悪魔の流儀 選択肢

選択肢

大門邸 冴子の寝室

 意識を失ったままの冴子をベッドに寝かせると、綾は俺たちの方に振り向く。
「出血は止まりましたし、命には別状はないと思います」
「そうか」
「でも、しばらくは安静にしておかないと」
「ああ」

「私が、私が油断さえしなければ、冴子さんはこんなことには……」
 今にも泣き出しそうな表情をして、項垂れる綾。
「それは、俺も同じだ」
 そう、あの状況でみんなを守ることができたのは俺と綾だけだ。あの時、上への注意を怠っていた俺にも責任はある。
「だから、自分ばかり責めるな」
「はい」
 沈んだ表情のまま、綾は小さく頷く。

「あ、あの、武彦さん」
 血の気の失せた、蒼白な顔をした幸がおずおずと話に入ってくる。
「さ、さっきのは、いったいなんなんですか?どうして私たちがこんな目に?」
 まだ、少し怯えた様子で、幸の体は小さく震えている。
 無理もない、幸たち普通の人間にしてみれば、あんなのが実際に存在しているなんて想像すらしていなかっただろう。
 それがあんなことに巻き込まれてしまって、その恐怖は相当なものに違いない。

 全て俺の責任だ。

 そもそも、こいつらが俺を好きになったのも、悪魔の道具を使って心を操ったからだ。その上、こんな目に遭わせてしまって。
 その責任を、俺はとるべきじゃないのか?

「おまえたちには本当のことを言ってしまおう。さっきの奴らは悪魔だ。何かの喩えじゃなくて、正真正銘のな」
「大門様!」
 ハッとした表情で綾が俺を見る。しかし、俺の心は決まっている。
「実はな、あの悪魔たちに俺は狙われているんだ」
「武彦さんが?どうしてっ?」
「それはな、俺も悪魔だからだ」
「そ、そんな!?」
「まあ、元悪魔といったところだがな。俺はもともとあいつらの仲間だった。そこから抜けたせいかどうかはわからないが、俺は奴らに狙われているというわけだ」
 幸も薫も梨央も、蒼ざめた顔で俺の話を聞いている。
「で、今回は、それにおまえらが巻き込まれたっていうところだ」

 厳密に言うと少し違うのだろう。
 これまでは、奴らのターゲットは俺だった。しかし、今度のは明らかにこいつらを巻き込んで何かをしようとしていた。
 なぜ、奴らはこんなことを?
 ターゲットが俺なら、俺だけを狙えばいい話じゃないか。こいつらを巻き込む必要はない。それなのに……。
 このまま俺がこいつらと一緒にいると、またこいつらを巻き込むことになってしまうんじゃないだろうか。
 俺の中に、そういう想いがわき上がってくる。

「さっき、俺は元悪魔だったと言ったよな。今、おまえらが俺と一緒にいるのは、俺がおまえたちの心を操って、俺のことを好きになるようにさせたからだ」
「だ、大門様!それはっ!」
 慌てて話に割って入ろうとする綾を、俺は目で制する。
「だから、本当は、おまえたちは俺と一緒になるはずじゃなかったんだ」
 突然そんなことを言われ、幸たちは一様に戸惑いの表情を浮かべる。
「俺は、これからおまえたちへの操作を解こうと思う。俺の側にいると、またおまえたちを危険な目に遭わせるかもしれない。このままだと、またつらい目に遭わせてしまうだろう。おまえたちをそんな目に遭わせたくないから、おまえたちの、俺を好きだという気持ちを消してやる。だから、これからは俺のことなんか忘れて自由に生きたらいい。無理矢理俺に縛られることはないんだ」

「「「イヤですっ!」」」
 全員一緒にハモりやがった。

「いきなりそんな話をされても、にわかには信じられません」
 まず、切り出したのは幸だった。
「たしかに、あんなのを目の当たりにしたら信じないわけにはいかないのでしょうし、本当は、あんな目に遭うのは恐いです。でも、だからといって武彦さんのことを忘れるなんて私にはできません。それに、私は武彦さんの妻です。武彦さんがなんと言おうと籍を抜くつもりはありません」
 いつになくきつい目をして俺を見据える幸。いや、生々しいから、籍を抜くだの抜かないのって話はやめてくれ。

「私も、前に言ったはずですよ、局長。たとえ局長が私たちを操っていたとしても、局長だから私は幸せなんだって」
 次は薫だ。
「何度同じ事を言わせるつもりなんですか。局長抜きの幸せなんて、私にはあり得ませんし、たとえどんな目に遭っても局長の側を離れるつもりはありません。私は局長の秘書です。それだけは譲れません。弘志さん、いや、高遠常務取締役に直訴してでも私は局長の秘書であり続けます」
 おまえは、会社の人事をなんだと心得ているんだ。だいたい、俺が会社を辞めて姿を消したらどうするつもりなんだ?

