「お待たせしました。アイスコーヒーでございます」
喫茶店の窓際の客席に座る私のもとに、店員さんが注文した飲み物を運んできた。私は、軽く会釈するように応じると、飲み物に少しだけ口をつける。私は何気なく窓から往来の様子を眺める。
私の名前は、茜沢千鶴。マンションで一人暮らしをしながら、近くの大学に通う女子学生だ。今日は、後輩で、友人でもあるこずえちゃんとお喋りをするつもりで、この喫茶店で待ち合わせをしている。もっとも、私は自分から話すのは苦手なのだが、こずえちゃんは私が聞き役に徹していても、楽しいと言ってくれるので助かっている。
窓ガラスに映った私自身の姿が目に入る。長い黒髪、切れ長の目、やや無表情にも見える口元、身長は平均的な同年代よりも頭一つ高い……知り合いや友達は、大人の女性とか、クールビューティとか、ほめてくれるけど、冷たい女性に見えているんじゃないかと、少しだけ不安だった。それに、周りからは、まとめ役のようにも思われているけど、実際は自分の気持ちを表現するのが苦手で、結果としてそういう役回りに落ち着いているだけで……そういう受け身な自分が、いま付き合っている彼氏との関係への漠然とした不安にもつながっている。
(……翔くん)
私は、年下の恋人である青井翔くんのことを思い浮かべる。私とは、正反対に背が小さめで、童顔で、いつもニコニコとした笑顔を浮かべた彼とは、姉弟のようにもみられている。だけど、私は分かっている。年上のように気を使っているのは翔くんのほうだ。私は、デートのときも、あるいは夜を共に過ごすときも、受け身で、そんな自分が彼に飽きられてしまわないか(翔くん本人に聞いたら「絶対そんなことはない」と答えるだろう)が、ぼんやりと心を締め付ける悩みとなっていた。
「千鶴先輩?」
明るい声をかけられ、私は我に返った。そこには、待ち合わせの相手であるこずえちゃんが立っていた。買い物をしてきたのか、小さな紙袋を抱えている。
「……ごめん。考え事していたの」
「めずらしいですね。千鶴先輩が、ぼーっとしているなんて」
こずえちゃんは、にっこりとほほ笑みながら私の向かいの席に腰を下ろす。
「また、青井くんのことですか?」
「うん……」
翔くんに対する悩みは、何度かこずえちゃんに相談していた。私とこずえちゃんが友達のように、こずえちゃんの彼氏である達也くんと翔くんも友人関係で、四人とも親しい間柄だったから、こういう相談もしやすかった。
「こずえちゃんのほうは、達也くんとうまくいっているの? 一時期、うまくいってなかったみたいだけど……」
私がそう言うと、こずえちゃんは相貌を崩す。
「今は、とてもイイ感じです。だって……“恋の魔法”をかけてもらっちゃったから」
こずえちゃんが、照れくさそうに顔を赤くする。だが、その表情は普段の子供っぽい彼女から違和感を覚えるような妖艶さをたたえている。
「恋の……魔法?」
聞きなれない言葉に、私はいつの間にか身を乗り出していた。危うげで吸い寄せられるような何かが、いまのこずえちゃんにはあった。そんな私に、こずえちゃんは顔を寄せ、そっと耳元でささやく。
「そうですよ、千鶴先輩。私、達也くんに頼んで“恋の魔法”をかけてもらったんです……魔法のおかげで、私はもう達也くんの言いなり……二人きりの時は、“ご主人様”って呼んでいるんですよ? 好きな人に好きにされるっていうのに、ずっと憧れていたんです」
私の耳元から、こずえの唇が離れた。予想もしなかった異様な告白に、私の心臓が高鳴る。不思議なことに嫌悪感は覚えなかった。
「そうだ。千鶴先輩も、青井くんに“恋の魔法”をかけてみませんか?」
「そんな……翔くんに、そんなことできないよ……」
自分でもわかるほどに、こずえの誘いに対する拒絶は弱々しい。
「そうかなぁ。青井くんは、まんざらでもないと思いますよ。だって、私と同じ匂いがするんだもの」
私の鼓動がさらに激しさを増す。喉から、出そうとする言葉が出てこない。
「とりあえず、これ、先輩にあげますね。気が向いたら使ってみてください」
こずえちゃんはそう言うと、紙袋を私に差し出した。ちらっと見ると、中身はお香と香炉、それに液体の入った薬瓶のようだった。
「それじゃ、千鶴先輩。楽しんでみてくださいね」
こずえちゃんは、イタズラ気に微笑むと、自分が注文した飲み物にはほとんど口をつけずに席を立ち、お店を出て行った。後には、呆然とした私だけが残される。しばしの間、ぼんやりとしていた私は、緊張した手つきで携帯を取り出すとメールを打つ。
―――翔くん。今夜、ウチに夕御飯を食べに来ない?
