BLACK DESIRE #17-3

3.

 金属で出来た通路を2つの影が進んでいく。しかし、その2つは特に慎重に音を出さぬように抜き足差し足をしている訳でもないのに、歩く音が響かない。それはその1つが進化の過程で肉食獣が獲得した気配を消す身体的特徴を持っていたからであり、もう1つの方は主人の眠りを覚まさぬ様に、音を立てないで歩く術を体得していたからである。

「しっかしよぉ、お前未だにその名前使ってるのな」
「……」
「いい加減別の名前を付けてもらえよ、あの小僧とかにさ」
「……」

 全く外観も、歩き方も、口数も全部が全部異なるのにそのカラーリングだけはよく似た2つの影。それは黒猫と黒尽くめのメイドの少女の姿。しかし、先ほどの会話はしゃべっている方が猫で、黙っているのはメイドの方である。あべこべの1人と1匹。

「お前も悪魔ならもうちょいと貪欲になぁ……」
「……まだ着かないのですか?」

 悪魔猫のメッシュと、悪魔メイドの幎(とばり)であった。

 2人は(人間ではないが、人の言葉を喋っているので便宜上「人」で数えても問題ないだろう)、紋章の描かれた扉を抜けて王城の地下区画にたどり着いていた。紋章の描かれた面の反対側は一見すると金属の一枚壁であるかのようにカモフラージュされ、隠し扉になっていた。今はその先に続いていた通路をメッシュを先頭にてくてくと歩き続けている。

「この城の地下は、元はと言えば海辺の洞窟まで続く隠し通路が有ったんだ」
「……」
「だけど、持ち主の趣味に合わせて大改造してな。大幅に区画拡張して秘密の研究所にしちまった」
「……持ち主?」
「当然、この城の主、魔法王さ。拡張に続く拡張で、今じゃ王城で働く人間よりもこっちの王立魔動研究所の職員の方がずっと多いくらいだ。ま、趣味の産物だな」

 何度かの曲がり道、交差路、階段を淀みなく「こっちだ」と先導する黒猫。なるほど、すでに30分は進んでいるが一向に目的地に着く気配がない。黒猫の説明通り相当な広さがあるのだろう。

「まあ、魔動研究所って言っても本当に魔動機関を研究してるのはセクション1だけで、その他は別分野に手を広げているんだが……と、待て!」

 T字路に差し掛かった時メッシュが鋭い声で制したので、幎も足を止めた。素早く通路の角が作る影に身を寄せ、気配を殺す。曲がった向こうの通路から、何か車輪の付いた物を転がす音と、それに着いて歩く1人分の足音が聞こえてきた。メッシュは耳をキョトキョトと動かして様子を探っている。

「……」
「わかってる。4輪の………カートかな、荷物が乗っている。それを押してる人間……歩調に合わせて衣擦れがする。スカートを履いてるな。ふむ、体重が軽い、女の可能性が高いか」
「……」
「下がるぞ。大きなカートを押してるなら細い道には来ないはずだ」

 2人は素早く1つ手前の曲がり角まで戻り、角に潜んだ。その直後、ゴロゴロとカートを押した人影がT字路を通り過ぎる。
 色黒の肌に薄青いショートの髪。その上にはメイドカチューシャ。そして黒猫の予想通り、長いスカートのエプロンドレスを身に付けている。そのメイド姿の女は、何か洗濯物を詰めたカートを押していた。まっすぐにわき目も振らず歩いているため、幎たちには気が付かない。

「……ホムンクルスだ」
「……ほむ……?」
「魔法王の従者は、ほとんどが自分で造った人造の魔法生物なんだよ。その方が気楽なんだろうさ」

 黒猫は「何しろ、本人が不老不死の化けモンだからな」と皮肉げに髭を揺らす。そして、はっと何かに気が付いたように猫目をまん丸にした。

「いい事を思いついたぞ! ここで待ってろ!」

 そしてダッと駆け出す。
 メッシュは素早くメイドの通り過ぎた角まで躍り出ると、にゃあと一声鳴いた。それに気が付き、先ほどのホムンクルスメイドが振り返る。素早く、黒猫は何か呪文のような言葉を口にした。

「ルクト・イオ・ランセン・エスト・グル!」
「……」

 その言葉を言い終わるかどうかのところで、急にメイドの視線がとろりととろけた。視点が定まらなくなり、ぼぅっと焦点の合わない目で立ち尽くす。

「……名前は?」
「メルフィです。マスター」
「よし。その荷物を持ってついてこい」
「はい、マスター」

 メルフィと名乗ったホムンクルスは黒猫に言われるまま、大人しくカートの反対側を押して引き返す。メッシュは角まで戻ってきたところで幎を呼び寄せた。

「……何をしたのですか」
「安全装置、てやつだ。いざという時の備えがこんな風に使えるとはな」

 黒猫はメルフィのスカートを駆け上がり、カートの縁にすとんと着地した。

「ちょうどいい。この洗濯もんは半分くらい捨ててこの中に隠れるぞ。ここから先は人通りも増えるからな」
「……」
「大丈夫だ。ホムンクルスは見た目に反して力は強い。人一人くらい軽々と運ぶさ」

 メッシュはそう言って前足でカートの中身をかき回し始めた。

「側面がふさがってるカートで良かったぜ。これなら楽に隠れられそうだ……」

 突然、黒猫の動きが止まる。そして顔を上げ、幎の方に目をやると上から下までじろじろと見回しだした。「?」と小首を傾げるメイド悪魔。

「そういやぁ、お前。ちょっとその格好じゃアレには乗れんな……」
「……?」
「その服じゃ引っかかるし、安全ロックもかからんし……」

 ブツブツ呟きながらしゃむに洗濯物をひっかき回す黒猫。やがて「やった! 有ったぞ!」とパッケージに入った何かを引っ張り出した。

「未使用品が有るなんてツイてるな。遠慮なく使え」
「……?」
「着替えるんだよ、お前が」

 口にくわえたそれを黒猫が放り投げる。ばさりと幎の手の中に収まったそれは、表面に「操竜手戦闘服(近衛)・特殊・女・M・A」とシールが貼ってあった。

 数分後、黒地に赤のタイツのような例の体の線が出る戦闘服に着替えた幎は、まじまじと自分の両手を掲げて見つめていた。「俺の目分量に狂いは無かったな」と何故かムフーッと得意げな黒猫。

