おやぢ 増殖 1日目

増殖- 1日目 -

 ゆっくりとその女性が振り向いた。
 すっきりとしたショートカットが印象的な、美しい女性。
 30台という年齢を感じさせないような張りが、その女性にはあった。
「いいですこと? ここは本来ならあなたのような……」
 その女性はそこでいったん言葉を切って、便三のことをなにか汚いものでも見るかのようにながめて、
「……男性……の方が働いていい場所ではないんですのよ?」
 そういった。
 たぶんもっと別の形容詞があたまの中には浮かんだのだろうけど、思いとどまったのだろう。
 たとえば不潔な男……とか。
「はい、もちろんでございますとも。この便三ごとき人間がこのようなところで本来なら働けるわけなどない、と十分にわきまえてございます」
 便三は薄汚い頭を深々と下げる。
 その様子をまるで害虫かなにかのように見ている女性。
 私立陽春女学園の学園長を務める安藤桐子(あんどうきりこ)である。
「まぁいいでしょう。くれぐれもそそうのないように気をつけてください。伊集院先生がぜひにと紹介してくださったのですから一応働いていただくことにいたします」
 その口調には、いやいやながらっていうニュアンスがたぶんに含まれていた。
「これは寛大なご判断。この便三、心より感謝いたします」
 さらに、それこそ足にくっつきそうなくらい深々と頭を下げて、便三がいった。
「そのしゅうかつさを、くれぐれも忘れないようにしてもらいたいものだわ」
 桐子は吐き捨てるようにそういった。
「はい、学園長様のお言葉。この便三、肝に命じましてございます」
 どこまでも低姿勢な便三に、
「ふんっ。……とりあえずわたくしが園内を案内いたします。ついておいでなさい」
 鼻を鳴らしながら桐子がそういった。
 その瞬間、便三の口元に何とも不気味な笑みが浮かぶ。
 もしそれを見たなら、たぶん便三をそのまま追い出しただろう。
 まともな女性……いや人間なら誰もが生理的に嫌悪する。
 そんな笑みだった。
 だけど……。
「なにしているのです? さっさとおいでなさい。わたくしは暇ではないのですよ?」
 そう呼びかける桐子。
 見えていなかった。
 そしてこの瞬間に、この学園の運命が決定されることになったのである。
「はいわかりましてございます」
 そう答えた便三の顔には、微塵も笑みなど浮かんではいない。
 ひたすら慇懃に、どこまでも低姿勢に。
 その心にうずまくどす黒い欲望を隠して。

「あなたの仕事として、この校舎の補修と清掃、それに備品の整備をやっていただきます。そのさい、あまり生徒達の目につかないように気をつけてください。あなたもわかってはいると思いますが、ここにいるのはすべて良家のお嬢様がたです。当然あなたのような男が同じ校舎にいること自体、彼女たちに不快感をあたえることになるでしょう。だから、少しでも軽減するようにふるまいなさい。いいですね?」
 校舎内を一通り案内しながら、桐子は便三にそう指示をだす。
「この便三、お嬢様がたに不快な思いをさせないよう、くれぐれも注意して行動いたしますです、はい」
 そう心にもないセフリを便三は吐いた後……。
「ところで、あそこは何になるのでございましょう? 案内していただけませんでしたが?」
 校舎のはずれにある一室。
 今は閉まって、誰もいないようだった。
「ああ、あれは放送室です。あそこには様々な高価な機械が置いてあります。あなたのような無知な人間に立ち入られて壊されでもしたらたまりません。ですからあそこだけは何もする必要はありません。いいですね?」
 下等な動物でも見るかのような視線を便三に送りながら桐子がいった。
「承知いたしました……」
 そういって頭を下げた便三の濁った瞳に、一瞬だけ強い光が浮かぶ。
 まるで獲物をみつけた毒蛇のように。
「さあ、ぐずぐずしないで次に行きますよ」
 それから桐子は校舎の外に便三を連れていった。
 校舎からは百メートル以上離れた場所。
 そこに木造の小さな家が建てられていた。
「あなたには、これからはここで寝起きしていただきます」
 その家の前をそういいながら桐子は通り過ぎてしまう。
