きつねの眷属 第二話

第二話

 翌日学校に行くと、早桐の様子が少しおかしかった。
 ほんのりと頬が薄ら赤い。といっても別に淫猥な意味ではなく、というか、まあ単刀直入に言うと、風邪をひいているようだった。
 普段から、授業前の休み時間などを友達とのおしゃべりなんかで過ごすような奴ではなかったが、それにしたって今日のあいつはあまりにも元気がなく、半ば以上うなだれるようにして自分の机に座っていた。

「早桐」
「……? ああ、アンタ……? 何か用?」
「何か用、じゃないだろ。資料、持ってきてやったぞ」
「資料……、ああ、アリガト。そこに置いといて……」
「大丈夫か?相当しんどそうだな」
「別に…………、アンタには、関係ないでしょ……」

 そう言ったっきり、早桐は机の上に突っ伏してしまった。
 こりゃ、思ったよりも重症らしい。昨日、俺の風邪をうつしてしまったか。かくいう俺は予想通り一日で体調が回復し、いまや全くの健康体なのだが。
 「アンタには関係ないでしょ」、か。まさしくその通り。早桐が風邪をひいたところで俺には何の痛みも苦しみもない。あるのは、むしろ。

 何の障碍もなく早桐にシールを貼ることができるという、好都合。

 俺は。
 弱々しく机に伏せる早桐の艶かしい黒髪に。
 ぴとり、と、シールを貼り付けた。

「……? 何? 今、アンタ何かした……?」
「ん? いや、別に?」
「そう……? なら、いいけど……」
「しかし、お前、本当に体調悪そうだな。あんまり無理しない方がいいぞ。……今日はもう帰った方がいいんじゃないか?」
「無理しない方が……、そうね……、早退、しようかしら……」
「でも、お前の家遠いし電車乗って家に帰るのだるいよなあ。……そうだ。俺ん家に泊まっていけよ。こっから近いし」
「え……? けど……、悪いわ。いくらアンタっていっても……」
「気にすんなよ、委員長。それより、こんまま学校にいてウィルスばら撒く方がクラスに悪いだろ。俺も風邪気味だから今日はもう早退するし、早く帰る用意しろよ」
「そうね……、わかったわ。それじゃ、先に靴箱に行っておいて……」

 なんとまあ。
 あの理知聡明な委員長を、こうも簡単に言いくるめることができてしまうとは。
 「クラスのため」、という言葉も効いていたかもしれない。こいつは本当に、責任感の塊みたいな女だからな。
 まあ、ともあれ。俺は内心でシールの力に感謝しつつ、早桐とともに校舎をあとにする。

***

 この時間、玉藻は学校に行っていて家にはいない。
 義母の葛葉さんも昨日からずっと帰ってきていないし、おそらく今日も仕事だ。
 必然的に、今、俺の家には俺と早桐以外には誰もいないことになる。

「ここが……、アンタの家……。……初めて来た…………」
「というか、お前そもそも友達ん家とかに行ったりすることあるのか?」
「あんまり……無い。そういう人、いないから……」

 まあ、なんとなくそんな気はしていた。
 人望がないっていうか、なんか近寄りづらいんだよな。早桐は。
 おそらく、男子の間ではそれが共通見解だろうとは思うが、あんまり他の女子とも仲は良くないのか。まさかいじめられてたりしないだろうな。こいつの性格的にそれは無いとは思うが……。

 と、その時。
 俺は、自分の中で。この、日頃からの憎しみの対象である早桐に対して、いつもとは違った感情が芽生え始めていることに気付いた。
 それは、言うならば気遣いであり庇護欲であり、そして紛れもなく早桐という一人の女に対する、愛情、だった。

 こいつを、自分のものにしたい、と。
 しかし、玉藻のときとはまた違った形で、俺はそう思うようになっていた。

「まあ、ということは……、お前が、他人の家に来るなんてのは結構特別なことなんだな」
「そう……、ね。特別な、こと……」
「しかも、風紀一筋な委員長さんが、まさか男の家に泊まるなんて……、よっぽど、俺はお前にとって特別な人間なんだな」
「……そうよ。アンタは、アタシにとって、大切な人…………」

