09. 純愛
「おにいちゃん!遅かったじゃない!前の電車に乗ってると思ったから、さっきからずっとここで飛びっぱなしだよ」
相変らずの無邪気な瞳は影一の荒んだ心を一気に洗い流していく。
「おい、人前で”おにいちゃん”って呼ぶなって言っただろう」
「何よ!この前呼んでいいって言ったじゃない。恥ずかしいの?それとも後ろめたい?」
「っ!」
駄目だ!こいつに見つめられるとあらゆる反論が崩壊していく。
俺が「あぁ」とか「うぅ」とかしか言えなくなると”勝った!”とばかりにガッツポーズをし、俺の腕を絡め取りさっさと引張っていく。
「早くしないと映画始っちゃう。見たかったのに友達の誘いを断って待ってたんだからね」
「あぁ」
「本当は食事してから行きたかったんだけど、しょうがないから辛抱してあげる」
「うぅ」
「何よ!さっきから文句と”あぁ”と”うぅ”しか言ってないじゃない。久しぶりに会ったってのにもっと洒落た言葉とか用意してないの?」
「はぁぁ..」
...俺のボキャブラリーはこいつに全部取られてしまったようだ。
心底下らない恋愛映画がようやく終ると、港の見える丘の上のレストランでやっと一息付くことが出来た。
といっても恵のバイト先なんかではなく、通常のサラリーマンでは敷居もまたぐ事が出来ない様なフレンチレストランだ。
店長が挨拶に出て来ると腰を二つ折りにしながらメニューを差出し、いくつかの料理を勧めている。
「ああ、それでいい。それとワインの方も頼む、銘柄は任せるから」
「かしこまりました」
恵は普段馴染のないような雰囲気にきょろきょろと店内を見回していたが、ようやく落着くと先ほどの映画の話に夢中になりだした。
「でね....だから....なのよ」
高校生の他愛無い話がおもしろいはずも無いが、彼女の嬉しそうな顔は見ているだけでワインの味を深めてくれる。
ちなみに俺は彼女に対してはほとんど力を使っていない。
”ほとんど”と言うのは、初めて彼女と出会った状況が多少面白く無かったので若干の記憶操作をさせて貰った。それと自分の理性に自信が持てなかったので俺の力の影響を受けない様に暗示を掛けたぐらいだ。
いつでも他人を思い通りに出来るというのは便利ではあるが、それを押えるのには非常に気力が必要となる。彼女に封印を施したおかげで何故か俺はより安心して過せる様になった。
俺も甘々だが自分で決めたことだ。それに今この状況に俺は非常に満足している。茜や麻里達も口には決して出さないが、この俺の変心を歓迎しているようだ。
「おにいちゃん!おにいちゃん、ちょっと聞いてるの?」
「ん?ああ、聞いてた...と思う」
食後の珈琲を啜りながら相変らず無愛想な表情で恵のマシンガンを何とかかわす。
少し唇をとがらせながらも、こちらを見つめる瞳はワインの為に潤んでいつもとは違う大人の色気を醸し出していた。
こんな恵を見るのは初めてで、俺の中の理性が音を立てて崩れていくのを感じ、慌てて視線を泳がせる。
(んー。やばい。誰か牝犬を一匹連れて来りゃよかった。)
必死で自分を押え続けていたが、その内何故か無性に腹が立ってきた。
(なんで俺が性欲を辛抱しなけりゃならんのだ。俺を誰だとおもってる!?政・財界に官僚から暴力団まで全て操れる天野影一様だぞ。館で指を一つ鳴らせば何十人でも俺の股間に群がってくるというのに...)
そんな事を思っても今は誰も判ってくれない。
「すまん、ちょっと待っててくれ」
恵の死角を歩きながら辺りを見回し、途中のテーブルやウェートレスの中からめぼしい女を選び、呼び寄せる。
それ程広くはないレストルームの中に4人の女を連れ込んだ影一は、入るなり一人のスカートを捲り上げ、下着を引き千切った。
手洗用のカウンターの上にその女の腰を乗せ脚先を持ち上げると、取り出した自らの肉棒をいきなりその付け根に突き入れる。正に排泄の為だけといったその性交にもその女はしきりに喘ぎ声を上げ、歓喜の表情を浮かべ始めた。
その二人の周りでは欲情仕切った他の牝達が、乳首や首筋を愛撫し、後ろにしゃがみ込み影一のアヌスに舌を賢明に差込んでいる者も居る。
影一の手はカウンターの上で尻を掲げた女の二穴を激しく掻き回し、淫液を辺りに飛沫かせている。
恵はその間、遅れ気味だった食事を進めながらいつもの不安を感じていた。
影一はいつまでも”おにいちゃん”では居られない。いつか自分の前からいなくなる日が来るのだろう。
恵の中にはそれが確信に近いような感触をもって沸上がっていた。
(おにいちゃん...影一さん..)
