―第二話 追撃剣士ポリスリオン―
[0]
ボス、千村拓也の元に舞い降りた採魂の女神―ブリュンヒルド―が報告する。純白の翼に鎧を纏った女神だけが太陽に照らされる。
「報告します、彼の存在を確認しました」
「どこだ?」
「神保市鳴神町です」
「すぐ近くじゃないか」
神保市を一望できるスカイタワー展望台で、拓也は鳴神町を見降ろす。北東にある人口二千人の小さな町、鳴神町。グノーグレイヴによって霧がかかったようにかすんでいた。
「しかし、グノーグレイヴが濃くなっている為、ざっくばらんにしか特定できませんでした。これ以上の検索は危険かと」
採魂の女神が危険を訴える。拓也も重々承知だ。そう、相手は握出紋。グノーグレイヴにより『力』を得た悪魔。無闇に突っ込んでいったらかつての自分のように取り込まれてしまう。
「……あそこにはヒルキュアがいたな。しかし彼女に追わせるのはかえって危険か」
救済天使ヒルキュア。『たゆたう快楽の調合薬―ナース・エクスポートレーション―』を持つが、如何せん戦闘向きじゃない。元々ヒルキュアは補助的な役割を担う。媚薬による体力回復や、暴走、一時的麻痺により痛みの緩和を目的としている為、一対一だとやられてしまう可能性がある。ならば、一体二で戦わせるのが無難
だろう。
「マスター。鳴神町では最近不可思議な事件が起きているそうです。私では詳細は分かりませんが、ポリスリオンが追及しているとのことです」
不可思議な事件?理想を成就した新世界に事件というのも不可思議なものだが。
……追撃剣士ポリスリオン。彼女は俺の一目置く正義の使者。早急に原因解明へ導いてくれるだろう。逃げることを許さない彼女にとって、居場所さえ突き止められた握出に勝ち目はない。事件と供に握出を連行してくれるだろう。
「ポリスリオンも呼び出せ。ヒルキュアと供に原因解明に急げ」
「かしこまりました」
採魂の女神が再び空に舞う。グノーグレイヴに消える彼女だけはいつまでも純白さを保っていた。
――希望差す新世界に、絶望悪魔住まう場所なし。
切さず、渇せず、無に還れ。
ポリスリオンとヒルキュア。二重の正義に闇は滅びる。
…………いや、握出と事件。闇と闇。
「…………まさかな」
不敵に笑う。グノーグレイヴがゆっくり蠢いていた。
「お前の所業もこれまでだな、握出」
拓也は新世界の平和を確信していた。
[-1]
プルルルル……
早朝から受話器が鳴るほど不快なことはない。眠気が取れないのに、顔も知らない他人に起こされるなんて耐えられるはずがない。
受話器を取って怒鳴り散らすつもりだった。
「もしもし」
電話の主は女性だった。落ち着いた声色がまた苛立たせる。
『ああ、誰だおめえ!?』
「急にこのような電話をかけて申し訳ありません。私は――」
『俺はねみぃんだよ!人の眠気を妨げておきながら、おめえの名前なんて聞きたくもねえんだよ!!』
怒鳴り散らすと相手から小さな溜息が聞こえた。
プツンと俺の頭の中の何かが切れる音が聞こえた。さらに声を張り上げようと思った瞬間だ。
「――――――――」
電話越しに彼女は何かを呟いたのだ。するとどうだろう、先程までの怒りが抑え込まれてしまったのだ。逆に声を上げられない。まったく意味が分からない。
『失礼致しました。私は先日から行方不明になった救済天使ヒルキュアを探しているのです。最後に目撃された日時、時間、場所はだいたい分かりました。その時間、あなたも現場にいましたよね?』
「はい。いました」と、頑張っても上げられなかった声が自然と出た。