「さあ行くぞ。急いてアシを確保しないと、小僧を捜すことすらできなくなる」

 その言葉に幎は目線を上げ、こくりと頷いた。

 王立魔動研究所・セクション1。
 階数で言うなら王城の地下47階に存在する、王国最高峰の魔動機の研究機関である。魔動機とはそのまま「魔力で動く機械」の略であり、千年魔法王国文明の基幹技術となっている。軍の対竜戦闘の切り札とも言える翔竜機も、その始祖はここで開発された。魔法王国において最先端の技術研究を行う場所であり、近衛軍もこの部署で開発した翔竜機を多く採用している。

 ここで、王立魔動研究所と王の側近部隊である近衛軍との関係について説明しておこう。

 王立魔動研究所の前身は第1次人魔大戦開始以前に設立された「王『国』魔動研究所」である。最初は、学問としての魔術と比べて技師や実験設備など人材と資金のかかる魔動機関の総合研究を王国主導で行う事を目的として設立された。
 しかし、間もなく大戦が始まるとそれらの技術は軍用兵器の開発に転用され、王国魔動研究所は各メーカーと連携して魔動戦闘機を開発することを主目的とするように変化していった。やがてそれは、軍の作戦立案や兵器の戦術用法にまで発言を行う政治的影響力を持った軍産複合体の中心へと発達していく。

 転機となったのは、第3次大戦勃発後の軍の大敗である。大幅な陸海の軍の縮小と空軍の壊滅により、王国魔動研究所の影響力は軍部を飲み込むほどに強まった。その結果、研究所は王都と研究所のある王城防衛のために軍から独立した直轄部隊を編成する。これが王国魔動研究所・魔動実験隊の設立である。軍が体勢を整えるまでの間、王都はこの魔動戦闘機専門部隊によって守られることになったのだ。

 そして、この魔動実験隊によって第3次大戦の戦いにも大きな転機が訪れる。魔動研究所の開発した「竜偽装魔動戦闘機」を用いて実験隊が主導で行った作戦で、初めての「竜殺し」に成功したのである。

 王国魔動研究所はこの成功を受け、今こそ反撃の時と各軍事メーカーに通達を出し、軍に配備する魔動戦闘機の量産計画をスタートさせた。だが、ここで思わぬメーカー側からの反撃を受ける。各メーカーは研究所の定めた生産計画での製造ライン参加に賛同せず、独自開発の魔動戦闘機を軍と契約する権利を求めたのである。その裏では、激しい情報戦の結果竜偽装の極秘技術情報がメーカー側に漏洩していたという事情もある。巨大になりすぎた魔動研究所は内外に多数の敵を作っていたのである。王国政府は研究所の方針で細いラインで軍備増強を行うか、メーカーの自由参加を認めて大々的な魔導戦闘機開発生産を行わせるかの二者択一を迫られた。

 最終的に、政府は兵器生産ラインの増強を優先して大鉈を振るうことになった。魔動研究所を「王『立』魔動研究所」と改めて研究開発専門の機関として予算を制限し、政治、軍事と分離した。また、軍が使用する魔動戦闘機の発注先はライセンス製とし、審査を通りライセンスを得たメーカーならば自由に魔動戦闘機を開発できることとなった。

 最後に、魔動実験隊であるが、これも研究所から切り離し、壊滅した空軍と合同して再編成されることとなった。そしてその翌年、紆余曲折の末に王直近の王都防衛部隊「近衛軍」が誕生したのである。

 この誕生経緯から近衛軍を、学者肌の強い練度の低い若い部隊と考えるのは早計である。彼らは2次大戦まで主役であった空軍の伝統を色濃く受け継いでいるし、規模に比して豊富な予算のおかげで教育、訓練費用が他の軍より遙かに多い。兵一人で換算すると海軍が陸軍の1.12倍であるが、しかし近衛軍は約7倍なのだ。肝心なのは費用対効果で訓練予算がそのまま練度を表す訳ではないが、予算不足で満足に訓練もできない軍は烏合の衆でしかない。

 また、近衛というネーミングから王都専守のイメージがあるが、実際には豊富な航空機動力を用いて遠征や他軍の支援を行う機会も多い。まだ空軍を軍隊と言える規模で独立させられるほど人類は空を取り返しておらず、結果、局地的な空の戦場は近衛軍の独壇場なのだ。そして、彼らには人類敗北の直前で王都防衛のため不退転の覚悟で戦った自負も有る。
 以下に、近衛軍の入隊式の宣誓文の一部を引用する。

「我らは王の剣、我らは王の盾、そして我らは王の民の心臓」

 これは、彼ら近衛軍が王の為の兵士でありながら、その名に反し民のために命を捧げる覚悟を持つ者達であることを高らかに宣言しているのである。

 さて、王立魔動研究所・セクション1が主に戦場で使用される魔動戦闘機をメインに開発している事は説明した。その他には例えば気圏外航行機開発のセクション4、生体兵器開発のセクション9など全部で13のセクションが存在するのだが、その説明はまたの機会とする。
 セクション1は魔動戦闘機の一種として翔竜機開発も手掛けているが、その中でも特に予算をかけて進行しているプロジェクトがあった。それが次世代翔竜機開発計画であり、その開発のために区画を1つ丸ごと専用としているほどであった。

 そして今、その専用区画のスライドハッチを抜けて、洗濯物を満載したカートを押した1人のホムンクルスメイドが歩いていた。
 白い研究服を着た職員とすれ違う度に律儀にお辞儀をしながら通路を歩いていくメイド。雑務はホムンクルスにやらせるのが日常的な光景であったので、洗濯物を運んでいるのに何の疑念も抱かれない。せいぜい、「見かけないホムンクルスだな、交換されたばかりなのか」と、勝手に納得される程度のものである。
 そのまま、そのメイドは区画の一番奥の自動昇降機にカートを押して乗り込み、最下層へのボタンを押した。透過表示板に権限の無い者に対する警告が表示されるが、それは洗濯物の奥から聞こえてきた呪文の様な言葉で沈黙した。静かに扉が閉まり、下へ向かって昇降機が動き始める。

 途中で停まることもなく、最下層に到着。かーっと開いた扉の向こうにメイドがカートを押し出す。その時、「待て!」と横合いから声がかけられた。男性職員が1人、早足で歩いてくる。

「待て待て待て、誰の命令だ?」
「……?」
「権限レベルは……3か。セキュリティはどうしたんだ……」

 不思議そうにその職員を見つめるメイド。その男はカートを昇降機内に押し戻そうとした。

「権限が無い者は立ち入り禁止だ。命令した者にそう言って……うおぉっ!?」

 その瞬間、洗濯物が内側から弾けた。厚手の衣服が男性職員の顔面を覆い、反射的に手で避けようとする。ガシャンと転げたカートがもろに足の脛にぶつかり、「いだっ!」と片足が浮いた。その足下を何者かが払い、よろけて壁に鼻を打ち付ける。「ふがっ」っとくぐもった悲鳴が上がった。

