ニャルフェス 第4話 ニャルフェスの謎(後編1)

第四話 ニャルフェスの謎(後編1)

『由利亜の場合+おまけ』

 由利亜はその日学校を休んでいた。
 理由は誕生パーティを開くためである。
 もっともそんなものは表向きのうたい文句に過ぎない。
 パーティの参加者たちは、当選回数を重ねた政治家や次官クラスの官僚、さらに財閥を束ねる会長達がメインとなっていた。
 かれらは皆、高島家の次期期党首と縁(えにし)を結んでおこうという心積もりであり、自分の親族とあわよくば縁談を纏めたいと願っているものたちだった。
 そういった、私欲にまみれた連中の集うこのパーティで、本来の趣旨を記憶に留めている人間がはたして存在するのかはなはだ疑問であった。
 由利亜の誕生日は生まれてからずっと、そういった政略の道具に使われてきたから、いまさら不満というものも感じたりしない。
 もっとも、うれしい状況でないことだけは確かだけど……。
 でも、それは去年までのこと。
 状況は変ったのだ。
 もちろん変ったのは周りではない。
 それは由利亜自身。
 由利亜は運命の男(ひと)と出会った。
 もちろん恋人などではない。
 じぶんの命を捧げ、魂を捧げ、細胞の一つまでをも捧げなくてはならない主であった。
 もはや、由利亜には自分自身のものなどなにもないのだ。
 由利亜は、そのことを思うだけで体中が濡れた。
 全身の神経があの方を求めてすすり泣いた。
 心は熱い想いでとろけ、同時に剛い誇りで満たされる。
 由利亜の価値観は、完全に変化してしまっていたのだ。
 当然、もはやこんなパーティにはなんの興味も価値も見出せなくなっている。
 でも、それでも今年もこうやって参加したのには理由があった。
 決意と言った方がいいかもしれない。
 決着をつけるのだ。
 母と。
「みなさま、娘の誕生パーティへのご来席いただき真にありがとうございます」
 声がした。
 その一瞬で巨大なパーティ会場が静まる。
 会場に設けられた壇上に立つ女性。
 年降りてなを、輝きを増し続ける絶世の美女。
 他者を圧倒的する美女は、会場にいたすべての人々を一瞬で惹きつける。
 あたかも女神が降臨したような光景。
 由利亜の母、高嶋尹里亜(たかしま いりあ)の登場。
 毎年繰り返されてきた光景でもあった。
 でも、今年は違う。
 一旦静まった会場に、どよめきとも感嘆ともつかないような声が広がる。
 それは、由利亜が登場した瞬間。
 それまでは、単なる後継者としてしか見ていなかった少女が、美しく艶やかに生まれ変わっていた。
 支配者が持つ強烈なオーラに身を包み、見たものを虜にせずにはおけない圧倒的な美貌で華を添える。
 口に出さずとも、支配者の交代はいずれそう遠くない将来に行われるであろう。
 そう、人々に予見させずにはおけないような由利亜の姿だった。
「本日は娘の誕生祝いにご列席いただき、まことにありがとうございます。これから、色々な催しを予定しておりますので、どうかごゆっくりお楽しみください」
 短くスピーチを終えると、
「それでは、由利亜の方からも一言ご挨拶をさせていただきます」
 そういって、マイクを由利亜に渡す。
 その瞬間こそが、高島家最後の時となる。
「高島家は本日この時をもちまして、あらゆる権限と財産を氷川玲子氏に譲渡し、その権利ならびにそこから得られる利益のすべてを放棄いたします」
 由利亜が宣言する。
 いたって静かに、とくに感慨もなく。
 最初反応を示した人間はいなかった。と、いうより何を言っているのか理解できないでいる。
 彼らにとって、既得権益を自ら放棄するような人間の存在など信じられないことなのだ。
 由利亜はそれ以上なにも語らず、そのまま壇上から降りる。
 マイクは一番近くにいた男に押し付ける。
 男は、なにが起きているのか理解しかねているようすで、呆然としたままマイクを受け取った。
 悠然と歩いてゆく由利亜に向けて、尹里亜が大声で叫ぶように言った。
「由利亜! あなた、気でも狂ったの?」
 戸惑っているのは、母である尹里亜も同じこと。
 圧倒的な権力を持った支配者である自分の許可なしに、そんなことができるはずがないのだ。
 でも、由利亜は母に背を向けたままいった。
「お母さま、もう終りになさい。これ以上は、見苦しいだけです」
 淡々と語る口調は、冷静というより冷ややかというべきだろう。
 由利亜は再び歩き出す。
「待ちなさい、由利亜! 早くここに戻ってきなさい!」
 あくまで高圧的に、尹里亜が命じようとする。
 しかし由利亜は止まらない。そうする気配すらなかった。
「誰か、その娘(こ)を止めなさい!」
 叫ぶように言った。
 するとパーティ会場に紛れ込んでいた尹里亜の犬達が、すみやかに動き出す。
 一番近くにいた男が由利亜の行く手をふさぐ。
 由利亜はけして背の低い方ではないが、その男は頭ひとつ分は高かった。肉の厚みも相当なもので、ウエイトの差はおそらく倍くらいはあるだろう。
 男女差ということは除いても、格闘においてこのウエイト差はほぼ絶望的といっていいだろう。ライト級のチャンプがスーパーヘビー級のチャンプに勝利することなど、現実にはありえないのである。
 ただし、それは武器を使わない、どちらも人間同士である、という条件がそろってのこと。
 この場合前者の条件にはあたっていたけど、後者の条件には当てはまらなかった。
 ただ、その男にとって不幸なことに、見た目からそのことを理解するのは不可能だった。
「じゃまよ……」
 つぶやくように由利亜がいいながら、虫でも振り払うかのように手を振った。
 男の百キロ近くありそうな体が、有に十メートル以上も宙を飛び壁に叩きつけられる。
