前編
来陸市のある市街地。普段なら閑静な住宅街である筈のそこは、現在は悲鳴と怒号、そして土煙がもうもうと立ちこめる地獄と化していた。
その地獄の中心地で、一体の怪人が雄叫びをあげていた。
筋肉が冗談のように隆起した体躯に、その両腕を覆う巨大な装甲。滑らかな白い体毛に覆われたその姿は、どこか雪男を連想させる。最も、その白い毛皮も、大半が血で赤く染まっているのだが。
怪人は吠えながら両手をでたらめに振り回す。偶々手が当たったコンクリートがウエハースのように砕けて飛び、遠くで逃げようとしていた男の頭部に当たる。血と脳髄が飛び散り、男は簡単に絶命した。
怪人はなおも止まらずに叫び続ける。地獄の鬼かと見紛うばかりの姿に、人々は逃げ惑うしかない。
と。
飛来するいくつもの瓦礫の間を、一陣の風が通り抜けた。いや、風ではない。
それは一台のバイクだった。バイクは瓦礫を絶妙なタイミングで躱しながら怪人へと走って行き、
「グルアアッ!?」
そのまま怪人を跳ね飛ばした。
跳ねられた怪人は地面を転がったあと立ち上がり、怒りで叫びながら今しがた自分を跳ねたバイクを睨む。
バイクは停車し、一人のライダーが降りた。ヘルメットで顔は伺えない。
ライダーは、怪人をヘルメット越しに見つめると、こともなげに言った。
「……邪魔よ」
透き通るような声、そして盛り上がった胸。ライダーの性別は女性のようだ。
『これはこれは。ヒーロー……いや、ヒロインのお出ましですか』
突如怪人の懐から球形の機械が空中に浮かび上がったかと思うと、電子音めいた声と共に、空間に立体映像が投影される。そこには、齢にして40程、白衣に身を包んだ男が映っていた。
男の顔左半分は金属で被われており、時折内部に埋め込まれた装置がチカチカと光っている。
『予想より248秒も早い。何か急ぎの用事ですか?』
「……ドクトル・イグバロッハ。お前の戯言につきあうつもりはない」
彼女はそう言うとバイクから降り、ヘルメットを脱いだ。どこか西洋人を連想させるような、目鼻立ちの整った顔が現れた。強い意志を持った鋭い眼光が、立体映像の男を貫く。
ショートの髪を軽くかき上げ、彼女――蓮華(れんげ)・ブルムハルトはヘルメットをバイクのハンドルにかけた。
「ライガー……」
呟くような、蓮華の声が響く。その声に反応するように、突如瓦礫の一部がはじけた。
瓦礫を弾け飛ばしながら現れたのは、虎のような縞模様を身体に纏った、機械仕掛けの獅子。
虎獅子は一声大きく鳴くと蓮華の肩に着地し、その機械仕掛けの顎を大きく開いて、蓮華の首筋に噛み付く。
「……っ!」
蓮華は痛みにかすかに顔を歪める。牙から、肉体の強化を促す液体が蓮華の体内へと流れ込む。そしてその浸食度を表すように、虎獅子が噛み付いた場所を起点とし、虎の縞のような紋様が瞬く間に蓮華の体中に浮かび上がっていく。
「ライガー……!」
再度の蓮華の声に応えるように、虎獅子は再度吠えながら高く跳躍すると、身体をVの字に折りたたみ、そのまま蓮華の手の中に収まった。
蓮華はそれを腰の中央に当てる。途端、虎獅子の胴体部分からベルトが出現し、蓮華の腰に巻き付く。
『Loading……"HEN-SHIN"』
電子音声が、準備ができたことを知らせる。
蓮華は右手でベルトの中央部分を回転させた。
ベルトの虎獅子の形が、VからΛへと変わる。
「――変身」
『Lambda!!』
電子音声が鳴り響き、ベルトの前面に『Λ』の文字がホログラムのように浮き出る。
