トラジコメディ うえ

うえ

 所々汚れで濁った窓からは西日が差し込み、築三十年はあろうかという教室内を例外なく赤く染め上げている。黒板の横、授業の妨げにならないようにひっそりと書かれた文字は、明日から定期テストに入ることを密やかに主張している。
 教室に、ほとんど人影はない。皆、明日から始まる戦の為に家で英気を養っているらしかった。
 ……一部の例外を除いて。

「だから、頼むってばさー」
「……」

 その例外の一人である貝塚伸也(かいづか しんや)は、自分の目の前で携帯をいじくっている友人、浜村恭太(はまむら きょうた)に向かって情けない声で頼んだ。二人はコウ校二年生であり、明日から始まる定期テストは進級を決める重要なものだった。
 とはいえ、ほとんどの生徒はそんなことは気にも止めていない。これまでのテストでそれなりに頑張っていれば、たとえ全教科で赤点を取ろうとも問題ないからだ。問題があるのは、これまでのテストで惨憺たる成果を積み上げてきた猛者だけである。そして、貝塚伸也は数少ないその一人だった。というかオンリーワンだった。

「なあ、英語だけでいいんだって。頼む!」
「……」

 伸也が目の前の恭太に頼んでいるのは、無論明日からのテストについてのことだった。控えめに言って頭が壊滅的に悪い伸也にとって、今回のテストが進級を掛けた最後のチャンスと言っても過言ではない。特に、毎回得点率八パーセント以内という実績を積み重ねてきた英語は、最大の鬼門だった。そこで、全教科とも九十五パーセントを割ったことがないという恭太に、勉強を教えてもらおうと考えたのだ。
 そして今、伸也は貧相なボキャブラリーを総動員して、恭太に助力を求めていた。ちなみに、伸也はつい先日までボキャブラリーのことをボブギャラリーだと思っていた。そこからしてもうアウトな感がある。

「一生のお願いだから! もうミスれないんだよ! お願いします!」

 最後にそう言い、伸也は頭を九十度に下げた。
 静寂。

「……ふう」

 それからしばらくして、恭太はため息と共に携帯を閉じ、顔を上げた。そして頭を下げたままの伸也を視界に入れると一言。

「ん、なんか言ってんですか?」
「微塵も聞いてねぇ!?」

 あっさりと言った恭太に、伸也は愕然とする。

「ああ、冗談です」
「止めてくれ、悲しくなる……」
「それより、英語のテストの話でしたっけ?」
「ああ。なんとかして欲しいんだが……ヤマとか教えてくれよ」
「無理ですね」
「何故即答!?」
「僕が思うに、君は英語に向いてないんですよ」

 そう言って恭太は、遠くを見る目つきをする。そして、伸也が積み重ねてきた数々の武勇伝に思いを馳せた。

「『恐竜は今ここに居る』っていきなり訳し出すから何かと思えば、nowhereをnow-hereって区切って読んでただけだったりとか」
「惜しいじゃねえか」
「全然。それにアレです、この前、『shouldに比較級があった!』って騒いでるから何かと思ったら、shoulderをショルダーって読めてなかっただけでしたよね」
「まさに肩すかしってヤツ?」
「死ね。そんで極めつけはアレですね。いくら知らなかったからって、selfishを『魚屋』って訳したのはないですよ。『sel-fish』じゃなくて『self-ish』でしょうが。なんで『彼はとても魚屋なので皆に嫌われている』ってなるんですか。魚屋を馬鹿にしないでください」
「だってなんか生臭そうだし……」
「言い訳にもなってませんからね、それ」
「ううぅ……」
「とにかく、そういうわけですから。諦めてください。まあ一年くらい余分に勉強した方が君の為だと思いますよ」
「ひ、酷い……」

 がっくりとうなだれた伸也を、恭太は見下した目で見ながら続ける。

「それに正直、後輩になった君をいびり倒すのも面白そうですし」
「お前、ドSだな!」
「違いますよ、これは今流行のツンデレってヤツです」
「デレて! 頼むからデレてくれ!」
「『誰が貴様なんぞにデレるか。気色悪い』」
「それじゃただのツンだろーが!」
「萌え要素の半分を施してもらっただけでもありがたいと思ってください」
「俺、お前になんか嫌われるようなことしたっけ!?」
「や、別に。ただ単に相手するのが面倒くさいだけです」
「お前の中でどんだけ価値低いんだ俺は!」
「切ったら二つに成長しそうな感じ?」
「プラナリアか! せめてほ乳類でお願いします!」
「じゃあ、腐ったドブネズミで」
「できれば生きた状態がいいです!」
「じゃあ、生きながらにして腐ったドブネズミで」
「そこまで腐敗にこだわるその意味は!?」
「臭いから近寄らないでください」
「……もう泣きそう」
「泣けばいいじゃないですか。ほら、ほら」

 心底楽しそうに自分を罵倒する恭太に、伸也は涙で湿った鼻声で懇願する。

「頼みます。君しか居ないんです。どうか助けてくださいお願いします」
「知りませんよ。それとも、なんか見返りでもあるんですか?」
「み、見返り?」
「そう。君の留年一年分に相当するだけの代償を提供するなら、僕も協力してあげないこともないんですけどね」
「う……」
「ほら、ないんでしょ? じゃ、諦めてください。君は馬鹿でしたけど、一緒に居ると結構楽しかったですよ……」

 余韻たっぷりに去ろうとした恭太の服を、伸也は咄嗟に手を伸ばして掴んだ。

「ま、待てっ!」
「……何ですか、人が折角美しい別れを演出してあげてるのに」
「……ある!」
「は?」
「見返りは、ある!」
「……何ですか?」

 伸也はそこで、大きく息を吸った。自分がこれから言おうとしていることは、自分の抱えている最も重大な秘密に関わることだった。これが公に知られてしまえば、命の危機すらある。それ程の秘密である。だが、進級を掛けたテストの前では、その危機も塵と同じだった。
 こういうその場しのぎの思考により今の窮状があるのだが、そのことを理解するだけの脳を、残念ながら伸也は持ち合わせていなかった。伸也は腹を決めて、宣言した。

