―第七話後半 正義の勇者 千村拓也―
[0]
握出たちは階段をのぼる。
エレベーターが使えなかったのは、デモンツールズとは別の『アンドロイド』がいたからだ。『ただの線を描く画家―レプリカント・ツアー・コンダクター―』によって生み出された新たな正義の使者―アンドロイドー、電撃戦人―ニンフ―。電流を操る彼女を奇しくも倒したが、神保スカイツリーは全ての電流をカットされてしまったのだ。結果、握出たちは階段で六十階あるスカイツリーを一段一段歩かなくてはいけなかった。
「くはあ、年ですねえ……ちかれた……」
「握出さま、しっかりしてください」
「だらしないわね。――よっこいしょ」
カンナビにおんぶされる握出。リリスは先導して前を歩く。
「カンナビありがとう……って、あるぇ~?」
握出が何かに気付いたような声をあげた。
「なんで二人がいるのです?ヒルキュア?ポリスリオン?――みんな!!気付けばグラマーに成長しちゃってぇ!!?」
リリスもカンナビも存在できるのはせいぜい十分間だ。それが今では当たり前のように無制限に歩いていた。センリがある憶測をたてる。
「時の崩壊が始まったのです、恐らくその効果ではないかと」
「計算したところ、私たちが階段を一段上る度に、地上では一週間が経過しているようです」
「一週間!?じゃあ今まで登った階段を思い返せば、既に地上では――」
三年経過している計算になる。
ヒルキュアもポリスリオンも変身したのではない。リリスとカンナビそっくりの姿に成長してしまったのだ。
フォックステイルもかつての大人の姿をした妖孤に変わり、センリも黒髪の高橋由香そっくりな容姿をしていた。
ただ一人、ジャッジメンテスだけは元と同じ成りをしていた。
「あはは……年は取ってるんですけど、容姿は変わらないですね」
「お姉ちゃんはもともと大人びた風情があったから成長しなかったんだよ?」
「どういう意味――リリス?」
一同が笑い合う。場が和んだからか、握出でさえフッと笑みを浮かべてしまう。
――長く生きてきた。
握出が三年生きれば定年間近、極度な時間経過に体力の限界は一段と早まった。
仕事一本に精を出した握出が、誰かに理解されたいとは思わない。ただ、共感をして欲しかった。
――オリジナルから偽物の身体になろうと、――グノー商品の第一犠牲者になろうと、
握出はいまこの場にいる娘たちを誇りに思おう。
悪―規律―と正義―自分勝手―は同意語だ。
時間を削るために、無駄を省くことが悪か?
お金のために、自分の時間を殺すことは悪か?
偽善は悪か?
「わたしは……たった一人の子分に教えてやらなければならない……」
「マスター……?」
握出は正義の使者―デモンツールズ―に語り聞かす。おそらくこれが、最後の忠告だった。
「娘達よ。よく聞きなさい。これからおまえたちは――」
―グノーグレイヴ スピンオフ作品
握出紋の憂鬱『最終話 正義の勇者―千村拓也―』―
[プロローグ]
ある日、魔王が世界を支配した。
世界のすべてを奪った魔王は、この世のすべてを支配した。
そして勢力を拡大しようとさらに別の世界へ旅立った。
欲を望み、渇きを潤し、一輪咲き掛ける理想郷。
何も知らない理想郷は、魔王を正義と受け入れて、
ここに、魔王の目指す理想郷は完成した。
この物語は、阿呆な世界と住民たちが織りなす、愚能な物語り―グノーグレイヴ―
[1]
階段を登り終えた握出たち。
そこには一人の人間が待ち構えていた。
年を取って髪の毛も伸び、雰囲気を変えてしまったボスが、握出を前にすると待ちかねたように佇んでいた。
「千村くん、お久しぶりですねえ」
「握出紋……」
かつてエムシー販売店で供に営業として働いていた者同士。上司と部下の間柄だった二人が、今度は違った形で対面した。
――正義と悪である。
「私の理想、『エムシースクウェア』をあと一歩のところで邪魔した矢先、会ったら謝ってほしくて仕方なかったんですけど、どうやら再会を喜ぶ想いが一杯で、ついつい嬉しくて笑みが出てしまいますよ」
握出の顔からニタリと笑みが浮かんで消えない。
「そのお礼として、私はこれから3つあなたにかえしましょう。一つは正義の使者を返しましょう。一つは世界を還しましょう。そしてもう一つは、きみを私の元へ帰しましょう。――ちぃむらく~ん!!!!!!!!!!!!!」
指三本を立てて握出は拓也に語り聞かせた。正義の使者―デモンツールズ―も何も言わない。握出―マスター―の決めたことに否定をしないと、先程皆で決めたからだ。
この場でただ一人、
「全ていらない」
千村拓也を除いては――。
「おや?生みだした者まで放置プレイとはあんまりではありませんか?私はそんな教えをした覚えはありませんよ?営業とは最後まで尽くすものです!」
「握出。俺はもう営業人ではない。俺はそう、支配人―プロデューサー―だ。営業の最も上に立つ人物。全てを任された者の役職」
営業のを指揮する最高指揮者、支配人と称する拓也。
「握出?わかるか?お前が堕落し、彼女たちと戯れている間に、俺は血へどを吐き、断腸の思いで新世界を手放した。デルトエルドが残した『力』を以って、今度こそ俺はお前を切り捨てる!」
『ただの線を描く画家―レプリカント・ツアー・コンダクター―』では正義の使者を呼び込むだけで握出を手放すことが出来なかった。
だが、デルトエルドの『力』を受け継ぎ、三年という時間が、千村拓也を立派な正社員に変えた。
「辿りついたぞ!此処が理想郷、トラディスカンティア!」
一輪の花が咲いた。千村拓也の一声で、時の崩壊は終わり、一面澄んだ青空が広がる大草原へと姿を変えた。
「どういうこと?此処はスカイツリーじゃないの?どうして私たち、地に足を踏んでるの?」
「この砂の匂い、地面の感触……すべて本物だぞ!?」
「これは、初期型の『電話』!?いや、違う――」
『電話』は幻、催眠術。握出たちは『本当』に大草原に立っていた。小川の流れる音、鳥の囀り、風の吹く音。全てが『真実』だった。
遊びではない。偽りでもない。千村拓也の望むように世界が改変されたのだ。
握出が汗を流した。
「『レプリカント・ツアー・コンダクター』の真の能力は、新世界を支配する力だと言うことを思い知れ!!」
千村拓也が指を鳴らす。握出の身体がふわりと宙に浮いた。
皆が驚いていた。握出だけが無重力になってしまったかのように、デモンツールズの元から上へ離れて行ってしまったのだから。皆の視線が一斉に集まる最高の見せ場だった。
「さらばだ、上級悪魔。――握出紋」
「ぬああああああああああああああああ!!!!!!」
突如現れた四本の剣が握出を貫き、大爆発と供に握出が爆死した。
『マスター!!!!』
デモンツールズの悲鳴が爆音にかき消される。吹き飛ばされたデモンツールズは握出の姿を探すが、天にも地にも握出の姿は見当たらなかった。残骸すらない。本当に握出は消えたのだ。――千村拓也の作った、理想郷―トラディスカンティア―から。
