第一話 組織
暗い部屋。
そこは、暗い部屋だった。
頼りになるものは、空中に漂う蝋燭の光。
蝋燭の光を部屋の中心とするなら、その部屋はかなり大きいことが見てとれた。
蝋燭の光量が足りていないせいで、部屋の全体像は掴めなかったが。
組織。
そう呼ばれている集団の会議室。
なぜ、蝋燭を吊るしているのか? その理由は組織のものしかわからないだろう。
いや、組織のものでも一握りのものしか知らないだろう。
なぜなら、あれは吊るしていない。
蝋燭はそこには存在せず、ただ光を出しているだけなのだから。
この部屋には電気が通っているし、スイッチを押せばライトが点くのだから蝋燭の必要性はない。
そう―――あれは蝋燭の光。それ以上でも以下でもない。
蝋燭を見上げる一人の少女。
少女の漆黒の髪は闇の中にいてもなお、深い黒を讃えていた。
整った目尻、幼さの残っている顔立ち。
少女は、美しく、かわいらしく、可憐であり、例える言葉が見つからないほどだった。
否―――少女には、この闇が似合いすぎているのだ。まるで、闇を黒く染める髪が、光り輝いていると錯覚するほどに。
パチ、という音がしてライトが点く。少女が見ていた蝋燭はそこにはなく、吊るせるような器具さえそこにはなかった。
それもそうだろう。蝋燭はあの場所になかったのだから。
ライトが、部屋を照らす。
いや、ライトではなく、部屋の壁が光っている。
それは比喩でもなんでもなく、壁事体が発光していた。
発光といっても眩しいほどではなく、太陽のようなやさしい光。
少女が正面を向くと、そこには一人の男が立っていた。
この会議室には、南口と北口の二つの入り口がある。
少女は、ほぼ部屋の真ん中に位置している。男は南口から入ってきてスイッチを入れたらしい。
男の容姿はどこと無く熊を思わせた。
熊に似ているわけではない。
それどころか、身体つきは細く、身長が高いため熊とはかけ離れている。
だがしかし、彼は熊という表現が一番似合っていた。そして、一番ふさわしい。
「さすがだな、加夜。君の能力では、あんなことをするのは大変難しいはずなんだが……」
男の声は、娘にでも話しかけるような親愛の情で満たされていた。
「いえ、慣れましたから」
男と比べて、加夜と呼ばれた少女の声は他人に接するような態度。
表情と呼べるものは浮かんでおらず、空気でも見るような目で男を眺めていた。
実際、加夜は男についてほとんど知らない。加夜が組織に入った時に、直属の上司だと説明されただけだ。
名前や、組織においてどのような立場にいるのか知らない相手は空気と同じようなものだと、加夜は思う。
「そうか」
男が簡潔に話しを締めくくる。
顔には苦笑が浮かんでおり、しかたないな、とばかりに肩をすくめた。
椅子を出すとそれに座り、加夜に向き直る。
「それじゃあ、本題に移ろう」
男のその言葉を聞いた加夜が、きつい表情をする。
「そんな警戒しないでくれよ。……これでも、加夜のこと娘みたいに思ってるんだ。他の奴らと一緒にしないでくれ」
男が悲しそうな声を出し、
「それにこれは、式条 高斗についてのことだ」
と、続ける。
『式条高斗』という単語に、加夜の表情が変わる。
いや、表情が変わるというのは正しくない。
例えるなら、そう―――纏う雰囲気が変わったと説明するのが正しいだろうか。
「神楽 舞の件についてはもう聞いているだろう」
「もちろんです。紅の始末に失敗したと」
「いや、失敗なんて甘いもんじゃない。
あいつはかなりの能力者だった。あの歳で隔離空間を扱えるなんて天才と呼んでも誇張じゃない。
だがな、あいつは精神面がかなり未熟だ。『扉』の奴らを殺すのにも躊躇っていた。
まてよ、………これは美点とも言えるか、根が優しいと言うことでもあるからな。
だったら、どう説明するかな―――」
男が首を捻る。
説明している間に自分の世界に入った男に対して、加夜はうんざりしたようなポ―ズをとった。