「そいつを押さえておけ!」
「はい。マスター」

 カートから転がり出た黒猫の命令を受け、意外な素早さでメイドのメルフィは動いた。男の手を後ろ手に絞り上げ、壁に押しつける。布越しに情けない叫びが漏れた。

「いだだだだだだっ!! 折れるぅうっ!」
「あ、怪我はなるべくさせるなよ」
「了解しました。マスター」
「急ぐぞ!」

 メルフィと不運な職員を置き去りに黒猫のメッシュが走り始める。同じ様にカートから転がり出ていた幎も、素早く手をついて起きあがってそれを追った。騒ぎを聞きつけたのか、通路のあちこちで人の声がし始める。

「この先だ! 俺を持ち上げてくれ!」
「……わかりました」

 走りながら幎は両手でメッシュを抱え上げる。通路の先に見えた大きな扉に対してその黒猫を通行証か何かのように掲げた。その首輪にぶら下がっている金色のプレートが発光し、直後にシュインと扉が左右に開く。そのまま開いた空間に駆け込む。

 そこは広大な空間であった。奥行きは50m、幅もその半分くらいはあろうか。何階層かぶち抜きで作られたのか高さも30mくらいはあり、幎達が飛び込んだのはその空間の中程の高さに作られた金属製の渡し桟橋のようなところだった。周囲には同じ高さの手すり付きキャットウォークがぐるりと取り囲み、右手の奥にはガラス張りの部屋が壁に張り付いている。
 そしてその桟橋の行き着く先に、巨人がいた。金属の肘掛け椅子のような物に座らされ、手足をその椅子に部品で拘束されている。鎧武者のように全身を真っ黒な装甲に覆われ、金色のラインがそれを縁取っている。頭の部分には王冠のような複雑な形状の黄金の飾りと、その後ろに垂れた獅子のような鬣。背中には折り畳まれた翼のような物を背負い、顔は乱杙歯のような受け口の仮面が覆っていた。

「あれ……は?」

 さすがの幎も驚いたようだ。走る速度が一瞬緩む。巨人の装甲は光沢のあるピアノブラックに塗装され、そこを縁取る黄金のラインも見事なまでに輝きを放っている。これほどの大きさでなければ、まるで工芸品の様だった。

「休むな!」

 メッシュが幎の手を蹴って桟橋の手すりの上に飛び乗った。そのままものすごい勢いで加速し、突然の乱入者に驚いて振り向いた研究者の1人の顔に跳びかかる。幎の右手から何処からともなく黒い鎖があふれ、研究者の足を取ってすっ転ばした。すたっとメッシュが桟橋に飛び降りる。

「コイツが目的の代物だ!」

 黒猫はその巨人の顔を見上げ、呼びかける。

「ヴァナリィ! 俺だ! 解るか!?」

 巨人の赤い瞳が反応して瞬いた。桟橋の終点、巨人の胸の装甲ハッチが音もなく開き、さらにその中の透明シールドが上にスライドして開放される。そこには人1人分の座席と、その奥上方に小さなミニチュアのような座席が見えた。

「乗り込むぞ!」

 幎がハッチの縁に足をかけた瞬間、先ほどの扉を抜けてどっと人が押し寄せてきた。2人はその黒い巨人の胸のハッチから中に飛び込む。その後ろで勝手にシールドが降りて入り口を閉鎖した。座席の上に踏ん張った黒猫が即座に上を向いて何者かに叫ぶ。

「あいつ等を止めろ!」

 巨人が反応した。頭部が動き、桟橋の上の小人達を赤い瞳で睨みつけるとその直後に乱杙歯のような面当てがグバッと割れる。

≪≪ウォオオオオオオオオオオオオン!!≫≫

 巨人の咆哮。物理的圧力すら持ったその声に、ガチン、と職員と兵士達の動きが止まる。そのまま電池が切れたロボットのようにばたばたとその場に倒れ伏した。

「竜偽装の1つ、竜哮(ドラゴンシャウト)だ。並の人間じゃ意識を保つことすらままならん」

 メッシュは透明シールド越しに人が折り重なった桟橋の上をキョロキョロと眺め、「いいぞ!」と叫んだ。

「ヴァナリィ、俺の声を今から指定したヤツに指向して届けるんだ」

 メッシュは追いかけてきた一団からホムンクルスを選び出すと秘密の言葉で次々と指示を出した。数人が倒れた人間達を抱えて扉の外に運び、残り1人が先ほどのガラス張りの部屋へと駆けて行く。
 そこまでやって、ようやくメッシュは幎の方へと向き直った。

「何してる? 早く座れよ。注水が終わったら出るからな」
「……これは何ですか?」

 尋ねながら言われた通り座席に座ると、この特殊な服装の機能なのか椅子と身体がカチンとロックして動けなくなった。自然と幎は肘掛け部分から伸びているレバーを握る。すると、後方から何か大きな円盤状の物が回転するしゅるるるるる……という音が響き始めた。勝手に上部のランプがいくつか切り替わり、緑の輝きを放ち始める。

「こいつは魔動研究所で作った魔法王専用の翔竜機さ」
「……しょうりゅうき?」
「飛翔翼付人型竜偽装魔動戦闘機。この閉ざされた空の時代、人類が空を飛ぶ事のできる唯一の翼だ」

 正面の胸部装甲ハッチが閉まり始める。巨人の胸元まで伸びていた桟橋は壁際に折り畳まれ、手足の拘束部品もバシッと外側に開いて解放される。
 ガクンと操縦席に走る振動と共に、閉まりかけの光景はゆっくりと下に流れ始めた。今、黒い巨人は幎とメッシュを乗せて専用の固定台座から立ち上がろうとしていた。扉が閉じて一瞬の暗転の後、装甲ハッチの裏面が光り、外の光景が投影され始める。

「よし、人間達は全員外に出したな。注水を開始しろ!」

 メッシュが映し出された映像を確認し、外に向けて命じた。ガラス張りの部屋に入ったホムンクルスがコクリと頷き、手元の何かを動かす素振りをする。すると、ドッと壁際から水が流れ込み始めた。巨人の足下に打ち寄せた水はザプンと砕けて宙に飛び散る。
 水位はどんどんと上がり、腰、そして数分で巨人の胸まで達する。メッシュが外に向けて叫んだ。

「もういいぞ! 格納庫耐圧ハッチ開け!」

 ごごご……と巨人の目の前の金属壁が上昇し始めた。その隙間から流れ込んできたのか首まで来ていた水位の上昇速度が一気に速まり、あっという間に区画全部が水没する。黒猫は幎の席を蹴って小さな後部座席に飛び乗ると、目の前のヘッドレストに足を乗せて身体を乗り出した。

