GGSD 第3話《Bパート》

第3話「ガツンの長い午後」《Bパート》

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<CMあけアイキャッチ>
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【10月14日[火]14時59分、N市・緑山遊園】
 N市警に所属する警官、山下久美と宮本美樹は次のアトラクションを目指して歩いていた。
 まるで蜜月期のカップルのように、互いに腕をまわし身体を寄せ合っている。

 ガツンに犯された二人は、『ここにある全てのアトラクションで淫らな行為に耽らなければならない』という不条理な思考に染まっていた。もちろん、異常極まる考えであるという自覚はある。だがそれはほとんど『使命』とでも呼ぶべき強い確信であり、同時に制御できない衝動として彼女らを突き動かしていた。

 美樹はすでにコーヒーカップで一回、お化け屋敷で二回、絶頂に達している。お化け屋敷では互いに性器を口で愛撫しあい、久美も一度オーガズムを得ていた。

 制服は乱れ、皺になっている。
 二人ともスカートの下には何も履いていない。下着とパンストはお化け屋敷の中で脱ぎ捨てていた。
 特に美樹は服の乱れが激しい。
 上着もすでになく、シャツは羽織っているが、前のボタンが外され裸の胸の谷間が露になっている。乳首はかろうじて隠れているが、頻繁に久美が手を伸ばし刺激を与えるため、おさまらない勃起が薄いシャツの生地を押し上げ、くっきりと影を作っていた。
 久美の方は一応上下とも制服を身につけている。
 だが、大腿には乾いた愛液が白くこびりつき、スカートの奧では膨らんだ襞の内側から、今も激しく蜜を溢れさせていた。

 錆びた鉄骨で組まれたジェットコースターが、二人の目の前に迫っていた。
 高さはさほどない。コースも短い。だが古くてギシギシと音を立てる「別の意味で怖い」と噂の名物コースターだ。
 当然のことながら、人は並んでいなかった。
 チケットは、コーヒーカップに乗る時に買ったものがまだ残っている。
 入り口にいる係員にチケットを差し出すと、奧から別の男が二人出てきた。

 髪を固くセットしサングラスをかけた30代の男と、もう一人はその弟分といった感じの若者だ。
 サングラスの男は黒のスーツにえんじのネクタイを締めている。──二人は会ったことがないが、独楽師太郎(こましたろう)だった。
 柄物のシャツをだらしなく着た若い方は足立だ。
 独楽師が二人を呼び止めた。

「おねえさんたち、婦警さん?」

「え、ああ、……はい。今は女性警官って呼ぶんですけど」

 不審な男たちに僅かな緊張を滲ませながら、宮本美樹がそう答えた。
 男がニヤリと笑った。

「ガツンなんだろ? 見りゃわかる」

 久美は慌てて美樹の手を引き、前に出て睨みつける。
 この男たちが真っ当な市民でないことはすぐにわかった。
 若い方の男がニヤニヤしながら美樹の胸を見て言った。

「だったら、俺たちといいことしたいだろ?」

「間に合ってます」

 久美はそういって、美樹の身体を抱き寄せる。
 独楽師が、淫らな視線で二人の身体をじろじろ見比べる。

「へえ、珍しいな、ガツンだっていうのに……。もしかしてレズか?」

「違う、わよ。──その、今は、違わないけど、そう、ガツンだからね。悪い?」

 強い口調でそういって、すぐに久美は自分の発言を後悔した。
 顔は見なかったが、横にいる美樹のことが気になった。

「そうですよ。先輩のことは好きです、でも普段はエッチなことなんかしません」

 美樹は気にしていないようだった。それでも久美は言わずにはいられなかった。

「もちろん、ガツンじゃなくてもこの子は可愛いし普段から好きだから。だからこんなふうになっても全然嫌じゃない、っていうより凄く嬉しい。でも、ガツンだからって、好き嫌いはちゃんと残ってるから。……もちろん、あなたたちとする気はさらさらありません」

 そういって久美は、男たちの前を通り過ぎようとした。
 だが、その前に独楽師が立ちふさがる。

「まあまあ、そう怒りなさんな。俺の言い方が悪かったみたいだな。
 別に無理やりやろうなんて、思っちゃいないさ。だけどお姉さんたち、ガツンなんだろ? 気持ち良くなりたいんだろ? ……だったら試しにこれ、使ってみないか?」

 そういって独楽師太郎は、黒い鞄から二本の棒のようなものを取りだした。
 ひとつは極太の青い半透明、もうひとつはやや細身でやはり半透明のピンク色をしている。ただの棒ではなく、根元からは別の突起が伸び、底から垂れ下がる白いコードがプラスティックのボックスに繋がっている。
 一部男性器をかたどりながら、さらに機能を追求したその形は、紛れもなくバイブレーターだった。

 美樹も久美も、それが何なのか一目でわかった。
 美樹は数年前につきあっていた彼氏にローターを使われたことがある。男の身体を肌で感じる悦びはないが、機械的な振動で得られる快感も嫌ではなかった。
 久美の方は知識として知っているだけで、そうした器具を使った経験はない。普段なら眉を顰め、見向きもしなかっただろう。
 だが今は、その淫らなフォルムにも、何故か嫌悪感は湧いてこない。それどころか、疲れを知らない機械で刺激され続けたらどうなるか、小さな興味がわいてくる。

 ただ、美樹も久美も互いに相手が気になった。
 好奇心は刺激されたものの、受け取る気にはなれない。
 二人は眉間に皴を寄せ、互いに顔を見合わせる。
 独楽師がニヤリと笑う。

「お姉さんたちみたいないい女に、気持ちよくなって貰いたいだけなんだけどな。
 女同士がいいって言うなら、あんたたち二人で使えばいい。どうだい? 気持ちよさそうだろ?」

 そう言って男は、両手で持ったバイブを二人の前で揺らす。

「ほら、この青い方は、威勢のいい姉さんにピッタリだ。こっちのピンクは素敵なおっぱいの君に似合ってるよ」

 ゆらぁ、と揺れる色を追って、二人の目が左右に動く。
 独楽師がそれを顔の前に差し出す。
 視界の全てが半透明の青とピンクで埋まった。

「とても奇麗だろ? それに、一度使ったら手放せなくなるくらい、物凄く気持ちいいんだぜ……」

 男の声が、小さい囁きに変わっていた。
 美樹の白い喉元が、こくっと小さく動いた。
 そっと手を伸ばし、似合うと言われたピンク色の方を掴んでいた。
 久美はそんな美樹を止めようとした。
 だが、気がつくと自分も、青い半透明のものを握りしめていた。
 表面は滑らかで柔らかかった。しかし奧にはしっかりとした芯があり適度な硬度がある。
 喉の奧が乾いていることが、強く意識された。

「高性能のバイブだけど、お安くしとくよ? それに今なら、一回お試しつきだ。
 ああ、そうだ……、お姉さんたち、これからジェットコースター乗るつもりだったんだろ? だったら一周する間に試してみるといい」

 身体の奧で何かが蠢くのを久美は感じた。
 ジェットコースターと聞いた瞬間、突如激しい欲情が込み上げてくる。
 そもそもここへ来たのは、遊園地のアトラクションで淫らな体験をするためだ。
 気がつくと二人とも、手にしたものをじっと見つめていた。

 久美が電池ボックスを手に取り、横についたスライダーを滑らせた。
 ウ゛ウ゛ウ゛と無機質な音をたてて、丸く膨らんだ先端が回転運動を始める。手に伝わってくる振動もかなりのもので、久美は慌ててスライダーを元の位置に戻した。
 スライダーは他にもついている。
 そちらを動かすと、今度は枝のように別れた細い突起が、ウ゛ィィィンっと小刻みに振動する。幹を挿入する場所を考えれば、分岐した突起がどこに当たるかも想像に難くない。構造からすると、恐らく前だ。だが、その部分だけを後ろに当てても、悪くなさそうだった。

 細かく振動する枝をぼんやり見ながら、久美はさっきお化け屋敷で美樹に触られた後ろの感触を思い出していた。
 いつの間にか潤んだ目は、どこかぼんやりしている。
 だが、はっと我に返り、久美は慌ててスイッチを切った。