 シールの効力のまま、全く何の疑問も抱かずに俺を恋人認定した早桐の口調は、しかし体調のせいかやはり重く弱々しい。
 なんとなく、物足りないな。……早桐は、やっぱりいつものままでいてくれないと。

「なぁ……、早桐。お前、風邪ひいてる、ってのは、俺の家に来るための口実だったんじゃないのか?」
「え…………?」
「前にも、一回あったろ。学校の帰りに、体調が悪いからって言って俺ん家に寄っていって、結局そのまま帰らなかったってことが」

 その全くのでたらめのエピソードを耳にした瞬間、早桐は、しまった、といった風な表情を顔に浮かべる。
 おそらく、今、早桐の頭の中では、風邪というのが本当に俺の家に来るためだけの口実で、以前にもそれを使ったことを覚えられていたことが不覚だった、というように整理されているに違いない。
 我ながら、おそろしい嘘をよくもまあこうぽんぽんと思いつくものだ。

 早桐自身、さっき「初めて来た」と言ったばかりなのだが、やはりシールの力で記憶はどんどんと新しいものに書き換えられていっているらしい。
 なんともまあ、おそろしいアイテムである。

「……よく、覚えてたわね。アンタのことだからてっきり忘れてると思ったんだけど……、失敗したわ」
「なんだ、全然元気じゃないか」
「当たり前でしょ? 全部演技だったんだから。まぁ、アタシの狙い通り、アンタの家に上がりこむことができたしね! ふふん!」

 したり顔で俺の顔を見つめる早桐。
 病は気から、とはいうが、少し暗示をかけられるだけでこうも変わるものなのか。
 いまや、先ほどまでの早桐はどこにもおらず、いつもの勝気なあいつだけがそこにいた。

「やれやれ、お前にゃかなわんな。まぁ、でも……、俺ん家に来たってことは、アレ、やってくれるんだよな?」
「アレ……?」
「奉仕だよ。お前、いつもやってくれてるだろ?恋人同士だから当たり前だしな」
「あっ……、アンタねぇ! いくらいつもやってるからって……、もうちょっと、マシな言い方ってもんがあるでしょっ!」
「ん、嫌なのか?」
「い、イヤじゃ、ないけど……。わ、わかったわよ。ほら、やってあげるから、早くズボン脱ぎなさい!」

 やれやれ、まったく。
 どこまで淫乱なんだ、このいいんちょーは。
 初めて来た男の家で、いきなり奉仕なんてね。
 まあもっとも、こいつの中ではもう俺はれっきとした彼氏なんだろうとは思うが。

 だが、しかし。
 俺としても、このまま早桐を普通の彼女なんて立場においておくつもりはないし。
 それ以前に、この奉仕自体、普通の奉仕で留めるつもりなど、毛頭ない。
 どうせなら……、早桐の、一番大事なものを俺に捧げてもらおう。

「なぁ、早桐。今日の奉仕は、“髪”でやってくれよ」
「え……、か、髪で……?」
「いいだろ。頼むよ。恋人の俺の頼みなんだぜ?」
「で、でも……」

 やはり……、シールの力をもってしても、この堤防は高いか。
 そう、早桐は……、自分の、その綺麗な黒髪を、かなり大事に思っている。普段からあの艶やかさを保っていられるのは、他ならぬあいつ自身の手入れが行き届いているからだ。
 その早桐にとって、それを、いくら恋人の相手とはいえ、淫事に使うなど……、早々には受け入れることはできないだろう。
 まあ、とはいえ……、それを受け入れさせてしまうのが、俺なのだが。

「ははん、さてはお前……、自分の髪に、自信が無いんだな?」
「!? 何を……っ!」
「自分の持ってるものに自信が無いから、できないってんだろ。もし自信があるならそもそもそんなことで迷ったりしないし、喜んで髪奉仕するはずだぜ。なあ?」
「あ、当たり前でしょっ!ほら、早くベッドに座りなさいよ。アンタの言うとおり、髪でしごいてあげるから、感謝しなさい!」

