Shadow Twins 第8話 『伏線』

第8話『伏線』

 本日は双葉学園の定期試験。
 普段はのんびりした学園生たちも、こぞって勉学に励みだすのがこの時期の特徴。そこかしこの教室を覗くと、朝の早い時間や休み時間の合間にせわしなく教科書やノートとにらめっこ、などという光景が目に付くようになる。
 しかし、今回は少しばかり様相が違っているようで……

「『慶子ちゃん』、キス……しましょ」
「はい、お姉さま……」

 そう言って天王寺澪は葛城慶子とキスをする。互いの舌が絡み合う激しいディープキスだ。
 ここはトイレの個室。ドアを閉めて見えないようにはしているが、下手に音を立てれば人に感づかれてもおかしくない環境。しかし、そういうシチュエーションが二人の心をさらに盛り上げる。
 無言のままひたすら相手の唇をむさぼる。互いに唾液を吸い合い、与え合う。そのうち唇の間のわずかな隙間から唾液があふれ出すが、二人はそれさえ気にすることなくキスに専念する。強い吸引に、激しい舌の絡みに、互いの口が性器と化したかのような快感を覚える二人。
 やがて、どちらからともなく唇が離れる。

「じゃあ、慶子ちゃん。今日もあなたのあそこをチェックしてあげる」
「はい。よろしくお願いします、お姉さま」

 そう言うと慶子は洋式便器に腰掛けてスカートをたくし上げ、続いてパンティをぐいっとひき下ろす。

「お姉さま、いかがですか、今日の慶子のあそこは」
「いいわ、とっても可愛くてきれいだわ」

 澪に微笑まれ、幸せな気分になる慶子。そのまま今日のお勤めを済ませることにする。

「お姉さま、私が用を足すところをじっくりと見てください」
「ふふっ、えらいわ。自分から進んでお願いするなんて」
「ありがとうございます」

 褒められて快感が体中を走る慶子。その快感に身を任せると、尿道口から黄金色の水が溢れ出してくる。それがあそこを刺激し、慶子を更なる快感へといざなう。

「はああぁぁぁぁぁ……」

 その快感が思わず口から漏れてしまう。黄金色の水の流れが止まるころ、次の命令を下す澪。

「よく出来ました。ご褒美に慶子ちゃんのあそこを私がきれいにしてあげる。嬉しいでしょ?」
「はい……」
「でもね、慶子ちゃんは勝手にイッちゃ駄目。イキたくなったらちゃんと私に『イッてもいいですか、お姉さま』と聞くのよ。それで私が『いいわよ』って言ったらそこで初めてイケるの……分かった?」
「はい」
「よろしい。今度もいい子でいるのよ」

 そう言って慶子のあそこをしゃぶり始める澪。すでに澪の前で小用を足し、高ぶった状態で更なる刺激を加えられたため、慶子の頭の中はあっという間に真っ白になっていった。

「ふふっ、おいしいわ、慶子ちゃんのあそこ」
「ああん、お姉さまぁ……」

 高ぶった精神が全身の感覚を鋭くし、それがさらなる精神の高揚を導く……その繰り返しで高みへと上り詰めていく慶子。
 その高ぶりは次第に快感から苦痛へと変化する。しかし、どれほどに高ぶろうとも今の彼女は頂点に達することはない。そう『お姉さま』に命令されているからだ。
 快感に、そして苦痛に振り回された慶子の心はそこからの解放を望んだ。しかし、真っ白になった頭は解放のために必要な手続きの仕方を忘れかけていた。

「お、お姉さま……お姉さま……お姉さま……!」
「イキたい時にはどうお願いするんだった?」
「イ……イッて……イッてもいいですか……お、おねえ……さま……」
「よろしい、イッていいわよ。ただし、大声出しちゃ駄目」
「は……ふあぁっっっっっ!!」

 許可をもらえた瞬間、返事をする暇も与えられずに頂点に達する慶子。思わず声を出しそうになったのであわてて口を両手で塞ぐが、ほんのわずかだけ声が漏れ出てしまった。
 達してしまったことで気が緩んだのか、慶子は手を口に当てたまま頭から後ろへ倒れこみはじめる。その様子を見た澪はあわてて慶子の身体を支えてゆっくりと便器の上蓋にもたれさせる。

「ご馳走様でした。もう試験が始まりますし、そろそろ戻りましょう、『葛城先輩』」
「そうね……行きましょうか」

 澪に手を引かれ、力が入らずふらつきながらも何とか立ち上がる慶子。

 実のところこの二人は慶子のほうが上級生である。それがこのような関係になったのは、澪が男から授けられた『力』に起因する。澪が部活の先輩に当たる慶子を自分のものにしようとした際に植えつけた主従関係が、二人の間で微妙に変化し『年下のお姉さま』という奇妙な状況を生み出したのだ。
 当初はその感覚に戸惑っていた慶子も、今では澪の言葉一つで『素直で可愛い妹』へと変わってしまうようになっていた。慶子自身、それを半ば麻薬のような快感として受け取っており、結果両者の関係をいっそう強固なものにしている。

「そうそう先輩、こんな噂知っていますか?」
「噂って?」
「実はですね……」

 そんな会話を交わしながら廊下を進む二人。その姿を見て、つい数分前まで情事に耽っていたと想像できる人間は皆無であろう。

 同時刻、とある教室にて……
 机をはさんで向かい合い、勉強する二人の学園生の姿があった……風間由紀と工藤あゆみだ。
 二人ともこの時期の学園生の例に漏れず、本日最初のテストに備えていつもより早めに登校し、教室で追い込みをしている最中だ。

