ハート・ハック・クラッシャー 9話

九話 夜は終わりを向かえ

 俺は腕時計を見る。
 …時刻は同じ。昨日と全く同じ時間に長針と短針が合っている。
 昨日と同じような月明かりのさす夜。相変わらず不気味なほどに静かな夜の大学構内。
 …ただ、人は確かに存在するのだ。このドアを開けた屋上の先には…確実に人が存在する。

 …奈月と、悠希が。

 昨日と状況はほとんど同じでも、心境は違う。
 昨日は奈月に言われるがままだった。指示をされて、俺はただそれに従って…。
 今回は…俺は勝負をしにきた。
 奈月と決着をつけるために…俺は、手札を揃えてきた。

 …状況は相変わらず最悪に近いが。

 …アイツは、ハートハッククラッシャー…MCMPの送信内容を全部『見れる』と言った。
 テスト用のこの機械は、その使用情報の一切を奈月が閲覧出来るようになっている、と…昨日確かに言った。
 …俺の揃えた手札は、全て奈月に筒抜けなのだ。

 勝ち目があるかなんて分からない。自分の手札が奈月に見られている以上…それでも奈月より強い手札である事を信じるしかない。
 俺は…アイツの思うがままになってなんかやるものか。今こそ俺は…アイツの兄になれるんだ。

 俺は深呼吸をして鉄製のドアをゆっくりと開いた。

「…こんばんわ、お兄ちゃん」

 …居た。
 奈月も…そして、悠希も。
 今度こそドアの目の前に奈月が居て一瞬で操られるかと思ったが…奈月は昨日と同じように、ドアから離れたフェンスに背をもたれかけていた。悠希も同じように、その足元でぐったりと座り込んでいる。
 …つまりは。奈月は俺と『勝負』をするつもりらしい。

 …やばい。
 それはつまり…勝算があるということを意味している。

「…随分律儀に待っているもんだな。俺はてっきり悠希連れて逃げてるかと思ったよ」

「まさかあ。ボクがお兄ちゃんに負けるわけないもの」

 軽く挑発するつもりが、逆に鼻で笑われてしまった。

「…お兄ちゃん、忘れてないよね?お兄ちゃんのMCMPの使用情報はボクには全部分かっちゃうってコト」

「…ああ。しっかり覚えている」

「じゃあ…後ろの『兵隊さん』達も隠す必要ないんじゃないかな?」

「… … …」

 …お見通し、か…。分かっていた事だが、やはり…状況は厳しい。

 俺は「来い」とドアの向こうに告げる。

 …ドアを開けて、数十人の男女が屋上へと入ってくる。
 皆一様に同じくらいの歳だ。
 …申し訳ない話だが、仲のいい同級生や知り合いを利用させてもらった。…とは言え、顔さえ知らないヤツがほとんどだが。
 飲み会をするという名目で集まった人間をハートハッククラッシャーで操り、【俺(藤田和幸)の言いなりになる】という命令を与えた。
 だから、今は俺の指示通りに動く兵隊と化しているが…その命令文はやはり、奈月に届いていたようだ。

 …皆、同じように虚ろな眼をしている。自分で操っておいてなんだけど…なんか、怖い。

「随分集まったんだねー。お兄ちゃんの人望ってのも中々なんだね」

「…だろ?少しは兄を尊敬しろよ」

「ふふふ。無理無理。ボクの方がずっと上だもん」

「…はっきり言ってくれるじゃねえか」

 終始、奈月はにやにやした顔で俺を見つめていた。…この余裕は何処からきている?

 これは、奈月のMCMの性能の弱点を突いた作戦だ。
 奴のMCMは、『対象者の名前を呼んでから命令する』事で洗脳が完了する。
 …つまりは、対象者の名前を呼び終わる前に、奈月を取り押さえればいい話だ。

 だから俺は、これだけの人数を俺の操り人形としておいた。
 これだけの人数で一斉に奈月に襲い掛かる。そうすれば奈月の対象者へのコールは間に合わず…誰かが奈月の顔についているMCMを奪ってくれる。一人…いや、二人以上、走れば間に合うはずだ。念の為十人程人数を揃えておいたが…この距離なら余裕がある。名前を呼び終わる前に、誰かがMCMを奪ってくれるはずだ。

