ニャルフェス 第3話 ニャルフェスの誤算(2)

第三話 ニャルフェスの誤算(2)

 そこは、砂漠のど真ん中だった。
 すでに日が落ちて久しく辺りは凍てつく寒さに包まれている。
 天頂には月が輝き、砂漠を青白く染め上げていた。
 人気がない……というより、生命の気配が存在しない世界。
 ひたすら静まりかえり、ときおり吹き抜ける風だけがそこに変化をもたらす。
 そんな場所。
 そこにひとつの影があった。
 いつどうやってそこに現れたのかはわからない。闇が集(つど)いそのまま固まったようにも見える。
 でもそれは確かに人影だった。
 その影は、右手に一本の杖を手にしていた。
 それを天にかざすと空に青い光を放つ円陣が現れた。
 次いで地に向けてかざすと今度は砂丘の上に、赤い光を放つ円陣が現れた。
 二つの円陣の間に光の幕が降り、それが眩い光を放ち始める。
 昼間よりもなを強い光が砂漠に満ちた。
 あまりに強烈な光。
 それは闇よりも強力に視界を閉ざしてしまう。
 でもすぐにその光は消えた。
 痕跡すら残さずに。
 後に残ったのは以前と同じ砂漠の風景と、巨大な門。
 月の光をうけて燦然とした輝きを放つ、白と白銀と金色の巨大な門。
 10階建てのビルくらいはあるだろうか。
「ふむ、呼び出せても門は開かぬか……。やはり理(ことわり)をなすには、神の御手を抹消する以外にないか。ナザレでは神の御手に及ばなんだが今度はそうはいかぬぞ」
 ひどく重みを感じさせる声だった。
 それと威厳。
 その言葉の一言一言が圧倒的な存在感を感じさせる。
 月の光に照らし出されたその姿は、彼の正面にある輝ける巨大な門と同じ……いやそれ以上に強烈な迫力を持ってそこにあった。
 たぶん普通の人間がその前に立ったなら、誰もが何もいわれなくともその前に額づいたことだろう。人と同じ姿をしていても、最も根源的な部分で人とは異なっている。
 そのことを疑う人間はおそらく皆無のはず。
 人影がふと月を振り仰ぐ。
 月の光に照らし出されたその顔は、到底ひとが持ち得ないような美しさと力をたたえていた。
 あまりに美しすぎて、男とも女ともつかないその存在が向けた視線の先にあるもの。
 月の中にできた一点の黒い染みのようなもの。
 それは急速に広がってゆき、ひとの形となった。
 でも人であり得ないことはすぐに分かる。なぜならその背中に大きな漆黒の翼があったから……。
「ひさしいな、堕ちしものよ」
 空から舞い降りてくる、黒き翼を持ったものに語りかける。
「そうかな? ついこないだのようにも思えるけど」
「最後にあったのはゴルゴダの丘だ。もう、二千年はたとう」
「ああ、そうだったね。あのときのことはぼくも良く覚えているよ。君が理(ことわり)をなそうとして彼をあそこに導いたんだったね。でも彼が御手としてすべてを受け止めてしまったから、結局理(ことわり)をなすことはできなくなってしまった。あのときの君の顔ったら、とても楽しかったよ。今でも目を閉じるとすぐに浮かんでくるくらいさ」
 漆黒の翼をゆっくりと羽ばたきながら、彼は楽しそうにそういった。
「ふん、今度はそううまくはいかぬぞ。理(ことわり)はなさねばならん。不完全なものどもを浄化しこの世を清める。それこそが主のご意志である」
 その声は圧倒的な威厳をたたえ、強烈な意志をかんじさせる。
「あいかわらずだね、君は。でもリリンを浄化させたりはしないよ。まだ門はあいてないから、君だってすべての力を使えるわけじゃないしね」
「だが、きさまを消し去ることくらいならたやすくできるぞ」
 その言葉とともにとてつもない力が辺りの大気をふるわせる。
 けして、冗談などではない。
 そういうことなのだろう。
「こわいなぁ。さすがに12翼を持つ御使いは迫力がちがうね。いやぁたいしたもんだ」
 言葉とはうらはらに、漆黒の翼を持つものはちゃかしたような答えをかえす。
「ふん、そんなことをいうために姿を見せたのか?」
 なれているのか、その様子にまるで取り合わない。
