彼と彼女のせかいせーふく2 プロローグ

プロローグ

「ファック、ユー………」

 陰鬱な気分に浸り、浸り、ひたひたと心の声が死にたいと陳情すると、彼は心ではなく彼自身の魂の欲求に従って小さな声を出した。

「ぶち殺すぞ、ゴミめら………」

 貴方は天然ですか? 養殖ですか? それとも中の人ですか?

***

「お兄様………こんなものを造ってみたんですが」

 ”こんなもの”、の両肩に手を置き、美奈は満面の笑顔で兄に陳情した。
 可愛らしい少女だった。
 美奈が、ではない。
 美奈が両肩に手を置き、恐る恐る美奈の兄を見上げるその少女が、である。
 肩で切りそろえられた黒髪と、対照的な白い素肌。勝気げな瞳が、きっと男を睨んでいる。

「幾らかのファッションモデルの写真を取り寄せて、CGを駆使して適当に美しいパーツを寄せ集めて造りましたの。年齢設定は法に触れる恐れがありますけれど、具体的な数値を出さなければ規制は入りませんわ。何よりお兄様は年下の方がお好きでしょう?」
「で?」

 短く言った男のこめかみには、血管が薄く浮き出ている。
 血の気が、余っているらしい。

「一週間ほどデータを取りたいので、しばらく世話をお任せしてよろしいでしょうか?」
「断る」
「なにゆえ?」
「その娘、どこから拉致してきた?」
「ホホホ。錬金術を駆使したホムンクルスですわ」
「主食は人間か」
「いえ、大匙一杯のオリーブオイルと適当な量の男性の精液です。フルチャージにするには一日3回くらいですわ」
「美奈よ」
「はい」
「今死ぬか、今すぐその娘を親元に返すか、どっちがいい?」
「この子の親は美奈ですわ。だって造物主ですもの」
「ファイナルアンサー?」
「私、みのさんは大嫌いですの」
「俺も嫌いだ」

 むんず、と男は美奈の顔にアイアンクローをかけた。

「どうしても喋らぬというのなら、いたし方ない」

 ぎぎぎぎぎぎぎ……と。
 男が力を込めると、美奈は肩を震わせて笑った。

「オホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホ!」

 本人にはどうにもならぬ、生理現象である。
 脳に障害があり、あるポイントを圧迫すると狂ったように笑ってしまうのだ。

「うぬを拷問にかけてくれよう」

***

「るるる~、クッキング♪」
「ふむ……」

 新聞を広げるフリをしながら、ちらりとその少女を見る。
 包丁を握り、少女は料理をしていた。簡単な炒め物をつくろうとしているらしい。油、塩、胡椒、味の素の適量を傍らにある雑誌で確認しつつ、千切りって1000回も包丁を動かすのか、それとも雑誌にある写真の大きさ程度に切ればいいのかと真剣に悩んでいる。
 彼の視線はどうしてもフリフリと揺れる白桃のような尻の方へ吸い寄せられてしまっていた。健全な男なのだから仕方あるまい。美奈の裸ならばつい数年前まで一緒に風呂に入って見慣れているのだが、奴は狂気に染まっているので性欲の対象にはなりえないのだ。
 日曜日の朝であった。

「悪くない」

 うむ、とつぶやき、男はずずずと茶を飲んだ。ジャスミン茶である。中には賞味期限の近くなったイチゴジャムが入っていた。和製ロシアンティーという触れ込みで美奈が差し出したそれは、先日行った拷問に対するあからさまなあてつけであろう。
 ただし問題は、ゲテモノを差し出した相手の脳もまた壊れており、それを気にせず飲むほどに味覚が逝かれていたことだったが。

「スケベ! こっち見ないでよ、変態!」

 茶碗が投げつけられ、男は首をいなしてそれをかわした。某拳法には飛んできた矢やナイフをはね返す奥義があるらしいが、生憎と彼もそこまで極めていない。

「ホホホ、ユミカ。気にせず続けなさい」
「でも、この男が」
「こら。仮にもご主人様相手にこの男呼ばわりするんじゃありません。敬いなさい畏れなさい。ネ申のように扱いなさい」
「え゛ー……」