同時に、蓮華の腰につけたベルトへと、天から一条の雷が落ちた。
雷を受け、ベルトの文字が強烈な光を放つ。
そして次の瞬間、ベルトから出た雷が、蓮華の全身を覆った。
空気中に火花を撒き散らしながら、雷は轟音とともに蓮華の身体へ装甲を形成していく。
そして最後にもう一度大きく轟くと雷は四散し、後には虎と獅子のモチーフを各所に取り込んだ、鋭角的なデザインをした金色の戦士が静かに佇んでいた。
『気が早いですね――ライガーロード・ラムダ』
「……」
戦士――ラムダは無言で、表面に『Lance』という文字と槍の模様が彫り込まれた歯車を取り出す。
バックルを半回転、『V』の形になった虎獅子の口に歯車を入れ、そしてまたバックルを半回転させる。
すると、中に入れられた歯車が放電とともに猛烈に回転しだした。同時に、ベルトが金色に輝き始める。
『Loading……"Weapon" Lance!』
電子音がそう言うのと同時に、歯車は稲妻と化してベルトから放たれ、ラムダの右手に槍を形作った。
ラムダは槍を構えると、無言のまま地面を蹴った。一歩目、二歩目。三歩目で既に最高速に達したラムダは、その速度のまま槍を怪人の頭に向かって振り下ろす。
神速とも言える攻撃を、しかし怪人は堅牢な装甲に覆われた右手を頭上に掲げることで防ぐ。飛び散る火花。ラムダは弾かれた反動を生かし石突きで以て怪人の腹部を狙う。しかしそれは怪人の左手に斜め下へ叩かれることで外れる。怪人は右手をラムダに向かって振るうが、ラムダは身を屈めることでそれを回避、更に槍から右手を離し、握った拳をカウンターで怪人の鼻面に叩き込む。
怪人が一瞬怯む間にラムダは怪人の横を通り抜け、すれ違い様に蹴りを放ち、その反動で更に加速しつつ怪人から距離を取る。
一瞬の間に、それだけの攻防があった。
ラムダは、その一瞬で確信する。自分の方が速い、と。しかし、同時に考える。
(硬い……)
鼻面に叩き込んだ筈の自分の右手は軽い痺れを訴えていた。勿論、半秒と経たないうちに回復する程度のものではあるが、相手の顔面の方が自分の拳よりも硬いということはわかる。また、蹴りを放った際も、怪人の身体に食い込むでもなく、まるで鉄板を蹴ったような感覚を受けた。あの身体に、打撃でもってダメージを与えることは難しい、と判断する。
ただ……とラムダは思う。
(おそらく、強度はその程度。打撃は防げても、斬撃や一点に集中した攻撃を防ぐ程ではない)
振り下ろされた槍、そして突き出された石突きをわざわざ避ける行為。それにより、ラムダは相手の肉体の強度限界を見抜いていた。
(私の槍なら、問題はない。あの両手以外なら攻撃は通る)
そこまでを一瞬のうちに考え、ラムダは再び怪人へと突撃した。先ほどより更に速度を増した攻撃が、怪人に向かって繰り出される。
怪人は、その両手を振るって応戦する。堅牢な装甲がついたその両手は、ラムダの槍をも簡単には徹さない。時には受け流し、時には真正面から、ラムダから繰り出される槍をいなし、受け止め、防ぐ。
一方のラムダも、ただ受け流されるだけではない。防がれるや否やすぐさま槍を引き戻し、またはあえて流されながらも、間髪入れずに次の攻撃を繰り出す。単純な技量、そして速度。二つの点で勝っているラムダは、着々と怪人の身体に傷を付けていく。
しかし、ラムダの顔に余裕はない。ラムダは素早さと手数の多さで怪人を圧倒してはいるが、怪人はその堅牢な装甲、そして槍を弾く際に垣間見える腕力により、一撃で趨勢をひっくり返すことができるだろう。
(……!)
