- 後編 -
─ 5 ─
ぽたり、と美宇の男性のシンボルのような形に肥大化したクリトリスに、暖かい雫が滴る。それすらも興奮に固くなったそれには刺激となり、まるで独立した生物のようにびくん、と震えた。
「あ・・・あけみ・・・」
今、ベッドに腰掛けた美宇に向き合って跨るような姿勢をとっているのは、美宇の親友だった明海だ。今は糜爛によって、『従者』という存在に作り変えられている。とはいえ今の明海は、美宇と快楽を分かち合うためだけに、ある。それは、恋人のような関係と言ってもいいのかも知れない。
明海も自分の中に他人を受け入れるのは初めてなのだろう、美宇の上に来たはいいが、どうしていいのか戸惑っているようにも見える。美宇を舌で積極的に責めた時とは、別人のようですらあった。
明海自身も早く美宇を受け入れたいのに、あてがう場所も上手く固定出来ず、しかも美宇のクリトリスを手で固定する事も思い付かないようで、結果ふらふらと踊るように腰を動かしている。明海の愛液がその都度滴り、美宇のクリトリスに当たっているという状況だ。
「みうー、はいらないよぉ・・・」
明海が泣きそうな顔で、美宇を見下ろした。まるで子供のような物言いに、焦らされていたような美宇の心にゆとりが生まれた。
「自分で押さえとくから、ゆっくりと腰を下ろして。あ、あたしだって初めてなんだからね!」
美宇は恥ずかしそうに言うと、右手をそっと自分のクリトリスに添えた。それだけでもゾクゾクと快感が伝わってくるのに、明海の中に入ったらどうなってしまうのか──美宇は、恐怖とも期待ともつかない感情を覚えた。
「ここ・・・で、いいのかなぁ?」
「うん、そう・・・ゆっくりね・・・」
明海が自信無さそうに腰を落していくのに合わせて、美宇はクリトリスの位置を調節して、ゆっくりと誘導する。膝立ちの姿勢から、明海が腰を下ろすにしたがって、美宇の腿の上にお尻を下ろす形になる。ちゅく、と美宇のクリトリスの先端と、明海の秘所の入り口が触れ合うと、二人は同時に小さい呻き声を漏らした。
「や・・・な、なにこれ・・・あつい・・・」
美宇が怯えるように呟いた。
熱いだけではない。明海の秘所は、その先端を僅かに受け入れただけで、まるで絡み付くように蠕動していた。美宇のクリトリスを引きずり込むような動きが、まだ入れきっていないというのに、美宇の頭を快楽で溶かしていく。
「うくっ、う・・・あああ・・・」
「みうぅ・・・あついよぉ・・・あんっ・・・」
明海の中は、驚くほどに狭かった。ただ、明海は苦痛よりも快感の方が深いらしく、怯える事無く腰を沈めて行く。クリトリスが明海の中に埋まっていくのを見て、美宇の快感と興奮が圧倒的なほどに膨れ上がった。
「やぁっ!たべられちゃっ・・・はいるっ、はいっちゃうっ!・・・ああっ!」
美宇が耐えられないという風に頭を振りながら、泣きそうな声を上げた。もう、自分でも何を言っているか、判らなくなっているのだ。
「うんっ、わたし、みうのっ・・・みうの、たべちゃうのっ!んあああっ!!」
明海も激しく喘ぐと、腰を最後まで下ろした。途中で処女膜の破れる感覚があったが、圧倒的な快楽の前に、明海の動きを遅らせる要因にすらならなかった。微かに滴る血でさえも、中で動くための潤滑油程度の意味しか無い。
「あは・・・いちばんおくまで・・・きちゃったぁ・・・」
明海が快楽に歪んだ顔で、どこかほっとしたように呟いた。うわ言めいた言い方で、その悦びに浸っている。美宇の身体にぴとっと密着しながら、明海は荒い呼吸を繰り返した。
「んあっ!だめ、あけみ・・・うごいたら、へんになっちゃ・・・ああんっ!」
「うごいてないよぉ・・・ねぇ・・・わたしのなか、んっ・・・どんな、かんじ?」
明海の中は、ただ入っているだけでしごくような、握るような、吸い付くような・・・ひたすらに美宇に快楽を与えるような動きをしていた。
美宇は明海の身体に抱き付きながら、明海の問いに身体を震わせた。
