始末屋ヒュプノの活動記録1

 

1話

 

 

 ジリリリリリ……

 

 展示品の盗難を知らせる警報機のサイレンが美術館に鳴り響く。

 

『こちら展示室! 警備にあたっていた警官が全員眠らされています!』

『犯人の姿はありません! 空調用のダクトから逃走中と思われます!』

『探せ! まだ遠くまでは行っていないはずだ!』

 

 上を下への大騒ぎの中、トランシーバーの通信があちこちで飛び交う。

 

 ばたばたと靴音を立てて駆けまわる警官隊。犯人の姿を探し、建物のあちこちを照らす投光器。

 そんなパニックの中、警官のそれとは明らかに異なった高らかな笑い声が夜空の下に響き渡る。

 

「あーっはっはっはっは!」

『屋根の上だ、照らせ!』

 

 投光器の光が集まった先、最も高い建物の屋根の上に、小さなシルエットが映し出される。

 漆黒のシルクハットを目深にかぶり、全身をすっぽりと覆う黒のマントからはすらりとした足が覗いている。

 

「闇夜に降り立つ一輪の花……」

 

 シルエットの人物は、ぐっと右手でマントの裾を掴むと、漆黒のマントを勢いよく翻した。夜空の下、月明かりと投光器の光に照らされ、マントの下に隠された全貌が周囲に晒される。

 屋根の上には、一人の少女が佇んでいた。

 目の周りを覆うように装着された、蝶型のアイマスク。そして、スレンダーな体型を覆う、ぴったりとした白いレオタード。

 

「怪盗アプリコット、参上!」

 

 金髪をツインテールの髪型に纏めた身長150センチ程度の可愛らしい少女は、高らかな声で名乗りを上げながら、左手に握りしめた大粒のルビーを見せつけるように掲げる。

 

「予告通り、『不滅の炎』は頂いていくわ!」

「くっ……捕まえろ! 何としても取り戻すんだ!」

 

 わらわらと、はしごを立てかけて美術館の壁を上り始める警官たち。しかし怪盗アプリコットを名乗る少女は怯む様子もなく右手に握ったマントを大きく広げると、マントはまるで骨組みでも通っているかのように凧のような形に組み上がった。

 

「それじゃあ、また遊びましょうね、間抜けな警官の皆さん♪」

 

 怪盗アプリコットはさしずめハンググライダーでも操縦するかのようにマントの四隅に据え付けられた取っ手を掴み、屋根の頂上から軽やかに飛び立つ。

 

「ま、待てっ!」

「あーっはっはっはっは!」

 

 高らかな笑い声とともに、まるでムササビのように大きく四肢を広げて町の上空を滑空する少女。警官隊は、投光器に照らされながら闇夜に飛び去って行く白いシルエットを見送ることしかできなかった。

 

……

 

『怪盗アプリコットまたもや現る』

『警官100名、為す術無し』

『早くも次の犯行声明――今度のターゲットは時価10億円のサファイア「人魚の涙」』

 

 怪盗アプリコットの活躍を讃える文字が踊る見出しの並んだ新聞。沢渡杏子は一通りその記事に目を通すと、無造作に折りたたんでテーブルの上に置いた。

 そしてゆっくりと立ち上がると、その細い指で顔を覆い、勝ち誇った高笑いを挙げる。

 

「くくっ、ふふふ……あーっはっはっは!」

 

 ――世間を賑わせる美少女怪盗アプリコット。

 美術的な価値のある宝石や貴金属類を主に狙い、犯行の前には律儀に予告状を送りつける、現代に蘇りしアルセーヌ・ルパン。

 あらゆる警備を華麗な手練で掻い潜り、一人として死傷者を出さずに見事にターゲットのみを盗み去る、天才的な犯罪者。

 それが、どこにでもいる普通の中学生、杏子の裏の顔であった。

 

 何故怪盗などといった行為に手を染めているのか? 特にこれといった動機は無い。別段生活に困っているわけでもなければ、確固たる信念を持って盗みを働いているわけでもなかった。

 強いて言えば、世間に注目されるのが楽しいから。

 そのためだけにわざわざ予告状も送付し、マントとアイマスクにレオタードという目立つ衣装を着て犯行に及んでいるのだ。

 

