美しき獣達 Act.1 ~ 4

act.1―――Remember the Day―――

 真っ暗な廊下を、その女は歩いていた。
 悠然と靴音を響かせ、まるで光など必要ではないとでも言うように。

 漆黒の闇がよく似合う女だった。
 その館の主がそうであるように。

 そんな彼女を誘蛾灯のように引寄せる部屋の灯が一つ。
 ふと気づき訝しげに歩み寄ると、しなやかな手を戸枠にもたせかけ、中をそっと覗き込んだ。

 そこでは女がもう一人、物憂げな瞳を伏せながらグラスを傾けている。
 薄暗い灯の中に浮び上がる真っ白な肌、微かに揺れる長い睫毛、そしてふわりと巻いた金色の髪はどんな豪華な調度品よりもその空気に気品と言うものを織り交ぜていた。

「ケイトか....まだ起きていたのか。ご主人様の警護、終ったんだろ?」

 眩い光りに目を細めながら気怠げな声を室内へと投げかけたのは、軽い装いの香蘭だった。眠そうな眼をしょぼつかせている今の彼女からは影一を警護している時の殺気など微塵も感じられない。
 ”今ならひょっとして、あの首筋にナイフを突き付けられるんじゃないか?”そんな甘い誘惑を振り払い、ケイトは軽い笑みを向けた。

「いや、眠れなくてな。よかったら一杯つきあわないか?」

 グラスを掲げながら微笑みかけるケイトの中に見え隠れする不適な思い、それを感じ取ったのだろう。図らずも悟られてしまった隙を包み隠し、香蘭はテーブルの反対側へと腰を下ろした。

「私はアルコールは飲らないよ。知らないわけじゃないんだろ?」

 同じ笑い、同じ種類の気配を保ちながら、二人の美女がゆるやかに対峙する。
 まるでその空気を楽しむかのように続けられる気の応酬は、戦地を生き抜いた二人にしか分らない会話だった。

「いや、知っているよ、お前が心を惑わせる全ての物を拒んでいるという事は。だがひょっとしたら....もういいんじゃないかと思ってね」

 その言葉に過ぎた日の光景が香蘭の胸を過ぎる。眉間に刻まれた皺がそれへの嫌悪を見せつけているかのようだ。

「いや、すまない。嫌な事を思い出させてしまったな。いいんだ、忘れてくれ」

 そう言い、珍しく困った顔を見せるケイトを”かわいい”などと思ってしまったのは、恐らく気の迷いというヤツだろう。
 そんな風に思う筈はないのだ、彼女の過去を知る者なら....。

 しばし流れる沈黙。しかしそれさえも二人は楽しんでいた。

「ケイトと初めて会ったのは....イスラエル、だったかな?」

 唐突に零れたその声は、何かを懐かしむように優しげな物だった。ふと触れた香蘭の感傷めいた物にケイトは若干の驚きを感じはしたが、すぐに同じ物を受け入れられたのは先ほどの無防備な彼女を見せられたせいだろうか?

「ああ、あの時は敵同士だった。お前は弱冠18歳にして敵軍に知れわたる程の暗殺者だったよ。うちの部隊じゃこう言われてた。『闇の中では一番後ろを歩くな。”暗闇の魔女”に首を折られたくなければ』とな。だがあいにく私はそんなに素直な女じゃなかったんでね。いつも隊列の最後尾でお前を探していたんだ」

「ククッ、よく言う。あの時のケイトはまるで怯えた子猫のようだったよ。援軍がもう少し遅ければこうして話をする事も無かったろうね」

 少しばかり腹を立てたのか、ケイトの細い眉が少し、片方だけ吊り上がった。

「だが.....初めての敗北を教えてくれたのも、ケイトだった」

 その言葉に若干溜飲を下げたケイトは背もたれに身体を預けながら、呆れたように両手を広げて見せる。

「そう、あれはイラクで....ゲリラを掃討する作戦だった。まったく、まさかゲリラ側に”魔女”が雇われていたとは思いもしなかったよ」

「その時の私は少し慢心していたのかもしれない。たった16人の部隊に掃討される程軟弱だとは思ってもいなかった....だが私の方だってあの時のオンナノコが”砂漠の女豹”なんてものになってるとは知らなかったんでね」

「ふん、6年も生死の境で暮せば豹にも悪魔にだってなるだろうさ。でもさすがに生きた心地はしなかったよ、狭い屋内でお前の顔を見た時は。ただ....私にはコイツがあった、それだけだ」

