PHASE-III:驚愕
麻衣の消息が途絶えて、一週間が経つ。
戦禍なく、平穏な街。
楓と華織はまだ麻衣の行方をつかめていなかった。
「麻衣がどこにいるかまだわからないの?」
「まったくわかりません。でも、一週間経ってもガルゼーダ帝国にはまったく動きがありません。麻衣さんが捕まったなら、彼らは人質にするか、他の方法で利用しようとするはずです」
楓の推測は妥当なものだった。
「それなら・・・」
「捕まっていないかもしれません。でも・・・一週間も経ってどこにいるか判らないというのは・・・」
「考えにくい・・・」
楓の判断の的確さは華織も認めている。
そこへ、
「二人とも」
声を掛けたのは、二十をいくつか越えたかと思われる青年だった。
華織が固まる。
楓にはガキンと音を立てたように聞こえた。
ありえない音だが、この瞬時の硬直ではそんな音が聞こえてもおかしくない。
楓は心中で深くため息をついた。
麻衣の行方が判らなくなり、楓は黒木隆之をリーダーとする組織に情報を求めた。
華織はそれを聞くと不満そうな表情をずっと浮かべていた。
が、初めて黒木と会った時に呆然として、様子がおかしかった。
その後話すたびにいきなり物凄い勢いで話し出したり、じーっと黒木の横顔を見つめていたりしたのでその方面に疎い楓でも気づいた。
何故か黒木は気づいていない。
黒木隆之は人望が篤い。
楓からホーリーセイントの三人のことも知っていた。
助力を求めた楓に協力し、今日に到るまでガルゼーダ帝国の動きはほとんどこの黒木隆之を通じて二人の知るところとなっていた。
優れた指導者であることは疑いないが奇妙に鈍い。
楓でも華織の感情に気づいたにもかかわらず、この男はまったく気づいていなかった。
それはそれで頭痛の種だが、華織の態度がまた彼女らしくない。
だが楓自身その方面には疎い。
下手に口出しすることではなかった。
(でも、こんなときに・・・)
楓の心中での嘆息に二人は気づかない。
「あの、その、なんでしょう」
「たいしたことではないけど・・・」
顔が赤くなっている華織とそれに気づかない黒木の間で微妙に噛み合っていない会話が交わされる。
いつまで経っても話が進みそうにないので楓が代わって話を進めた。
「黒木さん、こちらも判っている事は少ないので何か判ったら連絡するという事で」
「ああ、それでいい・・・大友さんがちょっと変な気がするが・・・」
「何でもないです」
首を傾げながら去ってゆく黒木の姿を、華織がぼーっとみつめている。
楓は今度こそ本当の溜め息をついた。
「私が言うべきことではないかもしれませんけど、このままでいいんですか?」
華織が口を開きかけた瞬間、楓の表情に緊張が走った。
「華織さん」
それに気づき、華織の顔もこわばる。
「現れたの?」
黙って楓は首を縦に振った。
「場所は?」
楓が告げた場所は、魔獣の攻撃で廃墟になったはずの街である。
破壊と殺戮を目的とするガルゼーダ帝国の魔獣が現れる場所ではないはずだった。
「どういうこと?」
「誘い、でしょうね」
どういうつもりかはわからないが、自分たちをおびき出そうとしているのだろう。
そう楓は推測する。
「だからといって、放ってはおけないでしょう」
立ち上がりかけた華織を楓が制止する。
「罠がある危険性が高いです。様子を見るべきだと思います」
「魔獣が暴れるのを見過ごせって言うの?」
苛立った声で華織が楓を問い詰める。
「見過ごすつもりはないです。様子を見た方がいいと・・・」
「それじゃ遅いのよ」
半ば憤然として華織は断言した。
さっきの呆けた様子はどこへ行ったのか。
強気な態度である。
楓はまた溜め息をついた。
「わかりました。私も行きます」
頷きあった二人は、中心に宝玉が輝くティアラを上空へ掲げる。
華織と楓の姿は銀の光に包まれ、光が二人の身体を張り付くように包み込むと、純白のスーツが形成される。
