竜の血族・外伝 6

「ふ……ん………」

 人差し指をカギ型に曲げ、小さな唇にあてる。
 藍色の瞳に怒りの炎を宿し、彼女は侵入者を睨みつけていた。

「忌々しい」

 深夜、さる貴族の邸宅での出来事。
 パーティに招待され、護衛を伴って出向いた。当たり障りのない歓談と舞踏をした後に、夜も更けたので寝室を借りた。
 そして彼女が寝付いたまさにその時、男が襲ってきた。
 劣情を満たすため、ではありえないだろう。なぜなら相手は、パーティを主催した貴族の男そのものだったのだから。夫でもない者が自国の姫を襲えばどうなるか――結果は子供であろうと想像がつくはずだ。

「護衛はどうしたの?」
「ショクジにクスリを混ぜて、ネムらせました」

 うつろな瞳、うつろな声で、男は答えた。

「危ない薬なの? 怪我はさせた?」
「いいえ。ネムらせただけです」
「そう。運がいいわね。部下にもしものことがあったら、相応の責任をとってもらってたわ」

 王女らしからぬ、物騒な言葉を使う。
 瞳には暗い影が降りており、気の弱い者が見れば背筋を凍らせていたであろう。それはレオンやリスフィーナに見せる幼い仕草とは違う。王女としての暮らしから産み出された、ルフィーナの裏の顔だった。

「私を襲ったのは、お父様……レイストン陛下の要請? それとも自分の意志?」
「ヘイカのごメイレイです」

 ルフィーナはこめかみの辺りを押さえ、大きなため息をついた。

「また、か………」

 予想はしていた。
 それでもなお、父親の仕業だと知った瞬間、体温が1、2度上昇したような気がする。
 臓腑(はらわた)が煮え返り、過剰に分泌された胃液がぐるぐると胃の粘膜を侵食するのが自分でも分かった。
 吐き気がした。舌打ちと共に唾を吐き出したくなり、数秒のためらいの後に無理やり唾を飲み下す。
 気に食わない。
 女は犯せば従順になるだろうという考え方が。
 王女として国に奉仕せよという無言の圧力が。
 父親が嫌いだった。
 自分に従わぬ者は無理やりに屈服させるか殺す。あの男はそのための手段を選ばぬ。
 王という地位にありながら、王にあるまじき稚拙な手段をとる誇りのなさが気に食わぬ。 
 王女らしくあれと調教しておきながら、自分自身は王たる資格も誇りを持たぬ。それが、むかつく。

「いっそ殺してやろうかしら」

 何気なく呟いたが、彼女はすぐに自分の考えを首を振って否定した。
 王を殺すのは次に王となる者の役割だ。王など誰がなっても大して違いはなかろうが、自分はそんなクソのような職業に就きたいとは思わない。
 ルフィーナは大きなため息をつき、目の前の不埒者に意識の焦点をあわせた。

「貴方は明日の朝になれば正気に戻り、今夜のことは忘れます。ただし今後何があろうとも、私や私の妹に手を出さぬこと。もしお父様に強要されて断れないのなら、その場で舌を噛んで死ぬこと。この2点だけは心の奥深くで覚えていて、決して逆らうことはできません」

 アリエサス王族の持つ藍色の瞳が、妖しい光を放つ。
 男は頬の筋肉を弛緩させ、口はしからはだらしなくよだれを垂らし、魔王の末裔にひざまずいた。

「カシコまりました、ごシュジンサマ」
「いいわ。下がって頂戴。もう二度と、その不愉快な面を私に見せないで」
「はい」

 男は緩慢な動作で立ち上がり、ふらふらと部屋を出た。
 ルフィーナはそれを見送り、次いで侍女を呼んで護衛の騎士の介抱をさせ、いくらかの証拠隠滅のための処置をして自室に戻ると――
 どさり、と背中からベッドへ身体を落とした。