 そのさい激しく頭を壁に打ちけれられたらしく、床の上に男はそのままのびてしまった。
 由利亜はその様子にまったく関心を払うこともなく、再び歩き始める。
 払った虫がどうなろうと、どうでもよかったから。
 でも、その様子を見た男たちは、スタンロッドを取り出す。
 小娘相手に……などというプライドを持ち出す男は一人もいない。
 彼らは間違いなくプロフェッショナルだった。
 それも、一級品の。
 命じられたことを確実にはたすこと。失敗すれば、どのような言い訳も役にはたたない。
 三人の男たちが由利亜との間合いをつめてゆく。
 由利亜を左右後ろの三方から取り囲む。
 事前に示し合わせたわけではないが、自然とフォーメーションが出来上がっている。
 欠かすことのない、日々の訓練の結果である。
 由利亜を中心に置き、お互いの距離を一定に保ちつつ包囲を狭めてゆく。
 仕掛けられた最初の一人は防御のみに専念し、同時に後の二人がターゲットを拘束するのだ。
 もちろんそのさい、スタンロッドの使用をためらったりするはずがない。
 大抵はその方が与えるダメージも少なくなる。
 どんな格闘家であれ、立ち向かえば確実に捕獲される。
 逃れる手段としては、開いている正面に向かって走って逃げるくらいだろう。
 ただし、間合いがこれほど詰まってしまう前なら、だ。
 平然と歩き続ける由利亜。
 スタンロッドの間合いに入っていた。
 男たちは、ただ歩き続ける由利亜に向けて少し不信に思いながら、スタンロッドをさしのべる。
 ただ触れるだけで良かった。
 体のどこでもいい、スタンロッドが接触すればそれでおしまい。
 それが、プロフェショナルであるはずの男たちの判断をあやまらせた。
 スタンロッドの間合いから、さらに一歩踏み込んだ位置。それこそは、由利亜の間合い。
 由利亜の美しい顔が、触れ合わんばかりの位置にあった。
 でも、それを確認できたのは一瞬でしかない。
 由利亜の左手にいた男は、反対側にいた男に向けて吹き飛ばされる。
 二人の男は会場のテーブルを派手に破壊しながら、仲良く気絶する。
 そのときには残った一人も戦闘不能の状態にされていた。
 その首筋に由利亜が、スタンロッドを押し当てたのだ。
 放り投げた男の手から、由利亜が奪ったものだった。
 由利亜はスタンロッドを無造作に捨てると、再び歩き出す。
 尹里亜の飼い犬たちは、由利亜を連れ戻すどころか、ろくに足止めの役割もはたせなかった。
 ただ、この場合彼らの責任を問うのはいささか酷というものだろう。
 由利亜の実力が尋常ではないのだ。
 もはや生身の人間では、彼女を止めることなど不可能だろう。
 尹里亜もそのことを見て取った。
 娘に一体何があったのかは知らないが、普通の手段で捕獲することは不可能だろう。
 しかし、彼女には切り札があった。
 本来、今日この場で余興の一つとしてデモンストレーションをするつもりだった。
 でも、このさい実戦で使ってみるのも悪くない。
 尹里亜の腹は固まった。
「フォームチェンジF」
 小さくつぶやくと、尹里亜の着ていた服が一瞬で変化する。
 どう見てもただのナイトドレスにしか見えなかったそれが、全身を包み込み白い光沢を放つアーマへと変化する。
 頭はフルフェイスのヘルムに覆われ、背中と両足には小型のスラスターが装備される。
 最近某国が実戦配備しはじめたばかり兵器、サイバー=ユニットの姿がそこにあった。
 尹里亜が身にまとうにふさわしく、とても美しいフォルムを有している。
 会場の人々は何が起こったのか分からず呆然とするか、突如現れた兵器の姿に慄いている。
 従来サイバー=ユニットは1トン近くもある重量のため、簡単に“着たり”はできない。ましてや突然出現したりするはずがない。
 戦車が突然なんの前触れもなしに、いきなりパーティ会場に現れたのと同じだ。それは誰だってびっくりするだろう。
 でも、尹里亜はそんなことなど気にしない。
 説明なら後からいくらでもする。納得しなかったら、納得せざるをえない状況に追い込むだけのこと。
 尹里亜が1ミリ秒だけスラスターをふかす。
 それだけで、尹里亜は由利亜の正面に回りこんでいた。
 もちろんそれを目で追えた人間はいない。
 由利亜を除いては。
「さぁ、お戻りなさい、由利亜」
 外部スピーカーから聞こえる尹里亜の声は落ち着いている。生身の人間が、サイバー=ユニットを相手に戦はしない。たとえどのような兵器を持っていようともだ。
 サブブレイン=システムによって補助された反射神経は、常人の数百倍にまで達し、マシンガンの弾幕だとて全弾回避することを可能とする。仮に当たったにしても、メタル=カーボン素材で出来たアーマを貫通することなど容易ではない。
 サイバー=ユニットを撃破するためには、中の人間に衝撃を与えられるだけの打撃を行うか、高周波ソードを使って切り裂くくらいしか手がないのである。
 そして、そのどちらもが生身の人間に出来るようなことではない。
 サイバー=ユニットを倒すためには、同じサイバー=ユニットを用いるしかない。
 さらにその上尹里亜が今使っているサイバー=ユニットは、それさえも陵駕する特別なサイバー=ユニットであった。
「レイヤーシステム……完成していたのね……」
 由利亜がつぶやくように言った。
「さすがね、一目でわかるなんて。だったら話が早い、いくら抵抗しても無駄よ。さっさとお戻りなさい」
 ヘルムに阻まれて見えないが、その言葉には嘲笑が含まれていた。それと、陶酔。
 強い力を持つものを、更に圧倒的な力で支配する。
 そのことに、尹里亜は倒錯した快感を感じている。
「そうかしら? 無駄かどうか、やってみましょう……」
 ドゴッ!!!