「――この調子なら次のターゲットも楽勝ね」

 

 既に建物の構造や警官の動員数はおおよそ把握していた。予め見つからない場所に仕掛けも施し終えており、逃走経路も複数確保してある。

 よほどのアクシデントでも起きない限りは、次の犯行も特に滞りなく実行に移せるだろう。

 

「ふふっ……見てなさいよ、朝刊の1面トップは怪盗アプリコットが飾ってやるんだから!」

 

 誰とはなしに言い放ち、葡萄ジュースで満たされたワイングラスを傾けるのだった。

 

……

 

「――にしても、ちょっと拍子抜けするほど順調に運びすぎじゃない?」

 

 決行の当日。予定通り空調を通じて睡眠ガスを建物内に充満させた杏子は、警官全員が眠り込むのを見計らって潜入した。

 セキュリティのシステムも想定の範囲内。潜入開始から3分足らずという驚きの手際で、杏子は悠々と今回のターゲットである「人魚の涙」を手にしていた。

 

「まったく……こんなものが時価10億円もするっていうんだから、驚きよね」

 

 一応贋作でないことを確認した後に無造作にターゲットをマントのポケットに放り込み、杏子は部屋を立ち去った。

 正直、ターゲットの美術的価値なんてものには大して興味などない。今回「人魚の涙」を狙ったのも、単に価値の高いものを盗んだ方が世間から注目されるというだけだ。

 

「さてと、あとは確保しておいた経路から脱出するだけなんだけど――

 どうやら、そっちは簡単にはいかないみたいね。隠れてないで出てきたらどう?」

 

 いるんでしょ、わかっているんだから――とでも言わんばかりに部屋の出入り口を見遣る。

 

「――さすがは怪盗アプリコット、と言うべきかしらね。気配は消してたつもりだったんだけど」

 

 コツ、とドアの影から足音と共に人影が現れる。

 見た目から判断すればアプリコットよりいくぶん年齢の高そうな、端整な顔つきのスーツ姿の女性。予定外の出迎えにアプリコットは警戒心を強めながらも気丈に言葉を投げかけた。

 

「ひょっとして、出待ちをしてた私のファンかしら? 悪いけど、今は忙しいからサインはあげられないわよ」

「あら、お構いなく。待ってたのは確かだけど、欲しいのはあなたのサインじゃないから」

「ふぅん、残念。それならお目当ては──コッチの方かしら?」

 

 アプリコットは見せつけるように懐から「人魚の涙」を取り出し、挑発的な笑みを浮かべる。こんな場所で自分を待ち構えている以上は、この女の正体も大方この宝石を警備するために雇われたか、あるいは同じ宝石を狙うライバルだと予想はつく。

 だが、アプリコットの予想は外れだった。

 

「ふふ、申し訳ないけどその宝石にも興味がないの。私の狙いは──あなた自身、と言った方が正しいかしらね?」

「愛の告白……って雰囲気じゃ、なさそうね。私を消すために雇われた暗殺者、ってところ?」

「ふふ、当たらずとも遠からずといったところね。自己紹介させてもらうと──私は『始末屋』のヒュプノ。

 あなた、随分とこの業界で悪目立ちしているみたいじゃない? おかげで縄張りを荒らされて困ってるって相談が私にいっぱい寄せられてね。

 できれば手荒なことはしたくないから単刀直入にお願いすると──今日限りで怪盗稼業から身を引いてもらえないかしら?」

「んー、そこまでお願いされたら仕方ないわね……なんて言うとでも思った?」

 

 始末屋だか何だか知らないが、その程度で怖気づく杏子ではなかった。わざわざ自分の前に無防備に姿を晒しているところを見ると、怪盗アプリコットと言えど単なる女の子に過ぎないと舐められているのだろう。

 ならば、その思い上がりを正してやる。アプリコットは瞬時に懐から銃を取り出し、相手に向けて躊躇なく引き金を引いた。

 

 銃、といっても殺傷力のあるものではない。銃口から発射されるのは銃弾ではなく、フック付きのロープだ。これを配管などに引っ掛けることによって、杏子は高い塀をよじ登ったり、あるいは振り子運動を利用して離れた場所に飛び移るために利用しているのだ。

 そして、この銃の素晴らしいところは、移動手段のみならず非殺傷性の対人武器としても役立つところだ。

 

「きゃぁっ!?」

 

 びりっ、と布が裂ける音が響き渡り、ヒュプノのスーツの右胸のあたりが大きく弾ける。

 とっさに身をかわしたために直撃こそ免れたが、スーツとその下に着ていたブラウスが破れ、形の良い横乳が露わになった。その姿を見て、アプリコットはニヤリと微笑む。

 

「へえ、反射神経は悪くないけど……次は同じように避けられるかしら?