 実際それ以上話すことはないのだろう。
 さらにその先には木立ちに挟まれた道があった。
 木漏れ日にいろどられた未舗装の砂利道が、山手の方へと続いている。
 閑散とした感じの気持ちの良い道だった。
 ただし桐子と便三にはなんの関係もなかったけど。
 桐子は便三に様々なアドバイス(嫌味)をいうのに忙しかったし、便三にはそもそもそんなものは見えていなかった。
 10分ほど歩いただろうか。
 2階建ての洋館が見えてくる。
 蔦が複雑に絡まった煉瓦造りの洋館で、かなりの歴史を感じさせる建物だ。
「ここが寮になります。あなたの仕事にはここの管理も含まれております。ここの建物の補修やごみ回収等の雑務もあなたに引き受けていただきます」
 当然のように桐子がいった。
 外から見た限りでも、最近になって繕いをしたらしい跡があちこちに見受けられる。
 校舎のほうもこれとたいして違わない状態だったから、それだけでもかなりの重労働になるだろうことが想像できた。
 ただし、まじめにやればの話だけど……。
「では、中を案内いたします」
 入ってすぐのところは天井まで吹き抜けのホールになっていた。
 左右には一階の各部屋に通じる通路と、二階への階段がある。
「左手と右手はどちらも生徒のための個室が並んでおります。生徒からの要請がない限り、みだりに立ち入らないようにしてください。なぜかは、わかりますね?」
 分かりきったことをいうときみたいに桐子がいった。
 分際をわきまえろということなのだろう。
 便三は黙って頭を下げる。
 深々と……。
「よろしいでしょう。では、こちらにおいでなさい」
 その様子を見た桐子は、ようやくなっとくしたかのように少しうなずくとそう指示をだす。
 早い足取りで奥へと進みその先にあった大きな両開きの扉を開く。
「んっ?」
 便三が少し驚いたような声をだす。
 普通の教室の倍くらいはありそうな大きな部屋に、長いテーブルが二列になって並んでいる。
 そのテーブルにはそれぞれ赤いクロスが掛けられており、その上には銀の燭台が乗っていた。さらに花瓶に入れられた花もきれいに飾り付けられている。
 学生寮の食堂というより、どこかの貴族の食卓といった雰囲気だ。
 もちろん便三がそんなことをいちいち気にするはずなどないのだが……。
「驚くのも無理はありません。ここは特に選りすぐられた良家の生徒のみ入寮をゆるされる場所です。当然食堂といえども、それに見合った品位を要求されるのですから……」
 そこまで言ったとき、桐子は言葉を一旦止める。
「あら? こんな時間に生徒がいるなんて……」
 便三は真っ先に気づいていた。
 食堂の一番奥の席に、ひとりの女生徒が座っていることに。
 便三が驚いたのは、その生徒を見たからだった。
「あれは……」
 そうつぶやくと、桐子は便三のことをほったらかしにしてすたすたと、その女生徒の方へと歩いてゆく。
 便三もその後に続いた。
 もちろんより近くでその女生徒をみるために。
「波代(なみしろ)さん? 一体どうされたんです?」
 桐子の言葉は便三に掛けられるものと違って、心から心配しているということが声だけでもはっきりとわかる。
「朝から体の調子が悪くて、部屋で休ませてもらってました……。今少し具合が良くなったので少し飲み物をお願いしていただいておりました」
 確かにその手元にはティーカップにホットミルクらしきものが注がれていて、わずかばかりの湯気がたちのぼっていた。
「あっ、立たなくてもいいわ波代さん。あまり無理をしないで」
 席から立とうとした少女を静止して。
「でも、できればあまり無理をせずにお医者さんに見てもらったほうがいいですよ?」
 桐子がそうすすめる。
「ありがとうございます、院長先生。でも、もうだいぶよくなりました。もう少し休めば良くなると思います……」
 少女がそういいながら頭を下げた。
 便三は桐子の背後に控えながら、少女のことを相手に悟られないように注意深く観察していた。
 腰まで届きそうなくらい長い髪は、黒々と上質のビロードのような光沢を放っている。
 白い浴衣を羽織った姿は、清楚でしかも艶がある。
 容姿の方はどこからみても非のうちようがない。
 月の下に咲く白い百合。