「お、女だっ! 女をあてがってやるっ!」
「帰ります」

 即座にきびすを返した恭太を、伸也は慌てて再び捕まえる。

「待て、本当だって!」
「すいません、そろそろ『友情戦隊*ヤラレンジャー』の再放送が始まる時間なんです」
「そんな戦隊モノがあってたまるかぁ!」
「ちなみに真ん中のアスタリスクはケツの穴をイメージしていてですね……」
「どうでもいいわ!」
「……チッ」
「舌打ちされたっ!?」
「全く、人が折角遠回しに断ってあげてるのに。じゃあはっきり言いますよ。アホの君にはもうこれ以上付き合ってられません」
「いや、マジだって! 信じてくれよ!」
「君のどこを信じればいいんですか。六戦全敗の君の。この前成瀬さんにフラれたばっかりだっていうのに」
「人の傷を抉らないでくれえぇ!」

 そう、この男、昨日で人生六度目となる失恋を経験したばかりだった。
 相手は同じクラスの成瀬晶(なるせ あきら)。学年で一、二を争う美少女だともっぱらの噂である。恭太の目から見ても、玉砕は明らかであった。

「てっきりネタだとばっかり思ってたんですけどね」
「うるせえ! 成瀬さん、九分九厘俺に惚れてると思ったんだよ!」
「けど、事実は事実でしょう。現実は残りの九割一厘だったじゃないですか」
「でも、俺と視線が合うとすぐに目を逸らしたりしたんだぜ。恥ずかしかったからじゃなかったのか?」
「それは君がキモい目で見てたからじゃないですか?」
「黙れよ! この美少年のどこがキモいんだ!」
「わかりましたから、その興奮した醜い顔を近づけないでください。気色悪い」
「オブラート! せめてオブラートに包んで!」
「既に包んでるんですが」
「それでこれ!? もっと包めや!」
「これ以上包むと、逆に飲み込みづらくなりますから」
「どれだけ包んでんだよ! もうちょっと頑張ってみてくれ!」

 恭太は顎に指を当てて、少し考える振りをしてから言った。

「……顔が不自由な人」
「微妙だー!」
「かわいくいえば、ぶちゃいく」
「別にかわいくねぇ!」
「まあ、本質がその顔ですからね。鳥のフンを『天空の使者からの贈り物』と言ったところで、汚物に変わりはないのと同じです」
「鳥のフン扱いかよ!」

 伸也は机をバンッ! と叩いて言った。

「違うんだ! 確かにあのときはダメだったけど、今は違うんだよ!」
「どう違うんですか。言っておきますが、二次元は嫌ですよ」
「そんなんじゃねぇよ! 実は俺、超能力が使えるようになったんだよ!」
「君ね……。宿題忘れた小学生だってもう少しまともな嘘をつきますよ。最近の小学生は馬鹿になりませんよ」
「嘘じゃない!」

 伸也は断言した。すると恭太は、ゆっくりと振り返って伸也の目を見つめた。いつになくその表情は真剣だ。伸也は唾を飲んだ。

「……本当に、そう思ってるんですか?」
「……ああ!」
「よし、じゃあ病院に行きましょう」
「何故ー!?」
「や、だって当然でしょ? いきなり『自分が超能力者だ』って言う人が居たら、間違いなく頭おかしいでしょうが」
「そうかもしれないけど、俺は本当に使えるんだって!」
「はいはい、わかりましたって。続きは白衣を着た人の前で言ってあげてください。ね?」

「頭が悪いとは思ってましたが、ここまでとは……」と呟きながら、恭太は手に持っている携帯電話のボタンを押し始める。伸也は覚悟を決め、恭太の携帯電話を指差して叫んだ。

「『ウムラヤパタ・ロピスペルダ、サイ』!」

 伸也が叫ぶのと同時に、ビシィッ! という音を立てて、恭太の携帯電話に一本の亀裂が走った。

「っ!?」

 恭太が驚いて手を離すのと同時に、携帯電話が罅に覆い尽くされる。そして床に落下したそれは、衝撃で無数の破片となって散らばった。

「お……!」
「どうだ、すごいだろ! これが俺のちょうの……」
「僕の携帯ー!」
「おぶべっ!?」

 伸也が得意げに自慢をする前に、恭太の蹴りが伸也の腹を貫いた。後ろに吹き飛んだ伸也に、恭太は駆け寄る。

「てめぇ、なんてことしてくれやがる!」
「……!」

 腹を押さえて悶絶する伸也に、言葉遣いが若干荒くなった恭太は遠慮なく蹴りを追加する。そこに人間に対する遠慮はない、ゴキブリが逃げこんだ雑誌を踏みつけるような勢いで、何度も何度も足を振り下ろす。

「いくらしたと思ってんだ、ああ!?」
「ごめ……! ぐぇっ!」
「しかも液晶からSDから全部壊しやがって!」
「ぐあああっ! す、すみませ……っ!」
「謝って済む問題じゃねえだろゴラァ!」

 げしげし。げしげしげし。豪雨のように降ってくる足の裏を、伸也はダンゴムシのように丸まって耐えるしかない。
 ……伸也に発言が許されたのは、それから五分間容赦ない蹴りを全身にまんべんなく浴びた後だった。適度な運動で汗をかいた恭太は、荒い息で伸也から足をどけながら尋ねた。

「はー、はー、はー……。……ん、そういやさっきのはどうやったんですか?」
「……だから、俺の超能力を使ったんだって」
「うむ……にわかには信じられませんけどね。僕の携帯……」そう言って、恭太は思い出したように伸也を蹴ると続けた。「……を壊したのは事実ですしねぇ」
「もうしません反省しております許してください」
「気が向いたら。それより、その超能力はどうやって身につけたんですか?」