と、ラムダは唐突にバク転を繰り返して距離を取ったかと思うと、槍を自分の左側に向けて振るった。甲高い音と共に、いつの間にか飛来していた何かが弾かれる。地面に落ちたそれは、長さ10センチほどの透明な針だった。先端には返しがついており、一度刺さると簡単には抜けないだろう。針からは、同じく透明な液が滴っている。
ラムダは二度、三度と槍を振るい、その度に透明な針が弾かれて地面に落ちる。恐るべきことに、見えない筈の針を叩き落しているのだ。
「……そこっ!」
ラムダは槍を、針が飛んできたと思われる方向に投擲した。同時に、突っ込んできた怪人を蹴り飛ばして距離を取る。
投擲された槍は一条の雷光となり、一直線に空気を裂いて地面へと深く突き刺さる。刺さった槍を中心に、一帯を幾つもの稲妻が迸った。バリバリと空気が焼けこげる音が響く。
「ウビュビュウウウッ!!」
悲鳴を上げながら地中から何かが飛び出した。身体のほとんどが巨大な一枚の甲殻で覆われた、2メートル近い怪人だった。目を引くのが、異様な程細長く伸びた口だ。その長さは優に20センチはあるだろう。怪人は地面に隠れながら、その口だけを外に出してラムダを狙っていたのだ。その身体には、ラムダの投げた槍が深く突き刺さっていた。
飛び出した怪人は身体を痙攣させながら地面へ倒れる。伸びた口から、透明な液と共に針が力なく流れ出した。身体のあちこちからは白煙が上がっている。と、槍から出た稲妻が怪人の全身を駆け巡り、次の瞬間怪人は爆発した。
「無駄よ」
『ふむ、32号の奇襲も駄目ですか。いくらアンボイナガイを強化した毒針と言えど、当たらなければ意味がない、と。……実に素晴らしい』
「……」
ラムダは無言で手を槍の方へと向ける。それに反応するかのように槍が震えたかと思うとひとりでに飛び、ラムダの手中に再び収まった。
ラムダは槍を再び構える。その視線の先には、立ち上がる怪人がいる。蹴られたダメージはほとんどないようだ。
『彼、28号は自信作でね。パワー、タフネスに関しては、私の作品の中でも一、二を争うくらいなんですよ。さて、どうしますか?』
「関係ないわね」
イグバロッハの言葉を切り捨て、ラムダは槍の描かれた歯車を取り出す。先程のものと違い、淡く金色に発光している。
ラムダは歯車を親指で上方へ弾き、同時にベルトのバックルを半回転させる。ΛがVとなり、虎獅子の口が上を向く。弾かれた歯車が吸い込まれるように虎獅子の口の中に入った。
ラムダは再びバックルを半回転させ、槍をしっかりと構え直す。
『Loading……Lambda-Drive!』
電子音と共に、ベルトが凄まじい光を放つ。歯車が雷となってベルトより放たれ、ラムダの手にある槍の穂先へと落ちる。槍が直視しづらいほどの光を発した。
同時に、「Λ」の文字が怪人とラムダを結ぶように空間上に幾つも浮かび上がる。
「……征くわよ」
『"Lgendary-Lambda-Lance!!"』
ベルトの虎獅子が吠えると同時にラムダは地面を蹴った。最初の「Λ」に触れた途端、ラムダの身体が急加速する。文字を一つ経由する度にラムダは加速し、凄まじい速度で怪人へと突っ込んでいく。ラムダの進路上の瓦礫が砕けていく。槍の先端が空気を切り裂き衝撃波を発生させているのだ。
『フン、受け止めなさい28号!』
「ウブルアアアアアア!!」
躱すのは不可能。そう判断したイグバロッハの声に答えて28号が叫んだ。装甲に覆われた両腕をクロスさせて構える。同時に腕と脚の筋肉が肥大した。
ラムダ槍の穂先と、28号の両腕が衝突した。盛大な火花、そして轟音と共に地面に放射状に亀裂が走る。
ラムダの槍の先端と、28号の手甲が削れ合う音が響く。有り余るエネルギーが槍先から雷の火花となって弾け飛び、28号の皮膚を焼く。
ラムダは歯を食いしばり、全体重を槍に乗せて、両手の装甲ごと28号を貫かんと出力を上げる。
しかし。
「ウ……ブ、ルァアアアアァァ!!!」
