしまっていた感じ、その感覚だけはぼんやりと覚えています。それは、思い出すだけで、もの凄く怖くて、不安で胸がいっぱいになって……」
 言葉を選ぶように、ゆっくりと答えていく薫。
「じゃあ、やっぱり忘れてしまいたいか?」
「でも、あの時は局長が助けてくれましたから。誰かのモノになってしまう前に、局長が私を助けてくれた。そして、私は局長のモノだといってくれた。だから、私は大丈夫です」

 薫が俺の目を真っ直ぐに見つめる。その瞳には、もう、ためらいも迷いも見られない。

「薫…」
「だけど、綾ちゃんは、あの子は、完全にあの男のモノになっていたんですよね?私には、今の綾ちゃんのつらさ、怖さ、苦しみは、少しはわかります。でも、私はあそこまではされなかったし、それに、私は綾ちゃんではないですし、だから、綾ちゃんがどう思うかは、私にはちょっと……」
「そうか、そうだよな」
「すみません、局長。あまり参考にならなくて」
「いや、そんなことはないさ、それより」
 そこまで言って、俺はいったん口をつぐむ。
 
 もしかすると、薫なら。
 ただの人間で、あの事件のときに自覚的に俺の糸の操作を受けて、おそらく、自分が俺に操られていることに気づいているかもしれない薫なら、今、俺の中にあるモヤモヤしたものに答えをくれるかもしれない。

「薫、おまえは、そうやって人を自分のモノにできる奴らがいることを、そういうことができる力があることを、不思議に思ったり、怖いと思ったりはしないのか?」
「それは、もちろん、私にはどういう仕組みでそんなことができるのかわかりませんし、自分や、身の回りでこんなことがあると怖いと思いますよ」
「俺も、そうやっておまえたちを自分のモノにしているんだ、とは思わないか?」
「しかし、それは、そうする人によるのではないのですか?普通に好きになった相手でも、後になって幻滅することもあるでしょうし、その人が本当にいい人だっていうこともあるでしょう。同じように、局長が私たちを操っていたとしても、局長がいい人であるのなら、それは、私たちにとってもいいことだと、そう思います」
 当たり前のことだというように、さらっと答える薫。その瞳は真っ直ぐに俺を見つめたままだ。薫の視線が突き刺さるように感じるのは、俺に迷いがあるからだろうか。
「たとえ、それが、操られてそう思いこまされていてもか?もしかしたら、俺は、綾を操っていたあの男のように、端から見たら、おまえたちにひどいことをしていて、それでも幸せだと思わされているとは考えないのか?」
 薫は、頬に手を当てて、しばしの間何か考えていたが、すぐに、フゥ、と大きく息を吐いて、ふたたび俺の目を見つめる。
「局長……。もし、本当にそうやって人の心を操って、ひどいことでも幸せだと思い込ませるような人は、今、こうやって私に尋ねているようなことを、操っている相手に訊いてこないと思いますよ。それに、局長がいい人でなかったら、昨日、私が止めてもあの男を壊してしまったでしょう。でも、局長はそうしなかった。だから、局長は、私たちみんなにとっていいご主人様なんです」
 そう言って、少し照れたように薫は微笑む。その薫の笑顔は、今の俺には眩し過ぎる。
「ありがとう、薫。そう言ってくれると助かる」
「だから、もっと自分に自信を持って下さい、局長」
「そうだな、そうすることにする」

「でも、やっぱり心配ですよね、綾ちゃんのこと」
「ああ」
 表情を曇らせる薫の言葉に、俺は頷く事しかできない。結局のところ、俺は、綾のやつにどうしてやりたいのだろう? 
 そんなことを考えながら、俺が視線を下に落とし、デスクの上のペンを持ち上げ、黙ったまま弄っていると、クス、と薫の笑う声が聞こえた。
「羨ましい。綾ちゃん、局長にそんなに想ってもらって。ふふ、私、嫉妬しちゃいます」
 俺が顔を上げると、その言葉とは裏腹に、薫は穏やかな笑顔を湛えていた。
「きっと大丈夫ですよ、局長。綾ちゃんなら大丈夫、そんな気がします」
「そう、だな」