 恭太がそう言うと、伸也はとりあえずは満足した様子で涙を拭き、鼻をかみ、身体中についた埃を落としてから、椅子に座り直し、語り始めた。
 話のあらすじはこうだ。今日の朝、伸也がいつものように学校に行く為歩いていたところ、発光する物体が宙に浮いているのを発見した。それは少しの間空中をふらふらと飛んでいたが、伸也を見つけると一直線に突っ込んできた。そしてそれは伸也の胸に触れると同時に、かき消すように見えなくなってしまった。ついで、自分のものではない声が頭に鳴り響いた。その声によると、声の主は異星人であり、地球での寄生相手を探していたのだということだ。
 伸也は寄生をさせる代わりとして、その異星人の持つ超能力を使う権利を得たらしい。

「……なんだか某巨大ヒーローのようなストーリーですね」
「俺もそう思う。別にベータカ○セルもスパークレ○スもないけどな。というわけで、今俺の中にはもう一つの命があるんだ! ちなみに今は睡眠中だ!」
「男は妊娠しないはずなんですが」
「違う! 何を聞いていたんだお前は!」

「冗談ですよ。つまりアレですね、今流行のジャギ眼ってやつですか」
「そうそう、『俺の名を言ってみろ』……って、それも違ーうっ! いろいろと!」

「なるほど、その能力を使えば女の子だってゲットし放題ってわけですね?」
「ちが……いや、違わないけど……」
「ふーん、すごいですね。じゃあ……」

 そう恭太が言いかけた時、比較的大きな音を立てて扉が開いた。二人は同時に扉の方を向く。
 烏の濡れた羽のような黒い髪をショートカットにした、黒ぶち眼鏡の女子が立っていた。学級委員の春海渚(はるうみ なぎさ)だった。

「まだ残ってたの? 明日テストなんだから、早く帰りなさいよ」

 渚は眼鏡を手で直しながら、きつい口調で二人に向かって命令した。その声音には明確な敵意が感じられる。それもそのはず、常に学年で二位という立場に甘んじている渚は、一位の恭太に対して常日頃から敵愾心を抱いていたし、常に最下位独走中の伸也を見下してもいた。そのため、二人にとって渚は天敵のようなものだった。渚は嫌みたっぷりに言う。

「まあ、浜村君なら今更勉強しなくても余裕なのかもしれないけどね」
「や、そんなことはないですよ? 僕だってそれなりに勉強してますから」
「そうなの、それなり……ね。それにしては、そこの貝塚君とよくつるんで遊んでるじゃない」
「なんだよ。悪いかよ?」
「別に? でも、進級が危ないってのに随分と余裕なのね」
「なんでお前が知ってるんだ!」
「先生に成績表を見せてもらったのよ」
「プライバシーはどこに!?」
「私は学級委員だから、クラス全員の成績を見る権利があるのよ」
「無茶な……」
「それはそうと、浜村君も困らない?」
「……何にですか?」

 そこで渚は、伸也を馬鹿にした目で見ながら言った。

「こんな低能と一緒に居たら、馬鹿が感染るんじゃないの?」
「……!」

 その一言に、伸也の頬にさっと赤みが差した。

「おい、恭太」
「なんですか?」
「こいつでいいか?」
「……は?」
「こいつでいいかって聞いてるんだよ」

 そこまで言われて、恭太もようやく理解する。伸也は、渚をゲットしてやると言っているのだ。確かに、渚は性格的に難はあるものの十分にかわいいし、その性格のおかげか今まで誰とも付き合ったことが無いと聞いている。おそらく処女だろう。胸も同世代の子と比べて格段に大きい。というか巨乳だ。第一眼鏡っ子である。選択として悪くはない。

「ああ、いいですよ」
「よし、わかった」
「……何、あなたたち? 何訳の分かんないこと言ってんのよ?」
「うるせーよ。『アメントルフェ・ファタパンタオ、ソウ』!」

 伸也が渚を指差してそう唱えるのと同時に、恭太は伸也の身体が淡く発光したように感じた。
 いきなり意味不明な言葉を叫んだ伸也を、渚は得体の知れないもののように見る。

「はぁ……? 何、とうとう頭がおかしくなったの?」
「『黙れ』」
「……っ!?」

 伸也の一言で、渚の声がぴたりと止んだ。本人も驚いた様子で口をパクパクさせているが、一向に言葉が出る気配はない。恭太は少し不安になり、伸也に尋ねる。

「伸也、何をしたんですか?」
「ああ、肉体の支配権を乗っ取ったんだよ。俺とお前の言葉に優先的に従うようにしてある。試してみろよ」
「へぇ……。じゃあ、『両手を上げて』」

 恭太の言葉に従い、渚の両手が上がる。渚は、自分の意志とは無関係に動く自分の身体を、信じられないといった表情で見つめる。

「『ジャンプして』」

 言葉通りに、渚の乳が踊る。もとい、渚が飛び跳ねる。その乳圧で、ブラウスが弾けそうな程張りつめている。伸也が鼻を押さえた。鼻血が出そうになったらしい。恭太も目の前で上下に跳ねる二つの小玉スイカを見ながら、体育教師の山口が何故あそこまで縄跳びを女子のカリキュラムに入れようとしていたのかを理解した。確かにこれは壮観だ。

「もういいです。『服を脱いで。脱ぎ終わったら動かないこと』」

 恭太の命令に頭では逆らっていても、身体はその通りに動いてしまう。渚はその理解不能な状況に混乱した頭で、言われた通りに自分の手が服を脱がしていくのを見つめるしかない。
 渚の指がネクタイを外し、ブラウスのポタンを一つ一つ外していく。ブラジャーが露になったところで、渚はこんなことならもっといい下着を着けてくればよかった、と的外れな後悔をした。
 ブラのホックが外れ、生乳が現れる。伸也の頭の中で、「キングスライム×2 が あらわれた!」とエンカウントのアナウンスが鳴り響いた。やや陥没気味の乳首と少し大きめの乳輪が、柔らかな膨らみの頂上で生意気に自己主張をしている。それでいて女子コウ生の乳である。それらの連続波状攻撃によるダメージに耐えきれず、伸也の鼻からとうとう鼻血が出た。だが伸也は目の前のおっぱいに夢中でそれに気づく様子が無い。
 そんな伸也を見かねて、恭太は声をかける。