 幻想的で見る人に感動すら与える。
 そういう美しさ。
 正直、便三もこれほどの美人を拝むのは生まれて初めてのことだった。
 この部屋に入ったときに驚いたのは、この波代という少女を見かけたからだったのだ。
 しかも近くで見れば見るほど、その美しさがどれど際立っているのかが再認識されるばかりだった。
「あの……」
 少女が口を開く。すこし遠慮がちに。
「なんです? 波代さん?」
「あの、後ろのかたは……? さきほどから、わたしのことを熱心にごらんのようなので……。なにか、ごようなのか……と」
 そういいながら、少女は視線をしっかりと便三に向けてきた。
 不覚にも便三は、視線をおもわずそらしてしまった。
 そこには蔑みとか嫌悪が一切ふくまれていない視線。
 ただ真っ直ぐに向けられた、負の感情のない視線。
 それに便三は耐え切れなかったのである。
 でも……。
「はいお嬢様。わたくしめは本日より当学園の雑務をさせていただくくとになった田所便三めにございます。何か御用がございましたら、なんなりとお申し付けくださいませ」
 そういって頭を深々と下げることで、いきなり視線をそらしてしまったことを取り繕う。
「……そう、ですか……。わたしは波代葉月(なみしろはづき)ともうします、これからよろしくお願いします」
 その少女……葉月はそういって頭を下げる。
 でも、その口調からはどことなく疑問が残っていそうな感じだった。
 チッ……。
 便三は心の中で舌打ちをする。
 ときどきいるのだ、こういう鋭いメスが。
 おまけになかなか隙もみせない……。
 一番やっかいなタイプである。
“だがなぁ、てめぇの運命は決まってんだぜぇ”
 便三は、心の中でそうつぶやいた。
 そう、こういったメスは早めに……。
「なにをぼっとしているのです!」
 便三をにらみつけながら、桐子が言った。
 その視線にはあからさまな怒りがこめられている。
 便三が勝手に生徒と会話をしたのが気に入らなかったのだ。
「まったく、さきほど言い聞かせたばかり……いっ?」
 桐子の言葉が止まった。
 首筋に鋭い痛みを感じたのだ。
 でも、その痛みは次の瞬間にはなくなっていた。
 首筋を触ってみると、別になにもない。
 おかしくなっているようでもなかった。
 たぶん虫にでも刺されてしまったのだろう。
 とくに気にする必要はなさそうだった。
「それでは波代さん、くれぐれも無理だけはしないように」
 そういい残すと桐子は便三を引き連れて、この場を立ち去った。
 後に一人残った葉月は便三のことを見ていた。
 不安……。
 あの人のことを見てると、なにか悪い予感がする……。
 ただそれだけのことなのだけど、葉月には胸の中に広がるそれを振り払うことはできなかった。
 ふと思い出したように葉月は首筋に手を触れてみる。
 さっき、鋭い痛みを感じたような気がしたからだ。
 でもそこには少しだけ硬いものが指に触れただけで、ほかはどうともなってなかった。
 気にする必要はないだろう。
 ティーカップを取り上げる。
 口の中がなんだかねばつく。なんだか生臭いような気もする。
 ミルクで口の中をすすごうと含んだとき……。
「んっ?」
 冷たかった。
 たった今まで湯気を立てていたはずなのに……。
 ぬるくなったというレベルではない……。
 完全に冷め切っていた。
「一体何が……」
 冷たくなってしまったミルクを見つめるけど、葉月には答えは見つからなかった。
 ぞく。
 背筋に悪寒がはしった。
 こころなしか、体がだるい。
 また、熱が出てきたのかもしれない。
 冷たいミルクを飲み干すと、葉月は自分の部屋に帰ることにした。
 色んな不安を抱えたまま……。

「さぁ、ここが最後です」
 そういって便三が案内されたのは、寮の裏側にあるごみ置き場だった。
「ここにあるごみを、決められた日にごみ集配場まで持っていきなさい。もちろんきちんと分別してありますから、あなたは持っていくだけでかまいません。中のものを覗いてみようとか、勝手にもらってしまうとかいう、さもしいことを考えてはいけませんよ?」
 桐子がそう釘を刺す。
「もちろんでございますとも」