「はぁ……」

 ため息が漏れた。
 好きで王女になったわけではない。権力や地位もいらぬ。
 なのに、有象無象がよってたかって王女らしさを強制してくる。
 ひどく惨めな気持ちになり、その惨めさを癒すかのように愛しい男の顔が浮かんだ。
 今すぐ会いたい。
 会って、抱きしめて欲しかった。彼に抱かれて眠りたかった。
 王女ではなく、ただの女として愛してもらいたかった。
 もちろん分かっている。いくら願ったとて物理的な距離が埋まるわけではない。
 今頃レオンは、彼女の双子の妹と一緒に眠っているのだろうから。

「にいさま……」

 毛布を抱いた。レオンがいない代わりに、せめて彼に抱きついている自分の姿を想像して。
 すすり泣きながら、ルフィーナは眠りについた。

***

 夜明け前。
 リスフィーナは、自分のうめき声によって目を覚ました。
 悪夢を見た。
 夢の中で、彼女は見知らぬ男に強姦されかけた。撃退はしたが、ひどく陰鬱で惨めな気持ちになった。

「…にいさま……」

 悪い夢から覚めた。
 周囲を見回し、隣にレオンがいることにホッとした。それから生まれたままの姿でいる自分のいでたちに気づき、赤面してシーツを手繰り寄せた。
 折りたたんで置いたネグリジェがどこかベッドの傍にあるはずだ。どこに置いたかしら、と視線を彷徨わせたが、数秒そうしただけでリスフィーナは衣服を身に着けることをやめた。着付けには慣れていないせいもあるが、男が眠っていることに気づいたからだった。

「おはようございます、にいさま」

 寝グセのついた前髪を本能的にかくしかくし、リスフィーナはぺこりと挨拶した。
 この時、リスフィーナは寝ぼけている。
 窓から見える空には星がまたたいており、朝にはまだ早い。
 昨日あれほどに”愛し合った”のだから、疲れているには違いなかった。疲れが溜まっていと逆に目が覚めやすくなると聞いたことがある。少しでも寝ておかなければ、明日の公務に支障をきたすかもしれない。
 しかし、2度寝する気にはなれなかった。
 また悪夢を見るのが嫌だったし、何より好きな男が隣で眠っているこの状況を逃すのがどうしても――
 もったいない、のである。
 太股の間に、何かが入っているような違和感があった。その違和感によって昨日のことを思い出されてしまい、また妙な気分になりそうになる。痛いのは嫌いなはずなのだが、処女を失った痛みを幸せに感じてしまうのは何故だろうか。ひょっとしてレオンが言ったとおり、自分はいじめられると淫らな蜜を女の子の恥ずかしい所からしとどに垂れ流して悦ぶ変態さんなのだろうか。

 いや。
 いや、いや、いや、いや、いや。

 頭をぶるんぶるんと振り、恐ろしい考えを払拭しようとする。確かににいさまに構っていただけるのなら多少ひどい仕打ちを受けようともぜんぜん構わない、というより構ってくれているのが嬉しいから望む所なのだが。しかし例えば、姉にでこぴんされたり頬をつねられたりするのはいただけないというかむかつくだけで気持ちいいはずがない。とはいえ同じシチュエーションでももしにいさまにされるのならきっと痛いけれども幸福感を抱いているはずで……とすると、私はにいさま限定で”まぞ”というわけなのか。だったら納得できなくもないのだが、そんな女の子は女性としてというよりも人間としてアレというか、ところでにいさまはどんな女の子が好きなのだろう?
 ぐるぐるぐるぐる……と。
 どうでもいい妄想が頭をかけめぐり、やがてぷしゅーと音がしたかと思うとリスフィーナの頭がかくんと落ちた。
 脳内のどこかが、知恵熱でやられたらしい。 

「うぬ……。深く考えるのはよそう」

 デッドロックにかかった思考を強制的に閉め、リスフィーナは再起動した。起動せずそのまま落ちてもよかったのだが、やはり、この状況は寝るのにはあまりにもったいない。
 そんな彼女の心情をよそに、レオンはぐっすりと眠っていた。

「にゃー」

 たまりかね、男の腕を取り、すりすりと頬を寄せた。男の匂いも、毛布の暖かさとはまた別のぬくもりも好きだ。
 よほど疲れているのだろう。レオンに起きる気配はない。
 じっと、寝顔を見た。
 まったくの無防備だった。
 たまらなく愛しかった。それゆえにちょっかいをかけたくなってしまう。加えて今は、何かにつけ賢しらに自分をけん制する双子の姉がいない。
 つまり――
 誰も、彼女を止める者がいない。