「っ!?」
驚くべきことに、28号はラムダの一撃を上へと弾き、そのまま槍を下から上へと殴り上げた。
その重い一撃に、全体重を槍へと預けていたラムダは槍ごと遥か上空へと吹き飛ばされる。
「……それならっ!」
そこからのラムダの行動は迅速だった。
今の衝撃で大きく歪んだ槍を28号へ向かって投擲し、即座に輝く「Λ」と刻まれた歯車を取り出してバックルを半回転、虎獅子の口内に差し込む。再び半回転。
『Loading……Lambda-Drive!』
電子音とともに瞬く間に歯車が変化した電撃がラムダの右足を包み、その踵に雷の牙を生やす。
ラムダは空中で身体をひねり体勢を整えると、落下の勢いそのままに28号に向かってその牙を振り下ろす。
『Legendary-Lambda-Lightning!!』
「だあああああっ!!!」
全力でラムダの攻撃を弾いた28号はその動きに対応できず、飛んできた槍こそなんとか弾くことに成功したものの、間髪入れず振り下ろされた巨大な牙に食いつかれ、その肩口からすっぱりと縦に切断される。
一瞬遅れて電撃がその二つになった身体を駆け巡り、28号は轟音と共に爆発した。
『やれやれ……彼でも駄目ですか。中々、思うようには行きませんね』
「……」
ラムダは無言でホログラムの発生装置へと近づく。肩をすくめるイグバロッハの立体映像を完全に無視し、装置へとその足を振り抜いた。
『ああ、次の実験が楽しみでーーガピッ』
「……ふん」
砕け散った機械の破片を冷ややかな目で見つめた後、ラムダはバックルを半回転させ、取り外した。ラムダの手の上の虎獅子は一声大きく吠えて跳躍し、瞬く間にどこかに去っていった。同じくしてラムダを包む装甲が光の粒子となって消えていく。
元の服装になった蓮華は、乗ってきたバイクに再びまたがると、どこへともなく去っていった。
Λ
蓮華・ブルムハルトは、とあるマンションの一室で、レオノーレという姉と二人で暮らしている。父がドイツ人で母が日本人。そんな二人から生まれた彼女達は、その名の通り姉のレオノーレがドイツの血を、妹の蓮華が日本の血を強く受け継いでいる。それぞれ違った雰囲気ではあるが、いずれも劣らずの美しい顔立ちをしている。
そんな二人の両親は、既に他界している。二年前に怪人第3号が起こした事件に巻き込まれたのだ。遺体は損傷が激しく、身元確認の為に警察を訪れた時も、蓮華は見ることが許されなかった。葬儀の時には修復された顔を見ることが出来たが、二人とも隠しきれない縫合の後が顔中に残っていたのを覚えている。その日から、怪人達は蓮華の復讐の対象となった。
28号を倒した翌日。その日も自室で目を覚ました蓮華がリビングに行くと、既に起きていたレオノーレが朝食の支度をしていた。蓮華は、親しい人以外にはほとんど見せない笑顔を浮かべながら姉へと挨拶する。
「おはよう、姉さん」
「おはよう、蓮華。朝ご飯はもうすぐ出来るから、顔を洗ってらっしゃい」
言われた通り蓮華は顔を洗い、両親の位牌が飾ってる仏壇へ線香をあげてからリビングのテーブルに座る。テーブルの上では、今しがた作り終えられた朝食が湯気を立てている。
蓮華とレオノーレは手を合わせ「いただきます」と言ってから、それぞれ自分の皿へと箸を伸ばす。
「……そういえば」
食事中、レオノーレが思いついたように口を開く。
「昨日、センチュリーホテルの方で、蓮華に良く似た人を見たんだけど……。昨日の四時頃、あの辺りにいた?」
「……いや、行ってないけど。見間違いじゃない?」
危うく姉にばれるところだったらしい、と蓮華は冷や汗をかいた。
蓮華は、自分がラムダであることを姉には伝えていない。余計な心配をかけるからだ。だから、少しでも自分とラムダを結びつけるような情報は極力残したくなかった。
「そう? それならいいんだけど。昨日の三時くらいに、もっと北の方で怪人がでたでしょう。危ないから、もしかしたらと思って」