 便三はそう即答した。
 もちろん、そんなこと守ったりするはずなどなかったが。
 なにしろ、ごみをあさるのはプライベートを探るための基本である。
「それじゃ、とりあえず今日のところは自分の宿舎に戻って荷物の整理でもなさい。ただ、言っておきますが、まだあなたを正式に採用したのではありませんよ。あくまで試用期間です。その間にいい加減な仕事やふとどきな行為をしたら、即やめていただきます、いいですね?」
 とりあえず便三のいい加減な答えで満足したらしく、そう締めくくる。
 もちろん便三も、
「この便三、微力をつくして務めさせていただきます」
 そう、誠意のかけらもない返事を返した。
 二人は帰り道は、きたときと違ってほとんど言葉を交わすはなかった。
 便三の宿舎の前まできたとき、便三が口を開いた。
「院長先生、お茶などいかがでございましょう?」
 という便三のさそいは。
「けっこうです。わたしは忙しいのです。これ以上あなたのお相手をするひまなどありません」
 まるで考えるようなそぶりもなしに、一瞬でことわられてしまった。
「おや、それは残念でございますなぁ、ぜひお話しておきたいことがあったのでございますが……」
 いかにも残念そうに便三がいうと。
「ふん、いいたいことがあるのなら、今すぐ言いなさい。5分間だけなら、聞いてあげましょう」
 立ち止まり高圧的に桐子がそういった。
「ここででございますか? まぁ、便三めはいっこうにかまわないのでございますが……」
 便三が言葉を濁すと。
「いいから、早くおいいなさい! まったく、わたくしの貴重な時間をさいてるというのに!」
 明らかに桐子はいらだっている。
「わかりました、それほどまでにおっしゃるのでしたら……」
 そういって便三は、内ポケットから封筒を取り出した。
「なんです? これは?」
 封筒を手渡された桐子がいぶかしげにたずねる。
「中をごらんになられたら、すぐにご理解いただけることと存じます」
 あくまで丁重に便三がいった。
「ったく、なんだって……」
 言いかけた桐子の言葉が止まる。
 封筒の中にあったのは、一枚の紙切れ。
 それを見たとたん、桐子は言葉を失った。
「どうです? この便三めの入れたお茶などお召し上がりになりませんか? お口にあうかどうかは、わかりませんが……」
 そう言った便三に向けられたのは、蔑みや嫌悪などではない。
 怒り……いや、憎しみかもしれない。
 それほどに強い感情だった。
「わ、わかりました……」
 たった、それだけの言葉を発するだけでも、かなりの忍耐を必要とするらしく桐子は搾り出すようにそういった。

「まぁ、立ち話もなんですから、お座りになられたらいかがでございますかな? 院長先生」
 とりあえず備え付けの備品を使って、便三がお茶をいれる。
 かなりの精神的なダメージがあったのだろう、そのお茶を桐子は一気に飲み干してしまった。
「一体、なにが目的なのです?」
 一息ついたらしい桐子が、そうきりだした。
 回りくどい言葉は一切抜き。
「おやぁ? これは桐子様、お顔の色がよろしくないようですなぁ。どこか具合でも悪くされましたですかな?」
 口元に淫やらしい笑みを浮かべて、便三がそういった。
「はっきりといいなさい、あなたの目的はなんなのです? お金ですか? それならば、あなたの言うとおりの額を工面しましょう。そして、さっさとこの学園……いえ、わたしの前から立ち去りなさい!」
 桐子は便三の言葉を無視して一方的にそういい募る。
「なにやら、勘違いしておられるようですなぁ、桐子様。まるでそれではこの便三めが脅迫をしているみたいに聞こえるではないですか……」
「違うとでもいうのですか? こんなものを用意しておきながら……」
 手にもっていた封筒を、桐子は目の前のテーブルに投げ出した。
「これはどうも、お気にめさなかったようでございますなぁ。でも、もうこれはどうでもよろしいのでございますよ」
「……?」
「まだお分かりになられない? 便三めは、もう目的は果しているのですよ。あとは……」
 便三はテーブルの上に投げられた封筒を手にとる。
「こうやって、手にかけるだけでよろしいのでございますから」