「わ、わかんないっ・・・熱くて、きつくて・・・たまらないよぉ・・・ッ!」
明海が美宇の体側に膝を突いたまま、腰を上下にゆっくりと動かした。熱い襞にクリトリスが擦られ、美宇の身体が制御出来ない痙攣に襲われる。
「やあっ!こすれちゃっ!ひあっ!!やん、あ、ああっ!!」
「みうぅ・・・わたしも、すごく・・・あ、あはっ!ん、くぅんっ!」
明海が腰を動かす度に、結合部からぬちゅ、ぬちょという淫らな音が聞こえてくる。美宇は恥ずかしそうに顔を赤らめながら、それでも快楽の虜になってしまったかのように、明海から離れる事は無かった。
明海が腰を上げると、クリトリスの周りを擦られる。逆に腰を下げると、明海の一番奥を突付く感触が先端を刺激する。単純な動きでも気が狂いそうになるほど気持ちいいのに、明海が腰を前後に揺するようにしたり、うねるように振ったりすると、擦れる場所がその都度変わって、美宇をめちゃくちゃに翻弄した。
「あっ、あけみっ、だめ、もうだめっ!いっちゃ、いっちゃうのぉっ!」
「みうぅ、んふっ、ん、くうっ!」
明海の腰が、一層激しく蠢く。
締め付ける襞と、擦り上げる腰の動き。
美宇はまるで全身が性器になってしまったみたいに、深く感じてしまっていた。
快楽が全身を駆け巡り、それ以外何も考えられない。
だんだんと高みへと押し上げられながら、悦びに涙すら流した。
「あっ、あっ、あっ、あっ、ああ゛っ!」
美宇の身体がビクンと震えた。既に、感じているレベルがいつもの絶頂のレベルを超えている。これではまるで、ずっとイキ続けているようですらある。
美宇は縋り付ける唯一のもの・・・明海に抱き付きながら、悲鳴にも似た快楽の声を上げ続けた。
「やぁ!きちゃ、きちゃうっ!すごいの、きちゃ、ああっ!くぅあああっ!!」
「みうっ!わたしも、だ、だめっ!いく、いくっ、イクイクっ!!」
明海が一際高く悲鳴を上げると、膣が美宇のクリトリスをキュッと締めた。切ない程に絡み付く感触に、美宇も頂点に達した。
「あ゛くぅッ!あ゛、いくぅッ!!あ゛あ゛あ゛っ!!あ゛-っ!」
「みう、イクっ!わたしも、イクのぉっ!!あああッ!!」
まるで嵐のように、凶悪で絶対的な絶頂感が、二人を翻弄した。あまりの快感に白目すら剥きながら、まるで泣き笑いのような表情で悲鳴を上げる。
白濁した愛液を大量に分泌しながら、がくがくと痙攣する身体を相手を抱き締める事で堪える。身体中の神経が、バラバラになってしまったようですらあった。
──知っちゃった・・・
絶頂の余韻に身体を震わせながら、美宇は茫とそう思った。
この圧倒的さの前には、糜爛が操った左手も霞んで見える。
初めて麻薬に手を出して、その多幸感に嵌るようなものだ。
──もう・・・止められないかも・・・
美宇は、恐怖か・・・期待かで、ぶるっと身体を震わせた。
「美宇・・・好き・・・あいしてる・・・」
はぁはぁと荒い呼吸の合間から、明海が美宇に顔を寄せて、熱に浮かされたように囁いた。驚くほど近い場所からの言葉に、美宇は目を瞑った。
酷く自然に。
自分から明海のキスを待ち望むように。
明海の唇は、不思議と甘くて、蕩けるように柔らかかった。
─ 6 ─
いくつもの夜と、いくつもの朝を、二人は共に過ごした。
ただ快楽に流される日々。
何もかもを忘れ、美宇は明海を貪り、明海は美宇を受け入れた。
それは現実逃避でありながら、美宇の心を癒す、唯一の選択であったのかも知れない。
そして今日、美宇は明海を伴って、大学への道を歩いていた。
糜爛が目立った悪さをしないという事もあり、美宇は大学への復帰をする気になったからだ。もっとも、それだけの心の余裕を持てたのも、献身的な明海の世話があったからだろう。
「ずいぶん休んじゃったなぁ」
自分の意志でさぼっていた訳だが、美宇は愚痴るように呟いた。美宇からしてみれば、糜爛のせいという事になる。
「でも、美宇は真面目にやってた方だから、まだ単位を取るのに問題は無いよね?」
「まぁね」