 ケイトが椅子の背もたれに掛けられていたホルダーから使い古されたグルカナイフを抜き取ると、香蘭の眼の前でクルクルと回して見せる。一瞬疎ましそうにそれを眺めた香蘭だったが、残像を残す程高速で振り回される刃先をかいくぐり、しなやかな手がナイフの柄を握りしめた。その甲を真っ直ぐに通り抜ける傷跡を見せつけるように...。

 僅かに頬を吊上げ、二人の苦笑が交差する。少しばかり悪ふざけが過ぎたかと肩をすくめながらケイトはそれを収納し、ウィスキーを一口流し込んだ。

 優しい肉親の抱擁も、恋人の甘い囁きも無く、血と硝煙とガソリンの匂い、それが彼女達の青春だった。
 だがそれらは彼女達にとって辛い物では無かった。いやむしろ充実した想い出の一つとさえ言える。

 その胸の奥深くに残された...只一点の染みを除いて....。

 躊躇いながらもそれは有無を言わさず二人の脳裏に浮んでは、消えてゆく。
 しばし迷っているような素振りのケイトが、思い直したように口を開いた。喉の奥に絡みつく唾液を飲込み、少しばかり震える唇を抑え付けながら....。

「だが.....三度目に会った時にはもう.....お前は....”魔女”.....では無かった....」

 香蘭の美しく整った顔が苦渋に歪む。細い肩は少し震えているのだろうか。その中に渦巻いている筈の怒りと哀しみはケイトも知っている筈だったが、まるでそれらを清算するかのように彼女の言葉はゆっくりと紡がれていった。

 あの頃の私はニューヨークじゃちょっとした有名人だった。といっても”砂漠の女豹”なんて人殺しへの渾名じゃなく、あるVIPの命を救った腕利きの誘拐救出人として、”サルベージャー”なんて呼ばれてた。

 だからって訳じゃぁないが、あの時の私もおそらくは....慢心していたんだろう。

「確かに間違いないんだろうね?」

 哀しみと不安をありありと浮べながら、クライアントは私に向って何度もそう言ったものだ。

「ミスターフォレスト、確率をお求めならCIAにでも泣きつくんですね。それでお嬢さんの安全はある程度保証されるでしょう。あなたの政治生命はちょっとばかり短くなるでしょうがね?」

 余程切羽詰まっていたんだろう。私の不遜な態度にも気を悪くする素振りさえ見せず、クライアントはこう言った。額の汗を拭いながらね。

「あ、いや、決して君を疑ってる訳じゃないんだ。この仕事に君以上の適任者が居ない以上、私には信頼するしか無いのもよく分っている。だが私が知りたいのは再び娘をこの手に抱けるのがどの程度の確率なのかって事だ。もしそれがかなり低い数字なら、私の政治生命などとは秤にかけたくないとも思ってる」

 その時が初めてだったんじゃないかな?その男に対して笑顔を見せたのは。この世界ではやはりクライアントといえども絶対の信頼など置けはしない。いや大金と肉親の命がからんているんだ。その為になら一人の傭兵の命など切り捨てて当然さ。

「いや、それを聞いて安心しましたよ、ミスターフォレスト。あなたにその決意があるのならお嬢さんの生存確率はかなり高いものになるでしょう。最悪の場合はこの組織の者を全て殺してでも助けて差し上げますよ。料金も跳ね上がりますがね?」

 冗談とも本気ともつかず、クライアントは苦笑を浮べていたよ。もちろん私は本気だったさ。ひょっとしたらそちらの方を望んでもいたのかもしれない。

 あの屋敷で、お前の姿を見るまでは.....

act.2―――The Gang of NewYork―――

「ふん、なかなかの上玉じゃないか。どこで拾ってきたんだね?」

 無粋に着飾られた赤毛の少女を前に豪華な革張りの椅子を揺らしているのは、この街の顔役ケヴィン-ホーガン。
 表ではプロスポーツのプロモーター、土木屋、人材派遣、裏では麻薬、売春、殺し、そして誘拐。裏表併せてもおよそ金になる仕事のほとんどを仕切っていると言っていい。
 もっともその時のケイトにとっては所詮サブマシンガンがせいぜいのケチな”マフィア風情”でしかなかったのだが...。

