ガールハント 2008

「ちぇっ。なんか今日は、やっぱり、瘴気が濃いような気がすんだよなー・・・」

 伊川隆仁がボヤく。駅前の大通りで唐突に立ち止まった彼に対して、後ろを歩いていたサラリーマンは、小さく舌打ちをして彼を追い越していく。
 寒空の下、足早に目的地へ向かっていく人の流れの中で、ボンヤリと立ち尽くしている隆仁の姿は、川の流れに逆らおうとして包み込まれていく、小岩のようだった。
 まっすぐ前を向いて歩く会社員、うつむき加減に足を進める予備校生、真剣に携帯を操作している女子高生、イヤホンから流れる音楽に合わせて小刻みに揺れながらステップを踏む若者。
 そうした都会の雑踏の中、隆仁だけがボンヤリと斜め上の方角を見ながら立ち尽くしていた。

「今日の街が特に色々溜まっちゃってるのかな・・・。それともオレのチューニングのせい? 帰ろっかなぁ・・・。もうちょっと頑張るか」

 根元が若干黒くなっている茶髪に指を入れてかき分けると、隆仁はもう少し、ナンパに励むことにした。
 街の瘴気を濃く感じる時というのは、悪いことばかりではない。
 経験論から言うと、隆仁のチューニングが合い始めているということならば、ナンパの成功率は上がるはずだ。
 人の出す気分や感情というものを、隆仁が上手く受け取れているならば、ごく自然に女性の気持ちを的確に感じ取り、初対面の相手とでも、うまく打ち解けられるからだ。

 隆仁は軽量級ボクサーのイメージで、軽いステップを踏みながら、一人の女性に近づいていく。自分に無言で渇を入れて、話しかける。

「あっ、すいませーん」

(無視かよ・・)

「ちょっと道教えてもらいたいんですけど・・・」

(おっ、今、一瞬だけ目を合わせてくれた。実は親切な人だな、この人)

「この近くに、カップルで行けるような素敵な喫茶店を探してるんですけど。あと、一緒に行ってくれる人探してるんですけど。っていうか、これナンパです。アハハ」

(あ、やっぱり無視モードに戻っちゃった。ちょっと真面目なタイプすぎたかな? 今のアハハの響き方、ちょっと寒かったかな?)

 隆仁は懸命に女性の斜め前を、彼女の方を向きながら歩く。
 経験上、相手を後ろから追いかけながら話をすると、分が悪い。
 前をふさがず、追いすがらず、斜め前ぐらいのポジションを維持しながら、相手の反応が良ければ徐々に真横を歩くように位置をずらしていく。

 バイトのない日はナンパばかりしているだけあって、隆仁なりのテクニックというものは、それなりに確立されているのだ。

「私、約束があるんで」

(おっ、口きいてくれた。やっぱり基本いい人だよ、この人。頑張って押そう)

「あ、そうなんだ。友達? 彼氏? 女友達だったらオレもツレ呼ぶから、一緒に遊ぼうよ。すっごい美味しいお店いっぱい知ってるからさ。多分君の友達も喜ぶよ。いっぺんメールして、聞いてみてよ。ねぇ・・・」

「オイッ」

 突然、斜め後ろを見ながら話している隆仁の肩が、逞しい男の手に掴まれた。

「ケンジ・・・」

(あれっ? 地雷? 漫画みたいな最悪パターンじゃん・・・)

 。。。

 点滅するようにジンジンと痛む、腫れた顔をおさえながら、隆仁はトボトボと地下道を歩いた。
 周りを歩く人たちは、赤黒く腫れ上がった彼の顔に気がつくと、皆、驚いたように距離を取る。

(くっそ、ナニあのお約束パターン。あのカップル、つきあい始めたばっかりじゃないの? ケンジ君ってば、あの娘にいいところ見せようと、ハリキリすぎだって)

 人目を避けるように、うつむいて地下道を行く。
 心なしか、瘴気が増してきている気がする。

(くそー、痛い、痛い、痛い。誰も助けてくれない。みんな見て見ぬ振りだけだよ。遠巻きに、僕を気持ち悪がってる。瘴気が・・・、まずい、濃くなってる?)

 隆仁は耐え切れなくなって、思わずその場にしゃがみこみ、頭を抱えた。

(洗面所で・・・、冷やせば、ちょっと良くなる。顔を洗って、止血もして・・。間に合うかな?・・反転・・・、しちゃうかな?)