明海は、今までと変わらない態度で、美宇に接している。いや、どちらかと言えば、前よりも明るく、自由に感じられた。美宇の欲目かも知れないが、前よりも可愛らしく思えるのだ。
「ね、今日は帰りに『るぶらん』に寄って行こうよ。久し振りに、ケーキバイキング・・・いいでしょ?」
まとわりつきながら言う明海に、美宇は苦笑しながら頷いた。
「いいけど・・・過ぎると太るよ」
とは言え、明海はもともとダイエットにはそれほど気を遣わなくていい体質らしいのだけど。気を抜くと身体のラインに出る美宇からすれば、羨ましい限りだ。そんな事情もあって、美宇は少し意地悪く言った。
「じゃあ、その後はたっぷりと運動・・・しなきゃ、ね?」
明海が蠱惑的に、下から美宇を見上げて微笑んだ。その瞳が欲情に濡れているように思えて、美宇は思わず鼓動が速まる。美宇の反応を確認して、明海が嬉しそうに笑った。
「ほら、早く行こうっ!」
明海が美宇の手を引いて、大学の門をくぐった瞬間の事だった。
ギィン!と硬質の音を立てて、周りの空間が歪んだ。
「えっ!なに?」
明海が冷静に周囲に気を配る横で、美宇が驚いた声を上げた。それまで結構な数の大学生が同じ方向に歩いていたのが、一瞬にして消え失せたからだ。大学生だけでは無く、美宇の視界の中にいた全ての人間も、だった。
「初めまして、お嬢さん達。私は蛾葬断魔と申します」
「がそう・・・たつま・・・?」
いや、全ての人間が消え失せたというのは間違いだ。
美宇は鸚鵡返しに繰り返しながら、目の前の男性を茫と見詰めた。
品の良い黒いスーツで身を包む、壮年の男性だ。口調も礼儀正しく、荒々しい感じなどとは程遠い。ただこの状況においては、その静けさこそが酷く浮いているが。
「本日は、お嬢さん達に取り憑く魔を退治する為に伺いました。お二人の事を調べたり、事前に準備をするのに手間取りましたが、まぁ間に合ったのでよしとしましょう」
「っ!」
断魔の言葉に・・・特に『魔』という単語に、美宇は動揺した。
諦めかけていた現実から、救われるかも知れないという希望。
『従者』に作り変えられてしまった明海がどうなるかという不安。
そして、目の前で全てを知っているように振舞う男への不審。
『貴様・・・何者か?』
「この世界には、古より人にあだなす魔に敵対する組織がありましてね。私はそのうちの一つ・・・『葬月の杜』に属する者です。短い時間だとは思いますが、宜しくお願いしますね」
断魔は鋭い目付きで美宇・・・正確には、美宇の左肩のあたりを見据えた。両手を優雅に肩の辺りまで上げると、断魔は親指と人差し指、中指を伸ばし、他の指は折り曲げるという手の形を取った。
『矮小なる人の身で、我と対等であるかの如く振舞うとは・・・思い上がりも甚だしい!その身に百と八つの穴を穿ち、惨めに血を撒き散らして息絶えるが良いわ!』
糜爛が吠えて美宇の左手を上げさせるのと、断魔が右手に『力』を込めるのが、ほぼ同時だった。そして、糜爛の宣言通りに108つの光球が現れて、断魔に向かって奔流の如く疾走した。
「準備はした、そう申し上げましたがね」
断魔はそう呟くと、右手に込めた『力』を解放した。同時に指を組み合わせる。
「線を紡ぎて面と為す・・・『境面結界』っ!」
光球が断魔に届く直前、108つの光球が全て虚空で弾けた。まるで見えない壁に防がれたような現象に、糜爛が小さく呻いた。光球は全て正面から断魔に向かったのではなく、断魔の死角を突くものも用意した・・・それを防ぎきられたのが、糜爛には信じられなかった。
『くっ!『従者』よ、行くが良いっ!』
「はいっ!」
糜爛の命に従い、明海が飛び出した。いつものほややんとした顔からは想像も出来ないくらいに表情を引き締めて、人間の限界を超越した速度で断魔に迫る。
「線を紡ぎて面と為し、面を繋げて界と為す・・・『定点結界』っ!」
断魔が指を揮いながら唱えると、突然明海を中に包み込むようにして、光の球が現出した。明海自体には被害は無い様なのだが、光の球から逃げ出せず、ただ壁を叩くことしか出来ないようだ。