「一度は聞いたことがあるだろう。『遂に世界を我が物にした』と悪役の決まり文句を。だが、本当に世界を我が物にしたのならば、後からノコノコ現れる正義の使者なんかに負けるはずがない。……中途半端なんだよ、どいつもこいつも。本当に世界を我が物にしたいなら、確固たる自我を世界と共有しなければならない。世界に自分だけは認められなければならない。その先に、新世界の道は開ける」
「ボスが世界と共有する?人ではなく万物の抑止力が蠢く根底の渦でただ一人だけ世界と共有することなんて不可能よ。誰も辿り着けるものではない」
皆が拓也の雰囲気にのまれそうになる中、ジャッジメンテスだけが反論する。100対0の投票には何かあると勘ぐってしまうものだと。
「その通り。俺は世界と共有することなど不可能だった。だから俺は旅に出た。まだ誰も到達したことのない世界の片隅にある未開拓の地域を」
求めたものは世界に存在(あ)るものではない、世界に必要とされないゴミ箱の中。
「そんな馬鹿な話があるか?世界に未開拓な土地なんてあるはずがない」
「そう。みんな馬鹿にして笑った。だが俺は諦めなかった。あると信じて旅を続け、そして、遂に発見したんだ。それが理想郷―トラディスカンティア―だ」
新世界のその果てに、理想郷へ到達した拓也。誰もが忘れ、誰もが切り捨てた夢の欠片から、理想への架け橋を繋ぎ渡った。
「――正義とは信じることだ、信じない奴が悪だ!たとえ皆が世界を裏切ろうと、俺だけは理想郷を信じている。だから俺を信じる世界が正義だ!!!」
正義の名のもとに、世界は拓也の声をいとも容易く受け入れた。誰が為に在りし新世界を見つけた拓也を守るよう、万物の霊長すら拓也の味方をする。
拓也の後ろに十一本の剣が現れた。全てのものは生まれながらにして自然と同化する。『自然具現剣―ワン・エンド・ワン―』。炎―フレイ―・水―アクア―・土―ガイア―・風―シルフ―・木―ミスフォルム―・海―ミズチ―・光―エクスカリバー―・闇―エクセプション―・空―エア―・山―オーディン―・天―ゼロ―
握出を消した十一種の自然を正義の使者が避けきれるはずもない。
「未開拓な土地だからと馬鹿にするなよ。理想郷は元の世界を軽く覆い隠すほどでかい世界だ」
一斉に放たれた自然具現剣が正義の使者の服を破る。弾くことなど出来やしない。元から形がないもの。突き刺すことしか出来やしない。
「駄目だ。絶対に勝てない。理想の神になった存在、千村拓也……」
あまりに強靭な力に追い込まれてしまう。拓也を倒す方法は……ない。世界ではない。理想郷という莫大な想像を一瞬で消すことなんて出来ないのだから。
目の前に立つ千村拓也に攻撃をしたとしても、当てることすら不可能なのだから。遥か10次元先の理想郷に千村拓也はいたとしてもおかしくない。追うこともできずただ逃げるしかない。
そう、奴は正々堂々と勝負をしない、正義の勇者――。
『正義が導く理想郷―ジューダス・ディスガバメント・トラディスカンティアー』
それが拓也の『力』の名前。
「世界と同化して、世界を救った気になっているのか?それこそ世界規模の怠慢だ。ボスのやっていることで世界は救えないし、世界が望んでいることと真逆じゃないか?マスターを排除した。それは世界の意志か?ボスの意志か?考えるまでもないだろ?自分の意志を消して世界のせいにするとは何様だ」
「新世界には犠牲が必要だ。住民全てを救うのなら、一人の罪人を追いだすことを躊躇わない。旧世界の残骸は新世界にはいらん」
「私たちは全員を救う訳じゃない。救える可能性がある者を救うんだ。マスターは救えた。それは私が決める!――ジャッジメンテスの名のもとに!!」
「雑種は下等を処分してればいい。握出だけは俺がやる。これは因縁だ。因縁は立ち切っておかなければならない。その結果が反旗を翻した悪魔の道具―せいぎのししゃ―なら尚更だ。握出が居なくなってもいずれ握出の意志を継いだ誰かが俺を倒しに来る。だから倒せる場所は今しかない。俺を倒すために全員が終結した、この一瞬しかない!逃げることは許さない。全力を以って貴様らを排除する」
再び自然具現剣の刃が降りだす。嵐のように差し向けられた刃は正義の使者の服を破り、皮膚をかすめ、赤い血を垂らす。
「うあああああああああああああ!!!!!」
「みんな、しっかりして!……くっ」
ジャッジメンテスに十一本中六本もの『自然具現剣』が向けられる。
「そうだ。覚悟を決めろ!勝っても負けても全力で戦った者たちにはやりきったという幸福が待っている」
「はああああああああああああ!!!!!」
カンナビが一気に距離を迫るが、自然具現剣『空』の前にかすめることすら出来ない。そして千村がカンナビを蹴り返す。人の与える蹴りか、カンナビの身体はくの字に吹っ飛び、扉に激突してようやく止まる。
「躊躇などいらない。この世には敵と味方とどうでもいい人間しかいないのだ」
自然具現剣『木』が鉄のコンクリートから芽を出し、センリの足元から伸び、そして、か細い身体を貫いた。
「……がっ!」
リリスが振り向いたときにはもう遅かった。蔓のように伸びる自然具現剣がセンリの身体に巻きついたまま大木となる。生贄のようにぐったりとしたセンリは既に絶命していた。
「いやああああああああああああ!!!!!」
「夢も希望も願いも、決して叶わなくても覚悟を持っていたのなら幸福が成就される。闘い続けた者だけが死ぬことが出来るんだ」
フォックステイルも『自然具現剣』を回避するが、山―オーディン―に道を塞がれ、さらに火―フレイ―、水―アクア―、土―ガイア―、風―シルフ―の四元素―フォース・エレメンタル―が囲う。
フォックステイルも覚悟を決める。限界の先、今は消えたメタモルフォーゼがフォックステイルに変身した時に使った秘奥義――
「使って見せる……偽物に出来て本物に出来ないはずがない……内に秘めた魔力を解放―マジック・リミット・ブレイク―。限界を超えた先にある理想郷……童の身よ、真の姿を見せよ――!!」
妖孤の姿で尻尾が九つに増え、続いて全てが二つに割れて、十八の尻尾が扇のようにフォックステイルの後ろにそびえる。
魔力を十八尾全てに振り与え、魔力を限界に溜めた尻尾は白く輝き蓄電する。
そして、フォックステイルの掛け声とともに、一気に解放する。
「十八発の銀の弾雷―ワン・サウザント・シルバー・ブレッド―!!!」
十八発の銀の弾雷―ワン・サウザント・シルバー・ブレッド―は四元素を捉える。心臓麻痺どころではない。当たれば即死の雷の弾丸だ。フォックステイルも理想郷に到達したのだ。
……だが、自然具現剣―水―と―土―により作られた鏡壁により十八発の銀の弾雷を跳ね返される。
「どうしてじゃ!!!!!?」
自分の技がそのまま返ってくる。フォックステイルがぎりぎりに避けた先に―火―と―風―により作られた槍―ファイア・ジャベリン―により身体を貫かれた。
「あ……」
自然に還る身。これがフォックステイルの理想郷だった……?