 そう言いながら手にした封筒を引き裂いた。
「あ、あなたは……いったい……だれ……?」
 桐子は初めて便三の目を見た。
 あったのは深い闇。
 それも夜の闇のような澄んだものではなく、どろどろとした汚濁にまみれたヘドロのような闇。
 恐怖……。
 桐子の心に湧き出した感情。
 でも、それでも彼女はそれをねじ伏せようと試みる。
 無駄……なのに。
「わ、わたしは帰らせてもらいます。あなたの思いどうりになんてなりません。あなたをここから叩き出します」
 そういいながらイスから立ち上がり、入り口のドアに向かった。
「ほう、もうお帰りですか? でもあなた様は、“この部屋から外に出ることはできない”のですよ」
 後を追いかけるようにして発された便三の言葉。
「なにをばかな! ドアなら簡単に開くではありませんか! あなたの脅しなどに屈するようなわたしでは……」
 桐子の言葉はすぐに止まった。
 確かにいったとうりにドアならたやすく開いた。
 外の光景が目の前にあった。
 たった一歩前に踏み出すだけで外に出られる。
 なのに……。
「ど、どうして? なぜ足が動かないのです?」
 桐子の足は桐子の意思を完全に無視していた。
「う、動いて……」
 うんうんと気合を入れながら、必死になって動かそうとするけどまるで動かせない。
「そうやってがんばっている姿を見ているのもよろしいのですが、世間体というのもありますからなぁ。とりあえず“ドアを閉めて”、もう一度“このイスに座って”いただけますかな?」
「えっ? なんで? どうして体が勝手に?」
 そう、桐子の体はそれまで必死になって抵抗していたのが嘘のように、便三に言われたとうりにドアを閉めて元のイスに座った。
「ククッ。そんなに不思議でございますか? 桐子さま?」
 なぶるように便三がそう聞いた。
「何を……一体何をしたのかおいいなさい!」
 内心の恐怖を意思の力でねじ伏せて、桐子はそう聞いた。
 こんな……こんな卑しい男などに負けるわけにはいかなかった。
 男になど負けるわけにはいかない……。
「もちろん、お話いたしますとも。話したところで、いまさらどうすることもできないのですからなぁ、桐子様」
 そう言いながら、これみよがしに深々と頭を下げてみせる。
「は、はやく言いなさい!」
 その様子を見せ付けられた桐子は、後の話をせかす。
 自分の中で膨らむ不安と恐怖を打ちけそうと。
「せっかちですなぁ、桐子様は……。でも、そう難しい話ではないのですよ、桐子さま。お薬を少々お飲みいただいただけでございます」
 そう言われた桐子はすぐに思いついた。
 さっき飲んだお茶。
 あれにその薬が混ぜてあったに違いない。
「盛ったわね、あなた……。でも、その薬って……一体、何なんなのです?」
 怒りを感じながら、桐子がそうたずねる。
 その怒りは、心の底にある恐怖を紛らわせるためのものだった。
「他人の命令に逆らえなくなるのでございますよ。たとえば……“テーブルを舐めろ”と命令いたしますと……」
 そう便三が言ったとたん、桐子はテーブルの上を丹念に舌で舐めまわし始める。
「というぐあいになるのですよ。とてもいいお薬でごさいますでしょう?」
 便三がそう聞いたところで、桐子に返事を返すことなどできない。
 テーブルを舐めまわすことに忙しかったからだ。
「ただ、このお薬にはいくつかの重大な欠点がございましてな。一人の人間には一度しか使用できないのでございます。そしてこのお薬は精々一時間ほどでその効力が失せてしまうのです。色々ためして改良を加えてはみるのですが中々うまくいきませんでして。まったく、困ったものでございます」
 そこまで言った後、便三は満面の笑みを浮かべる。
「その代わりと申しましてはなんなのですが、このお薬にはとてもすばらしい利点がございます。それは、このお薬が作用している間に絶頂を与えた人間に関してだけはその効力が持続するのでございます。しかも、死んでしまわない限り、けしてその効力が消えることはないのでございますよ」
 その言葉を聞いて桐子は恐怖した。
 そんなことになったら……。
 一生この男の奴隷として生きていかなくてはならない……。
 逃げなくては!