 まったく、どこまでも負けず嫌いな奴だ。
 それは、普段のこいつの融通の利かないゆえんでもあるが、しかし早桐の思考を操作するという今のこの状況では、全くもってありがたい理性の綻びだった。
 ベッドに座り、威風堂々と自らの怒張を顔に押し当てる俺に、早桐は、しかしそれでいて、やはり恋人のモノだと信じきっているせいか、言葉ほどの抵抗は見せずその長い黒髪を指に絡め巻きつける……。

 と。
 その瞬間。
 早桐の表情が……、奇っ怪に歪んだ。

「んぁっ……!?」
「? どうした、早桐」
「……っ、な、なんでもないわよ、ほっといてっ」

 頬が上気し、呼吸は荒い。
 それはまるで今朝のこいつの風邪の症状と似たようなものにも見えたが、実際のところそうではなく、むしろ、何か自分でも全く予想のしていなかった快楽にさいなまれた、といった表情。
 そう。俺は、こいつには、シールをその“髪”に貼り付けた。だから……、玉藻と同様、副作用で、こいつの場合は髪の毛が極度の性感帯になってしまっているのだ。
 おそらく、今のこいつは髪を一掻きしただけで軽くイってしまうほどの異常状態に陥っているに違いない。その髪で、今から男のモノをしごくとなると……、想像しただけでも顔が綻んでしまう。

「ぅ、はぁ……、は、始めるわよ……」
「大丈夫か、早桐。息荒いぜ。俺のモノを見て興奮してんのか?」
「っ、べ、別に、そんなんじゃ……」
「嘘つくなよ。ったく、前々から思っちゃいたが、お前は本当に淫乱だな。クラスの見本が聞いて呆れるぜ」
「淫乱……アタシ……」
「ほら、手、動かせよ。もっとも……、淫乱なお前のことだし、始める前からこんなに興奮してるようなら、ちょっと手を動かすだけですぐイっちまうんだろうけどな」

 こんな暗示をかけずとも、おそらく早桐はそのシールの副作用で実際にそうなってしまうような気はするが……、念には念を、だ。
 早桐を俺のものにするためには、とにかくこいつに自分が淫乱なのだというイメージを刷り込ませ、そのプライドを地に堕とす必要がある。早桐にとって最も屈辱的な領域で引け目を感じさせることによって、自分は俺に逆らうことのできない弱い人間なんだということを叩きこんでやらなければならない。
 とはいえ、こいつのこの勝気な性格を完全に失わせてしまうのも惜しい。となると、それもまた、俺の話術の見せ所、というわけだ。

 早桐は、慣れない手つき、おそらく本当はこんなことをすることすら初めてだったに違いないおどおどとした手つきで、俺のモノをにぎり、それに自分の黒髪を巻きつける。
 ただ、それだけのことをしている間に、もう早桐の息は上がり、本人は気付いていないのかもしれないが、口の端にはうっすらとよだれすら浮かんでいる。普段のきりっとした目つきはたらんと垂れ、なんともだらしない痴女の表情に成り果ててしまっている。

「う、うごかすわよ……」
「おう」

 早桐が、ゆっくりと、手の平を上下に動かす。
 股間に巻きつけられた髪の、ざらりとした感触。細い紐で締め付けられるような、猫の舌で舐められるような、今までに味わったことのない快感が俺の頭を浸す。
 だが……、その行為に快感を感じていたのは俺だけではなく、それよりも、むしろ……。

「ぁ、ひぃっ!?」
「どうした、早桐?」
「ん、ぁっ、な、なんでもない……、こ、こうやって、上下にうごかせばいいのね……?」
「おう、ただ、もうちょっと速く頼むぜ。とん、とん、とん、ってぐらいにな」
「は、速く……、わ、わかったわ」