 音がした。
 鈍いが大きな音。
「おどろいた。由利亜、あなた一体何をやったの? 76ミリ徹甲弾なみの衝撃だわ」
 ヘルム内のディスプレイに映し出されたアラートの表示。それには、対戦車砲の直撃を受けたのと同程度のインパクト時の数字が映し出されている。
 さすがに、これには尹里亜も驚いた。
 でも……、
「……それだけよ、由利亜。やっぱり無駄だったわね。損害なし……ダメージゼロよ……」
 今の衝撃は尹里亜の装着している最新式のサイバー=ユニットには、なんのダメージも与えられなかったのである。
「多層高次虚空間位相システム……レイヤーシステム……これほどとは……」
 驚いているのは、由利亜の方も一緒だった。
 今の一撃、通常のサイバー=ユニットになら、相当なダメージを与えられたはずなのだ。すくなくとも、ダメージがゼロということなどありえない。
 由利亜が幼い頃に、その研究開発がスタートした。
 数学上でしか存在しないはずの虚空間を、多重次元断層を人工的に引き起こすことにより生み出す技術。
 それは重力や慣性までをも、見境なくコントロールすることが可能となるはずだった。でも所詮絵空事に過ぎず、机上の空論だと思っていた。
 けれど、その現物が目の前にある。
 その技術はサイバー=ユニットの形になり、いま由利亜の目の前に立ちふさがっていた。
「あなたも、驚いたみたいね。……今度は、こっちからいくわ……」
 言うと同時に、尹里亜はスラスターを噴射する。
 尹里亜は由利亜の体を抱え込み、一気に壁に向かって加速する。
 その距離わずか十数メートル。
 たったそれだけの間に、二人の体は時速300キロを突破した。
 ぶつかる直前での急停止。尹里亜は、制動距離ゼロで止まる。
 けれどレイヤーシステムを持たない由利亜の体には、同じことはおこらない。
 そのまま、壁に激突……しなかった。
 地面に降り立つのと同じ動作で、由利亜は壁に着地する。
 常軌を逸した体のバネが、すべての衝撃を吸収する。
「ならばっ!」
 それを見た尹里亜は、由利亜が地面に降りてくるより先に、再びしかける。
 ドゴヲォォォォォンッ!!!
 大きな振動とともに、壁には巨大な穴が開いていた。穴を開けた武器は、尹里亜の肘である。
「ちいっ!」
 舌打ちをする、尹里亜。
 ギリギリのところでかわされてしまった。
 どれほどの破壊力をもっていようが、あたらなくては意味がない。
「これならっ!」
 再びスラスターを噴射する。
 ただし、今度はさっきの十分の一程度。サブブレインの官制システムは、格戦闘モードに移行した。
 慣性制御をほどこされ、亜音速に迫る速度を持ったキックやパンチの連打が由利亜に襲いかかる。
 しかし由利亜は、その攻撃のすべてをことごとくさばいてみせる。
 うけながし、かわす。微妙に間合いをはずすことで、それをやってのける。
 目の前にいるのに、どうしても捕らえることができない。まるで、幽霊相手に戦っているみたいだった。
 自分が攻めているはずなのに、じわじわと追い込まれているような気分になってくる。
「ばけものかっ!」
 思わず、尹里亜が口にしたのも無理もないだろう。
 実際のところ、その通りだったのだから。
 しかし、双方とも決め手にかけていた。
 由利亜の一撃では、尹里亜にダメージを与えることができず、尹里亜の攻撃は由利亜にとどかない。
 このまま膠着状態が続けば、体力勝負になる。
 いくらハイパーテクノロジーの結晶であるレイヤーシステムを使っていても、しょせん尹里亜は生身の人間である。いつまでも戦い続けられるはずはない。
 かならず限界はくる。
 それは、由利亜にしても同じだった。それが普通の人間より、遥かに高いレベルにあるというだけのことである。
 だから尹里亜は焦り始めていた。
 そういう戦いになれば、自分の方が不利だと気づいたからである。
 そのときだった。
「あれは?」
 尹里亜はモニターの隅の方に、ある人物の姿をとらえていた。
「ついている!」
 尹里亜は歓喜した。
 これなら切り札になる。
 その人物の下に飛んだ。
「動かないで、由利亜! こいつの頭をつぶされたくなかったならね!」
 人質を後ろから抱え込み、左手で頭を掴む。
 人の頭など卵のカラと一緒だった。握りつぶすことなどたやすい。ほんの少し、力を込めるだけでいいのだ。
 由利亜の動きが止まる。
 この日初めての衝撃を味わっていた。
 それは、神聖にして冒すべからざる存在。
 由利亜にとって、唯一無二なる絶対の者。
「かびたさま……。どうして、このようなところに……」

 かびたは、やっぱりうじうじと悩んでいた。
 結局のところ、一人では決めあぐねていたのだ。
 美香に教えてもらった、いちご大福は食べ物だっていうこと……。
 それを実戦しようとした。
 でも、どうしてもできない。
 なぜならそれが、食べ物であるからだ。
 もしこれが、ニャルフェスさまのおやつだったりなんかしたら……。
 考えるだけでも体が震える。
 なんと恐ろしい想像だろう。