 隆仁が、渦巻こうとする街の瘴気から逃げるように、立ち上がって駅のトイレに向かい、走り始めた。
 街全体が、彼に悪意を向けているような気がしてしまう。
 この感覚が強くなりすぎると、隆仁は、『反転』してしまうのだ。
 慌ててトイレに駆け込もうとする隆仁、思わず反対方向に歩いていく女性に、肩がぶつかってしまった。

「ごめんなさいっ」

 走りさりながら、一声詫びた隆仁。
 彼の背中からは、しかし不満そうな声が投げかけられた。

「ちょっと・・・、何? あの人。・・・ムカつく」

 トイレに辿りついた隆仁。しかし彼には既に、反転に逆らうための意識を集中する時間は与えられなかった。
 瘴気を、取り込みすぎたようだった。

 17時22分、伊川隆仁・反転。
 第二人格のリュージン・出現する。

 洗面所の鏡の前には、先ほどと同じ顔と体の作りをした、別の人間が立っていた。
 瘴気が、今度は彼の体から外部へと吹き出ていた。

「さてと、ハント、仕切り直しますかね」

 首のこりをしつこくほぐすように、リュージンは頭を左に振った。
 まぶたからこぼれ落ちそうなほど剥かれた瞳が、異様な光を見せている。
 目が合った人のほとんどが瞬時に視線を逸らしたくなるような、不吉なヌメり気をもった怪しい光。
 深く荒い呼吸が肩を揺らし、独特のリズムで歩き始めたその姿は、飢えた肉食獣が発散するような、危険な匂いを全身から発散させていた。

 リュージンが地上に上がると、辺りは既に日が落ち、夜の街へと変貌を始めていた。
 無表情のまま、歯をカチカチと鳴らして通行人を物色するリュージンに気づいた人は皆、視線を合わせないように気をつけながら、俯きがちに距離をおいていく。
 そんな人々の反応にお構いなしに、リュージンが一人の標的を定めた。

「さっきは、隆仁が真面目そうなお姉ちゃんひっかけようとして、こんな酷い目に会っちまったからな。・・・今度はさらに輪をかけて真面目なお姉ちゃんにしちゃおうか。完全な逆恨みだね、こりゃ。ちょいとそこのおねーちゃん。お兄さんと遊びに行きましょ」

 ストレートの髪を束ねて眼鏡をかけた、事務員のような雰囲気の女性に目をつけたリュージンが、単刀直入にぶしつけな声をかける。
 聞こえないふりをして、立ち去ろうとする女性の後姿を、リュージンが強く睨みつけた。
 彼の目に、赤黒い煙のような気体が映り始める。
 自分の眉間の先、50センチほどの位置に、その気体を集める。
 反転した隆仁の特異能力。自分の中で鬱積した瘴気を、外部に滲み出させることが出来るのだ。
 わずか数秒前よりもはるかに大きく、凝縮されたように見える赤黒い気体の渦。
 リュージンが右手を上げると、そこから彼の右手と同じポーズをとっている手のような形の煙が巻き上がった。
 リュージンの右手が前に伸びるのと同じタイミングで、赤黒い手は女性の後姿に伸びていった。
 ゴムのように伸びた赤黒い手が、歩き去ろうとする彼女を握り締める。
 遠近法が狂った画のように、赤黒い右手は彼女の全身を掴み取った。
 周囲の通行人は全くその手に反応しない。
 リュージンだけが認識し、抽出し、制御することが出来る、瘴気の塊なのだ。

 グレイのスーツに身を包み、チャーコール色のハンドバッグを持った二十代半ばほどの女性は、その場で立ち止まり、10秒も動きを止めていただろうか、ゆっくりと、ためらいがちに振り返った。
 印象が強い濃い顔ではないが、整った顔立ちの、清楚そうな美形だ。

 眉をひそめ、困惑したように口を開いて、何か小声でつぶやく。
 リュージンのいる場所からは全く聞こえない小さな声だが、唇の動きが彼にははっきりと読み取れる。

「は・・・い、・・・遊びに、行きま・・す」

 無表情だったリュージンの唇が、左上に引きつるように上がる。
 今日一人目の、獲物が捕縛された瞬間だった。

 。。。

「俺、細かいこと、グダグダ説明しねえから、アンタの中で適当に納得の行く理由でも考えといてくれや。セールスマンじゃないんでね。いちいち獲物に説明して回ってたんじゃ、いつまでたっても狩りが終わんねえだろ? 色々聞きたいのはわかるぜ? なんで私この人について行っちゃうの? なんで逆らえないの? なんで助けも呼べないの? 私どうなっちゃうの? どうすればいいの? 飽きるんだよ。狩る獲物、狩る獲物に同じ質問ばっか繰り返されても。一つだけだ。アンタはちょっとイカレた男に、不思議な力で狩られちまった。後はもう、食べられちゃうしかないんだ。悪いな」