 ふふっ、今のうちに大人しく手を引かないと──裸でおうちに帰ってもらうことになるわよ?」

 

 このような商売をしていると、盗みに入った現場で同業者とお宝の奪い合いになることも少なくない。そんな時はこの銃で相手の武装を解除し、丁重にお帰り頂くことがアプリコットの流儀であった。

 場合によってはついつい熱が入ってしまい、相手をあられもない姿にひん剥いた上に、フック付きロープで目立つ場所に拘束し大勢のギャラリーに晒してしまったこともあった。恐らく、この始末屋に依頼をしたのも、アプリコットに大恥をかかされた怪盗のうち誰かなのだろう──心当たりが多すぎて絞り込めないのが残念だが。

 

「やれやれ……噂通りのお転婆さんね。個人的には仲良くなれそうな気がするけど、生憎と私情よりも依頼を優先するタイプなのよね。

 だから、申し訳ないんだけど……あなたの方こそ、裸でお帰りいただかないといけないの」

 

 ヒュプノは自分の首の後ろに手を回すと、ぷつり、と留め金を外す音とともに自分のネックレスを外した。

 そして、ネックレスのチェーンの端を右手に持ち、もう一端、クリスタルの装飾がついている部分をゆらゆらと揺らす。

 

「せー……のっ!」

 

 そして、右手を勢いよく振りかざすと同時に、慣性の法則によってチェーンの先端が勢いよくアプリコットに対して襲い掛かる。

 

「やばっ……!?」

 

 瞬時にその軌道を見切り、すんでのところでチェーンをかわすアプリコット。その目の前を通り過ぎたクリスタルの先端には、金属製の鉤爪がきらりと輝いていた。

 

「……あら残念、もう少しでしたのに」

「ふぅ……それがあんたの武器ってわけ?」

 

 扱い方の差異こそあるが、恐らくは自分と同じように敵や遠くのものに引っかけることができる武器なのだろう。前もって手元の動きを警戒していなければ危ないところだった。杏子は内心で胸を撫で下ろす。

 

「ご名答。ふふ……これを使って、今までに多くのターゲットを『始末』してきたわ……もちろん、アナタもその中に加わってもらうけどね」

 

 手元にチェーンを手繰り寄せたヒュプノは、再び振り子のようにその先端を揺らし始める。恐らく、これが攻撃の予備動作なのだろう。

 杏子は歯噛みする。先ほどの動きを見る限り、弾速自体は自分の銃の方が早い。だが、狙いを定めるためには銃を構える一瞬の動作に隙が発生する。それを見逃してくれるほど甘い相手ではないはずだ。

 そうなれば、取れる手は一つ。先ほどと同じように飛んできたチェーンをよけ、相手がチェーンを回収する前に自分のフックを撃ち込むのだ。

 チェーンの飛んでくるタイミングや軌道は、先ほどの攻撃で大体掴んだ。振り子の動きにさえ注目していれば、決して見逃すことはないはずだ。

 

「ふん、できるものならやってみなさいよ……!」

 

 ゆらゆらと揺れる振り子の動きから目を離さずに、杏子は啖呵を切った。このまま時間が経過すれば、外から警備員たちが押し寄せて戦闘を中断せざるを得なくなる。そして、そうなった場合に困るのはヒュプノの方だ。何せ、自分は既にターゲットの「人魚の涙」を手に入れている以上、このまま逃げることができれば勝利なのだ。

 しかし、相手からすれば自分を『始末』することができなければ依頼失敗となる以上、待っていれば必ず仕掛けてくるはずだ。自分はそのタイミングさえ見逃さないように気を付ければいい。

 

「ふぅん、たいした自信なのね……ふふ、後悔しても知らないわよ……?」

 

