終章
佐乃は心を読まずとも更に成長したのが分かり、華南は見た目が少し変わっていたが、その微笑みは俺の知るものだった。
夜鷹は―――半分、生き返った。
閂 梓鶴との戦いで相打ちとなって果てたものの、しろがねの許可を得たひかりがフェニックスとブエルを使って間もなく蘇生した。
問題はもう一人、閂 梓鶴だった。
そう、夜鷹は答えを出した。
「ボクの…ボクの魂で補填は効かないの…か?」
魂魄―――幽子の補填を自分の魂魄で行おうというこの計画は一応、成功した。
とはいえ、これは指輪の力だけではどうにもならない。指輪にできるのは魂魄の蒐集と定着、中身を挿げ替えることはできない。
なら、どうしたのか。
答えは成りたての魔法使い―――しろがねがそういうことなら、と力を貸してくれたのだ。
指輪とは次元の違う力を目の当たりにした俺はひかりが力を求めた理由が分かった気がした。
そして、二人に不足した幽子は誰のモノでもない、幽子の大流であるアストラルラインと龍脈とを循環するものの中で二人に欠如しているものと酷似のを埋め込むことによって、表向き、法による秩序回復は完了した。
…だが、分かっている。
所詮、仮初めは仮初め。本来、塩基配列が呼び寄せるべき幽子とは異なる魂魄が入れられた生命はいずれ長くない未来、泡沫に消える。
いつか二人に使った幽子がしかるべき相手の元に向かう時、二人は世界に還るだろう。
それで全て終わり。
それまで在った場所に二人がいなくなるだけで全て元の鞘に収まる。
…いや、先のことはその時になって考えればいい。
二人は残された時間を共に生きると決めた。
今は…そう、今は―――起こった奇蹟を喜べばいい。
―――天を仰ぐ
そうだろう?―――白鷺。
数日後。
「御主人さま、お花はこれでいいですか?」
「オレに聞くな。
献花なんてお前の方が詳しいだろう。今まで経験したことないのか?」
「さいわいありません。
私の生徒たちはみんな元気に自分の元を巣立って行くんです」
ない胸を張ってえへん、と自慢気に答えてみせる。
ウソつけ。まだ新米だから俺達が入学してからの2年間が初めてのクセに。
…なにより親友の事を思い出しているのだろう。こちらもそれ以上は何も言わなかった。
「……今回もカラス君も朱鷺乃さんも無事帰ってきてくれましたし」
誰ともなくつぶやく。
そこに白鷺の名前はない。当然といえば当然だ。俺が転校させた上に忘れさせたのだから。
「………そうだな」
そう言って空を仰ぐ。
本当に、突き抜けるように、蒼い。
その下には崖と慰霊碑があった。
この戦いで犠牲になった奴らの鎮魂を、と千歳と千鳥からの意見があったので勝手にさせた。
俺より先に来た連中が置いていったのだろう、その袂には花が捧げられていた。
俺は来るつもりはなかったのだが、たまたま予定の空いていた千歳に半ば無理矢理連れられてここに来ていた。
あの後―――マンションに還った後、俺は華南の召喚したクロゥセルを含め全72柱すべての魔神と契約した。
とはいえ、俺の魔力の源は異世界のモノ。つまるところ、このセカイの魔王達の規格とは合わなかった。契約は出来ても満足のいく力の行使は出来なくなっていた。
今ではあの人懐こかったオロバスとの再契約も切れかかっている。
まぁ、その件に関してはまた後日、語る機会があれば語ることにする。
そして、俺の王国を見せるといったダンタリオンとの契約に関してはひかり戦後、ダンタリオンから契約の満了を告げられた。
あの夢の全ての顔がはっきりしたことにより、ひとまず満足したらしい。
というのもダンタリオンとの契約も他の魔神同様、保てなくなるのも時間の問題だったこともある。あとはひかりの眼を通して堪能させてもらう、と言っていた。
そして、あの晩の騒動の発端である、クリスの謡っていた【式の解】というのは王権を使い、王鍵を呼びだし、世界の扉を空け、至ることによって魔法使いになる、というモノだった。
だが、過去に魔法使い絡みで痛い目に合った俺はそんなモノには興味なく、また、満足に力の行使が出来ないことから丁重に辞退した。
