セイレーン 最終章

最終章

 ・・・ざ・・・ざん・・・。
 ・・・ざざ・・・ざん・・・。

 波の音が、寄せては返し、返しては寄せ、飽きる事無く続けている。まるで、心音にも似たそのリズムが、瀬蓮の心を癒して行くようだった。
 瀬蓮はもう、泣いてはいない。するべきことをして、今は少しだけ、一休み。

 ・・・ざざぁ・・・ざん・・・。
 ・・・ざざ・・・ざ・・・。

 もう暫くしたら、太陽が顔を出すだろう。今はもう、薄暗いながらに、闇が光に払拭されて行くのが判る。気の早い鳥達は、少し離れた暴風林で、命を謳歌するかのように囀り始めている。

 もう少ししたら、ここにも警察が訪れるだろう。瀬蓮が携帯電話で連絡を入れたから。そして、緑色のネットに包まれた妹達の死体を発見するだろう。
 周囲を調査すれば、岬の先端部で悟の死体と、それに寄り添う瀬蓮の死体を見つけるはずだ。ほんの短い間でも、恋人同士だった二人を。
 そして、この事件は誰も真相に近付く事も無く、闇に葬られるのかも知れない。けれど、終わった者達にとっては、その全てがどうでも良い事だ。
 ふと、そんな事を夢想して、瀬蓮は苦い笑みを浮かべた。

 ・・・ざぁ・・・ざざぁ・・・。
 ・・・ざざん・・・ざぁん・・・。

 波の音が、寄せては返し、返しては寄せ、飽きる事無く続いている。それは、この場所で、連綿と続けられてきた営み。
 例え岬の形が変わろうと、砂浜が海に浸蝕されようと、それは果てる事無く続いて行く。
 いつまでも・・・。

 ・
 ・
 ・

 瀬蓮は、恋詩を静かに歌い終えた。余韻が朝の空気に溶けて行くのを、少し残念に思いながら、左肩に掛かる悟の重さを愛しく感じていた。

 あの後、裸で死んだ妹達に、ネットを見つけてかけてあげたり、警察に通報したりしてから、瀬蓮は悟の傍らで、もう一度恋詩を歌った。天国まで届けば良いのにと、願いながら。
 これで、もう瀬蓮がしなければいけない事は、あまり残っていない。後は、昇る朝日を見ておこうかと、なんとなく思ったくらいで。
 からっぽだった。もう、悲しくも無い。きっと、ここにいるのは瀬蓮の死体だと、ふと思った。

 太陽が、昇る。全ての始まりを告げるように、荘厳に、容赦無く。
 それでも瀬蓮の心には、感動が生まれなかった。心が死んでいるのだから、それはしょうがない事ではあるのかも知れないが。
 瀬蓮は、エレナの羽を手に取った。先刻、夕緋の胸から抜いたものだ。それを、自分の心臓の位置を狙って、ゆっくりと逆手に構えた。

『ああ、うれしいこの短剣。この胸がおまえの鞘!さぁ、わたしを死なせておくれ!』

 そう言って自害したジュリエットの気持ちが、今の瀬蓮には良く判る。
 左手で悟の冷たくなった手を握り締めて、瀬蓮は右手に力を込めた。後は、エレナの羽を、この胸に抱き寄せるだけだった。それで、悟に寄り添いながら死ぬ事が出来る。

 とくん。

 どこかで、音がした。
 ちいさな、ちいさな、おと。

 とくん。

 瀬蓮の心音よりもちいさくて、でも瀬蓮の腕を止めるほどの力強さで。

 とくん。

 ───なんだろう?───

 瀬蓮の、タナトスに魅入られた心に、疑問が生まれた。

 ───じゃましないで───
 ───もう、しぬんだから───
 ───悟さんもいないし、いきていたくないの───

 とくん。

「・・・あ・・・」

 瀬蓮の下腹部が、熱を持ったように感じられた。内側から自己主張するかのように発生した熱が、瀬蓮の身体に広がって行く。ひび割れた心が無制限に優しくなれるような、不思議な感じがした。

「あかちゃん・・・?」

 なんの気無しに呟いた単語に、瀬蓮の中からとくん、と応える。

「だって、そんなの・・・」

 否定しようとした瀬蓮は、自分が半分人外の存在である事を思い出した。男性の精を受け止めたのはこれが初めてなのだから、その結果なんて知るべくも無かった。

「あ・・・」

 思わずエレナの羽を取り落とした。瀬蓮は触れることを恐れるように、震える手で下腹部に手を伸ばした。

 とくん。

 受胎していたとしても、まだ心臓などの器官が創られるはずも無い。それでも、確かな生命の息吹を感じて、知らないうちに瀬蓮は涙を流した。

 とくん。

 それは、瀬蓮に『死なないで』と、言っているように感じられた。都合の良い錯覚かも知れない。でも、もう瀬蓮は死を選ぶ事が出来なくなっていた。あたかも、悟の遺志のように感じられて、無視するには存在感が強すぎて。

「わたし・・・死ねない。ごめんね、悟さん・・・」

 瀬蓮は悟に謝った。そして、夕緋にも、達哉にも、美砂にも、美樹にも・・・エレナにも。最後の微笑みを見てしまったからかも知れないが、瀬蓮はエレナを憎む事が出来なかった。だから、せめてみんなの事を胸に、一生懸命生きて行こうと思った。
 いつしか、太陽はその姿を空に現していた。闇を駆逐し、世界を光で染め上げる。それは、ある意味暴力的とも言える所作だった。
 しかし、光は瀬蓮をも包み込む。まるで祝福するように。
 瀬蓮はいなくなった者達に、恋の詩を歌った。高らかに、全ての想いを込めて、恋詩は空に響き渡った。
 ───だいすき、だよ・・・───
 万感の想いを込めて、セイレーンの恋詩は終らない。
 いつまでも。

< 終わり >

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