 駅前の公園を歩くリュージンの横を歩きながら、藤井加代子はパニック状態に陥っていた。
 体が自分の意志に逆らって、この若い男の言葉通りに動いてしまう。
 抵抗する彼女の気持ちを、何かががっしりと押さえつけ、萎えさせていく。
 自分の自分らしい根幹のようなものが、浸透してくる麻酔のような存在にグズグズと崩されていくのを感じてしまう。
 今いるこの世界で起きていることが、どこか夢の中の出来事のように思えてしまい、無責任にただ成り行きを見守ろうとする自分の意識がある。

 二人は公園の片隅にある、公衆便所に辿り着いた。

「紹介しよう。俺たちの愛の巣だ。プリーズカムイン! そのつまんないスーツをさっさと脱ぎ捨てて、すっぽんぽんになんな。もうアンタ、服はいらねえから、全部便器に放り込んじゃっていいよ」

 信じられないような言葉を投げつけられるのを聞いて、加代子は絶叫しそうになった。

「はい・・・。服・・・いらない・・・、捨てます・・」

 加代子の口からはしかし、悲鳴ではなく、従順な服従の言葉が漏れる。
 ハンドバッグがボトリと音をたてて便所の床に落ちる。
 全身が恐怖で粟立った。彼女の両手がゆっくりと上着のボタンに伸びていく。
 点滅する、安い蛍光灯の下で、藤井加代子は一枚一枚と身にまとったものを脱ぎ捨てていく。
 懸命に自分の意志を振り絞って自分の動きを止めようとするのだが、両手は容赦なく彼女のシャツを、スカートを剥ぎ取っていってしまう。
 恐る恐る加代子が男を見ると、リュージンは予想に反して、彼女に背を向けて洗面用の鏡を見ていた。

「・・・ててっ。隆仁の野郎、派手にボコられてんなぁ。こりゃ明日になったらもっと腫れてんじゃねぇか? ・・・、あ、アンタ。名前は聞かねえぜ? 獲物001号でいいだろ? いちいち覚えてられねえんだ・・・」

 獲物001号・・・。加代子の最後の気力を吹き飛ばすような、ショッキングな響きだった。
 それでもなぜか、そんな酷い言葉も、彼女の心の奥深くに染み入っていくのがわかる。
 次第に、夜の公園の男子便所で、見知らぬ他人に言われるがままに裸を晒そうとしている自分には、藤井加代子なんていうたいそうな氏名よりも001号という呼び名の方がお似合い・・・とさえ思えてくる。

 加代子がブラジャーをはずしたところで、リュージンがゆっくりと振り返って、彼女の裸身の値踏みを始めた。

「やっぱり、思ったとおりだな。地味な第一印象と違って、意外とイイモン持ってんじゃん」

 加代子の両手が急に勢いを増して動き出す。ブラジャーを乱暴に投げ捨てると、両肘で包み込むように、晒された胸を挟み込み、押し上げる。
 まるで品のないグラビアに出てくる陳腐なポーズのようだ。

「俺にも一応、ポリシーってもんがあってね。巨乳よりも『巨乳感』ってもんを大切にしたいんだよ。わかる? 巨乳感。実際に何カップだとか、何センチだとかいっても、体とのバランスがよくなきゃ、巨乳っぽく感じねえんだ。ここで大事なのが、胸に対しての肩幅と二の腕のバランス。このあたりが華奢だと、胸の大きさが際立って、燃えるんだよ。アンタは及第点ね」

 男に目一杯披露するように、加代子の両肘がぐいぐいと胸を挟み込む。
 しばらく胸を挟んでいると、今度は強引に自分の乳房をワシ掴みにして、両手が揉み上げる。
 嫌がる加代子の顔がゆっくりと胸に近づき、持ち上げた乳房の先に舌を伸ばしたかと思うと、ぺチャぺチャと音を立てながら乳首を舐め、その様を男に見せつける。
 やめたくても、体が全く言うことを聞いてくれないのだ。

 加代子は次に両手を大きく左右に広げると、その場で垂直に跳ね上がり始めた。
 自分の胸が上下に揺れるのを、ぶしつけな視線で見つめる茶髪の男。
 加代子は涙を流さないでいる自分の目すら恨めしく思った。
 ショーツと眼鏡だけを身につけている自分の姿が、男の後ろにある鏡に映っている。
 鏡の中で両手を上げ、ピョンピョンと飛び回っては乳房を揺さぶっている情けない女が、自分でないと信じられたら、どれほど救われるだろうか。

