─5th Connection─
口元をつりあげ、厭らしい笑みを浮かべる男……その立ち居振る舞いは、もう俺には信じることができなかった。
目の前にある男の姿。けれどやつの殺気は俺の背後から突き刺さってくる。これは、すなわち──
「能力による可視光線の極端な屈折或いは反射、と言ったところだな?」
「ほう、よくわかったな。それなりの頭は持っているようだ。だが少し違うな」
「何?」
この男の実体は必ずある。それは背後の殺気が動かぬ証拠として証明している。故に俺の眼前に在るやつの姿は、極度の屈折か反射を使って光をねじ曲げ、俺の目に映しているとしか考えられない。
……地球の何十倍・何百倍もの強大な重力惑星ならば、光が星を一周して自分の姿が前に見えるという。これは光の直進性によるもので、莫大な重力によって空間が曲がり、その空間中を光が直進することで起こる現象だ。身近なところでは、太陽の真後ろにあって見えるはずのない星が、太陽の輪郭付近で観測されている。
これを考慮して推測すると、やつの能力はその類ではなかろうか。しかし周囲に大きな重力変化は観測できず、そのような能力を有することができそうな機器も考えつかない。だいたいそんな強大な重力が局地的にかかれば、下手するとここに小さなブラックホールもできかねない。
だとすると……一体なんだ?
「まだわからんか? ヒントをやろう。このまま何も知らずに戦闘を続行したのでは面白くないからな」
「くっ……」
完全に遊ばれている……しかたあるまい。鈴とは段違いの強さだ。俺に勝てる見込みは──ほぼゼロ。
この隙に……やつが俺を見くびって遊んでいるこの隙に、何か策を練らねば負ける。俺のにわか仕込みの戦闘技術だけではダメだ。
何か策があるはずだ……! 何かが!
「私の能力。それは──元ある光を屈折させたり反射させたりするものではない。思うままに光を出し操る事ができるというものだ」
「な……!」
これはもはやヒントですらない……こいつの能力は────ディスプレイ系か!?
「おまえ……! それじゃこの姿は……!?」
幻だと言うのか!?
「そういうことだ」
男の勝ち誇ったセリフとともに打ち出されるやつの拳。しかしそれは、やつが言葉通りの能力を有するならばただの映像で、実際の衝撃は別のところから……!!
──ドス。
「かっは……! ば、バカな!?」
……拳のあるところで走る衝撃。男の拳があるところが、俺の目に映る拳が俺の身体にめり込んでいる……!?
なんだこれは!?
相手に『思い通りの幻覚を見せる』という能力を持つ男の殺気は後ろから感じ、対象に『思い通りの映像を見せる』という能力を持つ男の姿は目の前にある。この状況と情報から推測され得る答えは……『拳は前から迫り、衝撃は後ろからくる』というもの。そう思った俺は後ろへと意識を集中し、防御した。
だがその推測はことごとく打ち砕かれ、身体の芯を揺さぶるような拳は、男の拳から伝わってきた。
「ぐ……っが! な、なんで!? おまえの能力は『対象に思い通りの映像を見せる』というものじゃないのか!?」
「それは貴様の単なる推測にすぎない。私はまだ自らの能力を明かしたつもりはないが」
っく、これじゃ俺と鈴の立場が逆転したみたいじゃないか…………
──勝てない。
このままでは負ける。この戦闘において、敗北は死だ。まさか本当に死を賭した戦闘をするハメになるとは…………
自然を超越した能力を得たことによる、自らの傲慢と驕りが俺を崖っぷちへと追いやった。俺は負けない、この能力があればなんでもできる────鈴に聞いたこのチカラの凄さを聞いて、改めてそう認識した。いや、より一層そう思った。その驕りが…………敗北を招く。
ハッ、俺が最強だって? なんでもできる? ふざけんな。今こうして窮地に追い込まれてるじゃないか。てめぇより強いやつなんざゴロゴロいる、てめぇだけじゃ何もできやしない…………ただの負け犬の遠吠えだ。言うだけなら誰だって出来るさ。
あぁ、そうだ。だけど俺はまだ誰にも言ったことがなかったな。実はな──
「く、くくっ、くくく……」
「どうした。敗北を認めたことによって自我が崩壊したか。その方が好都合だ。こちらとしても機器(ペリフェラル)を取り出すのに手間はかけたくはない」
──俺は誰よりも負けず嫌いで誰よりも失敗を活かす男なんだよっ!!!