そのメールを、私は翔くんのアドレスに送信した。
翔くんからのOKの返信は、すぐに来た。私は、必要な買い物を済ませると自宅のマンションに直行した。鍋でコトコトとシチューを煮込み、ホームベーカリーで焼きたてのパンをごちそうすることにした。リビングのテーブルの上には、こずえちゃんにもらった香炉が置かれ、柔らかい香りの煙が部屋に満ちている。この香りには、人の警戒心を解き、リラックスさせる作用があるらしい。しかし、これから翔くんに対してやろうとしていることを思うと、このお香を吸い込んでも私の緊張はほどけなかった。
料理の支度が一段落して、しばらくすると、呼び鈴が鳴った。私は、慌てて玄関に向かう。
「こんばんは。千鶴さん」
インターホンから聞こえる声の主は、翔くんだった。
「いらっしゃい。翔くん」
私は、玄関のロックを開ける。手が、わずかに震えている。私は、自分の考えていることが顔に出にくいタイプらしい……それでも、私の企みが翔くんにばれたら、と思うと、心臓が締め付けられるような思いになる。私が玄関の扉を開けると、いつも通りの笑顔の翔くんが目に入った。
「イチゴショートケーキ、買ってきました。千鶴さん、これスキでしたよね」
「ありがとう、翔くん。さ、上がって?」
私は努めて平静を装おうとしながら、翔くんをリビングへと招き入れた。
「あ、お香をたいているんですか? いい香りですね」
「うん……こずえちゃんに、もらったの。リラックスできるんだって……」
この香りには、人の心の壁をほどいて、暗示をかけやすくする作用があるという。そうとは知らない翔くんは、料理の盛り付けを一緒に手伝ってくれる。間もなくして、私たち二人は、フローリングの上に敷いたカーペットに座り、夕食を取り始める。翔くんが話題を振り、私が相づちを打つ、いつものパターン。ただ、少し違ったのは、シチューを食べ終わる頃には、翔くんの話し方が、どことなくとろんとしてきたことだった。
「ねえ、翔くん。買ってきてくれたケーキ食べようか? 飲み物も淹れてあげる」
「あ……はい……お願いします……」
私は、少し眠たげにしている翔くんを残して、キッチンに向かう。そこで、イチゴショートケーキを皿に載せ、紅茶を淹れる(翔くんは、コーヒーが苦手なのだ)。私は、リビングのほうを振り返ると、翔くんは肩を揺らしてうつらうつらとしている。こちらをうかがう気配はない。私は、それを確かめると、ポケットからこずえちゃんからもらった薬瓶を取り出す。同封されていた注意書きを読んだところ、服用した人間を一時的に暗示のかかりやすい状態にしてしまうらしい。あのお香と併用することで、効果が高くなるのだろう。私は、手の震えと鼓動の高鳴りを必死に抑えながら、翔くんのカップに薬瓶の中身をたらす。
「はい、お待ちどうさま」
「あ……ありがとうございます……」
私が、翔くんの目の前にケーキの乗ったお皿とティーカップを置く。翔くんは、うなずくとティーカップを手に取った。そのまま、一口、唇をつける。すると、ただでさえ眠たげだった翔くんの瞳から意思の光が消えていく。
「翔くん……全部、飲んで」
「……はい……」
翔くんは、操り人形のように私の言葉に従って、カップの中身を飲み干した。コトリと音を立てて、ティーカップを置いたとき、翔くんの目は焦点が合わなくなり、顔からは笑顔が消え、まるで人形のような無表情となっていた。
「あ……」
私は、思わず言葉をこぼした。翔くんが、本当に、魔法にでもかかってしまったかのようになってしまったからだ。ガラス玉のようになってしまった瞳からは、とても演技をしているようには思えない。私の鼓動が、いままで経験したことがないほどに高鳴る。異様な期待に心臓が爆発しそうで、そんな自分がいることが信じられなかった。
「翔くん、私の声が聞こえる?」
「はい……千鶴さん……」
「……私のことは、“お姉様”と呼びなさい」
「はい……千鶴お姉様……」
私は、翔くんに邪な魔法がかかったことを確信する。
「翔くん、服を脱ぎなさい。下着も全部、何も隠さずに、翔くんのすべてを私に見せるの」
「分かりました……千鶴お姉様……」
翔くんは命令に従い、緩慢な動きで服を脱ぎ捨てていく。一片の躊躇もなくパンツまで、脱ぎ捨てると膝立ちになった。まだぷらぷらしているペニスまで、私に丸見えになる。その姿を見て、私の口元がつりあがる。自分でもこんな笑い方ができるのか、と思うような妖艶な微笑みだった。