「イヤだと言ったらイヤです!梨央はご主人様から絶対に離れません!」
 ……こいつには理屈は通じないよな。
 そもそも、俺にあのダーツを解除することができるのか?まあ、最悪、糸で記憶を操作して俺のことを忘れさせることでなんとかなるだろう。

「大門様、奥様たちもああ仰っていますし、そんなに急いで結論を出さなくても」
 俺をなだめるように口を開く綾。

 こいつが一番やっかいかもな。
 そもそも、こいつには道具も何も使っていない。こいつの方から勝手に堕ちてきたんだ。だいいち、綾には綾の目的があってここにいるんだろう。

「でも、綾。おまえにはわかるだろう。あいつらは必ずまた俺を狙ってくる。その時にこいつらを守りきれるかどうかはわからないんだぞ。だったら、おまえたちを守るためにはこうするしかっ」
「大門様がそうなさるのは、私たちのことを愛しているからでしょう」
「そうだっ」
「でも、私たちを守るために私たちを悲しませるのは本末転倒ではないのですか?」
「しかしっ、俺は、おまえたちの主人として、これ以上おまえたちを危険にさらすことはできない」
「私たちのご主人様だというのなら、ご主人様のままで私たちを守りきって下さい!それが主人としての務めではないのですか、大門様!?」

 綾の言葉に他の全員が黙ったまま頷く。全員同じ目をしていやがる。これは、絶対に退かない、俺の言うことは受け入れられないという目だ。

「綾ちゃんの言うとおりですよ、武彦さん。もし、武彦さんが、私の心を操って自分のことを好きになるようにしていたとしても、私たちには今まで武彦さんと一緒に過ごした時間がたしかにあるんです」
「だから、私たちにかけた操作を解いたからといって、私たちが局長のことを忘れたりするはずはないんです」
「そうですよっ、梨央がご主人様のことを嫌いになるなんてこと、あるはずないですものっ」
「さっき大門様は、私たちが大門様のことを好きだという気持ちを消すと仰いましたが、それは、操作を解くのではなくて、新たに私たちの心を操るということではないのですか?」
「う、それはっ」
「なんでしたら、どうぞ私たちの操作を解いてみてください。それで本当に私たちが大門様のことを好きでなくなるのか、大門様のことを忘れてしまうのか。やってみたらすぐにわかることです」
 綾の言葉に頷きながら固唾を呑んで俺の方を見つめる幸たち。その瞳には強い意志が宿っている。
 その目を見ると、俺は、自分の意見が通らないことを悟る。

「……しかたないな。俺の負けだ」
「それではっ!?」
「ああ、おまえたちの操作を解くのはやめだ」
「武彦さん!」
「局長…」
「ご主人様っ」
「ああ、大門様」
 一斉に全員が安堵の表情になる。

「ただし、しばらくの間おまえたちは家でおとなしくしていろ。特に、幸と薫と梨央はひとりで行動するな。薫は仕事の間は俺の側を絶対に離れるんじゃない。綾、おまえには幸と梨央、そして冴子を頼む」
「はい」
 それで、奴らの手からこいつらを守りきれるかどうかはわからない。
 だいいち、奴らが次にどんな手を打ってくるか、それすらもわからない。

 悪魔の手からどうやってうちの家族を守るか、俺が苦慮していたその時。
 
 ――プルルル

 俺の携帯が鳴った。

「こ、これはっ?」
 たしかに、音がしたのは俺のポケットからだ。しかし、それはいつも使っている俺の携帯ではなく、薫のあの事件の時にあの男から取りあげて以来、何かの時のために常に持ち歩いていたディー・フォンだった。
 ディー・フォンには、人を操るための機能だけではなく、普通に通話する機能も付いている。しかし、そもそもこれは俺のじゃないし、手に入れてから、これまで一度も鳴ったことはなかったのに。

 それが、どうして?

