新しい僕の家族 第一話

第一話

 欲望を放出して縮こまった下腹部を包み込む生暖かい感触。
 大の字になってセックスのあとの心地よい倦怠感に身を委ねている省吾の傍らで、少女が性器に残った粘液を口で丁寧に処理してくれている。
 陰毛に絡みついた精液を吸いとると、少女は包皮をめくってカリ首から裏筋をなぞるように舌を這わせた。顔を傾けるたびに太腿へ垂れた長い髪が揺れて、さらさらと肌を撫でる。皮を下まで引っ張って、少女は裏側の滑りまで念入りに舐めとってくれていた。
 彼女がここまで尽くしてくれるなんて、一体誰が信じるだろうか。教室では自分が落としたものですら、男子が競って拾おうとするのを退屈そうに眺めているのに。
 省吾は奉仕されながら、彼女を手中にしたあの日を思い返していた。

「藤沢さん、ちょっと待って」

 いまにも教室を出て行こうとしていた藤沢奈央が扉の前で足を止めた。
 正面から奈央と対峙するといつも圧倒されるような気持ちになる。省吾に対する感心がまったく感じられない、猫のような目。じっと見つめていたら魂を抜かれてしまいそうだ。

「今週は図書室のカウンター当番なんだけど、覚えてる?」
「あー……。そういえば」

 省吾の通う高校では図書委員が週替りで昼休みと放課後のカウンター業務を担当することになっている。五月の終わりになって、ついに省吾たちに当番が回ってきた。
 本当は昼休みも仕事があったのだが、忘れていたのか覚えていてすっぽかしたのか、どちらにせよ彼女は来なかった。だけど、放課後は帰すわけにはいかない。
 奈央と二人きりになれるこの時をどれほど楽しみにしていたことか。

「そういえば奈央って図書委員だったんだっけ」
「ああ、なんかアタリ引いてたもんね」
「アタリじゃねーよ。ハズレだよ」

 校則違反ぎりぎりまで髪を明るく染めた奈央たちは一様に化粧が濃くて、柑橘類のような匂いがする。同じ教室にいてもほとんど話したことはないが、彼女たちに良い印象を持っている生徒は少ないだろう。サッカー部やバスケ部の男子と仲が良い、いわゆるイケてる女子と比べて男受けを意識していないだけ粗野で人当たりがきつい。

「それってさあ、一人じゃだめなの?」
「二人でやる決まりだから。どうしてもっていうのなら、委員会のときに言っとかないとだめだと思う」

 奈央は一つため息をつくと、頭の痛みをこらえるように額に手をやった。細い指を滑らせて、前髪を後ろへ撫でつける。制服をだらしなく着崩しているのに、一つ一つの仕草にどこか品を感じてしまうのはなぜだろう。この辺りでは有名な大病院のお嬢様だと知っているからだろうか。
 半ば諦めたような表情で奈央は省吾を見た。

「何時までやんの?」
「図書室が閉まるのが五時半だから、それまで」

 苦虫を噛み潰したような顔をした彼女の口からさらに大きなため息が出た。苛立ちをぶつけるように右手を髪に差し込んで、くしゃくしゃとかきなでる。

「ってことだから、先帰っててよ」
「まあ、しゃあないねー。がんばって」

 友達と別れた奈央は省吾を見て「行くぞ」というようにあごをしゃくった。柄が悪いなと思うけど、彼女はこういう仕草が良く似合う。
 教室を出て図書室まで並んで歩いていると、すれ違う男子が奈央に向ける視線が嫌でも目に入る。ネクタイを緩めた胸元や、短いスカートからのぞく太腿に向ける男子の視線はこうまで浅ましいものなのか。歩いているだけでここまで注目されるようでは、省吾ならノイローゼになってしまいそうだ。

「てかさ、あたし貸出とかどうすればいいのか知らないんだけど」

 沈黙に耐えかねたわけでもないだろうが、無言で廊下を歩いていたら意外なことに彼女から話しかけてきた。

「最初の委員会で説明あったじゃん。聞いてなかったの?」
「うん」
「ああ、そう。マニュアルもあるから読めばわかるよ」

 図書室の鍵を開けて中に入るとすぎに唐草のような匂いがした。入り口から見てL字型になっているカウンターに入って、パソコンを起動する。使い方がわからないと言っていたので、引き出しからバーコードリーダーのマニュアルを取り出して渡したら、奈央は目もくれずカウンターの上に置いた。
 どうやら彼女に仕事を任せるのは諦めた方が良いらしい。立ち上がったパソコンのパスワードを入力していたら、リュックを背負った女子が入室してきた。それを皮切りにしたようにちらほらと利用者が入ってくる。自習のために来ている三年生が多いようで、左右にパーティションがある机に着いて静かに問題集を解いていた。
 奈央は最初の一人二人こそちらと目を向けていたけど、途中からそれすらなくなった。横目で盗み見ればせわしなく指を動かしてSNSをチェックしているらしい。