ティアラが変化し、一角獣や鷲を象る。
宝玉から糸を引くように伸びた青の光が華織のスーツに彩りを加え、同様に楓のスーツにも緑色が交ざる。
ブーツやグローブも形成された。
ホーリーセイントのスーツに身を包んだ楓と華織はすぐに駆け出した。
魔獣は二人を待ち構えていた。
ただ、どういう意図からか固まってまったく動こうとしていない。
楓―――セイントユニコーン―――と華織―――セイントグリフォン―――は光剣を手に魔獣と対峙している。
「奴ら、何しにきたの。まさか、私たちの顔を見に出てきたわけじゃないわよね」
毒づく華織。
楓はまだ冷静である。
「偵察とは少し違うようです」
「思いきってこっちから仕掛けようか」
攻撃を掛けようとする華織。
魔獣達の様子に不審を抱いた楓が抑える。
「だめです。魔獣達は何かを待っています」
それがわからなければ攻撃を掛けてもまともに戦うはずがないし、第一危険だ。
楓の推測は的中していた。
だがその判断は楓自身に大きな代償を強く事になる。
魔獣の後方で空間が奇妙に歪んだ。
「ホーリーセイントの、グリフォンとユニコーンだな」
空間から、低く重い声が漏れる。
「・・・誰?」
「知らんのか。ガルゼーダ帝国の皇帝、ゾラークだ」
「ゾラーク・・・あなたが、全ての元凶・・・」
低くつぶやいたのは楓だった。
華織は憎悪を込めた目で空間を睨む。
「ゾラーク。出て来なさい。決着をつけてやるわ!」
「残念だが、相手は余ではない」
「・・・?」
楓はゾラークの意図を読みかねた。
自ら決着を着ける気でなければどうして出てきたのか。
その答えはすぐに与えられることになる。
楓と華織にとっては最悪の形で。
「出て来い。余の忠実な僕、ダークフェニックス!」
ゾラークの声に続き、空間の歪みから現れた少女の姿に楓と華織は息を呑む。
「ゾラーク様、御命令は」
無表情にゾラークの前で膝を折った少女―――麻衣が訊ねる。
「おまえのかつての仲間だ。この二人と戦う事ができるな?」
「はい。私はゾラーク様に絶対の忠誠を誓うガルゼーダ帝国の戦士です。ゾラーク様の御命令であれば、死ねと仰せなら死にます。戦えと仰せなら、誰が相手だろうと容赦などしません。私の全ては、ゾラーク様に尽くすためにあります」
躊躇なく隷属の言葉を口にする麻衣の姿に、二人は戦慄した。
「ま、麻衣・・・」
「この二人を殺せばよいのですか?」
麻衣が掌を開くと、真紅の剣が現れる。
向けられた冷酷な視線に、楓と華織の心も身体も凍りついた。
「いや、殺さずに捕らえろ。命令だ」
「はい。御命令とあれば」
麻衣は残念そうに真紅の剣を消す。
呆然としていた二人はすぐには気付かなかった。
だがこの時、ようやく楓は麻衣の変貌に気付いた。
麻衣はかつてのセイントフェニックスと似たようなスーツを纏っていた。
だが元の姿からは大きく変貌し、純白だった部分は暗黒色のレオタードに変化して皮膚に密着し身体のラインを扇情的に浮き上がらせ、交ざっている赤も以前のような明るい色ではなく、混沌に呑み込まれたように暗い、不気味な色彩であった。
膝頭まで覆うロングブーツと肘から指までを包み込むグローブは硬い漆黒が艶やかな輝きを発し、肘と膝の部分に刺々しい装飾が形成されている。
禍々しい装飾のティアラに擬された不死鳥と宝玉は漆黒に輝き、赤紫に塗られた唇と真紅に輝く瞳は妖しい魅力に満ちていた。
全身からは邪悪な妖気が陽炎のように立ち上っている。
その姿は、まさに暗黒の女戦士と呼ぶにふさわしかった。
「麻衣さん・・・」
楓はそれだけしか言えなかった。
華織は呆然としている。
邪悪な笑みを唇に浮かべた麻衣が、ゆっくりと二人に近付く。
「いったいどうしたの、麻衣!なんでそんな奴に!」
華織の悲痛な叫びも麻衣の心には響かない。