影一はそんな恵の不安など知らず、修羅場と化したレストルームで性欲と怒りを無茶苦茶にぶつけ、僅か十数分後にはすっきりとした顔で席に戻ってきた。
先程までの鬼畜の如き形相を造り替え席に着こうとした時、食事をしながら涙をこぼしている恵の顔が目に入った。
(ばれたのか?!)
驚きを隠せない表情でテーブルを回り込み恵の肩に手をやった。
「どうした?何かあったのか?」
「ううん。おにいちゃん遅いし、なんかひとりぼっちで、置いてかれた様な気がして..。ごめんなさい、急に..。そりゃびっくりしちゃうよね。でも、わたし、いつも思ってたの。おにいちゃんって私達と住んでる所が違うっていうか..いつか居なくなるような気がして..ごめんなさい...」
影一は罪悪感に押潰されそうになりながら席に戻ると必死でなだめる言葉を探していた。
「ああ、いや..すまない。...俺は....。恵、どうしたい?俺にどうして欲しいんだ?俺には判らない。この先どうなるかも..。恵には悪いと思ってるが俺は俺でしかいられない....。だがこれだけは言っておこう。お前は俺にとって大切だ。少なくとも俺の仕事や..命なんかよりもな」
「.......おにいちゃん..。ねえ、おにいちゃん。今日は時間あるの?夜には帰っちゃう?私、行きたい所があるの。付合ってくれないかな?」
「ああ、かまわんよ。どこにでも付合うさ」
「行きたい所ってのはどこだ?」
夜の繁華街、恵の雰囲気には多少そぐわないネオンの中を歩きながら、影一は尋ねた。
「ホテル」
「.....!なに!」
「ホテルよ。いけない?」
恵は影一の腕にしがみつき、引張りながらどんどんと歩いていく。
「ちょ、ちょ、ちょっと待て!」
「駄目!付合うって約束よ」
「いや、高校生が行きたい所って言ったらゲームセンターとかカラオケボックスじゃないのか?そんな所に行ってどうするつもりだ」
「どうするって。決ってるじゃない。わざわざあんな所までカラオケしに行かないわよ。何よおにいちゃん。いつも大人ぶってるくせに行ったこと無いの?」
「って、お前はあるのか?」
「....無いわよ。悪い?」
またもや「あぁ」とか「うぅ」とか言ってる内にいつの間にか俺は部屋の中で煙草を吸っていた。
(まずい...非常にまずい。こんな密室で理性が崩れたら自分を制御仕切れるはずが無い。しかもあいつは今シャワーを浴びている。あいつの透き通るように白い肌が湯上がりにほんのりと染まって、あどけない瞳を潤ませながら下から見上げられると....駄目だ..逃げるか?...何言ってんだ俺は。あぁ、うぅ.....。)
あいつと一日中一緒に居たせいで俺の元の人格はすっかりやられちまった様だ。
そんな下らない堂々巡りをやっている内にいつのまにか目の前にはバスタオル一枚の恵が立っていた。
「おにい....影一さん...」
「お願い、目を反らさないで。今日は、決めてたの。私を...あげるんだって」
「駄目?私、魅力ない?私はいつまでも妹のままなの?」
涙をうかべて見つめる恵の瞳は、先程の妄想のように妖艶では無く、やはり清廉で、あどけない..天使の様な物だった。
その光にいつもの様に救われた俺は、彼女の濡れた頭を静かに掻抱き、出来うる限りの優しい声で告げた。
「恵。すまない。...俺には、お前を抱くことは、出来ない。お前に魅力が無いとか、年下だからという訳じゃない。それは俺の宿命というか..それをすれば俺がヒトで無くなるような....。理解するのは難しいだろうが...すまない、判ってくれ」
「.....くすん..ひっく..。おにいちゃんのバカ」
ここに来るまででも余程緊張していたのだろう。恵は俺の胸の中で細いからだをぶるぶると震わせながらすすり泣いている。
そしてひとしきり泣いた後、ゆっくりと頭を上げると言った。
「そのかわり言ってよ。恵の事好きだって。愛してるって。私を一人にしないって...言ってよ」
「恵..好きだ...愛してる...」
だが最後の一言はどうしても言えなかった。
それに恵も気づいてはいたが、答を知るのを恐れて口に出せずにるようだった。
長い沈黙の後...重苦しい雰囲気を払拭する為、嫌な思いを断ち切る為に恵は、思い切ったように顔をあげた。
それ以上の会話から逃げるかのように、恵の可憐な唇に自分のそれを重ね合わせ、長く、優しげな口吻を交わす。
名残惜しげにそれらが引き離されると、溺れる様にその感覚を貪っていた影一に向かい恵は精一杯の笑顔をつくり元気良く言った。
「やっぱり後で”くれ”って言ってもあげないからね!」
「いや。それは...判らんな」
俺は大まじめだった。いつかこいつとそんな日々を...。
自分にそんな資格が無いのは判ってはいたが 今、この瞬間だけ...そんな思いに浸っていたかった。
< 続く >