……ほんとうに?
「ならば願いを叶えよう」
―火水土風―により作られた大災害の剣―カタストロフィー―がフォックステイルの身体に突き刺さった。
「…………童の願い、ちがう…わら………ね、がい……」
フォックステイルの身体が崩れる。そこにはフォックステイルはいなく、傷だらけになった小狐の死骸が転がっていた。
「いや、いやいやいや!!!!」
仲間の死を認めたくない。リリスはただ泣いていた。
「死にたければ戦え、道具よ」
『自然具現剣』が蠢き、リリスを標準に飛んでくる。ジャッジメンテスが再び弾く、裁きの閃光―エルトール―で応戦しても自然具現剣―光―と―闇―だけは裁けない。結果リリスに届く前にジャッジメンテス自身が割って入り防御した。鎧の奥から血が流れる。痛さが身体をよろけさせる。それでも、闘う気力だけは失わない。
「人の願いを叶えると言うことは、至難を極めるのよ。グノーグレイヴに染まったあなたに、人の願いを叶えることなんて不可能よ。分かっているはずよ。人の願いなど意地汚い。グノーグレイヴに染められたのが私たちなら、グノーグレイヴにとり憑かれたのがあなたよ。あなたは正義じゃない。正義の言葉を並べた悪の根源よ」
悪には悪の正義があると言う。人の意見を聞かず自分の赴くままに世界を改編した者に正義という言葉は釣り合わない。
正義とは純粋。人の意見を聞き入れる素直な心から生まれる。正義とは常に時代によって変わるし、今まで出会った人物からも正義が形を変える場合もある。正義は変化するものだ。では、正義を概念化した千村拓也は既に正義と名乗れるか?
「あなたは正義という言葉に憧れた裏切り者よ」
ジャッジメンテスが判決を言い渡す。極刑である、と。
「お前たちは何も分かっていない。正義とは常に独りなのだ」
――故に正義とは裏切り者でなくてはならない。
「そんな奴に世界は声を聞くはずがない!」
ただ独りの正義など独裁政治だ。だが、千村は指を二本突きつけた。
「裏切り者にも二つ意味がある。一つはお前たちの想像する悪い意味での裏切り者だ。しかしもう一つ、良い意味での裏切り者がいる。期待、想像を遥かに超えた結果を残した者に使う言葉だ。奇しくも名を残した英雄はそれに当てはまっていてな。誰が新世界を立ち上げたか、誰が一つの時代の終わりを予感したか。その時、歴史を動かした英雄がいる。英雄とは他の誰でもない、皆の期待に応えた者に贈られる称号だ。誰もやるはずがない、怖くてやれるはずがないと諦めていた時代に、希望の光を与えるのだ。だから彼らは名を残した」
人が無意識に望んだから、彼は英雄に仕立て上げられた。では、今の時代に何を求められる?時代の変化?
「時代は再び変わらなくてはならない。歴史から過去を勉強し、世界すら人類と共存する理想郷。人類が解き放たれるには、世界の許しを得なければならん。真の自由が手に入るのだ。社会の楔など思い通りに打ち崩す」
上司の意見など聞かない。愚痴など聞きたくない、五月蠅いだけ。
自分の培ってきた経験が生きる。意見の合う人間だけと出会っていけば、世界は素晴らしいものになる。
反対意見、指導、体罰、自慢、いったい自分の何になる?足枷にしかならない。
やりたいことも出来ない、
したいことをやらせない、
教えることを教えない。
だから――
「上司のいる―かいきゅう―世界など無くなってしまえばいい」
人はみな平等。姿、意見、意志、態度、何もかも違うからこそ、勝ち負けもない。
人はみな正義の元で動いている。自分の意志を持って行動する。
自信を持って一歩を踏み出せる。――それが今の若者(えいゆう)。
「――きみを救おう」
拓也が動き出す。天―ゼロ―が空へ舞いあがり、そして流れ星のように急降下で落ちてくる。流れ星の姿を見ても願いを三回唱える前に消えてしまう。天―ゼロ―を見たときには何もかも終わっており、ジャッジメンテスの右足はすっぱり切り落とされていた。
「足枷を解き放とう」
ジャッジメンテスが崩れ落ちる。動ける状態じゃない。次に『自然具現剣』が飛んでくればジャッジメンテスに避ける術はない。
「偉大な英雄は力に逃げず、そして血を流さず話しでまとめさせた。あなたでは全く違うし、あなたは偉大になれない。人の話を聞かないで人を救えるの?」
「正義とは誰もわからぬもの、だから誰かが提示してやらなければならない。相対するものでもない。本能の赴くままに生きること、それがお前達の出来る唯一の行動だ」
グノーグレイヴは消え去った。人の欲が満たされているからなにもない――
「誰かの願いを叶えるということは、また誰かの願いを切り捨てると言うことよ。満足させるには、切り捨てられた願いよりもさらに高みの幸福を実現するしかないのよ?そのせいで、グノーグレイヴはさらに濃度を増した。ボスにはそれが分からないの?」
「願いをすべて叶えるには、全ての人類の願いが同じでなければならない。新世界を望む。大事にする、その心が理想郷を活性化させる。一から初めた世界、お前なら何をやりたい?何でも出来る。息苦しい制約もない、環境破壊もやり直せる。人生すらやり直しが出来る。――全てがリセットした世界だ。願いを叶えるために力を貸そう。人類には無限の可能性があるのだから」
「……本当に口がうまい」
虫唾が走る、とカンナビは歯を噛みしめた。本当に望んだ願いを叶えないで自分の理想を願いとすり替えて願いを叶えた様にさせている。高い物件だけを選ばしておいて『自分で選んだじゃないですか』と物件を買わせる悪徳業者と何の違いがある?