「伸也」
「……」
「……伸也?」
「……!? あ、何だ?」
「全く……。見とれるのもわかりますが、鼻血出てるのには気づいてください」
「え、あ、ああ……」

 言われて初めて、伸也は自分の鼻が流血していることに気づく。伸也はポケットからティッシュを取り出し、丸めて鼻に詰めた。なんとも間抜けな格好である。

「それに、さすがに今人に来られたらまずいでしょう。なんかこう、結界的な何か、張れませんか?」
「ああ、そうだな……。『ラメトリトエ・テトラタウム、ロウ』!」

 天井を指差した伸也の身体が発光する。三度目ともなると、恭太も伸也の身体がどのように光っているのかを観察できるくらいの余裕が出てきた。
 呪文を唱えることで、光が伸也の身体から吹き出す。そしてそれが、伸也の指を伝って指差している方向へと飛んでいくのだ。おそらく、その光を浴びることで呪文の効果が現れるのだろう。
 ……そう考えると、先程携帯を壊された時は、実はピンチだったのかもしれない。少し間違えば、粉々に砕け散っていたのは自分の頭だったかもしれないのだ。恭太は密かに肝を冷やした。

「よし、これでおっけ。今から、俺らが望まない限り誰とも会うことはないぜ」
「ですか。便利な能力ですね。じゃ、これで心置きなくできますね」

 そう言って恭太は、今や全裸となった渚の、反則的な膨らみに手を伸ばした。
 むにゅっ。

「……!」

 恭太は、絶句した。
 たかが脂肪の塊と侮るなかれ、それは想像を絶する柔らかさと弾力を兼ね備えていた。しかも肌が吸い付くように指に絡んでくる。同じ脂肪でも、デブの木下のたるんだ腹とは全然違う。男と女で、脂肪の使い道にこんなにも差があるというのか。「神は初めに男を作った。そして、次にもっといいことを思いついた」という文章が恭太の頭の中に流れた。創造主の多大なる依怙贔屓が伺えるというものだ。

「おい、何ぼーっとしてんだよ……」

 放心したような顔でひたすら手を動かす恭太にしびれを切らし、伸也は恭太同様に渚の乳へと手を伸ばす。
 もにゅんっ。

「……馬鹿な……」

 そして、思わず口から言葉が漏れた。
 なんだこれ。完全に予想外の感触。むっちりとして、それでいてしつこくなく、手の中で自在に形を変える。コンドームに水入れたときの弾力とかとは訳が違う。全く比べ物にならない。あれを乳の感触だと信じて、牛乳垂らして疑似パイズリして喜んでいた自分がたまらなく惨めに思える。というか渚は毎日これ揉み放題なのか。羨ましすぎる。代われ。
 それから少しの間、伸也と恭太は渚の乳を揉んだりつまんだり持ち上げたり引っ張ったり揺らしたり挟んだりしては女体の神秘に感動していたが、そのうちに、真っ赤な顔でこちらを睨んでいる渚に気がついた。

「ん、何か言いたそうだな。『話していいぜ、ただし大声は禁止な』」

 伸也がそう言うと、渚は出せる範囲で最大の音量で叫んだ。

「死ねっ!」
「おっとお!?」
「このゲス共が! その汚らわしい手を今すぐどけなさい! 死ね、変態!」
「うわぁ……」

 発言が許可された途端、猛烈な勢いで自分たちを罵倒する渚に、伸也達は軽くたじろぐ。

「言葉遣い悪い女子とか引くわ、マジで……」
「まったくですね」
「黙れっ! こんなことして、許されるとでも思ってるの!? 絶対退学にしてやる! 訴えてやるから!」
「だってよ。どうする、恭太。俺らこのままだと退学らしいぜ」
「えー、マジですか? それは困りますね。その前に、とりあえずもうちょっとこの乳揉んでおきましょう」
「触るなっ! 気持ち悪いのよっ!」
「うわあ……。女子にキモいって言われるとダメージでかいな……」
「とか言いつつも手が動いてますよ、伸也」
「いやほら、怒りを俺のテクで和らげてもらおうと思ってさ」
「馬鹿じゃないの!? それにアンタ下手クソなのよ! そんなんじゃ、蚊に刺された程度も感じないわよ!」
「え、お前蚊に刺されて感じるのか?」
「だから感じないって言ってるでしょう!」
「……ん? まあいいや。じゃあ、お互い楽しめるようにしないとな。『メイトニェマク・ソベルポドス、シャ』!」

 先程と同様、呪文を唱えた伸也の身体が発光する。渚もそれに何かあると気づいたのだろう、伸也が唱えた途端、はっきりとわかる程に青ざめた。

「伸也、今の呪文は?」
「ん、感覚操作。今のこいつは、感度が通常の数倍になっちまってるんだぜ。ほら、こんな風に……」

 そう言って伸也は、渚の首筋にそっと息を吹きかける。

「はっあ……!」

 途端、渚は頬を桃色に染め、身体を震わせた。伸也は渚の股の間に手を入れ、陰部を触る。ぬるり、とした感触が指から伝わった。
 伸也は、透明な糸を引く指を渚に見せつけて言う。

「おいおい、感じないとか言っといてこれはなんだよ」
「う、うるさい! アンタ達が変なことしたんでしょ!」
「まあ、そうなんだけどな。じゃ、とりあえず一回気持ちよくなっとこうか」