「えーと、酢酸とグリセリンがエステル化反応をする過程を化学反応式で示せ……って、エステル化ってなんだっけ、あゆみちゃん?」
「…………」
「もしもし、あゆみちゃん……あゆみちゃん?」
「……あ、はい。なんでしょうか?」
「ここ、エステル化ってなんだっけ?」
「それはですね……」

 由紀の質問によどみなく答えるあゆみ。当面の疑問を解消した由紀は、再度参考書と格闘を始めるが……

「そういえばさ、聞いた? 美影先輩や影美先輩の噂」
「聞いた聞いた……」

 突如脇から上がった『影美』の名に敏感に反応してしまう。見ると数人のクラスメイトが何やらひそひそ話をしているようだ。
 話の内容を詳しく聞こうとそれとなく耳をそばだてようとすると、それに感づいたのか、クラスメイトたちはくもの子を散らすかのように離れていってしまった。
 一体何の話をしているのだろうか……試験勉強をしないといけないはずなのだが、どうにも噂の中身が気になって集中できない由紀。

「ねえ、あゆみちゃん……一体何の噂話なんだろうねえ?」
「…………」
「あゆみちゃん……聞いてる?」
「……あ、はい。なんでしょうか?」

 何やら先ほどと同じような生返事を返すあゆみ。普段より反応が少し鈍いような気がする。風邪がまだ治っていないのだろうか……そう思い尋ねてみる。

「大丈夫、あゆみちゃん? 風邪がまだ治ってないの?」
「ええ、一応大丈夫です……それより何か?」
「ううん、なんでもないの」

 やはり普段と違ってボーっとしているような感じを受ける。これでは噂の事を聞いても無駄だなと思った由紀は、自分から話を打ち切った。
 あゆみの様子や噂話の内容がまだ気になる由紀だが、それよりも今は目の前の試験が先だと考え、再度試験勉強に集中するべくほっぺを二度はたいて気合いを入れる。
 目の前でいきなりほっぺを叩く由紀を見て、ちょっとびっくりするあゆみ。

「どうしたの、由紀ちゃん?」
「ああ、気にしないで。眠気覚ましだし」

 それに一応納得したのか、再びノートに目を落とすあゆみ。それにあわせ由紀もまた試験勉強との格闘を再開する。
 それでも人間、気になったことはなかなか頭から離れないようで、しばらくするとまた頭に雑念が混じってきてしまう。どうやら今回の試験はあまりうまくいかなさそうだなと心の中で思う由紀だった。

 数時間後……
 本日最後の試験が終わったことを告げるチャイムが鳴り、教室からため息のような低い音が響き渡る。解答用紙が回収され、先生が教室を出て行った瞬間、堰を切ったように私語が始まる。無論その内容の大部分は先ほどの試験について。互いに答え合わせするものあり、他人に答えを聞いて悔しがるものあり……悲喜交々がここにあった。

 そんな声の中、誰とも会話を交わすことなく黙々と帰る準備をするあゆみ。先ほどの結果を気にするぐらいなら明日の試験に備え、家に帰って勉強するほうがいい……なんともあゆみらしい冷静な考えである。
 あとはホームルームを待って帰るだけ……そんなあゆみの脇をクラスメイトが通り過ぎていく。そのとき……

「放課後、『人形のお茶会』に行きましょう」

 すれ違いざま、不意に告げられたその言葉がなぜか頭の中をリフレインする。何の意味もなさそうな他人のつぶやきのはずなのに、それが妙に気になる。思わず首を傾げるあゆみ。

「あゆみちゃん、今日一緒に帰ろ?」

 試験用の席替えの関係であゆみの前の席に座っていた由紀が振り返って聞いてきた。無論、その答えは……

「ごめんなさい、今日はちょっと用事が残ってて……」
「あ、そうなの? じゃあ一人で帰るね」

 そう言って身体を元に戻した由紀を見ながら、再度首を傾げるあゆみ。
 自身の記憶を辿っても、今日これからやるべき用事に心当たりはない。なのに、なぜ誘いを断ったのか……その理由の見当が付かないのだ。
 もしかすればやることだけを覚えていて内容が抜けたのかもしれない……そう思ったあゆみは今日の用事を思い出すことに神経を集中させた。もし思い浮かばなければ『記憶違いをしていた』ということにして、改めて由紀と一緒に帰ればいい。
 だが、いつまで経っても思い出すことが出来ない。それどころか何を思い出そうとしたのか、どうして思い出す必要があるのか……それさえも気付かぬうちに忘れてしまいそうになる。結局ホームルームが終わる頃には『とにかくさっさと用事を済ませればいいや』という割り切った結論に達していた。

 簡単なホームルームが終わり、帰宅の途につくクラスメイトたち。

「じゃああゆみちゃん、また明日ね~」
「ええ、それじゃ」

 手を振ってあゆみに別れを告げた由紀は、その足で影美がいる教室へと向かった。
 由紀が到着した頃、影美のクラスもホームルームが終わったようで、教室のドアから次々と人が出てきていた。
 人の波の中で早速影美を見つけた由紀は、その腕をひっ捕まえて声をかける。

「影美先輩!」
「ああ、由紀ちゃんか……どうだったの、試験の出来は?」
「あ、あはは……」
「笑ってごまかしても駄目だぞ、成績悪かったら陸上部で補習するからね」

 いつもと変わらぬ笑顔を見せる影美。だが、その周囲はいつもと少し雰囲気が違う。刺すような視線が由紀や影美に突き刺さっているような気がするのだ。やはりここにもあの噂が流れているのだろうか……精神的にどうも落ち着かない由紀。
 それとは対照的に影美はとても落ち着いた様子。噂を知らないのかそれとも受け流しているのか……いずれにしろこの雰囲気をもろともしない精神力に感服するばかりであった。