 あれほど丁寧にうごかしてこの反応ならば、俺の望むように速く激しくしごきはじめたらいったい早桐はどうなってしまうのだろうか。
 もうそれだけでイきっぱなしになり、ともすれば失神すらしてしまうかもしれない。それもまた、面白い。こいつには、一度、常軌を逸した快楽に溺れさせてやる方がいいだろう。
 俺は、早桐に、「早くやれ」とあごで指し示す。それを見た早桐は、おそるおそる、しかしそれでいて大胆に、その指と髪の毛で、俺のモノを大きくこすり、そして……。

「んふぁぁぁああっ!?」
「なんだ、早桐。手でしごいてるだけで、もうイったのか。どんだけエロいんだよ、お前」
「ち、ちがうぅ、なんか、なんか、ヘンなのぉ……」
「変じゃない、それが、いつものお前。本当のお前だよ。ほら、イけばイくほど、どんどん手の動きは加速してくぞ! 俺が出すまで、お前は髪でしごき続けるんだ!」

 理解を超越した快楽に、半ば以上おびえてすらいる早桐にむりやり鞭を打ち、激しい奉仕を強要する。
 紅潮して真っ赤な早桐の顔。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになり、強制的に押し寄せてくる快楽に顔をゆがめながら髪コキを続けるそいつからは最早普段のつんと張り詰めたオーラはなく、ただひたすら淫欲に乱れる牝に成り果ててしまっていた。

「あぃっ、ぃやぁっ、やだ、やだぁ、こんなの、ヘンよぉっ、イヤなのにぃ、やめられないのぉっ」
「嫌、じゃないだろ。お前は、喜んで俺に奉仕してるんだ。俺を愛してるから、それだけ気持ちよくなれるんだ。お前が気持ちいい分だけ、お前は俺を愛してるんだ」
「気持ちいい、ぶんだけ……、じゃあ、好きぃ、アタシ、アンタのこと、大好きなのぉっ! 好きすぎて、おかしくなっちゃいそうなのぉっ!」
「お前は、世界の何よりも俺を愛している。表面では強気なままだが、心の奥底では、最愛の俺に全てを捧げたいと思っているし、俺に尽くすことでのみお前は最高の幸せを手に入れることができる」
「アンタに、ささげたい……、アタシの、だいじなもの、ぜんぶぅ……! アタシのからだも、アタシのこころも、ぜんぶ、アンタにぃ……!」
「くっ……、そろそろ、出すぞ! 全部受け止めるんだ! そして、俺の精液を受け止めた瞬間、お前は完全に俺のものになる! 俺のために生きることになんの疑いも感じなくなる!」
「はいぃっ! ぜんぶ、ぜんぶあげるぅ! アタシのもってるもの、ぜんぶ、アンタにあげるのぉっ!」
「よし……! っ、イくぞっ!!」

 どくっ。

 脈打つ、生命の鼓動。
 その瞬間に俺の視界は一瞬ホワイトアウトし、本能だけが俺の頭を支配する。
 それは、ほぼ、無意識。全くの偶然に、俺は、早桐の髪の毛に射精してしまっていた。
 マグマのような熱い精液を、性感帯と化した髪にぶちまけられた、その人知を超えた快感。早桐もまた、あっ、あっ、と、呻き声に近い喘ぎを漏らしながら、深い絶頂に達してしまっていた。

***

 それから、しばらくして。
 早桐は、なおもまだ少し気だるそうなものの、しかしその目つきはいつもの、きっ、とした釣り目がちなものに戻っていた。

「……ホント、アンタっておそろしいまでの助平男よね。普通、学校早退してまでこんなことする?」
「何言ってんだ、やりたいって言ったのはお前じゃないか」
「え?」
「お前が我慢できないって言ったから、仕方なく付き合ってやったんだろ。スケベはお前だ」
「……うっ……! ま、まぁいいわ。この話は、この辺で終わりにしましょう」
「はいはい。……ああそうだ、早桐」
「な、何よ」

 俺は。
 最後の仕上げに取り掛かる。

「お前が、世界で一番愛してるのって、誰だっけ?」
「はぁ? 何言ってんの? そんなの、アンタに決まってるでしょ?」
「だよな」

 よしよし。
 俺の望みの全てが、実現した。

< つづく >

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