 けれど、もしこれを食べないとならならないのだとしたら、それもまた考えたくないような運命がかびたを待ち構えているに違いない。
 かびたは、完璧ににっちもさっもいかなくなってしまった。
 たとえるならビル屋上から飛び降りるときに、頭から飛び降りるのと足から飛び降りるのとどちらが痛くないか検討するようなものだ。
 はっきりいって、結果がそう変わるとは思えない。
 しょせんかびたの運命だ、どうころんだところでそう変わるはずがないのである。
 でもそのことに気付かないあたりがかびただった。
 そんなかびたでも、今のままではほんとにどうしようもないってことくらいは理解していた。
 理解していただけで、かびたにどうこうできるわけではないのだけれど。
「ほよっ? これは、かびたセンパイではないですかぁ! 今日はお一人でどうされたんです?」
 道の真中でいちご大福を思いつめたように眺めているかびたに、馴れ馴れしく声をかけてきた少女がいた。
 道行く人々は、いちご大福を持って立ち尽くすかびたと目を合わさないように通りすぎていってたのだけど、彼女はあまり気にならなかったようだ。
「あっ! ……ちゃんだ!」
 どうやら名前を思いだせなかったようだ。
 でも、だからといって……ですますのは、いかがなものだと思うのだけど。
「やだなぁ、かびたセンパイってば。会長の部下のゆうかですよ!」
 少女はそんなことを言っている。
「なんか違うような気がするんだけど、気のせいかなぁ? でも、聞き覚えのある名前だし……」
 それはそうだろう。テレビを付けていたら、たぶん聞ける。
 ちなみに少女の名前は斉藤久美(さいとうくみ)で、超有名な癒し系のタレントとはなんの接点もない。
「そうですよ、センパイ。そんなことより、今日は金魚のフンみたいにくっついてる会長の姿が見えないようですけど、どうかされたんですか?」
 いないとなったらこの娘、好き放題言っている。
「なんか、お誕生パーティだって……聞いてないの?」
 いわれて久美は考える。
「そういえば…………聞いてます、あたし……なんで忘れてたんだろう?」
 これがかびたなら、日常茶飯事のことなのだけど、久美は普通の頭の持ち主だった。
 ただ少々、性格がゆがんでいるに過ぎない。
「確かあの時会長から誕生パーティがあるから、学校にはこられないって聞いて……。だから会長に、『おめでとうございます、これでますます老けて見えますね』って言ったとこまでは思い出せるんですけど……」
 その後久美は、なんでなんだろ、と付け加える。
「ゆうかちゃん、その後さ、頭にたんこぶなんて出来てなかった?」
 かびたがちょっと試しに質問してみると、
「なんで知ってるんです? かびたセンパイ?」
 不思議そうに久美がいった。
「いや、言ってみたけだから、気にしなくていいよ」
 そういうと、かびたはアハハと笑ってごまかした。
 ……まあ、石の上にも3年ということわざだってあるし……。
 きっぱりと、かびたのたとえはへンだけど、これはこれで合ってもいるような……。
「そうですかぁ? なんか、ひっかかるんですけどぉ……。ま、いいですぅ。あんまし思い出さないほうがいいような気がしてきたし……。それで、かびたセンパイは、いちご大福なんか眺めてどうしたんです?」
 めずらしく久美がまともな質問をした。
 そういえば雲行きがあやしくなり、ポツポツと雨なんか落ちてきている。
 たぶん、そのせいなのでは……
「いま、ね。食べようかどうしようか迷ってるとこなんだ」
 まじめな顔してかびたが言った。
 普通の人間だったら、「すきにすれば?」の一言を残し、あっさりとこの場を立ち去ったことだろう。
 あいにく、久美は普通の人間とはちょっと違った。
 おもむろに腕組みをすると、
「う~ん、むずかしい問題ですねぇ……。いちご大福を……」
 などと、一緒になって悩み始める。
「ちなみに聞きますけど、このいちご大福って一つしかないんですよねぇ?」
 かびたはうなずく。とうぜん一つしかない。みれば分かることだ。
「そうすると、問題なのはなぜ一つしかないかっていうことですよね?」
 とか言われて、かびたは首をひねる。一つしかないのがなぜ問題なのかが問題だった。
 でも、その様子を久美はきっぱりと無視する。
「ひとつしかない、いちご大福……」
 あたかも、思慮深く見えなくもない様子でそんなことを言った。
「あたしは、ここにすべての謎を解くカギが隠されている……そうみました!」
 なんだか、話がおかしな方向に向かっているような……。
 かびたは、ちょっぴり不安になってくる。
「それに、このいちご大福は絶対に黙秘を続けていたはずです!」
 力強く、久美が言い切った。
 でも、そんなに強調しなくたって、その意見に反対するひとはたぶんこの世にはいないだろう。
 もちろん、かびたとしても賛成だった。……っていうか、賛成するしかしかたないではないか。
 そして、かびたの不安はどんどん膨らんだ。
 ビシッ!
 いきなり久美がいちご大福に向けて、指を突きつける。
 一体なんのつもりだろう?