 今すぐ、この場所から、この男の前から。
 でも、実際にはどんなにあがいたところで、逃げ出すどころかテーブルの上を舐めまわすことすら止めることはできなかった。
 テーブルは桐子の流した唾液でビショビショになっていて、とても気持ちが悪い状態である。
「ああ、そうそう。そう“テーブルを舐めるのは止めて”かまわないでございますよ、桐子さま」
 思いついたように便三がそう言った。
 その瞬間、桐子は顔を便三に向けてわめいた。
「あ、あなた、正気じゃないわ! わたしを自由にしなさい! こんなことしてただてすむとお思いですか? あなたのしていることは、明らかに犯罪です!」
 胸を締め付けるような不安を隠すように。
「この便三めにわざわざ教えくださって、大変恐縮でございます。そのお言葉は心の隅のほうにでもとめておくことにして、とりあえず“服でも脱いで”いただけますかな?」
 便三は桐子の言葉など歯牙にもとめてなかった。
「て、手が勝手に服を……。や、やめなさい! と、止まりなさい!」
 気丈にも桐子はそう言った。
 でも、それは自分の体。
 それが自身の意思に反して動いているのだ。
 そんなことで止まるわけがない。
「この便三めに“すべてを見せて”いただきたいですなぁ、桐子様」
 スーツを脱ぎ捨て、ブラをはずし上半身のバランスのよく取れた肉体をさらけだした桐子は、今度は立ち上がりタイトスカートを脱ぎ始める。
「こ、こんなこと、いますぐやめさせなさい! あっ? ま、まさかそんな……、それはダメ!」
 パンストも脱ぎ、最後の一枚となったパンティに手がかかっている。
 抵抗などはできなかった。
 言葉とは裏腹に、桐子の体はなんのためらいもなくそれを脱ぎ去る。
 色白の美しい体とは裏腹に、あまり手入れされていない黒々と縮れた毛が淫らしく自己主張をしていた。
「そんなところでは、じっくり観察できませんのでもっと“近くに来て”いただけますかな、桐子さま」
 桐子の体はその指示にしたがった。
 顔をそむけ、便三の方を見ないようにすることが、桐子ができる精々の抵抗だった。
 ビクッ!
 桐子の体が一瞬反応する。
 いきなり便三の手が、桐子のあそこに触れてきたからだ。
 たまらないほどの嫌悪感。
 でも、もちろんその手を振り払うことはおろか、一切の抵抗を示すことすらできなかった。
「まだ濡れてないようですなぁ、桐子様。まぁこれから色々とお教えして差し上げますから、なにも心配する必要はないですぞ」
 そういいながら、便三がしたこと。
 それは自分のズボンのチャックを下ろすことだった。
 そして中からつかみ出したのは、黒々とひかる凶悪なまでの太さと長さを備えた一物。
「汚らわしい!」
 思わず桐子が言っていた。
 なんのつもりかわ知らないけど、それは桐子の心からの言葉。
 そして、心の底からの不快感。
「なんとも楽しいですなぁ。その汚らわしいものを、あなた様の“口で舐めて”きれいにしていただけるのですから」
「いやっ! いやっ! そ、そんなこと……できない……。しないで……したくな……う、うううっぐっうっ!」
 便三の足元に跪き、不快なものを口をいっぱいに開いてほうばる。
 桐子の抵抗。
 それは言葉だけだった。
 それも口に入りきれないくらい巨大な一物のために、完全に封じられてしまう。
 便三は両手で桐子の頭を掴むと力任せに桐子の頭を前後に激しくゆすりながら、次の指示をだす。
「両手を使って気持ちよくなってください。このまま“オナニーをするのです”。でも、それだけじゃないですぞ、桐子様。わたしのこれを咥えた口は“あそこと一緒になる”のですからなぁ。当然、“同じように感じる”のですよ」
 そう言われたとたん、桐子の頭に衝撃が走った。
 口の中が熱い。
 溢れ出すよだれは、愛液と化し、のどの奥に巨大な一物を突き入れられるたびに、強烈な快感が脳髄を直撃した。
 さらにそれに桐子の両手が加わる。
 左手は胸を激しく揉みしだき、右手はスリットの奥をかきだすかのように激しく動く。
「うぅぅぅっっっん! うっうっうっうっ!」
 桐子の喉の奥からくぐもった声が聞こえる。
 それはもはや言葉ではなかった。
 たまらない不快感は、そのまま強烈な快感へと取って代わられている。
 そう、心が真っ白になるくらいの。
 ドン!