「願いは辛い想いをしたものにしか叶わない。人を救う只一つの方法だ。楽に手に入った願いなんて、誰も望んでないし、誰も救えない!」
そう。正義の使者として生まれた自分たちだからこそ、誰かにとって救える存在だと信じていた。しかし、誰も救えていなければ、自分自身も救えていなかった。
難民を救うナース、
罪人を取り締まる警察官、
被告人を裁く裁判官、
決して失う生命はあれば救えない生命もある。だからこそ人は懸命に生きなければならない。生を悲しまないために。
他の誰でもない、握出が教えてくれた。
子供だったのだ。全ての生命は救えると思っていた。全ての願いは叶うと信じていた。
叶わないから願いは美しいのだ。
叶わないから人は願うのだ。
叶えたときに人は幸せになれるから。
――だから、決して負けるわけにはいかない。人の堕落。正義が人の生を奪ってはいけない。
三姉妹が再び燃え上がる光景を、拓也は蔑んだ目で眺めていた。
「……まだ気付かないのか、そう叫ぶお前達の矛盾を」
千村拓也の放った言葉は、決して聞いてはいけないものだった。
「新世界は俺の世界だ。そこに住むお前達も握出―マスター―も俺が願いを叶えたからに他ならない。正義と歌いながらも別の正義を持つお前達が何故同胞と仲良く暮らしているか分からないか?お前たちは気を抜いた瞬間、何時でも戦いは起こるんだ」
正義は別の正義と決して相容れない。
全く違う者でありながら仲良く暮らしている矛盾。共存できても共有できない。
リリスがカンナビとジャッジメンテスの顔を見た。いや、初めて見たような表情で、気を抜いたら忘れてしまいそうで、次の瞬間には敵同士になっていそうな、
そんな恐怖があった。
「ちがう!私は姉さんと闘いたくない!」
「散々戦っておきながらも本心でそういうことを言うか?真逆だ。慕う心は偽物で、闘う心が本物だ。信じたくないから何かにつけ理由を差し出していたにすぎん。
――フォックステイル
――センリ
――メタモルフォーゼ
お前たちは三度同士討ちしながら何故本心を認めない。ならば俺が断言してやる。お前たちは姉妹でもない。争いが好きな、赤の他人同士なんだよ」
今まで姉妹と信じて供に生きた三姉妹の真実。双子で顔がそっくりなように千村拓也に作られた、赤の他人。
同盟を作り、団結を作り、家族を欲しがり、拓也が願いを叶えた。
「お前達自身が愛を欲しがったから、たまたま通りかかった握出―マスター―の元へ行った。そして握出が求めたものは社員だ。家族、家庭、愛人。そんなもの必要ない。新しい会社を設立するための新入社員。それがお前たちだっただけだ――」
同盟を作り、組合を作り、会社を設立したくなり、拓也が願いを叶えた。
「……分かるか?求めているものが違うんだ。――お前達の求めた愛は、偽物なんだよ」
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
何も言わない。ただ、皆が泣いていた。マスターと慕った感情をバッサリ否定し、心を温める感情を一瞬で冷めさせる。
「分かるか、悪魔の道具―せいぎのししゃ―?お前たちは俺が望んだから生まれたにすぎない。俺が望まなければ存在することも出来ない弱い存在。愛だ、友情だ、そんな感情を持つことがおこがましい。分かったら仕事をやれ。理想郷の一部となり住民を悦ばせろ。それがお前達の存在だ」
自分の時間を持つことすら許さない。愛を育むこともさせない。
――それが、営業。
自分を愛してくれる誰かの為に自分を犠牲にし、自分の元を訪ねに来る方々に同じ愛を振りまく。戦争や闘争はなく、穏やかな日常を過ごしていける。
――それが、正義。誰も裏切らず、誰からも好かれる唯一の職業。
千村拓也は達したのだ。誰からも好かれ、誰からも嫌われない。だから世界を裏切らないから新世界を発見できた。
そんな彼からすれば、正義の使者とはなんてちっぽけな存在なんだろうか。マスターと声をかけて浮かれていた日常の裏で拓也は死に物狂いで働いていたんだ。既に握出を凌駕したかもしれない。彼が憧れていたエムシースクウェアは、千村拓也によって二度と生まれることはない。
最強の存在、最高の力。
「何も知らなければ幸せだったと言うのに」
自然具現剣がカンナビに向けて放たれ、そして突き刺さった。
「ぐあああ!!」
「こんな境地へ来て何を求めた?」
リリスの身体も貫き、串刺しになったまま二人は意気消沈する。
「ガハッ!!」
吐血したところで痛さは感じない。リリスは既に身体をカンナビに預けて動かなくなっていた。
「リ、リリス……うああああああああああああああ!!!!!」
カンナビが叫ぶが既に風前の灯火。身体も動かない状態で叫んだどころで余計な体力を使うだけ。その結果、カンナビもまたぐったりと動かなくなってしまった。
「み、みんな……」
残ったのはジャッジメンテスだけ。千村拓也が迫りよる。
「――正義は誰も助けやしない。だが、皆を救うのだ」
集結する十一本の自然具現剣。結局誰も対策を持つことはなかった。敗れる。その結果が形に見えてくる。でも、それでも……ジャッジメンテスは最後まで闘う。
「そうね。ボスの言う通り、私たちの正義で誰かが助かるとはもう思っていない。グノーグレイヴは何も救ってはくれない」
『力』があろうがなかろうが、関係ない。生きていればきっと報われる。
「ほお。その通りだぞ、ジャッジメンテス」
拓也も同意する。力を手に入れればさらに強靭な力の前に屈服する。ならば最強の力を持った者か、初めから力を持たない者こそ真の勝利者。その極論しかないのだ。前者は誰もが認める強者かもしれない、だが後者は必ずしも皆が認める勝利者じゃない。逆に闘いから逃げた敗北者と罵られるかもしれない。
「弱者は弱者を救えない。でも、強者が弱者を救えると思っているのも間違い。本当に弱者を救ってくれるのは、弱さを認めた弱者だけよ」
千村拓也が鼻で笑う。
「そう言うな。弱さとは人の弱さすら共感できる強い心だ。それから眼を逸らす奴が真の弱者だ。弱者のさらに弱者。そうだな、愚者とでも呼ぶか」
馬鹿にしたように笑う。愚者。愚民。『清き大多数の票―ディティアレンス―』の観衆百人のことを握出がそう呼んでいた気がする。手をあげることしかできない愚か者。
でも、ジャッジメンテスがはっきりと断言する。
「そう、千村拓也。あなたは愚者よ」
「……なに?」
「弱くて弱くて、誰にも勝てないから世界と共有して強さを得た偽者。あなたが強いんじゃない。世界が強いのよ!――きゃあ!」
自然具現剣の一本が猛スピードでジャッジメンテスを掠める。
「調子に乗るな、道具。新世界と共有した俺に勝てると思うか?」
100と50が合わされば、150の力を持ってねじ伏せよう。
「世界には勝てないわ。でも、千村拓也が世界を弱くしている。共有しなければ勝てるはずがない力も、今なら勝てる可能性が1%もある」
100と-1が合体したのなら99しか力はでない。
「ははは……。期待を持つな。お前たちの希望は、俺が作り出した幻想にすぎないんだぞ」
「ええ。希望は持たない。私たちが持つのは、絶望。99%敵わないと言う絶望。でも、理想郷を倒してしまうと言う絶望。そして、その後の世界の果てを望む」
ジャッジメンテスの夢見る新世界――
「その後の果て?新世界に果てなどない。理想郷に辿り着いてこそ終焉。もう変わることのない平穏だ。皆がやりたいことをやって幸福に生きられる世界だ」
誰も傷つくことのない、人間が人間らしく生きられる世界の成就。その後の果てに――
「――世界に英雄も……正義の使者も必要ない!」
ジャッジメンテスははっきりと断言した。千村拓也は眼を丸くしたが、しばらくして高笑いを始めた。
「自らを否定するか、道具」
「ええ。供に消えるべきなんです。わたしたちもあなたも。人の歴史は人が紡ぐべきだから」
既に人ではなくなった存在、千村拓也。だからこそ供に消えるべきなのだ。人を見下すその態度こそ、人の欲―グノーグレイヴ―に塗れた真の本性だから。
「…………堕ちたものだ。興が逸れたぞ、道具。――『自然具現剣』」
再び拓也の元に十一本の『自然具現剣』が集結する。しかし、今回は違った。十一本は混じり合い、混沌となって形を成す。
「お前を最後に残したつもりはなかったが情けだ。特別に面白いものを見せてやる。新世界の果て。それを望んだのがお前なら、その後の果てを見せてやる」
雷よりも眩しい閃光がジャッジメンテスを照らす。眩しくて眼を開けられないが、ジャッジメンテンテスが目を細めてみると、拓也は光り輝く一本の剣を手にして対峙していた。
その名は、『ラグナロク』。何が起こるか分からない、一振りで勝負を決する必殺の剣。
「破滅の閃光と取るか、それとも希望の光と取るか。希望も絶望もお前の気持ち一つだ。だが、お前が敗北する只一つの真実だけは変えられない」
拓也が剣を振り上げる。次の瞬間には勝負は決する。
ジャッジメンテスは自問自答を始めた……
「勝てない相手だって分かっている」
(ねえ。私、ボスに勝てると思う?)