「まぁ似たようなもんだね。もうぼくのほうの用事はすんだし……」
「き、きさま、まさか!?」
「やっと気付いたようだね。楽しかったよあなたとひさしぶりにお話できて、ね」
 力強く漆黒の翼がはばいたとき、その姿は消えうせていた。
 いつのまにか、巨大な輝ける門の四隅には米粒くらいの大きさで紋様がえがかれていた。
 それと門の中央にもそれらよりほんの少し大きめの紋様が描かれている。
 極小の封陣だった。
「くっ。こざかしいマネを。こんな封印などすぐに解いてくれる!」
 だけど始めてみて、彼はその困難さにあらためて気付くことになる。
 この小さな封陣は、巨大な門全体を逃げ回ったから。
 確かに捕まえることができたなら、一瞬で解除できるのだけれど……。
 彼の戦いは始まったばかりだった。

………………

 かびたは、すっころんでいた。
 それこそみごとに完璧に文句のつけようのない転びかただった。
 これくらいみごとにすっころべるのは、かとちゃん以外にはかびたくらいしかいないんじゃないかっていうくらい完璧なすっ転び方だった。
 おまけにすっ転んだ反動で、みごとにワックスをかけて磨き上げられた廊下の上をずりずりとすべっていって、とある女子生徒の股の間にずぽっと頭を突っ込んでしまうあたりもその完璧さを証明していたりする。
 しかもそのとある女子生徒というのが現生徒会長として学園で強権をふるっている高島由利亜だったりするのだから、これはもうおみごとというしかない。
「やは」
 力ない笑みを浮かべて、スカートごしに挨拶をするかびた。
 それにたいして由利亜は悲鳴をあげたりすることはなかったし、もちろん返事をかえすことも当然なかった。
 おもむろに片足を上げると……。
 ばす!
 ぐにぐにぐにぐに。
 かびたの顔を思いっきりふみつけてる。
 かびたはとっても痛かったけど、ほんのりと気持ちよかったりもした。
 ちょっとアブナイかびただった。
「だじょうぶですか?」
 そういながら慌てて誰かがか近づいてくる。
 もちろんかびたに向かってではない。
「当然ですわ、このわたくしがこのようなものにどうにかされると思いまして?」
 そういうなり、そのふたりは廊下の上に倒れてるかびたのことはほったらかしにして歩きだす。
「い、いいえ! もちろん高嶋会長をこんな下賎のものなどにどうにかできるなどと思ってもみませんが……でも万が一っていうこともありますし」
 どうやら由利亜のとりまきのうちの一人らしい。
 それも見た目は可愛い感じの女子生徒なのだげど、言ってることはけっこう……。
「万が一などありませんことよ。あなたもわたくしの部下なのでしたらそのくらい……」
 由利亜がそう言いかけたとき、自分の部下の様子がおかしいことに気付く。
「ちょっとあなた、聞いてますの?」
 そう声をかけても返答はかえって来ず、何やら不思議そうに首をひねると由利亜のことを無視してとっと歩き出す。
 そもそもなんで自分は廊下で話しなんかしてたのか、不思議がっている。
 そんな感じだった。
「ちょっとお待ちなさい。お話は終わっていませんことよ!」
 背後から呼び止めようと由利亜が手を伸ばすと、虚しく空振りする。少し追いかけて肩に手を伸ばすがそれも同じ。かすめるんじゃなく、つきぬけてしまう。
「ち、ちょっとどうなってるんですの?」
 よく見ると自分の腕が透けていた。腕だけでなく体全部が……。
 一体自分に何が起こってるのかわからず、呆然とたちつくす由利亜。
 そのときかびたは、天井にお花畑を見ていた。黄色いお花がいっぱいにひろがり、白い蝶々がひらひらととんでたりなんかする。
 気持ちよさそうだった。
 そのままそこに行っちゃいたい誘惑にとらわれるけど……。
「うあっ!!!」
 声を上げて起き上がるかびた。
 あぶないところだった。
 今の攻撃はかなりやばかった。
 かびたのあまり丈夫ではない心臓がドキドキいっている。
 かびたがかろうじて意識をつなぎとめることに成功したとき、由利亜のほうは。