 その少女を連れてきた若い男は媚びた笑みを垂流しながらボスの耳元に口を寄せた。

「へへっ、気に入っていただけりゃ光栄っす。いやなに、つい数週間前にケンタッキーから出てきたばかりの田舎娘でさぁ。行くあてが無いってんで2,3日泊めてやったらなついちまいまして。こんだけの体っすからまだまだ抱き足りねぇってトコなんすけど、ホーガンさんにゃいつもお世話になってますからね。ほんのクリスマスプレゼントって事で...」

 くわえた葉巻に間髪入れず寄せられたジッポーの鈍いシルバーを見つめながら、ホーガンは今はもう色褪せてしまった郷愁に触れていた。
 この街のドンとも言える顔役は、このしけたチンピラがなぜか憎めなかった。泣虫ベンと呼ばれ、他の幹部連中に小突き回されているこの虫けらのような男に目を掛けているのは、若い頃死に別れた弟の面影を感じとっていたせいかもしれない。

「ふん、なにがプレゼントだ。おおかたこないだの試合でイングランドが負けたからその賭金のカタってトコロだろう」

「へへっ、さすがはホーガンさん、なんでもお見通しっすね。でもあそこでオーウェンが決めてくれてりゃ今頃は南の島でバカンスを決めこんでたトコロなんすけどねぇ」

 ホーガンは”やれやれ”といった風の溜息を一つ吐くと、机の引き出しから小切手帳を取り出した。

「で?いくらだ」

「へぃ、こんだけで」

 ボスの機嫌をそっと窺いながら恐る恐るベンの指が3本、立てられる。

「はぁ、こりゃまた大きく賭けたもんだな。一体この田舎娘にそんだけの価値はあるのかね?」

「そぉりゃもう!今までがおよそお洒落なんてモンに縁の無い所で暮らしてましたけどね、ちょちょっと化粧でもしてイロっぺー下着でも着せてやりゃぁきっとホーガンさんのお気に入りになることうけあいでさぁ」

 荒い鼻息でそれだけ言うと、ベンは少女になにやら耳打ちする。途端に少女の顔が羞恥に染まり、自らの肩を抱くようにしてかぶりを振った。

「いや、いやよベン、お願い考え直して...他の事ならなんでもするから、私一生懸命働くから。ね?二人一緒にがんばれば借金なんてすぐに返せるわよ」

「ジュリア、すまねぇ、もう俺にはお前しか残ってねぇんだ。もしこの話がダメんなっちまったらもう、俺は殺られちまうしかねぇんだよ。な、頼む。俺も必死で働いてよ、すぐに向かえに来るからよ。だから....な?」

 自分の胸の中でさめざめと泣き濡れる少女の頭をゴシゴシと撫でてやりながら、ベンは愛の言葉を囁き続ける。

 やがて意を決したように顔を上げた少女は、ゆっくりと安物のドレスを落としていった。
 その素朴な...つまり色気の欠片も感じさせない下着が取り払われた後には、ホーガンの感嘆を引き出す程の肢体が残されていた。

「ほう!女は裸体が最も美しいとはよく言ったものだ。ジュリア、と言ったかね?こちらに来なさい」

 優しげに背中を押すベンに促され、よろめくように前に出る少女。だがあと一歩で手が届くという所から先は、まるで凍り付いたように動かない。

「ジュリア、ねえジュリア.....頼むよ、昨日あんだけ話し合ったじゃねぇか。ホラ」

 その場に頽れ、泣き出したジュリアの肩を抱きながら、ベンの方も今にも泣き出しそうな顔で必死の説得を繰り返す。

「くくくくっ、プレイボーイのベンも田舎娘にゃ手を焼くみたいだな。だがワシの方はかまわんよ。こんな娘の方が楽しめるというものだ。ゆっくりと....造り替えられるからな。ハッハッハッハッハッ」

 そう笑いながら受話器を取ったホーガンは「アイスピックを」とだけ告げると、至極満足そうに少女の肢体へと視線を戻した。
 だがその言葉を聞いた途端、ベンは飛び上がるように目の前の机にかじりついた。

「ちょちょちょっとホーガンさん!アイスピックって、まさかコイツを.....」

「なんだね?もうこの娘はワシの物、ではなかったかな?」

「い、いや、それは、そうなんすけど....コイツはこう見えてもついこないだまでバージンだったんすよ。それをいきなりあの氷野郎に預けるのはあんまりといえばあんまりで...」