 ゆらゆら、ゆらゆらと規則正しく揺れる振り子の動きを、杏子は注意深く観察する。館内の照明を反射してきらきらと輝く水晶の装飾は、ゆっくりとしたペースで右へ、左へと揺動する。一瞬たりとも目を離してはいけない。しっかりと、攻撃のタイミングを見極めなければ。

 

「あらあら……かなり警戒されてるわね。今度は本気で行くわ……果たしてあなたに見切れるかしらね」

 

 ゆらり、ゆらり。わずかずつだが、水晶の振り子運動の周期が遅くなっていく。その度に水晶は、周囲の照明の屈折の度合いによって、赤、青、黄と複雑な色合いの光を発する。

 その振り子を見つめているうちに、杏子は吸い込まれそうな感覚にとらわれてふらりとバランスを崩しかける。いけない、目を離しそうになってしまった。しっかり見ていないと。

 

「ふふ……そうよ、攻撃のタイミングを測るためにちゃーんと見て……絶対に目を離したらダメ……」

 

 小さな声でヒュプノが囁きながら、ゆっくりと杏子の方へ歩みを進める。ペンダントの方に完全に意識を集中してしまっている杏子はヒュプノの動きに反応しない。いつの間にか本来の目的も忘れ、杏子はゆっくりと揺れるペンダントの動きを目で追うことだけしか考えられなくなっていた。

 杏子のすぐ目前、手を伸ばせばすぐ届く距離まで歩み寄ったヒュプノは、その顔の前でゆっくりとペンダントを揺らし続ける。杏子はぼんやりとした表情で、ただ機械的に目の前のペンダントの動きだけを追っていた。

 

「うふふ……いい子ね……それじゃあ、これから3つ数えるからゆっくりと目を閉じて……あとは、私の言葉だけを聞いて、素直に受け入れなさい……3……2……1……0.」

「う、ん……」

 

 すぅ、とカウントダウンに合わせて杏子の目が閉じる。その表情からは、一切の思考が奪われていた。

 

「くすくす……はい、おしまい。天下の大怪盗アプリコットと言えども他愛無いものね……」

 

 ヒュプノは、無防備な杏子の表情を眺めながら楽しそうに微笑むと、ペンダントを再び自分の首に掛けた。

 

 これこそが始末屋ヒュプノ最大の武器、『睡魔のペンダント』。チェーンネックレスに水晶の装飾が結わえ付けられたこのアクセサリーは、先ほど見せたように中距離用の武器としても使えるが、この武器の真価は別にある。

 秘密は、チェーンの先に結わえ付けられた水晶にある。この部分を光が透過する際に特殊な結晶構造を通ることで、強力な催眠効果を持つ波長の光を発することができるのだ。今回のように一度投げつけることで相手に投擲武器としての脅威を植え付け、注意深く観察させることで相手を催眠状態に落とすのは、ヒュプノの常套手段だった。

 

「さてと……アプリコットちゃん、聞こえるかしら? 聞こえたら返事をしなさい」

「うん……聞こえる……」

 

 杏子は虚ろな口調で答えを返す。どうやら、完全な催眠状態に落ちているようだ。

 

「ふふ……いい子ね。さてと……時間に余裕があれば抵抗できない状態でたっぷりと虐めてあげたいところだけど……状況的にそうもいかないのよね」

 

 宝石が盗み出されたとあれば、この場所に警察が踏み込んでくるのも時間の問題だろう。その前に、依頼人の命令だけでも確実に遂行しなければ。

 

「それじゃあ、これから私が言うことは、あなたの心の奥底に深く刻み込まれるわ……目を覚ますとあなたは私に命令されたことを何も覚えていないけれど、必ず私に刻み付けられた言葉の通りになるの……分かった?」

「うん……分かった……」

「いい子ね……それじゃあ、しっかりと聞いてね……」

 

 

……

………

 

「ん……あれ?」

 

 誰もいない部屋で杏子は目を覚まし、辺りをきょろきょろと見渡した。

 

「私、いつの間に意識を失って……さっきまで戦ってた変な女は……?」

 

 何らかの攻撃を受けて気絶させられたのかと自分の体を確認するが、傷一つついていなかった。

 時計を見ると、先ほどから3分も経過していない。そして、不思議なことに始末屋ヒュプノの姿は、影も形も見当たらなかった。

 足元に目を落とすと、今回のターゲットである『人魚の涙』が無造作に転がっていた。

 

