前編
【 プロローグ 】
「こんにちは。元気にしてた?」
昼過ぎの繁華街。“彼女”がその少年に声をかけたのは、まったくの気まぐれであった。
「えっと、こんにちは。……その、失礼ですけど、どちら様でしたっけ?」
とはいえ、何の理由も無く声を掛けたわけではない。見知らぬ少女に突然声をかけられ、困ったような顔をしているその少年は、彼女にとっての要件を揃えているように思われた。
整った優しげな顔つきと、男子としてはかなり小柄で華奢な体格。着ている学生服が、まったく似合っていない。何かの理由で、女の子が学ランを着せられているのだと説明されれば、そのまま納得してしまうことだろう。
「あれ、わたしのこと忘れられちゃった? 早由希よ、さ・ゆ・き」
僅かに『力』を籠めて、そう語りかける。効果はすみやかに現れ、少年の顔に浮かんでいた不審げな表情が、ぬぐい取られたように晴れていった。
「そうか、サユキさんだったのか。ごめんね、なんですぐに分からなかったんだろう?」
ほっとしたような笑顔を浮かべながらも、首をひねる少年に、親しげな調子で返す。
「まあ仕方がないかもしれないわね。なにしろ、久しぶりだったし」
自然に会話を重ねながら、少年の発する『波動』を嗅ぎ取っていく。外観以上に、彼女にとって重要な要素。見た目の雰囲気通りの、純粋さを感じさせる香り。そしてなによりも、若くて健康な“生命力”の匂い。
(ああ、これは当たりだったかな? もし条件が揃うならば、食事だけでなく、むこうしばらくの住処を確保してもいいかも……)
そう判断すると、早由希は彼の手を取った。
「ねえ、折角だから、ゆっくり話をしましょうよ」
彼女の言葉に、従順に頷く少年。
早由希はどこかぼんやりとした足取りで歩く彼を連れ、人気のない場所を探して移動を始めた。
【 1 】
「ただいまー」
通っている高校から帰宅した柚実(ゆずみ)は、玄関に見知らぬ靴を見つけ、首を傾げた。女物の、ローファーの革靴。彼女の物でもなければ、母が持っていた記憶もない。
誰か、客でも来ているのだろう。
靴を脱いで玄関を上がり、居間の扉を開いた彼女は、そのまま思わず目を見開いた。
(うわあ、きれー!)
居間の床に置かれたクッションに、見知らぬ少女が座っていた。年の頃は、柚実と同じくらいだろうか? 初めて見るほどに、綺麗な女の子。腰まである長い髪に、スラリとした体つき。男子であれば間違いなく目の虜になるだろうし、同性であれば羨望の目を向けずにはいられないだろう。
(誰だろう? もしかして、ノブの彼女とか!?)
柚実は、先に帰宅していた弟の信治(のぶはる)に目線で問いかける。
今年高校に上がった彼は、姉の彼女が言うのもなんだが“美少年”という表現がピッタリの少年で、柚実の友人達にも人気がある。彼女の一人くらいできても、おかしくはなかった。
「あ、お帰り。姉さん」
しかし信治は、彼女が思いもしなかった台詞を口にした。
「ほら、懐かしいでしょ。早由希さんが遊びに来てくれたんだよ」
「え……?」
戸惑う、柚実。
(懐かしいもなにも……私、こんな娘に会ったこと無いよ?)
サユキという名前にはまったく心当たりがなかったし、少女の顔にもいっさい見覚えはなかった。もしもこんな美少女と一度でも会ったことがあれば、忘れるはずなどあり得ないだろう。
とっさに言葉が出てこない柚実に、しかしその謎の少女が話しかけてきた。
「ほら、わたしよ。イトコの、早由希。憶えてないかなあ、昔、おじいちゃんの家で何度も遊んだじゃない」
……そう言われると、そんな気もしてくる。
「あ、大丈夫。ちゃーんと憶えてるから。そっか、サユキちゃんかあ」
どっと、懐かしさがこみ上げてきた。柚実は早由希の隣に座ると、両手を取って何度も振った。
「遊びに来てくれたんだ、嬉しいなあ。でも、こんなに綺麗になってるなんて……ビックリしたよ」
「ありがとう。でも、柚実ちゃんだって、すごく可愛くなったわよね」
間近で向けられたその艶やかな笑顔に、女同志ながら思わずドキッとしてしまう。確かに柚実も、自分が周囲から可愛いと評価される外観であることは自覚していたが、目の前の少女の美しさは格が違った。
(あれ……でも、お父さんもお母さんも、兄弟なんていたっけ?)