「やめといた方がいいんじゃないかなー。素直にMCMPを返してくれればボクはお兄ちゃんに何もしないのに…反抗するなんてさ」

「そんな薄笑いで言われたって信用できねぇよ。…悪いけど、最後まで抵抗させてもらう」

「…くすくす」

 やはり余裕だ。強がりで俺にこう言っているわけじゃない。
 …奈月は、この人数を一斉に操れる術を持っている。…そう見なしていいだろう。

 …くそっ…しかし…。今はこうするしかない…!俺は拳を握り締めて恐怖に耐える。
 奈月の足元の悠希を救う為にも… 今は、こうするしかっ…!

「…全員ッ! 目の前の女のつけている変な機械を… 全力で奪えぇぇぇッ!!」

 恐怖を打ち消すように、俺は叫んだ。

 兵隊達の眼に活気が戻る。活気とはいえ、それは狂気にも似ていた。
 ガタイのいい男も、ひょろっとした細身の男も、可愛げのある女も、美人な女も。皆一様に一点を目掛けて、全力で走る。
 この年齢の人間が本気を出して走る様というのはなかなか見れない。彼らは、彼女らは、ワケも分からずただ一つの対象を奪う事に必死なのだ。大の大人が、ここまで必死に。

「うおおおおっ!」
「俺が奪ってやるうううっ!」
「アタシよ、アタシが取るのぉぉぉ!」
「私がぁあああああ!!」

 喉が引き千切れそうな悲鳴をあげながら、全員が奈月に向かっていく。
 …とっくにMCMの射程には入っている。

 …しかし奈月は、そのにやつきを止めず、ただ俺の方だけを見つめていた。 やはり…なにかあるのか…!

 そう思うと奈月はすぅ、と息を吸い込み叫ぶ。

「『全員! そのまま止まれ!』」

 奈月がそう言うと…
 あれだけ本気を出して奈月に向かっていた人間達は、ピタリと歩を止める。皆必死に動こうとしているのは、小刻みに震えている様子から分かる。…しかし、どう足掻いても身体が動かないのだ。

「…くすくす。ただ止めただけじゃあつまらないなあ…。『全員、近くの異性とヤってなさい』」

 ビクン。
 全員が身体を大きく一回、震わせる。

 再び眼が虚ろになったかと思うと…男は女を、女は男を求めて…フラフラと歩き出した。歩いていく過程で全員、邪魔だと言わんばかりに服を脱ぎ捨て、誰かを押し倒すように、あるいは押し倒すようにしていく。

「な、何だと…?」

「くすくす…MCMは、『全員』という指定をすると…射程範囲全ての人間を対象に操りの力を発揮できるの」

「くっ…!」

「お兄ちゃんのMCMPの使用情報は全部ボクに筒抜けなんだよ…?この人達を集めて此処に乗り込んだ時点でボクがどこかに逃げていない事から、何か策がある事くらい察したほうが良かったんじゃないの…?」

 …言うとおりだ。俺はそれに気付いていながら…作戦を強行してしまった…!
 そして、俺の集めた人々は、奈月の餌食に…!

「や、や、ヤらせろぉぉ…」

「うふふふふ…いいわぁ、きてぇ…!」

「あはァ…熱い、熱いよぉ…」

 それが当然の行為のように。女はコンクリートの地面に寝そべって、男に熱っぽい視線を送る。男はそれを見ると女に重なり…性器を入れていく。

「っつゥ…!い…痛いっ…!」

「へへへへ…我慢しろよっ…!」

 …中には、経験のない女もいた。流れる血はその痛みを象徴していたが、それでも人々は性交をやめはしない。…何故なら、それが命令だから。

「ああァん…!…っ、ところ、でっ…!貴方、誰ェ…?」

「誰だっていいじゃねえか…いいから腰動かせよ!」

「うふふふ…そうねェ…。…ッ、あァん!気持ちいいィッ!」

 奈月は、人々のそんな様子を見て尚、にやにやと笑っていた。…畜生、俺が兵隊代わりにしたばっかりに…!