 本当にありがとうな、薫。
 答えはまだ出ないし、迷いもある。しかし、その時には覚悟を決めなくてはならない。それが、きっと主人としての務めなのだと思う。
 それにしても、綾のやつ、てっきり人間ではないと思っていた。それに、本人もそんな感じのことをほのめかしていたのに。それが、悪魔のアイテムを持っていたとはいえ、ただの人間に堕とされるとはな。
 まさか、本当に元傭兵のただの人間なのか?
 いや、あの会社は、悪魔だろうが何だろうが簡単に堕とせるものを作りかねない、特に…あいつなら。ディー・フォンだって、それくらいのことはできる。

 大門邸 PM5:03

 結局、その日も、やっぱり綾のことが心配で俺は仕事を早々に終わらせて家に帰る。
「ただいま」
「お帰りなさい、武彦さん」
「幸、綾はどうしてる?」
 出迎えた幸に、俺が尋ねると、幸は表情を曇らせ、黙ったまま首を横に振る。幸と一緒に出て来た冴子と梨央も、沈んだ表情のまま頷く。

 ……やっぱりそうか。
 はぁ、ここは、やっぱり俺が出向くしかないか。これも、いちおう主人の務めだ。場合によっては、綾の記憶を操作する必要もあるかもしれない。
 俺の中で、記憶を操作され、嫌なことは忘れて生きるのが、綾にとって幸せなのかどうかという問いの答えはまだ出ていない。しかし、俺には、綾が今のまま心に傷を負って生きていくのも、幸せだとは思えない。

「はぁ」 
 綾の部屋の前に立ち、俺はもう一度大きくため息をつく。
 ――コンコン。
 ノックをしても、なんの返事もない。
 俺はドアのノブに手をかける。うん、鍵はかかっていないな。
「綾、俺だ。いいか?入るぞ」
 部屋の中は、カーテンを閉め切ったまま電気もついておらず、この時間だと、もうだいぶ暗くなっている。
 薄暗い部屋の中、机に向かって座っている綾。机に肘をつき、顔を押さえたまま、まだあのメイド服を脱いでいない。

 まさか、昨日帰ってきてからずっとあのままなんじゃ?

「おい、綾」
 ひとこと声をかけて、俺は部屋の灯りをつける。
「あ…大門様…」
 やっと俺に気づいて振り向いた綾は、憔悴しきった表情で、目は泣き腫らして充血し、鼻も真っ赤になって、頬には、まだ乾ききっていない涙が光っていた。
 あの、戦っているときのしなやかで力強い佇まいも、メイドとして仕事をしているときの、少し恥ずかしそうで、でも、心底楽しそうな笑顔も、そして、時折見せる眩しいほどに澄み切った表情も、今までうちで見せてきた綾らしさは面影もない。
 そこにいるのは、弱々しい表情で俺の方を見る、手を伸ばすと消えてしまいそうな程にはかなげな、銀髪の少女。

 ……もう、他に方法はないのか?
 でも、その前に。

「綾、顔を洗って、着替えてこい」
「え?大門様?」
「ずっと部屋に籠もってたら体に良くないぞ。俺と、ちょっと散歩に行かないか?それと、おまえに大事な話がある」
「……はい、わかりました」
 綾は、ゆっくりと立ち上がり、フラフラと洗面所の方に歩いて行く。
 俺が玄関のところで待っていると、着替えをすませて出てきた綾。やはり、泣き疲れ、やつれているのが一目でわかる痛々しい表情だった。

 夕闇の迫る街を、俺と綾、ふたりで歩く。家路を急ぐ人の行き交う中、さっきから、ふたりともずっと黙ったままだ。
「あの、大事なお話って、なんでしょうか、大門様?」
 沈黙に耐えかねたかのように、綾の方から口を開く。
「ああ、綾。昨日、おまえは、俺があの眼鏡野郎にやったことを見ていたはずだな?」
 言葉を選んでいても仕方がない。俺は、単刀直入に話を切り出す。
「あ、は、はい」
 綾が、一瞬怯えたような表情を見せる。しかし、構わずに俺は話を続ける。
「いや、そもそも、おまえは、俺が何者か知っているはずだと俺は思うんだがな」
 綾からの返事はない。しかし、俺は話を続けなくてはならない。そのために綾を連れ出したのだから。
「俺は、人の記憶や認識を操作することができる。だから、おまえがそう望むなら、あの眼鏡野郎に関する記憶を、おまえから完全に消してやることもできる」
「……」
 黙りこくったまま下を向いて歩き続ける綾。今の綾に選択を任せるのは、卑怯かもしれない、とも思う。結局は、俺自身が決断できなかったということだ。しかし、俺の中に、綾の望みを聞いてやりたいと思う心があるのも事実だ。
「もし、あの野郎のことがおまえを苦しめていて、おまえがそれを忘れたいと望むのなら、俺が……」