ぼんやりとした違和感が、胸に浮かび上がってくる。この漠然とした不安感がどこから来るのか、その根本を探ろうとするが、どうにも考えが集中できない。
「それでね、早由希さん、しばらくウチに泊まってくれるんだって」
「突然お邪魔して、ごめんなさいね。でも、本当に久しぶりだけど、また仲良くしてくれると嬉しいな」
しかし、そんな薄ぼんやりとした焦燥感は、早由希の台詞に簡単にかき消されてしまった。
(仲良く……)
そうだ。せっかく、同じくらいの歳の従姉妹が訪ねてきてくれたのだ。これは、すごく楽しい出来事だ。また“昔のように”、いろんなことをして、一緒に遊ぼう。
「そっか、じゃあさっそく、サユキちゃんに泊まってもらう部屋を用意しないと!」
この家は母子家庭で、母親の綾乃(あやの)が仕事から帰るのはもう少し後になる。その前に、早由希のために客間の整理をしてしまおう。
柚実はそう決めると、うきうきとした気分でクッションから立ち上がった。
【 2 】
風呂から上がると、柚実はタオルで髪の湿気を取りながら居間に戻った。ざっと見渡すが、早由希と弟の姿が見あたらない。
「ねえ、お母さん。ノブと、早由希ちゃんは?」
「二人なら、信治の部屋に行ったわよ」
居間と続きになったダイニングで夕食の後片づけをしながら、綾乃が応えた。
柚実と信治の母親は、友人達の母親と比べると、際だって若く見える。それも当然、彼女が柚実を生んだのはまだ一七歳の時のことで、今は三〇歳代半ばにしかならない。それに加えてもともと可愛らしい感じの、年齢よりも若く見られるタイプで、綾乃と柚実の母娘は、知らない人間には歳の離れた姉妹と誤解されることが多かった。
「テレビゲームで遊ぶんだって言ってたわよ」
「ふ~ん」
何となく、柚実は眉をひそめて考え込む。早由希も彼女と同じくらいの年齢なのだから、ゲームをやっても何もおかしくはない。が、あの現実離れして綺麗な少女が、コントローラーを手に夢中で身体を揺らしてみたりするのは、どうにも想像しづらかった。
「それじゃあ私も、ゲームに混ざりに行こうかなあ」
タオルを首に掛け、柚実は階段に向かう。この家は二階建てで、信治と彼女の部屋は共に上の階にあるのだ。
トントンと小気味良いリズムを立てながら階段を上り始めた彼女だったが、半分ほどの位置で、その脚がギクリと止まった。
「…………ぁ、……ぅぁ」
上から、小さく声が聞こえてくる。もちろん、二階には信治と早由希がいるわけで、人の声が聞こえてきても、別段おかしいことはない。にも関わらず、彼女が身体の動きを止めてじっと耳をそばだてたのは、その声の響きに異常なものを感じ取ったからだった。
「……っ、………ゅ」
べっとりと絡みつくような胸騒ぎが、ざわざわと心を揺らす。知らず心臓がドキドキと鼓動を早め、口の中が乾いた気がしてくる。
汗ばんだ手で階段の手すりをぎゅっと握り直すと、柚実は自分でも説明できない理由から息を潜ませ、再び階段を、そっと足音を殺しながら昇り始めた。
「そんな、………………いよ」
「……ていいのよ、もっと………」
一歩々々、ゆっくりと進むごとに、声はだんだんとはっきり聞こえてくるようになる。片方は、戸惑い、追いつめられた者が出すような響きを込めた声。もう片方は、あやすような、誘いかけるような、そんな声。それらは確かに、少年と少女の――信治と早由希の声に間違いなかった。
(……ゴクリッ)
自分が唾を飲み込む音が、柚実にはやけに大きく感じられる。
階段もその三分の二を上がり終え、二階の廊下の様子が伺えるところまで来た。右奥、柚実の部屋の合い向かいが、信治の部屋だ。そのドアが僅かに開き、隙間を通して中から明かりが暗い廊下の床に差し込んでいるのが見えた。
「う、あ……っ。早由希さん、それ……っ!」
「…………かしら? ノブ君のここ………なのに」
なんだか、分からない。分からないけれども、いっそ階下に引き返そうか? そんな怖れと不安が入り交じった感情を心に抱きながら、それでも柚実の身体は、何か抵抗できない力に引き寄せられるように、ジリジリと明かりの方へと向かっていく。
そっと、決して音を立てずに、部屋の中にいる人間達に気づかれることがないように細心の注意を払いながら、ドアの前へと近づき、そして扉の隙間から中を確認できる位置まで達した。
「はあっ、……ううっ!」
「ん……、ちゅっ……ンンンッ」
荒い息づかいと、くぐもった声。それと混じって、小さな、それでいて妙に胸の深い部分を波立たせる水音のようなものが耳に届く。
(だめ……見ない方がいい。覗いたりしたら、私は……)