 かびたが驚いていると、十分に間を取った久美が高らかに宣言する。
「謎はすべてとけた! 犯人はおまえだ!」
 いきなりそんなことを言われて驚いたのは、いちご大福ではなくかびただった。
「えっ? 謎って一体……なに? それに、犯人って一体……なんの?」
 とても素朴な質問だった。
「え~っ? 言わないとだめですかぁ?」
 聞かれた久美が、そんなことを言っている。
「いや……まぁ……そんなことないけど……」
 言葉を濁すかびた。もちろん、なっとくなんてしてないけど……。
「じゃあ、問題はすべて解決ですね! お礼なんて必要ありませんよ。お役に立てただけでうれしいですぅ」
 なんだか久美が勝手なことをいっている。
 解決なんてしてないし、お役にだってたっていない。
 だからかびたは、最後にいっこだけ質問をしてみる。
「いちご大福を食べたらどうなると思う?」
 なんだか質問の内容が、心持ち高度になっているような気がしたりする。
 もちろん気のせいだが。
 で、久美の答え。
「久美だったら幸せになりますぅ! センパイのためだったら、いつだって幸せになってあげるんですぅ!」
 きらきらと輝く瞳にいちご大福を映しながらそう言った。
 チャ一ムポイントは、口の端っこからこぼれ落ちそうな涎だったりする。
 もしかしてこれって、いちご大福の危機なのでは……。
 でも天はいちご大福を見捨てなかった。
 ザザーーーッ。
「ああっ! 雨ですぅ! 傘持ってないですぅ!」
 いきなりの大雨。
 立ち昇った積乱雲から落ちてくる、由緒正しい夕立だった。
 ゴロゴロゴロ……ビカッ!!!
「ヒイッ!」
 稲妻が輝いたとたん、久美がかびたにしがみつく。
 かびたがなさけないってことを知らないのか?
「かみなりさん嫌いですう!」
 そういうと、おもむろに左手を上げた。ちなみに右手はしっかりとかびたを掴んで放さない。
 キキイッ。
 2人の目の前でタクシーが止まった。
「ウアッ!」
 久美が乗り込む、かびたも乗り込む。いや、引きずりこまれたって表現したほうがいいかも。
 なぜならそこに、かびたの意思は関係なかったからだ。
「お客さんどちらまで?」
 運転手に聞かれた。
 行く先を告げたのは、もちろん久美。かびたが、聞いたことのないような場所。
「はい、承知しました」
 でも運転手には分かったみたいだった。車を発進させる。
「なんで? なんで?」
 かびたは、まだ混乱の真っ最中だった。
「だって濡れるのヤじゃないですかぁ」
 当然のように久美が答える。
「でもさ、お金あるの? ぼく10円しかもってないんだけど……」
 不安そうに、かびたが言った。
 でも、10円を持っているうちに含めていいものなのだろうか?
「あっ! 勝ちましたぁ! あたし、50円持ってますぅ!」
 どうやらかまわないみたいだ。
 ……しかし、こいつら園児なみの財力の持主のよだ。
「えっ? でもそれじゃ……足りないんじゃ?」
 かびたでも、そのくらいのことは理解できるらしい。
 もちろん久美だってそのくらいわかっているはずだ……たぶん……。
「だいじょうぶですよ! かびたセンパイに来てもらってますからぁ!」
 やっぱりわかってなかったのか?
 かびたの頭がちょびっとクラクラした。
「だってほら、会長って大金持ちさんじゃないですかぁ。センパイがお願いすれば、何台でもタクシーくらいすぐに買ってくれますって!」
 かびたの頭のクラクラが進化する。横ゆれに、縦ゆれが加わったようなかんじだ。
「タクシーなんて、何台もいらないんだけど……」
 もっともだ。
「そうですよねぇ。タクシーなんて一台あれば十分ですよね。調子に乗りすぎましたぁ。久美、反省ハンセー」
 などと久美は、誠実さのカケラもないようなハンセーをしてる。
「……いや、一台だっていらないんだけど……ところで、久美って……だれ?」
 をっ。かびたが気づいた。
「やだなぁセンパイ。あたしのことに決まってるじゃないですかぁ」
 久美がちょっと怒った。
 逆ギレか?
「えっ? じゃあ、ゆうかちゃんって、だれ?」
 との質問に。
「……そういえば、そんなときもありましたぁ……なんだか、なつかしいですぅ……」
 そう久美はしみじみと言いってる。
 でも、どう考てもついさっきだぞって、かびたはツっこんだりはしなかった。
 なぜなら、
「まさか結婚とかしてたの? そんでもって、離婚したから名前がかわったとか?」
 かびたはおかしな勘違いをしたからだ。
 でも、タクシーに乗り込むまでの間に、どうやって離婚できたというのか? それに、結婚して変わるのは姓であって名ではない。
 ツっこみどころ満載の疑問である。もはや、この疑問自体が疑問だと言えるだろう。
 なのに隣に座る娘は、
「あっ! それいいですぅ! 再婚しましょう、サイコン!」
 なんか喜んでいた……。
 それにしても、この2人の会話はとても疲れる。
 どうしてタクシー代の話しが、再婚の話しになるのだろう?
 そもそも結婚してない人間が、いきなり再婚するのは不可能だってことに気付いているのだろか?
 ま、どうでもいいけどね……。
 やがてタクシーは膨大な敷地を持つ宮殿のような屋敷に着き、二人はタクシー代を払ってくれるべきスポンサーを見つけに内部を徘徊し始める。
 とんでもなく広い屋敷内の探索に、ミッションは困難を極めるかと思ったが結構簡単に探し出すことができた。
 っていうか、探し出されてしまったと表現すべきだろう。

 こうして、かびたはあっさりと人質にされてしまったのである。
 もちろん久美は、物陰からそのようすをひっそりと見物していたりする。

「お母さま、いい加減になさいませ!」
 動きの止まった由利亜が言った。
「あら? まだそんな口をきくつもり?」
 尹里亜の声には余裕があった。
「まったく、こんなものでもあなたにとっては大切なものなんでしょ?」
 そういって、かびたを捕らえた腕にほんの少しだけ力を加える。
「う、う、う、う、うっ……」
 かびたがうめいた。
 なんのことだか理解できないうちに捕らえられ、イタイ目に合わされている。
 でも、わかったところで状況に変化はないだろうけど。
「そんなに、長く生きたいの? お母さま!」
 搾り出すように由利亜がいった。
「あなた、まさか……?」
 今の由利亜の言葉に、どういう意味が隠されているのか?