「あの、大門様」
 俯いたまま俺の話を聞いていた綾が、顔を上げる。
「なんだ?」
「大門様は、私のためと思って、そうおっしゃられるんですよね?」
「ああ」
「なら、私にそんなことを訊かなくても、そうしたらよいのではないですか?」
 俺の方を見上げる綾の顔は、まだ、目の周りを赤く腫らし、うっすらと隈が浮いていている。しかし、心なしか、その瞳には少し生気が戻ってきているような気がした。
「ああ、そうだな。でもな、おまえに黙ってそれをやってしまうと、結局、あの眼鏡野郎と一緒じゃないかと思うんだ。目的が良いとか、悪いとかは関係なしにな。人の心を操るってのは一緒だからな。もっとも、俺にはそんなこと言う資格はないんだろうが」
 そう、俺には、そんな資格はない。俺がうちの連中にしてきたことは、結局はあの野郎と一緒だ。
「大門様、それは…」

 綾が歩みを止め、そして、なにか思案するように目を閉じる。
「だから、せめて、おまえに話して、おまえが望んだらそうしてやろうと思ってな」 
「大門様、あの男に関する私の記憶を完全に消すということは、あの男に関する記憶を消したという記憶まで消さないといけないのではないですか?でしたら、今こうやって、大門様と話している記憶も私の中から消えてしまうことになりますね。それなら、私の同意を得ても、大門様が勝手にやっても、結果は同じじゃありませんか?」
 少しの間何か考えると、綾は閉じていた目を開き、俺の顔を見つめてそう言う。悲しみを湛えた、しかし、どこか柔らかな視線が俺を見据える。
「あ、そ、そうか。そういうことになるよな」
 俺がうろたえると、綾が、フ…、と笑みを浮かべる。
 なにか哀しげで、はかなく見える笑顔。それでも、綾の笑顔を見るのが、ものすごく久しぶりに思える。
 綾がいなかったのは、たった一晩だけだというのに。
「大門様、もう少し、私に考える時間をください」
 ゆっくりと、しかしはっきりとした綾の言葉。
「そうか」
「でも、大門様のお心遣い、感謝します」
 そう言うと、綾は前を向く。ふたたび、ふたり並んで歩きはじめる。綾は、腕と腕が触れるほどに、体を俺の方にすり寄せてきていた。

 そのまま、しばらく黙って歩き続ける。ふたりの間を再度訪れる沈黙。しかし、さっきよりも少しだけ空気が軽くなったように思える。
「あの、大門様」
 その沈黙を破ったのは、またもや綾の方からだった。
「なんだ?」
「そ、その、腕を組んでもよろしいですか?」
「ん?ああ、構わないが」
 俺の返答を聞くと、綾は両手を俺の右腕に絡ませ、頭をすり寄せてきた。
「こうしていると、心が安らぎます。そして、なんだか幸せな気持ちになってきます。奥様も、薫さんも、冴子さんも、梨央ちゃんも、みんなこの安心感と幸福感を感じているんですね」
「綾…」
「大門様、ズルいです。大門様はそんな、心を操る力を使わなくても、人を虜にする力を持っているんですもの」
 俺の腕に頭をすり寄せたまま、綾は俺の顔を見上げてくる。
「綾、すまない」
「え?なんの…ことですか?」
「おまえはうちの使用人だ。そうなった理由はどうあれ、俺は、おまえの主人であることに変わりはない。だから、おまえのことを守ってやらなきゃならないのに、俺はおまえを守れなかった。おまえに、つらい思いをさせてしまった。本当に、すまない」
「そ、そんな」
「もう、おまえにこんなつらい思いはさせない。他のみんなと同じように、おまえのことは俺が守る」
「大門様……」
「さあ、そろそろ家に戻るか。もう晩飯の用意ができてる頃だろう」
「はい、大門様」
 綾が俺に笑みを返す。まだ、満開とはいかないけれども。