「明海っ!」
美宇の叫びに、断魔はにこりと微笑みを浮かべた。まるで無人の荒野を歩くように、酷く無造作に美宇に近付く。その間に何度も糜爛が攻撃を仕掛けているようだったが、断魔には何一つとして通用しなかった。
「ここには広範囲に護法陣を仕掛けておきましたから、並大抵の魔では破れはしません。当然、逃げる事も、です。・・・さてお嬢さん、取り引きをしましょうか?」
「取り引き?」
「ええ、お嬢さんが私の『力』を受け入れてくれるのなら、左肩に巣食う魔を、滅して差し上げましょう。寄生型の魔は、宿体が『力』を受け入れてくれないと、なかなか外から滅する事が出来ないのですよ。左肩は吹き飛ばしますが、それで普通の人間に戻れるのです。・・・いかがですか?」
断魔はその顔に、獰猛な獣のような笑みを浮かべた。それまでの丁寧な言葉遣いのイメージを払拭するような、強圧的なプレッシャーをその身に纏う。
『ふん・・・偽りを言う・・・』
糜爛が嘲るように言うが、そこには負け惜しみの印象が強い。何しろ、いつの間にか美宇の身体も光に絡め取られ、身動きが出来なくなっているのだから。
「受け入れたら・・・あたしと、明海を助けてくれる?」
「ええ、もちろんですとも。あなた方は被害者ですからね。ただ、受け入れてもらわないと、あなたは魔にくみする者として倒さねばなりませんが、ね」
断魔の言葉に、美宇はしぶしぶと頷いた。もう、それ以外に手は無いようだったから。
美宇の決定に、糜爛は抵抗する様子を見せなかった。美宇は少しだけ意外に思う。自分の保身の為に、美宇に悪さをしてでも抵抗すると思っていたのだ。
「それでは、身体から力を抜いて下さい。魔の本体ごと、その周辺組織を吹き飛ばします。痛いとは思いますが、我慢して下さいね」
「はい・・・!」
美宇は左肩から目を逸らして、奥歯を噛み締めた。左腕を一本無くしても、それで日常が帰ってくるのなら良いと、自分で必死に思い込もうとする。
「それでは・・・。線を紡ぎて面と為し、面を繋げて界と為し、界を重ねて魔を滅す!『魔破結界』っ!!」
「ああああああっ!」
『ぐあああああっ!』
断魔の詠唱と同時に、美宇の左肩を聖浄な光が包み込んだ。しかし、それは安らぎでは無く恐怖を、癒しでは無く激痛を美宇と糜爛に与えた。押さえ切れない苦痛に、美宇は獣のような悲鳴を上げた。
それがどれほど続いただろうか。聖浄な光はだんだんとその力を失い、後には何も残さなかった。
糜爛も。
美宇の身体の肩の部分も。
まるで今まで光が栓をしていたかのように、光が消えた瞬間に美宇の傷口から大量の血が噴き出した。皮一枚で繋がっていた左腕が、ぶちぶちと音を立てて、下に落ちる。それまでと桁違いの激痛に、気絶する事さえも出来ずに、美宇は自らの血で出来た血溜まりの中でのたうった。喉を裂くような悲鳴と、身体が壊れてしまいそうな痙攣が、止め処無く繰り返される。自分で舌を噛み切ってしまわないのが、いっそ不思議ですらあった。
「ああ、可哀想に・・・。でも、痛いのはこれからですよ。これから、あなたはもっともっと痛い目にあって死ぬんです。泣いても、悲鳴を上げても構いません。いえ、いっそ身体中の水分が無くなるまで泣いて下さい。喉が裂けるまで悲鳴を上げて下さい。位相をずらしたこの結界内でしたら、いくらでも騒いで構わないのですよ」
「う゛ぅあ゛あ゛・・・あ?」
美宇は一瞬激痛さえも忘れたように、断魔を見上げた。涙で歪む視界の中で、断魔は笑っているようだった。それも、酷く楽しそうに。
断魔は美宇の視線に気が付いて、大きく頷いた。
「ええ!あなたはこれで、人間として死ぬ事ができるのです!嬲り殺しなので苦しいとは思いますが、私への報酬という事になりますので、なるべくがんばって我慢して下さいね。すぐに死なれては、寂しいですから」
「ひっ!」
美宇は目を恐怖で見開くと、必死で断魔から離れようとした。血の跡を残しながら、ずりずりと後ろに下がる。いつの間にか身体が自由になっていたが、それも断魔が楽しむ為にしたという事が判ってしまう。