「ああ、そう言えば怪人が出たのはあの辺りだったんだよね。姉さんも動員されたの?」
「ええ。特にここ数日はあっちこっち引っ張り回されまくりよ」
レオノーレは警察官である。五年前、今は亡き両親の反対を押し切って警察へと就職、現在では誠実な性格と真面目な勤務態度、加えてその美貌から職場の皆から信頼されているという。
怪人が出没するようになってからというもの、警察は治安維持の為に奔走している。稀に運が良く怪人を討伐できる時もあるが、仕事のほとんどは近隣住民の避難誘導や時間稼ぎなどである。
自分がもっと動ければ、姉の負担も少なくなるのに……と考えながら、蓮華は味噌汁をすする。
と、備え付けの電話が鳴った。レオノーレが立ち上がり受話器を取るが、通話している間に瞬く間にその全身から緊張感がにじみ出てくる。
「わかったわ、うん……うん、十分後ね。了解。お願いね」
電話を置いたレオノーレは、残っていた朝食を手早く喉に流し込むと、すぐさま着替え始めた。
「姉さん、どうしたの? もしかして、また……?」
「ええ、そうみたい。また怪人よ。……今日くらいはゆっくりできるかも、と思ってたんだけどね」
レオノーレが着替え終わるのと同時くらいに、インターホンが鳴った。次いで鍵の開く音、そして若い男が入ってきた。
「おはよう、レオノーレ。ああ、蓮華ちゃんも一緒か」
「おはよう、亮司」
「おはようございます、亮司さん」
男の名前は鵠沼亮司(くげぬまりょうじ)、レオノーレの婚約者である。職場の同僚で、姉妹とは高校から付き合いがある。剣道の有段者で、質実剛健を絵に描いたようなさわやかな男だ。
「電話でも話したと思うけど、また怪人が出た。副束三丁目だ。申し訳ないけど、今すぐ出発しよう」
「わかったわ。蓮華、そういうわけで私は出かけるから。なるべく外に出ないようにね。間違っても副束の方へは行かないこと」
「わかってるって。それより、姉さんも気をつけて。危なくなったら逃げてよ?」
「他に人が居なかったらね」
そう言って出かけるレオノーレを、蓮華は心配そうに見送る。姉の正義感は妹として誇りに思うが、一方で危ない目に遭って欲しくないとも思う。
亮司の車が遠ざかるのを確認して、蓮華は家を出る。駐車場に留めてあるバイクに跨がり、バイクに備え付けられた無線のイヤホンを装着する。他に人が居ないことを確認してからヘルメットを被ると、バイクのエンジンを入れる。腹の底を震わせるような重低音が駐車場に響く。
エンジンをふかし、蓮華は走り出した。
750ccのバイクは瞬く間に加速し、景色がどんどん後ろに流れていく。蓮華は、無線のスイッチを入れた。
『……怪人は現在、アカシックビルの前で警官隊と交戦中。付近の警官は、近隣住民の避難を……』
流れてくるのは、警察の無線放送だ。蓮華が(違法)改造した無線は、警察の電波を受信し、逐一警察の動きを蓮華に教えてくれる。どうやら、状況はかなり切羽詰まっているようだ。
「ライガー」
蓮華の声に反応し、何処からともなくやってきた虎獅子がハイスピードで走る蓮華の肩に難なく着地し、噛み付く。
「……変身」
突如落ちた雷に、付近の人が驚く。しかし、皆がその閃光と轟音による知覚障害から回復するころには、既に蓮華の姿はなかった。
「……姉さん……無事で……!」
逸る気持ちを抑えながらも、ラムダはアクセルを更にふかし、現場へと急いだ。
一方、レオノーレと亮司を乗せた車が現場に到着すると、そこには惨状が広がっていた。
確認できる怪人は二体。一体は黒、もう一体は紫色だ。黒が西洋の甲冑のような姿をしている一方、紫は全体的にぶよぶよとしている。
黒い怪人は近くの人間を手当り次第に殴り飛ばし、紫の怪人は倒れた人間に口から糸を吐きかけ、拘束している。辺りには血、死体、そして拘束された人間達が散乱している。
「酷い……! 亮司、行くわよ! 少しでもアイツらの邪魔をしないと!」
「わかってる! けど、頼むからあんまり無茶しないでくれ……よっ!」