 俺と綾が、家に向かって歩き出そうとしたとき。
「くっ!」
 俺は、全身の毛が逆立つくらいの強い魔力を感じた。
 そういえば、まだ日が沈んだばかりだというのに、さっきまであれ程いた人影が消えている。
「あ、だ、大門様、あ、あれは?」
 綾が、前方を指さして俺の名を呼ぶ。その声が少し震えていた。
 綾の指さす先、そこにいたのは、蒼ざめた馬に跨った、コウモリの翼に蛇の尻尾を持った大男。
「なっ!まさかっ、あいつはっ!」
 そう、俺はそいつを知っていた。
 伴天院、いや、あの姿の時はバティンと呼ぶべきか?
「あ、あれは?そ、そんな、あんなのが…」
 綾の唇が小刻みに震えている。
 無理もないか。たとえ、綾がただの人間ではなかったとしても、このクラスの上級悪魔にはそうそうお目にはかかれないだろう。それに、どのみち今の綾の状態では、とてもじゃないが戦闘は無理だ。

 カツ、と蹄の音を響かせて、バティンの乗る馬が一歩前に出る。
 まずい!社員としてはただのバカだが、上級悪魔としての奴の力はヤバすぎる!
「逃げろ!綾!」
 俺は、綾を突き飛ばす。
 その瞬間。
「ぐはあっ!」
 それは、一瞬のこと、いや、奴の攻撃が俺には全然見えなかった。
 同時に、凄まじい衝撃と痛みが、俺の体を駆け抜ける。なんて力、いや、なんてスピードだ!
「大門様!」
「来るな!綾ッ!ぐふっ!」
 起きあがって、こっちに来ようとする綾を制する俺に、ふたたび、旋風のように馬に乗ったバティンが向かってくる。
「くっ!」
 俺の体にまた激痛が走る。く、折れてはいないな。いちおう、俺も悪魔のはしくれだから、人間の体ほどは脆くはないが、それでも、打撃をくらった肋がハンパなく痛む。 
 一撃の重さは思ったほどではないが、あのとんでもないスピードそのものが脅威だ。
「ぐふっ!これしき!ぐああッ!」
 とっさに、急所だけは腕でかばう。とてもじゃないが避けられはしない。あいつッ、明らかに俺を狙ってやがる!なぜだ!?なんで俺がバティンに襲われなきゃならない!?
 それに、バティンのあの目、何の感情も映していない。どういうことだ?いったい、魔界で何があったというんだ?
「くそっ!なんのっ!ぐわっ!」
「大門様っ!いやあっ!やめてえええぇ!!」
 バティンにいたぶられる俺の姿に耐えかねたのか、綾が叫びながら俺の方に走ってくる。
「馬鹿っ!こっちに来るな!」
 俺の制止も聞かず、こっちに走ってくる綾。すると、バティンの首が、ゆっくりと綾の方を向き、開いた口から炎の弾ができあがっていく。
 バティンの属性は、たしか、火!
 だめだっ!あれをくらったらヤバい!

「くそ!」
 俺は、綾とバティンの間に割って入り、とっさに、突き出した両手の先に、魔力の弾を作る。
「がはあああっ!」
 なんとか、バティンの炎弾を空中にはじき返したが、衝撃で俺の体も吹き飛ばされる。どだい、俺と奴では、持ってる魔力のケタが違う。
「ああッ!ご、ご主人様!」
 地面に転がる俺を、駆け寄った綾が助け起こす。って、ご主人様?
「大丈夫ですか!?ご主人様!?」
「ああ、大丈夫だ。それより、綾、俺のことをご主人様って呼んでくれるんだな」
「な!こんな時に、なにをそんな暢気なこと言ってるんですか!」
「いや、おまえも俺のことを主人と認めてくれるんだな、と思ってな。そんなことよりも」
 俺は立ち上がると、パン、と埃を払い、綾を後ろに下がらせる。
「さっき言ったはずだ。俺はおまえを守る、てな」
「ご主人様…」

 と、カッコつけてみたものの、こんな化けもん相手にどうしたもんだか。
 まあ、俺には魔力を飛ばすくらいしかできないが。それに、綾が後ろにいる以上、意地でも負けられない。
 最悪、俺の命に代えてでも……。
 俺は、手をバティンに向け、今出せる魔力を最大限に集める。
 