…………
ジャッジメンテスの後ろに並ぶ、『清き大多数の票―ディティアレンス―』に備える愚民100人が、私が勝つかという多数決で誰も手をあげなかった。
(いいえ。もし100人が手をあげたとしても、100万人の兵が否定すれば勝てないわ)
「……それでも、たとえ1パーセントでも勝つと信じてくれている人がいるのなら」
(100万人中100人、手をあげてくれた人を裏切ってはいけない)
「その人に――」
(最後まで感謝を述べよう)
……ハイ。
たった一人の愚民が手をあげた。
(私は救われる。その人の為に――)
「――ありがとう」
(――私は闘おう)
ジャッジメンテスが最後の最後に進化を遂げる。
「――っ!なんだ?」
目の前に立つのは純白のドレスを着た女王。金色の髪と純白のドレスが悪魔とは程遠い世界のお姫様を連想させる。月光の姫、赤城の姫。そして白神楽の姫……
拓也は驚きいたものの、あくまで冷静だった。『ラグナロク』が負けることなどないという自信を生んでくれる。今頃ジャッジメンテスが進化してなにになる!?一人だけの強さが、世界の抑止に勝てるはずがないのだから。
「いや、奴に名はない。名前を名乗る必要も、聞く必要もない。奴も、旧世界の残骸に過ぎない」
姫の後ろに100人の愚民が姿を現す。だがその姿は力の依り代に生まれた残像ではなく、現代に具現化した本物の人間だった。さらに、
――快楽の女王―リリス―
天邪鬼―カンナビ―
狐孤魔術師―フォックステイル―
予兆魔道師―センリ―
一度倒したはずの正義の使者が、姫に寄り添って力を渡す。
――『たゆたう快楽の睡眠薬―ジ・エンド・オブ・ホワイト・アルバム―』、
『閉幕せし大歓声の舞台―ダンサー・イン・ザ・エンドレス・ワルツ―』、
『数珠つなぎの隠れ財宝―ワンピース・オブ・ナイン・タワーズ―』、
『必ず偶然が起こる未来日記―ア・ダイアナ・ダイアリー・ディクショナリー』
混じり合った四つの力と愚民自らが小さな光となって姫に集う。白神楽の姫が解き放つ。
「『誰かの願いが叶う場所―ラド―』」
閃の光線が拓也に向けて一気に轟く。
「その力、俺と似たところまで来たな。……惜しい。先程まで倒す気でいたが、お前を失うのが本当に惜しいぞ」
だが、敵は排除しなければならない。構えていた剣に力を入れる。
「――放て、『ラグナロク』」
振り下ろした瞬間、混沌の光が地鳴りとなって地面を削る。ぶつかり合う力と力。
世界がは真っ白に染まる。誰の目も何も映らない。過程がどうなるのか誰にもわからない。
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
ただ、結果がだけが残る。
視界が元に戻る。千村拓也が姿を現し、白神楽の姫はもう何処にもいなかった。愚民も、正義の使者も誰もいない。光に吸い込まれたように跡形もなく消え去っていた。
「世界に比べたら、正義の存在など小さい」
千村拓也の世界は此処に成就した。邪魔者はどこにもいない幸福な世界だ。
――――だが、
はっと気配を感じ、拓也は上空を見上げる。
急降下で降りてくる天使が見えた。純白の羽根、黄金の鎧、そして手には大きな鎌ではなく、小さな手を繋いで。
採魂の女神―ブリュンヒルドーが千村拓也の前に降り立った。
[2]
「ブリュンヒルド、今までどこにいっていた?」
拓也が問いただすが、ブリュンヒルドは何も言わない。睨むような視線が気に食わない。と、普段と違うのは態度だけではない。ブリュンヒルドの繋いだ手。小さい子供の手。
「なんだ、その子供は?」
拓也が近寄ると、一度だけ心臓が高鳴った。
(今の感覚……まさか、こいつ!!)