 尹里亜の声から動揺が伝わってくる。
「とうに気づいていました。わたしの遺伝子配列は、あなたのそれと100パーセント一致する。つまりこれが意味するものは、一卵性双生児かクローンだけです。あなたは、自分のクローンを作り娘として育てた……それが、このわたしです」
 由利亜の話はそれで終わりではない。
「あなたは、絶対に拒絶反応のおきない肉体が必要なのでしょう? それに娘として育てていれば、のちに入れ替わったときに誰にも気づかれないですむ」
 そこでいったん由利亜はいったん間をおき、さらに衝撃の言葉をつきつける。
「あなたはの真の目的は脳移植。レイヤーシステムの開発も、本来の目的はそれだった。物理法則を無視できる虚空間を使えば、脳髄を傷つけずに移植することだって可能になる。あなたが必要なのは娘としてのわたしではなく、取り替え用のコスチュームがほしかっただけ……ちがいます? お母さま……いえ、尹里亜!」
 そう、由利亜は幼いころより母に愛情を感じたことはなかった。
 由利亜を見る目はいつも冷めていて、いとしいものを見るというより、冷静に観察を続けているといった感じだった。
 必要な知識を詰め込み、自分の決めたとおりの行動を由利亜に強制した。
 もちろんそれは愛情からなどでなく、入れ替わった日がきたときに不自然さをなくすためであった。自分が、由利亜として生きてゆく日のために。
 由利亜は誰からも愛されることなく育ち、時がきたら毛皮を提供するための家畜のように収穫される運命だったのだ。
「そうよ、由利亜。あなたの運命は生まれる前から決められていたの。……そう、試験管の中で、ね」
 あっさりと尹里亜が認めた。その言葉が真実を語っているのだと。
 でも、なんの躊躇もなくそれを認めたということは、もう一つの真実も認めたことになる。
 由利亜に対する愛情。
 母として、由利亜に対する愛は皆無だったのだという真実。
 でも、そんなことならとうに知っていた。
 ただ、それが当然なのだと、そう思い込まされていただけのことだ。
 もともと持っていたものなら失うこともできよう。
 でも、由利亜にそれは存在していなかった。
 だから、そのつらさを理解できなかったのだ。
 今ならそれが理解できる。それが、どれほどむごいことなのかを。
 かびたさまがそれを教えてくれたから。
 生まれて初めて由利亜のことを愛してくれたのは、かびたさまだった。
 かびたさまの愛は無償の愛。打算もなく、分け隔てもない。
 たぶん、この母ですらかびたさきはゆるすだろう。でも、それをこの母が理解することはけしてあるまい。
 もし、それをやれるとしたら、それは自分ではなく……。
「かびたさま、お願いがございます」
 いきなり由利亜が頭を下げる。
「なに? なんなの?」
 今ひとつ状況を理解してないかびたは、わけがわからないままそう返事をする。
「支配の跳鞭を、今あなたを捕らえている者に使用してくださいませ」
 それに、言葉にださずにかびたがうなずいた。
 理由など聞かない。
 状況はつかめないけど、由利亜の言葉を疑うことがかびたにできるはずがないからだ。
「いまさら、こんな状況で何をしようというの? とんだ茶番ね」
 尹里亜があざ笑うように言った。
「さあ、由利亜。近くにころがっているスタンロッドを自分の体に押し当てなさい。そうすれば、この子を助けてあげるわ」
 ついに尹里亜が条件を出してきた。
 その言葉を守るような尹里亜ではない。
 そんなことくらいわかっている。今は由利亜が戦えるから手をださないでいるだけだ。
 戦闘不能におちいったら、かびたのことは処分してしまうだろう。おそらくこの会場にいるすべての人たちも、だ。知りすぎた人間に対する処置は、それが一番安全だった。
 尹里亜とは、そう考えるような人間なのである。
 だから、由利亜は従わなかった。
「好きになさい。できるものならね!」
 由利亜は力強くそう宣言する。
「バカモノめっ! 一生後悔するといい!」
 そういって、尹里亜の手が一瞬引かれた。
 かびたの頭を、すいかみたいに吹き飛ばすつもりだった。
「なんですって!?」
 腕が何かに阻まれた、ピュアホワイトの輝き。
 それは、かびたの体を覆っている。その周りにもピュアホワイトの輝きを持つものが、いくつも舞っている。
 ひらひらと舞い降りてくるそれは、美しい羽の形をしていた。
 かびたの体を包み込んでいるものは、二枚の大きな翼。
 それが突然広がった。
「なにっ?」
 ぶつかった翼は尹里亜のサイバーユニットに、なんの衝撃も与えなかった。
 でも、
「う、動かないっ! なぜ? 動け! 動きなさい!」
 尹里亜の体は、立ちつくすぶっそうな彫像になっていた。
「今です、かびたさま。支配の跳鞭を!」
 由利亜が指示をだす。
 しかし、かびたは肝心なことに気づいた。
「でも、ぼくそれって持ってないよ?」
 そういえば、あれってどこにやったのだろう?