「な、なんだったんですの? 今のは?」
 透けていた体が、元にもどっていた。
 まるで何事もなかったのように。
「高島会長どうされたんです? いきなり立ち止まったりされて?」
 由利亜のことを無視してとっとと歩いていこうとしてた部下が、由利亜のことを不信そうに見ながらそうたずねてくる。
「なにをおっしゃってますの? おかしかったのはあなたではありませんこと? いきなりこのあたくしのことを無視したりして。 まったく、どういうおつもりですの?」
 由利亜ははっきりと不快さをあらわにして、自分の部下を問い詰める。
 すると……。
「えっ? あっ、そういえばあたし……。急に自分が一人で話してるような気になって……、高島会長のこと……」
 彼女は見てて気の毒なくらいまっさおになって、あわてて深々と頭をさげる。
「ご、ごめんなさい。あたしどうかしてたんです! 高嶋会長のことわすれちゃうだなんて! お願いします。あたしには親も兄弟もいるんです。なにとぞ、なにとぞ命ばかりはおたすけください。お願いしますぅ~」
 そういいながら、なんどもペコペコと頭をさげまくる。
「あ、あなたわたくしをなんだと思ってるんです? まったく……本当はなにもするつもりはなかったんですけど……気がかわりましたわ。 あなたには後日きちんと責任をとっていただきますから。………………でもそうなると、気のせいばかりともいってられないですわね……」
 由利亜は気を取り直すと、なにやら考え込みながら廊下をふたたび歩き始めた。
 でもいくら聡明な彼女でも、さすがにかびたと結びつけて考えるまでにはいたらない。
 まぁ由利亜の場合、このさいいささか問題のありそうな性格がネックになってるともいえるけど。
 かびたはどうにかふらふらと立ち上がると、ポケットから真名帖をとりだす。
 かびたの目には真名帖が三つくらいに見えてたりする。
 一応立ち上がってはみたけど、どうにもあぶなっかしいかびただった。
 それでも高島由利亜の乗ってるページを広げてみる。
“確かにあのときわたくしは体が希薄になってましたわ。第三者の意見からしたら、わたく体がっていうより、わたくしの存在そのものが希薄になっていったていう感じですわね……。だとしたらわたくしは……”
 そこでかびたが自分の意識を真名帖に割り込ませる。
“……わたくしは疲れているのですわ。これはすぐにでも保健室にいって休まないといけないですわね”
 再び由利亜は廊下の真中で立ち止まった由利亜を、彼女の部下は不安そうにながめる。
 でも賢明にも今度は声をかけたりはしない。 たぶん今のでこりたのだろう。まぁ無難な判断だといえる。
「あなたは先に生徒会室においきなさい。わたくしは少し遅れるとみなさんにお伝えなさい」
 そう由利亜が指示をだすと。
「えっ? どちらにおいでになるんで……」
 そう聞きかけていて、その娘(こ)はすぐになにやら思いついらしく、両手をポンとたたいて、
「ああ“おっきいほう”ですね? わかりましたみんなにしっかりとお伝えしておきます。心置きなくたっぷりと出してきて、ギャン!!!」
 言いかけたところで床の上に白目をむいてころがっていた。
 由利亜の放った必殺の踵落しがきまったためだ。
 無理もなかった。
 たぶんこの娘(こ)はあんまし長生きでないのではないだろうか……。
「さぁ保健室にいきませんと……」
 そういって自分の部下を廊下にほったらかしにして、保健室へむかった。
 もちろんかびたもそれについてゆく。
 目的地についたとたん、由利亜は自分自身に戸惑っていた。
 やってきたのはいいけど、なんのためにか思い浮かばなかったからだ。
 入口のドアの前でそのことのおかしさに気付く。
“よく考えたらさきほどのことと保健室とはまるで関係ないですわ。なんであたくしはこんなところにこようなどと考えたのですかしら? 用がないんですから、こんなところ……”
 そこでまたかびたの思考が割り込む。
“……せっかくきたのですから立ちよることにいたしますわ”