レオノーレの声に答え、亮司は腰から抜いた拳銃を撃つ。飛んだ弾丸は、糸を吐こうとした怪人の顔に命中し、その動きを一瞬止める。その隙に、今正に捕まりそうになっていた人は立ち上がり、逃げ出す。
紫色の怪人は苛立たしそうに亮司の方を向くと、再び口から糸を吐き出した。亮司は咄嗟にしゃがむ。その頭上を糸が通過し、そのまま後ろにあった木を貫通した。
「なっ……!」
亮司は息を飲むが、次の瞬間さらに驚く。紫色の怪人が、糸に引っ張られるようにして自分の方に飛んできたからだ。
「う……おおおっ!」
這いつくばるようにして転がり、亮司は紫の怪人から距離を取る。怪人は更に亮司に向け糸を吐こうとしたが、再び顔面へと鉛玉を叩き込まれ、その動きを止める。
少し離れたところで、レオノーレが硝煙の立ち上る銃を構えていた。
「……グオオオッ!」
紫色の怪人は苛立ったように吠えると、レオノーレへと向けて突進していく。レオノーレは怯まず、攻撃をかわしながら正確に怪人へと射撃を加えていく。
一方、亮司は立ち上がると、偶々近くにあった鉄パイプを手に取った。亮司はそれを両手でしっかりと握りしめると、他の一般人へと手を伸ばしていた黒い怪人に躍りかかった。
「せいやぁっ!」
気合いと共に振り下ろされた鉄パイプは、黒い怪人の頭に命中する。人間相手なら確実に致命傷である。いかな怪人といえどもダメージは避け得ないだろう一撃。しかし、渾身の一撃であったはずの鉄パイプは、軽い金属音と共にいとも容易く弾かれてしまった。まるで鉄塊を殴ったかの如く感触に驚く亮司に、至近距離から怪人の拳が繰り出される。亮司はなんとか鉄パイプで受け止めようとしたが、防御に回した鉄パイプと拳がぶつかった瞬間、鉄パイプがへし折れた。勢いを殺しきれなかった拳が亮司に当たり、亮司は吹き飛ばされる。
「亮司っ!!」
レオノーレは叫んで銃を構えたが、撃つ前に横から飛んできた糸に銃を絡めとられてしまう。紫色の怪人は銃を取り上げると、そのままレオノーレを殴りつけた。
「あうっ!」
咄嗟に手を交差させることで直撃は防いだが、いとも容易く吹き飛ばされる。吹き飛んだレオノーレは亮司の傍に転がった。そこへ、紫色の怪人が再び糸を吐く。
吐かれた糸により、二人は容易く拘束されてしまった。
「……グフッ、グフッ」
紫色の怪人は嗤うと、次の犠牲者にその顔を向けた。
Λ
警察の無線で把握した現場に到着したラムダの目に飛び込んできたのは、黒い怪人に首を掴まれ持ち上げられている人間と、その後ろで他の人間に向けて糸を吐いている紫色の怪人の姿だった。怪人の放った糸が、一人の人間の胸を穿った。飛び散る鮮血。
ラムダは歯を噛み締めると、バイクを更に加速させながらそのまま手前の黒い怪人へと突っ込んだ。バイクの前輪と怪人が衝突する直前、ラムダはバイクから飛び、残る紫色の怪人へと飛び蹴りを放つ。
「グエアアッ!!」
ラムダの飛び蹴りを受けた怪人は醜い悲鳴を上げ、吹き飛んで近くの壁にぶつかった。ラムダはすかさず胸を貫かれた人へ駆け寄り、容態を確認する。が、既に事切れていることを確認し、顔を歪める。
顔をあげると、糸のようなものに拘束されたレオノーレと、その近くで同じように拘束されている亮司の姿が目に入った。よかった、とりあえずは二人とも無事だったかとラムダは小さく安堵の息を吐く。
と。
ラムダの視界に影が映った。
ラムダは咄嗟に槍を召還すると、「それ」が何かを確認する前に飛んできたものを弾いた。
弾いたそれは、自分のバイクだった。バイクの体当たりを食らったはずの怪人は、何事もないかのようにラムダへ向けバイクを投げつけたのだ。
ラムダは黒い怪人へと向き直り、槍を構える。
甲虫の騎士。一目見て、そんなイメージがラムダの頭に浮かんだ。
全身を黒光りする鎧に覆われ、頭部からは一本の角が伸びている。全身の鎧は、見るからに硬そうだ。事実、先ほどバイクで突っ込んだ箇所にも、傷一つついていない。