「い、いらないわよ、こんなもの」

 そう言って、男にバイブをつき出す。
 だが、独楽師はニヤニヤしながら、右手を横に振る。

「遠慮しなくていいって。一回目はタダなんだから、試してみなよ。気に入らなきゃ、その場で返してくれりゃあそれでいいんだからさ」

 独楽師はひらひらと振っていた手を久美の目の前にかざし、指先をゆっくりと下へ向ける。

「ほら、気持ちよくなりたいだろ?」

 しきりに瞬きを繰り返しながら、久美が深く息を吐き出す。
 僅かな間をおいて、擦れた声が漏れた。

「試すだけ、それでもいいって言うなら……」

 いつの間にかとろんとした目になっていた美樹が、小さく頷く。
 先輩の言葉につられたのか、熱のこもった声でつぶやく。

「じゃ、じゃあ、あたしも……」

 二人はそのままバイブを握りしめ、ふらふらとコースターに乗り込んだ。
 他には客がいないため、一番前の席だ。
 久美は下半身に熱く潤んだ感触があるのを強く意識していた。
 小声で隣の美樹に尋ねる。

「……こういうの、使ったことあるの?」

「小っちゃいヤツならあるけど、こんなのは、ないです……」

「そ、そう。私も初めて。どうしたらいいんだろ」

「先輩、その、……濡れてますか?」

「あ、う、うん」

「あたしも。だったらもう挿れても大丈夫かも。自分でやれば、痛くない筈です、……多分」

 二人はそろそろとスカートをまくり上げ、大きく足を開く。
 久美は浮かせた腰をシートの前にずらし、おもむろに先端の膨らんだ部分を股間に当てた。
 ひやっとした感触に一瞬手が止まる。
 だが、そのままそっと触れていると、怪しい興奮とともに溢れる愛液が絡みつき、すぐに体の熱で温まった。
 二人とも何も言わず、ゆっくりとそれを沈めていく。

「んっ」

 久美の唇を割って、微かに声が漏れた。
 美樹は黙ったまま、真剣な表情で押し込んでいる。

「先輩……どう、ですか」

「んんんっ、太い……」

「……あたしの方は、何とか入りました」

「こっちはもうちょっと、待って……あっ」

「大丈夫ですか?」

「ああ、……う、んっ、……だい、じょうぶ。何とか入った」

 久美の声が上ずり、荒い息が混じっている。
 その声に刺激をうけたのか、美樹は熱い視線を久美の横顔に送っていた。
 コースターの横から、独楽師が話しかけてきた。

「どうだい? 悪くないだろ? ま、好きなだけ楽しんでくれ」

 二人はそれに答えず、目を逸らした。
 美樹が、自分のバイブに繋がった電池ケースをそっと差しだす。

「先輩……あの、これ、お願いします」

 久美は一瞬どういうことかわからなかったが、すぐに気付いて自分のケースと交換した。
 目が熱く潤んでいる。
 手の中にある電池ケースを、久美はじっと見つめていた。
 これを動かせば、美樹の身体の中に埋まったものが、振動を始めるのだ。
 左側が幹の回転、右が枝の振動。先程試した動きを思い出しながら、久美はスライダーにそっと指を添えた。
 その様子を見て小さく笑い、独楽師が後ろに声をかける。

「……そろそろいいみたいだぜ」

 係員がやってきて、コースターの安全バーを降ろした。
 プラットの脇に作られたブースに係員が戻り、間もなくブザーが鳴った。
 ニヤニヤしながら独楽師が軽く手を上げ、二人に言った。

「それじゃあ、……逝ってらっしゃい!」

 久美が右のスライダーを僅かに滑らせたのは、ブザーが鳴ったすぐ後だった。
 二人を送りだす男の声とほぼ同時に、隣に座る美樹が、びくんと震えた。

「先輩っっっ!」

 こちらを向いて小さく囁く美樹の声には、甘えと非難と驚きが含まれているようだった。
 がったんっ、と大げさな音をたてて、コースターが発車した。
 その時、久美の股間で太い幹から分岐した枝が、ウ゛ィィィィと振動を始めた。

「くっ!」

 美樹同様、身体がびくんとなる。
 ガタガタとレールの上を移動する古いコースターの揺れに、腹の奥に収まった存在とその太さを驚くほど強く意識させられる。
 秘裂で震える機械的な振動は、身体の力が抜けていくような、深い快感を生みだしていた。
 久美はわずかに腰を引いた。それだけで、震える枝の柔らかな先端が敏感な突起に密着し、ダイレクトに振動が伝わってくる。今まで経験したことのない細かな刺激で、単調ではあるものの鋭い快感を送り込んでくる。

「み、美樹っ……」

 小鼻をひくつかせながら、久美はまた右のスライダーに指を載せ、ゆっくりと滑らせた。

「あんんんんっ」

 隣の席で美樹が甘い喘ぎを上げた。
 彼女の股間から響くモーター音がはっきりと聞こえるようになった。
 美樹が赤い顔をこちらに向けた。

「先輩……」

「な、何?」

「先輩も、ほら」

 そう美樹が言った次の瞬間、久美の陰核を震わす動きが強くなった。

「あああっ」

 ウ゛ゥィィィィンと、濁ったモーター音をあげながら休みなく送り込まれる刺激に、思わず喉を反らす。
 コースターが錆びた鉄骨で作られたレールの上を頂上へ向かって上り始める。
 身体が斜め上を向き、踏ん張る足の間でバイブが震えている。
 カッ、タンッ、カッ、タンッと音をたてて、コースターが頂上目指して上っていく。
 焦燥感に似た感覚が、突起を中心に沸き上がってくるのを久美は感じていた。
 突き上げられているわけでもないのに、振動に下腹を押されるような感じだ。身体からどんどん力が抜け、にもかかわらず両足はつっぱるように床を踏みしめずにいられない。
 無理やり快楽の頂きへ連れていかれる。どうしようもないほどの切望と、一刻も早く終わらせたい気持ちが入り交じった感覚だった。

「ああああ、み、美樹っ」

「ああっ、先輩、これっ、気持ちいいっ」

 カッ、タンッ、カッ、タンッ、カッ、タン。
 コースターはどんどん高く上っていく。
 それと同時に身体の中でも、切ない熱が溜め込まれていく。

「せ、先輩もっ、ほ、ほらっ」

 隣の美樹が、手にした電池ボックスを久美に見せた。
 右のスライダーは一番奧までずらされている。
 だが、美樹の指は、左のスライダーに乗っていた。
 久美の目の前で、それが少し奧にずらされた。

「んあっっっ」

 大きなもので、ゆっくりと身体の奧をえぐられた気がした。
 久美は目を見開き、思わず腰を浮かせていた。
 だが、腹の中で蠢く力は消えなかった。
 ひとりでに腰がうねった。

「ああっっ、それっっ」

 手にしたボックスを落としそうになった。
 そのことで逆に思い出した。
 自分も左のスライダーを動かした。

「やんんっああああ」

 隣から、美樹の愛らしい声が響いた。
 丁度その時、コースターが頂上に辿り着いていた。
 一瞬、動きが止まった。
 遠くに、午後の黄色い日差しを浴びて悠然とそびえる山が見えた。

 そして──。
 急降下が始まった。

「うわぁぁぁぁっっ」

「イぃぃぃっっっ」

 落下する恐怖は一切なかった。
 ただ、激しい快感だけがあった。
 コースターが斜面を滑り落ちる勢いで、容赦ない快感が二人を襲った。
 電池ボックスを掴んだまま安全バーを握りしめた指先が、一気にスライダーを奧まで動かしていた。
 腹の中で回転するものが凶暴な動きを速め、その力で枝の細かい震えに緩急が生まれた。そして二人は、あっけなく最初の絶頂を迎えていた。

「あああああああああっっ」

 快楽の叫びが、風とともに後ろへ流れ去る。
 高速で斜面を降りるコースターが、最初の谷へ近づいた。
 絶頂の痙攣を大腿に走らせながら、つっぱる足が腰を浮かせる。
 すぐに一つ目の谷を過ぎ、前のめりに浮いた尻が座席に戻った。
 美樹のむきだしの股間で、性具の底が強く座席に押し当てられた。
 深く押し込まれた腹の奧で、回転する先端が深い部分を抉った。

「うああああっっっ」

 コースターが次の頂きへ向かった時、美樹はすでに二回目の絶頂を迎えていた。
 久美の股間は、わずかに座席から前にせり出している。
 陰核を刺激し続ける細かい振動と、子宮の手前をかき回す回転運動、そこへ高速で走り抜けるコースターの激しい振動が重なった。
 みっちりと埋まった極太の淫具が激しく震え、経験したことのない強烈な快感を生みだしていた。
 大きすぎる快楽のうねりに恐怖を感じ、彼女は“それ”を引き抜こうとした。
 だが、締めつける自分の身体が、それを許さない。