「にいさま、起きないと貞操の危機が迫っていますよ?」

 くすくすと笑い、男の頬に小さな手をあてる。カサついた肌のざらざらとした感触。男の方でもお肌はきちんと手入れした方がいいのでは、とか内心で心配になりつつも、ぷにぷにしたルフィーナの頬とは違う手触りを新鮮に感じる。

「えいっ」

 鼻をつまむ。男は苦しそうに眉根をぴくりと動かし、苦しげに口を開いた。

「ふふ、へんなお顔……」

 息をするために開いたレオンの唇の端に、リスフィーナは口付けた。
 かさかさとした感覚。潤いを取り戻させるために舌を伸ばし、男の唇をなぞる。
 自分の唾液に混じり、かすかにレオンの唾液の味がした。

「……おいしい…」

 口に広がるレオンの匂いに、心の芯が蕩けてくる。
 頭に血が昇り、頬が上気していくのが自分でも分かった。
 リスフィーナはうっとりとし、続けて男の鼻の頭をぺろりと舐める。
 昨夜、この男に組み伏せられ、この男に犯された。思うが侭に玩ばれ、はしたないあえぎ声を出した。
 恥ずかしいから、と指を噛み、淫らな声が漏れるのを必死に耐えているのに、レオンは可愛い声を聞かせてくれなどと言いつつ耳たぶを甘噛みし、荒々しい手つきで胸を弄んだ。

「ん……ヤダ……」

 濡れてきてる……。
 太股を無意識にこすりあわせているのに気づき、赤面する。
 まだ身体の火照りは大したことはないが、呼吸は興奮を示すかのように荒くなっていた。

「我ながらあさましい」

 女の方から、しかも眠っている男にいたずらをしかけている。
 はしたない行為を反省したつもりだった。ところがかえって、自分自身を貶める言葉に肉体は情欲をかき立てられたようだった。 
 
「ん……」

 手を伸ばし、こわごわと下腹に触れた。
 ぴりっ…と子宮から脊髄に向け、痺れが走った。
 男を知ったばかりのソコはわずかに花弁が露出し、周囲にある若草が分泌された蜜によってキラキラと濡れていた。
 欲情のままに流されてもよかったが、リスフィーナはあえて意識の手綱を理性に握らせた。
 行為をやめるつもりは、毛頭ない。
 ただし焦らされ、我慢すればするほど、後にくる快楽も強くなると思ったから。
 それに、行為を続けているうちにレオンが起きてくれるかもしれない。劣情のまま自慰をするのも気持ちいいが、彼の手で虐めてもらう時に比べれば得られる快楽も幸福感も桁が違うと分かっていた。
 リスフィーナはレオンの身体をまさぐるのをやめ、その代わりに彼の首筋に顔をうずめた。
 レオンの胸板に押し付けた胸から、彼の鼓動が響いてきた。規則正しく、ゆっくりとしたリズムを奏でている。興奮し、早鐘とは言わぬまでも普段より速くなっている自分の鼓動と比べ、ずいぶんと落ち着いていた。

「起きて、私で遊んでいただけませんか?」

 私と、ではなくて、私で、遊んで欲しい。
 道具のように人権を無視し、思うが侭に嬲られてみたい。
 レオンに、より強く支配されてみたい。
 耳元をくすぐるように囁き、耳朶に優しく唇をつけた。レオンが起きてしまう危険など関係ない。むしろ、狸寝入りであった方が良い。このいたずらを認めてくれているということなのだから。そして起きてくれれば、昨日のように虐めてもらえるだろうから――。