「『オールドゥージュ・ヴァナージ』発進っ!!」

 黒猫の言葉に応え、黒き翔竜機はズシャッと魔動研究所の格納庫から一歩を踏み出した。

 
 魔法王国の王都の西に広がる海岸。そこは白い砂浜の広がる絶好の海水浴場である。こんな戦争の最中であっても、いやそれだからこそ辛い現実から一時解放されようとするのか、若い男女達が水遊びに興じている。太陽はほぼ直上にあり、一年でもっとも日差しの強い時間帯だ。彼らは砂浜からの光の反射に目を細めながら休暇を楽しんでいた。

 右手に王都の町並みを見て、それを北に辿っていけば海に突き出た絶壁があり、その先端部に魔法王の居城がそびえている。建立されて恐ろしく時間が経っている筈だが、その外観にくすみの一つも見あたらない。それはその城の主を象徴するかのようである。

 若者達の1人が、海の異変に気が付いたのはその王城を何と無しに眺めていたからであった。王城のある崖から沖合に出た海中に、何か光る物が在る。
 最初は海面の反射かと思ったが、すぐにその考えを打ち消した。この季節、垂直に降り注ぐ太陽の光の反射が、斜めにこんな遠方まで届くはずがないのだ。
 周囲の者達も気が付きだした。指差し、海中の謎の発行物体に興味を引かれて「何だ何だ」と騒ぎ出す。最初から見ていた若者は、その光が徐々に沖合に動きながら次第に大きくなっていることに気が付いた。

「何か……」
「出てくるぞ……!?」

 ドーン、と爆発したかのような水柱が立ち、その中から巨大な人影が現れた。黒く、陽光を強く反射する磨かれた装甲。体中に引かれた「王」を意味する黄金色のライン。そしてその背後の飛翔翼は陽光よりも眩しい金色のエーテル干渉光を発している。魔法王専用翔竜機、オールドゥージュ・ヴァナージである。

 オールドゥージュは驚きに腰砕けになった若者達の事など露知らず、海中から飛び出した勢いそのままにやや螺旋を描きながら上空へと駆け上る。その後を飛び散った金箔のような残光が追いかけていく。

「おい、高度に気を付けろ!」

 その胸郭の中でメッシュが叫んだ。即座に反応し、黒い巨人は水平飛行に移行した。

「いくらヴァナリィでも皇竜のブレス相手じゃ何秒も持たん。警告高度より上には出るなよ」
「……?」
「お前は何もしなくていい。ヴァナリィが自分で判断して動いてくれる」

 天井付近のランプの1つが「自動操縦モード」を意味する表示を行っている。幎は格好だけレバーを握ったまま、黙って頷いた。

 左手に見えていた白い砂浜の海岸が後ろに流れていき、見る見る小さくなった。右手遠方の水平線はどこまでも直線で、この世界の平坦さを想像させる。ふわりと上昇する気配を感じて視線を正面に向けると、今まさに草花の覆い茂った岬を飛び越すところだった。思わず身を乗り出そうとして、座席のロックに引き戻される幎。

「なんだ、そんなに目を丸くして」
「……飛んでる」
「今更? 何度も見せただろ、こんな……」

 メッシュは鼻をひくつかせて言い掛けたが、何かに気が付いたように言葉を止めた。幎は黒猫の不自然な言動に気付かず、じっと投影される光景に視線を奪われている。

「あー……おい、左の横のレバーだ」
「……?」
「前に倒せ。それでロックが外れる」
「……はい」

 メッシュに言われた通りに操作すると、幎の身体の固定が外れた。身を乗り出し、透明の区画シールドに手を付いて外の光景を見つめる。

 黄色い花畑の上を、黒い巨人が黄金の光を残しながら飛んでいく。風に花を揺らし、波模様を付けながら花弁と金色の残滓を吹き上げ、後に黄金色の花吹雪を巻き起こしていく。
 花畑の先には緑の茂った丘。接近する巨大な影に驚いて跳ねるように逃げていくのはシカの親子だろうか? それともこの世界の草食動物? 茶色い毛皮は確認できたが、その細部を確認する前に林の中に隠れてしまった。あの親子はオールドゥージュが通り過ぎた後に降ってくる金のカケラを不思議そうに見上げるのだろうか。
 草原がすごいスピードで流れていき、あっと思った時には大地が途切れ、また海に出ていた。太陽の反射に目を細める。まぶしさに海面の影に目を逸らすと、それは翼を広げた幎たちの乗った黒い巨人の作る影だった。幎はもう一度呟いた。

「……飛んでる」
「すごいだろ? 翔竜機の翼が作る飛翔空間はその内部の者まで一緒に飛行システムに組み込むんだ。機体がうつ伏せに飛んでるのに身体が前に落ちていかないだろ? お前も一緒に飛んでるからさ」
「……」
「外の世界だって、こんな完全な飛行体験をさせてくれる機械はまだ作れてないぜ。魔法さまさまだな」

 黒猫は何故か得意げにそう語り、ふんと鼻を鳴らした。座席に戻った幎はまだ物珍しそうに周囲の光景を見回している。

 ピン、と警告音と共に右側面に小さな窓が開いた。内部に白バックにオレンジで何か文字が書かれている。黒猫が身を乗り出し、それを読む。

「……通信? 俺たち宛に呼びかけてきてるのか? いいぞ、出して見ろ」

 メッシュが許可すると、ザザッと一瞬のノイズの後に操縦席内に男性の声が響く。

『所属不明機に告ぐ、応答せよ。こちらは王国近衛軍、第401空隊である。貴機の飛行計画は申請されていない。所属を述べ、以降の航路は我々の指示に従ってもらう。応答せよ。繰り返す……』
「くそっ! 運が無いな、パトロール中の近衛がいたのか!」

 メッシュが悪態をつきながきょろきょろと辺りを見回す。すると、ぴぴっと音がして天井付近に三角の赤いマーキングが表示された。2人して見上げると、太陽の中に2つ、黒い点が見える。

「拡大できるか?」

 メッシュの言葉に、点の部分が別の窓に切り取られて一気にズームされる。人間の上半身に太すぎる長い棒のような凹凸のない両足が組み合わされた奇妙なシルエット。すかさずオールドゥージュの優秀なオートマトンが解析結果をその上に重ねる。

「魔動研究所製、ディ・アークか。陸戦を無視して下半身を円筒形大型噴射機構に置き換えた空戦特化の奴だ。セオリー通りとは言え危険高度ギリギリで太陽の中に隠れるとは、なかなかの操竜手みたいだな」