「おー、おー、揺れてるねぇ。次、背中は? ここもきれいであってほしいんだよな。そりゃ最初は顔とか乳とかマ○コ、ケツとか気になるけど、意外と後から気になってくるのが背中ね。背中がシミいっぱいあったり、ザラザラしてたりすると、意外ときいてくるんだよ、これが」

 加代子は垂直に跳ねながら、ゆっくりとその場で回転を始める。
 一回転したところで、左右に伸ばしていた両腕を高く上げ、万歳の姿勢になった。
 腕を組みながら壁にもたれかかっている彼女の捕捉者は、まるでカーペットでも値踏みするような目で加代子の全身を見つめている。

「あ、減点見つけた。脇の処理、甘いじゃん。冬場だからって油断してた? ったく、近頃は、いつ悪い男に狩られちゃって便所でヒン剥かれるかわかんないんだから、身だしなみには気をつけなきゃ駄目だろうが。淑女らしくしてない女は、淑女として扱ってもらえないぜ?」

 消え入りたい気持ちで、加代子は少しだけ黒ずんでいる脇を晒し続ける。
 彼女の中で暴れる羞恥心のせいで、全身が真っ赤に染まった。
 裸を見られるという当初の恥かしさなど、今では何でもないように思えるような、屈辱感と自己嫌悪に打ちのめされていた。

「決定。001号は、ハードにやり捨てる。って、最初から決まってたんだけどね。完全な、とばっちりの逆恨み。犬みたいに交尾しよっか?」

 リュージンが右手の人差し指を、円を描くようにクルリと宙で回す。
 加代子の羞恥心は突如、彼女の中で強烈な野生の衝動に変質した。
 無防備な自分の裸をただ一枚守っていた白いショーツを、加代子はいっぺんの躊躇いも見せずに乱暴に引き下ろした。
 和式便器に無残に投げ捨てられた彼女の衣服。
 その上に、まだ生暖かいショーツを叩きつけると、彼女はそのまま汚れたタイルの上に両手をつき、四つん這いになり、野犬のように吠え立てた。
 男との遭遇の後に始めて、彼女の心を安堵感が満たす。
 自分のようなメス犬は、こうしているべきなのだという安心感が、彼女の意識を包み始めていた。

 ウォンッ、ウォンッと吠え立てる彼女にゆっくりと近づいてきた男は、無表情のまま、彼女を見下ろした。

「・・・・・・お手」

 リュージンが差し出した左手に、加代子はとっさに手を載せる。
 自分に出来る最大限の従順そうな目をして、リュージンを見上げる。
 野犬から忠実な飼い犬へ、意識が、鮮やかなほどに簡単に色を変えられていく。

「チンチン」

 リュージンが言い終わるよりも早く、加代子は弾かれたように起き上がった。
 犬の前足のようにした両手を前に出し、少し曲げた膝をガニ股気味に開いて上下させながら、舌を突き出して犬の「チンチン」のポーズをとる。
 口からはハッ、ハッと息がリズミカルに漏れる。
 立ち上がって鏡が見えた加代子は、そこに映っている裸の人間の姿を少しだけ疑問に思う。
 だがすぐに、ただの犬である自分には無用の心配だと、疑問が浮かんだことすら忘れてしまう。

「3回まわってワン」

 ご主人様に何度も命令をもらえることが嬉しくて仕方がない加代子は、喜び勇んで再び四つん這いになると、跳ね回るような勢いでその場で回転した。
 その拍子に顔から眼鏡が跳び、そばに捨てられていたバッグが勢いよくはねられて、中身を床に散乱させてしまった。

「おいっ、慌てすぎだ。このバカ犬」

 リュージンが軽く加代子の尻を蹴る。急いでリュージンの足元に向き直った加代子が、弱い鳴き声を出してうなだれる。
 うつむいた彼女の頭の上で、ベルトの金具が音を立て始めた。

「きたねえ便所で暴れまわられる前に、ヤッちまった方がよさそうだな。いったん、犬はやめな」

 軽やかな動物の自意識が消えて、藤井加代子は四つん這いの姿勢のまま、次第に事態を把握した。知りたくもない、自分の置かれた状況をまざまざと理解し始める。
 しかし加代子の恐慌状態は、徐々に取り払われていってしまった。
 なぜかこの状況が、彼女を激しく昂ぶらせる、背徳的な快感に変質していったからだ。