ブリュンヒルドがついに口を開く。
「私と、マスターの子供です。名は――」
「ガストラドゥーダ」
少女は健気に自分の名前を言った。
[プロローグ2]
無邪気、無垢、無知
何も持っていないからこそ浮かべる屈託のない笑み
何も疑うことをしない、純粋な幼年時代
戻ることは叶わない、大人になる失われる心を持つ時期
誰も知らない事実。大人になると強くならない
人は大人になると弱くなる。泣きたいことばかりだという現実を受け入れられないから。
――そう、世界は子供に絶対かなわない。空席に座るのは子供という無力の愛娘。
誰もが皆守らなければならない、我が子を傷つける者は世界の敵だ。
世界に君臨する、絶対の王―ガストラドゥーラ―
[3]
拓也は嘔吐した。正義の使者の中で一目信頼していた採魂の女神ブリュンヒルドの裏切り。
握出とヤったのか、正義は裏切り者でなくてはならないが、悪い意味で裏切った。
「裏切り者に良いも悪いもありません。じゃなきゃ子供に失礼です」
「ママ……」
子供の屈託のない笑顔にブリュンヒルドは釣られて笑う。子供に罪はない。罪があるとするなら産んだ親にある。
「……覚悟は出来ていると言うことだな」
子供を不幸にするぐらいなら身を弄ぶな。
「ええ。私は娘を生みました。子供の為に私は闘う。ガストラドゥーラだけが私の現実―しあわせ―」
『採魂の炎―フォーリング・ラブ・トゥ・ハート・ガイア―』。世界の母として君臨するブリュンヒルドが呼びかける。
「『お母さんに力を貸して。子供を守る力を』」
ブリュンヒルドの持つ鎌が黄金色に染まる。――黄金鎌。かつて裕福だった時代に黄金樹から生みだした平和を生みだす鎌だ。
「うえい!!!」
黄金鎌が振るわれた。だが、拓也は紙一重で避ける。
「くっ!なんだ、今のは」
自然具現剣が集結する。六列を成し左右二本ずつ飛んでいく。黄金鎌を振るい、消しさる。
黄金とは自然の中の最たるもの。火や水より存在価値は断然高い。自然十一種で勝てる道理もない。
「ならば――」
拓也が視線を別のターゲットに逸らした。浮き上がった『自然具現剣』をブリュンヒルドからもう一人の獲物を標的にする。
「なっ――!」
ガストラドゥーラに向け『自然具現剣』が飛んでいく。
「邪魔者と裏切り者の間に生まれた子供よ。貴様が存在することが理想郷では大罪だ。この血筋、断ち切らせてもらう」
当然無力なガストラドゥーラは避ける術を持っていない。襲いかかる剣をただじっと見つめていたが、その隙間にブリュンヒルドは割り込んで我が子を守る。剣を鎌で凪払うが、『空』と『天』だけが黄金の鎧に突き刺さった。
「やめてください、マスター!この子は、あなたの子供です」
ブリュンヒルドがガストラドゥーラの真実を話す。
「なにを馬鹿なことを!!」
ブリュンヒルドと握出の間に生まれた子供が何故拓也の子供なのか理解できない。子供に親が何人もいるはずがない。
なんなガストラドゥーラが、拓也にも純粋な瞳で見つめて笑っていた。
「『パパ、抱っこ』」
ガストラドゥーラのはなった声に、拓也の内にいるもう一人の自分が心を揺るがした。
「こ、こいつ――!」
気を抜いたら足が浮いてガストラドゥーラを抱きたくなってしまう衝動に駆られる。これは、目の前にいるブリュンヒルドと全く同じ力だった。ただ、違いがあるとすれば――、
「きゃっきゃっ。パパの背中大きい」
その力がとても強く、拓也はガストラドゥーラを抱き上げていたことだった。
「俺はパパじゃ――!まさか」
女神―ブリュンヒルド―は頷いた。
「この子は、全ての住民の子供です。だから、何処までも純粋で何処までも染まりやすい」
ただ一人、世界と繋がった子供である。拓也が滅ぼそうとしている世界で唯一人産み落とされた純粋な人間である。
「ふざけるな!!」
「『いじめちゃいや!』」
「――っ!」
ブリュンヒルドに振るった拳が、ガストラドゥーラの声に反応して止まる。
「『ママを悲しませないで』」
無邪気に放つガストラドゥーラの声に次々と拓也の動きが縛られていく。身動きが取れなくなる拓也に、ブリュンヒルドへの怒りが募っていく。
何故だ……高橋由香の姿を継いだブリュンヒルドが、何故拓也を裏切ったのか?間違いなどなかったはずだ。世界をよりよくする為、これから生まれ出る杭を打つハンマーを取り除いたはずの拓也が、どうして間違っている言う?
(由香……俺が間違っているならなんだ?どうしておまえは――)
穏やかに微笑んでいるんだ……
「いじらしい」
ブリュンヒルドを見て拓也は項垂れた。
「……」
「パパ?」
静まりかえった空間。宙に浮いていた『自然具現剣』が音を立てて地面に落ちた。
「……俺は、パパなんかじゃない」
拓也が首を振るう。
「誰もが英雄になれるのか?誰もが王様になれるのか?誰もが母親になれるのか?誰もが父親になれるのか?」
そんな偉大な大人でもない。そんなあたり前の大人にもなれていない。
拓也の声は震えていた……
「俺は、なれなかったんだ」
ブリュンヒルドははっとした。今の拓也は英雄を気取った監督でもない。一人の営業マンに戻った顔だった。
「拓也!」
「……俺は弱者だ」
黄金鎌を捨てたブリュンヒルドが拓也に寄り添う。涙をぬぐい、優しく拓也を抱きしめた。
「拓也!ようやく思い出したの?拓也はグノーグレイヴに染められていただけ。自分を見失っていただけで、自分を殺されていただけよ」
グノーグレイヴに染められた拓也を救うにはこれしかなかった。誰も新世界も理想郷も望んでいない、拓也が生きていればそれで良かったんだ。高橋由香の願いはそれだけだったんだ。
今なら拓也も帰ってこれる。理想郷に立てこもらず、新世界に逃げ出さない、旧世界でも立ち向かえる力を持っていると信じている。
「私は――」
――ドスッ!と、鈍い音がブリュンヒルドの耳元に響いた。黄金の鎧を貫いた『自然具現剣』がブリュンヒルドの左胸に突き刺さっていた。
「ママ!!」
ガストラドゥーラが叫ぶ。、赤い血を流してブリュンヒルドの身体がゆっくりと倒れ込んだ。
「――ただ、あなたを救いたかった」
ブリュンヒルドは絶命した。拓也は赤い血を振り落とし、涙を拭った。
「俺は確かに非力だ。だがお前は無力だな、ブリュンヒルド!俺を救いたいだと?おまえに世界を背負える覚悟があるか?全人類を救える覚悟があるか?お前は逃げた。逃げて側近になることを選んだ。世界と共有するのではなく、世界と共存することを選んだ。その結果だ。当然の報いと思え」
拓也をグノーグレイヴから取り除けなかった。人の欲の為に働く拓也は、一人でも拓也に助けてほしいと願う声がある限り、闘い続けなければならない。
自分を押し込め、上司を消し、彼女を殺した拓也に、もう後戻りは出来なかった。
「ママあああああああああああああああああ!!!!!」
ガストラドゥーラが泣き叫ぶ、世界が振動した。
「叫ぶな、餓鬼。なにかしようとするなら――!?」