「……放っておいていいんですか、影美先輩?」
「何を?」

 この状況で尋ねるのもはばかれたが、周囲の視線に耐えかねてたまらず口を開いてしまった由紀。

「何を……じゃないと思います。聞いていますよね、先輩たちの噂。後輩を手篭めにしたとか、援助交際しているとか、知り合い巻き込んで乱交しているとか……」

 由紀が耳にしたさまざまな噂話を統合すると、おおよそそういう事である。由紀と影美の関係を知っているためか、面と向かってその話をするクラスメイトこそいなかったが、ほぼ学園全体に蔓延した噂話の大筋をつかむことはそう難しいことではなかった。

「ああ、それか……放っておきな。そのうち収まるから」
「でも、悔しくないんですか?」

『影美が非難される』という状況が気に入らない由紀は、不機嫌そうに膨れながら訴えかける。

「悔しい?」
「わたしは悔しいです。だって、謂れのない噂じゃないですか」

 そう言い張る由紀を見て心の中で苦笑する影美。少なくとも『後輩を手篭めにした』事に関しては否定できないからだ。
 まあ、その手篭めにされた相手が『謂れのない噂』だと言っているのだから、そういう意味では根も葉もない噂だと言い切ってしまっていいのかもしれないが。
 ともかく、このまま放っておくとヒートアップしそうだと思った影美は、たしなめるように由紀の訴えを退ける。

「そう思うなら黙っていればいいの。下手に何かを言うから面白がって増長するのよ。よく言うでしょ、『沈黙は金』って」
「そんなものなんですか……」

 なんとも納得しきれない表情を浮かべる由紀。

「そんなもの。そして向こうがしっかりこっちの言い分を聞く気になった段階でしっかりと主張する。それまでは動かないほうがベターなのよ」
「はあ……」
「それに、気にする間があったら今の時期は勉強勉強ってね」
「よく集中できますね、こんな状況で……わたしなんて、先輩のことが気になって気になって……」
「ああ、慣れてるから、こういうのは」

 さらりと言った影美の一言にあっけに取られる由紀。
 というか、こんな状況に『慣れている』影美先輩って……知れば知るほどに謎が増えていくような気がする由紀であった。

 そんな由紀の心境をよそに、影美は由紀とは別の意味で噂を気にしていた。

(いやな予感がするな……何も起きなきゃいいけど……)

 影美が気になったのは噂の内容よりも、その広まり方であった。特定の一人から発生したのではなく、まるで示し合わせたかのように一斉に噂を流し始めた……そして、その背後にどす黒い悪意が見え隠れしているような気がしてならないのだ。
 予感が本物にならなければいいが……影美はそう思わずにはいられない。だがその一方で『あやかし』として目覚めてからこの方、そういう予感が外れたためしがないのもまた事実。あるいはそれは『あやかし』としての生存本能なのかもしれない。
 もっとも、今の影美にできることといえば、予感が外れることを祈りつつ、当たった時にあわてることが無いよう心の準備をしておくぐらいしかないのであった。

 その予感は美影も感じ取っていた。そして美影もまたそれが現実とならないよう切に祈っていた。

 実のところ、このような経験は初めてではない。『あやかし』の力に目覚め始めた頃のこと、二人の身の回りで奇妙な現象が多発し、周囲に化け物呼ばわりされたことがあったのだ。その当時は自身が『あやかし』であることも、奇妙な現象の原因がコントロールできず暴走した『あやかし』の力であることも知らなかったため、謂れのない中傷に心が大きく傷ついたりもした。

 その当時に比べれば、余裕を持って対処できるようにはなったと思う。それでも、自分が叩かれるというのはあまり気分のいいものではない。誰が流し始めたのかはわからないが、陰でこそこそやらずに真正面から来い、と噂を流した張本人に言ってやりたい気分だ。
 とはいえ、そんな事をすれば事態がややこしくなるのは目に見えているから、ここはおとなしく嵐が過ぎるのを待つばかりである。

「『真田の化け物姉妹』か。先日まで学園きっての優等生って話だったのに、ずいぶんな言われようだな」

 一人無言で帰る美影にそう声をかけてきたのは永瀬真澄。その顔を見ると口の端が少しつり上がっている。嘲笑、とまでは言わないが、この状況を見てほくそ笑んでいる感じだ。
 影美と双子、しかも『あやかし』であると知ってから、真澄は何かにつけ美影と話を交わすようになっていた。どちらかと言えば憎まれ口の方が多いが、美影にすれば陰口をたたく今のクラスメイトよりは気楽につきあえる相手。自然、その口も軽くなると言うものである。

「そんな事言って、その噂を流した張本人はあなたでした、なんてオチは勘弁よ」
「おや? てっきり最初に疑われるものとばかり思っていたが……」
「そんな搦手、柄じゃないでしょ? それに、噂を流した張本人が面と向かってこんな話するわけないし」

 そう切り返されてそりゃそうだと納得しながら笑う真澄。

「……ところで、私に何か用なの?」
「別に用というほどの事はない。ただ、お前が噂にどう反応しているのかを知りたかっただけさ」
「で、思ったよりも淡白だったからつまらなかったとか?」
「そう言えなくはないが、どちらかといえば図太い神経をしているな、という方が強いかな、感想としては」
「言ってくれるわね」