 黒猫はひとしきり相手の機体と度胸を誉めた後、ニヤリと笑いを浮かべる。

「だが、相手が悪かったな。いかに空戦特化とは言え所詮は翔竜機。飛竜形態になれるヴァナリィに追いつけるもんか。おい、変形だ!」

 得意げに髭を揺らして叫ぶメッシュ。だが、返ってきたのはビーと言うエラー音と赤い文字の書かれた新しい窓表示だった。

「プログラムモジュールが見つからない、だとぉ!? ばっ! なにやってんだあいつ等は!? どーして使えるようにしとかないんだよぉおおお!!」

 がーっと喚き散らす黒猫。キョトンとした表情で赤い表示を見つめる幎。その間にも上方の近衛軍からの呼びかけは続いている。

 これはメッシュも知らないことであるが、オールドゥージュの変形中は一時的に自動操縦が働かなくなり手動操縦に切り替わるため、操縦モジュールとしてオールドゥージュのコアプログラムとリンクする「専用のホムンクルス操竜手」が、現段階では必要であった。現在その改良は同型1番機であるオールドゥージュ・トバージを試験機として作業中であり、データが揃ったところで完全に自動化された変形プログラムモジュールとして搭載する予定となっていた。

「くっそ、使えねぇ! もういい、このままフルパワーで振り切れ!」

 黒猫の苛立ち紛れの罵倒にも素直に応えるオールドゥージュ。緩衝しきれなかった慣性で幎のからだが座席にぐっと押さえつけられ、圧倒的な速度で風景が流れ始める。
 だが、幎とメッシュが見つめる太陽の中のマーカーは、しばらく待っても後方に置いていかれない。

「さすがにこの形態じゃ、向こうに分があるか。こりゃ、一戦やらかさないと行かせてくれそうもないな……勘弁しろよ、こっちは丸腰なんだぜ」

 黒猫が器用に幎の座席横に設置されたコンソールを叩いて機体ステータスを呼び出す。そこは全ての武装が「非搭載」「弾数0」の赤に染まっていた。
 再び、警告音が鳴り響く。見上げると、太陽の中の一機が急降下してオールドゥージュの前方に滑り込もうとしていた。

「頭を押さえる気か? しゃらくさい!」

 オールドゥージュが自己判断して左右に機体を振る。しかし、近衛軍のディ・アークはまるで未来が見えているかのように機体ずらしてオールドゥージュの鼻先が向く方向から離れない。そうこうする内にするすると近付かれて進行方向を塞がれてしまった。すると、上空に残っていた一機も高度を落としてオールドゥージュの上方やや後ろにピタリと付ける。完璧な操縦であった。

『警告する! これ以上指示に従わない場合は発砲する。まずは速力を落とし、誘導に従え。所属部隊、及び任務がある場合はそれを述べよ。繰り返す。指示に従わない場合は発砲する!』

 ビビーッと先ほどより緊迫感が増したアラームと共に、機体が敵機に照準を向けられたことを知らせる警告が表示された。どうやら近衛軍の警告は本気らしい。
 危険を察知したオールドゥージュは自律防御プログラムを作動させた。上体を捻って上空を睨みつけると、噛み合った牙の様な面当てが上下に割れる。

≪≪ガォオン!!≫≫

 短く咆哮した瞬間、上空のディ・アークの装甲表面に赤い閃光が走り、バジッと鋭い破裂音が響く。「服従」の意味を込めた純粋にパワー任せの圧縮魔法である。生身の人間ならば即座にその存在に魂を鷲掴みにされるほどの高出力だが、目標の翔竜機は僅かにバランスを崩して進路がぶれた以外、特に影響なくそのまま元の位置関係に復帰した。

「無駄だよ。竜と戦うための翔竜機だ、竜哮は対策されてる」

 黒猫が呟くと、オールドゥージュは「グゥルル……」と低いうなり声を上げながら口を閉じた。そして、操縦席のある胸部に手を当てながらくるりとうつ伏せの飛行体勢に戻る。

 ドン、ドン!
 ディ・アークが発砲した。続けざまに2発、オールドゥージュの進行方向の海面に着弾し、盛大な水柱を上げる。その飛沫の中にまともに突っ込み、ガクンとスピードが落ちた。メッシュが訝しげに上を見上げる。

「威嚇か? 妙だな、さっきので交戦命令が出てもおかしくないが……?」

 そして前方に向き直ってそちらのディ・アークの動きも確認した。相変わらず、鼻先を押さえながら腕と発光信号を使ってこちらに方向転換の指示を行っている。

「……なるほど、どうやら近衛はヴァナリィが誰の物か調べたようだな。無傷で取り戻したいってわけか」

 黒猫は髭を揺らしてニヤリと笑った。

「なら、やりようはある」

「コマンダー、こちらイーグル1。交戦(エンゲージ)許可を願う」
『イーグル1、コマンダーです。許可できない、所属不明機を指定座標へ誘導せよ。繰り返す、交戦は許可できない。所属不明機を指定座標へと誘導せよ』
「……イーグル1、了解した」

 ち、と送話が切れたところで舌打ちした。まったくマニュアルに無い対応だ。MMA(魔法類攻撃)がこちらに行われた時点で目標は敵味方不明目標から敵性目標に変更されるはずなのに、上層部がそれに待ったをかけている。普通に考えればこれは、危険を看過したとして職務違反に問われかねない行為だ。

 そもそも、初動からおかしかった、とイーグル1ことディ・アーク4012号機操竜手アルフレット=マイセン中尉は考える。パトロール中に飛行計画に乗っていない黒い所属不明機を発見したマイセン中尉達は、セオリー通りに最大遠距離にて情報収集を開始。ところが、最初の望遠映像を転送した途端に途中の手順をすっ飛ばして、誘導の実施指示が来たのだ。耳を疑って2度聞き直した。

 恐らく、近衛司令部はあのデータベースに載っていない「黒い翔竜機」の正体を知っている。知っていながら、何か不都合な事態が有って、その正体が明らかになる前に対処しようとしているのだ。無茶なしわ寄せ命令を受ける現場の身になってくれと叫びたい。あっちが本格的な攻撃行動に出たらどうしろと言うのだ?