「ねえ……翔くん。オナニーとかって、する?」
「……時々……」
翔くんの顔がわずかに赤くなる。どうやら、少しは羞恥心が残っているらしい。それでも、膝立ちで自分のすべてをさらけ出した格好をしたままでいるのが、意地らしい。
「ふぅん……オナニーをするとき、何を想像しているのかな? えっちなグラビアとか、見ているの?」
私は、一体、何を質問しているのだろう。心のどこかでそう思っても、脳天をしびれさせるような私の最奥の欲求はとどまるところを知らない。私は、翔くんの身体をいやらしい視線でなめまわしながら、意地悪く質問する。さすがに、翔くんもすぐに答えようとはしなかった。
「お姉様の質問に答えなさい?」
私は、再度の命令を下す。顔を真っ赤にして、翔くんの口がもごもごと動く。
「……お姉様の……お姉様の裸とか、一緒にSEXした時のことを想像して……」
私の顔が、カッと熱くなった。次の瞬間、私は自分の理性を完全に突き放して行動し始めた。その場で立ち上がると、乱暴に衣服を脱ぎ捨てる。持っている下着の中で一番面積が小さくて、生地も薄いセクシーランジェリーを身に付けた私の肢体をあらわにする。
「翔くん……私のいやらしい下着姿を見ながら……オナニーをするのよ」
「あぁ……はい、お姉様ぁ」
翔くんは、自分の両手を股間に伸ばし、自らのペニスをしごき始める。あどけない視線には情欲が宿り、私の身体を目で犯す。その感触が、たまらなく倒錯的で、私の理性を焼き焦がしていく。
「フフ……翔くん、可愛い。イキそうになったら、ちゃんとお姉様に報告しなさい?」
「はい……お姉様……あぁ、でも、僕……もう……」
翔くんは、必死で手を動かしながら、小刻みに肩をふるわせる。
「僕……イキそう……」
「ストップ!!」
私が、鋭く命令する。翔くんの身体がビクッと痙攣し、動きを硬直させる。翔くんの目は、切なげに私に向けられた。口元から、一筋のよだれが垂れ、お預けを食らった子犬のように荒く息をついている。
「翔くんをイカせてあげるのは……お姉様だけの仕事よ?」
私は四つん這いになって、翔くんのそばに寄った。翔くんのペニスの先端を濡らす先走りの液の青臭いにおいが私の鼻をつく。
「翔くん、あなたの乳首がどんどん敏感になっていく……乳首が、とても気持ち良くなれるように生まれ変わっていく……」
「あぁ……お姉様……?」
私は、翔くんの乳首にフッと息を吹きかけた。
「……はぁん!?」
翔くんが喘ぎ声を上げて、身をのけぞらせる。
「可愛い可愛い翔くん……まるで、女の子みたいね。それなら、女の子みたいに、乳首でイカせてあげる……」
私は、翔くんを抱きすくめると、彼の乳首に唇を吸いつかせる。翔くんが、声にならない嬌声を上げて身をよじる。私はそれを左腕で強く抱きしめ、逃がさない。ペニスの先端部を右手のひらで優しく撫でまわし、舌で翔くんの乳首をはじきながら、音を立てて吸っていく。
「ちゅっ……ちゅうぅぅ」
「あ! あぁ!! お姉様……僕、イク! イクぅ!!」
翔くんのペニスが爆発した。ドクドクと力強く脈打ちながら、ベットリとした濃い精液が私の手のひらに打ちつけられていく。私が捕まえていた身体を解放すると、翔くんはカーペットの上に仰向けで倒れ込む。
「翔くんの……匂いがする」
私は、精液まみれになった右手をじっと見つめる。ぺロリを、翔くんの欲望の残滓を舐めると、全身に喜悦が走った。
「あはぁ……翔くんの精液、美味しい……」
私は、キャンディを舐めるように手についた粘液を残すことなく舐めとった。最後まで味わうと、名残惜しむように舌舐めずりまでしてしまう。私は、まるで白痴にでもなったようにだらしなく、いやらしく笑いながら、倒れ込んだ翔くんに視線を下ろす。ようやく、私は翔くんに対して抱いていた抑圧した欲望の正体に気がついた。それは、征服欲だった。
「翔くん……あなたの身も心も、私専用にしてあげるね……」
翔くんが、小さく身じろぎする。ガラス玉のように焦点の合わない視線が、私を見上げる。翔くんの可愛らしい口が小さく動く。
「僕……お姉様になら、何をされてもいいです……」