「すいません。これ借りたいんですけど」

 緑色のネクタイだから一年生だ。省吾に対応しろということなのか、隣にいる奈央は声をかけられても顔を上げようとすらしなかった。マニュアルに沿って貸出処理を終え、本を受け取った一年生が出ていくと図書室はまたも静寂に包まれる。四時を過ぎてから新たな入室者さえ来ないので、暇で仕方ない。左腕の時計に目を落とせば、まだ四時半を少しすぎたばかりだ。

「これ、あたしいる意味なくね?」

 図書室に入ってからずっと携帯をいじっていた奈央が初めて口を開いた。

「それなら、次の貸出はまかせようか」
「それはいいわ。でも、明日からはマジでどっちか一人でいいんじゃない? 先生も来ないしバレないでしょ」

 確かにこれなら二人は必要ない。未だに本を借りに来たのは一人だけで、本の場所を聞かれることもなかった。

「一人でやるのはいいけどさ、藤沢さんは貸出の手続き出来るの?」
「バーコードをピッてやるだけでしょ? それくらい出来るわ」

 これ以上反論する術が思い浮かばなかった。このままだと明日からは本当に一人だけでやる方向に進みそうだ。やはり、なんとしても今日中に決める必要がある。
 ブレザーの上から内ポケットに隠した一冊の本に触れ、鼓動を鎮めるように大丈夫だと自分に言い聞かせる。何度も実践は繰り返してきたし、仕込みも用意した。絶対にミスをするはずがない。
 しばらくして、奈央は椅子に座ったまま船を漕ぎ始めた。長い髪の隙間からのぞく寝顔はいつもよりずっと幼く見える。隣で無防備な姿を晒している彼女を眺めているうちに、閉室の時間がやってきた。
 最後まで残っていた生徒が図書室を出て二人きりになると、省吾はあえて残しておいた返却図書を手にとった。

「それじゃ、あとは本を返して終わり」

 壁際の小説コーナーから見つけ出したわずかな隙間に本をねじ込む。そうしてすべての図書を元の場所に戻すと、省吾は内ポケットから文庫本を取り出した。

『催眠術のかけ方』

 物心ついたときからの愛読書だ。
 テレビで初めて催眠ショーを見たとき、精通もまだだというのに股間が熱くなった。催眠術をかけられたモデルが犬になりきって吠えていた姿はいまでもまぶたに焼きついている。ネットに触れるようになり、自分の性癖に気がついてから間もなくして、この本にたどり着いた。
 家族に催眠術をかけた時のことははっきりと思い出すことができる。いまなら、あのときよりもずっと上手くできるはずだ。幼馴染の咲季やバスケ部の郁だって、驚くほど簡単に催眠をかけることができたのだから。

「こんなのあったよ、催眠術だって」

 椅子に座ってスマホを操作していた奈央に表紙を見せるたら鼻で笑われた。予想していた通りだ。

「ここに書いてある方法を使えば誰にでも催眠術を使うことができるだってさ」
「アホくさ。催眠術とか、やらせでしょ。そんなのに釣られる奴いんの?」

 多分これがいたって普通の反応だろう。とはいえ、催眠術を全く信じていない人間に施術するのは難しい。大事なのはここからだ。

「でも催眠術って外国だと医療にも使われてるらしいよ。催眠療法って言って、潜在意識に語りかけて過去のトラウマや思い込みを顕在化させて解決するんだってさ」
「ふうん……?」
「藤沢さんの言うようにテレビでやってるのはほとんどがやらせだろうけど、催眠術は世界的に認められた医療だよ」

 ここは言い切る。催眠にかける一番重要な要素は催眠術が本物だと信じてもらうことだ。奈央が省吾の言葉に耳を傾けた隙に、すかさずたたみ掛ける。

「僕も催眠術が使えるんだよ。これからあなたに催眠術をかけます」
「は?」

 右手の人差し指と中指でVの字を作ると、奈央の目の前に掲げた。

「ほら、この指を見て」

 奈央が思わず指を凝視した瞬間に、すばやく腕を前に突き出した。反射的に目を閉じてしまった彼女のまぶたを指で抑えて、強く指示を与える。

「もう目を開けることができない!」

 指先にまぶたがぴくぴくと痙攣している感触が伝わる。それでも、軽く触れているだけのまぶたは開かない。刷り込みは上手くいったようで、彼女の困惑が口元の引きつりにあらわれていた。