「ふぃ~っ」
 そんな溜め息をついたのはかびた。あぶなく立ち去られてしまうとこだった。
 かびたも由利亜に続いて部屋の中に入る。
 部屋の中には由利亜が一人っきりだった。
 保健の先生は今かびたの使徒となった氷川玲子が連れ出している。
 ことが終わるまで引き止めてくれるはずだ。
「あらあなたさっきの……。どういうおつもりですの?」
 かびたに気付いた由利亜が聞いてくる。
 目をわずかに細め、腰を低くおとす。
 いきなり戦闘態勢にはいっていた。
 なかなかなんぎな性格のようだ。
 でもさすがにかびたも自分がこれ以上ダメージを受けたらヤバイことになるってわかってたから、いきなり真名帖をつかう。
“まったくあたくしの後などつけたりして、こいういう手合いにはいやというくらい思いしらせなくてはダメですわ”
 みたらどうもやるき満々みたいだった。
 そうしてる間にも間合いはつまってきてる。
「だいじょうぶですわ、わたくしに逆らう気が起きないくらいに叩きのめしてあげるだけですわ」
 ぜんぜん大丈夫じゃなさそうなセリフを由利亜が言っている。
 もちろんそんなことをすれば、どういうことになるのか知らないから言えるセリフなのだろうけど……。
 もう二人の間合いは、完全につまってた。
 由利亜の浮かべてる美しい微笑が、かびたにとってはむちゃくちゃ恐ろしかった。
 右の手が上段の位置に構えれている。
 一撃でしとめるつもりなのだ。
 もう、ゆうよはない。
 かびたは由利亜を見るのをやめて(かなり勇気がいったけど)、真名帖に神経を集中する。
“さぁ、はやいところ思いしらせてあげませんと、二度とわたくし……”
 かびたは、その瞬間に決定的思考を割り込ませた!
 たぶん、かびたにとっては画期的な思考を。(まぁかびたも追い詰められてた、っていうことかもしれない)
“二度とわたくしはこの方のおっしゃることにはさからえませんわ。どのようなことでもこの方のおっしゃるとおりにしてしまいますわ!”
 一気に辺りに張り詰めていた空気がやわらいだ。
「ふひぃ~っ」
 かびたは無意識のうちに止めていた息を、一気にはきだす。
 それの様子を、由利亜はじっとみている。
 かびたの命令を待っているのだ。
「由利亜さん?」
 一応確かめておこうと、恐る恐るかびたがたずねると。
「はい……」
 由利亜は短く返事を返すがそれだけだった。
 他にはなんの反応もない。
「ぼくのこと知ってる?」
 さらにかびたが聞く。
「いいえ、ぞんじませんわ」
 その答えはまぁ当然だろう。
 言ってるかびたもそう思った。
「ぼくは、華美かびた。かびたってよんでね」
 どうやらかびたは自己紹介から始めるつもりらしい。
「かびた…………さ……ま」
 最後のさまはかなりいいずらそうに発音する。
 たぶん由利亜の強力なプライドが邪魔してるのだろう。
「じゃあ、ぼくのこと見てどう思う?」
 この質問に由利亜は、
「大嫌いですわ。はっきりいってむしずが走りますわ。最低から2番目くらいには嫌いだと思いますわ」
 きっぱりと即答してくれた。
「ふぃ~~っ」
 思わず溜め息なんかつくかびた。
 こんな娘(こ)も抱かなきゃなんないっていうのは、ちょっち気が重かった。
「でも僕の言うことにはしたがってくれるんだよね?」
 かびたが一応ねんのために確しめてみると。
「も……ちろんですわ。ど……んなことでも従いますわ」
 なんか思いっきしいやそうに由利亜が答える。
「本当は従いたくないんでしょ?」
「当然ですわ。わたくしはどなたにも従うことなどゆるされないのですから」
 わかってはいたことだけど、やっぱなかなかしんどいことになってしまった。
 相手を自由にできるのだから、そのまま好きにやっちゃえばよさそうなものだけど。
 でもそれができないのが、かびただった。
「とり合えずさ、べッドで話をしようか」
 かびたが指示を出すと、由利亜はだまってそれに従った。表情にはあからさまなくらいに苦渋の色が浮かんでいる。