 そんなマイセン中尉の憤りを見抜いたのか、丁度コマンダー側から新しい情報が来た。

『イーグル1、こちらコマンダーです。現在得られた情報から所属不明機のデータベースを暫定的に更新しました。確認して下さい』
「イーグル1、了解、受信確認……ちょっと待て、奴に武装が無いってこれは確かな情報なのか?」
『イーグル1、コマンダー。確かです。こちらで入手した情報では、該当機にシャウト発生器以外の武装は搭載されていません』
「……了解した」
『それと、所属不明機の呼称を変更します。以後、目標を<ライオン>と呼称します』
「イーグル1、了解」

 ふん、ライオン、ね。マイセン中尉は心の中で鼻を鳴らす。どうやら、上の方で取引が有ったみたいじゃないか。呼称が決定されたのも、扱いに関して方針が決定した事の証だ。だが、絶滅した幻の獣の名を与えるとは、随分と価値のある機体と見える。どこかの有力貴族の専用機か? 金色を使うとは不敬な輩だ。

 件の<ライオン>は漸く指示に従う決心をしたようだった。速力を落とし、鼻先に付けていたイーグル2の後に続いて一定の角度で左旋回を開始する。やれやれ、後は後続と合流すれば一安心だ、と息を吐いた。
 もちろん、照準は合わせたままだし、視線は動かさない。だが、雰囲気でその緩みを察知されたか。

 <ライオン>は旋回の為に傾けた機体を、そのまま流れるようにくるりと180度回転、仰向けになったところで再度竜哮により攻撃してきたのだった。一瞬、イーグル1の視界が赤く眩む。

「なんだとっ!?」

 あっと言う間だった。黒い翔竜機はイーグル1が威嚇射撃を行う暇すら作らせず、次の瞬間には水面へ身を踊らせて海中へ姿を消していた。立ち上がった水飛沫の周囲を慌てて旋回するイーグル1、2の2機。

「減速したのはこのためかっ!?」

 マイセン中尉は驚きに報告すら忘れて歯噛みした。

「はっはっは! 空一辺倒の近衛軍じゃ海の中まで追いかけてこれまい! こちとら水陸空宙オールラウンダーの第6世代機だ!」

 黒猫は水面を見上げながらご機嫌に尻尾を振り回した。
 オールドゥージュは現在、飛翔翼を畳み、重さで沈むに任せて沈降を続けている。幎もゆらゆら揺れる水面を見上げていると、そこに何度か波紋が出来て何か細長い物が水中に落ちてくるのが見えた。「おっと、探査術針か」とメッシュが鼻を鳴らす。

「ヴァナリィ、このまま海底まで潜れ。探査術針の探知範囲はせいぜい200m。底までいったら歩いて脱出だ」

 「深い方まで沖に出てて助かったぜ」と海底までの距離を測るメッシュ。

「ふん、300mちょいか、楽勝だな。2時間も待てば燃料切れで引き返すだろうし、このまま飛翔翼を使わない静穏モードで行くぞ」
「……」
「聞いてんの?」

 黒猫の得意げな喋りに取り合わず、海面を見上げている幎。光の反射か、眼帯で塞がれていない右目が静かに赤い光を放っているようにも見える。唐突に、ぽつりと呟いた。

「……郁太さまが呼んでいます」
「何? 位置がわかったのか?」
「はい。あっちの方向です」

 すい、と左手の方向を指さした。そちらには海水と、丁度泳ぎがかった魚群が見えるだけだ。

「海中……ってわけじゃないよな。だいぶ遠いのか?」

 メッシュの問いにこくりと頷く。むぅ、と黒猫は尻尾を振った。

「今は待つしかないぜ? 流石に飛翔翼の発現パターンは記録されちまっただろうし、上の2機に捕まらないまでも行く先々で待ちかまえられたらそれだけで時間を食っちまう」
「……はい」
「それより、方位がわかったなら大体の位置を調べられるかもな。ヴァナリィ、地図を出せるか?」

 ピン、とマップデータの表れた窓に顔を寄せるメッシュ。幎の指さした方向に線を引き、その先へと表示をスクロールさせていく。

「う~ん、どの辺かなぁ。大陸中央は殆ど竜の巣窟になっちまってるはずだし……」
「……郁太さまが呼んでます」
「わかってるって……この先に行くと極東だしなぁ……」
「……すぐに、行かないと」
「だから、それは……」

 不意に、ガクンと機体の沈降が止まった。「ん、まだ底まで潜ってねーぞ」とメッシュが深度をのぞき込む。その後ろで、シュルルルル……と増幅陣(アンプホイール)が回転する音がし始める。

「おい、どうしたヴァナリィ! 今動き出したら引っかかっちまうだろ!」

 黒き巨人は答えない。操縦室内のステータスランプが次々と白から赤へと切り替わっていく。ヴゥウウウ……ンと因子炉の稼働する低い唸り声が響き始めた。あっと黒猫は自分の椅子から幎の側へと駆け下りる。

「お前、何をした!?」
「……」
「その腕は……!?」

 黒猫が覗き込むと、幎の戦闘服の袖口を貫通し、細く黒い鎖が操縦席のレバーの隙間から内部に何本も潜り込んでいる。足首も同様、機器の間を縦横に走る鎖が、幎のふくらはぎの辺りまで這い回っていた。

「お前……システムに介入したのか……?」
「……」
「なんでそこまでする!?」
「……それが、私の役目ですから」

 静かに答える少女の目が赤く光を放つ。
 海中の闇の中、混沌の名を与えられた巨人の瞳もまた、赤い宝玉の様にギラリと光った。

 魔法王国の技術を支える「魔法」とは、何か。それを理解するに辺り、我々はまずこの世界の在り様を正しくイメージする必要がある。
 良く使われる例えの1つに、世界を海に浮かぶ氷山の様なものとイメージするものがある。多様な可能性の海に浮かぶ、凝固した存在によって造られた形を持つものの集まり……それが「世界」である。この場合、魔法はその海から可能性を掬ってきて固め、新しい存在を造り上げる技術ということになる。

 人間で初めて魔法を使ったのは魔法王である。およそ1000年前、そのころは只の人間で探索者だった王は、世界の果てで「原初の悪魔」と出会った。「悪魔」は人間の欲望や願望、すなわち想像力より発生する欲求を糧に可能性の海を行き来する力を持った特別な種族である。だが、1000年前の時点で悪魔たちとまともに意思を疎通した人間はおらず、魔法王が人類史上初めて、意味を持った交渉をすることに成功した。そして、魔法王は原初の悪魔が欲しがった、「ある言葉」と引き替えに、悪魔の持つ可能性の海から魔力を汲み上げ、世界に干渉する技術を手に入れたのだった。

 そして、その時初めて、「悪魔」の使う「技法」を、王は『魔法』と名付けたのである。これが魔法王の最初の物語であり、千年魔法王国の始まりである。
 魔法の祖は魔法王であり、その技術を磨いたのは魔術師たちである。だが、その神髄と性質は、「悪魔」本来の在り方に深く根付いたものなのだ。