「なんだ?お前ひょっとしてマジでこの娘を買い戻そうなんて思ってたのか?それなら早くすることだ。この娘が、ジュリアであるうちにな.....ククククッ」

 二人の話の意味など全く理解できていないジュリアだったが、ベンのあまりに蒼白な顔を見るにつけ、なにか得体のしれない恐怖が迫り来るのを感じていた。

 沈黙の中全裸で打ち震える少女。その少女とボスを泣出しそうな顔で交互に見つめる若い男。それらを楽しげに眺める初老の男。
 そしてその沈黙を破るノックの後に姿を現した男は一分の隙もなくブリティッシュスーツを着こなし、冷たく二人を見下ろしていた。直立不動の姿勢と色無く感情を表さないその貌は、これが蝋人形だと言われても信じた事だろう。

「お呼びで....」

 外した山高帽を胸にあて至極丁寧に発されたたったそれだけの言葉が、ベンの背筋に悪寒を走らせる。いや声の質は確かに冷たく感情とは縁遠い物だったのだが、ベンを怯えさせているものがその男の経歴にあるということは当の少女以外の皆が理解していた。

「ああ、こちらのお嬢さんは今日からワシの物になったミスジュリアだ。よろしく頼む」

 獲物を狙う爬虫類のような眼がキラリと光る。同時にさっき以上に心を凍らせる笑みが、満面に広がった。

「クク、これはこれは、良い出物がありましたな。で、どのような”心”がお望みで?」

「そうだな.....細かい所は追々指示するとしよう....が、とりあえずはもう少しばかり潔くなって貰いたいものだな」

「クク....」

 こみ上げる笑いをこらえきれないといった風に口を押えながらアイスピックは手に持っていた鞄を開き、ごそごそと中を物色し始めた。

「では、とりあえずは....こんなところで」

 数十種類ある小瓶の中から薄い水色の物を取出した男は、丁寧に蓋を開き注射針を突き刺した。
 その中の液体が吸い上げられる程につり上がる真っ白な頬。音の無い笑い声を漏らしながら、抜き取ったそれをうっとりと眺める冷たい眼孔。

 そしてその針を少女の腕に突刺したアイスピックの嬉々とした表情は、稀少な昆虫を採集する少年のようにきらきらと輝いていた。

act.3―――Angel Heart―――

 一匹の蝶が羽化しようとしている。素朴な蛹の殻を脱ぎ捨て、美しい羽を大きく広げた蝶がニューヨークの夜空を飾ろうとしている。
 その時の蝶達には一体、後悔と言うものは無いのだろうか?それまで培ってきた自らの過去や、想い出や、信念を全て捨去ったとしても。
 美しく生れ変わる為に、未だ経験した事のない、大空を羽ばたく為に.....。

「ジュリア、ジュリア....眼を開きなさい。そして私を見るのだ...」

 長い睫毛を揺らしながら、瞼がゆっくりと開かれてゆく。その隙間から流れ込む膨大な情報を処理しきれぬまま、ジュリアは呆然とその男を見つめていた。

「おはようジュリア。今日の目覚めは格別な物じゃないかい?とてもさわやかで、とても嬉しい、そう、幼い頃の、クリスマスの朝のように....」

(さわやか...?そう、とても気持がいい。嬉しい?ああ、とても嬉しいわ。でもどうして?私はなにを喜んでいるのかしら?クリスマスだから?違う...分らない。思い出せない。ああ、でも、このふわつく気持は何?この人のおかげ?この人....この人は......?)

「あなたは....誰なの?」

「私?私は君の主で、造物主だよ」

 男の顔が綻ぶ。その至極優しげな顔が造られた仮面だとどうして気づけた事だろう。まるで心からのそれと見紛うばかりの笑顔にジュリアの瞳は吸い込まれるように囚われた。その男の笑顔を記憶に残している者など、この世に居はしないというのに....。

「造物主?あなたが....?私の?」

「神は君の体を創り賜うた。そして私は君の心を創った。これを造物主とは言わんかね?」

「あなたが....わたしの、心を....?...わからない..なにも思い出せないわ」

「いいんだ。なにも心配する事はない。全てを私に任せていればいいのだよ。そうすれば、君はずっと今の気持のまま、清々しい朝のような心のままでいられるんだ。すばらしいとは思わんかね?」

「そう....。このままの気持....うれしい気持....幸せな気持....私は....しあわせ....」

 男の骨張った手がジュリアの頬をそっと撫でる。暖かい、そして懐かしい。いつの事だったろう?この手の感触を味わったのは。誰の手だったのだろう。

「お、とうさん....」

 そうだ、おとうさん....幼い頃、いつも私を見守ってくれた。そしていつも私を包み込んでくれた、おとうさん。私が抱きつくといつもこんな風に頬を撫でてくれた。そう、暖かく、分厚く、堅くて、大きな.....大きな.......大きな?!