「それで、舞はどうなったんです? 始末に失敗するよりもやっかいなことになったような口振りでしたが」
「ん? ああ、監視者によると、奴隷にされたらしい。
違うな―――『された』じゃなくて、『してもらった』という方が正しいらしい」
「してもらった?」
舞は怪訝な表情をする。
あまりにも変化がなさすぎて、男は気づくことが出来なかったが。
「紅の能力については不明なんだが、監視者は洗脳系の能力と判断している」
「洗脳系? そんな能力を紅が持っているなんて聞いたことがありません。
そもそも、洗脳や催眠などの能力を持っているとしたら、組織は終わっているはずです」
「そうだ、一般に言われる洗脳とはかけ離れている。
能力者が扱う洗脳や催眠は強力無比だと言われている。なぜなら、能力者による洗脳は精神事体を対象にするからな。
精神なんて曖昧なものを訓練なんて出来ないから、実質的に最強の能力みたいなもんだ」
男がポケットから眼鏡を取り出し、眼鏡拭きでレンズを軽く拭く。
眼鏡はうっすらと曲線を辿った長方形の形で、眼鏡を掛けた男によく似合っていた。
「まぁ、監視者は頭でっかちじゃないと勤まらんから、そんな戯言別にいいんだが、問題はその後なんだよ。
つまり、舞は洗脳されたと判断するべきじゃないんだが………まぁ、これを見てくれ」
男が懐から、メモ帳を取り出すと、加夜に向かってフリスビーのように投げた。
回転して飛んでくるメモ帳を危なげなくキャッチすると、加夜はメモ帳に目を落とした。
「これは、また―――」
「すごいだろ? 舞の失敗を受けて救出に向かった奴ら―――『A』三人に『B』二人なんだが―――を皆殺しだ。
なんでも、後ろからナイフで一突きしたらしくてな、あいつのナイフの腕は知っているだろ? そのほかにもルーン文字を刻んで焼却したり、隔離空間を展開したり容赦が無い。
それを受けて今、上の連中はごたごたしてるんだ。
舞は『S』の中でも超一流だからな。それに紅が加わると手も足も出なくなる、というのが今の組織の現状だ」
舞がメモ帳を一心不乱に読み続けるのを一瞥し、男が続ける。
「これで『S』は六人になった。
『月那 真(つきな まとこ)』『相和 加夜(あいわ かよ)』『槻川 葵(つきがわ あおい)』『片瀬 奈津美(かたせ なつみ)』『シン』。
『シン』は不明な点が多すぎるから―――正体すら不明だからな―――、ここでは置いておくぞ。
それでだ、月那 真と槻川 葵は『神楽 舞』の暗殺の指令が出ていて、もう出発している。
片瀬 奈津美は『扉』に潜入して、注意を引き付けて貰っている。今は『扉』に鎌っている暇はないからな。
『A』は組織の警備についている、紅による襲撃に備えてだ。たぶん必要ないと思うんだが、上の連中がしつこくて仕方なく配置している。
他の全ての能力者は情報を集めている―――全て、という言い方だと語弊があるんだが、ここではそんな議論してもしかたが無いからな」
男がそこまで言ったとき、加夜が顔を上げた。
メモ帳を全て読み終わったようだった。
そこに浮かんでいるのは驚愕、恋慕、―――焦燥?
「相和 加夜」
男が加夜を睨みつける。
眼光で殺す、といわんばかりの殺気。
『相和 加夜』。
この言葉は一人の少女としてではなく、組織の道具としての意味合いを持つ。
加夜が顔を上げ、男の視線を真っ向から受ける。
「指令だ。
本日付を持って、相和 加夜は式条 高斗の護衛、及び組織へのスカウト」
簡潔に、だがそれ以上の力強さのこもった口調。
その言葉を聞いた加夜は、まるで恋する少女のようなありさまだった。
「いいか? 確かに伝えたからな? 詳細はそのメモ帳に載ってただろ?
それじゃあ俺は行くぞ」
男が立ち上がり、椅子をしまう。
クルリと、きびすを返しドアを開けるというところで、
「待って下さい」
加夜が慌てて、男を止める。
「なぜ、今ごろになって私と兄さんを会わせることを組織は許可したんですか?