 さっきのお返しとばかりのきつい一言に、笑いながら真澄を小突く美影。対する真澄もまた両手を軽く挙げておどけながら話を続ける。

「一応褒め言葉のつもりなんだがな……それに、噂を流したのは私じゃない、と断りを入れたかったというのもある」
「『あやかし』に対してずいぶん律儀なこと」
「こっちの気分の問題だ、気にするな」

 そんな話をしながら二人はバスの停留所に差し掛かる。

「じゃあ、私はここでバスに乗りますから」

 美影はそう言ってバス待ちをする学園生の最後尾に並ぶ。
 それじゃあ、と背中を向けた真澄を何も言わずに見送ろうとするが、ふと何かを思い出したかのように声をかける。

「ちょっと待って」

 その声に何も言わず振り返る真澄。

「知佳姉さんを許してあげてくださいね」
「?」
「別に知佳姉さんはあなたをないがしろにしようとしてああいう行動に出たわけではない、ということです。あれは……」
「それぐらいは分かっているさ。椎名先輩の優しさは私自身がよく知っているからな」

 そう言って再度立ち去ろうとした真澄だったが、こちらも何かを思い出したかのように不意に立ち止まって振り返る。

「そうだ、その椎名先輩からの言伝があるのを忘れてた」
「なんですか?」
「今先輩は、守護者協会の本部に行っている。『何とかして二人をよしなに取り計らってもらえるよう働きかけてみるから、そちらも行動にはくれぐれも気をつけて』だそうな」
「そうですか……もっとも、あなたが突っかかって来なければ『あやかし』の力を解き放つこともないでしょうがね」

 美影の皮肉めいた一言に真澄は苦笑いしながら答えた。

「安心しろ。本部に上奏した以上、それに対する裁定が下るまでは私とて手出ししないさ。下手に動いて命令違反を取られたくはないしな」
「なるほどね……」
「で、そっちは何か言うことはないのか?」
「それでは先輩にありがとう、と伝えてくださいな」
「一応了解した」

 その言葉を聞き、今度こそその場を立ち去った真澄。
 美影は真澄の背中を眺めつつ、知佳の守護者協会上層部への掛け合いが上手く行ってくれることを心の中で願っていた。

 その頃……

「私、どうしてここにいるのでしょうか……」

 今の自分の状況に対し三度首を傾げるあゆみ。
 由紀と別れた後、気が付けば保健室の前に来ていたあゆみ。別にここに来ようとしていたわけではない。どうして由紀の誘いを断ったのか、これからどんな用事があるのか……そのことを何度となく思い出そうとしながら歩いていたところ、たまたまここにたどり着いただけのことだ。
 それにしても、なぜここに来たのだろうか。学園執行部・職員室・体育教官室・校門……自分に用事がありそうな場所を思い浮かべてみるが、いずれに向かうにしろ保健室の前をわざわざ通る必要はない。となればやはりここに用事があるのかと思い用事の内容を思い出そうとするが、それもまた霞みに消えていく。
 まるで夢遊病みたい……ままならない自身の思考と行動に一抹の不安と恐怖を抱きながら、あゆみの手は無意識のうちに保健室のドアをノックしていた。

「はい、どうぞ」

 ドアの向こうから声が聞こえる。養護教諭・立花先生の声だ。

「失礼します」

 一言断ってからドアを開けて入室する。中を見ると白衣を着た立花先生があゆみを見て微笑んでいた。
 その微笑に何か微妙な違和感を覚えるあゆみだが、それが『妖艶さ』であることをあゆみはまだ知らない。

「ふふっ、よく来たわね……『可愛いあゆみ人形』さん」

『?』と疑問符を頭に浮かべる暇もあらばこそ……
 立花先生が告げたその言葉と共にあゆみはここへ来た理由を『思い出した』。

「えらいわ、言いつけをちゃんと守ったのね」
「ハイ、ゴシュジンサマ……」

 立花先生……ご主人様に頭をなでられ、幸せな気分になるあゆみ。
 そう、自分はご主人様の人形。ご主人様の命令に従い、ご主人様に遊んでもらうために今日も保健室を訪れたのだ。

 工藤あゆみの変化に満足した七海は、その妖艶な笑みを崩さぬまま命令を下す。

「じゃあ、いつものように準備しましょうね」
「ハイ……」

 頷くと、ゆっくりとブレザーを脱ぐあゆみ。続いてブラウス、スカート、そしてスリップと、身に付けているものを躊躇なく脱いでいき、その度に脱いだものを丁寧にたたんで保健室のベッドの上に置く。
 靴を脱いでベッドの下の空間へそろえて置き、靴下、ブラジャー、そしてパンティと続く。さすがに最後のパンティを脱ぐ際はわずかに手の動きが鈍ったが、七海が軽くあごをしゃくるとそれを待っていたかのようにゆっくりと脱いでいく。その一連の動作を見ると、パンツを脱ぐのをためらったのが七海を誘惑するためのものだとさえ見えるのが不思議なところだ。

 すべての作業を終え、すっくと立つあゆみ。生まれたときのままの姿でうつろに七海を見つめる。その姿に、そして表情に、震えるような快感を覚える七海。

「よく出来ました。じゃあ、いつものようにこれを身に付けてね」
「ハイ」

 そう言って七海が差し出したのは拘束具風のボンテージ。乳首や秘所をはじめ、かなりの部分が露出している。あるいは紐と言っても差し障りないほどである。
 それを無言で受け取り、粛々と身に付けていくあゆみ。ある程度身体を覆ったところで手を止めると、七海の前に歩み寄って背中を見せる。