「私はいつでもどこでも、にいさまにいじめて欲しいのに……」

 レオンの手をとり、胸へとあてがった。
 ドレスも、ネグリジェすらもつけていない素肌に、男の手のひんやりとした感覚が広がってゆく。
 肢体を、特に胸の先を、むず痒い感覚が駆け巡った。
 甘い痛痒。痛いのも痒いのも嫌いなはずなのに、彼女が感じたそれは、ひどく心地よい。
 違う、と思う。
 悪夢に出てきた男とは違う。彼を抱きしめたいし、抱きしめられたい。
 レオンの目じりに人差し指の腹をあて、つぃとくすぐるように首筋までなぞってゆく。
 はしたない、姫らしからぬ行為だった。彼の傍で裸で寝るのも、頬をふにふにとつっついたり、眠っていいのをよいことにキスをするのも、劣情のままレオンの身体をまさぐり、胸を押し付けるのも――
 自分のしていること全てが、姫として培われた禁忌に触れている。
 楽しかった。

「ふふ……」

 自然と、笑みがこぼれる。
 してはいけないことだから、興奮する。
 相手がこの男だから、したいと思う。

「にいさま」

 応えを期待せず、またさしたる意味もなく、ただ相手がいることを確認するためだけに言う。
 男の首筋にうずめていた顔を上げ、胸板のあたりに頬を寄せる。レオンの胸の先にキスをした。
 ぴくり、と男の指が反応する。リスフィーナはネコのように目を細め、舌をレオンの身体に這わせた。
 胸元を経由し、腹筋をさらに下ってへそへ。
 リスフィーナの舌が通った道には唾液が残り、わずかな星明りがそれを照らしていた。舌を動かすたびに感じるレオンの汗の味、それに次第に近づく下腹のソレの匂いに、リスフィーナは興奮に身を震わせた。
 太股は厭らしくレオンの脚にまきつけられ、リスフィーナの発情を示すかのように僅かに開いた花弁が身体の微妙な動きと共に男の身体にこすり付けられる。ゆるく、断続的に、花弁やそのやや上にある肉芽が刺激を受け取り、受け取った刺激は蜜穴の奥へと微震となってめぐってゆく。

「ん…はぁぁぁぁぁぁ」

 あえぎ声が漏れ、身体がかく、かく、と小刻みに震えた。煮え切らない間欠泉のように白濁した愛液がじわりと噴き出し、リスフィーナは男に強く抱きついた。

「………むぎゅ…ごめんなさい、にいさま。一緒に気持ちよくなった方がいいのに……私だけ……」

 すぅ、はぁ、と吸い、吐きを繰り返し息を整える。
 自分の失態を挽回するためか、それとも単に淫らな欲求を満たそうとするためなのか、リスフィーナは男の下着に手をかけた。

「…これが……にいさまの」

 しどろもどろな手つきで脱がせ、レオンの股間を露出させる。それはふにゃりとしており、昨夜彼女の処女を散らした際の凶悪さの面影すらも残っていなかった。

「え……と…………」

 どうすれば、彼を悦ばせられるのか。場数など皆無に等しいので、勝手は分からない。ただ昨夜男にされた行為を真似て、この数日の間に侍女から聞いた中途半端な性の知識を必死に思い出す。
 これからも愛用していただけるように。
 これからも愛していただけるように。
 レオンのソレへ恐る恐る顔を近づけ、触れるだけのキスをした。たちまちにぴくん、と男のソレが反応する。リスフィーナはひるんだが、気持ちいいとそうなるということは聞いて知っていたので、今度は舌を伸ばし、男の小さな割れ目をくすぐるように舐めた。
 苦いようなしょっぱいような、不思議な味がする。舐めるたびにぴく、ぴく、とレオンの肉棒が動き、固くなってゆくのが分かった。
 上目遣いでレオンの反応を確かめ、今度は口に含んでみる。――こうされると殿方は悦ぶのですと、親しい侍女に教わっていたから。

「…ん……あ……」

 レオンが身じろぎし、片腕を上げた。リスフィーナは身を硬直させたが、レオンはまだ起きていなかった。夢うつつのままリスフィーナの頭へと手を伸ばし、優しく、だが抗えぬ力で男の胸元まで抱き寄せた。

