アウトサイダー[outsider](名)
1.同業者の協定に参加しない人・団体。
2.局外者。特に、既成の枠から外れた独自の思想に基づいて行動をとる人。
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・この物語はフィクションであり、実在の人物、組織、法律等は一切関係御座いません。
第0話
着物が似合う女だった。ほかに言葉は見つからない。元を辿れば華族の生まれであるとか、T大学を首席で卒業した才女であるとか、そんなことはどうでもよかった。
着物が似合う女だった。それが、茅原稔(かわはら みのる)が宮城葵(くじょう あおい)を見て初めて思ったことだった。
断じて、一目惚れなどではなかった。もっと曖昧で、それゆえに衝撃的な何かが茅原を幾度となく襲い、引いてはまた襲い掛かった。
だからこれは、戦いだったのだ。それも圧倒的優位な位置に立ちながら、極めて際どい戦いだった。
扉の前で、茅原はネクタイを締め直した。一縷の隙も作らず。そうでなければ、この扉の向こうで待っているのは葵ではなく茅原自身だっただろう。
部屋に入ると、すぐに葵が眼に入った。部屋には椅子もベッドもあるが、ずっと扉の前で立って待っていたようだ。
「お待ちしておりました」
葵がゆっくりとお辞儀をする。椿の着物が、やはり良く似合っていた。
茅原はなるべく大きく頷き、ゆっくりとベッドへと足を進めていった。絨毯のふわふわとした感触が気に障る。この一年、歩いてきたのは靴音が反響するほどの固い床ばかりだった。
茅原はゆっくりとベッドに腰を下ろした。
「これが最後だ、葵」
内心、ぎょっとしながら茅原は言った。葵は先ほど立っていた場所にいなかった。ベッドに腰掛けた茅原の三歩前に正座をして三つ指ついていたのである。
物音もした、動きも見えていた。それでいて、終わるまでまるで意識させない。そんな動きを、葵はよくやる。意識してやっている事なのか、聞いたことはなかった。聞けば、どちらと言うこともなく、それでいて茅原を納得させる答えを言うだけだろう。
何も聞かず、何にも応えず、ひたすら与え続ける。そうすることで、茅原はかろうじて葵を凌いできた。
「……はい。今まで、お世話になりました」
葵がゆっくりと頭を垂れる。茅原は、努めて無感動にそれを見下ろした。清楚に整えられた髪が重力に引かれて垂れ、惜しみなく茅原が踏んだ絨毯の上に広がる。細やかな挙措の一つ一つが、茅原を圧倒していく。
部屋には甘い香の薫りが淀み漂っている。毎日二回、抗生薬を飲んでいる茅原はともかく、葵にも薬が利いているとは思えない。挙措も声もまったく淀みのないものだったし、ゆっくりと面を上げた葵の瞳は茅原がたじろぐほど澄んだものだった。
間違いなく、葵は正気を保っている。しかしこの場で正気を保つと言うことがどれほど異常なことなのか。薬に抗体を与えられ、訓練もされた茅原でさえ内なる衝動を必死に押さえ、それでも抑えきれず逸物が己の滾りを主張し続けているというのに。
例えるならば毒ガスが充満した空間を防護服と酸素ボンベ背負って歩いている横で、平然とスカートを広げて歩き回っているようなものだ。
しかし、それはありえない。どんなに表面を繕えたとしても、どんなに強靱な意志を持っていたとしても、人は人なのだ。脳があり、心臓があり、性器がある。食欲があり、睡眠欲があり、性欲がある。それは、人はいつか死ぬというのと同じぐらい当たり前のことだ。
ナイフで刺されれば血が出る、それが深手ならば、死ぬ。それは意志の力でどうこうなるようなものではない。
「葵。今日の調教が終わった後、お前は地下競売にかけられる。そこでお前は、新たな主を得ることになる」
「……はい。これまでのご恩に報いられること、恐悦至極に存じます」
葵が再び頭を下げる。込み上げてくる思いをやり過ごし、振り切るように茅原は目を閉じた。
「やれ」
葵の眼が霞む。眼から光が消えていく。狂気が葵を包んでいく。狂気が、狂喜へと変わっていく。目蓋を閉じながら、その全てを茅原は見たと思った。いや、確かに見た。
(……人の想いというものは、いったい体の何処に宿るのか)
幾度も繰り返してきた問いが再び茅原をくすぐる。その答えは、未だ得られないでいた。
足の指先に暖かいものが触れていく。葵の手、それから舌。ぞわりとした快感が背筋を這い登っていく。
一年。その間、少しずつ少しずつ葵の二十二年を破壊してきた。一年の全てを茅原は葵に費やした。