人間が備えた本能の一番奥の方で、ガンガンと警笛が鳴り響いているのを感じる。しかしそれに反して、何故か柚実の身体はかがみ込むようにして、ドアに顔を寄せ部屋の中の様子をのぞき込んだ。
「………っっ!?」
瞳に飛び込んできた光景に、柚実は後頭部を鈍器で殴られたようなショックを感じる。
ベッドに背を預けるようにして、床の上に置かれたクッションに、信治が座っていた。その下半身は何故か衣類をまとってはおらず、だらしなく開かれた彼の両脚の間に、部屋にいるもう一人がうずくまるように顔を埋めていた。
「ウンッ……ふうう、…………ハゥ」
長い髪を床に垂らしながら、形のいい頭部が小さく揺れている。それが上下、あるいは左右にねじれるように動く度に、チュクチュクと、心を落ち着かなくさせる濡れた音がたてられた。
「んふっ……ンッ、ンン」
苦しいのか、あるいはそれ以外の感情か。何らかの色が籠められたくぐもった声と共に、頭がゆっくりと持ち上がっていき、信治の脚が邪魔で隠れていたその横顔が、柚実の目にはっきりと晒された。
(早由希……ちゃん。どうして!?)
その横顔は、さっきまでの彼女とはまったく違ってしまっていた。形のいい眉は歪められ、顔の下半分は口を大きく開けているせいで間延びして見える。そしてその薄くリップの塗られた唇には、柚実が初めて見るグロテスクに起立した男の性欲の器官――信治の硬く膨張した肉棒が咥えこまれていた。
「うう……っ!」
早由希の口元が動き、弟の喉から声がもれ出した。少女のように華奢に整った顔を真っ赤に染めて、きつく唇を噛んでいる。聞きようによっては辛そうにも感じられるその声は、しかし間違いなく、快感の雫であった。
「ふ……あ、……どう、信クン。今の場所、気持ちよかった?」
ペニスから唇をいったん離し、早由希は少年の顔を上目遣いに見上げながら、淫らな問いを口にする。少女の口腔内から外に出てきたことで、柚実には信治の性器を目にすることになった。
(あんなに、なっちゃうんだ……)
塗りつけられた唾液か、それとも自身が分泌した液体か。膨れ上がった赤黒い先端部分はてらてらと濡れた光を反射している。それを見た瞬間、柚実の下腹部の奥底が、『ズクン――ッ』と蠢いた。熱のような波が、そこからじわじわと立ち昇ってくる。
「あ……!?」
声をこぼしてしまい、慌てて唇をつぐんだ。しかし幸い、部屋の中の二人は、彼女の声に気づかなかったらしい。そのまま、淫らな行為を再開する。
“チュク……、ピチャ”
恐らくはわざとだろう。イヤらしい音を立てながら、つき出された早由希のやけに赤い舌が、信治の欲棒の表面を這い回る。血管が浮き出た幹をなぞり上げ、くびれの部分を舌先でくすぐる。
醜く膨れ上がった浅ましい男の性欲の象徴に、テレビや写真でしか見たことの無いほど美しい少女の顔が寄せられている。そのあまりに不釣り合いなコントラストが、余計に淫猥さを演出しているようでもあった。
「クゥ……ッ、早由希さんっ!」
耐え難い快感にさらされ、信彦がうめく。
(ああ……ノブ、そんなに気持ちいいんだ。それに、早由希ちゃん、あんなことができるなんて……)
こうした行為があることは、もちろん知識としては持っていた。年頃なりの好奇心からクラスメイト達を通して、そうしたイラストや写真、あるいはそのやり方が書かれた雑誌の記事なども、見たことはある。
それでも現実に目の前で行われているその行為は、これまで頭の中で描いていた想像とは、比べものにならないほどに衝撃的だった。
「ン……ちゅっ、フフッ、信クンのここ、すごく美味しいよ? ハァッ、……」
顔の向きを変えながら、早由希が何度も何度も、ついばむように信治の腫れ上がったペニスの表面にキスをする。目元を上気させながら、愛おしいものにそうするように唇を寄せる早由希の顔は、本当にその行為を愉しんでいるように見える。
「おっきくて……こんなに、硬くて……むぐ、ぅ……」
やがて舐めるだけでは物足りなくなったかのように、可憐な唇が再び肉棒に被せられていく。口元を割って、弟の肉槍がそのほとんどを、早由希の口腔内へと姿を隠していった。あの大きな、長い物体が、それほどまでに咥え込まれていくのは、信じられないような情景だった。
(あ……私、熱くなってる……)
同性として、あまりに惨めなその行為を行う姿。ただ、男の生々しい欲望に仕えるためだけに行われる、一方的な奉仕。そしてそれを受け止め、快楽に顔を上気させる、弟。――そんな二人の姿を覗き続ける柚実の脚の間に、体液が“ジュクリ……”とにじみ出た。
(や……あっ!?)