「ゴシュジンサマ、アユミノフクヲシメテクダサイ」
「分かったわ。きっちりと締めてあげるから」

 そう言うと、ボンテージのベルトを背中からぎゅっと引っ張り、全身をきつく締め上げる。

「アアッ!!」
「ふふっ、気持ちよかった?」
「ハイ、キモチイイデス……」
「最後にこれよ……」

 最後に鎖付きの黒い首輪を渡す。禍々しささえ醸し出す黒光りしたそれを、あゆみはやはり無表情のまま身につけ、首にしっかりフィットするところで金具を止める。

「じゃあ、今日は音楽室へ行くわ。その格好を見られたらまずいし、これを身につけておきなさい」
「ハイ……」

 渡した学園指定のジャージをあゆみが身につけたことを確認し、七海はあゆみの首から伸びた鎖を引き、保健室を出る。
 きつめに縛ったボンテージは動くたびにあゆみの体に微妙に食い込み、刺激を与え続ける。そのため、あゆみの歩みはいつもよりもゆっくりとしたものとなっている。そんな状況でも表情がほとんど変わらないのは、やはり七海が施した催眠術のたまものと言えよう。

 音楽室のドアが開かれる。そこには一人の教師と数人の学園生がいた……すべて裸同然の姿で。

「いらっしゃいませ、七海様」

 そう恭しく頭を垂れたのは氷上麻里絵……双葉学園の音楽教師で合唱部の顧問。彼女もまた、七海を通じて男の奴隷人形となった人間の一人で、現在合唱部の数人を支配・調教している最中だ。

「順調なようね、麻里絵」
「はい、ここにいる数人も間もなくあの方へ差し出せるかと思います」
「それは結構」

 鷹揚に頷く七海。

「ところで、本日はどのような御用向きで?」
「この子をじっくりと調教しようと思ってね……」

 そう言って脇のあゆみを見る七海。つられて麻里絵もあゆみを見つめる。対してあゆみは全く反応を示さない。

「この子が七海様の……」
「かわいいでしょ、特にこのうつろな表情なんか……」

 そう言って七海は愛しそうにあゆみのあごを撫でる。

「ぱっと見る限りでは、もう十分な気がするのですが」
「そう見えるわよねえ、あなたにも……でもこの子、昂ぶってくるとなぜか真田美影の名を呼ぶのよ」
「真田美影……執行部会長の、ですか?」

 学園一の有名人の名は、当然教師の間にも知れ渡っている。その名を聞いた麻里絵は改めてあゆみの顔を見て、その素性に思い当たる。

「ああ、そういえばこの子、確か執行部の書記でしたわよね」
「そう。この子と真田美影の間にどこまで深い関係があるのかは知らないけれど、そのためか私に今ひとつなびききらないの。だから……」

 目を細め、真正面からあゆみを見つめる七海。

「今日は完全に私のものになるまで調教するつもりなの……嬉しいでしょ、あゆみちゃん?」
「ハイ、ウレシイデス……」

 うつろに返事するあゆみ。だがあゆみは、七海が発した言葉の意味も、自分が発した返事の意味も理解することはない。

「で、あなたにも協力してもらおうと思って、ね……ここなら多少音がしても外に響かないし」
「分かりました、協力させていただきます……それで具体的には?」
「そうねえ……私が前でかわいがるから、もしこの子が真田美影の名を持ちだしたら後ろからいじめてあげて。方法は任せるわ」
「了解、ご期待に添えるようがんばります」

 そう言うと麻里絵は振り返って音楽室にいる合唱部の部員に適当な指示を与える……無論、その内容は極めて卑猥なもの。部員はそれを嬉々として受け入れていった。

「さあて、あゆみちゃん……今日もご主人様と遊びましょうね」
「ハイ、ゴシュジンサマ……」

 そう言うと七海は、あゆみをつないでいた鎖を麻里絵に託し、音楽室備え付けの椅子に座ってわずかに両足を開いてみせる。

「まずはいつもの通り、ね」

 そう命じられたあゆみは、ジャージを素早く脱ぎ捨てると七海の前に跪き、七海のタイトスカートに手を掛ける。ホックを外し、ファスナーを降ろした頃を見計らって、腰をわずかに浮かせる七海。それにあわせてあゆみはゆっくりとスカートを降ろしていく。そのまま足からスカートを抜くと、丁寧にたたんで机の上に置く。
 続いてパンティ……ややピンクがかったレース状のパンティをスカートと同じ要領でずり下ろし、脱がせる。白衣を払いのけ、秘部に顔を近づけた段階で一時行動を止め、上目遣いに七海の顔を見るあゆみ。

「ゴシュジンサマ、ゴシュジンサマノお○んこヲオナメシテモヨロシイデショウカ?」
「ええ、いいわ……ただし、今日はお尻を高く上げて舐めてもらえる?」
「ハイ……」

 七海の命令通りお尻を高々と上げ、ゆっくりと七海の秘部を舐めはじめるあゆみ。体をくの字に曲げたその体勢を維持するのはかなり難しく、半ば必然的に七海の太ももに手をついてしまう。

「ア、モウシワケアリマセン、ゴシュジンサマ」
「構わないわ、続けて頂戴」

 その言葉を聞いて安心したかのように行為に没頭するあゆみ。その動きはゆっくりながら極めて的確に七海の弱いところを責め続け、七海をあっという間に昂ぶらせてしまう。それを証明するかのように七海の秘部からはすでに愛液がしたたりはじめていた。
 あゆみの奉仕のうまさに感心しつつ、いかにしてこの技術を身につけたのだろうかと想像する七海。今の自分と同じ格好をしてあゆみに奉仕させている真田美影の姿が目に浮かぶ。

「悔しいわ。どうしてあなたはあんな女に心惹かれているの……」

 美影に嫉妬する七海。その心がつい口をついて出てしまう。
 無論、傍目からすれば身勝手極まりないわがままな発言であるが、あゆみに執心している七海にそれがわがままだと認識できるような心は残っていないし、それを指摘する人間もこの場にはいない。

(あゆみちゃんの中から真田美影を完全に消し去ってやる……必ず!)