 べー、と舌を出し、ユミカと呼ばれた少女は再び家事に集中しだした。
 ちなみにこの少女のいでたち、裸にエプロン一枚きりである。
 冗談で”料理とはそうしてするものだ”、と教えたところ、本気にしてしまったらしい。
 見るな! と半泣きになりつつ、白地に藍色で優美香と書かれたTシャツ、紺色のジャージを脱ぎ脱ぎし、上下の下着にまで手をかけると、肩まであるエプロンを素肌の上に羽織ってしまった。

「未だに信じられんな」
「動作や感情表現の基礎アプリケーションはほぼ完成してますから、産まれたてでも見立ては人間とそう変わりませんわ。ただしご覧の通り、常識はインプットされてません。もしも料理の前に人を殺すものだ、と教えたら、できるできないかは別として実行しようといたしますわ」
「あぶねえだろ……」

 男は天を仰いだ。
 昨夜――
 美奈を窒息死寸前まで追い込んだ後、地下にある秘密の実験室に案内された。
 ネズミ、ネコ、犬。実験動物たちが哀れにも切り刻まれ標本にされている区画を抜けると、人間大の巨大なガラスの管があった。
 中を、緑色の液体が満たしている。

「ホムンクルスの作成装置ですわ。為替相場で多少利益が出ましましたので、儲けのうちの30億円ほどを突っ込みましたの。資本主義って素晴らしいですわね。福沢先生の3個大隊の仕事振りは感動するほどでしたわ」

 どこまで嘘なのかはわからなかったが、少なくとも目の前にある施設はまがい物ではなさそうだった。
 まだ疑いの晴れぬ男を前に、美奈はがっしょんがっしょんと装置のレバーを動かし、びびびびびびびびびという悲鳴をあげて機械が起動した。

「ぽちっとな」

 何か、わけのわからない燃料が投与され、巨大なガラス管の中で緑色の液体がうねうねと動き出した。
 数分後――
 やせ細ったネズミが、無から創造されていた。

「ご覧の通りですわ。今は電力をチャージ中ですので大したことはできませんけれど、人間大の生物ならばたいていは合成できますの。プルトニウムを入手できたらはかどるんですけれど、最近ロシアからのルートも細くなってまして。かといって北朝鮮モノは品質に疑問がありますし――」
「もういい、分かった」

 今まで美奈の思いつきに振り回されてきた。――それが元で恋人ができた事件もあったが、しかしながら今回のはさすがの男も呆れるやら感心するやら、我が妹の紙一重ぶりに戦慄を覚えたものである。
 ともあれ、そういうわけで、ユミカがどこかから拉致られた娘である、という疑惑は晴らされた。

 さて、朝である。
 裸エプロンの尻を気にしつつも、甲斐甲斐しくユミカは働いている。適当な大きさに切った野菜を、油の敷いたフライパンに移すと、ジュワジュワという音が鳴った。
 そんなユミカを横目で見やり、美奈は普通のジャスミン茶をずずいとすすった。

「有機素材のホムンクルスですもの。ロボット三原則なんて適用されませんわ。でも後付の教育しだいでご主人様には絶対服従なんて設定もできますわよ」

 胸を張り、ホホホ、と美奈は笑った。
 こちらは、本当に笑いたくて笑ったらしい。

「馬鹿者。俺は紳士だ」
「お兄様」

 ふっ、と美奈は真顔になった。
 キスをねだるかのような潤んだ瞳で兄を見つめ、顔をゆっくりと近づけた。
 コツン……と。
 額と額が、ぶつかった。

「貴方は自由です」
「なに?」
「ユミカを普通の女の子として扱うのも、今のように誤った知識を植えつけて遊ぶのも、性奴隷にするのも、そして壊すのも――」

 ホホ、と小さく笑う。

「存分に、楽しんでくださいませ」

< つづく >

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