 そう伸也が言い、二人は渚の身体を愛撫し始めた。

「うぅ っ! く、ふぅ……っ!」

 渚は必死に歯を食いしばるが、時折その口の隙間から熱い吐息が漏れるのを止めることはできない。

「ほれほれ、どーだ。ここがいいんだろ、ん?」

 悪役の中年親父のようなセリフを言いながら、伸也は固くしこった乳首をつまむ。

「……っ!!」

 渚は必死でその快感に耐えようとする。が、身体を動かせない為に、抵抗はおろか喘ぎ声が出そうな口を塞ぐことすらできない。それゆえ、渚は与えられる快感をダイレクトに感じてしまう。
 やや荒い毛を掻き分けて、伸也の指が渚の秘所へと到達する。クリトリスは既にぷっくりと充血していた。伸也は愛液に濡れた指で、コリコリと弾力のあるそれを弾いてみた。

「ひっ!」

 渚が息をのむのと同時に、股間から出る愛液の量が急増した。伸也はにやりと笑うと、陰核をいじる指に力を込めた。乳首をいじっていた時よりも更に激しく、伸也の指が動く。クリトリスと同時に、膣の入り口も指で何度も往復してこする。

「ふあ、ああんっ! うあ、あはあっ……!」

 我慢できず、とうとう渚は嬌声を上げ始めた。それを聞いて、恭太は眉をしかめる。

「なかなかやりますね、伸也。でも、そう簡単には負けませんよ」

 伸也の指により渚の喘ぎ声が一段と高くなったことで、恭太は対抗心を燃やし、胸への愛撫に一層集中する。乳輪をなぞるように丸く指を動かし、時々胸全体を緩急をつけて揉んだり、乳首をこねたりする。
 胸と股間、両方からの刺激を受け、渚の限界が近づいてきた。乳首とクリトリスに更に血液が集まり、愛液の分泌量も増える。それを察知すると、伸也と恭太は目を見合わせた。

「……いくぜ?」
「わかってますよ」
「「……せーのっ!」」

 伸也と恭太は目配せをすると、タイミングを合わせて、伸也は陰核を、恭太は両乳首を思いっきりこね回した。

「あ、あああああぁっ!!」

 びくん、と渚の身体が跳ね、股間から透明な液体が数回吹き出し、伸也の手を濡らした。イってしまったのだ。渚は全身を桃色に染め、荒い呼吸を繰り返す。乱れた髪の毛が数本頬に張り付いている様子が何ともエロチックだ。
 伸也は愛液で濡れた手を振りながら、そんな渚を見下すように言った。

「おいおい、お漏らしかよ。ダメだぜ、こんなところでしちゃ」
「ふざけないで……! 人を、何だと思ってるのよっ!」
「んー、何でしょうか。……ペット、とかですかねぇ?」
「ペ……!?」

 こともなげに言い放つ恭太に、渚は絶句する。

「お、それいいな。決定。お前、今から俺らのペットな」
「だ……誰がペットよ! ふざけんじゃないわよ!」
「おい恭太、こいつペットのくせに飼い主に乱暴な口をきくんだが」
「そうですね。随分と、躾が足りないみたいですね」
「こんの……!」
「『四つん這いになれ』」

 今にも飛びかからんばかりの形相の渚は、しかし伸也の言葉に従って床に手と膝をついてしまう。渚は怒りでぎりぎりと歯を食いしばりながら、動けない身体の代わりに殺意に満ちた視線で二人を睨む。

「おお、怖い怖い。恭太、こいつ相当ストレス溜まってるみたいだぜ」
「いい加減にしなさいよ! 犯罪なのよ、これは!」
「……確かに、伸也の言う通りみたいですね」

 恭太はそう言うと、教室から出て行く。開いた扉を、渚は不安そうな目で見つめる。

「な……何を、するつもりなの?」
「さあ? わかんねぇけど……お前にとって嬉しくないことだってことは、確実だろうな」
「う……」

 それから少しして、恭太はその手に何かを持ちながら戻ってきた。
 戻ってきた恭太に、伸也は尋ねる。

「おい、一体何してたんだ?」
「ああ、廊下にある僕のロッカーから、これからすることに必要な道具をとってきたんですよ」
「道具?」
「はい。ストレス溜まってるペットに必要なことと言ったら、一つしかないでしょう?」

 そう言って恭太は、手に持っていたものを二人に見えるように示した。

「お散歩、ですよ」

 荷造り用の、ビニル紐。
 そして、布製のガムテープだった。

「ほらほら、足が止まってますよ。早く歩かないと、人が来るかもしれませんよ?」
「く、くうう……」

 恭太の言葉に、渚は小さく呻く。
 場所は、三人の通っている学校の廊下である。
 ほんの一時間程前には多くの生徒達で賑わっていたであろう場所を、三人は歩いていた。いや、三人というと語弊があるかもしれない。なぜならそのうちの一人、渚は四つん這いだからだ。
 下着は着けず、スカートとネクタイ、それに眼鏡のみが着用を許されているだけという格好。両胸の乳首にはガムテープが張られ、一応隠されてはいる。だが少しでも風が吹けば、スカートの下の陰部が丸見えになってしまうだろうし、ガムテープの面積自体も小さいため、むしろ全裸よりも劣情をそそる感じすらある。そうして、四つん這いで歩くよう命令されている。渚は屈辱と羞恥で、気が狂いそうだった。
 ネクタイにはビニル紐が結えつけられ、その先は伸也の手に繋がっている。まさに犬の散歩のようである。しかし繋がれているのは犬ではなく渚であるし、場所も外ではなく学校の廊下である。その異質な組み合わせが、斜陽に照らされ不思議なエロティシズムを作り上げていた。

「……こんな格好させるなんて、正気なのアンタ達!?」
「何言ってんだよ。ちゃんと大事なところは隠してやってるんだから、むしろ感謝して欲しいくらいだぜ」
「そういう問題じゃないでしょ!? こんなの、誰かに見つかったら……!」
「間違いなく変態だって思われるでしょうね。貴女が」
「な……!」