「きゃああっ!」
「!」
聞き覚えのある声で悲鳴が上がった。声がした方向を見ると、レオノーレと亮司を含む何人かの警察官達が、傷つきながらも立ち上がった紫色の怪人が口から出した糸にまとめて拘束され、連れ去られようとしているところだった。
「ね……!」
姉さん、と叫びかけた瞬間、ラムダの勘が最大限に危機感を発した。咄嗟に飛び退った瞬間、今まで自分が居た位置に黒い拳が叩き込まれた。その風圧で周囲の土砂が舞い上がる。
今すぐにでもレオノーレの元へ走り出したくなるのをぐっと我慢し、ラムダは視線を今しがた攻撃をしてきた、黒い怪人へと向ける。ラムダの本能が、目の前の怪人が今までとは違うと伝えていた。心を乱した状態では、決して勝てないと。
目の前の怪人は目を細めると、その口を動かした。
「そウだ。アマり他ノコとヲ考えナいほウがイい」
「……! 喋れるのね」
「あア。あマりウまくはナイがナ」
怪人は、軋むような音とともに発声する。発音も微妙な上に聞き取りづらいが、それは紛れもなく言語だった。
怪人は、近くに落ちていた木の枝を拾い上げた。と、その枝が瞬く間に一振りの剣へと変化する。怪人はその剣先をラムダへと向け、名乗った。
「……第65号、『グレんガいン』」
「……名前があるの」
「大シたことジャない」
あのイグバロッハが怪人に番号以外の名前を付けるという事実に驚いたラムダに、怪人、否、グレンガインは首を振る。
「ドクとルの気まグレだ。そレ以上ノ意味ハなイ」
「……そう」
なぜ言葉を話せるのか、名前がある意味はそれだけなのか等、いくつもの疑問がラムダの中に浮かぶが、それらを半ば強引に思考からシャットアウトする。グレンガインの纏う空気がガラリと変わったからだ。
ぴりぴりと、肌を刺すような殺気が辺りに充満する。
「ドくとルは強イ肉体を持ツ実験体を求メてイテな。こノ『けイサつかン』とイう種類ノ人間は、なカナか骨ノアる奴ガ多い」
「それを、こっちが見過ごすとでも?」
「もチろン、思ワナい。ガ、お前コそオれを放ッてアいツらを助けラレるわケでもアるマい?」
「……」
事実だ。目の前の相手は、確実に強い。下手をすれば、自分よりも。そんな相手を前に、他のことをするような余裕はない。ラムダは微かに顔を歪める。
「ほラ、どウシた? かカッてこなイト、あいツらガ攫ワレるゾ?」
「……言われなくても!」
ラムダは槍を握る手に力を込め、グレンガインへと切り掛かった。
ラムダの槍とグレンガインの剣が交差する。金属音と火花、両者ともに弾かれた武器を構え直してまた一撃。
そこからは熾烈だった。
ラムダは持てる技術を全て生かし、あらゆる方向からグレンガインを狙う。しかし、グレンガインはそれらの攻撃をギリギリで受け止め、更には僅かな隙をついて反撃をしてくる。
打ち合っていく間に、ラムダの身体に浅い切り傷がいくつもできる。技術はほぼ互角、速度はラムダの方が上だ。しかし、筋力や身体の硬度などでグレンガインはラムダの上をいき、結果時間が経つほどラムダの身体に傷が増えていく。
「……それならっ!」
一体何合打ち合っただろう。らちがあかないと考えたラムダは飛び退って距離を取り、歯車を取り出す。流れるような動作で発動。
『Loading……"Enchant" Charge!』
電子音と共に、歯車が転じた雷がラムダの槍へと落ちる。槍は金色に輝き、その周囲を紫電が迸る。
槍を帯電させることで、接触によりグレンガインへとダメージを与えるためだ。
そうして帯電した槍を振るい、ラムダは再びグレンガインヘ斬り掛かる。しかし、それをグレンガインは鼻で笑った。
「何ヲスるかト思えバ……くダラなイな」
そう言ってグレンガインは、ラムダの槍を手で掴んで止めた。当然のごとく接触した部位から紫電が迸るが、グレンガインは涼しい顔をしたままだ。
「おレノ鎧にハ金属が混じッテいル。雷は表面だケヲ伝い、おレニダめージはなインだヨ」