「怖気づいて逃げたってこと……? まったく、口ほどにもない……くしゅんっ」

 

 『人魚の涙』を拾い上げた杏子は、ふと走った寒気に小さくくしゃみをする。

 

「……いけないいけない、こうしてる場合じゃなかったわ。警察が駆け込んでくる前に、さっさと脱出しないと」

 

 もちろんここで追い詰められても脱出の算段は立っていたが、それではつまらない。

 犯行後は自ら堂々と姿を現し、警官やマスコミを挑発して注目を浴びながら脱出するのが、怪盗アプリコットの流儀だった。

 

 杏子は『人魚の涙』を握りしめると、事前に計画していた通り、空調のダクトに潜り込んだ。

 

……

 

 ジリリリリリ……

 

 展示品の盗難を知らせる警報機のサイレンが美術館に鳴り響く。

 

『こちら展示室! 警備にあたっていた警官が全員眠らされています!』

『犯人の姿はありません! 空調用のダクトから逃走中と思われます!』

『探せ! まだ遠くまでは行っていないはずだ!』

 

 上を下への大騒ぎの中、トランシーバーの通信があちこちで飛び交う。

 

 ばたばたと靴音を立てて駆けまわる警官隊。犯人の姿を探し、建物のあちこちを照らす投光器。

 そんなパニックの中、警官のそれとは明らかに異なった高らかな笑い声が夜空の下に響き渡る。

 

「あーっはっはっはっは!」

『屋根の上だ、照らせ!』

 

 投光器の光が集まった先、最も高い建物の屋根の上に、小さなシルエットが映し出される。

 漆黒のシルクハットを目深にかぶり、全身をすっぽりと覆う黒のマントからはすらりとした足が覗いている。

 

「闇夜に降り立つ一輪の花……」

 

 シルエットの人物は、ぐっと右手でマントの裾を掴むと、漆黒のマントを勢いよく翻した。夜空の下、月明かりと投光器の光に照らされ、マントの下に隠された全貌が周囲に晒される。

 屋根の上には、一人の少女が佇んでいた。

 目の周りを覆うように装着された、蝶型のアイマスク。そして、スレンダーな体型。

 

「怪盗アプリコット、参上!」

 

 金髪をツインテールの髪型に纏めた身長150センチ程度の可愛らしい少女は、高らかな声で名乗りを上げながら、左手に握りしめた大粒のサファイアを見せつけるように掲げる。

 

「予告通り、『人魚の涙』は頂いていくわ!」

 

「……」

「…………」

「………………」

 

 屋根の下に押し寄せていた警官隊や、怪盗アプリコットに向けてカメラを構えるマスコミの間に、水を打ったかのような沈黙が流れる。

 彼らは、まるで信じられないものを見るような表情で、夜空に照らされた怪盗アプリコットの姿に目を奪われていた。

 

「──ちょっと、何とか言ったらどうなのよ! せっかく人がわざわざ姿を現して視聴者サービスしてやってるって言うのに!」

 

 想像とは異なる反応に不満をあらわにしながら、アプリコットが叫ぶ。だが、相変わらず下に群がった警官隊やマスコミたちの返答はない。誰もが、屋根の上に佇むアプリコットの姿に釘付けになっていた。

 訝しんでいた杏子は、やがて妙なことに気付く。周囲の警官隊の視線や、マスコミのテレビカメラが、『人魚の涙』の方を向いていないのだ。より正確に言えば、もっと下の方に全ての視線が集中していた。

 

「……? 一体どこを見、て……え……?」

 

 不思議な表情を浮かべながら、その視線の先を追うように自分の体を見下ろしたアプリコットの目に映った物は。

 

 ──何にも覆われることなく衆目に晒された、杏子の産まれたままのスレンダーな体型。

 

 そう、怪盗アプリコットは、そのマントの下に着ていた筈のレオタードを着用していなかった。

 恐らくは同学年の少女たちと比較しても未発達な二つの胸のなだらかな膨らみも、その頂点に色づく淡い桜色の小さな突起も。

 綺麗に何も生えていないことが遠目からでもはっきりと判別できる、その股間の割れ目も。

 今までに出し抜いてきた多くの警官隊や、全国に映像を中継しているマスコミのテレビカメラに対して見せつけるかのように、完全に露わになっていた。もはや視聴者サービスどころか、完全な放送事故である。