「くっ!」
 まただ!心の中で何か割れるような音。
 この間の、ひびが入るような感じとは違う。もっと大きな、心に亀裂が拡がるような感覚。
「う!ぐわああああっ!」
 そして、またもや襲いかかる激しい頭痛。
「ごっ!ご主人様!?」
「来るな!綾!」
 俺は、頭を抱えながら綾を押し止める。
 
 頭を抱える俺の視界の端に、バティンの翼が羽ばたき、奴の体がゆっくりと宙に浮かび上がるのが見える。その口が開き、さっきの数倍の大きさの炎弾ができあがっていく。
 くそ、一気に決めに来る気か。
 俺は、片手で頭を抱えたまま、もう片方の手をバティンに突き出す。
 まだ頭は痛むが、ここでなんとかしなければ終わりだ。それに、ここであんなのをくらったら、近くにいる綾もただじゃすまない。
「そんなこと、させるかぁ!」
 俺は、手先に全ての魔力を集中させる。
 頭の中で、パキパキと、何か割れるような音が響く。そして、それとともにさらにひどくなる頭痛。
 しかし、もう、そんなことに構っていられない。
「くっそおおおおおおぉっ!」
 俺が、頭を抱えるのを止めて、両手をバティンにつきだした瞬間。

「なッ!?」
 俺の両手から発せられた、巨大な魔力の塊。白とも灰色ともつかない、純粋なエネルギーの塊が、炎弾ごとバティンを飲み込む。
 そして、閃光が収まったとき、バティンの姿は跡形もなかった。
 これが、俺の力?
 俺は、自分のやったことが信じられず、呆然として両手を眺める。
「ぐっ!」
 強烈な脱力感に襲われ、俺は膝をつく。それに、バティンの攻撃をくらった体中がズキズキと痛む。
「ご主人様ぁっ!」
 綾が俺に駆け寄ってくる。
「くっ、だ、大丈夫だ。綾、肩を貸してくれ」
「はい」
 綾に助け起こされ、俺は立ち上がる。やったのか?
 ……いや。
 上級悪魔を完全に消滅させることができるのは、天界の武器だけだ。
 人間や、俺みたいな中級悪魔の攻撃では、一時的に消すことしかできない。おそらく、数年から数十年も経つと奴は魔界で復活するだろう。
 だが、それでもいい。
 俺に肩を貸す綾の方を見ながら、そう俺は考える。とりあえず今、俺はこいつを守ることができたのだから。
「本当に大丈夫ですか?ご主人様?」
「ああ、さあ、家に帰るぞ、綾」
「はい」
 俺を支えながら、綾がゆっくりと歩き出した。

 俺の寝室。

「ひどい……」
 ベッドに座った俺のシャツを脱がせ、現れた上半身を見て綾が息を呑む。
 俺の体中、青あざや内出血だらけだ。
「こ、こんなに」
「いや、見た目は派手だが、大したことはない」
 真っ青な顔で俺の体を見つめ、泣き出しそうになる綾を安心させるため、俺はわざと平気そうな声で言う。まあ、実際には無茶苦茶痛いんだが。
「あ!ここ、血が!」
「ああ、吹き飛ばされたときに擦ったり切ったりしたんだろう。そんなに深い傷じゃない」
「でも、このままにはしておけません」
 綾は俺の傷口を消毒し、包帯を巻いていく。

「すまないな、綾」
「そんな、ご主人様は、私のために」
 いや、バティンは、あいつは明らかに俺を狙っていた。綾は、それに巻き込まれただけだ。
「ご主人様は、私を守るために怪我を……」
「違うな」
「え?」
「あいつが狙っていたのは俺だ。おまえは、ただ巻き添えをくらっただけなんだ」
「そ、そんな」
「俺はあいつを知っている。綾、実は、俺は悪魔だ。いや、悪魔だったというべきかな」
 たぶん、そのことを綾は知っている、と、俺は思う。
「ご、ご主人様!?」
「もっとも、今の俺は、わけがあって魔界を出てきた身だ。そして、さっきのあいつは、魔界時代の俺の部下だった。まあ、部下といっても、会社の中での立場だけであって、悪魔としての力は奴の方が上だがな」
 綾は、真剣な顔で俺の方を見上げ、身じろぎもせずに俺の話を聞いている。
「魔界を出た俺には、今、魔界がどうなっているのかわからない。ただ、何かが起こっているのはたしかだ。そして、理由は俺にもわからないが、どうやら俺は魔界に狙われているらしい」
「え?それはっ!?」
 綾が叫ぶ。その頬を汗が伝い、声がかすかに震えている。