 もちろん、見つかるようなことはありえない。伸也が張った結界は、実は学校全体に作用していた。だが二人は渚にはあえてそれを知らせず、焦る様子を見ては楽しんでいた。
 笑いをこらえながら、こともなげに恭太は言う。

「ああ、もちろん僕たちは隠れますよ。まさか、僕たちのことを人に話すことができるなんて、思ってないですよね?」
「そ、そんな……」
「まあ、多分大丈夫ですよ。もう下校時間なんでしょう? 生徒はほとんど帰ってますって」
「全員がそうとは限らないじゃない! それに、先生達だって……!」
「何とかなるんじゃないですか? 一応、乳首とマンコは隠してますしね。せいぜい頑張って言い訳をしてください。はははっ!」

 全く悪びれる様子も無く、恭太は笑う。
 この人間達には、何を言っても無駄だ。もうこうなったら、一刻も早くこの恐ろしい散歩を終わらせるしかない。渚はそう観念し、歩く速度を速めた。

 だが少し経った頃から、渚の身体に異変が現れ始めた。動作が緩慢になり、どことなく落ち着きがない。
 そうしてもうしばらく経った後、渚は小声で切り出した。

「ねぇ……」
「ん、なんですか?」
「……レ」
「よく聞こえないから、もっと大きな声で言ってくださいよ」
「……トイレに、行かせて」

 そう。渚は、強い尿意を催していた。まだ衣替え前とはいえ、そろそろ肌寒くなってくる頃である。リノリウムの廊下は冷えている。その床に近いところで、ほとんど全裸のような格好で居れば、自ずと身体は冷える。
 恭太は辛そうな渚を見ると、至極普通に言った。

「そうですか。じゃあ、丁度いいからそこでしてください」

 だがそう言って恭太が指差したのは、職員室だった。

「は!?」
「ああ、別に中に入れって言う訳じゃないです。扉の前でいいですよ」
「で……できるわけないじゃない!」

 渚は怒鳴る。今でさえいつ見つかるかわからないというのに、これ以上危険なことなどできるわけがない。すると、恭太の口から思いがけない一言が出た。

「そうですか、じゃあいいですよ。家に帰っても」
「え……」

 予想外の驚きと喜びは、しかし次の言葉で絶望へと変わる。

「もちろん、着替えさせてもらえるなんて思わないでくださいね」
「そんな……」
「好きな方を選ばせてあげますよ。人気のない職員室の前でするか、ほとんど全裸のまま家まで帰るか。さあ、どうしますか?」

 究極の二択である。まともな人間なら、どちらも即座に拒絶する。だが、今の渚にその権利は無い。渚は屈辱に満ちた表情でしばらくぶるぶると震えていたが、やがて小さな声でぽつりと言った。

「……………わよ」
「ん?」
「わかったわよ! すればいいんでしょう、すれば!」

 吹っ切れたように怒鳴った渚は、職員室の前まで行くと、スカートを捲ってしゃがんだ。その姿を見て、恭太は首を横に振った。

「ああ、違います」
「何よ! これ以上どうしろってのよ!」

 職員室の前である為、渚の反論の声は小さい。それに対し、当然とでも言うように恭太は答えた。

「人間は人間らしく、ペットはペットらしく。貴女はペットなんですから、四つん這いのまま片足を上げてしてください」
「はあ!?」

 再びの恭太のあり得ない発言に、渚は目を剥く。

「この……変態!」

「うん、変態だ」とは伸也は言わない。下手をすれば自分まで巻き込まれてしまうし、そもそも恭太相手にそういうことを言っても無駄であると知っているからだ。
 事実、渚の罵倒にも恭太は表情を変えず、むしろ楽しそうに言った。

「えー、今僕のことを変態だって言ったんですか?」
「当たり前でしょ! 女子にこんなことさせて!」
「そうですか、確かにそういう考え方もありますね。よし、じゃあ公平性を期す為に、先生にも尋ねてみましょうか」
「……!?」

 恭太のとんでもない発言に、渚は絶句する。だがそんな渚はおかまいなしに、恭太は職員室の扉を叩こうとする。渚は慌てて声をかけた。

「ちょ、ちょっと!」
「ん、なんですか?」
「ば、馬鹿じゃないの!? そんなことしたら、見られちゃうじゃないのよ!」
「何を当然なことを言ってるんですか、貴女は。今の貴女の姿を見てもらわないと、僕が変態かどうかの判断ができないでしょう?」

 さも当然と言った風に、恭太は肩をすくめてみせる。

「う……正気なの?」
「そりゃ、僕だってあんまり気は進まないですけどね。貴女が早く用を足してくれたら、さっさと教室に戻れるんですけどねぇ」
「わ、わかったわよ……。すれば、いいんでしょ……」

 言い争っても無駄だとわかったのか、渚は諦めたように四つん這いになり、左足を上げた。

「……ん……」

 初めは緩やかに、そして段々と勢いよく。渚の股間からじょろじょろと音を立てて、黄金色の水がアーチを描き扉にかかる。

「あ……、ふあ……」

 溜まっていたものを、一気に放出するという行為。感覚操作により敏感にされた身体は、その快感をも増幅する。渚は自分では気づかないうちに、恍惚とした表情を浮かべていた。

「ははっ! 優等生様が、よりによって職員室におしっこかけるなんてな。先生達もびっくりすんじゃねえか?」

 そんな渚を見て、伸也が心底楽しそうに笑う。放尿の快感に浸りかけていた渚は、その声で現実に引き戻され、犬のように用を足しているという自分の状況を再認識した。ぎり、と奥歯が鳴った。

「殺して、やる……」

 心からの殺意を込めて、渚は呟いた。

「ああ、できるもんならやってみろよ。言っとくが、お前の身体の支配者は、俺たちだぜ?」
「うるさい! 絶対に、絶対に殺してやるから! 覚えておきなさい!」
「……伸也、こう言ってますけど、本当に大丈夫ですか? 僕、さすがに殺されるのはちょっと……」
「ああ、安心しろって」