 

「あ……な、何で私……え、嘘……!?」

 

 いつの間にレオタードを脱がされていたのか。そして、何故レオタードを着ていないことに気付かずに、マントを脱ぎ捨ててしまったのか。あらゆる疑問が杏子の脳裏を過ぎる。

 だが、今はそんなことを考えている場合ではなかった。地上で呆気に取られていた警官隊のリーダーが、ようやく正気を取り戻したのだ。

 

「と……とりあえず、捕らえろ! 『人魚の涙』を取り戻すんだ!」

 

 困惑しながらもはしごを立てかけて美術館の壁面をわらわらと上り始める警官隊たち。まずい。このまま捕まるわけにはいかない。特に、こんな格好では。

 

「くっ……! つ、捕まってたまるもんですか! じゃあね!」

 

 アプリコットが慌てふためきながらも右手に握ったマントを大きく広げると、マントはまるで骨組みでも通っているかのように凧のような形に組み上がった。アプリコットはいつものように両手でその取っ手を握ろうとしたが──

 

「あっ……!」

 

 あることに気付いて、慌てて手を引っ込める。そう、このマント型グライダーは彼女の発明した怪盗七つ道具のうち一つで、普段はマントとして身に纏いつつ、逃走時には広げることでまるでハンググライダーのように滑空が可能になるという代物だが──一つだけ大きな問題があった。

 両手両足を大きく広げてしっかりと取っ手を掴んでいないと、バランスを崩して落下してしまうのである。そして今、地上から多くの人間の視線やマスコミのカメラを向けられている状態で四肢を拡げる行為の意味することは……。

 

「だ……ダメっ!」

 

 そんなこと、うら若き乙女としてできるはずがない。だが、背後からは既に屋根の上に到達した警官隊たちが迫っていた。もしこの格好で捕まってしまえば、沢渡杏子の名は大怪盗アプリコットではなく、露出狂として世界中に広まってしまうことだろう。

 

「こ、来ないでっ! あっち行ってよ!」

 

 そんな悲痛な叫びもむなしく、もはや警官隊たちは眼前数メートルにまで迫る。もはや、選択肢など存在しなかった。アプリコットは無我夢中で、両手を広げてマントの両端を掴み……

 

「いやああああ、見ないでー! 撮らないでー!」

 

 たくさんの投光器に照らされながら、ムササビのようにしっかりと四肢を拡げて町の上空を滑降するアプリコット。その大胆に開かれた肉体を覆うものは、布地一枚として存在しない。眼前に広がる地上の風景を見下ろすと、今まで何度も出し抜いてきた警官や警備員たちが、あんぐりと口を開けて自分の体を見つめているのが目に入る。

 その周囲には、何度もアプリコットの正体をすっぱ抜こうとしては返り討ちにされてきたテレビ局や新聞社のカメラが何台、いや何十台も向けられ、まばゆいばかりのフラッシュが容赦なくアプリコットに向けて炊かれていく。

 さらにその向こう側には、野次馬として集まっていたと思われる一般人たちが、大人も子供も、男も女も関係なく驚いた顔で上を向き、全裸で空を飛んでいくアプリコットを指差したり、私物のカメラで撮影したりしていた。その中には杏子の見知った人間や、それどころか毎日教室で顔を合わせるクラスメイトの男子たちの姿まで交じっている。

 

「ダメ、ダメ、だめええええ!」

 

 数えきれないほどのギャラリーが注目している中で、その平らな胸も、子供らしい秘所も、女の子が本来であれば最も隠したい筈の場所をしっかりと見せつけながらゆっくりと滑降していくアプリコット。その両手両足は、別に無理やり拘束されているわけではない。隠そうと思えば、今すぐにでもその両手をマントから離し、自分の体を隠すために使うことも可能だ。だが、この窮地から生きて脱出するためには、アプリコットはどれだけの羞恥や屈辱に苛まれようとも自らの意思によってその両手でマントの端をしっかりと掴み、全身を見せつけるように大きく体を拡げざるを得ないのだ。地上の見物人からでも、そのなだらかな胸の先端がぴんと立っている様子や、毛の生えていないピンク色の秘裂がひくひくと震えているのがはっきりと見て取れた。