 オールドゥージュが動き出したことは上空の近衛軍機にも察知されていた。だが、探査術針の送信する情報に若干の混乱を来す。

『? イーグル1、こちらコマンダー。再度報告してください。探知したのは<ライオン>ではないのですか?』
「イーグル1だ! ああそうさ! 大きさ、竜偽装識別、形状識別全て<ライオン>を示している。だが……」

 マイセン中尉は言葉を切り、赤い警告窓を忌々しげに睨みつけた。

「……飛翔翼発生パターンだけがさっきまでの奴と違う! ガワは<ライオン>のまま、別の<何か>に中身が入れ替わったとしか思えない!」
『イーグル1、報告に個人の推測は必要ありません。計器の故障が原因ではありませんか? チェックを行ってください』
「そんな暇あるか、奴はすぐそこだ! いいか、そこで指示を出しているだけの奴にも伝えてやれ……!」

 そして、彼はその警告表示の内容を大声で教えてやった。

「発生パターンは『デモニア(悪魔)』! 黒い翔竜機が悪魔に変身しやがった……!」

 どぉおおおお、と海が沸き立ちその内から紅色に発光する一対の翼が現れる。水面を割って現れたのは先ほどの黒い巨人の姿、しかしその金細工の様な縁取りと雄々しい鬣は今は赤々と炎の様な色合いに揺らめいている。グバッと面当てが割れ、恐ろしい咆哮が吐き出された。

≪≪ヴゥウウゥウオオオオオオオオン!!≫≫

 その叫びの圧力で海面に円形の波が現れ、そして投入されていた十数本の探査術針が弾き飛ばされて砕けていく。
 バチッとディ・アークの操縦席でも破裂音がして、ガクンと高度が下がった。

(MMA防御が突破された!? 何て馬鹿げた威力だ!!)

 マイセン中尉は即座にパターン飛行モードを解除するとマニュアルで機首を引き上げた。僚機にも指示を出す。

「イーグル2、手動で距離を取れ! 下手に接近するとオートマトンが『焼き切られる』ぞ!」
『イーグル2、了解』

 イーグル2の飛行が安定したのを確認した後、続いて司令部にも連絡を取る。

「コマンダー、イーグル1! <ライオン>はデータに無い飛翔翼パターンを見せている! 一旦待避するぞ!」
『待て、イーグル1。状況を報告してください。観測データが途切れてこちらではモニターできません』
「奴のシャウトで外を覗いていたオートマトンが軒並み目を回してるんだよ! 待避しないなら交戦(エンゲージ)と言ってくれ! 目の前に戦艦クラスのMMA出力の怪物がいるんだぞ!」

 コンソールを叩いてオートマトン群を一括で自閉モードにし、再発現させる。この辺の処置は緊急時の対処訓練で指が覚えている操作だ。

『……イーグル1、待避は許可できません。MMA攻撃の有効範囲外まで後退し、情報収集を継続してください』
「もうやってるよ! データも今送った!」
『イーグル1、こちらコマンダー。データ受信を確認しました。引き続き、こちらからの指示があるまで現在の距離を保ちつつ情報収集を行ってください』
「イーグル1、了解! イーグル2、こちらイーグル1。周回軌道をライオンの前方800、飛翔翼の展開方向1200で設定する。こちらの送る軌道で半周期遅れて着いてこい!」
『イーグル2了解、軌道設定よし』

 馬鹿げた距離だ、と機体を傾け、軌道に乗せながらマイセン中尉は恐々とした。目標が急激に行動を開始したら、2機で対応できる最大距離を大幅にオーバーしている。しかし、この距離を置かなければ、また奴がシャウトを放ったとき機体制御オートマトンがいかれ、それこそ追跡もままならない。
 しかし、やや大型とは言えどうやって翔竜機サイズの魔動戦闘機に一つの都市を丸ごと支えられるほどの発現機を詰め込んだのだ? 特にMMAを行っている様子もないのに、あまりの出力に霊素(エーテル)が発光現象を起こしてやがる……! 中尉は<ライオン>の表面からオーラの様に立ち上る紅色のエーテル光に鳥肌が立つ思いだった。それは、そこらの翔竜機など手でクシャリと縦に潰せそうな程の桁違いのパワーを証明していたからである。

 黒い巨人が(いや、今は黒赤の巨人と言うべきか)、マイセン中尉のイーグル1の方に首を向けた。ドキリと手の平が汗ばむが、それは別段獲物を補足した動きではなく、ただ次の進路を見つめただけの動きであった。巨人は機体を傾け、そこに何の障害も無いと言わんばかりに無造作に東に向けて移動を開始する。

『イーグル1、どうします?』
「……追いかけるしか無いだろ」

 赤いオーロラのような残光を引きながら飛ぶ巨人を遠巻きにしながら追跡を開始する2機のディ・アーク。だが、黒い巨人はゆらりとマイセン中尉の機体を見ると、まるで空中の何かを掴むように右手を差し出した。瞬間的に危険を感じ、警告音より早く機体を回避させる。その瞬間、イーグル1の機体を掠めるように黒い何かが恐ろしい勢いで通り過ぎた。

「鎖状鞭(チェンウィップ)かっ!?」

 全く予備動作が見えなかった。<ライオン>の右袖口から発射された黒い鎖は、命があるかのようにしなってディ・アークを追尾してくる。

「コマンダー、奴は武器を持っているぞ! 交戦許可を願う!」

 機体に錐揉み回転させて鎖を避けながら叫ぶ。<ライオン>はさらに左手からも鎖を放出し、イーグル2も同時に攻撃し始めた。僚機は機体を垂直に立てて急上昇からの急降下でジグザグに追いかけてくる鎖を何とか躱している。

(逃げるので手一杯か!)