「あ゛ーっっっっっっ!」

 声を限りに叫んだ。
 ジェットコースターが次の山を越え、大きく左にカーブを切って急降下する。
 安全バーを握りしめ、突き上げる快感に全身を揺らしながら、何度も身体をのけ反らせた。
 美樹も久美も、すでに電池ボックスを落としていた。

 コースターが山にさしかかった時に、久美は淫具をなんとか少しだけひきずりだした。
 そのままゆっくりと、幹を回転させる。
 コースターが山を越え、急降下する。
 その勢いで、バイブが再び奧まで入り込んだ。後ろの穴に、枝の先端が触れた。
 下腹部を、激しい振動が突き上げる。
 同時に、妖しい刺激が尾てい骨の奧に響いた。

「ぃあああああああああああっっ」

 さらに大きく膨れ上がった快感に、絶頂の予感が膨らむ。
 コースターはカーブを回り、最後の山へさしかかった。
 ずるっと、美樹の手が安全バーの上を滑って、近づいた。
 久美はその上に、自分の手のひらを重ねた。

「美樹ぃいっっっイくっ、イくうっっっっっ」

 名前を呼ばれた美樹も、すでに次の絶頂を迎えていた。
 まるでそこだけ別の生き物のように性器が収縮を繰り返し、暴れる淫具を締めつけて、勝手に快感を膨らませ、──そして弾けた。

 「あああっ、せんっぱっ、私もっ、私もぉぉっ」

 大きな快感の爆発が、容赦なく続いた。
 急降下したコースターがカーブを曲がり、速度を落とした時も、二人はまた新たな絶頂に身体を震わせていた。
 開いたままの口の端に白く泡立った唾を乗せ、虚ろな目に苦悶の色を浮かべながら、それでも二人はつないだ手を固く握りしめ、プラットホームに戻ってきた。

「あふううううぅぅぅ……」

 停車したコースターの中で、久美はぶるぶると身体を震わせ続けた。
 隣の席の美樹は、安全バーにしがみついたまま、白目を向いている。
 係員が安全バーを解除した時、二人は半ば意識を失っていた。

◆ ◆ ◆ ◆

【10月14日[火]15時03分、N市東部・飛灘(とびなだ)】
 軽やかなチャイムの音と共に、コンビニの自動ドアが開いた。

「いらっしゃいませ」

 条件反射的にそう声を張り上げ、バイトの後藤忠志(ごとうただし)が顔を上げる。
 入ってきたのは顔見知りの女子だ。
 近所に住んでいるのだろう。制服姿で来ることもあるが、今日は私服である。
 スーパー・ガツンの影響で市内の小・中・高校はすべて休校となっている。女子なら余計に、余程大事な用でもない限り外出を控える筈だが、家にじっとしているのに飽きたのかもしれない。

 彼女は入口近くにある雑誌のコーナーに真っすぐ向かう。
 一瞥しただけで忠志はすぐに横を向き、肉まんや唐揚げを温めるためのケースを見る。しかし中には何も入っておらず、電源もオフのままだ。結局、今は何もする必要がないことを確かめただけだった。

 ガツン発生以来、コンビニに足を運ぶ客は激減している。
 N市封鎖の直後は、買い溜めに走る者たちで、一時的に行列ができた。だが、物流がストップし、今では店内の陳列棚は半分以上が空になっている。
 にもかかわらず50代半ばの店長は、「24時間営業がコンビニの基本だ」と言い続けている。客はもちろんのこと、シフトが決まっていたバイトのためにも店を開けるのだと言い、その通り実行していた。
 多少恩着せがましく聞こえなくもないが、基本的に人のいいその店長は現在、自宅兼オフィスとなっている二階にいる。隙間の目立つ陳列棚に商品を並べ、減った売り上げを取り戻す方法について思案中だ。本部の販売マニュアルとは無関係に市内の業者から商品を仕入れることで、何とか商売を続けるつもりらしい。

 今、店にいる店員は忠志一人だ。
 他に客が来る気配もなかった。
 彼はまた、女性誌をめくっている少女の後ろ姿をちらっと見る。
 黒いトレーナーの下に履いたスカートから伸びているのは、白い生脚。大腿やふくらはぎは何かスポーツでもやっているのか引き締まっている。足首もきゅっと締まって細かった。肩にかかる髪は滑らかな光沢を反射し、近くに寄ればいい匂いがしてきそうだった。

 忠志がここでバイトを始めて半年が過ぎている。常連の顔は大体覚えている。
 客の中で断トツで可愛らしいのが、この少女だった。
 ただ、そうは言ってもまだ子どもだ。
 表情にはたっぷりとあどけなさが残っているし、お釣りを受け取る時も、いつもぼそっと「ども」と言って頭を下げるだけだ。

 前に一度、渡された金額が足りなかったことがあった。
 そのことを指摘した途端、彼女は真っ赤になって「ごめんなさい」を連発しながら、持っている小銭を出そうとして、床に全部ぶちまけてしまった。
 その慌てふためく様子も可笑しかったし、一緒に小銭を拾って会計を済ませた後で、何度も謝りながら頭をさげる少女の愛らしさも記憶に残っている。
 次に彼女が店に来た時は、いつもの無愛想な「ども」に戻っていた。だがそれも、年相応の不器用さを感じさせ、好ましく感じた。

 忠志は、彼女が好む食べ物や雑誌を知っている。小遣いには不自由していないらしく、最近ではちょっと高めのロールケーキをよく買っていく。
 しかし、それ以外のこととなると、この近くに住んでいるらしいということを除けば、ほとんど何も知らない。
 もちろん、あえて詮索する気はなかった。確かに可愛くはあったが、普段は思い出すこともない。そもそもコンビニの店員と客ということ以外に何の接点もなかったし、憧れるには幼なすぎる相手だった。

「あの……」

 気がつくと、カウンターの前に彼女が来ていた。
 ティーン向けのファッション誌が差し出された。

「いらっしゃいませ」

 忠志は雑誌のバーコードを読み取り、慣れた動きで袋を広げる。

「390円になります」

「……あ、あの、それと」

 そういって彼女は黙り込んだ。
 袋に雑誌を入れながら、まっすぐに彼女の顔を見た。
 目があった途端、彼女は視線をずらした。
 何かを思い詰めたようなその顔は、真剣そのものだ。しかもほんのりと赤みを帯びている。

「お、……ください」

 消え入りそうな声で何かを言われた。だが、ほとんど聞き取れない。
 促すように、忠志は相手の顔を覗き込む。
 少女はいやいやをするみたいに身体を揺らしていたが、顔を真っ赤に染めて、小さく叫んだ。

「おちんちん、くださいっ!」

 一瞬、何を言われたかわからなかった。
 だが、次の瞬間、大きな音が響いた。

 ガツンッ!

 重い鈍器で殴られたような衝撃を後頭部に感じた。
 思わずカウンターに手をつき、小さく呻いた。
 目の奥に星が飛んているようにチカチカしている。
 だがその時には、何と言われたのかも、何が起きたのかも、すべてに納得がいっていた。
 顔を上げると、忠志はにこやかに微笑んで尋ねた。

「おひとつでよろしかったでしょうか?」

「あ、は、はい。……あ、あの、ガツンで、……あのっ、ごめんなさいっっ」

 そういうと彼女は両方の手のひらで顔を覆い、うつむく。
 それにはかまわず、いつもの調子で尋ねた。

「こちらでお召し上がりですか、お持ち帰りですか?」

「え、あ、ああ、こちら、……こ、ここで」

 相手の答を待たずに忠志はズボンのベルトを外し、カウンターの上に飛び乗っていた。
 下着ごとズボンを下ろし、カウンターの端に腰を下ろす。
 まだ力なくうな垂れたままではあるが、むきだしになったペニスが少女の目の前に差し出された。

「はい、どうぞ」

「あ、ど、……ども」

 そう言って小さく頭を下げる彼女の顔は、さらに赤く上気していた。
 少女のそんな羞じらいを眺めているだけで、忠志のペニスがひくっと動いた。
 彼女はしばらく躊躇っていたが、ようやく顔から手を離し、おずおずとそこに触れてきた。
 すぐに、顔が寄せられた。
 チュるっと音をたてて、先端にキスされた。
 その途端、ぐっと力を増したペニスが、数回震えて完全に勃起していた。
 少女は一瞬驚いたように手を離す。だが、すぐにしっかりと根元を掴み、大きく開いた口の中に頬張った。
 その快感に陶然としながら、忠志は彼女の髪を撫でて言った。

