03. 妄想
「はぁーーーっ」
本日28度目の溜息をつきながら、中根宏美は、出来たばかりの書類を無造作にファイリングしていく。
「おいおい。それは一応部長も目を通すんだ。もうちょっと丁寧にやってくれないかな」
まだ30台前半のはずだが、疲労の溜りきったような目つきで黒田課長がぼやいている。
「あ、すみません」
慌てて今閉じたフォルダーを開きながら視線を後ろに向ける宏美。
「調子が悪いのならゆっくりでいいから、きちんとした仕事をしてもらわないと後が困るんだよ。もし駄目なようなら早退してもかまわないから..」
”ったく”といった感じで肩をすくめると、今届いたばかりのFAXに目を通しながら黒田は自分の席へと戻っていった。
「ふぅーー」
「29回目っ」
隣の席の相川真澄が、宏美の顔を覗き込みながら声を掛ける。
「な、なによ。人の溜息数えてる暇があったら仕事しなって」
「ご心配なく。今日に限って言えば先輩の倍ぐらいは仕事してますって」
「っ!倍とは心外ね。せめて5割増しぐらいにしといてよ」
真澄がキャスター付の椅子を すーっ と滑らせると、商社のオフィスには不釣合いなキャラクター付の髪飾りを触りながら、宏美の眼前10cmの所まで顔を突っ込んできた。
「先輩、どうしちゃったんですかぁ?突然1週間の休みを取って、やっと出勤してきたと思ったら今度は5月病ですかぁ?それとも休暇中にすんごい彼氏でもできちゃたとか?」
「馬鹿言ってんじゃないわよ。田舎で法事だって言ったでしょ。あんな山奥のどこに”すんごい”男がいるってのよ!」
「そりゃそーよね。社内じゃ評判の”すんごい”男をことごとく足蹴にしてきたキャリアウーマンだもんねぇ。...じゃ、5月病の方?」
「ちょ、あしげって...それに何で私が今更5月病なんかにかかんのよ!ちょっと体調が悪いだけなんだから。下らない事言ってないでさっさと席にもどんなさいよ!」
言葉にちょっとマジが入りかけて来たのを感じ取り、真澄は渋々椅子を転がして帰っていく。
「ふぅー」
「さんじゅっ」
宏美の目がきらりと光るのを見て、真澄は慌てて机に視線を落す。
(”すんごい彼氏”か。でも当らずとも遠からずってとこよね。
私の場合は”すんごい御主人様”なんだけど...。
ん?だめだめ。御主人様の事を彼氏に近いだなんて、そんなの恐れ多いわ。御主人様に知られたらおしおきされちゃう。
おしおきだったら嬉しいけど、捨てられたりしたら生きてけないし。
...でも、御主人様と二人っきりで旅行行ったり、デート出来たら最高だろうなぁ...あぁー、考えただけで濡れてきちゃう)
宏美の妄想は留まるところをしらず、どんどんふくらんでいく。
(デートの時街の真ん中で調教されちゃったりしたらどうしよう..恥ずかしいけど、御主人様の命令だったら何でもしちゃうわよねぇ。
当然下着は無しで、バイブを入れられたまんまでお買物したり、お散歩したり。
バイブはどんなのかなぁ...。
前の方にはおっきくてうねうねするやつ。
後ろの穴には真珠のネックレスみたいなので きゃっ かわいい尻尾付がいいなぁ。きつねみたいな。
きっとまともに歩けないから、ご主人様の腕にしがみつきながら、歩くの。
スカートの中で尻尾がぶらぶらするのをお尻で感じながら、でもご主人様の腕の感触と臭いを体中で感じて。
....あぁ、しあわせっ!
そんで次は映画でも見ようかっておっしゃられて。
真っ暗な座席のはしっこで映画を見ておられるご主人様に一生懸命ご奉仕するのよ。
音はあんまり立てないように、いやらしくとろんとした瞳でご主人様のお顔を見ながら..。
でもきっと、ご主人様は私の方なんか見向きもせずに映画を見てらっしゃるわ。
私はたまらなくなってご主人様におねだりしてみるの。
するとご主人様はやさしく笑いながら、いえ、たぶんあきれたような顔でバイブのスイッチを入れて下さるかな?
バイブが床に当ると音が響くから、抜け落ちない様にかかとでそっと、いえ、ぐりぐり押込みながら...、気が遠くなりそうになるけど、それでもご奉仕はやめないわ。
右手はそっとシャツの下からご主人様の乳首をころころ、つねつねして、左手は、そうね、お尻とか、袋の裏とか、おちんぽ様の根本をぐりぐりしたり...。
私の踵とか内股とかはもうびちょびちょで、床にもいっぱいいやらしいお汁がこぼれてるんだけど、でも拭き取ったりはさせてくださらないの..お家に帰るまではそれが乾いたり、また湿ったり、少し気持が悪いかもしれないけど、”それはお前が悪いんだから辛抱しろ”っておっしゃるのよ。
あ、そうそう。涎でズボンを汚したりしたらダメよ。そしたら一緒に外を歩けなくなるし、きつーいおしおきをされちゃうわ。
...きゃっ!おしおきってどんなのだろう?
お浣腸かな?
お腹が一杯になるくらい液が入ったまま栓をされて、汗をいっぱいかきながら、ふらふら街を歩くのかな?
それとも、素っ裸で膝と後ろ手とを縛られて、コート一枚だけ上から羽織ったまま駅前で放置されたり。
バイブを動かしたままいやらしい雑誌なんかを立読みするとか。
すっごく恥ずかしいけど..。でも、こんなに嬉しそうな顔をしてるのがばれたらおしおきじゃ無くなっちゃうわ。
一番のおしおきはなんにもされない事なんだけど...それは..つらいっ!
ご主人様と二人っきりでただ見てるだけなんて、気が狂っちゃう。
あ、でもこの前のご調教の時、横で座ったままじっと私達を見てた娘がいたなぁ。落ちてた制服は確か..婦警のような...。
あれはきっと、おしおきだったんだ。
うわっ、たまんないっ。気を付けなくっちゃ。
ああ..でも、もっと早くご主人様とお会いできてれば良かったのになぁ...。
子供の頃からご調教頂けてれば、もっといやらしい体になれたかもしれないし、ご主人様のしたい事とか好きな所なんかももっと分るだろうしなぁ。
あのお館の中にはそんな人もいるかもしれない。今度聞いてみよう。そしたらその人にいろいろ教えてもらえるかも...。
今はご主人様の命令に従うので精一杯だけど、できればご主人様の考えてる事とか、次にどうしたいかとか分る様になりたいし...。
本当はこんな所で仕事なんかしてないで、今すぐあのお館へ飛んで行きたい。
でも会社やめちゃったら食べてけないし、栄養失調にでもなって体の線が崩れたらそれこそ捨てられちゃうわ。
あぁー、次にお呼びがかかるのはいつかしら?
今はこの前連れてこられたアイドルの調教にかかってるっておっしゃってたし。当分おあずけなのかしら?んーーせつないっ!)
宏美は恋する少女の様な淡い視線を天井に向けながら、先程整理していた書類をぐちゃぐちゃに抱きしめ、本日31度目の溜息を部屋中に蔓延させていった。
それに黒田の溜息が追加され、真澄は目の前のノートに31本目の”正”の字を書き加えている。
< 続く >