「なあ、綾」
 おれは、ゆっくりと言葉を続ける。
「おまえは俺の正体を知っていたんだろう?おまえがここに来たことと、今、魔界で起こっていることには、なにか関係があるんじゃないのか?」
「あ、それは」
 綾が、俺から目を逸らす。
「違うのか、綾?」
「……はい、私がここにいる理由は、そのこととは関係はありません」
 綾は、観念したように目を瞑り、首を横に振る。
「そうか。でも、おまえが俺の正体を知っていたことと、おまえが、俺の正体を知る立場にある者であることは認めるのか」
 俺がそう言うと、綾は、しばらく考え込んだ後、思いつめた表情で口を開く。
「ご主人様、今はまだ言えません。でも、もう少し、もう少しだけ時間を下さい。私の方でも調べてみます」
「危険なことをするなら、許可はしない」
「え?」
「おまえはうちのメイドだ。俺にはおまえを守る務めがある。だから、危ない目に遭うような真似をさせることはできない」
「大丈夫です、ご主人様。少し、情報を集めるだけですから」
「そうか、だが、無茶はするな」
「はい」
 そう答えると綾は、止めていた手を動かし、黙々と包帯を巻き続ける。

 しばしの間、ふたりの間を支配していた沈黙を、今度は俺の方から破る。
「綾、このことも、おまえは知っていると思うが、それでも俺の口から言っておきたいことがある」
「なんでしょうか?」
「幸も、薫も、冴子も梨央も、みんな俺が操って今のようにしたんだ。だから、ホントは、俺にはおまえの主人になる資格なんかない。俺のやっていることは、あの眼鏡野郎と一緒だ」
「そ、そんな、ご主人様!?」
 綾が、ハッとした表情で俺の顔を見上げる。
「そんな、ご主人様はあの男とは違います。だって、ご主人様は、こんなに優しくて、みんなあんなに幸せそうで……」
 首を振りながら、絞り出すように声を出す綾。
 でも、俺がやってることは、おまえを襲ったあの男どもと一緒じゃないか、綾。
 俺は、そんなに立派な奴じゃない。
「さっき言っただろう、綾。俺は悪魔だったって。悪魔は、人を幸せになんかしないだろう」
「でも、でも、みんな、ご主人様と一緒にいられて、それであんなに幸せそうで……」
「綾、おまえには酷なことを言うが、あいつに洗脳されていたとき、おまえは幸せに感じていたはずだ。人の心を操るっていうのは、そういうことなんだよ」
「そんな!でもっ!私は、ご主人様に操られていないのに、私も、ご主人様の側にいられてこんなに幸せなんです。大門様を、心から私のご主人様だと!」
「綾……」
「それに!ご主人様は、悪魔だった、とおっしゃいましたよね。それは、今は、悪魔じゃないってことではないんですか!?」
 俺なんかのために、何ムキになってんだよ、綾。
「なあ、綾。知ってるか?」
「何を、ですか、ご主人様?」
「悪魔ってのは、昔は天使だったそうだ。それが、天使を辞めちまって悪魔になったんだってな。だから、悪魔のことを、堕天使っていうんだと」
「……聞いたこと、あります」
「天使を辞めたのが悪魔だってんなら、その悪魔すら辞めちまった俺は、いったいなんなんだろうな?」
「ご主人様……」
 綾が俺の目を見つめる、哀しげな眼差し。
「すまない、綾。こんなこと、おまえに愚痴ってもしょうがないのにな」
「そんなこと、ありません」
 綾は、睫毛を伏せて黙り込む。