「・・・何? これって・・、どうして?」

 自分の体を抱きかかえるようにして、加代子は沸きあがる卑猥な興奮に耐えようとする。
 潤んだ目をさまよわせて、助けを求めようとする。

「このセッティングには、ゴキゲンな変態女が似合うと思わねえか? ちょっとアンタの頭弄くって、ドMになってもらったよ。ほら、素っ裸で便所に這いつくばってるテメエ自身をどう思う? 真性マゾヒストの001号には、堪えられない美味しいシチュエーションだろ?」

 クチュッ

 音に気がついて、加代子は驚かずにはいられなかった。
 内股を閉じただけで音が立つほどに、自分の股間が濡れそぼっていたのだ。
 閉じた太腿を、愛液が惨めに垂れ落ちていく。
 乳首が痛いほど硬くなっていくのがわかる。
 恐怖が、屈辱感が、無力感が、羞恥心と混ざり合った快感に溶けて加代子の全身を熱く満たしていく。
 こんな格好をさせられて、こんなことさせられて、興奮している。
 発情しているところを、軽蔑のこもった目で見られている。
 変態・・・。思いが巡るほどに、加代子の淫らな快感が増していく。
 藤井加代子という人間が、その場からしばしの間、消え去ろうとしていた。

 ピチャッ

 今度の音は彼女の愛液ではなかった。
 這いつくばる加代子の目の前に、リュージンが唾を吐いたのだった。
 加代子はリュージンに見せつけるように、上目遣いになって舌を伸ばす。
 公衆便所の冷たいタイルに舌をつけて、彼女はリュージンの唾液を舐め取った。
 陶酔しきった加代子の目は、すでに倒錯する異常性欲者の妖気に満ち溢れていた。

「乳をこっちに。揉んでやろうか」

「おっ、お願いします!001号の乳を、揉み潰してください。二度と消えない、ご主人様のしるしを下さい」

 加代子が慌てて膝立ちになる。

「しるし?・・・知るか。アンタのためにすることは何もないよ。さて、シンプルでストレートで、パワフルなファックだ。アンタもせいぜい、楽しみな」

 リュージンの両手が、無造作に加代子の乳房を揉みしだいた。
 加代子は、もっと強く虐めてほしいとばかりに、自分から体をリュージンの手に押しつけるのだった。

「ほれ、どうよ?」

 リュージンが左手で、加代子の乳首を摘み上げる。
 吊り上げられ、彼女の柔らかい乳房が変形する。
 起立して硬くなっていた乳首が、赤く伸びる。

「あっ・・・。ぁぁあああ。いいですっ。もっと、もっと、無茶苦茶にして・・ください!」

 痛みと、それを上回る激烈な快感に悶える加代子の顔が、天井を仰いで悦楽に緩む。
 膝立ちのまま、背中を反らして、時々ガクガクと震える。
 快感を堪えようとしているというよりも、むしろ全身から搾り出そうとしているように見える。

 リュージンが片手でズボンを下ろすと、加代子は身も世もなく彼の下半身にすがりついた。

「巨乳感。やっぱ大事だな。おい、パイずりだ」

「はひっ」

 酔っぱらったような声で返事をした加代子が、リュージンのトランクスをうやうやしく下ろすと、天井を向いた彼の肉棒をうっとりと眺める。
 白い、彼女の丸みをおびた胸が、しっかりと肉棒を包み込んだ。
 自分の乳房はきっと、このように彼の肉棒に奉仕するために存在してきたに違いない。
 そんな確信が持てるほど、加代子にとってこの奉仕作業は喜びで彼女を浸した。
 時々、赤らんだ乳輪や乳首が、リュージンの肉棒に浮き上がる血管に触れる。
 そのたびに加代子は、顎を伝う涎を気にかけることもなく喘いだ。

「ノッてきた。立って壁に手を当てて、ケツを突き出しな。ヤッてやるよ」

「お願いしますっ!」

 とろけたように快感に揺られていた加代子の顔が、生気にあふれる。
 急いで立ち上がり、コンクリートのざらついた壁に両手をつける。
 肩幅以上に大きく両足を広げると、背中を弓なりにして尻をリュージンに突き出した。

「はしたねえ女だな。ケツの穴も陰毛も、マ○コもパックリ丸見えじゃねえか」

 リュージンが餅をこねるようにペチペチと、加代子の尻の肉を叩く。
 より強いスパンキングを求めて、加代子がさらに尻を突き上げた。

「ぁはあぁ、もっと、もっと叱って下さい。変態の私を蔑んで下さい。ご主人様、乱暴にして下さい」

 被虐的な快感の波に洗われながら、うわごとのように懇願を繰り返す加代子の腰を掴むと、リュージンのもう片方の手は加代子の大切な部分に触れた。
 人差し指と中指を、ズブズブと彼女の内部にねじりこんでいく。
 中の熱い粘膜が、デリカシーの欠片も感じさせないリュージンの指の動きを無批判に受け入れた。