快楽は惜しみなく与えたし、苦痛も快楽へと代わるように開発をした。精神的なことだけでなく、神経を弄るようなことまで施術したのである。
また、時には一切の食事を絶ったこともある。毎日決まって数時間も通いつめた挙句、一週間以上まったく姿を見せなかったこともある。わざと隙を与え、逃し、研究所を走り回らせたこともある。葵の希望という希望を打ち砕き、意思という意思を裏切り、食事も限定し、肉の悦びのみを叩き込んだ。
一年。それでも一年、葵は屈しなかった。自殺を試みたのは三度や四度ではなかったし、殺されかけたことすら二度ある。食事を絶たせて精液を浴びせようとしたときなど、研究員のモノを半分以上も噛み切った。茅原の体さえ、無数に葵の歯形が刻まれているのだ。
それでも、葵はいま茅原の前に跪いている。葵の舌が、指の間まで丹念に舐め上げていく。指を噛み千切ろうとも、血管を食い破ろうともしてこない。ぴちゃぴちゃと涎を滴らせ、甘いソフトクリームでも舐めるように茅原の垢を舐め取っていく。
「美味いか、葵。俺の足は、美味いか」
「は、ぃ……。美味しゅう、御座います」
応えながらも、うっとりとした表情で足に舌を這わせ、犬のように匂いを嗅いでは光悦としている。
快感が這いずり登ってくる。そして同時に襲ってくるおぞましさにも似たものを、茅原は必死に抑えた。
葵は毒蛇だ。快楽という毒を持った雌蛇。
気づくと、茅原はまどろみの中にいた。股間の上で葵が喘いでいる。腰は勝手に突き上げられ、舌は蛇のように葵のものと絡み合って離れようとしない。何が起こったかは、はっきりと理解していた。快楽の海に沈んでいく中、もう一人の茅原が船の上から冷静にそれを見つめているからだ。
ようやく茅原ははっきりと目を開いた。葵の眼が、まつげが触れる合うほど近くにある。手を葵の尻からゆっくりと這わせ、うなじを伝って髪を掻きあげていく。僅かに力を込め、茅原は自分の口で葵の口を塞いだ。はっきりと意識を持って腰を突き上げていく。葵の呻きが口の中で大きくなり、鼻息が燃えるように熱い。
空いた左手で、茅原は葵の尻を掴んだ。指で一歩一歩這うようにして尻穴へと進んでいく。葵が呻き、激しく首を振ろうとする。右手の力を込め、歯と歯が噛み合うほど喰らいつき、押さえ付けた。
僅かに、人差し指の先が葵の肛門を突付いた。それだけで跳ね上がった葵の首筋を逃さず、さらに腰を突き上げていく。葵の呻きはもはや弱弱しい悲鳴のようだった。舌は茅原の口の中で痙攣し、呼吸も不確かになりつつある。右手に反発してくる力も、ほとんど感じないほどだった。
茅原は葵の肛門を弄った。痙攣したような震えが膣の中でまで起こり、茅原を締め上げてくる。
突然、茅原は人差し指を葵の肛門へ突き入れた。同時に葵を跳ね飛ばすほどに腰を突き上げ、右手を開放した。
「っ、ぁーーーーーーーーー!」
葵が声を上げる。茅原は素早く躍動する膣を抜け出し、何もない中に向かって射精した。避妊薬では心許ない。大事な商品を、孕ませるわけにはいかない。あくまで仕事で、茅原は葵を抱いているのだ。それ以上でも以下でもない。何度も何度も自分にそう徹底させる必要があった。
「ぁ、ぁあ……ご主人、さま……ぁ」
ご主人様など、半年前のこいつが聞いたら一体どれだけ嫌悪の顔を浮かべたのだろうか。それが今では喜悦に体を震わせうわごとでまで囁くなど、誰が想像しただろう。それでも、茅原は葵との勝負に勝ったのだ。思いつく限りの手段を用い、この女の人間という部分を磨り潰した。今残っているのは、ただの肉と欲望の塊に過ぎない。
(しかし……、人の想いというものはいったい体の何処に宿るのか)
「どけ、葵」
葵が身動ぎする。まだ、思うように動くことは出来ないようだ。直接触れる肌を通じて、葵の呼吸と断続的な痙攣が伝わってくる。葵はまだ、絶頂の渦の中に捉えられている。美しい顔は喜色に歪み、涙が涎と混ざり合いシーツに染み込んでいく。
女のこんな顔を見るたび、茅原は何時もこんな言葉を思い出す。女は子宮でモノを考えるのだと。馬鹿なとは思っても、当たらずとも遠からずだと思えてくる。この葵ですら、こんな顔をするのだ。
しかし、ならば男は男根で考えるのか。子宮を持たぬ男は、あるいは精巣でモノを考えるのか。
茅原は強引に葵の体の下から抜け出した。汗と涎、愛液と精液が体に張り付いている。
一度、振り返る。それから、茅原はバスタブへと歩みを進めた。
もう二度と、会うことはない。
< 続く >