「あの、ご主人様」
 少しの間、そうやって何か考えていた後、ふたたび顔を上げて俺を見据える綾。その表情が少しこわばっている。
「なんだ?」
「私を、ご主人様のモノにしてください!」
「なんだと!?」
「私をっ!奥様や、薫さんや、冴子さんや梨央ちゃんのように、ご主人様だけを愛して、ご主人様のことだけを考えて、ご主人様にお仕えして、それで幸せな、ご主人様のモノにしてください!」
「なっ、おまえ、自分が何を言ってるのかわかってるのか?」
「あんなッ、別の男のモノになるのは、もう絶対にイヤなんですっ!そうなって、ご主人様を傷つけるのが怖いっ。だから、そうならないように、私をッ、完全にご主人様のモノにしてくださいっ!」
 目に涙を溜めて俺に訴える綾。
 ああ、そうか、それ程までに昨日のことがショックだったのか。しかし、自分から俺にそう訴えている時点で、おまえはもう…。
 それに、これは。
 俺は、今まで綾に反応を示さなかった眼鏡に、綾の俺に対する好感度が表示されているのに気づく。
 この眼鏡がさっきの戦闘で壊れていないのも驚きだが、何よりもビックリしたのは、その数値、18万!
 どんだけ高いんだよ?!幸たちとほとんど変わらない数値だぞ!
 この数値が示すこと、それは、もうおまえが完全に俺のモノになってるのと同じってことじゃないのか!?だいいち、俺の持っている道具は、こんな状態のやつをそれ以上堕とすような道具じゃない。
「ご主人様、やっぱり私は、ご主人様のモノにはしてもらえないんですか?」
 俺を見上げる綾の目から、涙がひと筋流れる。

 そうか…。
 綾は、俺の口から言質が欲しいのか。完全に俺のモノになったという証を。
「わかった、綾」
「あ、ご主人様。」
 俺は、綾の腕をつかんで抱き寄せる。
「綾、おまえはこれから、完全に俺のモノになるんだ」
「完全に、ご主人様の…モノ。ん…んん!んふ、ちゅ」
 俺が顔を近づけていくと、綾の方から俺の唇に吸いついてくる。頬を涙で濡らしながらも、綾の目尻が緩んでいき、うっとりとした表情を浮かべる。
 それは、暗示というよりも、むしろ、確認行為。すでにできあがったものを強化するための言霊。

 くちづけを終えると、俺と綾の間に唾液が細い糸を引く。
「ん、ああ、うれしい。ご主人様」
 綾は、俺の前に跪くと、俺のズボンをずらしていく。
「どうか、ご主人様の、おちんちんにご奉仕させてください」
 一度俺の顔を見上げ、そう言うと、綾は俺のモノを口に含む。
「んむ…んふ…ん…んん」
 どこか慣れた様子で、俺のモノをしゃぶる綾。な、これは?俺は、綾を完全に俺のモノにするとは言ったが、それ以外のことはしていないのに。
「んん…む…ふん…くちゅ」
 綾は、目を瞑って、熱心にしゃぶり続けている。俺のモノに絡みつく綾の舌が、熱を帯びている気がした。
「んっ…んっ…ちゅる…ふむ…んっ」
 いったい、綾は?
 そんな俺の疑問をよそに、俺のモノをしゃぶる綾の動きが激しくなっていく。
「んんんっ…じゅるる…ちゅ…んふっ…んん!んんんんんっ!」
 奥深くまで俺のモノを咥え込み、俺の精液を受けとめる綾。
「ん…ご主人様の精液、美味しい」
 こくん、と俺の精液を飲み込み、唇をペロ、と舐めると、綾は立ち上がって服を脱いでいく。
 そして、一糸まとわぬ姿で俺の前に立った綾の瞳は潤み、体はほのかに赤く染まっていた。

「おい、綾?」
「ああ…ご主人様の、おちんちんを、アヤのおま○こに挿れさせてください」
 綾は、ベッドに座った俺の足をまたぐようにして立つと、片手で俺のモノを支え、体を沈めていく。
「はう!んんん!ああ!ご主人様が!アヤの中にっ!んああああっ!」
 綾は、俺のモノを根元まで飲み込み、首を大きく反らす。すでに、綾のアソコはすっかり湿り、中はドロドロになっている。
「あうんっ!ご主人様のおちんちんっ!大きくてっ!気持ちイイですっ!」
 俺に抱きつき、甘く喘ぎながら腰を上下させる綾。しかし、俺が感じるこの違和感。ああ、間違いない、これは、きっと。
「ああっ、ご主人様ぁっ!ご主人様のおちんちんがっ!アヤの中でズンズンとっ!はうんっ!はんっ!あんっ!あんっ!」
 完全に蕩けた表情で激しく腰を振る綾。しかし…。
 これは、フラッシュバック現象。
 あいつに洗脳されていたときの綾の状態が、主人としての対象を俺に入れ替えて戻ってきている。
 その証拠に、普段は自分のことを、『私』と言う綾が、『アヤ』と言っている。きっと、奴は、綾にそう言わせていたんだろう。
「はあんッ!ご主人様ッ!アヤに!アヤにもっと!はあああっ!」
 淫らに腰を揺すり続け、俺のモノを貪る綾。
 しかし、その動きが淫らであればあるほど、俺の目には痛々しく映る。