私の胸を電流が貫いた。私は、翔くんの唇に顔を近づけ、そのままキスをする。ついさっき、翔くんの精液を嚥下した口だと言うのに、そんなことにも気が回らなかった。それでも、翔くんは嫌がらずに私のキスを受け入れてくれる。再び、唇を離したとき、二人の間には唾液のかけ橋ができていた。私は、翔くんの頭を自分の胸元に抱き寄せる。今度は、できる限り、優しく、柔らかく、翔くんのことを抱きしめた。
「私……翔くんのこと、食べちゃうわよ?」
「……はい、お姉様……」
私はショーツをずらすと、翔くんのまだ硬いままのペニスを捕まえる。そのまま、自分の女性器へと彼の男根を導き、呑み込んでいく。ぬるりとした感触が伝わり、大した抵抗もなく翔くんのモノは私の中へと取り込まれていく。先ほどまでの痴態で、私の大切な場所はビショビショに濡れていた。
「いくよ。翔くん?」
私の問いかけに、翔くんが胸の中で小さくうなずく。私は、体重をかけて、翔くんのペニスを私の奥深くまで導き入れる。
「……あぁ!!」
翔くんがあえいだ。
「翔くん……私の、おっぱいを吸って?」
私は、一つにつながった翔くんにお願いする。翔くんは健気にうなずくと、ブラの薄い布地の上から私の乳首にキスをする。赤ん坊のように、チュッと吸い始めると、私の背筋に下半身からとは異なる快楽の奔流があふれ出す。
(私まで……乳首が、敏感になっちゃってる……んん!!)
私は、信じられない愉悦に指先から、背筋から、膣壁まで、ビクビクと痙攣させる。それは、ペニスへの締め付けと私の腰の動きの形をとって、翔くんへも伝播していく。翔くんとは、何度も一つになったけれども、こんなにキモチイイのは初めてだ。いや、男性と一つになる行為が、こんなにも至福をもたらしてくれるなんて考えたことすらなかった。私の中で、何かがどんどん高まっていく。牝としての芯の部分が、溶けて沸騰してしまいそうな感触を味わう。
「翔くん! 私……イキそうなの!!」
「お姉様! お姉様!! 僕も……イキます!!」
私と翔くんは、同時にイッた。翔くんの熱く白いたぎりが、私の奥深くへと注ぎ込まれていく。私は、自分と翔くんの鼓動が重なり合うのを感じながら、深い喜悦をどこまでも味わっていた。
深いSEXを味わった私たちは、二人でバスルームにいた。人形のような翔くんを抱きすくめたまま、二人で暖かいシャワーを浴びている。二人の身体にこびりついた粘液をお湯の滴が洗い流すにつれて、私の中にたぎっていた翔くんに対する異常な欲望も落ち着きはじめていた。入れ替わるように、翔くんに対しての罪悪感が込み上げてくる。
(今日だけで、終わりにしよう……)
私は、思う。私は、仮にも翔くんの恋人なのだ。一方的に欲望をぶつけているようでは、強姦と何も変わらない。
「翔くん……私の声が聞こえる?」
「はい……お姉様の声、聞こえます……」
「翔くんは、お風呂からあがって服を着たら……さっきまで、私としていたことは忘れてしまう。翔くんが覚えているのは、私と一緒に夕食を食べたことだけ。いいかしら?」
「……はい……」
少しの間をおいて、翔くんの抑揚のない返事が響いた。私は、名残惜しさを感じながら、ため息をつく。このほうがいいのだ。翔くんが、こんなこと望んでいるわけがない。でも……私は、未練とほんの少しだけの期待を込めて、続きをささやいた。
「でも……もし、今日のことを、翔くんがいやじゃなかったら、翔くんが心の底から望んでいることだったら……翔くんは、今日のことを忘れない。覚えている」
私は、シャワーのお湯を止めると、タオルを手にとって、翔くんの身体を拭いてあげた。
「ごちそうさま。とても、美味しかったです」
「こちらこそ、来てくれてありがとう。私も楽しかった」
私は、玄関先で翔くんを見送っていた。できる限り、心のうちの落胆を悟られないようにする。感情が表に出にくい自分の顔が、今だけはありがたかった。
「それじゃあ、また明日」
翔くんは、私に背を向けて歩き始める。その瞬間、私は堪えられない不安に襲われる。
「待って、翔くん!!」
反射的に、私は翔くんを呼び止める。でも、そのあとにハッとする。今の私に、翔くんにかける言葉なんてあるのだろうか。私が戸惑っていると、翔くんがゆっくりと振り返る。翔くんは、いつも通りニッコリとほほ笑みながら、口を開いた。
「なんですか? 千鶴お姉様」
< おわり >