「こ、この手は...おとうさんじゃない!!...あなたは、あなたは誰なの?」

 ふいに我に返った表情で男の顔をまじまじと見上げるジュリア。うっとりとしていたその瞳の色は瞬く間に不安と恐怖に覆われた。

「い、いやぁぁぁぁぁっ!やめて!わたしの中に入ってこないで!わたしの心を掻き回さないでぇぇぇぇっ!」

 ずりずりと後ずさるのを背後の壁に遮られ、ジュリアは引きつった顔で男を見つめながらその場に蹲った。

「ちっ...」

 これまで被っていた仮面をそぎ落した男は、不機嫌な表情を頭上のカメラに向けながら傍らの受話器をひっ掴んだ。

「ああ、どうも。少し焦りすぎたようです。これまでに受けてきた愛情が余程深い物だったのでしょうな。どうなされますか?」

 ホーガンは隣室のモニターの前で、冷たい目でこちらを睨みつける男に向い言う。

『どうする...というと?』

 受話器の向うから返ってきた声も同じく不機嫌そうなものではあったが、それに構わず男は続けた。

「このままで暗示を続けるのか、と言う事です。私としてはこれまでの人格を残すなどというまどろっこしい事はやめにして、一から造り直した方がよろしいのではないかと....そう、”ティナ”というのはいかがですかな?先日その名のカナリアが死んだばかりでして....ククッ」

 その不気味な笑みを正視しきれないといった風にホーガンは、視線を逸らしながらため息を一つ吐いた。

『やはりな。”心は造るより壊す時の方がエクスタシーを感じる”。いつもそう言っている君の事だ。今回の事もひょっとしたら最初から....』

 そこまでの言葉を聞いた時、男のいつもは半ばまでしか開いていない瞼がホーガンの言葉を遮るように見開かれた。

「ミスターホーガン!今回は街頭に並んでいる娼婦達を作り替えるのとは訳が違うのですよ。私はこう見えてもプロフェッショナルを自負しておりますのでね、手抜き呼ばわりはお控え頂きたい!」

 随分と解像度の低いモニターではあったが、それでもそこから伝わる怒りと威圧感は十二分に伝わってくる。ホーガンは背筋に通り抜けた悪寒を、周囲の部下達に悟られぬよう、威厳を保ちながらゆっくりとソファに背中を沈めた。

「ああ、そんな事を言っている訳じゃない。だが君はあの薬がいくらするのか分っているのかね?こないだの化物の心を壊した時はそれだけの価値があったがね。この娘にそれだけの価値があると思うのかね?」

 睨みつけるカメラの向うでホーガンがどんな表情をしているのか、全てお見通しと言わんばかりにアイスピックは再び冷笑を浮べながらいつもの口調に戻った。

「確かにあの薬、”ハートブレイカー”は私の苦心の作でしてね、高値を付けさせて頂いてます。だが今回ばかりは当方のミスも認めない訳ではありませんので、御見積の方は前回のままとさせて頂きますよ」

「ふん、なら好きにしたまえ。ただしこちらの注文は少しばかり変えさせてもらう。一から造るならそれなりにな」

「かしこまりました」

 右腕を大きく胸に当て、カメラに向い殊更仰々しく礼をするアイスピックに若干の苛立ちを感じながらも、少しばかり胸がときめいているのも認めずにはいられないホーガンだった。

 トントンッ

 重厚な樫製のドアがノックされた。
 部屋の主の返事を待たずして少しだけ開けられた隙間から覗く大きな瞳は、期待と不安に溢れ潤んでいる。

 その突然の客人はホーガンを少なからず喜ばせたようだ。にやつく頬を抑え付け、傍らに控えていた客人に別れの握手を差出すと半ば強引に送り出した。

 扉の外ですれ違い様、天使のような笑顔を向けられた客人は至極不器用な笑みを浮べた。
 振返る時にふわりと宙を舞った赤い髪に誰かへの思いを馳せているのだろうか?その後ろ姿を見つめる瞳には、厳めしい顔つきとはあまりにも不釣合いな暖かい物を含んでいた。