「キミ、よく来るよね……」

「うん、うい、いあいあら」

「あ、ごめん、いつもご利用ありがとうございます。……って、そう言わないと店長に怒られるか」

「うんん、おんまももいにいまい……」

「ああ、すげー気持ちいい。……知ってた? キミって、ここに来る人の中で、一番可愛いんだよな」

「んぐんぐ、おんまおも、まい」

「今日シフト入ってて、よかったし。キミが来て、ガツンで、なんか超ラッキーかも。──あ、だから、おちんちんは特別にサービス、精液もタダでいいっすよ」

「あんんん、ん、え、い、い……」

 少女は次第に大胆に、肉棒を上下に擦りながら、舌の先をからめてくる。
 その快感に、忠志のフィニッシュが近づいていた。
 少女の柔らかな手が上下に動く。
 じゅぽじゅぽと音をたてて、吸いこまれた。

「あ、う、もう出そうなんだけど、……いい?」

「あん、んんんっっ」

 忠志は自分の尻がきゅっと締まるような感覚とともに、尾てい骨から頭に猛スピードで走り抜ける激しい快感を感じた。
 熱い迸りが弾けた。

「んんんんんんんぐ」

 それでもまだ、少女は肉棒を離そうとしなかった。
 鼻孔を膨らませ熱い息を漏らし、最後の一滴まで飲み干そうとするかのように、肩で息をしながらむしゃぶりついている。

「んあっ」

 女のような声をあげて、忠志はぐったりと身体を弛緩させる。
 その時になってようやく、少女は彼の股間から顔を離した。
 彼女の美貌や愛らしさは、何一つ削がれていない。だが、口の端に一筋白い精液を流しながら、満足げな笑みを浮かべるその顔には、いつの間にか大人の女の妖艶さが含まれている。
 しかしそれも一瞬で消え、どこか怒ったような無表情に戻ると、少女は赤い顔のまま小さく会釈してつぶやいた。

「……あ、あの、……どもっ」

 場違いに軽やかなBGMに混じって、濡れた音が聞こえる。
 ちゅぱちゅぱと、ペニスを舐める音だった。
 相変わらずカウンターに腰かける忠志の股間に、少女が顔をうずめている。

「……おちんちん、もうひとつください」

 そう言われたのは、射精して間も無くのことだ。

「あたためますか?」

「い、いえ、そのままで」

 いったん力を失いかけたペニスは、舐められているうちに、すぐにまた勃起し、固さと熱を取り戻した。

「あの……、挿れて、みたい」

「いい、けど……。あ、でも、だったら、ゴム使わないとマズいっしょ」

 そう言って忠志は彼女の顔を手で掴み、そっと外した。カウンターから飛び降りて、下半身むき出しのまま店の奥へ行く。
 コンドームのパッケージを手に取ると、後からついてきた少女が尋ねた。

「これっていくら、ですか?」

「んーと、6個入りで515円」

「えー、そんなにたくさん使わないよ、……です」

「でも、1個ウリってのはないし。……いいよ、俺が買うから」

「あ、あの、つけなくていい……」

「ええっ? そんな、……俺的には気持ちいいだろうけど、でも子どもできちゃったらマズいっしょ?」

「……ガツンの時は妊娠しないって、友だちがいってた」

「ああ、その話、何の根拠もないから。……デマだぞ? 俺の友だちの姉貴なんか、ガツンでできた子ども育ててるって言ってたし。もう2歳だって」

「ええっ、そうなんだ? ……ん、でもやっぱ、しなくていい、です」

「本気かよ?」

「う、うんっ、にん、しん、したい……」

 顔を真っ赤にしてそう答えた少女は、ひどく真剣な表情だった。
 忠志は突然込み上げてきた熱情に突き動かされるまま、そんな彼女の身体を強く抱きしめる。

「わかった。俺、コンビニでバイトの身だけど、子どもできたらちゃんと認知するし! 逃げないし、頑張って働くし!」

「えっと、……うん、ありがと」

 泣き出しそうな顔で笑みを浮かべ、こくんと小さく会釈する彼女の顎を手で上げて、忠志はその小さな口に唇を重ねた。

「んんんん」

 次第に大胆に舌を絡ませあい、二人はコンビニの床にゆっくりと腰を下ろしていく。
 少女はいったん身体を離すと、スカートの中から下着を抜き取り、あぐらをかいて座りこむ忠志の上で、膝を跨ぐように大きく足を開いた。
 相変わらず上気した顔に真剣な表情を浮かべた彼女の目は、何かを訴えるかのように潤んでいた。
 場違いだったが、どうしてもきちんと挨拶しなければいけないと思った。

「あの、俺、後藤忠志。……よろしく」

「あ、あ、ど、どもっ。美穂、……真鍋美穂(まなべみほ)、です」

 少女がこくんと会釈した。
 それからまた、静かに腰を下ろし始める。
 忠志のペニスが掴まれた。
 先端が熱く濡れた場所に触れる。

「あっ」

 少女の口から、甘く掠れた声が漏れた。
 その愛らしい声に似合わぬ強さで、突然ぐっと腰が落とされた。
 ぐちゅっと、卑猥な音が二人の股間から響いた。

「あああっっっ」

 十分潤っていたらしく、予想外に深く、スムーズに奥まで入り込む。
 だが、少女のそこは狭く、忠志のペニスを強烈な快感となって締めつけてくる。
 先程射精したばかりだというのに、またすぐにでも達してしまいそうだった。
 次の瞬間、彼の首筋に固いものが押し当てられた。
 カシュッと、機械音がした。
 小さな痛みが走る。

「な、何だっ?」

 気がつくと、すぐ隣に黒いレザースーツを来た女が一人立っている。頭にはフルフェイスのヘルメットを被っていた。
 客の入店を知らせるチャイムは鳴っていない。それに、今の今まで、そこには誰もいなかった。
 女は、少女の首筋にも小型の器具を押し当てていた。

「え、ヤだっ、誰っ? なんで……」

「警察庁ガツン対策局の者です。あなたたちはガツンに感染していますので、しばらく眠ってもらいます」

 女がそう答えるのと同時に、再び小さな機械音がした。
 忠志は、とにかく何か言わなければと思った。
 だがすでに、意識が朦朧となり始めていた。
 最後に覚えているのは、少女の性器がまたきゅっと締まり、深い快感を伝えてきたことだ。
 ──快感と幸福感の中で、彼は深い眠りに落ちていった。

◆ ◆ ◆ ◆

【10月14日[火]15時28分、N市東部・飛灘】
 二人が眠ったことを確認し、黒いレザースーツの女がゆっくりとコンビニの店内を見て回る。
 だが突然、その姿がかき消えた。
 それと同時に、彼女はコンビニのドアの外に立っていた。
 女の名は結城浩子(ゆうきひろこ)、精悍な顔つきにボーイッシュな短髪が似合う28歳のCGAエンジェルだ。
 元は海上保安庁の特殊警備隊「SST」に所属していたが、3年前ガツンに遭遇し人生が変った。

 その日はオフで、友人への結婚プレゼントを探しにとあるデパートへ来ていたが、気がつくといつの間にか別のフロアに移動していた。
 すぐに店内が騒がしくなり、後からガツンの発生を知った。
 無意識にガツンを避け、安全な場所まで瞬間移動したらしいと気付いたのは、それから数日後のことだ。何が起きたのか調べているうちに、今度は自分の意思でテレポーテーションしていた。それから彼女は実験を繰り返し、自分の能力に確信を持った。
 意識的に移動可能な距離は最大でおよそ5メートル、だがデパートで移動した時にはそれをはるかに超えている。無意識に危機を回避する場合には、何倍も遠くまで移動できるようだった。

 常識外の力を得たことに悩んだ揚げ句、信頼できるSSTの上官に相談したところ、CGAの坂崎を紹介された。
 厚遇で迎えられCGAに入局した後も独自に練習を重ね、連続テレポートも自在にこなせるようになった。
 以来彼女は、特にガツンが発生している現場の調査を行う際に欠かせない人材として、常に最前線で活動を続けている。その経験と能力からエンジェルのサブ・リーダーに抜擢され、今回の作戦行動では班を束ねるチーフの任を与えられていた。

「民間人は眠らせた。秋山、もう一度ガツンの除去を頼む」

 ヘルメットに内蔵されたヘッドセットで、特殊装備のバンに乗るクルーに通信を送る。
 次の瞬間、彼女の姿がかき消えた。
 その時にはもう、3メートル先の公園の手前に移動し、しかしその姿も一瞬で消え、さらに公園の中へと移っていた。
 点滅するように次々と移動し、最後には公園の向こう側で待機していたSUVの手前で完全に消える。
 その時にはすでに、SUVの助手席にゆったりとその身体を預ける彼女の姿があった。