「むぎゅ」

 抱きしめられたのが嬉しくて、リスフィーナは意味不明のうめきを漏らした。
 その時――

「レ…ミカ……」

 と、レオンが言った。
 目は閉じている。寝言だった。

「レミカ?」

 もぞもぞとした動きを止め、レオンの顔を見る。
 動かずじっと、見た。彼が次に何を言っても聞き逃さないように。

「もういい……。いいんだ……レミカ……」

 女か。
 名前から察するに女だろう。
 しかし、もういいとはどういうことだろうか?
 レオンとはどういう関係で、彼は何をやめさせようとしているのだろうか。
 リスフィーナは自分の胸元へと、手を置いた。
 締め付けられているかのように、痛かった。

「にいさま」

 レオンに、というよりは自分自身に宣言するために、リスフィーナは静かに言った。

「貴方を信じています」

***

 翌日の早朝。
 レオンはすやすやと眠るリスフィーナの頭を愛しむように撫で、その額に唇を当てた。

「レオン殿下、お早く。使用人に見咎められると何かと不都合ですので」

 せかしたのはミラン・オルファスという名前の女騎士で、年齢は今年で28になる。彼女は武系の中流貴族の3女として産まれ、幼い頃から戦闘の訓練と王女への忠誠を培われて育った。いわゆるところの、リスフィーナの腹心といえる。
 というわけだから当然、レオンとリスフィーナ、ルフィーナとの関係も知っている。知っている以上、王女と王子が近親相姦しているという証拠を隠滅するための偽装工作もする。彼女は王女に2股をかけるレオンに対して敵意に近いものを抱いているのだが、姫に対する忠誠とはまた別のことと割り切っていた。

「わかった」

 レオンはうなずくと、恋人の寝所を後にした。

***

 その朝。
 レミカ・ミルエンは目を覚ますと、両腕を思い切り伸ばした。
 爽快な朝だった。身体が自分でも信じられぬほど軽い。
 彼女は周囲を見回した。
 見知らぬ場所だ。薄暗く、ひんやりと涼しい。
 ベッド以外、何もない部屋だった。
 壁は泥を積み上げ、乾かしたものなのであろうか。土の匂いがした。窓はなかったがどこからか新鮮な空気が流れてきているようで、不快ではない。
 ベッドは少し固かったが、その代わりというべきか自分の身体を覆う毛布は柔らかかった。
 はて、ここはどこなのであろうか。
 そういえば、今まで――

「ずっと、夢を見ていたような……」

 気がする。
 いい夢だった。
 その夢の中には、自分と、自分の好きな男しか存在しなかった。
 その夢の中では、自分は人形のように無力で、自分の好きな男は甲斐甲斐しく世話を焼き、夜には抱きしめられて眠った。 
 男は自分を見て、自分は彼だけを見ていた。
 幸せだった。

「おはよう」
「え……あ、ああ、おはようございます」

 挨拶の声で、レミカは現実に引き戻された。
 反射的に挨拶をし、声の方へ目を向けると、そこには見知らぬ赤毛の女がいた。

「あの、失礼ですがどちら様でしょうか?」
「名はミストレス・アインス。錬金術師だ。レオンフィールド殿より、貴方の病の治療を依頼された」

 鈴を鳴らすような美声に、レミカはしばし目をしばたたかせ、首をかしげて女の言葉をはんすうした。

「はぁ……治療ですか?」

 どうにも、ふに落ちない。
 これといった病気もなく今まで健康であったし、虫歯だってない。そのことは自分のご主人であるレオンも知っているはずだが――それとも何か、自覚がないだけで病気になっていたのだろうか。

「ずっと夢を見ていたであろう? それを今、覚ました」
「………ゆ…め…? 夢……ああ……、そうですか……」

 レミカは得心し、次いであからさまに落胆したが、目の前にいる初対面の女の視線に気づき、ぎこちない愛想笑いを浮かべた。
 ミストレスも愛想笑いを返し、レミカに聞いた。

「白粥と漬物を用意したが、食欲はあるかな?」
「あ、はい」

 言われてみて、レミカは自分が空腹であったことに気づいた。
 ベッドから降り、ミストレスと名乗った女に従って部屋を出た。

***

 正午になった。
 帰宅した双子の姉に、リスフィーナはすんなりと昨日の夜のことを白状した。
 レオンに処女をささげたことも。夜中に一緒のベッドで眠ったことも。レオンの寝言のことも。