 指を根元まで加代子の膣に挿入すると、他の指は陰毛の茂みに当たる。
 ピストン運動のように出し入れすると、濡れそぼった陰毛の芯が少し、ザラザラと彼の手の動きに抵抗した。
 多少酸味の混ざった女の匂いが、加代子の香水の匂いに勝ちはじめ、ネットリとした性交の空気が、無機質な公衆便所に充満していった。

「チ○ポが欲しかったら、自分で入れな」

 リュージンの声も、少し上ずっているように聞こえる。
 一度は彼を無視して歩き去ろうとしていた女性の、あまりの変貌ぶりに彼の中でも快感が少しずつ積み上がっているようだ。

 加代子は両手を壁につけたまま、自分の腰と膝を動かして、懸命にリュージンの肉棒を膣口に入れようとする。
 ぎこちなく、しかし卑猥に彼女の尻が左右上下し、やっと、硬く隆起した肉棒を小豆色の割れ目が咥えこんだ。
 満足そうなため息が加代子の締りの悪い口から漏れる。
 華奢な腰を振って、自ら粘膜を擦りあわそうと、淫らな動きを始めた。

 しっとりとした尻の肉が、リュージンの腰と打ち合わさるたびに、パンパンと音を立てる。
 一度、首のこりをほぐすように頭を左にかしげた後で、リュージンの方からもピストン運動を始めた。
 加代子の乳房を握り締めるように掴んで、後ろから激しく腰を突き立てる。
 加代子の両手はまるでコンクリートの壁に爪をたてるかのように緊張し、全身の体重をぶつけるかのように、リュージンの肉棒に自分を押しつける。
「立ちバック」の体勢で激しくまぐあう二人の姿は、ところかまわず互いを求め合い、貪りあう、つがいの動物の交尾のようだった。

「うぅぅっ、ふぅあああっ、」

 うなるような声を出しながら、加代子がいっそう激しく腰を振る。
 髪を振り乱して、首が痛むほど頭が揺れる。
 リュージンも歯を食いしばって、さらに乱暴に腰を突き上げる。
 獣のような荒々しい喘ぎ声を撒き散らしながら、加代子は絶頂に近づいていく。
 思わず自分の肩にかじりつくと、歯を強く立てて、快感をかみしめる。
 痛みに頼ってでも、少しでも長く、果てずにこのエクスタシーを味わっていたい。
 苛烈なまでの発情に支配されたまま、加代子は肉欲以外の全てを捨て去って悶え狂った。

 シンプルで豪快な肉の交わり。
 今日初めての戦利品の味を存分に味わいながら、リュージンの暴力的な性欲も、少しずつ満たされていく。
 パチンパチンと音を立てる女の尻肉を力強く掴んで、内股の腱に力を入れる。フィニッシュが近い。

「ォォオオオオオオッ!」

「ぁあっ、んあああっ、はあああっ」

 二人の声が上がるのと同時に、一つに結合している捕縛者と獲物は、大きく痙攣をするように震え、反り返って動きを止めた。
 背筋から脳天まで貫くような白い悦楽にまかせ、意識を断続的にとばす。
 デュッ!デュッ!っと音を立てるように、リュージンの肉棒は何度も加代子の中に、熱い精液を放出した。
 最後の一滴までも搾り取るかのように、加代子は精液と愛液で溢れかえる膣口を必死に締め上げた。
 明日なんて来なければいい。このまま一生、公衆便所で後背位で犯され続けたい。
 加代子の沸騰した頭の中では、歓喜とそのような思いが交錯していた。
 自分のキャリアも、友人も、家族も、先月約束を交わした婚約者も、こうして見知らぬ異性に男根を突き刺してもらう牝の喜びの前には、チリほどの価値もなくなってしまっていた。

 床に崩れ落ちて、呆然と享楽の余韻に浸る加代子。
 汚れたタイルの上に頬をべったりとつけ、まるで熱い体を床で冷やすかのように華奢な裸身を投げ出していた。
 股間からは、まだプクプクと断続的に、粘液が垂れ落ち続けている。
 無造作に投げ捨てられた人形のように、不自然に放り出された手足。
 顔の横には、唾液の池が少しずつ大きくなっていく。
 狩られ、乱暴にヤリ捨てられた獲物。
 しかしその獲物は今、倒錯した喜びに全身を浸して、弛緩していた。