 伸也は、能天気に言い放った。

「結局は、こいつが覚えてなきゃいいだけの話なんだからよ」
「……!?」

 伸也の一言で、渚は目を見開く。その反応を楽しそうに見ながら、伸也はビニル紐を引っ張った。

「ほら、トイレは終わりだ。『さっさと歩け』」

 自分は、復讐はおろか、これらのことを覚えておくことすらできないのだろうか。渚は絶望感に苛まれながら、伸也の言葉に従い、後始末も出来ずに、自分の小便で濡れた職員室を後にするしかなかった。

 その後、結局校舎を一周した三人は、元の教室に戻っていた。
 その頃には、渚は別の理由でそわそわと落ち着きをなくしていた。拭かないままで乾燥した尿が、渚の股間にかゆみを発生させていたのだ。だが掻こうにも、身体は二人の言う通りにしか動かない。仕方なく、渚は足をすり合わせることでなんとかそれを我慢していた。
 そんな渚を知ってか知らずか、伸也はビニル紐から手を離すと、足下でもじもじしている渚に向かって言った。

「はい、お疲れ様……っと。あ、『もう立っていいぞ』」
「く……いつまでこんな格好させとくのよ!」

 立ち上がった渚は、精一杯の虚勢を張ろうと伸也に向かってそう怒鳴る。

「ん? ああそうか、悪い悪い。乳首にガムテープ張ったまんまだったわ」

 そう言って伸也は全く悪びれずに笑い、渚の乳首に張られたガムテープの端を掴む。

「んじゃ、はがしてやるよ」

 そうして渚の返事を待たず、それを一気に引っ張った。ビリィッ! という音と共に、乳首を引っ張りながらガムテープがはがれた。もちろん、はがされる側の渚の痛みはたまったものではない。だが感覚操作により敏感にされた乳首は、その痛みでさえ強烈な快感へと変換した。

「うあああっ!」

 渚の腰が跳ね、股間からは透明な液体が迸った。今の刺激だけでイってしまったのである。

「おいおい、こんなんでも潮吹くのかよ。淫乱だな、お前は」
「だ、誰が……あああっ!」

 渚が何かを言い返す前に、伸也はもう一方のガムテープも思いっきりはがした。先ほどと同じ痛み、そして快感が渚を襲う。抵抗むなしく、渚は二度目の潮を吹いた。

「ほら、言った通りだろ」

 だが、渚からは反論の声は聞こえてこなかった。代わりに、かすかなすすり泣きが聞こえてきた。

「く……う……。うう、ひっく……」

 渚は、目からぽろぽろと雫をこぼしていた。度重なる陵辱、そして先程の行為にすら快感を感じてしまう自分への情けなさ。その二つにより、渚は耐えきれずとうとう泣き出してしまったのだ。女子を泣かせた経験がない伸也は焦る。

「お、おい……」
「どうして……どうしてよ……。ひっく、どうして私にばっかり、こんなことするのよ……」
「そ、そりゃあお前が、俺たちにムカつくことを言ったからだろ?」
「もう、謝るから……。許してよ……ひっく。……もう、十分でしょ……?」
「そ、そこまで言うなら許してやってもいいけど……どうする、恭太?」

 話を振られ、恭太は少し考えてから、言った。

「そうですね……。確かに、もう十分に嫌がる顔は見ましたから」
「え、それじゃあ……」

 泣き顔を上げ、表情を明るくする渚に、満面の笑みで恭太は言った。

「次は、喜ぶ顔が見たいですね」
「……お前、マジでドSだな。まあ、いいけど。『イェシシェフエミ・ジントラウデ、ゼン』!」

 恭太の言葉の真意を悟った伸也が呪文を唱えた瞬間、渚の表情が凍り付いた。そのまま、恐る恐るといった様子で尋ねる。

「い、今のって……まさか……」
「そーう。そのま・さ・か」

 伸也はすごく良い笑顔で頷くと、続けて言った。

「んじゃまず、手始めに……」
「や、やめ――」
「『お前は、恭太のことが誰よりも愛しくなる』」

 伸也の言葉を聞いた途端、渚は目だけを大きく開けてへたへたとその場に座り込んでしまった。

「あ、ああ……」

伸也の言葉が雷鳴のように、渚の心全体に轟いたのだ。そして、その衝撃が冷めぬうちに、心の中から一つの熱い想いが湧き上がってきた。

「……大丈夫ですか?」

 そう言って近づく恭太と目が合った瞬間、渚は顔を真っ赤にして、すぐに目を逸らした。恭太の目を見た途端、熱い想いが恭太への好意として、渚の心の中ではっきりとした形になって現れた。心臓がプレスト・アジテートで暴れ、肺が突発的な呼吸困難に襲われる。渚は、思わず左胸を掴んだ。

「……伸也、本当にさっきので正しいんですか? なんか、具合でも悪いんじゃ……」
「……っ!? こ、来ないでっ!」

 渚は、尚も近づこうとする恭太から顔を背けたまま、反射的にそう叫んだ。

「いや、でも……」
「黙ってよ! わ……私が今、どんな気持ちかわかる!?」

 無意識に、言葉が口から溢れた。

「私が今まで、どんな思いであなたを見てきたと思ってるのよ! どんなに頑張っても、どんなに勉強しても、いつもあなたは私の上に居る! まるで私を馬鹿にしてるみたいに!」

 止められなかった。次から次へと、言葉が口をついて出た。そうでもしないと、乱れ狂う感情で胸が破裂しそうだった。

「それなのに……っ! あなたのことを嫌ってたはずなのに、よくわからない力で無理矢理好きにさせられて……! 私、どうすればいいのよっ!?」

 恭太が好きだ。これは、与えられた感情だとわかっている。だがそれでも、渚は恭太を憎むことができなかった。いや、できなくさせられていた。恭太から受けた辱めの数々を思い出すが、それらは全て熱い想いにかき消されてしまう。そんな自分が、情けなくて。