「入りなさい」

 あくまでも憮然とした声ではあったが、その声を聞いた少女は天にも昇る喜びを見せつけながら飛上がり、駆け込んだ。

「パパーッ!」

 大きな書斎机を回り込み、太めの腹にしがみつく。
 それを同じく嬉しそうに抱き返したホーガンは髪をくしゃっとなでつけた。

「やぁ、おかえりティナ。今日はどうだったね?」

「うん、パパ。今日も一杯お勉強してきたよ。それでね、シンシア先生がね、わたしの事すっごく覚えるのが早いって、褒めてくれたんだよ。ね、ね、聞きたい?」

「そうだな。ティナがお利口なのはよく知ってるが、せっかくだから話してもらおうか」

「うん!今日はね、おくちでするごほうしってのを教えてもらったの。先生はこれが上手になるとパパがすっごく喜んでくれるって言ってたんだけど、そうなの?」

「ああ、パパもお口でしてもらうのは大好きだ。しかし本当はティナがパパの為に一生懸命がんばってるのを見るのが一番好きなんだよ。だから今日教わった事を一生懸命やってごらん」

「うん、ティナ、一生懸命やるからよっく見ててね!」

 そう言うとにこやかな笑みを向けながら、ティナはピンク色のドレスをストンと落し、豪華な机の下に潜り込んだ。

 大きく開かれた脚の付け根にそっと手をあてその形を確かめるようにしばし撫でさすった後、さも愛おしそうに頬ずりをし、チャックの先をその愛らしい唇にそっとくわえる。ジィーという音と共に開いたそこからあふれ出した酸い匂いを胸一杯に吸込んだティナは、うっとりとした表情をホーガンに見せつけながら、細い指先を滑り込ませた。
 ごそごそと不慣れな手つきでそれを取出す感触も、ようやく取出された巨大なイチモツを目にした時ティナの満面に広がった嬉しそうな顔も、ホーガンの官能を刺激するに十分な物だ。

 思わず伸びた手がティナの赤毛を優しく手鋤く。
 その意味を理解したティナの喜色がより一層あふれ出し、その返事と言わんばかりの優しい口づけが剛直の先端に施された。

 チュッ....チュパッ、チュパッ....

 愛しい恋人と交される情熱的なキス。正にそういった風情で紅く染まった唇が醜悪な肉棒を這い回る。
 やがてヌルッと呑み込まれたそれをおいしそうに何度も出し入れしながら、唾液を弾く音を室内に響かせていく。視覚だけでなく、聴覚だけでなく、自分の全てを使い男を楽しませようとするティナの献身的な奉仕は、金の為に体を売っている女達とは又違った感慨を与えてくれる。

「ああ、ティナ、いいよ、すごく上手だ。よく勉強したね」

「チュバッ、うんっ!ティナね、授業中ずっとパパの喜んでくれる顔を思い浮べながらお勉強してたんだよ。そしたらなんだかお股の所が一杯濡れてきちゃって....すっごくパンツを汚しちゃった、ごめんなさい....」

「はははは、ティナ、それはティナがパパの事をそれだけ好きだって事なんだから、謝る事なんてないんだ。それどころかすごく嬉しいね。どれ、そのパンツをパパに見せてごらん?」

「え、いいの?汚いよ?」

「ティナ、ティナには汚い所なんてないんだ。だからそんな事は気にしなくていい」

 その台詞を聞いたティナの顔に喜びの色が一気にあふれ出し、

「うんっ!」

 元気よくそう言うと、床に腰を下ろし、無造作に投出した脚の先から小さな布きれを抜取った。

「ほらっ!見て見て、ここのトコロ。ぐしょぐしょでしょ?これね、パパの事考えるだけでこんなになるんだよ。今パパのおちんぽを舐めさせて貰ったらまた一杯一杯出てきたんだ。ねぇ、これってティナがパパの事を大好きだってしょうこだよね?」

 ホーガンは机の下から差出されたそれを受取りくんくんと匂いを嗅いだ後、確かめるようにそれを握りしめた。
 ポタッ、ポタッといくらかの滴が紅潮した頬に落ちる。それを嬉しそうに口を大きく開けながら受入れるティナ。

「どうだい?ティナのいやらしいおつゆの味は。おいしいかい?」

「うん、パパのミルクの方がずっとおいしいけどね。でもでもこれってティナがパパの事あいしてるあかしだもんね。おいしいよ」

「いやらしい、ティナは本当にいやらしい娘だ。そんなティナがパパは大好きだよ」

「ホントッ!じゃぁ、じゃぁねパパ、今日はティナにパパのミルク一杯ご馳走してね。ティナ、もっといやらしくなるから、パパの好きな事なんでも出来る娘になるから、そしたら一杯一杯おいしいミルクちょうだいね?」