『どんな方がいました?』
「……中年の、いや、若くも見えたじじぃがいた」
俺の記憶も定かじゃないのに、相手の質問に間髪いれずに自然と答えていく口。それ以外は何も喋れない。まるで電話の主の人形にされている気分だ。
『おじさん?どなたかご存知ですか?』
知らない。知る筈がない。だが、出会ったじじいは自分の名前をよく口にしていた。じじいの名前を思い出す。彼の名前は――
「……ア、クデ……モン」
『アークデーモン!?』
初めて電話の主が声を張り上げた。何を言わんとしているのかは分からない。だが、
『……そうですか、わかりました』
――ガチャ
一方的に切られ、自分の口もようやく自分で動かせるようになった。だが、俺は呼吸をすることで精一杯だった。
話す内容はまるで行方不明を探す警察官の口調。しかし、やっていることは悪魔のような強硬手段。
正義の為に自分は利用されている。
一瞬だけ正義の裏側を垣間見たのだった。
[プロローグ]
弱さ、痛み、薄情さ
人の辛さを分からない者は、何処まで行っても逃げ続ける。
自分の罪に気付きながら罰することが怖くて反省が出来ない。
生きていることが罪すら忘れ、ノウノウと生きている犯罪者。
――私は鬼人の如く追いかける。
相手が銀河の果てまで逃げ続けるものなら、強靭な体力と不屈の精神で追い続ける。
相手が人生を賭けて逃げ続けるものなら、未来永劫かけて追いかける。
求めたものは崖っぷちで繰り広げる鬼ごっこ。
ギリギリまで迫り、相手の信念と執念を崩す精神攻撃―ノンフィクションドラマ―
逃げるのと追うの、圧倒的有利なのは追う―オニ―方
犯罪者を世界の片隅にまで追い詰める、執行の追撃剣士―ポリスリオン―
[1]
握出は上機嫌に歩いていた。
いやはや、ヒルキュアに出会ってから『たゆたう快楽の調合薬』を使えるようになると世界は面白くなるものだ。
夜な夜な『吸血鬼』と供に町に繰り出し、夜の営業を活動し始めると、面白いくらいに成功した。
女性は快楽に身を震え、進んで握出に寄りかかってくる。グノー商品でもない。媚薬によって喰われると言うのはまた違った面白さがある。自身が遊ぶことを覚えた握出は、まさに女喰いを愉しんでいた。
グノー商品を売ることも忘れない。かつてほどの売り上げはないにしろ、再びエムシー販売店は小さく鼓動を再開し始めた。
「仕事なんて頑張らなくて良いのです。『やる』か『やらない』かです」
五時間で仕事が出来る人が世の中で居れば十二時間働いてようやく同じ仕事量の人もいる。
「社会とは本当に不平等な―おもしろい―んですよね、これが」
今の握出は昼夜逆転している生活だ。時刻は朝方、自由な時間。本当は寝ていてもいいのだが、寝ているなんてつまらないから握出は一日三十分しか眠らない。身体がよく持つと言うしかない。
『吸血鬼』も今は疲れてお眠り中。握出の家で和やかに寝ている。
(まあ、『名刺』を作っていますから、いつでも呼び寄せることは出来ますがね)
一人で歩く握出は誰も見ていなければスキップをしてしまうのではないかというくらい足が軽かった。
と、そこへ、
「もしもし」
「はい?」
急に声をかけられ振り返る。紺色の服とキャップを被り、ミニスカートを穿いている十八歳そこらの女性だった。
それだけ聞けば何処にでもいる女性なのだが、彼女の目は握出を睨みつけていた。そのまっすぐな瞳は握出に誰かと類似させる。彼女は口を開いた。
「私の妹は何処!?」