「アン!」
 いきなり便三が桐子の体を突き飛ばす。
 強烈な快感のために半ば意識を朦朧とさせた桐子が、床の上で小さく悲鳴をあげた。
 いきなり咥えるものを失った口が、金魚の口みたいにパクパク動いている。
「ふあうぅぅぅ。……だめっ……」
 桐子が言った。
 なにがだめなのか……それは桐子自身にもわからない……いや、分かりたくないのかも知れない。
「ボサッとしてねぇで、とっとと“ケツをこっちに向る”んだよ!」
 便三の口調がいきなり変わった。
 本性を隠すのにもあきたのだろう。
「うう……」
 強い羞恥心と、それ以上に強烈な飢餓感とにおそわれながら、後ろ向きに大きく足を広げてお尻を便三の方へと持ち上げてみせる桐子。
 便三が強大な一物を桐子のすっかり濡れきったあそこにいきなりねじ込む。
「きもち良くしてやるよぅ……」
「ふあああっ!」
 甘い声を桐子があげた。
「そうすりゃあよう……」
 便三の腰の動きがどんどん加速する。
「ふいぃぃぃっっっ!」
 桐子が泣き叫ぶ。
「“一生俺様の言うことならなんだって聞くメス犬になる”んだぜぇぇぇっ!」
 その言葉は桐子の心の一番深い場所に刻みこまれた。
 けして消すことのできない言葉。
 それは桐子の根幹となり、その言葉を取り去ることは桐子の魂を消失させるのと変わりない。
 つまり、その言葉こそが桐子の本性となったのだ。
 たとえどれほど表層の意識が逆らおうとも、どうすることもできない。
 砕けた皿が元にもどらないように、作り変えられた桐子の深層心理はもう元に戻すことはできない。
 たとえ、どんなに強烈な暗示を掛けられる術者がいたところで、そんなことは不可能なのだ。
 便三が様々な人体実験を重ねて作り上げた薬は、そういう薬だったのである。
「うんっ、あんっ、あうぅっ! もっと、もっとおっっっ!」
 でも、今の桐子にとってそんなことは関係なさそうだった。
 ただ与えられる快感のままに、ただひたすら腰を振りつづける。
 そこには、理性の介在す余地などなかった。
「いくぜぇ、これでてめぇは、“一生俺様の言うことはなんでも聞くメスになったんだぁ!!!”」
 便三が叫ぶ。
「いあーーーっ。ひぃぃぃぃ、いいいいいっくっっっっのうぅぅぅっ!」
 桐子はイッた。
 魂ごともっていかれそうな快感とともに……。

「院長先生!」
 そういいながら、少女が便三の宿舎に飛び込んで来た。
「なんの用ですか?」
 テーブルの席につきお茶を飲んでいた桐子が、落ち着いてそう答える。
「た、た、た、た、たいへんなんです!」
 とても可愛らしいブルマー姿の少女は、なにかかなりあせっているようすだった。
「落ち着いて話しなさい。一体なにがあったというのです?」
 少女を諭すように、桐子が言った。
「あ、あ、あ、浅間さんが、浅間さんが、き、き、急に、た、た、たおれちゃったんです!」
 それを聞いた桐子の反応は速やかだった。
 イスから立ち上がると、
「それで今はどこにいるのです?」
 そうたずねる。
「わたしをすぐに案内しなさい!」
 そう言ったときにはもう、歩き出していた。
 そして入り口のところで一度だけ便三のほうを振り返り、
「それではわたしは帰ります。あなたには明日から働いていただきますが、くれぐれも節度ある行動を心がけてください」
 そう言ってでていった。
 まるでこの部屋でのできごとが、なにもなかったかのように。
「こりゃあ面白くなってきたなぁ。くくくっ」
 そう言って便三は、一人残されたほの暗い部屋の中で嗤っていた。

< つづく >

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