 よっぽどいやなのだろう。
 由利亜がベッドに腰を下ろすまでの間、かびたは真名帖に注目していた。
“なんでわたくしはこんな下賎のものの言うことに従っているのですの? わからないですわ。わたくしは常に頂点にいなくてはなりませんのに。このままでは、高島家の名に泥を塗ってしまいますわ。お母様はけしておゆるしにならない……でもこのモノの言葉にはなぜか従がわずにはいられないですわ。一体どうすればよろしいのでょう? 困りましたわ。困りましたわ……”
 どうもかなり混乱しているようだった。
 かびたには真名帖に表示された由利亜の心の声がとても気になった。
 何か強力な力に引き裂かれそうになっていて、息絶え絶えになりながら悲鳴を上げている。
 そんなふうにかびたには見えたのだ。
 もちろん本人にそんなことを言ったところで、全力で否定されるに決まっているけど。
「それじゃ、ここに席ってよ」
 べッドに腰かけて、自分のとなりをポンポンとたたきながらかびたが言うと。
”まったく不愉快ですわ。このようなやからのとなりに座るなんて。しかもさからうことができないなんて、とても不本意ですわ“
 真名帖にそう表示される。
 由利亜はかびたのすぐ横にぴったりとひっついて座った。
「ねぇ高島さん。君のことちょっと聞かせてよ。たとえばさ、小さい頃ってなにになりたかったの?」
 その質問に由利亜は心底いやそうな表情を浮かべる。
“な、なんだってそんなことをお聞きになるのです? い、いやですわ。絶対に答えたくないですわ。でも……”
 心の中の葛藤はあっさりと終わる。すぐに話し始めたから。
「お、お嫁さんですわ。……大好きな方と結婚して……ず、ずっと一緒に……ですわ」
 由利亜は顔を真っ赤にしながらそう話す。
 よっぽど恥ずかしかったのだろう。たぶんそんなセリフを聞けば、10人が10人とも驚くに違いない。それどころか由利亜の正気を疑うものもいるかもしれない。
 だけど……。
「ふ~ん、そうなんだ。素敵だね、とってもかわいいよ高島さん」
 かびたは驚かなかった。
 それどころか、妙になっとくしてるみたいだし……。
 でもかびたのセリフに由利亜のほうは驚いていた。
 自分がこの夢を話したとき、こんなことを言われたのは初めてだったから。
 母に語ったとき、母は彼女をしかりつけた。高嶋家の頂点を継ぐものは、そのような陳腐な夢など持つものではないといわれた。
 自分のお付きのものに話したとき、懇々とさとされた。高嶋家の頂点となるべき定めのものに、男など利用するための道具以外のなにものでもないと。
 彼女の夢を笑うことなく素敵だというものは、ただの一度もあらわれなかった。
 彼女のことを美しいという人間は無数にいたけど、可愛いなどという男は初めてだった。
「じゃぁさ。きみのおかぁさんってどんなひと?」
 その質問をしたとたんだった。
 由利亜の体が小刻みに震え出す。
 両手で自分自身を抱えるようにして……。
「と、とても強い方ですわ。強くて美しくて世界で一番すばらしい人ですわ」
 それが由利亜の答え。
 心の中も。
“おかぁさまは、すばらしい。世界で最高にすばらしい。完璧な女性(ひと)……”
 というものだった。
 でもそんなにすばらしいのなら、なぜ由利亜の体は震えている。
 どうして、彼女は自分自身を守るように抱えなければならない……。
「だいじょうぶ。だいじょうぶ。ぼくがいるよ。ぼくがすべてをゆるすから、きみはありのままに……」
 由利亜の肩をだき、その耳元でささやくようにかびたがつぶやく。
 たったそれだけで、由利亜の体の震えは止まっていた。
 暖かかった。
 何か大きなぬくもりに包まれている。
 由利亜の心の中を、生まれてから一度も経験したことのないような平穏が占めている。
 だけど、由利亜にとってそれはあまりにも異質な感情だった。
“じ、じょうだんじゃありませんわ! このような下賎のものにこのわたくしが心をゆるすなどと……。そ、そのようなことなど、絶対に絶対にありえませんわ!”