「妹?あなたの妹なんて知りませんよ?」
「ウソ!私にはわかるの!」
彼女の手に持つ電子剣が握出に触れた。途端に握出の手には電気手錠の様なものが掛けられた。
「くぅ、これは!!」
彼女を見る。紺色のコスチュームが透けてレオタードに包まれた彼女のラインが浮き彫りになってくる。そして背中から薄い綺麗な紺色の翼が生えた。
その姿はまさしく、救済天使ヒルキュアと同じだった。
「追撃剣士ポリスリオン」
名を名乗り、彼女もまた新世界に歪められた正義の使者ということを露わした。
握出は不敵に笑った。
正義の使者、握出にとってみればグノー商品より面白い玩具である。
「あなたを事情聴取します」
ポリスリオンに言われるまま、握出は白黒の車に連行される。握出は喜んで乗り込んだ。
[2]
握出が連れて行かれた場所はポリスリオンと二人きりの四畳半の小さい個室だった。ムードなんてさらさらない。コンクリートの壁に重い鉄の扉。木板さえ使っていない鉄の机と一脚の手元を照らすライトのみ。そんな小さな机に二人は向かい合いながら座り、ポリスリオンはノートを広げた。
事情聴取。握出は初めてのことに心が躍った。
「名前は?」
「あーくでーもんー」
「握出紋ね。住所は?……電話番号……」
聞かれるままに握出は答える。ポリスリオンが握出の所属地を聞きだすと、ようやく本題へと進んでいく。
「三日前の夕刻、貴方は何処にいましたか?」
三日前。ヒルキュアと出会った時間帯。
「黙秘権を使います、プイッ」
握出は子供のようにそっぽを向いた。ポリスリオンはため息を漏らした。
「任意ですからね。語らせることはできません」
その通りである。任意の事情聴取で握出の口を強制的に開かすことは不可能である。
「ですが――証拠は上がってます」
バンッと、机を叩くと、先刻の現場を納められた写真が広げられた。ヒルキュアをバックで突いている握出の写真もあった。
「これ、貴方ですよね?」
写真には紛れもなく、握出紋が映しだされていた。
――証拠さえ揃えばポリスリオンは動き出せる。
「大勢の方が目撃しています。あなたが好き放題にした妹の行方を探しているの。言いなさい!貴方に黙秘権はありません!」
――もし握出が『嘘』でも吐けば、回避不可能の矛盾攻撃を与えることができる。矛盾とは絶対に逃げることのできない弱い心。弱点を突けば誰でも戦意を喪失する。
逃げ続ける握出を角に追い込む。絶対的勝利の『力』を発動させるために。
――懐に忍ばせた道具を握りしめる。
握出を絶対に逃がさない。
「う、家にいましたよ」
握出は汗をかき、動揺しながら答えた。ポリスリオンが明らかに嘘だと見破った。
――握出を逃がさない絶妙のタイミングは、ここだ。
ポリスリオンは道具を取り出した。菊の紋所が入った黒い手帳が光りだす。
「この紋所が目に入らぬか!?」
「ぬああああああ、こ、これは」
握出は光に包まれていくに連れ、頭が茫然としていくのを感じた。自分ではしっかりしている感覚はあるが、無意識に全身の力が抜けていく。
(なんです?これは――?)
幽体離脱?夢遊病?まるでもう一人の自分を見ているような感覚に陥る。ポリスリオンは手帳を見せながら再び質問を開始する。
「三日前の夕刻、貴方は何処にいましたか?」
先程と全く同じ質問を繰り返す。握出も同じ答えをしようと口を開く。
「鳴神献血所前にいました」
(――なっ!)
隠していた真実を喋る。
「ヒルキュアはどこ?」
「わたしの家」
握出が口を塞ぐ。焦っても遅い。
(なにい!?)