前なら、決して許されることではなかったはずなのに」
「人手が足りない。ただ、それだけだ」
男は振り返りもせず答える。
「だったら、月那 真か槻川 葵のどちらかを兄さんに会わせるでしょう。
そもそも、私の能力のほうが二人より暗殺に優れています」
兄のことが主題になったとたん、饒舌になった加夜に驚く。
いつもなら、会話を加夜から振ることはない。
「会いたくないのか?」
「会いたいです」
即答。
コンマの世界だったな、と考え、バカらしくなってかぶりを振る。
「だったら、いいじゃないか。
憧れの兄に会えるんだ、誘惑でもして喰っちまったらどうだ?」
自分でも親父臭いと思い、恐る恐る首を加夜のほうに向けるとニヤニヤとはにかんでいる(矛盾しているが男にはそう見えた)加夜が見えた。
溜息をつく。
本来、こんなことを言ったら一発殴られている。
いや、殴られるまではいかなくても、嫌悪の表情を浮かべるだろう。
「ブラコンもほどほどにしとけよ……」
加夜に聞こえないように呟く。
加夜のブラコンは組織では有名だったが、ここまでとはさすがに想像することはできなかった。
なまじ、母親が立派すぎたため『家族』に対して過大評価をしすぎるのだろう。
その上、組織は式条 高斗に会わせる事を認めなかった。
「だからかもしれないな」
あの歳では憧れと恋を見分けることはできないだろう。
万一、見分けていたとしても恋に恋をしている可能性もある。
「まぁ、関係ないがね」
そう、男には関係ない。
加夜のことも。
組織のことも。
扉のことも。
紅のことも。
舞のことも。
そう、自分のことさえ―――。
「行くか」
男が呟く。そして、ドアを開け、歩き始める。
どこへ行くのか? 決まっている。紅の元へだ。
月那 真と槻川 葵の二人ですら紅は軽くあしらえるだろう。
まったく、上の連中は無能な奴ばかりだ。
そんなことすらわからないなら、さっさと引退すればいいものを。
舞を暗殺するなら、まず相手をしなければいけなくなるのは誰か、考えればすぐ分かるだろうに。
考えれば、考えるほど腹が立ってくる。
「クズどもが………」
男が吐き捨てる。
だが、男は気づいているのだろうか?
侮辱しながらも、その口が歓喜に歪んでいることを。
男は、否―――組織最強と呼ばれた『シン』は死への渇望に飢えているのだと。
『シン』は口元を歪ませる。
それは、先刻のような歓喜によってもたらされたものではなかった。
禍々しく、毒々しい、呪詛のような笑い。
加夜がみれば、いや、組織のものが見れば正気を疑うような微笑。
くくくくくくくくくっ。
はははははははははっ。
『シン』が笑う。
呪いのようなその笑いは廊下に反響し、世界を嘲っているようだった。
「まったく、楽しいな。だろ? 貴? お前もそう思うよな?」
話し掛けた人は、もうこの世には存在しない。
それでも構わず、『シン』は続ける。
「ああ―――今夜は雨だ。全てを洗い流してくれる雨だよ。
なぁ、貴? 雨は罪も洗い流してくれるのかな?」
返事を期待したわけではない。
ただの独り言。
けれども、返事を返してくれる『誰か』がいたらいいな、と思ったのは真実だ。
もちろん、そんな『誰か』はいなかったが。
返って来たのは静寂。
「まったく、お前らしいよ。それじゃあ、行くとするかな……」
長い、一本道の廊下―――壁はコンクリートで遊びは一切無い―――を歩ききり、『シン』は外界へ出るための、二つ目のドアを開けた。
ドアが閉まる。
がちゃ、という音が響き、加夜は靴を脱いだ。
玄関から部屋に入ると、右側にベッド。左側に机がある。
シンプルな部屋。
机の上には写真立て、ファイル、辞書、本などなど。
よく整理されており、住んでいる人の人柄がよく現れていた。
一人暮らしにはちょうどいい広さ。
加夜はこうゆう点だけは組織を評価してもいいと考えていた。
組織運営のアパート。住宅ではない。少なくとも、加夜はそう主張する。主張する相手がいないけれど。
もちろん、このアパートには組織関連のものしか住んでいない。
