ドールメイカー・カンパニー3 第2幕プロローグ

第2幕 奈落

プロローグ  瞳の奥の罠 

 タン・・・タン・・・タン・・・

 テーブルの下で男の足が微かにリズムを刻んでいる。
 向いに座る女の耳にもその音は届いていたが、しかしそれが意識にのぼる事は無かった。

 まるで神業のように精妙なバランスで意識の淵を流れていくリズム・・・

 けれど奏でる男の顔にそれを感じさせる繊細さはない。
 どちらかというと少しふてぶてしい笑みを浮かべて、目の前の女を見詰めていた。

 (確かに気の強そうな女だ。奴等が煙ったがるのも判るよ)

 暖かい日差しの降り注ぐ喫茶店で、男は目の前の女をそう観察した。

「それで?今日は橋野さんはお見えにはならないのですかぁ」

 男は軽くジャブを出すように問いかけた。
 口調には僅かに挑発するようなトーンを滲ませる。
 すると、女の顔が微かに紅潮した。
 顔色を読むに長けた男の目には、それだけで女の心理状態は手に取るように判る。

「なぜあの娘が来る必要があるのですかっ。あのお話はもう以前にハッキリとお断りしている筈です!」

 案の定、女は切り口上で返した。

 (うん、グッド。実に良いね、このリアクション。まさに典型的な保護者タイプ、教科書に載せたいくらいだ)

 男はそう思って内心の笑みを噛み殺した。

『狙いは橋野美佳、由緒正しき家柄のお嬢様、いわゆる“深窓の令嬢”というヤツだ・・・ただし没落したな。お膳立ては出来ている。いつでも掻っ攫える。だがな、この保護者気取りの大木戸由美ってのがガンだ。ベテランの弁護士なんだが、こんなカネにならねぇ仕事に煩ぇくらいに嘴を突っ込みやがる』

 男の依頼主の言葉が蘇る。

『だからアンタ等の力を借りてぇんだ。俺達だけでも出来ねぇこたぁねぇが、ここは少しばかりスマートに運びてぇんだ。あんた等のその催眠の力でもってこの女を黙らしちまってくれよ』

 (お安い御用ですよ。これでマインド・サーカスの隠れ蓑に成ってくれるってんだから)

 男は脳裏の男に軽口を利いた。

「そうでしたか。では、貴女はどうしてここにいらっしゃったのです?」

 男は生真面目そうな女の顔をジッと見詰めた。
 黒いフレームの野暮ったいメガネを掛けている平凡な中年の女性である。
 けれどそんな見かけに不釣り合いなほど強い、射るような視線が男の視線を跳ね返した。

「最後通牒です!これ以上あの娘に付きまとうようなら法的手段に訴えますわっ」

 さすがに弁護士だけあって、大した迫力だった。
 男は思いのほか活きの良いターゲットに、内心苦笑いをする。
 けれど却って気合はのってきた。
 相手を挑発する笑みが自然と浮かんでくると、男は徐に催眠の網を広げたのだった。

「付きまとう?どういうことでしょうか」

 静かな口調とともに、先程から続けている足で床を叩くリズムを意識して変える。
 表層意識を素通りする程微かな音で刻まれたリズムは、しかし大木戸女史の無意識領域に働きかけた。
 当人の意識の外で、その口調が男のリズムに絡め取られていく。

 タン・タタン・・・タン・タタン・・・タン・タタン・・・・

「しらばっ・・くれないで。あの娘の・・行く先々で・・・スキンヘッドやら・・パンチパーマやらの・・・男たちが・・現れるって・・・いうのは・・どういうことっ」

 女の声がブツ切れになっている。
 男のリズムに支配されかかっているのだ。
 男はそんな女の顔を面白そうに見詰め、そして少し皮肉そうに微笑んでいた。

 ヤクザをバックにした男と会うというのは、たとえ弁護士であっても緊張を強いられる。
 もしもそれが夜中の人気の無い事務所であれば来る事は無かっただろう。
 しかし、今は真昼間。
 暖かい明るい日差しが差し込むにぎやかな喫茶店。
 向かい合う男は、サラリーマンのようにまるで迫力がない。
 肩透かしをくったように気が抜ける。
 そこへ軽い挑発・・・
 女は嵩に掛かったように反応した。
 弁護士の威光で威圧しようとする。
 けれど、柳に風とばかりにまるで応えない男・・・
 女は読み違いを悟る。
 そして勝手に深読みを始める。
 自ら生み出した幻影に、独り相撲を始めるのだ。

 そしてその間も続くリズム。

 強く、弱く、波のようにゆったりと・・・

「あ・・・貴方は・・・えっとぉ・・・・ん・・・あれ、何を言おうとしたんだっ・・け」

 怜悧な光を灯した視線が、いつの間にか霞んでいた。
 歯切れのいい口調が、酔ったように呂律が回らない。
 指先が無意識に男のリズムでテーブルを叩いていた。

 まるで教科書どおりの反応・・・

 男が多少の戸惑いを覚えたのは事実だった。
 しかしドールに仕上げる訳でもないターゲット相手である。
 ドール・メイカーを冠した男にとっても、その違和感を追求する必要は感じなかった。

 (手っ取り早く済ましちまおう)