「ゾラーク様の御命令よ。あなた達を捕らえるわ」
麻衣の真紅の瞳が妖しく光る。
「駄目です、華織さん。今の麻衣さんに私達の声は届かない・・・」
「なら、どうするのよ・・・!」
楓が返答に詰まったその瞬間、麻衣の姿が消えた。
次の瞬間、巨大な衝撃で華織が吹き飛ぶ。
「華織さん!」
叫んだ楓にも衝撃が襲いかかる。
強烈な攻撃で右肩を痛打され、楓は呻く。
「う・・・」
光剣を手放し右肩を押さえる楓を、容赦ない連撃が襲う。
剣を持っていない麻衣は武器も炎も使わずに攻撃している。
しかし麻衣の強さは楓を圧倒していた。
「うっ・・・くっ・・・」
度重なる攻撃をまともに受け、楓は膝をつく。
「あはははははははは。どうしたの、楓?弱すぎるわよ。あははははははは」
笑いながら戦う麻衣に、楓は恐怖と絶望を抱く。
少女は覚悟を決めた。
「麻衣さん・・・もう・・・遠慮しない」
楓の周囲を強大なエネルギーが包み始める。
「あは、やっと本気?遅いよ」
笑う麻衣に、楓はその力を向ける。
「行きます・・・アクアウェーブ!」
津波のような奔流が麻衣を襲う。
だが、麻衣はあっさりとかわした。
「なんだ、この程度?」
表情にはっきりと嘲笑を浮かべる麻衣。
だが楓もまったく動揺していない。
「知ってますよね・・・まだ切り札はあることを・・・!」
エネルギーは水分に変換されると同時に氷の結晶へと変化を始めた。
氷の結晶は楓の周囲で渦を巻く。
楓は氷の渦を制御し、収束させる。
「・・・ダイヤモンドダスト!」
放たれた力は氷の嵐となり、麻衣を襲った。
一瞬で大地は白銀に包まれる。
「ごめんなさい・・・麻衣さん・・・でも、少し力は抑えたから・・・元に戻ったら、ちゃんと謝ります・・・」
ふらふらと立ち上がった楓は麻衣がいた場所へ近づいた。
麻衣が無傷なはずがない、そう考えて。
「・・・え?きゃあっ!」
腹部に衝撃が走り、楓は吹き飛ばされた。
「うう・・・」
「甘いなあ、殺す気でやらないと、私は倒せないよ」
何事もなかったかのように麻衣は平然と立っていた。
スーツの端が凍っているようにも見えるが、身体に傷はない。
「そんな・・・」
楓の声は、限りなくうめきに近かった。
その隙を突かれ、背後に回られ首筋を強打された楓はどうして・・・という思考を最後に意識を手放した。
「あとはあなただけね、華織」
妖しく笑う麻衣。
あっというまに楓が倒された事に呆然としていた華織は、その笑みに表情を強張らせた。
対峙する二人。
次の瞬間、旋風が走った。
華織が一瞬で距離を詰め、麻衣に斬りつける。
だがあっさりかわされ、逆に右腕に攻撃を受けた華織は剣を握り直す。
麻衣が動く。
一瞬麻衣の姿を見失った華織が痛撃を喰らった。
「う・・・」
「あははは、こんなもの?まだ楓の方が強かったんじゃない?」
余裕すら漂わせる麻衣に対し、華織は自らの劣勢を自覚した。
「く・・・フラッシュ!」
閃光。
一瞬、視界を奪われた麻衣は華織の姿を見失った。
その隙に華織は駆け出す。
この場は楓を連れて退くしかない、と華織は決断していた。
「楓はどこ・・・!?」
だがすでに楓の姿はなかった。
「いない・・・なんで・・・!」
やむなく華織は一人で逃げる。
麻衣は追いつく事が出来なかった。
「逃げ足は速いわね・・・」
麻衣がゾラークの前で跪く。
「申し訳ありません、ゾラーク様。一人、逃がしてしまいました」
「まあ、今回はこれでよい。後日の楽しみというのもあるしな・・・」
麻衣と華織の二人が戦いを始めた時、すでにゾラークは楓を要塞ガルラダへと送らせていた。
目的の半分は果たしている。
華織を捕らえる事にこだわる必要はない。
今はクローディアの手腕に任せてみることにしよう。
捕らわれた少女が、目の前の少女の傍らで自分に跪く光景を想像し、ゾラークは悦に浸った。
< つづく >