一度自覚してしまったが最後、躰の熱は否定できない存在として彼女の背筋を震わせた。
電流のような痺れが全身に広がり、脳にまで達すると、思考をも麻痺させていく。
ドアの反対側では、早由希による口唇と、そして細い指を使った愛撫が続いている。それを食い入るように見つめながら、柚実の手は自分でも気づかぬうちに、パジャマの裾を割り、下着の中にある熱の中心へと伸ばされていった。
(やだっ、私、なにやってるの?)
しかしそんな理性は、今の彼女を律するだけの強さなど持たなかった。溢れ出す疼きと、そして熱のうねりが、彼女の心までを覆い尽くしていく。ついには右手の指先が、少女の最も敏感な部分に触れ、擦りあげた。
「くふ……ぅぅっ!」
引き結んだ唇の間から、耐えきれず熱い息が洩れる。だが、淫らな行為に夢中になってふける弟と従姉妹はあまりに行為に没頭している様子で、この程度の小さな声を聞かれる心配は無いように思われた。
(ダメ……こんなの、だめだよっ。のぞきだなんて……こんなところ、誰かに見られたら……)
だが一度始まってしまった行為は、途中で止められなかった。柚実の手は更に下着の奥へと忍び込んでいき草むらをかき分け、濡れた粘膜と、大きさを増した肉の蕾を撫でるようにいじる。
「うっ、それ……、もう……早由希さんっ!」
「ん……いいよ、信クン。……もっと、いっぱい感じて……好きなときに、出していいから」
部屋の中では、信治の息遣いが限りなく荒いものへと追いつめられていき、彼のいきり立った欲望を愛撫する早由希の手や口元の動きもまた、さらに激しいものへとなっていた。
それに合わせるように、柚実の指先も、より強く股間へと押しつけられていく。
(ノブ……もうすぐ、イっちゃうんだ)
ハァハァと、柚実の呼吸が早まっていった。自分でも猥らしいとは思うが、どうしても抑えることができない。
二人の興奮と、そして快感が空気を伝わり感染するように、柚実の指に絡みつく自らの秘裂が分泌する粘液が、その量を増していく。もはや愛液は下着を溢れ出し、太股の内側を濡らし、チュクチュクと淫らがましい音さえ立てていた。
「うっ……わ、早由希さん、さゆき……さんっ!!」
「んんっ!? ググウゥ……っ!!」
美少女の黒髪の頭に両手をまわし、しがみつくように、自らの腰に押しつけるた。そのままの姿勢で、少年の身体が、ブルブルと震えている。
(出してる……ノブが、早由希ちゃんの口の中に、精液を出してるんだっ)
いったい、それはどのような感覚なのだろう。男性のペニスを口に含み、喉の奥に高まりきった欲望を吐き出されるというのは、どんな味を――どんな強烈な刺激を、女性は受け止めるのだろう!?
「ふぐ……ン、んんんぁぁっ!」
ギュウ――ッと、全身の筋肉が緊張し、痙攣するように震えた。頭が真っ白になると同時に、スウッと、今度は心地よい脱力感が四肢に広がっていく。
(私……、イッちゃった……の?)
