最終章
─ 1 ─
不自然な体勢で寝ていたせいか、なんだか身体がぎしぎしと音を立ててるような気がした。でも、目覚めはとても気分が良い。ぼくは寝起きの胡乱な頭で、少しだけそれを疑問に感じていた。
まるで、一生懸命運動をした翌日みたいに、疲労と身体の悲鳴が、どことなく気持ち良い。べつに、ぼくはマゾじゃないぞ・・・なんて馬鹿な事を思いながら、朝の光を受け止めるべく、目を開いた。
「うわぁ・・・」
目の前の惨状は、いっそ気持ちの良いぐらいだった。
まず、ぼくも含めて全員裸。どっかの国の部族だって裸足で逃げ出すほどの、全裸。しかも、カーペットを敷いてあるとはいえ、床の上で眠りを貪っている。
かなたは身体を丸めるようにして、気持ち良さそうに寝ている。
友香は女の子にあるまじき、堂々たる大の字だ。右足が沙隠路さんのお腹に乗っかってるのは、ある意味お約束だ。
沙隠路さんは、なにやら悪夢を見ているようで、うーうー唸りながら、それでも目を覚ます様子は無い。あ、友香の足のせいで、苦しいのかも。ぼくは、友香が目を覚まさないように慎重に、沙隠路さんのお腹の上から足をどかした。
神名さんは、仲良く椎名さんに腕枕をしてあげている。右手で腕枕、左手は自分用の枕だ。なんていうか、妙に男前な女の子だ。
椎名さんは神名さんに寄り添うように、穏やかに寝ている。この中で一番普通に寝ているように見える。でも、全裸。
取り敢えず、ぼくは脱がされた後は放置されていた下着やパジャマを手に取ると、こそこそと着た。周りの状況がどうであれ、やはり裸というのは落ち着かないから。
さて、みんなまだ目を覚ますようには見えないし、遅いとはいえ毛布ぐらいは掛けてあげるべきだろう。ぼくは足音を立てないように注意して、部屋を後にした。
しかし、やっぱりこの館は凄いよなぁと、ぼくは2階に上がりながらしみじみと思った。この時期にあんな寝方をしたら、普通の家なら全員風邪は免れないだろう。この家の特徴である恒常性が、快適な温度を保っていてくれたおかげで、みんな風邪をひかずにすんだ訳だ。
ぼくは、各部屋から毛布を数枚抱えて戻ると、起さないように掛けてまわった。かなた、友香、沙隠路さんと掛けて、椎名さんと神名さんの所に行くと、ちょうど目を覚ましたらしい椎名さんと目が合った。繰り返して言おう、全裸の椎名さんとだ。
瞬間的に自分の格好に気が付いたのか、それこそ全身を羞恥の赤に染めて、毛布を掛けようと屈んでいたぼくの顔に、鮮やかな蹴りを放った。
「わっ!」
思わず仰け反ったその前を、椎名さんのすらりとした足が通り過ぎた。しかし、普通なら身体を抱え込んで丸くなるとか、取り敢えず悲鳴を上げるというリアクションをするもんじゃないのかと、少しだけ疑問を感じたけど・・・きっと、人それぞれなんだろう。
「見るなっ!」
「ごめん。あ、これ使って」
まるで毛を逆立てて唸る子犬みたいな椎名さんに背を向けて、ぼくは手に持った毛布を渡した。後ろでごそごそと、衣擦れの音が続いている所からすると、毛布は神名さんに掛けて、椎名さんは寝巻きを着ているらしい。
「もういい」
「うん」
不貞腐れたような声で椎名さんの許可が出て、ぼくは振り返った。しかし、気のせいか椎名さんの言葉遣いが、ずいぶんぞんざいになってる気がする。まだ、腹立ちはおさまってないんだろうか。
「その・・・昨日は直子があんなことして・・・わるかった」
酷く言い辛そうに、椎名さんは顔を真っ赤に染めて言った。
「いいよ・・・それより、みんなを起すのも可哀想だから、外に行かない?」
「ああ」
ぼくが玄関に向かうと、後ろからとてとてと軽い足音が続く。
昨日あれほど悩んでた自分が嘘みたいに、今のぼくは心が落ち着いていた。不思議なことに、とても気分が良い。玄関を抜けて少し歩くと、少しだけ寒くて、でも空気自体が輝いているような朝の雰囲気を心の底から満喫する事が出来た。
たったそれだけの事で、覚悟が決まった。ぼくは振り返って、椎名さんを見詰めた。
「かなたと友香の事だけど、確かに二人がぼくを好きになるようにしたけど、考え方・・・彼女達そのものは何もしてない。だから、彼女達の今の幸せを・・・、今の状況を守りたい・・・そう思ってる」
何を言われるか判らないけど、言わなきゃいけない事は言った。だからぼくは、静かに椎名さんを見詰めつづけた。視線の先で、椎名さんが溜息を吐いた。
「それは判ってます。でも・・・あたしは二人の事が好きだから・・・友達としてじゃなくて、もっともっと強く好きだから・・・」
顔を紅く染めて、まるでぼくに告白するように、眼鏡の向こうからぼくを見据える。こんな時になんだけど、そんな彼女はとても可愛らしかった。
「・・・うん・・・」
何も言えなくて、ただ頷いた。もしぼくが誰かを好きで、でもその誰かは薬でべつの人を好きにさせられていたら・・・それは、どんなに辛くて悔しいだろうか?