「調子に乗るなぁ!!!」
「!!」
異変を感じたのか、『男の像』と『殺気』はすぐさま跳んだ。
その場に残った俺は、気を込めるように構え、そして呟いた。
「くくっ、そうだ、忘れていた……俺は負けず嫌いなんだ。誰かに負けるくらいなら死んだほうがマシだ」
「…………何を言っている?」
俺の頭がイカレたとでも思ったのだろう。怪訝な顔をしてはいるが、明らかに勝利を確信したままである。その証拠に、問いかけたその言葉が俺の耳に届くよりも疾(はや)く、男の身が俺の眼前に迫っていた。
一発。男の腕が俺のボディーへと突きつけられた。
三発。一度と思えたその腕は、三回俺の身体を撃ち抜く。肝臓、水月……そして俺を吹き飛ばす勢いで、腹。
しかし俺の身体は後方からの衝撃によって吹き飛ばず、なるほど男は一瞬の間に俺の前方から三発、後方から二発の拳を放ち、逃げ場のないようにしたのだろう。
けれど俺は、敢えてその攻撃をすべて受けきった。自らの傲慢と驕りを戒めるかのように。
──俺の意識は、まるで自らの肉体を離れたかのように、これら一連の出来事を見ていた。
「………………!」
しかし男は黙って攻撃を続けた。その表情はどこか焦りを感じる。どんな強力な打撃を受けようとも無表情な俺を見て何かを感じ取ったのだろうか。
「……っはぁ、貴様。どういうつもりだ?」
その手を休め、やつは一言そう言った。
「ぁがっ……っく、どういうつもりも何もない……ぐっ」
異常なまでの高揚に、俺の痛覚はどこかへ吹っ飛んでいたが、身体はしっかりそれらを受けきっていて、話す度に内臓が暴れる。
「俺自身への……戒めだ……っ!!」
そう言うと俺は、右手を高々と天に掲げた。
「……何をするつもりだ?」
男の表情から焦りは消えない。むしろ恐怖が混じってきたように思える。
さすがとしか言いようがないだろう。こいつは、今から俺がすることを本能で感じ取っている。
右手に集中しながらも、体内の気を練り戦闘準備を済ませる。
「何も。おまえには何もしない。するのは……」
ヒュル、と飛び出したのは…………もうおなじみとなりつつあるUSBケーブル。
それを一気に──
「俺だ!!!」
──自らの脳天に突き刺した。
「なっ……!!!」
男の驚愕の声が、意識の薄れる中聞こえてきた。
──自己改造モード。マスター・セイジ、情報統制権を一時自己管轄内よりダイキスに移行。開始・・・終了。マスター改造準備開始します。了承ならば暗証コードを二秒以内に。
****************。
──マスター了承、確認しました。これよりマスター・セイジ情報統制権により、AI『ダイキス』が準備を行います。心理時空換算で60秒お待ちを。
10秒でやれ。
──可能な限り配慮します。・・・残り時間22秒。
あと5秒で。
──アイ・サー。・・・・・完了。
自己強化改造も任せる。改造当該箇所に関する情報は随時転送する。
──アイ・サー。それでは開始します。心理時空換算で35時間お待ち下さい。
一日でやれ。
──善処します。
……………………
………………
…………
……
──完了しました。指定改造箇所、三百十七箇所強化・修正・排除を行いました。
了解。接続解除。
──接続解除工程、既に完了。
了解。
ズ、という低い音にあわせて、俺の頭頂からケーブルが抜けた。
「き、貴様……それを使って自分に何をした!?」