 角のボックスの扉が開かれる金属音がする。
 ほうけている加代子を尻目に、リュージンが便所の清掃道具を漁っていた。

「まー、これかな? ・・・おいっ、アンタいつまで寝ぼけてんだ。人の手借りてよがってるばっかじゃなくて、自分一人でも出来るようにしなくちゃ駄目だぜ。俺は獲物の一人一人に、いつまでもかまってらねえんだ」

 リュージンが、寝そべっている加代子の横に、棒状の器具を放る。
 音を立てて跳ね上がった木の棒は、先端に黒いゴムのカップがつけられた、便器の詰まりを解決するための清掃器具だった。
 加代子は、まとまらない頭で棒状の器具に、恋人の体を抱きしめるようにまとわりつく。
 寝転がりながら両足を木の棒に絡めると、行為の後で赤く盛り上がった股間を上下に棒に擦りつけた。
 腰を小刻みに振って、快感を味わおうとする。

「それじゃー、モップでも物干し竿でも同じだろ? 道具ってのは、ちゃんとその機能にあわせた使い道ってのがあんだよ。・・・こんなんどうだ?」

 再び加代子の体が、勝手に動き出す。
 まるで誰かに大きな手を添えられて、誘導されるような、逆らいようのない力強い動き。
 彼女は清掃器具を両手で握り締めると、自分の体に勢いよく押しつける。
 彼女の体の方を剥いていたゴムのカップ部分が、ふくよかな乳房に真っ直ぐ押しつけられた。べコッとゴムの部分が滑稽な音を立てる。
 加代子は自分の腕が伸び、便器に使うべき清掃器具が大切な体を弄ぶのを、ただ見守るしかなかった。
 真空状態になったゴムのカップは彼女の乳房に強く吸いつき、白くて柔らかい乳房を離すまいと変形させる。
 彼女の両手が強く棒を引っ張ると、パッ・・コンッと、場違いに明るい音を立てて乳房を自由にした。
 リュージンから乾いた笑い声が漏れる。
 加代子は反動で揺れている隆起した乳首を見つめ、一瞬の快感を心の中で反芻させていた。
 感覚までも、普通でなくなってしまったのだろうか?
 このゴムに吸われ、変形させれ、少し赤くなっている自分の乳房が、思いがけない快感をもたらしている。
 加代子はつい夢中になって、この使い込まれた便器清掃器具に自分の乳房を、尻を、顔を吸いつかせては離し、愉悦を貪り始めた。

 リュージンはすぐに飽きたように、その痴態に背を向けて、他の道具を物色する。
 やがて、ハンドバッグから散乱して床に落ちていたプラスチックのケースに興味を向け、手に取った。

「ふーん。歯磨きセット持ち歩くんだ。女としては普通なのか? さっきは脇の処理で減点くらっちゃったけど、基本はキレイ好きな女なのかね? おい、キレイ好きさん、こっちに尻を突き出しな」

 便所の床を転げまわりながら、便器清掃器具と戯れて嬌声をあげていた加代子は、リュージンの声を聞いて、慌てて従った。
 再び四つん這いになって、足を大きく開き、尻の谷間を曝け出す。
 ゆっくりと、プラスチック状の細い棒と、ザラザラした毛のような部分とが、加代子の肛門をこじ開けようとしてきた。
 驚愕した加代子が、力を入れて抵抗しようとするのだが、再び頭の中に何かが染み入ってくるような感覚がすると、加代子は括約筋の力を抜き切って、右手を後ろにやると尻の肉をさらに引っ張って開いてしまう。
 右を向いたり左を向いたりしながら、異物が、確実に加代子の排泄器官の内部に侵入を進めていく。
 そして信じられないように甘い、退行的な快感が彼女の肛門から滲み出始めた。

「ふぁあああっ」

 緩み切った顔から、情けない声が漏れる。
 加代子は今、自分の歯ブラシをアナルに押し込まれ、中で動かされては、その動きに合わせて腰を振り、歓喜の声を上げていた。

「ほらよっ、自分でやってみな。愛用の歯ブラシでアナルオナニー。ちょっとアンタの感覚も弄ったけど、そっから先の開発は自分でするんだな。あんまり傷つけないように、せいぜい工夫してくれや。プラークコントロールとかなんとか、あんだろ? 今日からのアンタの密かな日課。歯ブラシアナルオナニー。歯磨きの前にやるようにしようか?」