 嫌な予感に、全身の毛が逆立つ。しかし、この電話に出なくてはならない、そんな気もする。
 俺は、覚悟を決めて、通話ボタンを押す。

「もしもし」
「久しぶりですね、大門さん」
 忘れようもない。その声の主は、かつての俺の部下で、今、俺たちを狙っている男。
「おまえっ、倭文かっ!」
 思わず大声を出してしまったため、全員が驚いたように俺の方を見る。
「覚えていてくれて、僕も嬉しいですよ、大門さん」
「おまえ、何のつもりでっ、どうして俺たちにこんなことをした?」
 高ぶる感情を抑えて、俺は声をひそめる。
「そんなに慌てなくてもいいですよ、大門さん。話すと長くなりますから、どうです、会って話をしませんか?」
「なんだと?」
「これから、そうですね、今から3時間後、午前1時にさっきの公園に来てください。そこで僕は待っていますから」
「そんなの、どうせまた罠に決まっているだろうが」
「大丈夫ですよ、留守中にあなたの家を襲わせるようなことはしませんから」
「あんなことをしてきて、俺が信用すると思うのか?」
「まあ、信用していただくしかないですね。僕は、あなたに用があるんです」
「俺に?」
「そのために今まであれこれと趣向を凝らしてきたんですから」
「趣向だとっ、ふざけたことをっ」
「ああ、気を悪くされたのなら謝ります。とにかく、僕の目的は大門さんだけですから、会ったときに全部お話ししますよ」
「本当だな?」
「ええ、それに、もし受け入れて頂けない場合には、こちらとしても強硬手段に出るしかないですが」
「結局、そうことだな。受け入れなければ、うちの奴らに手を出すと?」
「まあ、それでノーと言える大門さんじゃないと思っていますけど」
「くっ、てめえ!……しかたない、行ってやる」
「そう言ってくれると思いましたよ。それでは、約束の時間に会いましょう」
 そこまでいうと、倭文からの通話は切れた。

「あの、武彦さん、今の電話はいったい?」
 ディー・フォンをポケットにしまい込んだ俺に、心配そうな表情の幸が尋ねてくる。
「ああ、いや、ちょっと仕事関係でごたごたがあってな」
 俺はそう言って誤魔化す。途中から小さな声で話していたから内容は聞かれていないはずだが、あんなことのあった後だけに、全員が不安げな面もちをしている。
「いや、まあ、あんなことがあったばかりだから、おまえたちが不安に思うのも無理はないが、これは本当に仕事の電話だ。とにかく、今日はおまえたちも疲れてるだろうから早く休め。そして、さっきも言ったとおり、しばらくの間は家でおとなしくしているんだ」
 それだけ言うと、俺は、部屋から出ていく。
 俺の背中に、不安と不審の視線が突き刺さるのを感じるが、構わずに俺は自分の部屋に戻る。

* * *

 大門の部屋 PM11:18

 俺の部屋をノックする音が聞こえた

「入れ」
 ドアを開けて入ってきたのは、綾。
「何か用か?」
「大門様、さっきの電話、仕事の話ではないですね」
「いや、本当に仕事の話だ」
「あんなに大きな声で名前を呼んだのですもの、ごまかしてもダメですよ。あの電話、相手はシトリーですね」
「なっ、おまえ、あいつを知っているのか?」
「はい」
 真剣な顔で頷く綾。
 ただ知っているというだけじゃない。あいつのことをシトリーと呼ぶということは、悪魔としての本当の姿を知っているということだ。
 間違いなく綾は人間じゃない。しかし、魔界の者でもない。だとすると、残る可能性は天界だけだ。さっきの戦い方を見ても、おそらくそうだろうとは思う。
 しかし、綾と倭文の間にいったいどういう関係があるというんだ?
「いったい、どこで?」
「大門様。私は天界から来た者、つまり天使です」
「ああ」
 もちろん、予想していたことだから、俺に驚きはなかった。
「かつて、魔界と天界が戦ったとき、私の部隊はシトリーによって私以外全滅させられてしまいました。その時に部隊の仲間も、そして、私の姉もみんなあの男に奪われてしまったんです」
「な、なんだって!?」
 これにはさすがに驚いた。綾とあいつの間にそんな因縁があったなんて。
「だから、おまえはここに来たのか?俺が、あいつの上司だったから、こういうことになるのを見越して」
「いいえ、私がここに来たのは全く別の理由です。あの男とは関係ありません。もちろん、大門様とあの男との関係は知っていましたが、まさか、こんなことになるとは、私も思っていませんでした」
「じゃあ、いったい何のためにおまえは?」
「それは」
 それだけ言って、綾は口をつぐむ。綾が俺の所に来た本当の理由、それは俺には言えないことなのか。
「……まあいい。それで、おまえはこれからどうするつもりなんだ?」
「私を連れて行ってください、大門様」
「なんのことだ?」
「さっきの電話。あの男からの呼び出しなのでしょう?」
「……」
「だったら、私を一緒に連れて行ってください」
「だめだ」
「そんなっ。どうしてですか、大門様!?」
「言っただろう、おまえたちを危険な目には遭わせないと。おまえたちを守るのが主人としての務めだと。主人のままでおまえたちを守ってみせるとさっき俺に約束させたのは綾、おまえじゃないのか?」
「それは、そうですが」
「それに、あいつのことはおまえの目的とは関係ないんだろう。だったら、おまえはついて来るな。これは、俺とあいつとの問題だ」
「しかしっ!私は大門様の下僕です!それに、私の、天使としての力ならっ、きっと大門様のお役に立てるはずです!」
 涙を浮かべながら必死に食い下がってくる綾。

 綾の姿を見ていると、はたしてどうしたらいいものか、俺の気持ちも揺れ動く。
 さて、どうしたもんだか。

< 綾を連れて行かない >

< 綾を連れて行く >

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