男が訊ねる。
「ちょこちょこっと……改造を、な」
「た、たかだか数秒の間で…………!? 馬鹿な! ”あの人”ですら生物の情報操作に数時間かかるのに……肉体改造に数秒だと!?」
どうやらこちらの『現実時間』ではたった数秒の間だったらしい。俺の精神世界では一日以上掛かったのにな。
「ふ、そんなこと俺の知ったことじゃねぇ。ただ俺は、このケーブルの使用方法をまだ理解しきれていない。だから…………こんなことも思いつかなかった」
自分の身体にダウンロードは施したことはある。だが改造・改竄は他人或いは無機物に対してしかやったことがない。そこが穴だった…………自分にやったら凄いことになるに違いない。それを思いつかなかった。
「まだ俺の身体がどうなっているのかわからない。少なくとも、先程までの俺とは明らかに違う」
「くっ……」
「そうだな、例えば……」
「なっ……そんな!?」
無音で移動する。高速で移動するのは簡単だが、無音は相当高度な技術の類に入る。
そして俺が移動した先は…………男の姿よりも20mほど離れた場所。
「いつのまにこんな遠くへ逃げたのやら……まったく、その『ディスプレイ』は便利なものだね」
「な、何故……!?」
「形成逆転、だな……」
食らえ、俺の編み出した自己流拳法技を。
──闘龍烏電貫弾撃。
「っご……ふっ!!」
全身の気と体重を掛け、骨で護られていない唯一の場所──腹をめがけて右腕を捻じりながら突き、完全に捻じり終わると同時に皮膚を掠めとるように手首を捻る。そして虚空に浮く右腕をそのまま……顎を割らんばかりに突き上げた。
端から見たら、俺はたいそう滑稽なことをしているに違いない。何もない、虚空に向かって攻撃をしているのだから。見方によればただの練習に見えるかもしれないが、それもどうだろうか。
するとさきほどまで在った男の姿は、ノイズとともに霧散していった。
そして男の真の姿は、俺の目の前に現れる──
「……ほう」
こいつはびっくりだ。
どさり、と倒れた『男』は、まだ少年という代名詞が最適な年頃だった。かなり中性的な顔だちで、女装すれば立派な美少女に見えるだろう。
「く、くそ……」
「おまえの負けだ。観念しろ」
悔しそうに顔を歪める少年。
先の攻撃で、成人男性を想定して打ち込んだはずのにきちんとコイツの腹にヒットしたのは、とっさに跳躍して逃走を謀ろうとしたからだろう。道理で軽かったワケだ。
「おまえなんかに……負けるもんか!」
正体がバレて口調も戻ったようだ。こうして見るとさっきまでの俺が本当に馬鹿のようである。
こんな幼い少年相手に敗北しかけ、果てには殺されかけたというのだからもうこれは笑い話だ。
「ふっ、まあこいつのおかげでまた俺の能力がレベルアップしたんだけどな。
さて少年。どうする? このまま闘い続けるか? それとも──降参して俺の傘下に入るか?」
「くっ…………僕は……僕はまだ負けない!」
瞬間、目の前が揺らいだ。天地が逆転する勢いで景色が歪み、渦を巻き始める。
これは…………
「なるほど、俺の視神経に直接働きかけているのか。映像を網膜に映すのではなく、眼球から脳へと繋がる神経そのものに誤情報を流していたんだな。それでこんな芸当もできるワケか」
でもこれではディスプレイの性能とはまた別のモノと推測できる。いったいなんなんだ、こいつの能力は……?
