ハート・ハック・クラッシャー 11話

十一話 エピローグ

 …あれから、数日が経った。
「あれ」というのは…屋上で、奈月と対決をして、勝利したあの夜から。

 あの後の処理は正直大変だった。
 使わせてもらった数人の男女の様子におかしいところはない。正直、何か異変があったらどうしようなんてビクビクしてたけど…。なかには、初めての人もいたみたいだし。
 しかし、奈月の後処理が上手かったのだろう。俺は奈月がどんな命令を出したのかは知らないけれど、皆無事に大学生活を過ごしているようで安心した。

 悠希と春香に関しては、あの夜どころか数日の記憶を消さなければならない。
 奈月が悠希を誘拐したという事実はしっかりあるけれど、「どうやって?」という疑問を持たせるとMCMの存在を知る事に僅かながら近付いてしまう。
 春香に色々な場所に聞き込みもしてもらったし、数日間の行動の時間軸を狂わせないように、丁寧に穴埋めをしながら二人の数日間の記憶を消した…。正直、これが一番重労働だった。こんなに気を使いながら何かをした事はない。

 …そして、奈月だ。

 妹を操るという行為に抵抗はあった。…けれど、俺はこんな妹の姿は見たくなかった。
 いつも笑い合って、寄り添って映画を見ていて…。あの頃の奈月は戻らないと思うと、どうしようもなく悲しくなってしまって。
 …だから、俺は記憶を戻した。
 気絶した奈月に服を着せて、MCMを使って…あの頃の、俺が引っ越す前の奈月を戻したんだ。
 …操ってまでして、望む妹の姿を手に入れる。罪悪感はあったけど…それでも…。
 奈月も俺も、その方が幸せだと感じたから。

「…おにい…ちゃん…?」

「…奈月」

 俺の腕を枕にして奈月が薄く目を開ける。

「…なんか、ボク… 凄く疲れてる」

「ああ…。無理するなよ」

「…えへへ… でもなんだか…いい夢見てた気がするんだ」

「…どんな夢を?」

「…忘れちゃった。でも…凄く長い夢だった。それで凄く悲しい夢だったんだけど… 最後はハッピーエンドだったの」

「忘れたのにハッピーエンドだって、どうして分かるんだ?」

「…だって、今ボク… お兄ちゃんに抱いてもらってるんだもん」

「… … …」

 にこ、と笑って奈月は静かに寝息を立てた。
 純粋な笑み。一緒に映画を見て笑い合っていた、あの頃の笑みだった。

 …失敗したら、MCMの存在だけ忘れさせて、俺が引っ越した後の奈月に戻そうと思ってた。
 でも、奈月は今が幸せだと言ってくれた。
 …だから俺は、このままの奈月でいてほしかった。
 元通りの、可愛い妹のままの、奈月で…。

 …奈月がどうしてMCMPを俺に手渡したのか。そしてそれを今頃になってどうして回収しようと思ったのか。…誘拐なんて手口まで使って。
 聞きだせる事も出来るけど、それはしたくなかった。
 偽りの奈月が考えていた事なんて知りたくない。それが物凄くドス黒く、濁った考えなら…俺は今の奈月でも少なからず軽蔑してしまう。
 奈月は、以前の奈月に戻れたんだ。だから、MCMPを手渡した理由なんて…俺にはどうでもいいんだ。

 …見たくないものは見ない。こういう生き方だって、アリだろ?

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 お兄ちゃんが家を去ってすぐ。
 ボクはこれまで以上に「人を操る研究」に没頭した。

 怖かったのだ。お兄ちゃんが遠い場所の大学に行って、誰か知らない女の人と出会い、その人に心を奪われてしまうんじゃないか、って。
 そうなる事を防ぐ事は出来ない。それは、お兄ちゃんの心が決める事だ。
 だから…そうなった後でも、取り返しのつくようにしたかったのだ。お兄ちゃんの心がボクから離れてしまっても、またすぐにくっつけられるような、そんな魔法が欲しかった。

 そして試行錯誤を重ねて作り出したのが…MCMP。
 完成した時、ボクは震えが止まらなかった。
 一体何人の独裁者が、政治家が、教祖が、人が欲しがったであろう、その悪魔の魔法…「マインドコントロール」を実現させる機械を作ってしまったのだから。
 …とはいえ、まだプロトタイプ。臨床実験は繰り返したが、重要なのは「誰にでも効くか」「いかなる状況でも効くか」という事だった。
 テスターが必要だった。この機械の事を何も知らず、我武者羅に使ってくれるようなテスターが。
 ただ、本当に我武者羅では困る。この機械の存在は極秘…存在が公になりそうな時はそれを止め、回収しなくてはいけない。つまり、ボクの手の届く範囲にテスターを置く必要があった。

 …そこで思いついたのが、兄の存在だった。
 皮肉なものだ。兄の心をボクに惹き付ける為に作った機械を、兄に使わせる事になるとは。

 …ただ。兄にMCMPを預けた理由はそれだけではない。

 …MCMPの使用情報は、ボクのパソコンで閲覧できるようになっている。
 すなわち、兄が何を考え、行動しているかが分かるのだ。遠く離れた場所からでも、まるで監視するように。
 …兄にMCMを使って、ボクの虜にする事は出来る。でも…何も操られていない兄が、何を考えているのかが知りたかった。自分でも馬鹿げた意味のない行動だと思ったけど…好きな男の子がどういう事をしているのか知りたいのは、女として当たり前。…本当に、馬鹿げている。