「レミカ? レミカ、レミカ、レミカ………女の人の名前よね、きっと」
「でしょうね」
「ん~~~~~」

 ルフィーナは天を仰ぎ、そして視線を落としてじぃと妹を見た。

「リスフィは、真綿で首を絞められていくかのよーに悶々として死刑宣告の日を待つのと、すっぱりと首をちょん切られるのとどっちがい

い?」
「どっちもイヤ」
「それでも選ばないといけないとしたら?」
「……すぐに斬られる方かな。でも実際にそういう状況になってみないと分からないけど」
「ふむ。ならすぐに死刑宣告を受けてきましょうか」
「?」
「シェスタ」

 ルフィーナは呼び鈴を鳴らし、直属の女騎士を呼んだ。

「至急調べて欲しいことがあるんだけど、いいかしら?」
「はい、なんなりと」
「レオンフィールドの人間関係を調べて。特に女性との交友を念入りに。調査費に糸目はつけないわ。進捗があろうとなかろうと、報告は

毎日してちょうだい」
「かしこまりました」

 敬礼し、立ち去る騎士。その後姿が視界から消えると、ルフィーナはくるりと妹の方へ振り返った。
 不気味な笑顔である。

「大切なことを忘れていたわ」
「ん?」
「リスフィーナ君への制裁」
「へ?」
「私がいない隙ににいさまに愛でていただくなんて、リスフィの癖に生意気よ」
「だってルフィ、協力するって……」
「お黙りなさい」

 ぴしゃり、とルフィーナは言い放った。
 だがリスフィーナの言うとおり、数日前に協力するとの言質はとってある。加えてレオンとの関係については遥か昔に”レオンさえ良け

れば2人とも愛でていただく”との結論が出ているので、彼女が怒られるようないわれは無い。
 しかしながら……
 自分が強姦されかけたのと同じ晩に、妹は愛しいにいさまに情けをいただき、しかも同じベッドで彼にしがみついてむぎゅむぎゅと甘え

ていたのだ。それがうらやましいやらむかつくやら憎たらしいやらむかつくやら……
 精神衛生上、放置するわけにはいかなかった。

「てやっ」

 両手を伸ばした。
 これまで幾多となく妹を理不尽にいじめてきた、魔性の手である。

「いーとーまきまき、いーとーまきまき、ひーてひーて♪」

 頬をぎゅむぅぅ……と、力いっぱいにつねりつつ、上下左右に動かし、さらに回転運動も加える。
 何の束縛もなく悪意を表に現すのは、なんと楽しいことだろう。むかついているのなら尚更――

「いひゃいいひゃいいひゃいいひゃい!」

 情けなく喚く双子の妹の声を意に介さず、むしろサディスティックな笑みすら浮かべ……ルフィーナは手を離した。

「ていっ」
「にゃあっ!」

 頬の肉が極限までひっぱられ、人差し指と親指から開放された。

「うぐぐぐ」

 両手を頬に当て、リスフィーナはうめいた。抗議の念を瞳に込め、姉を見上げる。

「リスフィーナ君」

 ルフィーナはくすくすと邪悪に笑い、見下すように妹を見た。

「この恨み、いつか晴らさでオクベキカ、なんて考えているでしょう?」
「むぎゅ……」
「身の程を弁えなさい」

 言うや否や、再び姉の手が伸ばされた。

「ぅにゃぁ!」

 リスフィーナの叫びが、再びこだました。

***

 一方、レオンの方はというと――
 レオンは王宮の一角にある自邸へと帰宅していた。

「留守にしている間、何かあったか?」
「関税にかかわる案件が3件と城兵からのこまごまとした陳情書が20数枚。それと、葡萄酒ギルドの長と麦酒ギルドの長がそれぞれ殿下との謁見を希望しておりました。早くとも明後日以降になると返答しておきましたが、何やら急ぎのような口ぶりでした」
「おおかたこじれた談合の仲裁依頼だろうな。……分かった、スケジュールの中で一番近いあいている日を当てておいてくれ。それとこれから書類の決済をする。何か作業しながら食べれる軽いものを執務室へ運んでくれ。それと湯浴みの用意を」