 全力で否定しようとする。
 でももう一方の彼女の心はもうかびたがもたらしたやすらぎに、その身をゆだねたいと泣いていた。
 あまりに長いこと冷たく凍りつかせてしまった心は、自分自身をひきさいてしまいかねないほど強く彼女を縛り付けている。
 そこでかびたはふたたび真名帖で自分の心をすべりこませる。
“このわたくしは高嶋家の統領となるべき定め。それが、このような下賎のものなどに心をゆだねるなど……、ゆだね……てもよいのですわ。そう、このかたにすべてをゆだねて……”
 かびたは、力の抜けきった由利亜の体をそっとベッドの上に横たえる。
「ぼくにすべてをまかせて。だいじょうぶ……、だいじょうぶ……」
 かびたは、由利亜についばむようなキスを繰り返しながら、耳元でそうつぶやく。
「あうんっ」
 首筋にキスをしたとき、由利亜は小さくあえぎ声をもらした。
 かびたは、さらに真名帖を使って由利亜の快感を加速する。
“だめではすわ。このようなことなど……わたくしわ……あううんっ。きもちいいですわぁ”
 今はそのこと意外考えられないように、快感以外の感覚をとりのぞいてやる。
 由利亜が処女なのはわかっていたから。
「さぁ、服を脱いで……」
 かびたは由利亜にそう指示をだしながら、彼女が服を脱ぐのを手伝ってやる。
 もちろんその間にもかびたの手足と口は休むことなく動き、彼女に快感を送りこんでいる。
「うっうっうっくぅぅぅ」
 それまで必死で耐えてきた由利亜だったけど、ついにこらえきれなくなる。
「いっ、いっ、いうっっ!」
 本人は必死で耐えているつもりなのだろうけど、もうその表情は迫り来る快感にとろけていた。
 すでに自分が全裸になっていて、べッドの上で淫らに体をくねらせているなんて気付いてすらいないだろう。
 だけど、かびたにとってこのくらはまだ始まりに過ぎない。
 一通り由利亜の体をまさぐって、その体中のあちこちにある由利亜の感じる部分をさぐりあてていた。
 それを両手と舌を使い、本格的に責め始める。
「くぅおうっっっ!! あうっんっ! いいいいいっですぅぅぅわぁぁ!!!」
 由利亜は一瞬で崩壊する。
 彼女に襲いかかった快感。
 それは彼女の中に残っていた理性とともに彼女が一人でずっと抱え込んでいた重くつめたいものが、とけてくずれていった瞬間だった。
「いいっ! いいぃぃぃぃぃぃっっっ!!! もぉぉぉっっっっっとぉぉぉうううっ!」
 もう由利亜の心を縛るものは何もなかった。
 圧倒的に広ろがる快感の海の中で、由利亜の心は開放される。
 その海を生み出すものはかびた。
「うっああんっっ! はあぁぁぁうぅぅぅんんんっ!!」
 まったく遠慮というもののない声が、保健室いっぱいに広がる。
 もう快楽にひたりきっていたけど、でもまだ足りない。
 大切なもの。
 それがあたえられるまでは、ほんとうに満たされることはない。
 由利亜は始めてだったけど、不安なんて微塵もなかった。
 待ち遠しい。
 これほどまでに何かを欲しいと思ったことは生まれて初めてだった。
 心が、体が、由利亜のすべてがせつないくらいにそれを求めている。
「いくよ、高島さん」
 かびたがやさしくつぶやくように言うと、その言葉だけで由利亜はイッてしまいそうになる。
 でも、そんなのはほんの余興にすぎなかった。
 かびたの鍛えられたいちもつが由利亜の中に押し込まれる。
 由利亜は自分の小さく何かが裂けるのを感じていた。でも、そんなものはまるで気にならなかった……いや、気にする余裕がなかった。
「はぁぁぁううううううううっっっっっ!!!」
 由利亜がほえる。
 あまりに強烈な快感と、すべてが満たされた幸福感。
 そういった感覚がそれ以外のものすべてをあっさりと押し流す。