言ってはいけないことをボロっと言ってしまう。法律に引っ掛かれば裁きをくらう。それはとてもまずい。
ポリスリオンの瞳が鋭くなる。
「罪を認めるのね?」
「認め……」
再び口を塞ぐ。無意識を意識させ、開く口を無理やり閉ざす。そんな行動を見てポリスリオンは勝ち誇った。
「無理よ。この紋所を向けられた者は真実を語る。『偽りなき誘導尋問―ゴッド・ルガール―』の前に悪魔はひれ伏すのよ。そしてあなたを必ず『逃げ場なき断崖絶壁の場―クォド・エラト・デーモンストランドゥム―』へ連れて行く」
ポリスリオンが机を叩く。金属音が彼女の怒りを表していた。
握出はギリッと睨みつける。負けるのか……握出の中で初めての感覚が込み上げる。
「私はエムシー販売店営業課長、握出紋。決して悪いことをしてきた覚えはありません。世のため人のために忠誠を尽くしてきた私を、追いこんだつもりですか?」
「今や存在しない称号に何時まで縋っているつもり?あなたの存在そのものが、あなたの力―『亡き営業部長の座―ウソエイトオーオー―』―を物語っているわね。私に嘘は通じないわよ?次も嘘をついたらさらに追いこんでやるんだから」
『偽りなき誘導尋問―ゴッド・ルガール―』を掲げている限り握出に逃げ場はない。幾度となく救った自分の営業マニュアルをばっさり否定する紋所だけはただ逃げるしかない。話が通じないのだから仕方がない。早く次の相手に行きたくても、クレーマーが追ってきているのならばお客も逃げる。
まったく、厄介な相手に出会ってしまったものだ。
「もう一度聞くわ。罪を認めるのね?」
(こいつ。私に喋らせる気か)
「認め……りゅ」
「りゅ?どっちなの!!?」
ポリスリオンがずっこける。勝ち誇っている余裕からか、正義の使者といいながらやっていることは警察の真似事。いや、ポリスリオンの正義とは警察を模造したのかもしれない。治安を守る正義の御役所。まさしく正義というにはもってこいの象徴だ。事情聴取も、その攻め方も乗ってきた車でさえポリスリオンは模造してい
た気がする。
(……ん?まさか、こいつ)
握出の必死さが絶望から救う発想を思いつかせる。握出はうっすらと笑みを浮かべ、必死に閉じていた口を大きく広げた。そして一言つぶやいた。
「認めましょう」
[3]
握出が全ての罪を認めた。私は椅子に深々と座り、闘いは終わったのだと確信した。悪魔は負けた。歓喜が押し寄せ、一度大きく溜息を吐いた。
「やった!今行くわ、ヒルキュア」
歓ぶ前に目の前の悪魔に裁きを喰らわせよう。手錠を持ち、『逃げ場なき断崖絶壁の場―クォド・エラト・デーモンストランドゥム―』に連れていく用意を進めなければならない。そう、ヒルキュアの安否を確認するまでが私の仕事なのだ。
と、その時――
「……ん?電話?」
電話が鳴り始めた。
――取ってはいけない。
もう一人の私が必死に語りかける。しかし、それは出来ない。
――何故なら、それが正義の使者―ポリスリオン―の仕事だから。
通話ボタンを押す。着信音が止まった。
[4]
「もしもし」
「『もしもし、聞こえます?聞こえちゃいます?あーあ、これでもう、あなたの負けです』」
ポリスリオンが目の前に座る握出を見ると、握出も携帯電話を持っていた。笑みを浮かべてポリスリオンが電話を取ったことで勝利を確信していた。
「『箱を開けるまで猫は生きているか死んでいるか分からない、でも生きている可能性があるのなら俺たちは箱を開ける、なんてことを言った者がいましてね。本当に人は愚かだと再認識してくれました、もっとも、あなたは職業柄絶対にかかってきた電話は取ると確信していましたがね』」
「何を言っているの?」
「『もう私の声は聞こえません。私の声はあなたの心の声。逆らうことなど出来やしません。私の言う通りに動いてしまいますよ。もちろん、携帯電話の存在も忘れてしまいます。ただ左手が使えなくなるだけですが、気にはとめません。はい!』」
聞いた瞬間に虚ろな目になったポリスリオンが、握出の声に合わせて我に返る。
「……これから家宅捜索が入るわ。物的証拠も出てきたらおしまいよ?」
尋問を続けるポリスリオンに握出が声をかける。