 レオンの指示に、中年の執事はうやうやしく頭を下げた。

「かしこまりました」

 衣服を手早く着替え、レオンは足早に執務室へ移動した。
 連日の睡眠不足で疲れていたが、日の高いうちから眠るわけにはいかない。
 ペンを取り、留守にしていた間に溜まった書類に目を通す。いきさつはどうあれ、レオンは王子である。王族としてのそれなりの実績と尊敬とを勝ち取るため、仕事は腐るほどにあった。書記や補佐役と呼ばれる幾人かの部下の手助けはあるものの、いくらかの重要な決済案件は彼の判断なしでは立ち行かないのだ。

「ご主人様、失礼してよろしいでしょうか?」

 ノックの音がし、次いでメイドの声がドアごしから聞こえてきた。

「どうぞ」
「お食事をお持ちいたしました」
「ああ、ありがとう。そこに置いといてくれ」
「かしこまりました」

 若いメイドが入り、机のレオンの指し示した場所にトレイを置いた。
 レタス、トマト、タマゴ、ハムなどを食パンにはさみ、黒胡椒やマヨネーズ、酢で味を調えたサンドイッチとコーンのスープ。レオンは書類にペンを走らせながら、行儀悪くサンドイッチをほおばった。 

「………………ぬ」

 もぐもぐと咀嚼し、次のサンドイッチに手をのばし……かけて、レオンの動きが不自然な形で止まった。
 間接部に油を刺し忘れた全身鎧を身にまとったかのように、首をぎぎぎぎ、と動かし、動かした首に合わせるように身体の向きを変え、今しがたトレイを持ってきたそのメイドに相対した。

「つかぬことを伺うが」

 メイドの顔を凝っと、見る。

「きみに双子の姉か妹はいるかね?」
「……? いいえ。一人っ子ですが」

 若いメイドは、首をかしげて少し考えたあとに答えた。

「きみの名前は、レミカか?」
「はい。レミカ・ミルエンです」
「身体の調子は?」
「おかげさまで、快調です」
「喋ることができるようになったんだな」
「はい。その節はご迷惑をおかけしました」

 深々と頭を下げた。

「頭を上げてくれ」
「かしこまりました」

 レミカは主の命令に従った。
 彼女の主は頭を下げることが不愉快だったようなので、頭を下げぬままに謝った。

「申し訳ありませんご主人様。休んでいる間、ご主人様の身の回りの世話をさせていただくことができませんでした」
「そんなことはどうでもいい!」

 レオンは激昂して叫び、レミカは身をすくませた。
 また何か粗相をしてしまったのだろうか? レミカの瞳に怯えが浮かび、それを察したレオンは再び謝罪の言葉を口にした。

「悪い。むかついているのはレミカに対してじゃない、僕自身だ」
「レオンさん――」

 レミカが何事か言いかけようとしたのを、レオンは手で制した。

「今日の夜、時間はとれるか?」
「はい」
「僕の寝室で待っていて欲しい。色々と話をしたい」
「お話……ですか」
「ああ」

 レミカはまた首をかしげた。
 うなずいたレオンの表情はひどく思いつめており、淫事に誘っているようではなさそうだった。――残念なことに。
 憎たらしい、と思う。
 この男に、初めてを捧げた。
 この男に抱かれ、この男以外に抱かれたいと思ったことはなかった。
 肉体は淫らな欲望が満たされることを望み、心は彼への奉仕を望んでいた。それだけに、彼の誠実さが心憎くなる時がある。かつてのように若さに身を任せ、性欲処理のはけ口として使ってもらうだけで、自分は幸せなのに――。

「かしこまりました。必ずお伺いします」

 レオンが自分を呼び出し、何をしようとしているのか。今のレオンの心が自分に向いているのか、いないのか……おおよそ、察しはついていた。
 だからレミカも、腹をくくった。
 これより先、最も長く彼の傍に仕えてきた者としての、何より女としての存在意義が問われることになるだろう。
 長い夜になりそうだった。

< 続く >

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