「あーあ…お兄ちゃんが連れてこなければ、皆平穏な日々を送れたのにねぇ…。誰か知らない男に処女膜破られたりして…可哀想にね。あ、中出しされて妊娠しちゃったらもっと悲惨だなぁ…クスクス」

 奈月がそう言うと同時に、男女の絶頂に達する声が聞こえてくる。

「うぅ…っ!出る、出るぞぉぉっ!」

「ああああんッ!出して、出してぇぇ!アタシの中に全部出してぇぇ!」

 …それは、絶望の声。…彼女らが危険日だったかは分からない。ただ、もし彼女らが今日の出来事で妊娠してしまったら… … …。俺の中で血の気が引く。

「…奈月…!」

「あれー、ボクのせいなの?この人達を此処に連れてきたのは、お兄ちゃんなんだよ?」

 …そう。だからこそ、俺は奈月に罪を擦り付けようとしている。
 ただ。俺にもこうなってしまった責任があるのは事実で…だからこそ一人じゃ耐え切れない。

「おらおらっ!まだ倒れるのは早いんだよ!起きやがれこの女ッ!」

「あ、ふゥ…っ!うぅ…っ、く…!」

 失神しそうな女の頬を叩いて目を覚まさせようとする男。痛みでだろうか、快楽でだろうか。時間がたてばそんな組も出てくる。…だが、奈月の命令が解除されない限り、お互いが失神しない限り…こいつ等は、行為をやめないだろう。

「くふゥゥっ…!…あれ?もう限界なのぉ?まだ…終わらせないよぉっ…?」

「か…勘弁して…!もう、もう出ない…ああああっ!」

「んんんーーっ!!ほらぁ、まだ出るでしょぉ…!?男なんだからっ…ああんっ!もっと…もっと頑張りなさいよぉ…!ひぃんッ!」

「がああああっ!!」

 騎乗位の女は、既に精液を出し切ったような男の男性器を無理矢理動かす。既に泡を吹いて意識を失ってしまった男性が見えないのか、それでも尚、腰を激しく動かしていた。

 俺のせいじゃない…俺のせいじゃない…!
 自責の念がどんどん俺の中で増大していく。周囲の男女の喘ぎ声がまるで俺を責め立てる罵声のように聞こえる。

「…やめろ…!」

「…んー?」

 奈月はわざとらしく俺に聞き返した。

「もうやめろっ!…俺の負けだ…この命令を止めろッ!」

 俺はそう叫んだ。
 奈月はそれを聞いてにぃと微笑むと、MCMのマイクを口元に近づける。

「『全員、眠れ』」

 奈月の一声で、十数人の男女はまるで糸が切れたようにその場に倒れる。…命令どおり、寝息を立てて全員が眠っている。何人かは、繋がったまま眠っているようだが…。
 …俺も、奈月の射程距離の範囲内にいれば…あんな風に、操り人形になっていた。そう思うとゾッとする。

「はあ…はあ…」

 激しい運動もしていないのに、俺は息切れをしていた。
 …俺は…負けを認めた。という事は…俺が奈月の操り人形になる時は、近いという事だ。

「…くす。どうしたのかなぁ…お兄ちゃん」

 奈月が、一歩。俺に近付く。それに合わせて俺も一歩後退する。それを数回繰り返せば…俺はいつの間にか、屋上の入り口のドアにぶつかっていた。

「…く…来るな…!」

「ふふふ…我侭だなあ。ボクは勝負に勝った、敗者が何かを失うのは、当然の事だよ?」

「っ…!な…何をするつもりだよ…!」

 俺の質問に、奈月は顎に人差し指を当てて考える。

「別にボクの研究はマインドコントロールだけじゃないし…筋肉増強剤とか、興奮剤とか…あ、人を狂わせる薬っていうのもあるんだよ。…色々な意味でね。こういうのの臨床実験もまだ済んでないし…折角だからモルモットより人間で試したほうがいいデータが取れそうだしね♪」

 …笑顔でとんでもない事を言う。やはり…最終的に生かしておくつもりはないらしい。反逆者に与えられるのは罰…昔から、どこでもそうか。
 しかし…今の俺にはそれを逃れる術もない。ギロチンに首をかけられている死刑囚と同じだ。…天から降りてくる刃をただ、待つだけの。