 緩衝しきれない強いGに身体を振り回されながら<ライオン>を睨みつけたマイセン中尉は、その光景にぎょっとした。
 黒い巨人は、さらにその赤い翼の中からも無数の鎖を生み出していたのだ。何本、何十本もの鎖がそれぞれ別の生き物のように空中で複雑な軌道を描きながらディ・アーク達の周囲を取り囲む。進路を塞がれ、振り返って脱出しようとするも別の鎖が新たな進路を横切って塞ぐ。ついに2機のディ・アークは鳥籠の鳥の如く閉じこめられてしまった。

『撃ち落とします!』
「……よせ!」

 イーグル2が鎖を撃とうと銃口を上げた瞬間、別の鎖がそれをはたき落とした。ディ・アークの手を離れた魔砲銃を落下の間に数十本の鎖が貫き、バラバラに粉砕してしまう。

「結界か……!」

 マイセン中尉はそう呟き、ふとコマンダーからの応答が無いことに気が付いた。通信経路は途絶し、イーグル1とイーグル2は孤立している。どうやら、この鎖は<ライオン>本体と似たようなエーテル干渉を引き起こすことが出来るらしい。マイセン中尉は感服の唸り声を上げた。

 そして、イーグル1、2が打つ手無く鎖結界から見つめる中、黒い巨人の姿に変化が起こり始める。マイセン中尉はその光景にもう一度、今度は感嘆の意味で唸りを上げた。

「……変形……だと!?」

 第6世代翔竜機に搭載される翔竜機←→飛竜機の変形機構は、単に外見を変えるというだけの機能ではない。もちろん、竜の飛行高度2000mとそれ以上の飛竜高度(5000mまで)でそれぞれ十分に戦える性能を発揮するという点も重要ではある。だが、それは偽装する想定を竜から飛竜に変えると言うことであり、その為には竜の身体が持つ特徴から飛竜の特徴へと竜偽装を変更する必要がある。

 一番分かりやすい変更点は頭部である。飛竜は音の速度よりも高速で空中を飛ぶため、空気を裂くために前に長大な一本角を持つ。また、視界を広く取るためか頭部は前後に細長く、鳥類の様に両目は側面に向いている。
 さらに、竜と飛竜は骨格も異なっている。竜が腕(または前脚)と翼の2つの肩を持つ2重骨格になっているのに対し、飛竜は腕を持たず鉤爪の付いた翼の生えた1つの肩しか持たない。そして、四つ足で徘徊する竜と基本的に直立して着地する以外地上を歩行しない飛竜は、背骨と腰骨の繋がる角度も異なる。

 これほどの差異がある両者を1つの機体でまかなおうとする場合、どうしても機構に無理や無駄が生じてしまう。そのため、今までは翔竜機と飛竜機は別系統の魔動戦闘機として開発されてきた。だが、高々度戦闘、将来的には気圏外戦闘を考えた場合、どうやっても人類は下から順に攻略せざるを得ない。その為には、それぞれの高度専用機を開発する一方で違う高度でも汎用的に戦闘可能な魔動戦闘機は必要になってくる。その為の、可変機構、まずは飛竜の高度(高度2000m~5000m)でも戦える第6世代翔竜機なのである。

「……速く……もっと速く……」

 オールドゥージュの胸郭内で幎が呟く。その身体のいたる場所から彼女を象徴する黒い鎖がどこからともなく現れて操縦席内を這い回り、システムと少女を直結している。

 オールドゥージュの額の冠状の飾りが折り畳まれ、一本の角のようになる。頭部が半ば襟部に潜り、乱杭歯のような面当てと両目が隠された。さらに背中側から長大な鋭角な覆いが上から被さり、角と合わさって流線型の先端部を形作る。

「……もっと速く……速く……速く……」

 腕が肘から折り畳まれ、大きな肩部に収納された。そのまま肩と飛翔翼がグルリと縦回転し、翼が前側に来る。

「……速く飛んで……私たちを連れていって……」

 つま先が折り畳まれ、胴が180度回転して前後が入れ替わる。翼尾が後部へ延長し、脚と一体化した三角形のシルエットを形作った。飛翔翼が高速飛行のため細長く折り畳まれる。

「……郁太さまのところへ……!」

 加速するオールドゥージュ飛竜形態。空気が切り裂かれ、先端部から広がるコーン状の雲が発生する。ドン、と空気の壁を突き破る衝撃派を引き起こして海面に三角の白波を残し、あっという間に視界から消え去る。
 数分後、ぼろぼろと崩れて消滅した結界からようやく解放された近衛軍ディ・アークにはもう、僅かな赤いオーロラの残滓しか見ることはできなかった。

 東へ向けて高速飛行中のオールドゥージュ・ヴァナージ内。そこで目を赤く光らせ、レバーを握りしめて前方を見つめるメイド少女、幎。その手に、軽くてぷにぷにした感触がぽむ、と乗った。

「……もういいぞ」
「……」

 ふ、と少女が息を吐く。その瞬間、操縦席内のランプが赤からグリーンに切り替わる。黒い巨人の変形した飛竜から一瞬赤い光がフラッシュのように飛び散り、次の瞬間には元の黒地に金の縁取りに戻っていた。飛翔翼の炎のような赤い揺らめきも今は失われ、黄金色の輝きを放っている。
 メッシュは鼻を膨らませてぷう、と息を吐きだした。

「まあ、色々言いたいことはあるが……結果オーライ? てやつだ」
「……はい」
「それより、この方向で合ってるんだな?」
「間違いありません」

 幎はいつになく強い口調で言い切った。

「このずっとずっと向こうに、郁太さまが待っています」
「了解だ。ヴァナリィ、もう一度地図だ!」

 黒猫の要望に再び先ほどの窓が表示される。

「ええと、さっきの場所がここで……で、今がここ、ラインをピーッと……うん?」

 地図の上を追いかけていた黒猫の白い手袋のような前脚が一点で停止した。珍しくパシパシと目を瞬かせて驚きを表現する。

「……あーっ、なるほど。そう言うことかっ……」

 一人納得してうんうんと頷いているメッシュに幎が怪訝そうな顔を向けた。

「いやな? 本来、この時期なら『絶対に存在するはずのない地名』が残ってるんだよ。ドンピシャでこの線上にな? 恐らく、この夢世界にその場所の『記憶』を持ち込んだ奴がそこにいるんだろうな。その整合を取るため、ヴァナリィの地図に消滅した場所が残ってたんだ」

 黒猫がぽんぽんと叩くその地点には、魔法世界の文字で「W.W.W.」に似た字が書いてある。

「それでな、そこに小僧が居るとすると、一辺に色々な疑問の答えが出ちまったんだ。なんであの魔女娘が小僧の学校に現れたのか。なぜ黒い本を狙うのか。なぜ本の使い方を知っているのか。どうやって魔法の大封印を生き延びたのか……」
「……」

 幎はいつものように小首を傾げて続きの言葉を待つ。ふぅー……と長く息をつき、黒猫は目を閉じる。

「その場所は、ウィルヘルム・ウィザード・ワース……王立魔法学園。そこは本当の歴史ならもう、氷の魔女と呼ばれた1人の魔法使いによって消滅している。そして多分……」

 メッシュは、ほんの少しだけ髭を震わせた。

「……小僧の学校はウィルヘルム魔法学園の再帰現象(リフレクシブ・ファクター)……魔法のない世界に生まれ変わった、魔法学園なんだ」

< 続く >

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