拓也の頬に何かが流れ落ちた。拓也が手を宛がうと、先程拭ったはずの涙が再び流れ落ちたのだった。
「これは、涙。……泣いているのか、俺は?」
「あああああ!!!!うああああああああああああああああああ!!!!!」
ビリビリと世界が揺れる。でも、それは違う。世界がブリュンヒルドを失ったことで、ガストラドゥーラの涙に共鳴しているのだ。
「世界が泣いている。お前も共有するのか?やめろ!共有できるのは一人だけだ!これ以上侵入すれば、新世界が壊れる」
フッと世界が振動を辞める。ガストラドゥーラの声が一度止んだ。だが、それは、ガストラドゥーラが闘うことを望んだ意志……
「ママを……返せ!!」
子供ながらに鋭い睨みを向けたガストラドゥーラは、純粋な怒りを拓也に向けていた。
涙が宙に止まる。十一種の水晶となり、ガストラドゥーラの命を受け拓也に襲いかかる。
『自然具現晶』。『自然具現剣』と全く同等の力を持つ、世界を共有した者に貸す世界の力。
「くっ!」
『自然具現剣』で弾き返すが、意志を持った水晶は全自動で拓也に襲いかかる。操っているのかわからない。我武者羅で無邪気な攻撃こそ軌道の予測は読みにくい。
「うわあああああああああああ!!!!」
「ちい!」
隙を見て拓也が『自然具現剣:炎』を投げ放つ。ガストラドゥーラが掌をかざす。
「『止まれ!』」
ピタッと命じられた通りに『自然具現剣』は空中に止まり力をなくしたように地面に落ちた。
「自然を止めた?ありえない。この力は――」
人智を超えた力。『時』、『空間』、『重力』の三元種すら操れるのは、世界すら支配するその時代の王しかいない。
拒絶不可能の絶対の王―ガストラドゥーダ―。王の声には皆がひれ伏す
見た目は子供だが力や素質はまさに王様の貫禄。英雄すら届かない力を持つ時代に一人しか存在しない者の力。
今こうして拓也が王と対峙できるのは、王がまだ無知だからに他ならない。闘ううちに知らず知らずに得る知識を使えば、戦局は一瞬でひっくり返る。
「……そうか。万物と話せるのか。自然すら会話が出来るとすれば――」
世界を救えるのは、人間を含めた全ての動植物の声を聞けるものだけ。万物と仲良く出来る無邪気な子供しかいない。
拓也ではもう遅すぎた。大人の汚さに自分も汚れてしまった。
世界を救える。中二病の設定が自分の少年時代を思い出させてくれる。
もう子供に戻れやしないのだ。
だが最後に自分の純粋さだけを守りたかったんだ。
大人には大人の覚悟がある。
大人という短気さ故か、短期決戦に勝負を挑むしかない。
「――認めよう、絶対の王よ」
拓也の後ろに十一本の自然具現剣が現れたが、さらにそこから全ての剣が二乗する。十一色の剣が百二十一本、ただ一人の子供に向けられていた。
「ヒック……」
王―ガストラドゥーラ―はそんな状況にも流されることなく母への悲しみにくれる。
「先手を取らせてやる。俺は逃げも隠れもしない。これであてれば貴様の勝ちだ」
拓也の挑戦状。十次元先の世界ではなく、現代に映る拓也に『自然具現晶』を当てればいい。
ガストラドゥーラには簡単なことだ。次元も確立も関係なく『絶対』に当てることが出来るのだ。
この勝負、ガストラドゥーラが絶対的に有利なのだ。
「…必中?…確立変動?絶対などありはしない。来い、悪魔と天使の子供よ」
涙を零しガストラドゥーラが『自然具現晶』を作り出す。鋭く睨んだガストラドゥーラが拓也に放った。十一の水晶は拓也に突き刺さった……かのように見えて、奥の崖に当たって砕け散った。
「……はずした?」
此処に来てまさかの失敗?拓也の信念がガストラドゥーラの必中すら捻じ曲げたという証明になる。
必中というものに囚われた王など子供の玩具遊びだ。それでは王は務まらない。王の責務を知らないガストラドゥーラは所詮偽物だ。
この勝負、拓也の勝ちだ。『自然具現剣』の嵐が一斉にガストラドゥーラに向きだした。
「わかったか?世の中、百発撃てば数打ち当るんだよ」
必然など信じない。偶然を限りなく100%に近づける攻撃を繰り返すのみ。ガストラドゥーラに当てると言う信念さえあれば、必ず王も退くもの。
「ひい」
「あの世でパパとママに会うんだな」
『自然具現剣』が一気に降り注いだ。ガストラドゥーラに当たる瞬間、時が一瞬止まった様な空間の中で、
「『パパは――』
ブリュンヒルドは目の前で失った。しかし、ガストラドゥーラは家族が家で帰宅するのをじっと扉の前で待っていた。その扉が開いて入ってくるのを、子供の様な目でじっと待っていた。たとえ、拓也が否定しても、ガストラドゥーラは信じ続ける。パパが――握出が、帰ってくることを――。
「『――絶対にいる!!』」」
ガストラドゥーラは『自然具現剣』に貫かれた。
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
降り注いだ剣の嵐が終わった。拓也が地面を見下ろすと、目を閉じたガストラドゥーラを守るように、一人の男性が身を呈して庇っていた。
つまり男性には『自然具現剣』の嵐を避ける術がなかったはずだ。しかし、その男性は平然とガストラドゥーラの安否を確認していた。
「大丈夫でしたか、ガストラドゥーラ様」
その声にガストラドゥーラは男性に抱きついた。家の扉が開いて、帰ってきた家族に「おかえりなさい!」と跳んで喜んでいた。
拓也が震えている。帰ってきた、その男性を前にして驚愕していた。
「どうして……存在している?」
握出紋が帰ってきた。
[プロローグ3]
一年間特に何も変わったことはなかった。
一ヶ月なにもしなかったからだ。
一週間仕事をし、
一日会社で営業三昧、
一時間毎のスケジュールを埋めていき、
一分単位で行動を予測し、
一秒を大切に生きている。
一万円を寄付金に使い、
一千円で一日三色の食事にあてがい、
一百一十円を電車の通勤に使って
一円を大事にする毎日。
――ああ、私の人生は、他の誰とも変わらない特別な人生だった。
[4]
握出紋が帰ってきた。その顔は普段の肌色の艶ではなく、長い間仕事をしてきて窶れて色褪せた青白い顔をしていた。まるで生気が感じられない死人だが、握出はそんなこと気にしていなかったように拓也と対峙していた。
「おかしな話ですけど、今さっきピカンと開眼しちゃったんですよ」
口調も普段と同じなのに、時々握出の姿が歪んで消える。拓也の視力が一時低下しているのかと思い目を擦ってみると、やはり握出ははっきりと地に足を付いて立っていた。拓也は一度握出を倒した。しかし、今一度蘇ったことに一番驚いているのは他ならない拓也だった。
「ほざけ。亡霊として世界にとり憑こうが、何度でも排除してやる」
もう一度世界と共有し、握出の存在を消し去る。目の前で握出が再び、
「ぬああああああああああああああああ!!!!!!」
爆発し、消えていった。
「ふん。あっけない」