 決意を新たに、七海は次の命令をあゆみに下す。

「もういいわあゆみちゃん。ご褒美にたっぷりとかわいがってあげる」
「ア、アリガトウゴザイマス、ミカゲオネエサ……」

 瞬間、パンという甲高い音と共にバランスを崩しかけるあゆみ。あゆみの背後に立っていた麻里絵が、あゆみのお尻を手で思いっきり叩いたのだ。

「キャン!」
「違うでしょ、あゆみちゃん……私はご主人様、ミカゲオネエサマではないわ」

 あゆみのあごをあげ、目を覗き込みながらあゆみの失策を咎める七海。

「モ、モウシワケアリマセン、ゴシュジンサマ」
「よろしい。今度間違えたら痛みがさっきの十倍になるわ。そうなりたくなかったらずっと意識していなさい」
「ハ、ハイ……」

 耳元で言い聞かせるようにささやく七海。十倍の痛みという脅しがきいたのか、あゆみは何度も首を縦に振って了解したことを伝える。

「よろしい。では改めてご褒美をあげるわ」

 七海はあゆみを床に座らせると、その額にキスをしつつ両手であゆみの胸をもみしだく。

「アアン!」
「ふふ……気持ちいい、あゆみちゃん?」
「ハイ、ゴシュジンサマ……」

 乳首を指でいじくりつつ、大きくゆったりとしたストロークで優しく刺激を与え続ける。
 そして再びキス。今度は唇に……そこからあゆみの口の中へ舌を差し入れる。それに反応したあゆみは七海の舌の動きに積極的に応じる。
 頃合いを見計らい、七海はあゆみの秘部へ右手を差し入れ、そっと秘部の突起を撫でる。

「ファウッ!?」

 思わず驚きの声を上げるあゆみ。七海はあゆみの目の前に右手を掲げる。その手にはあゆみの愛液がねっとりと絡み、室内灯の光を浴びててかてかと光っている。

「よほど気持ちいいのね……ほら、あなたのあそこからこんなに溢れているわ」
「ゴメンナサイ、ハシタナイアユミヲオシオキシテクダサイ」
「あら、謝らなくていいのよ。それよりもほら……この指を舐めなさい。あなたの愛液だからさぞかし美味しいでしょうね」
「ハイ……」

 命じられるままに七海の指に舌を絡ませるあゆみ。虚ろな瞳のまま指を舐めるその舌使いが異様に淫猥に見える。

「さあて、これからあなたのあそこをたっぷりと気持ちよくしてあげるわ。でもね、私が許可するまではイッちゃだめよ。我慢すればするだけあなたは気持ちよくなれるから……ね?」
「ハイ」

 そう言って七海は再度あゆみの秘部に右手を差し入れる。濡れたあゆみの秘部はあっさりと七海の中指を飲み込み、蜜壺の中へと導いていく。
 時にはゆっくりと、そして時には激しく……いやらしい音を立てながらあゆみの蜜壺をかき回す。その度にあゆみの体は小さく、大きく跳ね上がる。

「アッ、アッ、アッ、アッ……」

 途切れ途切れにあがる声。どうやらかなり昂ぶってきているようだ。
 その様子を見てそろそろイカせようかしら、と七海が考えていたとき……

「イッ……イッテ、イッテイイデスカ、ミカゲオネエサマ……」
「えっ……」

 その声にショックを受ける七海。あゆみの顔を見れば、相変わらず虚ろな瞳で自分を見つめている。だが、七海にはそれが自分でない誰か……すなわち真田美影を見つめているように思えた。
 まだダメなのか……興ざめした七海はすっと指をあゆみの蜜壺から抜いてしまう。それを見た麻里絵は首輪の鎖を思いっきり引いてあゆみを立たせた後、再びその小さな尻を叩く。今度は音楽準備室から取ってきたドラムを叩くバチで、である。

「ギャアァァァァウッ!!」

 首輪で一瞬気管を絞められたためか、あゆみの口から絞り出すような絶叫が音楽室中に響き渡る。その悲鳴はここでなければあるいは誰かに聞かれていたかもしれないほど大きなものであった。
 その場に膝をついてくずおれるあゆみ。快楽は途切れ、代わりに痛みばかりが体を支配する。愛撫によって火照っていた体は急速に冷えていき、見ればその足下にはなま暖かい黄色い液体が広がりはじめていた。その状況でなお、涙目になりながら虚ろに七海を見つめ続けるあゆみ。
 無理もない。ただでさえ先ほどの暗示で『十倍の痛み』と思いこまされた上に、手よりもはるかに硬いバチで思いっきり叩かれたのだ。これで気絶しなかっただけでも奇跡と言えよう。

 だが、七海はそんなあゆみの姿を冷たく見つめていた。
 まだ、美影のことが頭から離れないのか……それを口惜しく思いつつ、それを一切顔に出さす、ひたすらあゆみに冷たく接することにした七海。やおらしゃがむと抑揚を押さえた冷たい声であゆみに告げる。