「だから・・・あたし達はライバルだよ。絶対に、負けないから!」
そう言い切って、椎名さんは笑った。まるで心の鬱屈を全て吹き飛ばすようなその笑みは、間違いなくぼくが見た椎名さんの笑顔の中で、最強に可愛らしい笑顔だった。
ぼくは一瞬唖然として、椎名さんの笑顔を馬鹿みたいに見詰めていた。そんなに強くて逞しい言葉がでるなんて、完全にぼくの想像の上を行っていた。本当に凄いコだと思った。だから、ぼくが返せる最大の言葉を返そう。
「いいね、ライバル。でも、『EDEN』の事が無くたって、ぼくも絶対に負けない」
わざとにやりと笑ってそう言う。ぼくを見る椎名さんの目が驚いたように大きく見開かれ、それから悪役っぽい笑みが浮かぶ。何となく、今のぼくたちは通じ合ってる感じがして、訳も無く笑いたくなった。本当に良い朝だ。
「あー、ゆーいちさん見っけっ!!」
「二人だけで朝のお散歩なんて、ずるいですよ」
「あたしも、いくー」
そこに、かなた達が楽しそうに笑いながら登場した。まるで昨日の事などなんでも無い事のように仲良く、それどころか昨日よりも親密に歩いている。
ぼくは一瞬沙隠路さんにどんな顔をしていいのか判断に苦しんだけど、とてとてと近づいて来て、「えへへー」なんてぼくを見上げて笑っているのを見ると、やっぱりまぁいいか・・・なんて思えてしまう。まぁ、沙隠路さんは昨日、かなたと友香にお仕置きされてる訳だしね。
「おはよう、祐美。昨日は凄く可愛かったよ。ボクの心のゆーみアルバムを大更新だよ」
「言うなーっ!」
神名さんと椎名さんが、楽しそうに言い合っている。やっぱりこの二人は一緒にいるのが似合っている気がする。
ふと気が付くと、沙隠路さんがぼくの横に来て、つんつんと袖を引っ張った。爪先立ちで、ぼくの耳に口を近付けようとがんばっている。ぼくは少しだけ腰を曲げて、沙隠路さんに協力した。
「あのね、ゆーみちゃんは本当はゆーきちゃんが好きなのー。でもねー、自分で気が付いてないのー」
秘密を打ち明けるように、沙隠路さんがそう言った。でも、ライバル宣言を受け取ったぼくとしては、素直に納得する訳にもいかない。「そうなの?」と疑問詞付きで聞き返した。
「だって、別にわたしだっていいはずなのにー、『キスしたくなる』って暗示を掛けたら、ゆーみちゃんってゆーきちゃん以外見えなくなっちゃうんだもー」
何の事だか判らなかったけど、でもこのコが『EDEN』の使い方を知っているって事だけは判った。でも・・・まぁいいや。
「まぁ、なかなか自分の心って判らないものだからね」
「でもー、わたしは判るよー」
沙隠路さんが頬を赤く染めて、照れたようにえへへと笑う。でも、それは周りを気にしなさ過ぎだと思う。なぜなら沙隠路さんの背後から、歯を剥くようにワイルドな笑みを浮かべた友香が、手をわきわきと動かしながら迫っているからだ。
「直子ちゃんってば、またぼく達のゆーいちさんにモーション掛けてるしーっ!」
「ひわわっ!」
友香は背後から沙隠路さんを拘束すると、脇の下に指を這わせた。悶える沙隠路さんに構わず、笑いながらくすぐり続ける。
「じゃあ、私も・・・ね」
「ひゃんっ!は、はわわわっ!」
うふふ、なんて慎ましやかに笑いながら、そこにかなたも参戦する。かなたは前から脇腹をくすぐってしかもそれが結構容赦無い。沙隠路さんの顔が、別の意味で赤くなった。まぁ・・・呼吸停止する前に止めればいいだろう。
向こうでは、相変わらず椎名さんと神名さんの掛け合い漫才のような会話が続いている。ぼくの視線に気が付いたのか、神名さんが髪の間から見える左眼で、パチンとウインクしてみせた。
「ははっ」
ぼくは笑って空を仰いだ。そこには雲一つ無い、全き蒼穹。
なんでぼくが気持ち良く目が覚めたのか、なんとなく判った。確かに昨日は嵐の一日だったけど、嵐が過ぎ去った後の空気は汚れを洗い流されて、酷く澄んだものになる。多分、そういう事なんじゃないかと思った。
ぼくは、楽しげにじゃれあう5人の女の子達を見て、自然に自分の顔に笑みが浮かんだのを自覚した。まったくめちゃくちゃな状況だけど、それでも酷く楽しいし・・・それでいいんじゃないかと納得してしまう。
今までここは、かなたと友香とぼくだけの閉じられた楽園だった。
けれど、今は・・・これからはもっと外の世界と繋がりを持って行きたいと思う。それは、かなたと友香の為にも。ぼくの為にも。
だから・・・楽園は、終わらない。
< 終 >