「あんなに私に酷いことした相手なのに、どうして嫌いになれないのよぉっ!」

 最後にそう叫んで、渚は手で顔を覆った。
 全てがぐちゃぐちゃになってしまえばいいと思った。今ここに隕石が落ちれば、この胸中で渦巻く感情も、恭太も、全てがなくなるのだろうか。渚はそれを望んだ。全てを、綺麗に消し去って欲しかった。
 しばらくの、沈黙。

「……貴女の気持ちは、よくわかりました」

 恭太はそう言って、神妙な顔で頷いた。

「つまり、僕が貴女にしたことを、貴女が酷いと思わなくなればいいんですよね」
「え……? ちょ、違っ――」

 全くの見当はずれな言葉に、渚は戸惑う。だがそれ以上何かを言う前に、恭太の口が動いた。

「『貴女は、僕に屈辱的なことをされる程幸福になる』」

 その言葉を聞いた瞬間、自分の精神が崩れていくのを渚は感じた。今まで生きてきた中で培われてきた、道徳とか、倫理観とか、尊厳とか。そういう大事なものの一部が、強制的に書き換えられていく感覚。

「あ、あ……嫌、いやぁっ! 私が、私が変になるっ!?」

 目を見開き、耳を押さえ、頭を横に振り、全身を以て渚は懸命に拒絶する。だがそれは、燃え盛る炎に柄杓一杯の水を振りかけるようなものでしかない。抵抗とすら呼べない、悪あがきだ。

「う、うう……。ううう……っ!」

 渚は思わずうつ伏せ、丸くなった。圧倒的な力が、渚の精神を蹂躙し、改造していく。その強烈な恐怖の中で、渚は自分が先程の行為を幸せに感じ始めていることを自覚せざるを得なかった。
 ……そして、数分が経過した。

「…………」

 渚はうつ伏せの姿勢のまま、何も言わない。少し心配になった恭太は、渚の肩にそっと手を置く。そこで初めて、渚が微かに震えていることに気がついた。

「渚さん、大丈夫ですか?『顔を上げてください』」

 その声に、渚はゆっくりと顔を上げる。その顔を見て、恭太は呟くように言った。

「泣いて、いるんですか……?」

 そう。渚は確かに泣いていた。涙で湿った声で、渚は言う。

「当たり、前でしょ……? こんな、勝手に自分を変えられて……。あんなことを、幸せに思うなんて……。もう、死にたい……」

 そう言って、渚は再び涙をこぼす。恭太は、困ったように頬を掻きながら言った。

「あー……、うまく言えないんですけど。貴女は、心を勝手に変えられることが、嫌なんですね?」
「そうよ……。もう、これ以上、変な風にしないで……」
「そうですか……。わかりました」

 そこで恭太は、一度深く息を吸った。そして渚の目をしっかりと見据えて、楽しそうに笑った。

「『貴女は、自分の心が変えられることが嬉しくなる。そして、そうした自分の変化を肯定的に受け止める』」
「…………あ」

 恭太がそう言い切るのと同時に、プツン、と糸が切れたように渚の身体中から力が抜けた。精神の急激な変化に自我の方が対応できず、失神したのだ。
 恭太は気を失っている渚をそっと横たえ、目が覚めたときのことを想像して満足げに頷くと、伸也に振り返った。

「それで、伸也。彼女は僕がもらうってことでいいんですよね?」
「ああ……、いい、れ」
「……?」

 だが、どうも伸也の様子がおかしい。目の焦点が微妙にずれているし、少し身体がふらふらと左右に振れている。

「……とりうか、そりぇはいーかりゃ、てひゅとお……」

 伸也は呂律の回らない舌でそこまで言うと、いきなり真後ろに受け身もとらずにぶっ倒れた。頭が床とぶつかり、あまり中身の入っていない音が響いた。

「し……伸也!? 大丈夫ですか!?」

 恭太は慌てて近づき、伸也の顔を覗き込む。伸也は、白目を剥いていた。泡もちょっと吹いている。心なしか痙攣しているようにも見える。

「え……さすがにコレ、やばいんじゃ……」

『まったく、だからあれほど力を使いすぎるな、と言ったじゃろうが』

「……っ!?」

 伸也の異変に恭太が冷や汗をかき始めた時、突然どこからともなく鈴の鳴るような声が響いた。恭太は驚いて周囲を見回すが、どこにも人影はない。何が、と思う間もなく、再び声が聞こえた。

『人が折角、気持ち良う寝ていたというのに。いきなり床にぶつかるもんじゃから、目が覚めてしもうたわい』
「だ……誰か居るんですか!?」

 得体の知れない恐怖から、恭太は思わず叫ぶ。すると、正体不明の声が返事をした。

『安心せい。別に、お主に危害を加えるつもりはないからの。……と言うても、やはり姿が見えぬと不安かの。よし、ちと目を瞑っておれよ。眩しいからの』

 声に言われるまま、恭太は目を瞑る。すると次の瞬間、強烈な光が教室の中心辺りから迸った。目を瞑っていても、視界が白く染まる程である。

「く……っ!」

 そして数秒で、その光は止んだ。なにも異常が無いことを確かめてから、恭太は恐る恐る目を開けた。

「……ふむ。実体化は成功のようじゃの」

 銀色の髪をした可愛らしい一人の少女が、年寄りみたいな口調でそう言っているのが目に入った。

「……ん? なんじゃ、その顔は」

 少女はそう言って、少し首を傾げて恭太を見た。
 頭の上にある大きな三角の耳が、それに合わせてぴこぴこと動いた。
 いわゆる猫耳だった。
 その身体には何も身につけていなかった。
 つまりは素っ裸だった。
 そうして、その身体のあらゆるところがぺたんこだった。
 要するに、猫耳ロリ婆であった。

「……」

 恭太は、何か言おうとして口を開いたが、出てくる言葉がどこにも見つからなかった。しょうがないので、もう一回目を瞑ってみた。
 さて。
 これから、どうしよう。

< 続・くゥ・カァ? >

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