 両目を思いっきり見開いているけどその目にはなにもうつってはおらず、耳に入る全ての音は頭にとどかない。
 今の由利亜にとって存在するのは快感と、それをもたらしてくれるかびただけ。自分自身だってもはやどうだってよい存在に過ぎない。
「だいじょうぶ? 動くよ?」
 股間から処女の証を溢れ出させている由利亜に、かびたが心配そうにそうたずねる。
「ふぅあんっっっ!」
 というのが由利亜の返事だった。
 とても、まともに返事なんて返せる状態じゃないようだ。
「ほよっ!」
 なんか間の抜けた声を出して、かびたが自分のものを突き入れると。
「ぎぎぎぎぎぎぎぃぃぃぃぃぃぃぃっっっっっっ」
 声にならない声をあげながら由利亜は全身をのけぞらせる。
 由利亜は自分の上にかびたを乗せたまま、美しいブリッジを形づくる。
 かびたが腰の動きをゆるめないかぎり、息をすることもできないほどにすさまじい快感。
 目、鼻、口、女陰(ほと)、全身の毛穴、そのすべてから体液をたれ流ながしてよがり続ける由利亜。
 ほんのわずかに制御を間違えば、圧倒的な快感がそのまま苦痛へと変ってしまう。そんなきわどい極限の快楽の世界にいる。
 でもまだ由利亜は知らなかった。それよりもなを上の快楽が存在することを。
「最後だ。いくよ!」
 かびたが宣言する。
「イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛」
 それはかびたの精が放なたれた瞬間だった。
”真名をささげて”
 声を聞いた。耳から聞こえたのではない声。
 命令ではない。その声は由利亜の意志そのものだから……。
 だから彼女にできる答えは一つしかなかった。
 己の真名をささげ、変わりに手に入れたものは心の平安。
 自分自身のすべてをささげてしまった彼女には、怒りも不安も哀しみも無縁のものだった。
 もうなにものにも由利亜の魂をきずつけることはできない。唯一絶対の主たるかびたを失なうこと以外に、彼女をきずつけることは存在しなくなった。
 あれほどまでに由利亜の心を思慕や恐怖でしばりつけてきた母。
 まるで彼女の上に君臨する絶対の神とすら思えた母。
 でも今はとるにたらない存在でしかなかった。
 由利亜はたった今、主に仕える使徒となったのだから。
 そして、かびたの持つ真名帖に新らたな真名が記載された。

 ガラッ。

 ドアが開く。
 誰かが保健室に入って来た。
 それに真っ先に反応したのは由利亜だった。
 ほぼ一瞬ではねおきてベッドからとびおり、かびたをかばうように立つ。
 もちろん全裸のままだけど、はずかしいそうなしぐさなど微塵もなかった。
 入口とべッドの間にはついたてがおかれており、誰が入って来たのかはわからない。常識的に考えたら保健の先生なのだろうけど、今の由利亜にはそうでないことがはっきりと確信できていた。
 誰かはわからなりけど、強烈な殺気をかんじとりそれに反応をしたのだ。
 幼い頃からマーシャルア一ツをやっていて男を含めて大概の人間なら倒せるだけの実力を持っていた。でもこの相手にはまるで通用しないだろう。
 由利亜が感じている殺気がそう告げていた。
 けど怖くはなかった。
 自分には力がある。それも巨大なカが。
 かびたに真名をささげ使徒となったときにさずけられた力。
 由利亜はそれを少しときはなち、力で体を包みながらついたての向う側との間合いをはかる。
 しかけるタイミングを待っていたのだ。
 由利亜にとって、相手が誰かなどどうでもよかった。殺気を持っている相手が主たるかびたに近づいている。それだけでしかけるための理由としては十分だった。
 そして相手がついたての向う側1メートルまで近づいたとき……。
 バンッ!!