 そしてその結果は…まぁ、見事だった。
 兄はMCMPを手に入れて日々をすっかり楽しむようになっていた。
 …お兄ちゃんだって男だ、それくらいはする…。頭ではそう思っていても、心は許せなかった。

 …そして。ボクの中でのMCMという存在の意味合いは、変わってしまったのだ。
 …遠くにいても、ボクの事を思ってくれていて… ボクの事を…好きになってくれていたら…。 そんな淡い期待をしたボク自信が間抜だっただけの話だったんだけど…。
 いつしか、兄に対する感情は恋心から憎悪に変わってしまっていたのかもしれない。

 だから、ボクは兄を苛めてやろうと思った。
 使用履歴を見るに、最も兄が信頼している相手… 鈴井悠希を攫い、兄に絶望感を持たせる。
 そして僅かな勝機を生ませるが… 最終的にはボクが兄を打ちのめし、勝ってみせる。…そして散々後悔させてやるのだ。大事な、大事な妹に幾ら懺悔しても許してもらえず、苦痛を与え続ける日々を…実現させようと。
 兄に分からせてあげたかったのだ。…ボクという、存在を。

 …いつからこんな事を考えていたのだろう…。 そして、何故それを実行してしまったのだろう。

 …ボクはただ…

 お兄ちゃんが好きだった、だけなのに…な…。

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 …翌年。

 驚くような事が起きた。

 …奈月が、俺の大学に入学したのだ。

「…奈月、お前、なんで…!お前ならもっといい大学に入れただろ?」

 入学の知らせを聞いた俺は、真っ先に奈月の携帯に電話をかけていた。

「えへへ…。別にいいの。勉強なんて自分で好きにやりたいし…。なにより遠く離れて一人暮らしをしている兄が心配で心配で…」

「どういう意味だよ、それは…」

 奈月の記憶は、MCMの存在を知らない。その記憶は消したはずなのに…。
 だから、奈月がどうして俺と同じ大学に入ろうとするのか…俺の中で疑問は消えていない。
 しかし奈月は実際に…本当に俺の通っている大学に入学してしまったのだ。ワケが分からないまま…。

 入学式。食堂で、俺と奈月、そして悠希と春香は一緒にメシを食べていた。

「藤田奈月です。お兄ちゃんがいつもお世話になっています…。兄妹ともども、これからよろしくお願いしますねっ!」

 奈月は腰掛けたまま深く頭を下げた。

「…へー!先輩の妹さんとは思えない可愛らしさですね!」

「やっぱり春香ちゃんもそう思う?私もさ、実はどっちかが橋の下で拾われたんじゃないかって思ってたトコなんだよね」

「…おい、お前ら…!」

 おどける悠希と春香の頭にゲンコツを喰らわせてやる。

 …あの夜の事は、俺だけしか覚えていない。だから、奈月と悠希、春香は…初対面なのだ。
 こうして一緒に楽しく喋ってメシを食べているけど… 以前に…確かに奈月は悠希を誘拐し、春香はMCMPで奈月を操った。
 その事実は…俺しか知らない。永遠に封印すべき、その悲しい事実は…。
 …このままでいい。この笑顔を消す、なんて事は…。

 こうして、MCMをめぐる一連の騒動にはキリがついた。
 …しかし、俺の手元にはMCM、そしてMCMPの二つの機械が未だにある。

 …これらをどうするか、俺は悩んでいた。
 …俺と奈月、悠希、春香の四人は仲良く映画サークルで活動している。とても楽しい時間がそこには流れていて…奈月も、サークルにすっかり打ち解けてくれた。
 この人を操る機械達が、それらの時間を壊してしまうのではないか… 俺はそんな錯覚に常に捉われていた。

 …俺自身が抑制すればいい。そう分かっていても、まるで俺自身がMCMに操られるように、黒い欲望が渦巻く事が時たまあった。
 …この女達は俺の自由に出来る。身体も、心も、自分の思うがまま、自由に出来る力が俺にはあるのだ…と。

 悩んだ末、俺は…。

「…?お兄ちゃん、その手にあるの何?電子辞書?」

「… … …。ああ、壊れちゃってね、もう使えないんだ」

「ふーん。それで、どうするの?」

「…こうする」

 俺は通学途中のゴミ捨て場に…MCMPを投げ捨てた。

「…あ、勿体無い…。直せるかもしれないのに」

「直す必要なんてないさ。…便利なものを使うより、自分で辞書を一生懸命使う方が勉強になる、って思ってさ」

「…ふーん。随分お兄ちゃんにしちゃ、マシな事考えるじゃん。見直した」

「…殴るぞ」

「それより急ごっ!お兄ちゃんもボクも、一限から授業なんだし…」

「…そうだな。よし、いくかっ」

「うんっ!」

 … … …。

 俺の鞄には…。

 ヘッドセットのような奇妙な機械が一つ、教科書に紛れて存在している…。

< 完 >

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