「僕が三つ数えたら、あなたの体は自然と後ろに倒れて催眠状態に入っていきます。三……ニ……一……ハイ! 後ろに倒れる! ……すーっと倒れる……そして催眠状態へ入っていきます……。ふかーく、ふかーく入っていきます……」

 あっさりと奈央は椅子の背もたれに身を預けた。手に持っていたスマホが落下する鈍い音が響いても、彼女の瞳は閉じられたまま。
 奈央の頭に両手を添えて、ゆっくりと回転させながら語りかける。

「さあ、僕がこうして頭を回転させていると、首の力が抜けていきます……。ほら、ぷらーん、ぷらーんと、力が抜けていきます……。肩から……肘……手の指先まで、力が抜けていきます。下半身の力も、抜けていく……。足のつけ根も、つま先も、もう力が入らない……そうして、全身の力が抜けていきます……どんどん抜けてくる」

 頭を回しながら何度も暗示を繰り返しているうちに、奈央の体から力が抜けてきた。床を滑るようにして足がずるずると伸びていく。
 ついには筋肉が緩みきったのを確かめて、椅子の背に対して横向きになるよう彼女の姿勢を整えた。

「体が鉄棒のように硬直する!」

 肩に手をやって思いっきり後ろへ倒すと、奈央の体はまっすぐに伸びて固まった。座面に腰をつけて床と平行な一本の棒になる。手を離しても、中空に浮いた奈央の上体は静止したまま。それでもさらに硬直暗示を与え続ける。

「どんどん硬直する! もっともっと硬直する! 体が痙攣するほど硬直する!」

 脇を閉じてきれいな起立の姿勢で固まっている奈央の体にいっそう力が入る。太腿の筋肉が盛り上がってこぶができた。全身がこわばり、小きざみに震え始める。

「今度は体から力が抜けていく……体中の筋肉から力が抜けていく……筋肉がどんどんほぐれていく……」

 強く握られていた奈央の拳がほどけた。背中に手をやって脱力を続ければ、腕にかかる重みが徐々に増していく。膝が折れ、つま先が床に着くと彼女の体は完全に重力を取り戻した。
 再び固くなるように暗示を与えては、元に戻す。こうやって緊張と弛緩を繰り返すことで催眠は深化していく。
 彼女はとても反応がいい。この分だと最後まで連れていくのは簡単そうだ。
 奈央の上体を起こして、きちんと椅子に座り直させる。体を触っても彼女のまぶたが開くことはない。子供のように安らかな寝顔でされるがままになっている奈央に、新たな暗示を与える。

「いま、あなたはジェットコースターに乗っています。……肩のハーネスが下りてきました。しっかりと掴みましょう……。コースターが発車しましたよ。ほら、ゆっくりと頂上まで上がっていきます……。上がる、上がる……」

 何かを抱くように腕を曲げた奈央の上体が椅子の背に張りついた。空想の中で彼女の体はいま天を向いている。これから先の恐怖を想像しているのか、額に皺を寄せてまぶたをきつく結んでいた。

「ついに頂上まで達しましたよ……。頂上からは長い、長~いコースが良く見えますね。さあ、そろそろ降りていきますよ……。ゆっくりと、コースターが坂を下りはじめました。だんだん、速くなっていきます……。速い、速いっ、すごいスピードです!」
「きゃああああああ! いやああああっ!」

 悲鳴を上げた奈央は体を丸め、必死の形相で見えないハーネスにすがりついている。風に煽られるかのように何度も彼女の上体は揺れた。意外にも絶叫系の乗り物が苦手らしく、足が震えている。体の動きに合わせてスカートがまくれ、桃色のパンツがあらわになった。

「大きな右カーブです! 飛んでいってしまわないよう、体を右に傾けましょう」

 省吾の言葉に従って奈央は体を思いっきり右に傾けた。歯を食いしばり、全身で遠心力に逆らっている。もっともっと速くなると暗示を与えてやれば、固く閉じられた目から涙がこぼれた。はすっぱな彼女が、ジェットコースターくらいで泣いてしまうなんて。鼻水を垂らして泣いている奈央は、普段のギャップも相まって嗜虐心を唆る。恐怖のあまり彼女の思考はすっかり麻痺してしまっていて、省吾の言うがままに体を右へ左へ傾けた。

「ああああぁぁぁ! ひいいいいぃぃぃっ!」

 いつの間にか、紺色の布地に黒い染みが広がっている。スカートをまくると下着がびっしょりと濡れて、座面に水滴が溜まっていた。恐怖のあまり失禁してしまったみたいだ。
 これだけ反応が良ければもう十分だろう。もっと泣き叫ぶ彼女を眺めていたい気持ちを抑え、次のステップに進む。