 男は微かな躊躇を振り払うと、仕上げを開始する。

 ジュポッ

 掌に隠し持ったライターに男は火を灯したのだ。
 まるで引き寄せられるように女の視線がそれを注視する。
 そしてそのタイミングで男は足のリズムを止めた。

 一瞬の静寂

 女は無意識に神経を耳に集中させる。
 そして代わりに瞳からは、その瞬間、意識が逸れた。
 完全に無防備な視線が炎に向けられているのだ。
 男はしかしそれを予め知っていたように、その瞬間、翳したライターの火を消した。

 一瞬の幻惑が消え去る

 女の瞳が幻を追いかけるように、炎の消えた空間を漂う。
 そしてその視線の先に、まるで待ち構えているように男の瞳があったのだった。

 優しげな瞳がスッと細められる。

 男の自信に満ち溢れた力強い視線と、反対に虚を突かれた雌鹿のように凍りついた女の視線。

 そのポッカリと空洞が空いたような瞳を捉えた時、男は導入の成功を確信した。
 あとは言葉を滑り込ませるだけだ。
 ドールメイカーの確信に満ちた言葉が、ターゲットの心を押し流すのである。

 しかし・・・

 男はたった一つだけ、失念していたことがあった。
 それは、この瞬間、自らの言葉を流し込むこの一瞬だけは、自分もまた無防備に意識を晒しているということを。
 全ての心理ガードを取り払い、奔流のように『意志』を流し込むこの瞬間だけは、ターゲットとドールメイカーは全くイーブンの立場なのである。

「橋野さんはもう自立してっ・・・え?」

 滑り出した言葉が不意に途切れた。
 女の瞳を覗き込んでいる男は、この時自らの読み違いに初めて気づいたのだ。
 打てば響くように反応していた女のリアクションが、この瞬間、消え去っていた。
 そして代わりに現れたのは、まるで底の見えない精神の深み。
 大海原のようなその圧倒的な質量は、男の刻む脆弱なリズムを完全に飲み込んでいたのである。

 (なっ・・・!なんだ、これはっ)

 男がいままで視ていたものは、この女の上辺の意識でしかなかった。
 そして上げ底の意識の底が割れた途端、その下に比べようもない程の深い精神世界が広がっていたのである。
 まるで奈落の底に落ちるような本能的な恐怖が突き上げる。
 そしてその動揺が、剛胆なこの男の目にほんの一瞬現れた。
 ちょうど女の目に先ほど現れていた動揺と鏡に映したようにそっくりに。

 (まずいっ!こいつっ、なんか変だっ)

 男は、自らの中に仕掛けておいた緊急暗示が急速に立ち上がるのを自覚した。
 自らの体が奏でる催眠のリズムが一瞬にして断ち切られる。
 そして同時に無防備に広げていた意識を急速に窄めていった。
 頭で考えていては間に合わない、刹那のディフェンスなのである。

 けれど、これ以上ない男のその反応ではあったが、それでも手遅れだった。
 何故なら、男は既に女の瞳に現れる万華鏡のような煌めきを捉えてしまっていたのである。

 (・・・凄い・・・どうなってるんだ・・・何故、こんなに光る・・・)

 男の興味を引くそれは、即ち女の手管であり、それこそが餌だった。
 男の無防備な意識を丸ごと絡め取る、催眠の罠が待ちかまえていたのだ。

 (・・・知りたい?)

 男の脳裏に女の意志が浮かぶ。

 (・・・教えてあげましょうか?)

 微かなアルカイック・スマイルだけで女は奇跡のように自らの意志を伝える。
 そしてそれを凝視する男の意志もまた、その表情に隠しようもなく表れていた。

 (いいわ・・・それじゃ、取引しましょ)

 悪戯を謀む少女のような笑みが、男の意識に最後に残った映像だった。
 次の瞬間、まるでブレーカが落ちたように、男の意識は暗転した。
 自らの仕掛けた緊急回路が漸く女の罠を断ち切ったのである。
 実時間では、もう『刹那』としか言いようのない一瞬だった。
 けれどそれでも女の意志を全て食い止めることはできなかった。
 既に男の意識には女へのラポールが出来上がってしまっていたのである。

「ちょっとっ、どうされましたっ?」

 乱暴に肩を揺すられ男は伏せていた顔をあげた。
 すると視界には、困惑と苛立ちの表情を浮かべた女が見下ろしている。
 無論、大木戸女史だ。

「・・・あ」
「『あ』じゃないでしょっ!あ、貴方、人の話を聞く気有るのですかっ」
「あぁ・・・あ、はい・・・はいっ、勿論ですとも」

 男は一瞬の意識の空白を振り払うように頭を振って言葉を返した。
 そうして視線をあげて女の目を再び覗き込む。
 けれどそこにはもうあの不思議な光は何も浮かんでいなかった。

 一瞬、強烈な違和感が男の胸に湧き起こる。
 けれど、怒ったように男を見返す女の目を見ているうちに、潮が引くようにその違和感は消えていった。

「真面目に話し合う気が無いなら、帰りますよっ」
「いや、失礼。ちょっと昨日遅かったもので」

 苦笑いで誤魔化し、男はもう一度リズムを刻みだした。
 一度の失敗でめげていては、この仕事は成り立たない。
 諦めない粘り強さは必須だった。
 ゆっくりと靴音が響き出す。

 けれど男は気づいてなかった。
 そのリズムが、いつの間にかテーブルを叩く女の指のリズムに絡め取られていたと言うことに。

< つづく >

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