クリスはそう、と呟いて資格という目には見えないモノである筈の王鍵を物質化し、このセカイのマスターキーよ、と言って俺に預けた。
そもそも、俺は英国至宝魔術回路のお陰で、魔法使いに近い存在にはなっていた。
クリス曰く、
「どちらかというと離界能力者、ね。
武術や学問などで究極に至り、真理に辿り着き、世界と対等になったモノ。
あちら側に行くということじゃ魔法使いと同義だけど、けして世界の法として同化せずにただ傍らにあり、世界の友としてありつづけるもの」
とのことだが、まぁそんなことはどうだっていいし、そんな自覚もない。
今は―――そう、後にも先にもない行為を行う。
この戦い…いや、俺の犠牲になったモノたちに憐憫と冥福を、祈る。
その空と海の蒼さに祈るように俺は慰霊碑の向こうにある海に自分の持っていた花束を投じた。
そして、踵を返すとそれまで足元においていた物を持ち上げ千歳に向け、
「―――ちとせ、これをもっとけ」
「これ―――!」
いきなりジェラルミンケースを渡され、こちらが見えなくなった千歳が問い返す。
そう、それは指輪の収められたケースだった。
とはいえ、その中の何環かは依然として俺の配下たちが使用している。
「オマエが管理しておいてくれ」
「そ、そんないきなり…っ!」
「こういうのは全部終わった後、堕とした担任に渡すのがセオリーらしいぜ」
「な、なんですか、それ…っ」
「さぁな、なんだろうな」
俺はそう言うとトコトコと後をついて来る担任と共に車へと向かう。
と、次の瞬間、
「――――――!」
魔王たちの悪戯だろうか、一瞬、フラッシュバックするようにいくつものが場面が見えた。
おそらく、この先に待っているであろう、彼方のセカイ。
いくつもの可能性が交錯し、枝葉のように分かれた様々な光景が断片的にリフレインされる。
見知った顔から見たこともない顔もいた。
よく知ったヤツもいればよく知らないヤツもいた。
そして、もう会えないと思ったヤツも、その中に、いた。
「…………」
依然として流れてくる未来視の映像を遮断するように目を閉じてそのまま空を仰ぐ。
さて、と。とりあえず俺の物語はここで一休みだ。
見えた映像も、もう少し先の話ばかりで明日、明後日の話でもないようだったし。
しばらく、そう、しばらくはこの手で、指で手に入れた安寧に身を委ね、新しい物語に巻き込まれてもいいよう準備を整えるとしよう。
寄せては返す潮騒は子守唄のように一定のリズムで星音を紡ぎ、風は舞い上がり、その音を空へ還す。
願わくばこの潮騒同様、訪れた安寧が一時でも永く続くように。
そんな想いと共に今度こそ俺は意識を閉じた―――
≪Key 終≫
空は蒼い。
そして昏くなる―――
…
……
………
月の光がステンドグラスを青白く輝かせる。
そのわずかな光の中、二人はいた。
いつの間にここに来ていたのか、今がいつなのか、よく分からなかった。
ただ、互いの顔がみえないのにも関わらず互いに誰なのかが分かっていた。
「久しぶりです―――センパイ」
「えぇ、お久しぶりですねぇ」
第一原質図書館―――その数多の魔書の原典を前にしてオレと先輩は再会していた。
「用事は終わったんですか?」
「えぇ、全ては私の思い通りに」
思い通りになったというのに目を伏せ、悲しそうにする先輩。
「そちらは―――全て終わったんですか?」
「はい、全て、ね」
そう言ってオレはあの時と同様、ダンタリオンの指輪を先輩に見せる。
「そうですか」
「センパイ、コレ―――」
そう言って俺は先輩から借り受けた本と鍵を渡そうと手をかざす、が。
「それは貴方が持っていてください」
「―――…」
「私ももう卒業ですし、何より、それさえ持っていれば学園長からいろいろ便宜を図ってもらえるでしょう」
「―――…」
学園長の正体も今なら分かる。
この蔵書量を単体で所有できるモノはこの世界でたった一つの存在、しろがねと同じモノだけだから。
それを知っていた眼前の相手は前に逢ったときよりも凄惨な笑みを浮かべる。
いや、違う。