「ああ、ティナがもっといやらしくなればパパのミルクも一杯出てくるから、いくらでも飲めるよ」

「やったぁ!じゃぁパパ、まずはティナがおくちでごほうししてあげる。へへっ、先生も褒めてくれたからティナ、ちょっと自信あるんだ。よっくみててね!」

「ああ、楽しみだ」

 そう言うとホーガンは椅子の背もたれに体を預け、股間に神経を集中する。そっと見やると、額に汗を一杯にかきながら未だ稚拙な奉仕を必死に続けているティナに愛しさが募る。

「なかなか....いい買物じゃないか」

 そう言って赤い髪をそっと撫でつけた。

act.4―――Back Street―――

 私はその光景をライフルのスコープで見ていたんだ。確かにホーガンも虫酸の走る豚野郎だったがね。それよりも私の視線を釘付にしたのは、そこに客人として部屋に来ていた方の奴だ。丸い視界の中でニヘラと笑う顔がアイツだと分った時は、そりゃ飛上がる程驚いたね。その時の感情が怒りなのか喜びだったのかはよく覚えていないけれど、あの自信に溢れた顔に昔の、あの時の光景を思い出しちまった時...私は思わずトリガーを引いちまった。無論弾は入っていなかったがね。
 そりゃぁ何度実弾をぶち込んでやろうと思ったかしれないが、それを思いとどまったのは多分クライアントの為なんかじゃぁない。
 香蘭にならわかるんじゃないかな?そう、傭兵なりのプライドってヤツさ。

 それは、正に”飛んで火にいる”ってやつだった。
 裏町のバーでウィスキーを飲みながらどうやって接触しようかと考えていたら、そいつはやってきた。両手にグラスを、顔にはにやけた笑いを張りつけて...。

「ねぇ君、一人?もしよかったら一杯だけつき合わないかい?」

 私は思わず笑いが零れそうになるのを押えながらそのグラスを無言で受取ると、そいつのそれと重ねてやった。
 いそいそと隣に腰掛けたそいつは至極嬉しそうにしていたね。そしたらまるでもう私が自分の物にでもなったかのようにすり寄ってきやがった。手に握ったジッポーをまるで手品でも見せびらかすように、くるくると弄びながら。

「へへっ、俺はベンっていうんだ。こう見えてもこの町じゃちょっとした顔なんだぜ。この街を仕切ってるホーガンさんにも顔が利くしね。だからもしこの街でなんか困った事があったら俺に相談するといい」

 その台詞に私は思わず吹出すのを堪えなきゃならなかったよ。そりゃそうだろう、ホーガンと話す時のアイツはそりゃ虫けらみたいに這いつくばってご機嫌を取りまくってたんだから。
 まぁそうは言ってもたかが街のチンピラがあの組織にあそこまで食い込んだんだ。そこんトコロはちっとばかし評価してやってもいいのかもしれないが。

「私はキャスリーン....キャスリーン・フォーチュンだ。親しいヤツらはケイトって呼んでるけどね。あんたがその名を口にするのは...まだやめといた方がいい」

「へぇ、ケイトか、良い名前だ。フォーチュンってのもきれいな感じだよ。君の外見に負けないくらいね」

 そいつの馴れ馴れしさは生れついての物なんだろうな。私は特に嫌な感じもせずにそのくだらないお世辞を聞いていた。つまりそいつは初対面で私をケイトと呼んで殴られなかった三人目の男ってわけさ。

「ねぇケイト、この辺じゃ初めて見るけど、どっかから出てきたの?この街には仕事で?それとも誰かに会いに?」

「両方....かな。仕事で人を捜してるんだが、巧くいかなくて困ってた所さ」

 その言葉にベンは”やった!”とばかりに食いついてきた。

「ケイト!さっき言ったばかりじゃないか、困った事があったらなんでも言ってくれって。おっと気なんか使わないでくれよ。俺はただ君の役に立ちたいんだ。俺はさ、君みたいな美人が困っているのを見過すのがどうしても出来ない質なんだよ。さぁ、言ってくれ、どんな事でも相談に乗るからさ。あ、もしここで話せないならもっと静かな所へ移ってもいいんだ」

 ベンの鼻息がどんどんと荒くなっていくのを見るのは滑稽だった。これだけ下心を表に出しまくって引っかかる女なんてのは、超のつく田舎娘か似たような下心を持ったアバズレ位のもんだろうね。自分がそんな女だと思われるのは多少癪だったんだが、仕方なく私は嬉しそうな顔を少しだけ見せてこう言ってやった。