 この場で、そんなことを考えてるかびた。
 基本的に、緊張感というものが不足しているようだ。
「道具は、常にかびたさまとともにあります。手をごらんなさい」
 言われるままに手を見ると。
「あり? いつの間に?」
 その手には、見覚えのある鞭が握られていた。
「今は、考えなくてかまいません。それで、そいつを思いっきり叩いて!」
 かびたは考えるのは苦手でも、考えないことは得意だった。
 だから、喜んでその指示に従う。
 叩こうとした瞬間だった。
「ぶた!!!」
 由利亜が叫ぶ。
「えっ?! あたたぁっっっっ!!!」
 よっぽど強くたたいたのだろう。
 かびたは、うづくまったまま動けない。
 すると、頭上から、
「ぶひぃぃぃ」
 声がする。
 ぶたではなく、ぶたのまねをした人間の声だ。
 叩いた瞬間ぶた、と言われた。それを聞いたかびたも、ぶたって考えた。だから、尹里亜の心はぶたにされてしまっのである。
「あやっ? なんか、とんでもないことをしてしまったみたい……」
 かびたの声が暗い。
「だいじょうぶですよ、かびたさま。わたしがかびたさまに最高のご奉仕ができるように、よく仕込んでおきますから」
 なんだかうきうきとしたような声で、由利亜が言った。
 かびたは、そんな問題かなぁって悩んでいる。
「この女は、だれからも愛されたことのない、だれも愛したことのない哀れな女です。でも、かびたさまにお使えすれば、かならずや幸せになるでしょう」
 もちろん、由利亜はこの女に幸せになってほしいなどとは思わなかった。
 でも、かびたに喜んでもらうためならどんなことでもするつもりだ。
 自分がかびたからもらったものは、一生かかっても返しきれないほどのものだ。
 そして、こうしておそばにいるだけで、それを感じることができる。
 それだけで、幸せになることができた。
「それより、今日は一体どんな用件で会いに来ていただいたのです?」
 もちろん、かびたが会いにきてくれるのはどんな場合であれ、最高の喜びだった。
 けど、かびたに用件があるならそれに勝る。
 かびたは、由利亜に説明をした。
 ま、タクシー代を恵んでっていうことだけなのだけど。
「それは、困りましたね、かびたさま」
 話を聞いた由利亜がいったセリフ。
「やっぱ、だめだよね? ぼくだって、返せるあてなんてないしさ」
 かびたも困ったようにいうと、
「あははっ。そうじゃないんです。かびたさまになら、全財産お譲りしたって一向にかまわないんですけど、それより氷川先生の方がうまくかびたさまのために運用してもらえそうなんで、彼女に全財産譲ったばかりなんです。だから今、私はかびたさまより貧乏なんですよ」
 確かにそれなら、困るわけだ。
 けど、
「でも、大丈夫ですよ」
 そういって、由利亜はいきなり駆け出した。
 柱の影で目標をすぐに補足する。
「カイチョー。暴力はいけません、暴力は!」
 由利亜に捕らえられているのは、久美。
 暴力反対などといいながら、由利亜の腕の中でもがいている。
「この娘がいれば大丈夫ですよ。帰りのタクシー代も払わせます」
 それを聞いたかびたは、
「でも、彼女50円しかもってないんだって。とてもそれじゃ足りないよ」
 そう教えようとする、けど……。
「あんっ、そんなとこ……。会長、きもちいいですぅ」
 胸の隙間から腕を突っ込んで、由利亜がごそごそやると久美がなにやら悩ましげな声をあげる。
 でも、それを無視して由利亜がごそごそ。
 そして、
「これなぁーんだ?」
 由利亜が取り出したのは、ピンピンの一万円札。
「えっ? 50円玉が一万円札に変わった?」
 あくまで、いいように解釈してしまうかびた。
「そうそう、かわっちゃったんですぅ!」
 それに、久美も便乗しようとするが。
「んなわけあるかい!」
 ドゴッ!
 久美の頭に天誅がくだる。
「うぎゅーっ」
 へんな声をあげて、久美が床に沈んだ。
 KOされた瞬間だった。
 いつものとおりに……。

 結局久美は、そのまま由利亜がタクシーにほうり込んだ。
 運転手に1万円(久美の)を渡して、自宅へと向かわせた。
 で、かびたがどうしたかというと……。
「どう? きもちいい?」
 聞いていた。
「いいっ……。いいっですっうんっ!」
 由利亜が答える。まぁあえぎ声だったけど。
「こ、こんどはかびたさまのををを……いっ、いうんっっっっ」
 今度のセリフは、最後まで言うことはできなかった。
 今、2人がいるのは由利亜の自室。やたらと広く、そして何もない部屋だった。
 少し以前、かびたに出会う以前の由利亜にふさわしい部屋。
 由利亜がかびたに願った。
 この部屋に泊まっていってほしいと。
 理由は言わなかった。かびたも聞かなかった。
「もちろん」
 かびたが口にした返事は、それだけだった。
 そうして2人は今、からみ合っていた。
 由利亜がべッドの上に仰向けになり、かびたは反対向に覆いかぶさっている。
 69の体勢。
 お互いの一番キモチいい部分を舌で舐めあっている。
 でも、それは最初だけ。
 由利亜は懸命になって耐えようとするはど、かびたの舌や手だけでなく体全体を使って与えてくる快感にもう半ばおぼれかかっていた。
 いつもそうだった。かびたさまにご奉仕して、きもちよくなっていただこうと思っているのに、快楽におぼれむさぼってしまっているのは、いつも自分の方だった。
 そんなことかびたさまが気になされないことなど、由利亜にだってわかっている。だからといって、本来お従えしないとならない身の自分がそれに甘えることなどゆるされることではない。
 だけど……。
 かびたの舌が、由利亜のわれ目の奥の方へとねじ込まれる。
 そこでぐにぐにとうごめきながら、由利亜の感じる部分を次々と刺激してゆく。
 由利亜の心は、すでにとろけかかっていた。