「な・・・なんで・・・たすけてくれるって・・・」
美宇がやっとの思いで震える声で問うと、断魔はにこりと笑みを浮かべた。
「命を助けるとは言っていませんよ。魔を滅するという事と、あなたを人間に戻すという事を約束しただけです。あなたの左肩の魔は消え去りましたし、いまやあなたはただの人間だ。約束は一つとして破ってはいませんよ?ただ、これから人間のままで嬲り殺されるというだけのお話です」
あまりの不条理に、美宇は涙が流れるのを感じた。唯一助けてくれそうな明海は光の球に捉えられたまま、他には人影の欠片すら見つける事も出来ない。美宇は左肩の激痛を堪えて、なんとか逃げようと・・・。
「無駄です。線を紡ぎて面と為す・・・『境面結界』」
断魔が呟くと、美宇の両足首がなんの前振りも無く、まるで最初からそうであったように切り落とされた。
「『境面結界』は任意の場所で展開出来ますので・・・こういう芸当も可能です。レタスの繊維を潰す事無くカットするのだって、自在に出来るのですよ」
断魔はどこか自慢げに言った。
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「美宇っ!美宇っ!美宇っ!!」
明海は結界の中で、ひたすら美宇の名を叫び続けた。このままでは自分の命よりも大切な美宇が、殺されてしまう。ただ、その恐怖だけに衝き動かされて。
「美宇っ!美宇っ!美宇っ!美宇っ!!」
この結界は、光だけは通して、音は伝えない特質を持っているらしかった。その為、苦痛にのたうつ美宇の姿は見えても、悲鳴は聞こえて来ない。
明海は必死に結界を壊そうと、『力』の限り腕を揮い続けた。
何も出来ない自分が、気が狂うほど腹立たしかった。
『従者』に作り変えられて、これで美宇を守る事が出来ると、喜んでいたというのに。
身も心も、美宇のモノになると思ったのに。
いざ、敵が現れてみれば、この体たらくだった。
「美宇っっ!!!」
明海は、無駄と知りつつも結界を殴り続けた。
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「あ・・・あぁ・・・」
美宇は喘ぎながら、右手の力だけで這い続けた。両足は何度も切り刻まれ、今では膝よりも下が無くなっている。一呼吸ごとに激痛が脳を焼き、今ではなぜ自分が動いているのか、何をしようとしているのかさえも判らない。
ただ、止まれば終わってしまう・・・。それだけは、判っていた。
「ふふ、素晴らしい!もう意識も半分無いでしょうに、それでも逃げようとするその生命力!美しい、それ以外の言葉が浮かんでこないぐらいです!しかし、それ以上這い回ると、泥でぐちゃぐちゃになってしまいますから・・・線を紡ぎて面と為す・・・『境面結界』」
その瞬間、腿や右肩、右手、腰を貫いて、『境面結界』が美宇の身体を地面に縫い付けていた。新たな激痛に美宇の身体が勝手に跳ねようとするが、ただ傷を広げるだけの結果に終わる。
「うああああああっ!!」
美宇は暴れる事も出来ず、ただ悲鳴を上げ続けた。なんで自分がこんな目に合わされるのか、まったく理解も許容も出来ない。理不尽の暴虐にさらされながら、断魔への憎悪をつのらせた。
──力があれば・・・
──力があれば、こんな事・・・
──力があれば、ゆるしはしないのに・・・
──力が・・・欲しい・・・
「ふふ、次は・・・」
「っ!!」
美宇の右膝が、新たに出現した『境面結界』によって切り落とされた。美宇はもう、悲鳴すら上げられない。ただ、その目だけがぎらぎらと、狂おしい憎しみを込めて断魔を睨む。
──力が欲しい・・・
──『敵』を打ち滅ぼす、力が欲しい・・・
美宇の左膝が、まるで最初から取り外しのきくパーツのように、ごろりと切り離された。あまりに美しい断面に、断魔が会心の笑みを浮かべる。
──理不尽を、打ち滅ぼす力が!