これまでなんとか隠してきた狂気を隠し切れなくなったのだ。
今のオレになら分かる。
元からなにか踏み越えているヒトだったがしばらく会わない間に完全に心まで―――逝ってしまった。
まぁ、俺にはどうでもいいことだ。
そしてそれはこのヒト―――いや、モノも同じ。
もとより俺なんか―――
「私にはどうでもいいことですから」
なんて軽い乾いた笑み。
そんなセンパイにオレはほんの少しだけ胸に引っかかりを感じた。
「センパイはこれから―――どうするんですか?」
「さぁ、どうしましょうかね」
何もかも吹っ切るように先輩は言って見せた。
「―――烏君は?」
「しばらくは―――ここの、図書館の守番でもしていますよ」
しばらくは、な。
「…ちがいますよ」
「?」
「この学園を―――卒業したら、です」
「あぁ、そういうことか。どうするん…だろうな」
…その話題はあえて避けたんだがな。
「行く当ては―――ありませんか」
「あぁ、なんせここしばらくは次の日の朝日が拝めるかも分からなかったモンですから」
「もし、更なる刺激を求めたいのだったら、その時は―――私を訪ねてきてください」
…さらなる、刺激、ね。
「そうならないことを祈りたいですね」
だが―――
分かっている。
このモノはカンや憶測でモノを言わない。
確信しているのだ。
これからの自分も、そしてオレがどうするのかも。
だから―――祈る。
きっとこのヒトと一緒にいれば自分がどうなるのか、俺も確信しているから。
そして、このモノの望みも。
「さて、と。そろそろ―――下校しますか」
「そうですね」
互いに互いのことがわかるようになった以上、今のオレ達は一緒にいられない。
「あぁ、そうそう」
そう言って先輩はオレに投げてよこす。
「コレをあなたの知り合いから預かっていたのを忘れました。形見分け、だそうです」
そう言って渡されたのは―――見慣れた指輪だった。
だが、それは見慣れたそれとはだいぶ違った。
何も刻まれていないのだ。
何も刻まれていない真鍮製の指輪。
「―――コレは…」
「いつかアタシをこの指輪に―――と言っていました。
何に挑戦するつもりなんでしょうかね」
―――…なにに、か…
答えは唯一つ、この世界に対して、だ。
正確には世界の秩序を守るモノ、だが。
なにに感化されたのかは知らないが―――無謀な…
「彼女の影は私が保管していますので入り用になったらいつでも録りにきてくださいね」
…事前に形見分けするなんざする奴に勝ち目なんかあるもんかよ。
「…あぁ、わかった」
「それじゃあ、行きますか」
「あぁ」
図書館を閉め、階段の踊り場までまるで恋人のように隣り合って歩いていく。
「じゃ、今度こそ―――さようなら」
「えぇ、また…」
それだけ告げると。階段の踊場まで隣り合っていた2人は互いに歩みだす。
オレは下り階段―――校門へ。
センパイは上り階段―――屋上へ―――
「―――…」
廊下に出て、隣の校舎を見ると誰かが廊下を走っていた。
あの様子だと屋上へ向っているんだろう。
そう、隣校舎の屋上へ。
「…皮肉なモンだな」
きっとアイツは屋上に行くのが目的じゃない。
誰かを探しているに違いない。
だが、手遅れだ。
そのまま隣校舎の屋上へ行ってしまえば自分の過ちに気付く事だろう。
そして、ただ呆然と見るのだ、自分が採った選択の過ちの結果を。
自分だけが変えられたはずの結末を。
空を見る。月はどこまでも―――蒼かった。
その光を讃えるように指環は―――白く輝いていた。
昇降口で靴に履き替え、そのまま背を向ける。
そして、足を踏み出したその時、
わおおおぉぉぉぉぉん
天を、世界を貫く咆哮が背中で放たれる。
だが、オレは振り向かない。
今、この時、貴方とオレは決別したモノだから。
だから、振り向かない。
ただ足をとめる。
ぱさり。
オレの頭になにか、かぶさる。
俺はそれを掴みかぶりなおすと―――再び歩みだす。
月は蒼く輝き
風邪は世界を逆巻き
ただ鳴り響く声はどこまでも、そう、どこまでも―――哀しかった。
< Key 了 >