「『私はあなたのことを聞いています。聞いていることが重要なんですから、私が動いても何の気も起こしません』」
握出が動き出す。しかし握出が動いているのに気がつかないようにポリスリオンは目の前にある椅子に向かって話しだす。もともと聞いていればいいのだ。握出が途中で合いの手を入れてあげれば話は完成する。ポリスリオンの服の上から胸を触ろうが尻を触ろうが、まったく気にしない。キスをしてもポリスリオンは話すこと
をやめないので、モゴモゴ言いながらも舌が握出の歯をくすぐり、唾が握出の口内に飛んでくる。唇を放すと涎を垂らしながらポリスリオンがふっと微笑んだ。
「――そうなる前に罪を少しでも早く認めた方が刑は軽くなるわよ。ほらっ、この紋章に誓いなさい」
さて、握出が十分満足した所でさらに『電話』で要求する。
「『手に持つ偽りなき誘導尋問―ゴッド・ルガール―を目の前の男性に渡しましょう』」
まずは厄介な道具から片付けさせてもらう。握出の命令に従い、ポリスリオンは『偽りなき誘導尋問―ゴッド・ルガール―』を手渡してしまう。
「『では、すべてを理解出来るようになりますよ。もちろん、今の状況もね――はい』」
「えっ?あれ?」
握出が『電話』を閉じた瞬間、意識が覚める様にポリスリオンは我に返った。涎を垂らしていることに気付き慌てて拭きとろうとするが、手に持っていたはずの『偽りなき誘導尋問―ゴッド・ルガール―』が見当たらない。だが、握出が持っていることに気付くと、ポリスリオンは血相を変えた。
「ど、どうして!?」
「こらあ!この紋所が、目に入らないかあ!!」
握出が突きだした瞬間に、『偽りなき誘導尋問―ゴッド・ルガール―』は光りだす。ポリスリオンは背筋を伸ばして、
「は、はい!!申し訳ありません!」
と、握出に謝った。ケキャキャキャと高笑いをする。
「入る訳ないよなあ。でも頭を下げるしかないもんな。まったく、理不尽な世の中ですね。ますます気に入りましたよ」
握出がお情けと言わんばかりに一枚の『名刺』を取り出す。
「ちなみに、妹に合わせてほしいのでしたっけ?いいですよ、会わせてあげましょう」
握出が命じると『名刺』が光りだし、救済天使ヒルキュアが召喚された。三日前から行方不明になっていた妹が姿を現したのだ。しかも良く見れば二人はそっくりな成りをしている。双子だったのだ。ポリスリオンが待ち望んでいた瞬間だ。ヒルキュアに駆け寄って抱きしめたのだ。
白と黒のコスチュームが重なる。
「お姉ちゃん……」
「ヒルキュア。よかった。もう大丈夫よ」
もう放さないように、力強くヒルキュアの背中に手を回す。
――ドスッ
ポリスリオンの背中になにかが突き刺さった衝動があった。ポリスリオンが背中を向くと、ヒルキュアが巨大な注射器を突き刺していた。
驚愕しながらも、段々と心臓が昂る。体温があがってくる。
「…………なにを?」
ポリスリオンがヒルキュアに質問すると、ヒルキュアは艶やかな表情で笑った。
「んふふふふ。お姉ちゃんも気持ち良くなろう」
心臓が激しく鼓動する。MDMA―エクスタシー―でも投与されたように身体が熱い。背中に刺さった注射器を見て驚愕した。
「これ、まさか……」
「そう、『たゆたう快楽の調合薬―ナース・エクスポートレーション―』。姉ちゃんも骨抜きよ」
注射器が抜かれた瞬間、ポリスリオンの身体がガクッと崩れ落ちた。息も荒い。表情も蕩ける。
ポリスリオンも艶やかな表情になるにつれ、ヒルキュアは笑っていた。注射器を再び掲げる。
「や、やめて、ヒルキュア!」
「お姉ちゃんも正直にならないとダメでしょ?」
逃げる姉の上に乗って逃げ道を塞ぐ妹。姉妹とはいえ、姉を抑え込む妹を見られるとは感慨が深い。
わずか数日でヒルキュアのSッ気素質に完全に目覚めさせることに成功した握出は大満足だった。
握出はヒルキュアの言葉に合わせる様に『偽りなき誘導尋問―ゴッド・ルガール―』を突きだす。途端に、ポリスリオンの目は虚ろになり、
「気持ち良い。もっと刺して!!」
ヒルキュアが嬉しそうに『たゆたう快楽の調合薬―ナース・エクスポートレーション―』を振り下ろした。
――ドスッ
「ああああああっ!!!熱い!!!」
電流が全身を駆け巡る。刺されたと言う感覚すら快感として認知する。