 ちゃんと聞いているのかいないのか、加代子は機械的に大きく首を縦に振って、何度も頷く。
 しかし意識はあくまでも、肛門から湧き出る妖しい愉悦に集中しきっている。
 一方のリュージンは加代子の顔から視線をずらさず、瘴気の操作に集中した。

 キャッチ&リリース。
 隆仁の意識に打ち克った時だけ現れることが出来るリュージンの、宿命的なハンティングスタイルだ。
 しかしリュージンは、まるで次またいつ出現出来るかわからない、自分の思いを残すように、狩った獲物に自分の刻印を残していく。
 さきほど加代子が求めた『所有物のしるし』を、実は戦利品の精神の中に、彼は残していくのだ。

 獲物001号は、今夜ズタぼろに困憊した体を休めて、眠りにつき、明日目覚めた時にはリュージンのことをはっきりと思い出せなくなる。
 公衆便所での今夜の惨劇も、ただの恐ろしい夢と考えるかもしれない。
 その後のことは、リュージンもよく理解していない。
 人間以下の扱いに堕とされて、食い散らかされたことなどすっかり忘れ、素知らぬ顔で日常に舞い戻るのか。
 それとも体に刻み込まれた性衝動がゆっくりと彼女を変貌させ、今夜のような行為を求めてさ迷い歩くようになるのか。
 リュージンはよく知らないし、さほど興味を持っていない。

 唯一つわかっていることは、彼が刻印として残した瘴気だけは、確実に相当な長期間、獲物の深層意識に残され、効果を見せ続け、リュージンの存在を密かに主張し続けることになる。
 獲物001号で言うならば、彼女はこの後どうなろうとも、毎日日課のように歯磨きの前には歯ブラシで肛門を刺激し、自分を慰め続けることになる。
 彼女の表層意識とスムーズに刻印が融合すれば、彼女は自分の秘密の趣味としてその行為を大切にし続ける。融合度合いによっては、誇りある習慣として、親しい人々に見せ、一緒にその行為にいそしむことを勧めるかもしれない。
 融合がスムーズにいかなければ、それは加代子にとって悩ましい、どうしてもやめられない癖となって、彼女を衝動的に突き動かすことになる。

 どちらにしても変わらない事実は、これからの日々藤井加代子は毎日、肛門に歯ブラシを突き立て、声を上げてオナニーに励むということだ。
 そうした些細な刻印の存在と、刹那的な獣欲の充足だけが、リュージン自身の存在の不確かさを慰めていた。

 シャッ、シャッ、シャッと響く歯ブラシの摩擦音。
 リュージンが便所の中を見回して、最後に手に取ったのが、投げ出された彼女の眼鏡だった。

「最近の眼鏡って、ずいぶんと高そうな素材使ってんだな。ツルがこんなに柔らかい・・・。それじゃ、001号。そろそろお別れだ。オナニーはいったん中断しろ。明日から思う存分やればいいだろ?」

 言われて加代子がおずおずと抜き取った歯ブラシは、毛の部分はもちろん、柄の部分も先端の3分の1ほどが不快な色に変色してしまっていた。
 リュージンが乱暴に眼鏡のツルを曲げ、飴細工のように形を調整させながら、左右のツルを順番に、酷使された女性器と排泄口に捻じ込んだ。
 陰毛と秘部が、レンズを通して見える。
 横に眼鏡をかけたような、憐れな下半身を見て、やっとリュージンは加代子の解放を決めた。

「ほれっ、四つ足で駆けてきな。001号。人と会ったら、アンタの眼鏡を見なかったか聞いてみろよ。不便だろ? 眼鏡がなかったら。頑張って探してくれ。・・・じゃあな」

 尻を強烈に平手打ちされて、藤井加代子は、馬のように、犬のように公衆便所から走り去る。解放された獲物の喜びからか、夜の公園をどこか軽やかに駆けていく。

 じっとりとした異臭のこもる便所の中には、唇を引きつったように左上に曲げた、リュージンの乾いた笑いが残った。

「一匹にこんなに時間かけてたんじゃ、ダイナミックなハントが出来ねえな。ちょっとテンポ上げていくか」

 首のこりを解すように、リュージンが頭を左側に傾げる。
 彼の目には、体の周りを取り巻く巨大な赤黒い瘴気が渦を描く様子が見えていた。
 渦のからは、次々と、小さく大量の手の形をした煙が、巻き上がってはそれぞれ何かを掴もうと、開いたり閉じたりしている。
 狩りが、加速しようとしていた。

< 了 >

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