そう得意げに言って、グレンガインは拳をラムダの腹に叩き込む。
「がふっ……!」
衝撃により吹き飛ばされたラムダは、そのまま実に十メートルほど水平に飛び、壁へと叩き付けられる。
よろよろと起き上がったラムダの唇の端から、一筋の血が流れる。
ラムダは口内の血を吐き出し腕で血を拭うと、しばし瞑目した。自分の電気が通じない強敵。ここで倒さなければ、被害は更に増えるだろう。
次に目を開けたとき、ラムダの目には決意の炎が灯っていた。
「……これで、終わらせる」
そう言って、ラムダは新たな歯車を取り出した。これまでのものとは違い、それは虹色に輝いている。
ラムダはバックルを半回転させ、虎獅子の口に歯車をセットした。途端、警告音が鳴り響く。
『ーーCaution!ーーCaution!ーー』
ラムダは歯を噛み締めると、警告音を無視してバックルを再び半回転させ、咆哮した。
「ーーはああああああっ!!」
『Loading……"Limitation Break" Lambda-Drive!!』
電子音が限界の突破を告げる。瞬間、ラムダを包んでいる鎧の一部が弾け飛んだ。弾けた鎧は形をより鋭角的に変えながら、再びラムダへ装着される。再装着と同時に、ラムダの全身を幾重にも雷が取り巻く。
『"Maximum" Legendary-Lambda-Lightning!!!』
その電子音と共に、歯車は三条の雷となり、ベルトより迸った。一つはラムダの右手にある槍へ、そして二つはそれぞれがラムダの両足へ。
稲妻を受けた槍は黄金のエネルギーと化し、形を変えたかと思うとラムダの手より離れ、地面の上に雷の虎獅子を形作る。
同時に、ラムダの両足の装甲が光り、内包するエネルギーが溢れるように辺りに電光を飛ばす。
ラムダは左足を軽く引いて構えると、次の瞬間グレンガインへと向けて駆け出した。
「ナっ!?」
グレンガインは驚く。先ほどまでよりも更に速く、ラムダは目にも留まらないスピードでグレンガインに迫る。
と、雷獣が一声大きく吼えると同時に、ラムダへ向けて走り出した。
雷獣は一瞬でラムダに追いつくと、その勢いのままラムダの両足と融合する。
ラムダの両足と融合した雷獣はその姿を変え、ラムダの両の踵に巨大な雷の牙を生じる。
刹那。轟音と共に、ラムダの足元が爆発した。
雷獣と融合したラムダが、そのエネルギーを速度へと転換したのだ。
その速度は、まさに雷電。
最早影しか映らないグレンガインの目に、一瞬、己に向けて前回転からの両踵を振り下ろすラムダの姿が映った、ような気がした。
「だああああああっっっ!!!」
裂帛の気合いと共に、虎獅子の巨大な牙のイメージを伴ったラムダ渾身の回転踵落としが、グレンガインへと放たれた。
なす術無くその巨大な二つの牙により縦に三枚に切り裂かれたグレンガインは、その一瞬後に幾本もの電撃に包まれ、断末魔さえなく爆散した。
地面に跡を残しつつ滑走し、二十メートル以上進んでからやっと止まったラムダは、続いて鳴った電子音に顔を歪める。
『Out Of Energy. Lambda-system Cancelled.』
電子音の告知と同時に、ラムダの装甲が再び組み変わり、元のラムダの姿へと戻る。
限界突破でのラムダドライブは一撃必殺の威力を持つ一方、全エネルギーを一撃に込めるので、使用後しばらくは他のラムダシステムを使用できなくなり、スペックも格段に下がってしまうという欠点を持つ。
(くそっ……! 使わざるを得なかった! それより、姉さん達は……!)
ラムダは急いでレオノーレ達の姿を探す。が、もうその姿は何処にも見当たらなかった。
間に合わなかった。
レオノーレ達は、攫われてしまった。
それを確認して、
「~~ああああああああああっ!!!」
ラムダは叫び、地面を殴りつけた。
地面に放射状に罅が入った。
それだけだった。
どれだけ叫んで探しても、姉は帰ってこなかった。
< 続く >