「さあ、ジェットコースターが一周して戻ってきましたよ……。いま、止まりました。もう力を抜いても大丈夫です」

 絶叫マシンからようやく開放された奈央はぐったりと背もたれに寄りかかった。それでもまだ呼吸は激しく乱れ、涙を流して全身を震わせている。
 肩で息をしている奈央が落ち着くまでの間、ハンカチでおしっこを拭ってあげた。尿を吸って重くなった布は嗅ぐとかすかにアンモニアの臭いがする。ふいに汚物にまみれている奈央を想像して、背徳的な興奮を覚えた。
 彼女の呼吸が整ったので、びしょびしょになったハンカチをごみ箱に捨てて深化を再開する。

「あなたの眼の前に階段があります。これから僕が数字を十から逆に数えると、あなたは階段を一つずつ降りていきます。そして、一つ階段を降りる度にあなたの体から力が抜けていって、そのまま深い眠りに落ちていきます。十……九……八……七……だんだん眠くなってきた……。六……五……四……眠い、とっても眠い……。三……、ニ……一……さあ、下まで降りてきました。そのままふかーく、ふかーく眠りましょう……」

 暗示の途中から奈央の体は前に倒れていった。膝に顔を埋めた彼女の髪が垂れ、床に落ちかかる。

「あなたはいま、催眠術にかかっています。催眠術にかかっていると、すっごく気持ちいいですよね? 気持ちよくて、何にも考えられないですよね? もう何も見えない。何も聞こえない。でも、僕の声だけは聞こえるよ。僕の声を聞いていると、とっても気持ちがいい。そして、僕の言う通りにしているともっともっといい気持ちになれるんだ……」

 本当はいますぐキスがしたい。この手で体を弄ってやりたい。だけど、あまり大胆なことをするのはまだ早い。今日はこれからのために催眠を受け入れやすい下地だけ作っておく。
 うなだれている奈央の体を起こして、耳元でささやく。

「あなたはクラスメイトの津田省吾くんのことが大好きになる。好きで好きでたまらない……。さあ、自分の言葉で口に出すんだ。言葉にすると、あなたの頭にしっかりと暗示が残る」
「はい……。あたしは……津田くんが大好き……」

 全身の血が燃えるように熱くなった。奈央と交わっているシーンが鮮やかに浮かび、手が震える。興奮が声に出ないように唇を噛みしめて理性を呼び戻す。

「では、僕が三つ数えるとあなたは目を覚まします。目を覚ましたあなたは自分が催眠術にかかっていたことはすっかり忘れてしまいます。でも、暗示だけはしっかりと心の中に残っていて、逆らうことができません。わかりましたね。……三……ニ……一……はい」

 カウントを終えると奈央がゆっくりとまぶたを開いた。まだ催眠状態から覚めきっていないのか、ぼんやりとした瞳でまばたきを繰り返している。

「うん、あ? あれ……。あっ、津田……」

 省吾の顔に焦点を合わせた奈央の目が大きく見開かれた。
 きちんと後催眠が作用しているらしい、白い肌が見る見る赤く染まっていく。これまで感じたこともないような恋心に襲われているのだろう、肩を抱いて体をわななかせている。

「片づけも終わったし、帰ろうか」

 時計を見れば、もう閉室時間をとっくに過ぎている。名残惜しいがそろそろ鍵を返さなければ。
 図書室を出て入り口の鍵を閉めている間も横顔に熱い視線を感じたので、ふいに振り返ってやると奈央は慌てて目を反らした。思いのほか初々しい反応に省吾までどきどきする。

「それで、明日だけどさ。藤沢さんの言ってたように一人でやるってことでいい?」
「……ううん。やっぱり二人でやろう」

 奈央は省吾から視線を外して小さな声で言った。一人でやりたいと言っていたのは奈央の方だったはずなのに。あまりにわかりやすい態度につい笑いがこぼれそうになってしまった。
 鍵を返すから先に帰ってもいいと言ったのに彼女は職員室にもついてきた。それどころか校舎を出ても省吾と別れようとしない。駅までの道すがら、部活帰りの生徒に見られていることを気にする風もなく、懸命に省吾の気を引こうとしていた。
 お互いにとって残念なことに奈央とは別の路線だ。改札の前で別れを告げると彼女は手を振って見送ってくれた。
 あの奈央が、惚れた相手にはこんなにも愛らしい仕草を見せるのか。意外な一面を見てますます好きになってしまいそうだ。
 土曜日はデートに誘ってあげよう。そこで二人は結ばれる。
 きっと、奈央も喜ぶはずだ。

< 続く >

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