 音とともに合板でできたついたては、こなごなにくだけちっていた。
「ハッ!」
 声とともに由利亜が放った一撃。
 全身の力を込めた右の正拳。
「ふっ」
 小さく声が聞こえたと思ったら、あっさりとそらされていた。
「ちぃぃっ!」
 力はそのままで、方向だけをそらされている。
 止まれない。
 だから由利亜は強引に右の拳を床に叩き込む。
 御影石で出来た床がはぜる。
 その動きをそのまま回転運動に使い、相手の頭上から蹴りを叩き込むけど。
 今度は空を切っていた。
「まだっ!!」
 由利亜は止まらずさらにしかけようとした、そのとき。
「やめっ!!!」
 声が聞こえた。
 それは、絶対的な声。
 さからうことはできない。
 由利亜は全裸の体中に無数の汗を光らせながら止まった。
 でも、視線は今まで戦っていた相手からそらさない。
 それは由利亜もよく知っている人物だった。
 彼女のこの学校の教師をやっている、氷川玲子である。
 部屋中に飛び散ったついたての残骸。
 大きくすり鉢状のくぼみができてしまった床。
 ほんの一瞬の間に、保健室はまったくひどい有様になってしまっていた。
 かびたは、おおきくため息をつきながら口を開く。
「玲子せんせい。保健のせんせいはどうしたの?」
 なんとなく想像はついたけど、でも一応聞いてみる。
「あとしばらくは、快楽の世界にひたりこんでいるでしょう」
 やっぱりレズってたらしい。
 もっとも気持ちよくなってたのは、一方的にむこうだけだったろうけど。
 使徒となった玲子を絶頂に導けるのは、主となったかびたしかいない。
「どういうことですの?」
 鋭く由利亜がたずねる。玲子に対する警戒をまだ解いていないらしい。
「どうやら、こちらのほうもうまくいったみたいですね。主よ」
 これ以上ないっていうくらい妖艶な笑みを浮かべて由利亜を見つめ、玲子がそういった。
 それは由利亜が知っている、いつも冷たい氷のような表情を浮かべていた担任ではない。
「あなた、なにものですの?」
 なをも由利亜がたずねると。
「あら? あなたにはわかるはずよ。同じ主に仕えるもの同士……」
 その言葉が終わらないうちに、由利亜は玲子に口をふさがれていた。
 使徒となった由利亜ですら、全身の力が抜けてしまいそうなくらい濃厚なディープキス。
 でも、由利亜はあっさりとそれを引き離す。確かに気持ち良かったけどそれだけにすぎない。由利亜を絶頂に導けるのは主たるかびただけなのだから。
「これは、あいさつよ? これから仲良くしましょう?」
 拒まれても、淫らさに満ちた表情をかえることなく玲子がいった。
「ふんっ! 馴れ合いはごめんですわ。 だいたいかびたさまの前で殺気を平気で放てるような使徒など、わたくしはみとめませんことよ! かびたさまはあたくしがいれば、どなたにも指一本傷つけることはできませんわ! ですから、あなたなどついている必要なんてないですわ!」
 どうやら、使徒となってもかびた以外に甘えるつもりは微塵もないようだった。
 そのプライドの高さはもう彼女の身にしみついてしまっているのだろう。
 ただ以前と違うのはかびたの存在。
 彼女のすべてをまったく無条件に受け止めてくれる存在がいるってこと。
 だから、以前にもまして由利亜には迷いというものがなかった。
 かびたのためなら、どんなことでもできる。
 かびたのためになることなら、どんなことでもする。
 それが今の由利亜にとってのプライドそのものだった。
「いいでしょう。かびたさまのためにも、わたしがずっとついてるのは良くない……。いろんな意味で、ね。……おまかせするわ、高島さん」
 玲子は以外なくらいあっさりと譲歩した。
 それとともにその表情からは、一切の淫らさが消え去った。
 まったくのいつもの冷たい氷のような表情が浮かんでいる。
「それでは主よ、わたしは次の準備にとりかかります。では……」
 そういい残すと、玲子は保健室から出て行った。
「ふぃぃぃっ……」
 小さくかびたは、ため息をつく。
 まったく、一時はどうなるのかと思った……。
 でもまだ後三人もいるのだ……。
 はたしてこれからどうなるのだろう?
「かびたさま、だいじょうぶですわ。このあたくしがいる限り、どんな犠牲をはらっても絶対にかびたさまをお守りいたしますわ」
 美しい全裸の体を惜しげもなくかびたにくっつけながら、かびたにとっての新しい悩みの種がなぐさめてくれた。

< つづく >

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