「綾ッ!」

 俺は、体を動かすことができないくらいに綾を強く抱きしめる。傷ついた体中がギシギシ傷むが、そんなことに構ってはいられない。
「あんッ!はんッ!あ?……ご主人様?」
 綾は、突然動きを押さえつけられ、腰をもじもじとさせながら、怪訝そうに俺の方を見る。
「綾、俺にはそんなことはしなくていい。いつも通りのおまえを、あるがままのおまえを俺は愛して、そして守ってやる」
「あ、あ…ご主人様」
 ゆっくりと俺の顔を見る綾。その瞳は、フルフルと小刻みに震えている。
「おまえが何者で、何のためにここに来たのか、おまえが話したくなかったらそれでもいい。今のおまえは、俺のモノで、うちのメイドだ。それ以外の何ものでもない。俺の目の前におまえがいる。それだけで俺には充分だ」
「あ、ああ……大門様が、私の、ご主人様でよかった」
 綾の頬を涙が伝う。
 綾を抱きしめている俺の体を確かめるように、綾も俺を強く抱き返してくる。だが、綾の腰は、我慢できないかのように、ゆっくりとだが、確実に動こうとしている。
「ああ、でも、ご主人様ぁ」
 何か訴えるような涙目で、綾が俺を見上げてくる。
「なんだ、綾?」
 俺は、綾を抱いていた力を緩める。すると、綾は再び自分から腰を振りはじめる。
「ああ!わたし、わたしっ!気持ちイイの止められません!」
 ベッドがきしむほどに激しく腰を上下させる綾。しかし、その表情は、さっきまでの完全に快楽に飲まれたものではなく、快感に蕩けさせながらも、どこか翳りがある。
「ああっ!わたしはッ!あの男に!こんなにいやらしい体に!うんんっ!されてしまいました!はんっ!はああんっ!」
 淫蕩さと、うしろめたさのない交ぜになった表情で、綾は腰を揺すり続ける。
「ごめんなさい、ご主人様っ。わたしは、こんなに!はうんっ!淫らでっ、いやらしい女に!きゃあうんっ!」
「気にするな。綾、言っておくが、俺の下僕は、みんなものすごくいやらしいんだぞ。これで、おまえもみんなと同じってわけだ」
「あああっ!みんなと!同じ……」
「だから、おまえがいやらしくなるのは、俺も望むところだ」
「ああん!で!でも!わたしの体はっ!あの男に汚されてっ!」 
「それこそ、俺がそんなこと気にすると思うのか?言ったはずだぞ!目の前におまえがいる、それだけで俺には充分だと!」
「はあああっ!ご!ご主人さまぁっ!ああああん!」
 激しく腰を揺らしながら首を反らせる綾の顔から、ボロボロと光る粒がこぼれる。
「だから、おまえは余計なことは気にしなくていい!黙って俺のモノになればいいんだ!おまえは俺が守ってやる!もう二度とおまえにつらい思いはさせない!」
「あっ!はああっ!だ!大門さまぁ!私の!ごしゅじん!さまっ!んはああっ!」
 俺に抱きつき、ガクガクと体を揺らす綾。
「さあ、受け取れっ!綾!これを受けたら、おまえは完全に俺のモノだ!」
 俺は、そう叫ぶと、下から思い切り綾を突き上げる。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーッごしゅじん!さまのが!私の中にいぃっ!う!うれしいッ!これでっ!私はっ!かんぜんにッ!ごしゅじんさまのモノッ!ひああッ!はあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁッ!」
 綾は、後ろに倒れそうなほどに体を反らせ、歓喜と服従の言葉とともに絶頂に達する。
「ん゛ッ!ひぐッ!んあ゛ッ!ああ!……はぁはぁ、私、これでご主人様の…はあぁ…モノに。みんなと、本当の…家族に、なれたんですね」
 全身の力が抜けたのか、クタッ、と俺に寄りかかり、荒く息をしながら、綾が俺を見上げる。
 その目からは、喜びの涙が止めどなく溢れていた。

< 続く >

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