「おかえりなさーい」

 そう声をかけたのは有賀美優(ありがみゆ)、ネコっぽい顔付きのエンジェルだ。肩までの髪の毛はゆるくカールし、その甘いマスクと声、それに舌足らずな喋り方は22歳という実年齢よりずっと幼い印象を与える。彼女自身、自分のキャラをよくわかっていて、自由奔放な言動をとることも多い。
 しかし、あるいはそれゆえに彼女は、エンジェルのマスコットであり、CGA全体においてもアイドル的な存在だった。

 美優は他のエンジェルたちと少し違う。
 はっきりとした能力があるわけではない。
 たとえば彼女は、「なんとなくそんな気がする」というレベルで、ガツンの発生を察知することがある。しかし、戦略の立案に使用可能なほど確かなものではない。
 また、普段からあっけらかんと「セックス好き」を公言している。そういった性格故か才能なのか、ガツンに晒されて欲情しても、ほとんど奇異な行動に及ぶことがない。とはいえ、ガツンの被曝回数はこれまで11回、エンジェルの中でも最多だ。
 他のメンバーのように優れた回避能力や対処能力はなかった。

 にもかかわらずエンジェルに抜擢されたのは、今は姫野班で作戦行動中のテレパス・桐野祐子から強い推薦があったためだ。入隊後すぐに結城浩子からも強い信頼を寄せられ、今回の任務では浩子直々に自分の班に招いたほどだった。

「美優、どうだ?」

 浩子が聞いた。
 有賀美優が、やや舌足らずな口調で答える。声も幼い印象だ。

「んー、わかんない。けど、もうすぐまた来くるかもぉ」

「……秋山、『消毒』は終わったか?」

『とりあえず、コンビニ内は完了。広範囲に拡散させる形で転送しました。──但し、RNGの偏りは未だに20%以上』

 ヘッドセットを通じて後ろのバンからそう答えた秋山友香(あきやまゆか)は、アポート(物体引き寄せ)、アスポート(物体送り込み)の物質転送能力者である。
 過去数回、ガツンの発生現場にいながら、その能力によって被曝を免れていたが、その時にはまだ、ほとんど無意識のうちに力を使っていた。
 当初は場所を選ばずに転送していたせいでガツンが拡大し、そのため彼女は完全にスーパースプレッダーであると思われていた。だが、接触を試みた結城浩子が自分と似た空間転移系の能力であることに気付き、すぐさまエンジェルとしてスカウトしたのだった。

「電磁シールドON」

「んー、こっちはもう入れてる」

「後ろの二人も気を抜くな」

『了解』

 秋山友香と、共にバンに乗る谷地草綾乃(やちぐさあやの)がほぼ同時に答える。

 パシっ!

 小さな音がした。
 乾いた木の枝を折るような音だった。

 パシっ!

 再び、音がする。

「今の聞いたか?」

『ラップ音のようです』

 微かに緊張を滲ませる声で、友香が浩子の質問に答えた。
 愉快そうに、美優がかぶせる。

「うふ、心霊現象だ」

 結城浩子は、すぐさま次の指示を出す。

「ヘルメットのシールド下ろせ。来るぞ!」

 カンっ!

 SUVの運転席で、美優のヘルメットが軽い衝撃音を発した。

「あ……、ガツンだ」

 何でもないことのようにそう言って、彼女はダッシュボード脇に取り付けられたパネルに手を伸ばす。
 車体に施された対ガツン用のデバイスを調整する。
 すぐに第二波が来た。

 ガンっ!

 重い金属音と共に、今度はSUVの車体が揺れた。
 電磁シールドの効果か、車全体が衝撃を受ける。だが、中に乗っていた2人には後頭部を殴られるような感触がない。

「うふふ、車がガツンだ」

『電磁場の乱れが広範囲に発生。あ、RNG偏差、急上昇。43.8、……いえ、51.5%、依然上昇中!』

 秋山友香から報告が入る。

 ガーンっ!

 車体がまた揺れた。
 後ろのバンからも報告が来る。

『秋山です。今、ガツンを受けました。但し、GEARが正常に作動、衝撃は車両が吸収』

「こっちもいっぱい来てるよ。電磁シールドは小まめに調整しないと駄目みたいー」

 そう答えた美優の頭の後ろで、打撃音がした。

 コツん!

 だが、音は小さい。
 浩子がパネルを操作する手を止める。

「大丈夫か?」

「ん、全然平気、……でも、うふ、ちょっぴりエロい気分かも」

 美優は、獲物に襲いかかる寸前の猫みたいな笑顔でそう答える。
 浩子は再度、パネルに手を伸ばす。

 ガゴーンっ!

 再び車が揺れた。
 さっきより激しい衝撃が、SUVを襲っていた。
 浩子が指示を出す。

「シールドの周波数を変更し続けろ。抜け道を探すみたいに、次々くぐり抜けて来やがる……」

「あ、なんかたくさん来そうな気がする……」

 美優が嬉しそうにそうつぶやいて、浩子の顔をちらっと見る。

 ぴしっ!

 何かが裂けるような音が響いた。
 瞬間、浩子の身体がかき消え、SUVの後部座席に移動していた。

 ガツンッ!

 美優のヘルメットが大きく揺れた。

「きゃー、強いの来たー!」

 彼女の声は甘く蕩けていた。
 その大きな目は潤み、頬も紅潮している。
 浩子は、自分の意思で助手席に転移した。
 手には小型の麻酔器を握っている。

「……使うか?」

「大丈夫。アタシ、Hになるの好きだもん。……これくらい全然アリ」

「ヤバくなったら、自分で打てるか?」

「うふふ、ヤバいコトなんて起きないし。エロくなるだけ」

『力を使います』

 二人の会話に割って入り、涼しい声でそう伝えてきたのは、25歳のクルー、谷地草綾乃だ。
 日本人形のような顔は常に穏やかな表情を崩さず、物腰も優雅、純和風のしとやかな女性だが、今は他のエンジェル同様、黒のレザースーツに身を固めている。
 華道の家元の娘で、茶道の師範の免許も持つ彼女は、これまでスポーツやアウトドアの活動とは無縁の生活を送ってきた。およそ実動部隊に不向きな彼女をスカウトしたのは、これもまた浩子の働きによるものだ。

「よし、始めるぞ」

 美優の方を向き、浩子がそう答えた。
 その顔には、爽やかな笑みが浮かんでいる。

「うん、ヤる!」

 そう答える美優の目が妖しく光った。

 エンジェルたちの乗る車列を取り囲むように、薄いベールがかかったような靄(もや)が生まれた。水の中で砂糖が溶ける時に見えるようなゆらめきが、穏やかな住宅街の何もない空間に出現していた。
 それは陽炎のようでもあり、歪んだガラスを通した光景のようでもある。
 靄はエンジェルのバンを中心とした、球体の形を浮かび上がらせていた。
 濃度が異なる媒質の中で屈折率が変わることで起きる、シュリーレン現象のようにも見える。だが徐々に、靄の境界部分がさらに白くぼやけていき、球の内側と外側の風景にズレが生じていく。
 しかし内側にいるエンジェルたちには、何の変化も感じられない。車から見る外の風景に変化はほとんどなく、靄も見えていない。
 ただ、公園脇の柵の向こうとこちらに、わずかに白く霞んだ部分が見えるだけだ。
 バンに乗る秋山友香が、コンソールを確認して報告を上げる。

「車両周囲の電磁場の乱れが、減少」

『外はどうだ? SORAのデータと照合しろ』

 結城の指示で広範囲なデータを確認すると、球形に電磁場の層が生まれている。

『来るぅ、きっと来るぅ~♪』

 美優が昔懐かしいJホラーのテーマ・ソングを口ずさむのが聞こえてくる。
 友香の隣では、谷地草綾乃が静かに目を閉じ、意識を集中させている。

「データの遅れを計算に入れて補正、もう間も無くです」

 友香はもう一度計器を確認し、自らも意識を集中させる。
 右手で、そっと綾乃の手に触れた。
 一瞬、外が青白く光ったように見えた。
 だが次の瞬間、光は消えている。
 言葉もなく、音もなく、身じろぎすることも無しに『力』を使った友香は、ヘルメットの内側で額にうっすらと汗を滲ませながら、しがみつくように計器を見つめていた。