だがカラクリさえわかってしまえばこちらのもの。俺は『ケーブルを使わずに』視覚情報を正常化させるために、胎内に棲むダイキスに呼びかけた。
……………………
──ラジャー。視神経正常化後、強化プログラム起動。2秒で完了します。
いつの間にそんなプログラムを用意したんだ。
──デフォルトで私にインストールされています。
そんなの知らなかったぞ。
──聞かれていないので答えていません。
………………
──開始・・・・・・終了。全構造データ上書き完了。
「なっ、なんで……っ!?」
少年の戸惑いの声。おそらく自分の力が無力化されたのを感じ取ったのだろう。
「いいか、少年。俺にはもう通用しないんだ」
ダイキスLv.2と言ったところか。なんかRPGのキャラみたいでかっこわるいけどな。
「さて。これでおまえの負けが分かったな? まったく、さんざんあんなゴツイ男の映像流し込みやがって……どうせなら美少女にしろっつーの、とびきりの美少女」
そんな俺のグチには耳を傾けず、目を見開き驚きの表情を浮かべたままの少年。だがその瞳の奥にはもう、敗北の色しか映っていなかった。
さきほどまでの最悪な情勢はキレイに拭い去られ、もはやここに流れる空気は完全にこちらのモノだった。劣勢だった俺は、自らの驕りに気づき自らを戒め、進化した。
俺もバカだったな。この能力を手に入れ、鈴に容易に打ち勝ち、苦労もせず欲しかったモノが手中に飛び込んできた…………その一連の出来事だけで自分を過信した。──俺は最強だ、と。それではただの人間だ。国を牛耳る政治家や官僚、金持ちと同じ考えだ。それでは真の人間にはなれない。
それに気付かせてくれたコイツは…………ある意味恩人かもな。恩人に対して、俺は何をすべきか……
「安心しろ。殺しはしないよ。そうだな、俺はショタじゃぁないが、そういうので遊ぶのも面白いかもな。
……おい、少年。おまえ、家族は?」
「──え?」
いきなりの問いかけに唖然としている。
「おまえの家族。あと名前も」
「…………コウ。家族は、いない」
「歳は?」
「13」
「”あの人”とどういう関係だ?」
「………………」
一分ほど黙っていただろうか。悩んだ末、隠しても無駄だと思ったのか、その重い口を開けた。
「”あの人”は、僕の恩人。身寄りのない僕を拾って、こうして組織に入れてくれた。僕の居場所をくれた」
ありがちな話だ。
「……コウ。俺のところへ来るか?」
「…………なんで?」
「ヤツのところで満足できるか? その居場所はおまえのためにはならない。仮初めの場だ。こんな人殺し紛いなコトやって嬉しいか? 楽しいか?」
「………………」
「おまえだって13……普通に暮らしてりゃ学校で友だちとワイワイ楽しくやってる頃だ。そういう生活、してんのか?」
「…………してない」
「だろう? だったらこっちに来い。多少普通の生活とズレたことするかもしれないが、まぁそっちより普通だろ。ちょっと大人ちっくな生活だ」
「……………………」
「さっきまでの事は水に流す。俺はおまえをまっとうな人間にしてやりたい。”あの人”のことは詳しくは知らん。だがまともじゃない」
”あの人”のことが出たからだろうか。コウはハッとした表情を浮かべ、その後またうつむいた。
「変な話だが、俺はおまえに感謝してる。こうして俺の能力の性能がアップしたんだからな。それにな、実を言うと──」
そこで一端言葉を止める。
「…………」
コウが顔をあげた。
「──俺、弟が欲しかったんだ」
その時の俺の表情は一体どのようなものだったのだろうか。それはこの時のコウにしかわからない。だがコウは驚きと喜び、二つが入り交じった表情を浮かべていた。
「もう一度聞くぞ。…………俺のところへ来ないか」
「…………」
コウはじっくりと考え、だがそれは一瞬のことで、
「……うん」
ためらいながら頷いた。
< つづく >