「あゆみちゃん、今度が最後よ……もし言いつけが守れなかったらあなたはこれからずっとひとりぼっちになるの。誰もあなたに見向きしない、誰もあなたを気に掛けない、すべてがあなたを無視する真っ暗で冷たいひとりぼっちの世界……ほら、今目の前に見えてきたでしょ?」

 そう言って七海は両手でそっとあゆみに触れる。触れたところは……頸動脈。指先を微妙にコントロールし、脳への血流量を制御する七海。それによってあゆみの意識はかすかにブラックアウトしはじめていた。
 軽く身震いを起こすあゆみ。それと共に七海を見つめる虚ろな瞳がさらに霞んでいく。瞳に映るは漆黒の世界か、極寒の世界か、はたまた虚無の世界か……その世界の気に当てられたかのように、あゆみ自身の体もどんどん冷たくなっていくように感じられた。

「あの世界には絶望しかない、死んで逃れることさえ許されない真なる絶望……そんな世界に生きたくないでしょ?」

 震えながら何度も首を縦に振るあゆみ。

「大丈夫、私があなたを守ってあげる。あの世界に行かないようにずっと手を握っていてあげる。ほら、温かいでしょ……この温もりがあなたを守ってくれるの」

 あゆみの右手を両手でそっと包む。頚動脈で塞き止められていた血液が再び脳へ流れ込むことで朦朧とした意識が戻り始め、同時に七海の手から伝わる温もりが、希薄になりかけていたこの世界に対する感覚を呼び戻すきっかけとなる。
 この世界にまだ存在していると実感して安堵したか、小さく深呼吸して気を落ち着けるあゆみ。

「でもね、もしあゆみちゃんが私を裏切ったら、私は容赦なくこの手を離すわ。そうしたらあなたはあの世界へ真っ逆さま……そんなのイヤでしょ?」

 こくこくと頷くあゆみ。

「じゃあ、どうしたらいいの? 私はあなたにどんなことを言いつけた?」
「ゴシュジンサマヲウラギラナイヨウニガンバリマス。ゴシュジンサマハカナラズ『ゴシュジンサマ』トヨビマス」
「その通り。でも口だけじゃ駄目よ、証明してみせて……」

 あゆみを立たせて再び愛撫をはじめる七海。右手は秘部へ、左手は胸へ……先ほどよりも激しく指を動かしていく。
 それに呼応するかのようにあゆみもまた七海の服をはだけさせて胸に手を掛け、揉みはじめる。思わぬ行為に驚きながらもあゆみの頭を撫でる七海。

「えらいわ、あゆみちゃん」
「アリガトウゴザイマス、ゴシュジンサマ」

 そうして二人は互いの愛撫に専念することになる。
 単調ながら微妙に変化を付け両方の胸をゆっくりと揉むあゆみ、細かく弄りながら胸と秘部を責める七海。すっかりと二人だけの世界に浸り、互いの気持ちを昂ぶらせる。
 先に限界に近づいたのはあゆみ。だが先ほどの暗示がまだ有効なため、どうしてもイクことが出来ない。よってあゆみは懇願する……今度は間違えないよう慎重に。

「ゴ……ゴシュジンサマ、いっテ……いっテイイデショウカ?」
「もう少し我慢しなさい、私をきっちりと昂ぶらせたらイッてもいいから」
「ハ、ハイ!」

 言われてあゆみは胸の愛撫に力を込める。乳首を弄る、揉み加減に変化を付ける、さらには服を大きくはだけさせて乳首を口で吸うなどさまざまな工夫を凝らす。
 やがてそれだけでは足りないと判断したか、あゆみは右手を七海の秘部へ差し入れる。空いた胸は自身がしゃぶりついているため、七海の秘部を直接見ることは出来ない。それでも手探りで突起を探り出すと、人差し指と中指で挟み込み、細かく転がしていく。

「きゃん!!」

 さすがにこれは刺激が強かったか、思わず声を上げてしまう七海。それをきっかけに七海もまた絶頂への階段を一気に駆け上っていく。

「くうぅぅぅぅ……あゆみちゃん、いいわ……」

 そう言いながら七海は背後の麻里絵に目配せをする。察した麻里絵はあゆみの背後から左の乳房を優しく包み込み、同時に右手の中指をお尻の穴へ埋めていく。

「ヒャン!」

 一瞬背中をのけぞらすあゆみ。新たに加わった快感に耐えながら、それでも律儀に七海の胸を揉み、そして秘部を弄る。

「い……いい、あゆみちゃん、イッていいわよ!」
「ハ、ハイ、イキマス、ゴシュジンサ……マアァァァァァッ!?」
「イ……イクうぅぅぅぅぅっ!!」

 叫びと共に絶頂に達する二人。抱き合ったままその場にしゃがみ込み、ゆっくりと呼吸を整える。

「ふふ……気持ちよかったわあゆみちゃん」
「ワタシモデス、ゴシュジンサマ」

 そう言って虚ろな瞳を向けるあゆみを見て、七海は美影の追い出しに成功したことを確信する。

「よく頑張ったわね……これであなたは完全に私のモノ、私のお人形さんなのよ……」
「アリガトウゴザイマス、ゴシュジンサマ……」

 あゆみの頭を撫でながら、次の算段に思いを馳せる七海。

(これで真田美影をあゆみの心から追い出すことは出来た……でもそれだけじゃ、私の気は収まらないわ。あなたを物理的にも追い出してやる……いつまで耐えられるかしら、真田美影)