 …なら。

「…奈月」

「なあに?お兄ちゃん」

「…悠希の解放だけは約束しろ。俺とお前で済む契約だ。…悠希は関係ない」

「…くすくす。優しいなあ、お兄ちゃんは…。そんなにこの女の事が好きなの?」

 奈月は足元で座り込んでいる悠希を上から見下ろす。

「好きとか、そういう事じゃない…。…今寝ているこの人達もだ。…使ったのは俺だから、お前に頼むのも筋違いなんだが…記憶を消して、無事に家に帰してやってくれ」

「…くすくすくすくす…」

「奈月…!」

 約束なんてものじゃない。懇願だ。奈月の気分次第で、悠希や十数人の男女は、屋上から飛び降りも出来るのだから…。

「分かったよ。約束してあげる。…お兄ちゃんがちゃんと、ボクのものになったらね」

「…ありがとう」

 俺はそう言って、懐から機械を取り出し…地面に落とす。
 カシャン、と小さな音がした後、その音がした場所に向けて俺は勢いよく右足を振り下ろす。

 …大きな音がした。同時に中の小さな部品が幾つも地面に転がる音がする。

「あーあ、壊しちゃった」

「けじめくらい、俺の手でつけさせろ」

「…ふふ、まあいいや。いずれ壊すのは決定してた物だし…許してあげる」

「…ありがとよ」

 そして俺は前に数歩、足を踏み出す。倒れた人を踏まないように、一歩、一歩…奈月に近付く。
 …いつから射程に入っただろう。近付いていけば…もう少しで、奈月に…悠希に手が届きそうな距離まで俺は辿り着いていた。…だが。

「『藤田和幸。ボクの言う事は何でも聞く、操り人形になる』」

 その声が聞こえた瞬間、俺の視界は暗闇に閉ざされた。

 ・
 ・
 ・

 なんだか拍子抜けしてしまった。
 …お兄ちゃんの考えた作戦…確かに、ボクの与えたMCMの情報の中で、弱点を突くのにはこれくらいしかないだろう。
 最も、MCMPの使用情報を見ずともこんな作戦で来るのは予想できていたし、しっかり対策も出来ていたけど…。

 …圧倒的な力の差をもって、相手を平伏させる。
 これが、ボクの望んだMCMの形。

 そしてボクは…望むものを手に入れた。

「…お兄ちゃん…♪」

 呼んでも返事はしない。虚ろな目をしたまま、夜風に吹かれてただそこに立っているだけ。…ボクの所有物になった証拠だ。

 これで、計画の最初の段階にようやく辿り着けた。…ここから、全てが始まるのだ。
 考えただけでワクワクする。ボクが小さな頃からずっと思い描いた夢が正夢に変わった瞬間。思わず口元が緩んでしまう。

「さてと…それじゃ、行こうか。お兄ちゃん、ボクに着いてきて」

「はい…」

 MCMを使わずとも、もうお兄ちゃんはボクに着いてくる。…ボクのお人形さんなんだから、当然だよね。

 …そういえば、お兄ちゃんと約束かなんかしたっけ。
 …確かに、此処にいる全員に今夜の記憶があるのは面倒だ。ボクの顔も知られてしまっているわけだし…。…そうだな…悠希とかいう女を攫ったのは何日か前だから…。

「『藤田和幸以外の全員。今日以前の三日間の記憶を失う。失った記憶の事に疑問を持たず、適当に日々を過ごす』」

 お兄ちゃん以外の全員が、小さく身体を震わせた。
 …まあ、これでいいだろう。記憶を失わせただけでなく、それ自体に疑いを持たなければ第三者に話す事もなくなる。あとは、裸のまんまで風邪でも引かなければいいね、くす。…経験がないのに処女膜のない女なんて…トラブルにならなきゃいいけどね。

「さ、帰ろっ♪」

 ボクはドアに手をかける。片方の手は、兄の手を引いて。

 蛍光灯が照らす薄暗い階段が見えた。

 … … …その先に。

 一人の女がいた。

「… … …え?」

 それに気付いた瞬間、ボクの視界は暗闇に閉ざされた。

< つづく >

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