 もう後はいつものように、快楽の海の中に飲み込まれるしかない。
 そのときだった。
「ブヒィィィッッ」
 声がした。
 ぶたの鳴き声。
 正確にいえば、尹里亜の鳴き声である。
 へやの中を、よつんばいになって徘徊しながらときおり悲しげな声で鳴いているのだ。
 その声が由利亜を一時的に正気に戻してくれた。
「ま、まってください、かびたさま!」
 由利亜が必死になって訴える。自分の中にある、巨大な欲望と戦いながら。
「なに?」
 かびたが口をあそこから離した隙に、かびたの体を引き離す。
「由利亜ちゃん……きもちよくなかった? ぼく、なにか悪いことしたかなぁ?」
 悲しげに言ったかびたのセリフに、由利亜はかびたのことを抱きしめてあげたいという衝動と必死に戦わなければならなかった。
 そんなことをすれば、またいつもと同じようにかびたにおぼれてしまう。理性で制御できないことは、すでに何度も実証済みだ。
「いえ、そうじゃないんです。かびたさまには、ちょっとそのまま休んで見ていていただきたくて」
 そう言うと由利亜は一旦ベッドを降りてまたまいもどる。
「ブヒブヒブヒブヒ」
 手には尹里亜ぶたを連れていた。
 尹里亜ぶたは何やら抗議をしているようだが、由利亜は耳を貸さない。
 もっとも耳を貸したところでわかるわけないが。
 着ていたものは、すでにはぎ取ってある。
 抗議を続けていた尹里亜ぶたにのあそこに舌をはわすと、すぐにおとなしくなった。
「ぶっんひぃぃ……」
 きもちいいのだろう、あそこを自分から押し付け始める。
 もはや人としてのプライドは、かけらも残ってないらしい。
 でもその肉体は美しかった。もちろん人として、だ。
 由利亜と同じ遺伝子を持つその肉体は、由利亜より年を重ねている分だけより強くメスとしての芳香を放っている。
 正にメスとしての魅力にあふれているといえるだろう。
 由利亜は尹里亜ぶたの肉体に巧みに自分の肉体をからめながら、尹里亜ぶたの快楽を刺激してゆく。
「ぶひっひっひっひっっっっっ」
 尹里亜ぶたがいかされた。
 由利亜のレズ=テクニックは相当なものだった。
 かびたさまにご奉仕するために、テクニックを身につけたいと由利亜は考えた。その教師役をしたのが玲子だったのだ。
 でも、玲子も同じだと言っていた。どれほどのテクニックを持っていても、結局溺れてしまうのは自分なのだとそう言った。
 それからニ人は何度か合い、レズり合いながら快楽に対する抵抗をつけようとした。
 でも、結局は同じだった。
 普通の男共から得られるものを遥かに凌駕した快楽を、お互いに引きずりだし合いながらもダメだった。
 かびたさまの与えてくださるそれは、もう次元が違うのだと言うしかない。
 レズで得られる快楽を蛇口の水にたとえると、かびたさまのそれは漠布のようだった。
 比較すること自体に無理がある。そんなレべルの差。
 でも今は、そのときのレズ体験が役にたっている。
 尹里亜ぶたのあそこを指でかき回しながら、そこだけ肉づき豊かな胸を力いっぱいもみあげる。
 もちろん自分のあそこも、かびたさまからよく見えるように気を使いながら指でときおりかき回すのも忘れない。
 するとかびたさまが、自分のモノを指で刺激し始めた。
 そうれを見を由利亜の心と体が、一気に限界点にまで達しそうになった。
”このままでは、またむさぼってしまう”
 由利亜は必死の思いで、その光景から視線をそらす。
 尹里亜ぶたを寝かせて、大きく足をひらかせる。その後自分の足も大きく広げて、股間同士を直接すり合わせる。
 尹里亜ぶたは、すぐにその行為に夢中になった。
「ぶっひっぶっひっぶっひっぶっひっ」
 にちゅ、ぷすっ。にちゅ、ぷすっ。
「アンッ、アンッ、アンッ、アンッ」
 にちゅ、ぷすっ。にちゅ、ぷすっ。
 2人のあえぎ声と、2つの女陰が奏でる演奏はとても淫らに部屋にひびきわたる。
 そのときだった。
「由利亜ちゃん、ぼくもう……」
 かびたが洩らした言葉。
 それに、由利亜はたちどころに反応する。
 尹里亜ぶたの体を押しのけると、かびたを自分の方にひきずり込み、かびたに何をする間もあたえずにかびたのモノを自分のあそこでくわえ込む。
「いいよう、由利亜ちゃんっ」
 かびたがあえぐ。
「すてきです、かびたさまぁ!」
 かびたの体を抱きしめながら、由利亜があえぐ。
 その後2人はお互いに夢中になってむさぼり合いながら、
「いくよっ…………ううっ!」
「わたしぃもおぅ、いきっますうぅぅぅぅぅぅ!!!」
 同時にイッた……。

「あれっ? どうしてないているの?」
 朝の光に包まれながら、かびたが聞いた。
 となりには由利亜が寝ていて、その美しい肢体をおしげもなく朝の光にさらしている。
 由利亜はかびたの顔を見ながら、透明なしずくをきらめく瞳からあふれさせていた。
「この部屋には、いやな思い出がたくさん詰まっていました。今日、この部屋を出ます。もう2度とここに戻ってくることはないでしょう。でも最後に、この部屋に最高の思いでを残してゆくことができそうです……」
 そう言うと、由利亜はいとしげにかびたの頬を指でなぞり、最後に唇にふれる。
 そして、唇にふれた指は、唇にかわった。
「思い出をありがとう……かびたさま」
 そう由利亜がしめくくる。
 その言葉に、今一つピンとこないかびたは結局何も言えない。
 ただ、それを聞いたかびたもなんだか胸をつまらせていた。
 こういう雰囲気になれていない分、けっこうよわいのかもしれない。

 でも、かびたよ。しんみりしていてかまわないのか?
 いちご大福をどうするかびた?
 おまえに残された時間はもう少ない……。

< つづく >

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