「内側の乱れは消失、但し、外部の揺らぎはさらに増大。RNG、60~65%前後で推移……」

『気を抜くな。谷地草、まだやれるか?』

「はい」

 静かにそう答えた綾乃は、じっと瞼を閉じたままだ。
 だが、ヘルメットのシールド越しに見える彼女の顔には、大粒の汗が浮かんでいる。アスポートで同時に多量の『何か』を外部に拡散させた秋山友香以上に、疲労の色が濃い。

 エンジェルたちが乗る車を取り囲む球形がさらに白く光り、その内側では向こうの風景が歪んで見える。
 ただ歪んでいるだけではなかった。
 透明の球体のはるか向こうを走る青いワゴンが、右側から入りこんだ瞬間、姿を消していた。
 だが、わずかに遅れて姿を現し、形を歪ませながら球体の向こう側を走り抜ける。
 不思議なことが起きた。
 青いワゴンはすぐに左側から抜け出した。
 にもかかわらず、球体の内側にも同じ車の姿が見え、向こう側を走り抜けようとしている。同時に二台のワゴンが見えていた。
 球体の奥を走るワゴンが左端に届いたところでその姿を消す。先に進んでいたワゴンは、すでに随分と先に移動している。
 光が屈折しているのではない。
 球体の外と内とで、光の到達時間が食い違ったために起きた現象だった。

 谷地草綾乃の能力は時間のコントロールだ。
 コントロールといっても速めることはできない。ただ、遅らせることができるタイム・ディレイ(時間遅延)だけだ。
 もちろんそれだけでガツンの発生を止めることは不可能だ。だが、一部の空間に遅れを作り出すことで、実際に影響が出るまでの時間を稼ぐことができる。
 高エネルギーのサイ粒子を、時間経過の異なる空間に閉じこめ通過させる。集中したエネルギーがそこから抜け出た瞬間、友香が物質転送で遠方へ拡散させる。ガツンが発生する前に、消し去る作戦だった。

 これもまた、エリカ・フォーテルが発案した対策のひとつだ。
 姫野班でテレパスの桐野祐子とサイコキノの川嶋桃佳がコンビを組むのと同様、結城班でガツンを除去する役目は、タイム・ディレイの谷地草綾乃とアスポートの秋山友香が担っていた。

 ぴしぴしぴしっ!

 立て続けにラップ音が鳴った。
 結城の指示が飛ぶ。

『データの確認は美優に回せ。……頼むぞ、美優』

『りょーかい……、あんっ、また、来ちゃうぉ』

 SUVから美優の甘い喘ぎ声が聞こえた。
 その途端、がたんとバンが揺れる。
 ほぼ同時に、別の打撃音が響いた。

 カツんっ!

 秋山友香は電磁シールドのコンパネを操作しながら、首筋にちりちりと焼けるような気配を感じた。
 電磁場の位相を変えてはいる。だがそれでも、車内に大量に入り込んで来ているらしい。
 慌てて能力を使い、目に見えない粒子を遠く、遥か上空へと転送する。
 だが、再び打撃音が響く。

 ガンっ!

 隣に座る綾乃の頭が、頷くように前に倒れ、それからまた上を仰ぐのが見えた。

「谷地草っ!」

 友香が叫ぶのとほぼ同時に、再び衝撃が車を襲った。

 ガガガーン!

 激しく揺れるバンの中で、さらなる打撃音が響く。

 ガツンッ!

 ゆっくりと、谷地草綾乃の上半身がダッシュボードに倒れこんでいくのが見えた。
 車内に充満する『何か』を上空へ転送しながら、友香は綾乃を助け起こそうと手を伸ばした。
 だが、何故か彼女の身体にとどかない。
 友香は体の両脇に、冷たい汗が流れるのを感じていた。
 綾乃の全身が、うっすらと白い光に包まれている。
 その周囲には、ゆらゆらと靄のようなものが見えていた。

「結城さん、谷地草が被曝! これは、……自閉モードですっ!」

 落ち着きを失った声で、友香が叫んだ。
 綾乃を抱えようと思いきり両手を伸ばす。だがその手はいつまでたっても、彼女の肩に触れることはなかった。

◆ ◆ ◆ ◆

【10月14日[火]15時31分、U県W市蔵田山】
 額にびっしりと汗を浮かべながら、少年は自転車を走らせていた。
 山道は次第に勾配を増し、ママチャリにしたことを後悔する。
 だが、変速機付きの自転車を買えるだけの金はなかった。所持金は残り僅かだ。食事を牛丼並程度に抑え、宿泊もできるかぎり安い所を選んだとして、それでも3泊するのがギリギリだろう。ネットカフェがあればそれでもいいが、それにしても1週間は無理だ。
 だが、そもそも何の計画もアテもなく、ただ焦りと熱に突き動かされて飛び出した旅だった。
 いざとなったら、野宿する覚悟もある。
 3日前、何通も送ったメールにようやく返信があった。

『元気だよ。今、N市に来てる。でも本当に心配しないで、大丈夫だから。これ終わったらまた会おうね』

 それだけの短いメールだ。
 その後も毎日何通か送っているが、それ以来返事はない。

 ──心配ない、彼女はただ忙しいだけだ。
 そう考えた。そう思おうとした。
 だが、日が経つにつれ、いてもたってもいられなくなった。
 ガツンの荒れ狂う町──、そこへ彼女は出かけていった。

 ──好きな人がそんなところにいて、心配しないわけないじゃないか。
 腹が立った。
 悔しかった。
 だがすぐに、その怒りのほとんどが自分自身に対するものだと、少年は気付いた。
 だからこうして、アテもないまま、ただひたすらに自転車を漕いでいる。
 これは試練なのだと、そう思う。
 自分には何もできない。……だが、それでも行く。
 その決意だけは捨てたくなかった。

 ファァアンと、背中からクラクションの音が響いた。
 腰を浮かせて立ち漕ぎしたまま、左によける。
 右側を白いSUVが追い抜いていく。
 さほど車に詳しいわけではなかったが、シルエットからパジェロだとわかった。
 坂道がいよいよ厳しくなり、そして突然緩やかな場所に出た。
 自転車を停め、リュックからスポーツドリンクを出して咽喉を潤す。
 カーブした道の向こうが開けている。眼下には、ふもとの町が広がっていた。
 黄色い畑とところどころにこんもりと茂る林、そしてその中を縫うように走る道。
 その向こうには住宅が建ち並び、さらに遠くは灰色の建物が密集している。

 ──こんなところにも、信じられないほどの数の人が、暮らしている。
 そのことがとても不思議なことのように思え、同時に形にならない不安をかき立てられた。

 地図を広げた。
 正確にはわからないが、県境まで来ているらしい。
 一端C県に入り、そこからさらに山を回り込めばN市だ。
 もちろん、そう簡単に入れるとは思っていない。道は警察によって封鎖されている筈だ。
 だが、どこかに抜け道があるかもしれない。あるいは最悪、山の中へ分け入ることになるかもしれない。すでにその覚悟はできている。
 大きく深呼吸をすると、すがすがしい山の空気が身体に入り込んできた。
 手と足をぶらぶらさせて力を抜き、おもむろに自転車にまたがる。

 ──よし。
 心の中でそうつぶやき、少年はまたペダルを踏む足に力を込めた。

 傾いた陽射しを受けながら、大回りに山道を進む。
 傾斜がいくぶん楽になり、時には下ることもあるが、すぐにまた立ち漕ぎしなければ進めない勾配へと変わる。
 山を回り込むに従って、西日の当たる場所が左半身から背中へと移る。平地よりひと足早く訪れる黄昏に追い立てられるように、少年はペダルを漕ぎ続けた。
 森が途切れ、崖際の道が続く場所に出た。
 下から風が吹き抜けていく。
 その風に涼をとりながら、再び僅かな下りに変わった勾配を、いっきに走り抜ける。
 木々の間から、白い車が停まっているのが見えた。
 まだ随分先だが、見覚えがある。先程追い抜いていったパジェロだった。
 さらに離れて停まっている白バイが目に入り、少年は自転車の速度を落とす。
 警官が、パジェロの運転手と話をしていた。
 奥には、赤白のカラーコーンが数本立てられている。恐らくそれがN市へ続く道なのだろう、三差路の一方の道が封鎖されていた。