いつものように上着を脱ぎ―――組織支給の上着が加夜は嫌いだった。なぜなら、あまりにも黒すぎるのだ―――、スカートを脱ぎ―――もちろん、黒―――、シャワーを浴びる。
このアパートの浴室はビジネスホテルのようにトイレと合体している。
加夜はそれが自然なのだと勘違いしているため、そこらへんの不満はなかった。話によると、奈津美が大騒ぎしたらしいが。
熱いシャワーを浴びる。至福の時。
葵曰く『安い女』。
そんなことを思い出し、すこし憂鬱になる。
シャワーを止める。
葵は今度の技術訓練で痛めつけることに決定。気が晴れる。
そんなことを考えながらタオルを身体に巻きつけ、浴室から出る。
そして、いつもと同じように写真立てから写真を取り出し見つめる。
写真に写っているのは、幼い加夜と母親だった。
組織に保管されているのを盗みだしたものだ。ばれたらただではすまないが、加夜にとっては命と同価値の写真だった。
だからこそ、盗んだといえる。
そして、加夜の母親はもういない。
死んでしまった。
「お母さん。私、頑張ってきた。それでね、今回の指令で兄さんに会えるんだよ?」
言葉とは裏腹に、加夜はいまだに男から知らされた指令を信じることが出来なかった。
いや、信じることができないからこそ声に出しているのだろう。信じるために。
声に出す、という行為によって。
「今まで、なんども頼んだのに聞いてくれなかったけど。でも、やっと会えるんだよ?」
潤んだ瞳。
今にも泣きそうな瞳。
崩れ落ちた加夜は、写真を胸に抱くと消え入りそうな声で囁いた。
「お母さん、復讐は待っていて。加夜が殺すから、絶対殺すから。だから、今だけは許して、お願い。お願いだから」
そして、流れ出した涙を止めることは、もう加夜には不可能だった。
どのくらい泣いたのか、加夜には分からなかった。
目が腫れているのが自分でもわかったが、わかったからといってどうしようもない。
時間が解決してくれるだろう。今の自分のように。
そろそろ、兄さんに会いに行こうと思いつく。その考えは天命のように思えた。
それに、早くしないと監視者が五月蝿く言うだろう。
髪は完全に乾いていた。髪が乾いているのに愕然とする。
加夜は脱いだ服を着て、机から一振りの刀を取り出した。
大きい。俗に居合刀と呼ばれる種類の刀だろう。
それを背中に抱える。
これは、加夜がさんざん苦渋を飲まされた刀だ。
この刀は、意思を持つ。
妖刀とでも説明すれば、わかりやすいだろうか。
この刀は『貴』が愛用していたもので、歴史上封印された刀の中の一つである。
貴が殺されたとき、組織がかろうじて回収した遺品で、そのほかは回収することが出来なかった。
なぜ、加夜が持っているのか?
答えは簡単だ。
この刀は『血脈』『血縁』『血族』―――で扱うことができる。
つまり、加夜の父親は『貴』であり、娘である加夜には扱うことが出来るはずだった。
結果だけいえば、加夜はこの刀を扱うことが出来なかった。
けれど、式条 高斗なら扱えるのではないかと思うのだ。
そう、加夜の兄である式条 高斗なら、なおさら。
「私にはこれがあるし」
加夜が呟く。
刹那。
刀が消える。まるで、黒に取り込まれてしまったように。
いや、取り込まれたというよりは、消えたという方が近い。
これが、加夜の能力。
組織の会議室での蝋燭の光も、その応用によって発生させた。
そして、この力を以って、加夜は今の地位を手に入れた。
『S』。
わかりやすくいえば『Sランク』。
年に一度の審査会でこの『ランク』が決まる。
最高の『S』から最低の『F』まで。
もちろん『S』の方が、危険が大きくなるが、待遇もずっと良くなる。
『シン』、『式条 貴』は組織で唯一、『SS』の能力者であった。
しかし、『式条 貴』が死んだことにより、『シン』は組織を離反。それから十二年経ったとき戻ってきたらしい。
らしい。というのは誰も真実を知らない為。
『シン』は『S』に身を置き、『SS』は事実上なくなった。
『S』の能力者の基本装備が黒の服であり、全身を黒で統一した―――不思議に似合っている―――加夜はドアを開け、歩き出した。
< つづく >