承前
都心近郊のベッドタウン・弥高(やたか)市は、森の町だと呼ばれている。
元々弥高市は交通の便も良い住宅地として発展してきた町だ。
だが二〇年ほど前にどっかの頭のネジが切れてしまったバカが、とんでもない事件を起こしてしまった。今でも時折ニュースで『過去の重大犯罪特集』とかで取り上げられる、幼稚園襲撃事件だ。
このバカはどんなドリームに脳をやられたのか知らないが、弥高の中心部にあった幼稚園に銃を持って乱入、他にもスリングショット(武装用のパチンコみたいなの)とか色々持ち込んで、園児だろうが教諭だろうがお構いなしに暴れまわって、挙げ句の果てには捕まるのも恐れてテメェの脳天を撃ち抜いてしまったとか。
まぁその当時、俺生まれてないけどね。
事件そのものは救いようのない酷い話だけど、それに輪をかけて酷かったのは当時のマスコミ。テレビに新聞、週刊誌出版社の連中が我が物顔で押し掛けて、地元の家庭へ問答無用に取材攻勢。報道の自由を楯に警察にも平気で喧嘩を売りかねない勢いだから、ある意味ヤンキーとかいった類よりもよっぽど質が悪かった。
で、加害者遺族は言うまでもなく、被害者遺族、果ては只のご近所さんまで、忘れたい過去を振りほどくかのように続々転居していった。この一種の転居ブームは町中に伝染して、懐に余裕のある家庭からどんどん出ていってしまい、弥高は空き家だらけになっていく。残ってるのは町への思い入れが強くて離れられない家か、転居するにも持ち合わせの無い家庭くらい。折からの不景気もあって、不動産ブローカーも塩漬け資産を抱えたまんまで事業撤退するほどの惨状だったとか。
空き家や空き地が出来れば、そこでバカをするロクデナシが出るのは世界共通の現象らしいが。この弥高市もご多分に漏れず、空き家の合間に隠れた路地などで非合法なクスリの流通が発生したり、空き地を集合場所にする頭に蛍光色のトサカを生やしたバカが続出したりして、警察も取り締まり強化に乗り出してみるが、人目の無い路地などに逃げられれば手も足も出ないというワケで。この惨状に嫌気がさして逃げる住民が第二波の転居ブームになった。
「これはまるで町のゾンビだ」と嘆いたのは地元の名士・霧島泰蔵(きりしまたいぞう)。
彼は荒れ果てた町の末期の水をとるべく、空き家や空き地の一斉買収を開始した。これが手持ち資金の乏しい家庭にとって町から脱出するための『蜘蛛の糸』になって、一気に弥高市は巨大な空き地へと化けてしまった。
この空き地に、霧島は学園を建設した。
荒れた町を放置するくらいなら、町そのものを殆ど整備の行き届いた学園にしてしまおうという発想は、強引極まりないと見ることもできるが、それだけの荒療治が必要だったとも言えるだろう。
私立・白冬(はくとう)学園。
霧島家が私財を擲(なげう)って築き上げただけあって、校舎や施設は最新、グラウンドのスペースも広大、遠距離家庭の生徒のための学生寮まで完備した、全国でも類を見ない巨大な学園となった。
この学園が施設の全域を植樹で覆い尽くしたのだ。
お陰で弥高市はどこに行っても白冬の「森」が目に入る。
なにせスペース全域換算で言えば、都心の皇居にすら劣らない規模らしいし。
……というのが、この弥高の最新の「郷土史」。
町の全体像を捉えているという意味では間違ってないけれど、そうじゃない所だってあるくらいは分かって貰いたい。
なにせ俺、久我山修一(くがやましゅういち)の家は、この弥高に古くから存在する稲荷神社なのだから。
──ま、氏子なんてもう殆ど残ってないけどね。長年この地に住まってきて、もう離れるなんて思いもよらない〝町内会の長老〟みたいな人たちが辛うじてまだ居るけど、俺の代になってまでその人たちが生きてればギネスブックが長寿記録で大変な事になりそうだし。
このままじゃ俺の将来どーすんのとか、『神社の稼ぎ(いえのしょーばい)』どーなってんのとか、悩み出したら切りがないので、もう最近俺は深く考えないことにした。
親父やお袋が学費出してくれて、生活できる内は、とにかく今を生きるしかない。
刹那的かもしれないけど、これ、ゲンジツなのよね。
< 続く >