 ──どうする?
 少年は躊躇った。
 何喰わぬ顔で三差路を過ぎ、警官が見えなくなったところで、自転車を捨てて山の中へ分け入る……。
 それ以外に策は思いつかなかった。
 気がつくと、咽喉がカラカラだった。
 リュックからペットボトルを取り出す。中身は殆ど残っていない。ぬるくなったスポーツドリンクを一口で流し込んだ。
 大きく息を吐き出し、再び走り出す。
 右にカーブし、それから左へ。勾配を上り、再び下る。
 そんなことを繰り返すと、白いパジェロの目の前に出た。
 甲高い笛の音が聞こえた。
 先程は車の影で見えなかったが、別の警官がもう一人、警笛を吹きながら、赤く光る誘導棒を振っている。
 目はまっすぐこちらを向いていた。
 少年は速度を落とし、手前で自転車を降りる。
 警官はすぐに近寄ってきた。

「どこ行くの?」

「C県です」

「ここはもうC県だよ。N市へ行こうとしてたんじゃないよね?」

「いえ、……違います」

「名前は? どこに住んでるの?」

 警官は型通りの職務質問を行っているにすぎなかった。
 だが、少年にとってそれは、逃げ場のない窮地へと追い込まれる尋問に等しい。
 答えることもできず、彼は黙ってうつむくしかなかった。
 不審なものを感じ取ったのか、警官はじっと彼の目を見つめてくる。
 早鐘のような心臓の鼓動と、流れ落ちる汗を感じながら、少年は黙っていた。
 何と答えていいかわからぬまま、ただその緊張に耐え切れず、震える彼の唇が微かに動いたその時──。
 次第に大きくなる排気音と共に、警笛が鳴り響いた。

 パジェロのところにいたもうひとりの警官が、足早に横を通り過ぎる。
 さらにその先、C県の市街地へ抜ける道の向こうに、観光バスがゆっくりと停まった。さらにその後ろからもう一台、同じ形の観光バスがやってきて停まる。
 笛を吹きながら警官が走り寄り、N市への道が通行止めであることを大声で告げる。
 停車したバスから、一人降りてくるのが見えた。
 なんともおかしな風体の男だった。
 履いているジーンズやスニーカーはどこにでも売っていそうなものだ。しかし、白いトレーナーの上に、オレンジ色の法被(はっぴ)を羽織っている。
 男は早口で何か言っているが、緊張で固まっている少年にはよく聞き取れなかった。
 目の前の警官もそちらを気にして、バスの方へ顔を向けている。

「あの、もういいですかね?」

 そう声を上げたのは、パジェロの男だった。
 少し前まで男と話していた警官は、今はバスの前で、さらに後から降りてきた他の者たちに取り囲まれている。
 異様な集団だった。
 服装は様々だが、揃ってオレンジ色の法被を羽織り、口々に何か言っている。
 徐々に声が大きくなり、重なり合う言葉のいくつかが聞き取れた。

「N市へ入るのは、飽くまで自己責任ですから」

「今でなければ駄目なんです。私たちには『使命』があります」

 応対に追われた警官が、困った顔でこちらを一瞬見る。
 少年のそばにいた警官は後ろを振り向き、パジェロの男に向かって声を張り上げる。

「ちょっと、そのままで待っててください」

 それから少年の方へ向き直り、「君もだぞ」と告げると、小走りでバスの方へ向かう。
 バスからは次々と人が降りてくる。その多くが男だが、女もいる。全員がオレンジの法被姿だ。
 後ろを向いた法被の背中に、太い筆文字で「我積修法会」と書かれているのが読めた。
 宗教団体のようだった。
 ひときわ大きく、警官の声が響いた。

「N市は今、立ち入り禁止区域に指定されているんです。ご存知ないですか? 危険なんですよ」

 その途端、まわりを取り囲む者たちの輪が、わずかに小さくなる。
 後から駆けつけた警官が、間に割って入った。
 だが、詰め寄る者たちの声も徐々に荒々しさを増していく。

「N市へ入るのは自由意思です。私たちは何も罪を犯していません。止める権利はない筈だ」

「横暴だ、公権力の乱用だ」

「信仰の自由を侵す権利は誰にもありません」

 バスに同乗していた者たちが、口々にわめき立てていた。
 そしてついに、警察官の怒号が響いた。

「通行止めだと言ってるだろう!」

 取り囲んだ人びとがにじりより、警官の体を押す。
 彼は構えた赤い誘導棒を、身体の前に突き出して押し返した。
 棒の先が男の一人に当たり、後ろに倒れそうになった。
 すかさず別の信者がその背中を支え、男を立たせる。

「何するんだっ!」

 押された男は、怒りを露にしながら、身体ごと警官にぶつかっていく。
 警官は一瞬しまったという顔になりながら、咄嗟に誘導棒を横にはらった。
 それが別の男の顔に当たった。

「貴様っ!」

 信者たちの怒りに火が点いた。
 多勢に無勢で、いっきに人の輪を縮める。

「やめなさいっ、公務執行妨害で逮捕するっ」

 人の波に押されながら、後から加わった警官が上ずった声で制止する。
 だが、最早止まらなかった。
 大声で怒鳴りながら、信者たちが警官の身体を押していく。
 バスからはさらに別の信者たちが、ぞろぞろと降りてくる。
 そして──。
 警官が振り払う誘導棒で、信者の一人が道に倒れた。
 静かだった山道に悲鳴と怒号が交差していた。

 荒々しい光景を固唾を呑んで見ていた少年の耳に、ぶわんと響く排気音が届いた。
 振り返ると、パジェロがゆっくりと動き出している。
 車は静かに少年の前を通り過ぎようとしていた。
 運転席の男が身を乗り出し、低く囁いた。

「行くなら、今しかないぞ」

 小さな声だったが、かろうじて聞き取れた。
 次の瞬間、パジェロは速度を上げ、重い排気音とともに三差路を曲がる。
 音をたてて、封鎖用に置かれたカラーコーンのひとつが潰された。残りは左右に弾け飛んでいる。

「お、おい、待て!」

 群衆に囲まれた警官の一人が、慌てた声で誘導棒を振り上げる。だが、その声はすぐにまた信者たちの怒号にかき消された。
 次の瞬間、少年は自転車に飛び乗った。
 深く考えている余裕はなかったし、考えるつもりもなかった。
 自転車の上で半立ちになり、勢いよくペダルを押し込む。
 パジェロの後を追って、狭くなった木々の間の道へ向かった。

「き、君っ、待ちなさいっ!」

 背中の方から、警察官の制止の声が聞こえたが、少年は振り返らない。
 指先が震えていた。
 その震えを押さえるように、強くハンドルを握る。
 足も震えている。
 それも、ひたすらに自転車を漕ぐことで、気にならなくなった。
 細い一本道がカーブする度に、木々に邪魔されて見えなくなるが、直線に戻るとまだ白い車体が確認できた。
 徐々に遠く離れていく。
 なんとか遅れずについていこうと、疲れ果てた足をさらに速く動かすが、次第に見えなくなる時間が増えていく。
 そして、とうとう見失ったと思ったその時、背中の方から小さな破裂音が聞こえてきた。

 ぱん。──ぱん。

 それは二回続けて鳴り、そして静かになった。
 少年はまた自転車のペダルを踏む足に力を入れる。
 わずかに遅れて、それが銃声であった可能性に気付いた。
 軽く乾いた音だったが、一端そう考えると、そうとしか思えなくなった。

 ──警官が発砲したんだろうか?
 二人とも、どこにでもいるような警察官だった。
 あるいはあの、異様な風体の者たちの誰かが、銃を奪ったのかも知れない。
 背筋に冷たい震えが走る。
 今朝からずっと続いている違和感が、再び大きくなっていた。

 ──自分は一体、こんなところで何をしているんだろう?
 昨日までの日常が嘘のように、あるいは遠い日のことのように感じられる。
 だが、その戸惑いはすぐに消えた。
 両側を木々に囲まれた道の向こうに、停車するパジェロの姿が見えていた。

◆ ◆ ◆ ◆

【10月14日[火]15時48分、N市西部、蔵田中郷(くらたなかごう)】
 果樹園脇の停留所に、バスが停まった。
 スーパーガツン発生以来、時刻表通りには運行していないが、それでも一日数本は路線バスが走っている。
 バスを降りたのは一人だけだ。
 まっすぐな黒髪、すっきりとした白い顔に切れ長の目、大人びた美貌──。黒いセーラー服の少女だった。
 バスはその先の丁字路を左に曲がり、やがて見えなくなった。
 彼女はバスの後を道なりに進み、丁字路を右に折れる。
 畑と果樹園の間を蛇行して続く坂道を下りながら、彼女は小さく眉を顰めた。
 進む坂道の先は一端下った後に再び上り坂となり、山の方へ続いている。
 一見、穏やかな風景が広がっていた。
 だが、山の麓、こんもりと茂る森の向こうの風景が、陽炎のようにゆらゆらと揺れていた。
 実際に見えているわけではない。彼女の力が、それを「揺らぎ」として認識していた。
 少女にとっては、やっかいな力だ。
 望んで得たわけではない。幼い頃から、ことあるごとに他者との違いを意識させられ、時にその能力故に疎んじられたこともある。
 彼女の孤独の根底に存在し、ほとんど誰にも打ち明けられない秘密でもあった。