『ならば、封じた力を解放すると、願うが良い』
滅びたはずの糜爛の声が、聞こえた気がした。断魔への憤りのままに、糜爛の言葉に従った。即ち、封じた力を解放すると。
美宇の中に隠されていた記憶がリンクした。
無意識のうちに封じられていた力が、奔流のように全身に広がっていく。
美宇は今、全てを思い出していた。
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重力から解き放たれたように、美宇は体重を感じさせない動きで立ち上がった。切り離されたはずの両足が、いつの間にか癒着している。身体を拘束していた結界すら無効化されたのを見て、あまりの出来事に断魔は目を見張った
「な・・・なんですか、それはっ!」
「・・・」
美宇は、身体を撫でるように、右手を振った。すると、血も、泥も、切れた服も、傷付いた身体も、全てが嘘のように復元された。左肩、左腕も、すっかり元通りになる。
「嘘だ・・・魔の気配は無いのに、その力は一体・・・っ!」
「・・・」
美宇は、まるで汚らわしいものを見るように、断魔を見下ろした。実際・・・力があれば、なぜ今までこの程度の男に怯えていたのかと、恥ずかしくなるぐらいだ。
美宇は・・・断魔も、勘違いをしていたのだ。
美宇の肩にいた魔・・・糜爛が、美宇にとり憑いていたのだと。
本当は、無意識のうちに美宇が糜爛を作ったというのに。
美宇が悪夢で寝不足になっていた時・・・思い出せばあれが全ての始まりだった。
巫女としての才能があったのか、美宇は無意識のうちに、意思も無く漂う『力』を、その身に取り込んでしまったのだ。その『力』が、どこから来たものか、なぜ来たのかは判らない。ただ、『力』は美宇に強大な能力を付与した。
その時、美宇の中に収まりきらない『力』が、美宇自身が持っていた悪意と結合して出来たのが、糜爛だ。
このように嬲られさえしなければ、美宇は自らの内に眠る『力』に、気が付く事は無かっただろう。断魔の醜悪な趣味が、断魔にとって最悪の結果を招こうとしていた。
「なんですか・・・『何』なのですか、あなたはっ!!・・・線を紡ぎて面と為す!『境面結界』ッ」
狂乱したように断魔は叫ぶと、美宇の首を切り落とす位置に結界を展開しようとして・・・凍りついた。結界が発動する前に、その場に集中した『力』が、跡形も無く食い散らかされたのだ。
食い散らかされた・・・まさにそう表現するしかない事象だった。『力』は発動しなかったのでも無く、防がれたのでも無い。荒々しく吸収された・・・そうとしか表現できない出来事だった。断魔が今まで経験した事が無い事象だったが、今この場で、誰がやったかだけは理解出来た。
「あ・・・あなたは、いったい・・・」
慄く断魔に、美宇は右手を差し伸べた。その指先に『力』が集中するのを感じて、断魔は咄嗟に目の前に防御用の結界を張る。
「線を紡ぎて面と為す・・・『境面結界』!」
「むだよ」
美宇の指先から放たれた光弾が、断魔の構築した結界を打ち砕いた。同時に、断魔の身体も破壊する。
「ばかな・・・護法陣で、ブーストしているというのに・・・かはっ」
光弾は断魔の主要臓器をも破壊していたようで、驚愕に立ち竦む断魔はその口から大量の血を噴き出した。そのまま地面に膝から倒れ込んだ時には、断魔の目には何も映っていなかった。
それが──蛾葬断魔という術者の最期だった。
美宇は疲れた顔で溜息を吐くと、まるで指揮者のように軽やかに右手を揮った。それだけで魔法のように、地面の汚れも、既に息をしていない断魔も燃え上がり・・・塵となって、その全ての痕跡を滅した。
「なんだ・・・」
美宇は断魔の死で綻び自壊していく結界を見ながら、ぽつんと呟いた。