拓也が吐き捨てて安堵の溜息をついたのも束の間、突如背後で気配を感じた拓也が振り返ると、握出が笑って拓也に手を振っていた。
「はあい」
拓也の視界が歪む。笑顔の握出が消えかかる。
自然が具現化するなら、現実が歪曲する。
「……なんなんだ、貴様」
握出は何か『力』を使っているとしか思えない。拓也の知らない『力』だ。人を操る『亡き営業部長の座―ウソ・エイト・オー・オー―』ではない。世界に取り憑く悪魔の『力』だ。握出は嗤った。
「あらっ?分かっちゃいます?仕方がありません。これが私の能力です」
「なに?」
「時を止めればこの仕掛けは簡単にわかっちゃいますよ?」
わざと『力』の正体を教える握出の挑戦的な態度だが、拓也は従い時を止める。今のままでは何が起こっているのか分からないので対策のしようがない。
「時よ止まれ」
デルトエルドが残した力で時を操る拓也が、理想郷の時を止まらせた。ガストラドゥーラが止まった先で、拓也は握出の姿を探したのだが、一向に握出の姿は見つからない。
先程握出が立っていた地点を見ても、握出は消えていなくなっていた。
「なんだ、これは?」
――静止した世界で握出は存在していない。しかし、拓也が時を動かし元に戻すと、握出は先程の場所で嗤っていた。
「と、言うわけです。どういうことか分かりますか?」
全てを察した様に語りかける握出。拓也は言葉を失っていた。
――握出が存在するのは、現在だけ。
「御明察。この身は既に『現在』にしか映らない仮初めなんですよ。過去を見れば握出紋は死亡しており、未来を見れば偉業や名声すら残っていない。でも、『現在』にだけは永遠に映ります。『現在』を生きる不老不死。私は『現在』に取り憑いた上級悪魔なんですよ。そうですね、この力、『現在に住まう上級悪魔―マスター・オブ・ベルダンディ―』とでも呼びましょうか。ダンディとはまさに私の様な男に使って欲しいものですな!」
愉快に笑う握出に拓也が全否定をしていた。世界に嫌われようと、『現在』に縋りつくことで生き延びようとしている素行の悪さに無理やりにでも振り落とさなければ、理想郷は悪に浸食されてしまう。いや、握出は理想郷を汚しはしない。だが、拓也の生きる現在を汚すのだ。生き地獄とはまさにこのことだ。引っ越した先の隣人が近所迷惑の常習犯だったとなんの違いがある?
理想郷は平和だ。拓也の住む世界だけが悪夢に変わる。
これは、拓也のわがままだ。握出の元から逃げ出したいと言う思いで闘う延長戦。
「ふざけるな。そんなこと、許せるはずがない」
全神経を集中して握出の存在を消し去ろうとしても、握出は一向に振り落ちない。死体を倒すということは可能なのか不可能なのかも分からないまま戦うしかないのだ。握出は闘う力を持ってはいない。だが、決してやられることはない握出に拓也は精も根も尽き果てようとしていた。
「まあ、悲しい事にこの力は私を最強にするものじゃありませんでした。現代に住んで月曜日から日曜日まで働いて、何万年後、世界が滅んだとしても私は宇宙の存在となって永遠に生き続けます。そしたら新宇宙の始まりの名は、『エムシースクウェア』にしますけどね」
「させるかあ!」
『ラグナロク』で切り刻んだ握出は、再び復活して『現在』に蘇る。
「やる気があるのは良い事ですが、是非とも仕事に使ってくださいよ」
握出が拓也に振り返った。そして握出はあるものを指で鳴らして呼び寄せた。
「『月曜日』」
パチンと指を鳴らした瞬間に、握出の元に幼女が現れた。名は月曜日。憂鬱を与える週始めの精霊。皆が知っている月曜日とはまさか少女の名前だったとは誰も思わない。
拓也も月曜日の登場には驚いていた。理想郷として世界を支配していた握出も、隠れていた精霊の存在までは理解できない。
それはまるで、拓也の知らない世界の情報。
じゃあ世界を知り尽したはずの拓也という存在は偽物の存在――
「なに!?これは――」
「んふふ。私の力は『現在』に住まうだけじゃなく、『現在』そのものを家にしてしまったんですよ。月曜日、嫌ですねぇ。永遠に日曜日だったらさぞ楽しいでしょうね。でもね、『現在』に月曜日は訪れちゃうんです。『現在』に火曜日が訪ねちゃうんです。日曜日が来るのは5日先なんですよ」
「だから、どうしたと――」
拓也の問いに握出は、「この偽物が――』と吐き捨てた。
「まだ分からないんですか?せっかく分かる形で『月曜日』をお呼びしたと言うのに。まあいいでしょう。ではお見せしましょう。いま、何時ですか?」
握出の声に『現在』という家の呼び鈴が鳴らされる。拓也にもはっきりと聞こえる鈴の音だった。一度だけじゃない、何度でも規則正しく鳴らされる呼び鈴に拓也は恐怖すら覚えた。
「あれ?聞こえませんか?呼び鈴が一秒単位で鳴っていますよ?まさかとらない訳じゃありませんよね?営業という職業でありながら訪ねてきたお客を無視するのですか?それじゃあ営業マンとして最低です。お客様の気持ちを無碍にするつもりですか?」
扉の奥には誰かが鳴らしている。拓也は見なくても分かっていた。扉の奥にいる『者』の正体、いや、正確には『者たち』の正体だ。
曜日も精霊であるならこの世は精霊で満ち溢れている。
月、年、そして時間、分、秒ですら精霊は存在している。
呼び鈴を鳴らしているのは彼らだ。一秒一秒、規則正しく鳴らしているのは、『秒』単位の六十匹の精霊たちだ。
「ボクのこと、忘れないでね」
「ハア・・・ハア・・・」
扉の奥に聞こえる精霊たちの声に拓也の精神が削られていく。顔を覗かせる前に消えてしまう精霊たちに、救えるはずがない。それはただ在るだけの精霊なんだ。だが、拓也の求めている理想郷は、精霊たちをも救わなければならない無茶で無謀な世界である。
「好きなことをやってきたあなたが一番嫌うことは、自分の時間を奪われることです。営業と言う名の英雄になったつもりでしょうが、あなたは営業の何も分かっていない。一から私が手とり足とり教えてあげますよ。――営業とは、常に働いているんですよ。そして繋がりを一番大事にしています。あなたと私は決して離れることはありません。一生ね」
精霊を代表した握出の声が離れない。逃げることも出来ない握出に抱きつかれ、拓也は肩を震わせていた。
「あれえ?どうしたんですか千村くん?嫌な上司に当たりましたか?でも私は千村くんのことが大好きです。せっかくまた出会えたのですから、理想郷を供に引っ張っていこうじゃありませんか!ねえ、拓也くん……」
理想郷を支配する拓也と、現代を支配する握出、二つが混じり合った理想郷『エムシースクウェア』が此処に成就した。
「や、やめろおおおおお!!!!」
拓也が壊れ、理想郷は音を立てて崩壊した。
握出は宇宙に投げ出される。
握出は――
< 1.新世界を忘れない → エピローグIへ >
< 2.新世界を忘れる → エピローグIIへ >
< 3.旧世界に帰る → エピローグIIIへ >