 これから起きるであろう真田美影にとっての地獄絵図を思い描きながら、七海は一人ほくそ笑んでいた。

 椎名知佳は暗闇の中、一人スポットライトを浴びて立っていた。
 光は自分とその真下の床以外何も照らし出すことはなく、その事実が知佳が今立つ空間の大きさを静かに物語っていた。自分以外誰もいないようにも見えるが、そうではないことを知佳は知っている。暗闇の向こうにいるのは、海千山千の評議員たち。黒いヴェールのようなものを頭から被り、己の気配を殺して自分を見つめているはずだ。

 ここは、守護者協会の評議会……多くの護り人達が属する守護者協会の頂点に立つ面々が坐すそれは、文字通り護り人達の最高意思決定機関と言えるところである。
 知佳がここに来た用件はただひとつ、真田姉妹の処遇についてである。二人が『あやかし』であることを確認した知佳は、二人に危険はないとして評議会に寛大な措置を求めた。これに対し評議会は喚問を行うことを決定、知佳に直接出頭するよう連絡があったのだ。

 しかし……と知佳は思う。
 この場には数えるほどしか来ていないのだが、この厳かで物々しい雰囲気を見るたびに思わずにはいられないのだ。
 まるで少し前に流行ったアニメのワンシーンみたいだ、と。
 確かそのアニメでは、こうやって立つ人間の目の前に、大きな壁みたいな黒い物体がいくつも並ぶのだ。その物体の表面には数字と『SOUND ONLY』といった英語が書かれていて、そこから部屋全体に響き渡る低い声が中央にいる人間を尋問する……というシチュエーションだったように記憶している。
 暗い部屋、顔が分からない目上の存在、そして中央にいる人間への尋問……そう考えると、ますますもって今自分が置かれている状況と酷似しているように思えた。別に責められるわけではないのだが、ここにいると、まるで自分が罪を犯しているのでは、という錯覚さえ覚えてしまう。

『今回の事件に関して、報告があるとのことだが?』
「は、はい!」

 くぐもって聞こえる評議員の声に対して答えた知佳の声は少しうわずっていた。先ほどの思考の影響からか、かなり緊張してしまったようだ。
 知佳は大きく深呼吸をした上で、今回の事件に関する調査の報告と、その過程で出会った真田姉妹についての説明を始めた。
 二人のことについて滔々と語り続ける知佳。闇の向こうに潜む影は何も言わずにその話を聞いている。

「……以上の観点より、真田姉妹が一般の人々に対して危害を及ぼすことはまず考えられず、したがって二人を排除する必要はないものと判断します」

 ここまで一気に話して、知佳は改めて大きく深呼吸をした。
 とにかく疲れた、精神的に大きく疲弊した……そういう深呼吸、というよりため息である。特に今回は、自分の言動があの二人の行く末を左右しかねない大事なもの。今までしてきた同種の報告より数倍疲れたような気がした。

 しばし訪れる静寂。その空気が知佳にとって非常に重く感じられる。

『おおよその事情は理解できた』

 暗闇の向こうから聞こえてきた評議員の声は知佳にわずかな安堵を与えた。だが、続く一言でその考えが甘い幻想であることを思い知らされることになる。

『だが、その二人を排除対象から除外することは出来ない』
「なぜですか! 『あやかし』は絶対悪ではないはずです! そんなに体面が大事なのですか!」

 場をわきまえず、思わず大声で問い詰める知佳。前に出て評議員に突っかからなかったのは、理性の賜物か、あるいはこの状況に対する本能的な恐怖か……
 対する評議員は冷静な……いや、それ以前に何の感情もこもらないごく事務的な声で答える。

『単に二人が『あやかし』であるだけならばあるいは条件付きで認めたやも知れぬ』
『だが、二人が真田の子孫であれば話は別だ』
『真田の子孫が『あやかし』として目覚めた以上、それを放置するわけにはいかぬ』
『我らの脅威となる前に摘み取らねば』

 右から左から正面から……まるでステレオのようにあちらこちらから飛び出す言葉に一瞬たじろぐ知佳。まさかここまで堅固な拒絶反応を示すとは思わず、知佳は返す言葉をなくしていた。
 それでも、何とか気を取り直して考えた。評議員は『真田の子孫』であるから放っておけないと言う。それはすなわち、評議員が双子をそれほどの脅威であると認識していることに他ならない。
 ならば、その根拠とはなんなのだろうか……知佳は思った疑問を素直にぶつけることにする。

「せめて理由をお聞かせください。私には二人がそこまでの脅威になるとは……」
『理由を知る必要はない』

 返ってきたのはにべもない返事。畳み掛けるように評議員は知佳に命令を下す。

『改めて命ずる。真田姉妹の討伐に向かえ。承諾の意思なき場合は他の者を向かわせる』

 取り付く島もない、とはこのことだろうか……評議会はすでにこの議題を打ち切るつもりでいるらしい。知佳としては再考を促したいところだったが、評議員の強硬な姿勢を翻意させるほどの手札を持っていない以上、無理な主張はかえって立場を悪くするだけである。

「……分かりました」

 結局知佳に残されたのは、評議会の命令を受け入れることだけだった。
 無論、命令に盲従するつもりなどない。うまく立ち回って時間を稼ぎ、その間に何かしら二人を救うための方策を立てる。今はそのわずかな可能性にかけるよりほかなかった。たとえそれが不調に終わったとしても、赤の他人にやらせるぐらいならば自ら手を下すほうがまだいい……そういう思いもあった。

「それでは失礼します」

 知佳はその決意を胸に秘め、暗闇に一礼をしてその場を立ち去った。

< 続く >

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