放課後の教室で、私は彼を待っていた。やることもなく、指先でセーラー服のスカーフをいじる。窓の外からは部活をする生徒たちの声が聴こえてくる。もう結構な時間なのに熱心なことだ。
太陽は傾いて、教室の中は夕日色に染められている。なんだかちょっと幻想的だな、なんて思う。思うのだけれど、そんなことより……。
「遅いッ!!」
もう、かれこれ二時間くらい待っている。
今日の昼休み、それまで話したこともない彼に突然呼び出された。なにかと思ったら、放課後に話があるって一言。それだけのはずなのに、なぜか気がつくと昼休みは終わっていた。
そんなわけで、私はお昼ご飯を食べただけで昼休みをまるまる棒に振り、さらに放課後に二時間も待ちぼうけしているのだ。
彼が来たら一言、いや、気がすむまで文句を言ってやる。
「いやぁ、ごめん、ごめん。遅くなっちゃった」
そんなことを考えていると、ガラガラと教室の戸を開けてようやく彼がやってきた。悪気のなさそうなヘラヘラした顔だ。
「遅くなっちゃったじゃないでしょ!!私が、どれだけ待ったと思ってるのよ!!」
「だから、ごめんって言ってるじゃないか……」
彼は、私の怒りなどまるで気にする素振りを見せない。それどころか、文句を言う私に不服そうな顔をする。私は拳を握りしめた。怒り心頭というヤツだ。
「そもそも、人を呼び出しておいて、自分が遅れてくるなんてっ………」
「そうそう。今日は君にお願いがあるんだよ」
私は額に手をあてて、ふぅ、と溜め息をついた。どうやら、彼には何を言っても無駄なようだ。さっさと用件を聞いて帰らせてもらおう。
「あっそ。それで、お願いって何よ」
彼は、嬉しそうにニコニコ笑って頷いた。
「うん。ちょっと、ここでスカートを捲って見せて欲しいんだ」
何を言い出すかと思えば……そんなことか。私は呆れ果てながら、スカートの裾をつかんで持ち上げる。
「ほら。これでいいの?それじゃ、私もう帰……」
「くくっ、あははははははははははっ」
突然の笑い声に、驚いて彼のほうを見た。彼は耐えられないといった様子で、お腹を抱えて笑っている。
「ははは。自分が今、なにをしてるか、わかってる?」
「え?……あっ、きゃあっ!?」
慌てて両手でスカートを押さえつけた。
なんで?どうして私、こんなこと……。
私はようやく自分がどれだけ異常なことをしていたのか気付いた。そして、私自身がおかしくなっていることにも。
『いつもの私』だったら、自分のスカートを捲り上げるなんて死んでもしない。もしも、さっきみたいなことを頼まれたら、そいつを張り倒してやるし、スカートの中を覗かれたら恥ずかしくて、不快感でいっぱいになる。
なのに、さっき私はそんな羞恥心や不快感をまったく感じなかった。彼のお願いが、例えば握手をするくらいの、とても簡単にできることのように思えたのだ。
頭の中が混乱した。足元がグラグラ揺れているみたいで気持ちが悪くなる。私の中で、『私』を構成していた大切な部分が欠けてしまっている、変わってしまっている。
「あんたが……あんたがしたの」
私は彼を睨みつけた。彼は、何を考えてるのか分からない、あのヘラヘラした顔で私を見つめ返す。
「さぁ?どうだろうね」
楽しそうに微笑みながら、私の前に歩み寄る。親指と人差し指を私の顎にかけて、くい、と上を向かせる。彼の顔がゆっくりと近づいて………
「やっ、だめ……んっ、ふぁ」
気がつくのが遅かった。私の唇は彼に奪われてしまった。背中に電流が流れる。手足から力が抜けていく。彼は私の背中に腕を回して、私を支えた。
「君とキスできるなんて、嬉しいな。君は?」
「……嬉しいわけないでしょ。最低。最悪。死にたい気分よ」
私は彼から顔を背ける。声が震えた。
「あれ、怒ってる?それとも怒った『ふり』をしているのかな?」
「なっ!?」
からかうような彼の口調。でも、私は言い返せなかった。そうなのだ。私は怒ってなどいなかった。