 

 全身を真っ赤に染め上げ、目の端に涙すら浮かべながら地上のギャラリーに向けて四肢を大きく広げるアプリコットの様子はまるで、「今までさんざん悪いことしてきてごめんなさい。お詫びに、私の幼い体の隅々までをしっかりと目に焼き付けてください」とでも主張しているかのようだった。

 

 せめて一刻も早く誰にも見られない場所まで飛び去ってしまいたい。だがそんな杏子の思いとは裏腹に、グライダーはまるで焦らすようにゆっくり、ゆっくりと人だかりの真上を飛び、眼下のギャラリーの皆さんにたっぷりと目の保養を提供していく。

 やがて、永遠にも思える数分間その無防備な身体を大勢の人間に見せつけ、誰もが心行くまでその肢体を脳裏に刻み付け終わった後、ようやく怪盗アプリコットの姿は夜の空に吸い込まれるように消えていった。

 

……

 

『怪盗アプリコットは露出狂!? 真夜中の全裸逃走劇』

『地上波生放送でセイキの大公開ショー、わいせつ物陳列罪の余罪も追加か』

『大怪盗、セクシー方面にまさかの方針転換?──あなたの精液、戴きます♪』

 次々とスキャンダラスでセンセーショナルな言葉が、ワイドショーのテロップや週刊誌の見出しに踊る。

 

 杏子の望み通り、怪盗アプリコットは全国にその名を轟かせ、多くの新聞の一面トップを飾ることになった。といっても一般紙ではなく、ほとんどが低俗なスポーツ新聞やゴシップ系のものだが。

 

 もはやこの国に、アプリコットの名前を、そしてその幼い体を知らない者はほとんどいない。雑誌や新聞、あるいはテレビを問わず、大小ほとんどのメディアが怪盗アプリコットの全裸騒動で持ちきりだった。

 ありとあらゆるカメラに収められたアプリコットの幼い肢体も、まるで当然のように繰り返し取り上げられた。

 股間に申し訳程度のぼかしを入れてくれるニュース番組や新聞はまだ良心的な方である。雑誌によっては、どうやって集めたのか、あらゆる角度から撮影されたアプリコットの胸や股間の部分だけを切り取って特集を組んだりするものすらあった。

 

 一体何故、こんなことになってしまったのか。どれだけアプリコットが自問しても答えは出てこない。

 だが、一つだけ確かなことがあった。自分が何をされたのかは分からないが、あのヒュプノとかいう始末屋だけは、決して許しておけない。必ずや、自分の手で葬ってやる。

 沢渡杏子は布団の中に包まって真っ赤になりながらも、心の中で復讐を固く誓うのだった。

 

 ──だが結論から言えば、その復讐が叶うことはなかった。杏子本人には知る由もないことだが、既にアプリコットはヒュプノの強力な後催眠暗示によって『始末』されてしまっていたのだ。

 本人がどれだけ気を付けているつもりでも、今後怪盗として活動しようとする度に、アプリコットはマントの下にレオタードを着用するのを『うっかり』忘れてしまうようになってしまったのだ。

 そして、そのことに気付くことなく大勢のギャラリーやマスコミのカメラの前に姿を現し、自分が盗み出した宝石などとは比べ物にならないほど大事な『お宝』を、毎晩のように世界中の視聴者に対して提供してしまうのだった──。

 

 

<続く>

2件のコメント

  1. 読ませていただきましたでよ~(ピクシブでw)

    怪盗少女と催眠術って・・・セイントテールかな?(古い)
    うっかり服を着忘れるようになってしまったけど、一応盗み自体は成功してるからアプリコットが開き直ってしまったら大丈夫なんじゃないだろうかとボブは訝しんだ。
    しかも初回はともかく、二回目以降はアプリコットも脱いでるのに気づかないし

    1. 読んで頂いてありがとうございます! まじで!

      もちろん、初回と同じでたっぷり見せた後で正気に戻っちゃいますね。
      恐らく毎回グライダーで逃げざるをえなくなるのも。
      「盗み出したお宝<<(越えられない壁)<<提供したお宝」なので、
      もしアプリコットが開き直ってもwin-winなのです。

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