「『魔』って、あたしの事だったんだ・・・」
─ 跋 ─
「美宇ーっ!!」
断魔が死んで結界が解けると、明海がもの凄い勢いで美宇に飛びついた。そのまま控えめな胸に顔を埋めて、泣き顔をぐりぐりと押し付ける。
「何にも出来なくて、ごめんなさいーっ!!」
別に美宇はその事は何も気にしていなかったが、ふと虚空を見え上げて、ふむと独りごちた。許すと言っても明海が納得しないから、というのは、自分にとって都合の良い言い訳だろうか。
──まぁ、明海が嫌がる事をする訳じゃ無いから・・・いいか
ふっと笑みを浮かべて、美宇は明海の耳元に唇を寄せた。
「じゃあね、今日はたっぷりベッドの上でお仕置きしちゃうから・・・覚悟してね」
「・・・はいっ」
これから自分がどうなるのか、美宇には判らない。
もしかしたら、断魔のような人間が、次々と襲いくるのかも知れない。
けれど──美宇は、尻尾を振って喜びを表現する子犬のような明海の頭に手を置きながら、決意を込めて誓った。
けれど、明海と一緒に・・・どこまでも生きていこう・・・と。
空は、気持ち良いぐらいに晴れ渡っていた。
< 終わり >
─ そして蛇足な物語 ─
「・・・こいつぁ、驚いた」
戸惑いと賞賛の響きのある独り言を呟いたのは、長い金髪を風に弄ばれるがままに任せている、美しい女性だ。やや高めの身長に完成されたボディラインで、欠けた部分の見当たらない。女性としては完璧といっても過言ではないだろう。ただし、口を開かなければ。
大学の講堂の屋上から、その女性は遠くで抱き合う美宇と明海を見詰めていた。
「邪神の力が流出してたのが、こんな可愛い子ちゃんに流れ込んでたとはな。しかも、ただ『力』を自分のものにしただけじゃなく、完璧に浄化して『魔』的な要素を濾過してるときたもんだ。こりゃ、巫女としての素養は沙姫ちゃんにも劣ってないぜ」
女性・・・Dr.ケビンは、目を細めてにやりと笑みを浮かべた。朱色の唇がつり上がった表情は、気の強そうな雰囲気もあいまって、酷く挑発的なものに見えた。
「今は・・・。恋人と好きなだけイチャイチャするがいいさ。しかし、そのうち勧誘させてもらおうか。戦力は、あればあるほどいいからな」
どこか負け惜しみにも似た口調で呟くと、ケビンは小さく舌打ちをした。あまりにも二人が幸せそうなので、自分が羨んでいるのに気が付いてしまったからだった。
「ふん、オレだって男に戻ればすぐに、キャスと子作りだぜ。へへんっ」
誰が聞いているという訳でもないのに、ケビンは胸を張って笑った。しかし、すぐにも表情を真面目なものに改めた。
「にしても、ここにきて邪神の解放が立て続けにおこるってのは、どういうもんかね・・・。魔王クンの時は偶然としても、今回は誰が封印を解いた?・・・いや、魔王クンも偶然じゃない可能性があるのか・・・」
それは、背筋が薄ら寒くなるような可能性だった。これまでは確かに大規模なカタストロフィが起こらない形で落ち着いてはいるが、もしこれが本来の性質と能力をもったままで人間にとり憑いていたら、それこそどうなっていたか・・・。
「人類の終末か、それとも神々の黄昏か・・・。いずれにしても、とんでもない話だな」
ケビンは光で構成された転移の魔方陣を、自分の周りに組み上げた。最後に幸せそうな二人を見やってから、不敵ににやりと笑った。
「それでも人は、大切な何かの為に、足掻き、血と泥と汚物にまみれ、地獄を這いずるのさ。・・・誰が、邪神如きに屈するものかよ。・・・『開門』っ」
ケビンの空間跳躍の呪文と共に、光の魔方陣が砕け散った。さらさらとまるで雪の様に、光の欠片が宙を舞う。それが風に流され消え去った後には、そこにはもうケビンの姿は無かった。
ただ、風だけがこの世界を吹き抜けて行く。
< 終わり >