嬉しかった。
怒らなくちゃいけないのに。悔しいことのはずなのに。嫌悪感でいっぱいになるはずなのに。私は彼とキスしたことが嬉しかった。彼の唇の感触が心地よかった。顔がほころんでしまうのを必死に抑える。出来るならもう一度、そう考えてしまう。
それが『いつもの私』とどれだけかけ離れた考えなのかは分かっている。なのに、心が彼を求めることを止めなかった。
無理やりキスされたのに、なんで私、喜んでるの?嫌なことのはずなのに。どこに嬉しいことがあるって言うの。
「こんなの………こんなの『私』じゃない!!『私』を返してっ!!返してよ!!」
泣き出したい気分だった。今の私は『私』のことを知っているだけで、記憶があるだけで、『私』とは別人になってしまっている気がした。底なし沼に沈んでいくような不安に襲われる。
不意に、私の体がなにかに包まれた。震える私を彼が抱きしめていた。ほっとする安心感が芽生える。少しだけ身体を離して、彼の手が私の胸にふれた。
「あっ、だめ……だめぇ」
止めなきゃいけない。彼の手を払いのけないといけない。でも、私の身体は動かなかった。胸からピリピリするような不思議な感覚が走る。
「んっ、ふぅん。……んっ…んっ、ふっ。…んふぅ」
私は下唇を噛んで、声がでないように我慢した。声を出してはダメだ。だって、それは恥ずかしいことなんだから。『私』は、こんな声を誰にも聞かれたくなかったはずだ。だから我慢しなくちゃ。
私を見て、彼はクスっと笑った。そっと私にキスをする。私の体から力が抜けて、彼の舌が私の中に入り込んだ。彼の舌が触れると、身体が溶けてしまうような気がした。気持ちよくて頭の中がチカチカ点滅する。私は夢中で彼の舌に自分の舌を絡ませた。
「んんっ、あっ、あっ、あっ。ふぁ、んっ、んぁ」
キスが終わると、私はもう声を我慢することなんてできなくなっていた。いつのまにか、彼の腕は私のセーラー服の中に入り込んで、直接、私の胸を触っている。服の下で動いている指が、とてもいやらしかった。
「ふぅ、んっ。……あっ、んぁ、あぅ。…んっ、んっ、んんっ」
彼は私の頬を舐め、耳たぶをしゃぶり、首筋にあま噛みする。その度に私は声を上げた。
彼に触れているところがどこでも気持ちよくて、私は力いっぱい彼に抱きついた。彼の手が、私の身体を滑るようにゆっくりと下に向かって動いていく。
「んあぁ!!」
くちゅりと音がした。彼がそこに触れた瞬間、今までとは比べ物にならない快感が私の身体を駆け上がった。彼の指が動くたびに頭の中が真っ白になっていく。なにも考えられなくなっていく。身体がビクビク痙攣した。
「あっ、あっ、んっ、ああっ。んっ、あっ、んああぁあっ!!」
私の意識がはじけとんだ。
気だるくて、でも気持ちのいいまどろみの中でうっすらと目を開けると、彼が微笑んでいた。私の顔の前に手を差し出す。彼の手はベトベトになっていた。
「汚れちゃったから、舐めてキレイにしてよ」
そうだ。きれいにしなくちゃ。
私は彼の手に舌を伸ばした。
私が汚しちゃったんだから、私がキレイにしなくちゃ。きっと『私』なら、そうするはず……。
そこまで考えて私の思考は止まった。脚から力が抜けて、重力にしたがってストンと尻餅をついた。『私』はこんなとき、どうするんだろう?
嬉しいの?悲しいの?怒るの?泣くの?笑うの?
「……わからない。わからないよ。どうしよう。『私』が消えちゃうよ。『私』のこと思い出せないよ」
怖いよ。怖い。怖い。怖い。
「大丈夫だよ」
声の方を向くと、彼が笑顔で立っていた。
「僕が君を知ってる。僕は君と同じクラスで、ずっと君を見てきたんだ」
私の心が安心感で満たされる。よかった。彼が『私』を知っているのだ。『私』のことは彼に聞けばいいのだ。私は彼に感謝した。
「もう安心だろ?」
「うん」
私は笑顔で答える。彼の指から雫が落ちて、私はそれを床に這って舐めた。
< 終 >