「本当に力になってくれるのか?あ、いや...やめておこう。コイツは、ちょっとばかし難しい仕事なんだ。あんたがどれだけ力を持ってるかは知らないが、今会ったばかりの人間にそんな世話になるワケにもいかないよ」

「ケイト、ああケイト...頼むからそんな水くさい事は言わないでくれよ。ほら、この街じゃぁグラスを三度合わせたらもう親友って呼んでいいんだ。さっき一度合わせたから僕たちはもう友人だ」

「なんだ、友人でいいのか?」

 そう言って私が妖しげに笑いかけてやると、ベンの鼻の下はどんどんと伸びていった。

「あ、いや、まぁ...とりあえずは...そう、それにはまずお互いをよく知らなきゃ、ね?」

 照れ笑いを隠そうともせずベンは無遠慮な視線を私の胸元に投げかけてくる。
 
 普段ならそんな男の眼球にナイフの一つも突きつけてやる所だが、その代りに突きつけたのは....この私の極上の笑顔ってヤツさ。今思い返しても良くできたと思ってる。なにせあれだけの笑顔を男に見せたのは恐らくご主人様以外ではあいつだけだったんじゃないかな。

「いやしっかしおっどろいたなぁ。まさかケイトの探してる人ってのがミスターギルバートだったなんて」

 半ば強引に連れ込まれたベンの部屋でそうぶちあげるアイツの得意げな顔といったらなかったね。まるで『俺に出来ない事なんてないのさ』とでも言わんばかりに小鼻を擦りながら格好をつけていたよ。
 だから、私もちょっとばかし悪のりしてこう言ってやったんだ。

「へぇ、さすがに言うだけの事はあるんだね。思ってたより頼りがいがありそうだ」

 それはひょっとしたら私の瞳にキラキラと星でも光ってたんじゃないかって位、オスカー物の演技だった。

「それじゃぁ早速アポを取ってくれないか?出来れば明日の朝一で会えればありがたい」

 その台詞にベンは慌てたように立上がり私の肩に手を掛けてきた。

「ま、まぁそんなに急がなくても....時間も遅いし、あの人はオフの時間に仕事の話をされるのを嫌がるんだ。だから、さ、今日は仕事の事は忘れて楽しもうよ。実はこんな時の為に取っておきのワインが残してあるんだ。もし良かったら俺の料理の腕前も見て貰いたいね。おっと、こう見えても自信があるんだぜ。俺の知られざる一面ってヤツだな。といってもケイトにはまだどの面も見て貰ってないけどね。ま、とりあえずココに座ってくつろいでてくれよ」

 それだけを一気に捲し立てるとベンはやけに色気のあるウィンクを残して台所へ消えていった。

 仕方なく私は古ぼけたソファに腰を下ろして一息つく事にしたよ。ま、たまにはこんな風にゆったりと流れる時間も悪くない。
 で、私はしばらくは部屋の壁に飾られたサッカー選手のポスターやペナントを眺めていたんだけど、テーブルの上に置かれてたベンのジッポーを見つけるとそいつを弄ぶのに夢中になってしまった。ま、一応ナイフを扱わせたら右に出る者はいないなんて言われてたモンだから、指先の器用さには自信もあったんだけどね。アイツのようにクルクルと自在に取り回すまではいかなかった。もう私は半分意地になってそいつに集中していたね。ふと見るといつの間にか目の前のテーブルに、まぁそれなりに見栄えのするパスタとサラダが並んでいたって位だ。

「結構難しいだろ?貸してみなよ」

 少しばかり悔しそうな顔をしていたんだろうな。まるで勝誇ったようなベンの顔に苛ついたのを今も憶えてる。
 だが、ベンのその特技とも言えない戯事は一度苦労した私には素晴しい曲芸のように見えたもんさ。10本の指の間を自由自在に動き回り、目の前から出たり消えたりする銀色の塊をワクワクしながらじっと見つめていた。そしてそいつがいつの間にか消え去り、テーブルの銀食器の間に並んでいるのを見つけた時にはもう、軽い尊敬の念ってやつを覚えたね。

 そのせいもあったかどうかは分らない。でもその夜は私にとってごく久しぶりの....いやひょっとしたら初めてかもしれない楽しい夜になった。仕事が残っていなかったら、で、もう少しあのワインが美味かったなら、ご主人様に申しわけない事になっちまってたって程に。

< 続く >

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