そう。これは、絶頂の感覚。とはいえ、それは今までの自慰で得ていたオルガズムとは、まったく異質な、まったく格が違う、そんな圧倒的な感覚。
「はぁ、はぁ、……はぁ」
気が付けば、柚実は頬を床につけていた。フローリングの床と頬との間に、多分自分がこぼした唾液がべっとりと張り付き、気持ちが悪い。知らぬ間に身体が崩れ落ちて、廊下の床に横たわってしまったのだろう。
(私……、わた、し……)
ゆっくりと、思考が戻ってくる。そうしてから、柚実は顔に電灯の明かりがかかっているのに気づいた。さっきまで、自分は薄暗い廊下から扉の隙間を使って、明るい部屋の中を覗いていたのに。
「え……?」
その意味を思い当たり、柚実は息を飲む。冷水を浴びせかけれたかのように、背筋が一瞬で凍り付いた。
(あ、ああ……)
いつの間にか、扉が大きく開いていた。部屋の中の明かりが、廊下を、そして床の上の柚実の姿を照らしている。部屋着は大きくはだけられ、片方の手は未だその下にもぐり込んだままだ。太股の内側には、濡れた布が気持ち悪く張り付く感触がする。
「や、アアア、ァ、ぁ……」
こんなことが、現実であるはずがない。それを確認するためにも、顔を上げなくてはならない。
ぎくしゃくとしか動かない首を捻り、視線を上げていく。
「柚実ちゃん……いけないなあ、そんなところで。みっともない」
そこには、早由希が彼女を見下ろしていた。イヤらしくて惨めで、情けない格好の柚実を。綺麗な顔に、美しい――そうであるが故に、より残酷な笑みを浮かべて。
「やだ……ゃ、いや――ぁぁぁっっっっっっっ!!」
………そして、柚実の意識は、暗闇に包まれた。
【 3 】
「―――っっ!!」
ベッドの上、柚実は布団を跳ね上げ、起きあがった。
「って、…………あれ?」
事態が認識できず、周囲を見渡す。そこは廊下などではなく彼女の自室であり、自分の顔を照らしているのは電灯の明かりなどではなく、カーテンを通して差し込む朝の陽射しだった。
(え、……てことは、夢?)
呆然と、手の平で顔をごしごしと擦る。少なくともこれは、現実のようだ。身体を確認すれば、いつも通りの部屋着を着ているし、もちろん、下着や服にヘンな汚れやシミも見あたらなかった。
戸惑いつつもホッと息をもらしたちょうどそのとき、「トン、トンッ」と部屋のドアが軽くノックされる音が聞こえた。
「はーい、起きてるよーっ」
扉の向こうまで聞こえるように大きな声で応えると、ドアがそっと開かれ、早由希が顔をのぞかせた。
「おはよう、柚実ちゃん。おばさんが、そろそろ起きないと、学校に遅刻だって」
言われてベッドサイドの時計を見ると、なるほど、そろそろヤバイ時間になっていた。
「あ、うん。ありがとう。すぐに行くから、待って……」
そこまで喋って、ふと気が付いた。自分は昨日、お風呂に入って、そのあとどうしたのだろう。どんな行動をして、いつベッドにもぐり込んだのか、記憶がはっきりしない。
(あ、あれ……?)
いったん居間に戻って、母親と話をして……その後、どうしたのか。あんな非現実的な夢の記憶などではなく、もっと正確な……
「ねえ、早由希さん!」
混乱しているせいか、必要以上に大きな声を出してしまったようだ。早由希が、綺麗な顔にちょっとビックリした表情を浮かべて振り返る。しかし、柚実にはそんな彼女に気を使う余裕など無かった。
「あの、私、昨日の夜、どうしたんだっけ? なにか変なコトとか、あったりした!?」
まくし立てる彼女を、早由希は落ち着いた目で見返す。そして、ゆっくりと、安心させるように、柚実に話しかけた。
「大丈夫よ、柚実ちゃん。昨日は、“別におかしな出来事なんて、なんにも起きなかった”わよ」
少女の言葉が、柚実の中に染み込んでくる。
「……そっか。そうだよね。別に、変な心配することなんて、何もなかったよね」
納得して頷く柚実に、早由希は柔らかな笑顔を向けた。
「じゃあ、そろそろ着替えないと。おばさんの言い方だと、なんだか遅刻ギリギリみたいだったけど」
「ああっ、ホントだ。急がなきゃ!」
従姉妹がドアを閉めるのも待たずに、柚実は部屋着を放り出すように脱いで、制服に着替えだした。
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