遂に本音を曝け出したのだ。その言葉に満足したヒルキュアはポリスリオンと戯れる。白と黒のコスチュームの二人がキスをしたり足を絡めたりして握出の目の前でレズ行為が繰り広げられる。
ヒルキュアがポリスリオンの乳首を舐める。
「ひんっ!!」
背筋を伸ばすどころか逸らして快楽に溺れていた。『たゆたう快楽の調合薬―ナース・エクスポートレーション―』を二度打ち込まれたのだ。一度でも堪らないのに倍の快楽を得られたら涎が止まらないだろう。口内から溢れる涎をヒルキュアが掬い、ポリスリオンの乳首に塗り付ける。
「ヌリヌリ……。ふふふ、お姉ちゃんの涎で乳首が光ってるよ。あっ、勃ってる」
「気持ち、良いの。ヒルキュア!ヒルキュア!!」
縋るように唇を奪い、ポリスリオンはヒルキュアに口内に溜まった涎を流しこむ。ヒルキュアも溢れる涎を全部飲みこむことが出来ずに二人の口から粘り気のある涎が垂れ落ちる。
(違う。私はこんなこと思っていない)
言葉にならない自己否定。ポリスリオンの自我がかすかだが残っているようだ。身体は欲情のまま本能に従い、意識だけが握出と会話する。
「もう無理ですよ。グノー商品『電話』、『たゆたう快楽の調合薬』、『偽りなき誘導尋問』。ここまで道具に弄ばれているあなたに勝ち目はありません。虚偽だの真実だのやめにしませんか?それが現実です」
(いやあ!これが現実なんてことは……ない。これは、妹じゃない!)
「ポリスが現実から目を背けてどうするんですか?ヒルキュアは私の調教に成功した『吸血鬼―ツキヒメ―』なのです。あなたにも名を与えてあげますよ。そうですね、あなたの私を否定する心だけは面白そうだから残しておいてあげます。ねえ、『天邪鬼―カンナビ―』。追っているつもりが追われている立場だったとは滑稽で
す。現実を否定し、現実を逃避し続けて、やがて現実から外れる所まで走り続けたら、私が可愛がってあげますから安心してください」
(……あなたが……あなたが待っているなんて……)
「良い!いいいいああああああああああああああああ!!」
潮を噴いて悦ぶポリスリオンに、握出は『逃げ場なき断崖絶壁の場―クォド・エラト・デーモンストランドゥム―』を用意するのだった。
[エピローグ]
(ハア……ハア……)
逃がさない。絶対に追い詰める。『逃げ場なき断崖絶壁の場―クォド・エラト・デーモンストランドゥム―』を発動させる。追い詰められた精神に強制敗北を与える力。握出も例外じゃない。世の中楽観的だけじゃ生きられない。
必死に追いかけていれば相手は息をあげる。追われていると意識すれば相手も全力を尽くして余力をなくす。特に楽観者である握出は自分に余力があると勘違いして、すぐガス欠になるタイプだ。
姿が見えない現状も、すぐに目で捕える様になるだろう。そして――
光が刺した。遂に世界の果て―断崖絶壁の場―へ到達したのだ。
(ハァ……ハァ……)
息を整え、握出の姿を探す。
どういうことだろう。握出が居ないのだ。断崖絶壁まで到達したのに、誰もいないと言うのは、一体誰を追い詰めたのだろうか?
「あなた、一体誰を追いかけていたのですか?」
握出の声が聞こえる。
「あなたよ!どこにいるの!?」
「ああ、『断崖絶壁の場』にいるんですね。今行きますよ」
カツン、カツンと革靴の規則正しい歩く音が響く。
(どういうことなの?握出は思っている以上に落ち着いている。いや、私と対照的に握出は息一つ乱れていない)
私は走っていた。握出を追う為に、でも、握出は走っていない。逆に私を追っている。
(そんな、じゃあ私は、誰を追いかけていたの?)
汗が一筋垂れる。
「そう、ここは私が用意した『断崖絶壁の場―クォド・エラト・デーモンストランドゥム―』です」
握出が背後から現れる。私は驚愕し後ずさりしたが、自分の立っている場所が『断崖絶壁の場―クォド・エラト・デーモンストランドゥム―』だと認識した瞬間に、小さく悲鳴をあげてしまった。
「もう逃げ場はありませんよ。まあ、逃げ続けてきたんですから鬼ごっこは十分でしょう、ねえ、『天邪鬼―カンナビ―』?」
「わ、私は――」
私は既に、握出に勝てなかった。
< 続く >