 ──3年前、彼女が通う学校でガツンが発生した。
 今でもその時のことははっきりと覚えている。
 初めて見る級友たちの淫らな姿に嫌悪を感じながら、それでも見るに見かねた彼女は自らの力を使った。
 一度始まったガツンをすぐに消し去ることはできなかった。
 だが、乱れた「気」を押し流すことでガツンを終わらせ、それ以上広がらないように収束させることでなんとかその場を収めた。
 決して愉快な作業ではなかった。
 彼女はその能力故に、人の意識や欲望を直に感じ取ってしまう。
 ほとんど皮膚感覚に近い感触を伴って、禍々しいまでの性欲に触れることで、自分自身が穢されるような感じがした。それが結果として、人間そのものへの嫌悪や不信をさらに増大させることにもなった。

 ガツンに後遺症がないことはすぐにわかった。
 被害にあったクラスメイトたちは、意外なほどあっけらかんとしていた。身体的にも精神的にも、何の影響も受けていないようだった。
 そのこともまた、彼女には受け容れがたかった。
 しかし、その後も彼女のまわりで、ガツンは発生し続けた。
 年頃の女子が自分の意思に関係なく淫らな行為に及ぶのを、看過することはできなかった。特にクラスメイトだったり、同じ町の見知った者であればなおさらだった。
 それ以来彼女は、自分の町で多発するガツンを祓い続けた。

 しばらくして、町は平穏を取り戻した。
 しかし、全てのガツンが消えたわけではなかった。
 他の町でガツンが起き、それがどんどん増えていく。
 とても一人の手に負える量ではなかった。
 それでも、近隣の町であれば、出かけていった。

 ──放っておけばいい。
 そう思った。
 しかし、近くにガツンが発生する予兆を察知する度に、彼女はその場に足を運んでいた。
 実践を積むうちに、ガツンを祓うスキルは向上した。
 試行錯誤の末、有効なアイテムも手に入れた。ガツン発症後すぐであれば、影響が出る前に祓うことも可能になった。
 だが、彼女の気が晴れることはなかった。
 なぜそんなことをしなければならないのか、腑に落ちなかった。
 にもかかわらず続けてしまうことが、自分でも不思議だった。

 ──だが、今はもう迷いはない。
 数日前に、自分自身がガツンに被曝した。そのことで、何かが変わった。
 彼女にはガツンの発生前に、その気配がわかる。本来なら絶対にあり得ないことだった。
 だが、何故かその日は察知能力が鈍り、気がつくと激しい衝撃を後頭部に受けていた。
 ──これがガツンに遭うということ。
 それは体験して初めて理解できる感覚だった。

 溢れ出す情欲に身を任せる前に、自らの能力でガツンは鎮(しず)めた。非常識な行為に及ぶことは、ギリギリで避けることができた。
 だが、ほとんど生まれて初めて感じた強烈な性衝動を、今でもはっきりと思い出すことができる。
 普段は意識に上ることはない。ただ、何かの拍子に経験したガツンの感覚が蘇ることがあった。
 彼女がガツンに晒されていたのは僅かな時間のことだ。
 だがその時の、自分から生まれたとは到底思えない淫らな考え、妖しい感覚、そして荒れ狂うような強い衝動を、鮮明に覚えている。

 ──鎮めたつもりのガツンは、ただ身の裡に封じ込めただけで、今も体の裡側に潜んでいるのではないか?
 そんなふうに感じることもあった。
 そのことが逆に、彼女に決意を固めさせた。
 たとえガツンが自然現象なのだとしても、自分の意思が捩じ曲げられるのは嫌だった。
 見知らぬ相手に対してはもちろんだが、好意を持つ相手の前ではなおさら、一時の衝動ではなく気持ちを大事にしたい。なし崩しに性的な関係を持つことは避けたい。──そしてその思いは、自分だけではなく、多くの人にとって大事なことだと思えた。

 数日後、これまでとはケタ違いの「脈」の乱れを感じ、彼女は自分の住む町を後にした。
 たどり着いたのはN市、──そして彼女の到着を待っていたかのようにガツンが発生した。
 それ以来彼女は、たった一人でN市内のガツンを祓い続けている。
 N市で発生したスーパーガツンは、その量も頻度も範囲も、彼女の能力を遥かに上回っていた。ガツンの「気配」が町全体に満ちているせいで、夜もろくに眠れていない。
 疲労は限界に近づいている。
 だがそれでも彼女は、何かにとり憑かれたかのように、ガツンとの格闘を続けていた。

 少女は一人静かにその場に立ち、森の向こうに見える揺らぎを睨みつける。
 すぼめた口から長くゆっくりと息を吐ききり、静かに鼻から吸う。
 呼気を調え、体内の邪気を追いだし、精神を集中させる。
 胸元にさげたメダルに指先で触れ、小さく呪文を唱えた。

「怒りの神よ、聖なる侵入よ、最後から二番目の真実を明かせ。天のろくろを回し、暗黒のすべての色を我に告げよ」

 じっと目を閉じ、気配を探る。
 しばらくして顔をあげ、位置を確認した。
 やはり山の麓近く、森の向こうで一段と揺らぎが激しい。
 坂道の先に、先程降りたバスとは別の路線の停留所があった。
 看板に書かれた停留所名は「蔵田中郷」、その上にある行き先は「緑山遊園行」となっていた。
 坂道は大きくカーブし、山を回り込むように森の向こうへ消えている。

 何か深い考えがあるわけではない。ただの勘ともいえる。
 ──しかし、彼女の勘は外れたことがない。

 時刻表を見ると、一時間に数本走っているようだが、今のN市ではアテにならない。
 だが、心配には及ばなかった。
 遠くから重い排気音が聞こえてきた。
 坂の向こうから、ファンと小さくクラクションを鳴らして、路線バスが近づいてくる。
 ぞくっと、背中に寒気が走った。
 だが、その高まる不安が、逆に正しい方向に進んでいることを彼女に告げていた。

[設定・文章協力:みゃふ+Panyan]

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<エンディング・テーマ>
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<CM挿入>
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<予告>

あ、あのっ、ども。真鍋美穂、です。
なんかその、ママが最近凄くセクシーになっちゃって、大人って凄いっていうか、パパのとかビックリするほどおっきいし、さすがに私にはあんなの無理って思うけど。……ガツンだったら何とかなる?

さて次回GGSDは……
「謎の男が飛翔し、女たちは姿を消す。そして始まる狂乱のカーニバル。さあ集え! 自らその身を捧げるために。しかし少女は決然と歩む、絢爛たる祭の幕を引くために──」

第4話「N市の遊園地」。──って、私はいかないけどねー。
あ、そうそう。コンビニで初めて買って食べたヤツ、美味しかったぁー。もちろんママの料理は本格的だし美味しいんだけど、あれはあれでジャンクな味っていうか、クセになるっていうか、マジでヤバい。……えーっと、あれ? そういえばアタシ、何を食べたんだっけ?

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<エンドカード>

※1 この作品は完全にフィクションです。実在の国名、地名、組織・団体名、人名などが登場しますが、現実の国家、地域、組織・団体、人物とは一切関係ありません。

※2 SF小説、映画、テレビドラマ、アニメなどからの引用が多々ありますが、オリジナルの価値を損なう意図によるものではありません。愛すればこそです。

※3 空間の一部だけ時間が遅くなると、それは外からどのように見えるのか……。内部では光もゆっくり進むわけですから、そこへ入ろうとする光も出てこようとする光も、境界面で変化する筈。
 ──というところまでは考えましたが、それ以上は完全に私の想像力を超えていました。ブラックホールの見え方なども参考にしたのですが、結局全然わからない……orz どなたか「これが正しい時間遅延空間の外からの見え方だっ!」とわかる方、ご教示ください。よろしくお願いします。

※4 この作品に出てくる「精神場理論」は作者のオリジナルではありません。しかも、完全に出鱈目です。念のため。

※5 上述のような科学的・SF的な考証も含め、何か根本的な間違いにお気づきの場合は、ぜひお知らせください。

< 続く >

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